行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

【日中独創メディア】4月23日、東京で孫文生誕150年記念講演会

2016-03-15 14:21:08 | 日記
昨年の胡耀邦生誕100年記念講演会に続き、NPO日中独創メディアは日中の未来を考える会と第二弾の講演会を開催する。生誕150年を迎える孫文(1868~1925)を記念したものだ。このたびはイトーキの中村総明さんに多大なるご配慮を頂き、会場をお借りすることができた。また、講師を引き受け、得難い機会を提供して頂いたお二方にも深く感謝を申し上げたい。

申し込みのフォーマットはこちらへ(http://goo.gl/forms/QVond3bxzR)。

孫文は清朝末、広東省の貧しい農家に生まれた。兄を頼ってハワイへ行き、米国式の教育を受けたうえ、キリスト教に入信する。医学を志したが、国難に際し革命の必要を自覚。何度にもわたる武装蜂起が失敗し、多くの盟友を失うが、1911年辛亥革命によって清朝の打倒に成功する。革命事業に身を投じた30年のうち三分の一を日本で過ごし、多数の日本人と交流を重ねた。日本も孫文を通じ中国の将来を描いた。

亡くなる直前の1924年11月28日、北京に向かう途中に立ち寄った神戸で「大アジア主義」と題する演説を行い、「今後日本が世界の文化に対し、西洋の覇道の番犬となるか、東洋の王道の牙城となるか、それは日本国民が慎重に考慮すべきこと」(『国父全集』)と呼びかけたことは、今なお多くの人々の記憶に刻まれている。

孫文と交わった日本人の中で、特筆すべきは多額の資金援助によってその革命事業を支援した梅屋庄吉(1868~1934)である。



梅屋は遺言で孫文との盟友関係について口外することを禁じたが、時代を経てようやく光が当たり、教科書にも紹介されるようになった。梅屋が孫文の死後、中国に送った孫文の銅像計4基はいまなお南京や広州などに受け継がれている。


(南京の中山陵)

一方、同時代、中国でキリスト教宣教師として過ごした桜美林学園創設者の清水安三(1891~1988)がいる。



北京に貧困家庭の女子を自立させるための学校をつくるなど慈善事業に力を尽くす一方、革命期の中国社会について多くの有益な著作を残し、孫文については「死んでも死なぬは孫文」(『支那当代新人物』)と彼の思想を高く評価した。

梅屋も清水も、孫文をはじめとする中国人とかかわる中で人間への「愛」を語った。人類愛をもって中国人と交わった日本人2人を振り返ることは、日中の相互理解を深めるうえで有意義だと考える。


【講演者】
日比谷松本楼副社長 小坂文乃「孫文と梅屋庄吉~transnationalな生き方を学ぶ」
桜美林大学教授 高井潔司「北京特派員も務めた桜美林大学創設者、清水安三」 


【日時】2016年4月23日(土)午後2時から5時まで
       13:30 開場、受付
14:00 講演、質疑応答、交流
17:00 閉会

【場所】イトーキ・セミナールーム
http://www.synqa.jp/facilities/2floor/


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