行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

友人の"冤罪"で感じたこと「中国人は法に守られているのではなく、法と格闘している」

2015-08-12 14:58:48 | 日記
上海在住の元調査報道記者、楊海鵬とはもう10年の付き合いになる。国有の公園設計事務所の設計士をしていた彼の妻、梅暁陽が知人から贈られ、手を付けずにいた12万元を収賄とされ、懲役4年の判決を受けたのは2011年10月のことだ。彼女が民間の大手事務所に移籍しようとし、上司の不満を買ったことが災いしたようだった。海鵬自身が政府の暗部を告発する記事を書き続け、それに対する報復とも考えられた。いずれにしても中国にしては少額な収賄事件に政治的意図が隠されているのは明白だ。妻が拘束されてからの5年間、海鵬は不当な捜査を告発し、妻の冤罪を訴え続けた。

当時はど携帯で簡便に情報発信ができるミニブログの「微博」が全盛で、かれはこの道具を最大限に活用し、「微博が中国の民主化を推進する」と評される社会風潮の一翼を担った。一人娘は蟹が大好物で「蟹子ちゃん」の愛称があったため、妻の事件は「蟹ママ事件」と呼ばれ、多くの関心と同情を集めた。だが目新しい事件が好きな世論は、たちまち蟹ママを忘れていった。

拘置期間を含めた刑期満了を宣言する手続きが今月9日、地元の司法機関で行われた際、彼はミニブログにこう書いた。

「私の人生にとって重要な5年間は、私を監視し続けた警官でさえ『本来は輝かしい5年間のはずだった』と漏らしたように、サッカーのスター選手がワールドカップを2回逃したようなものだ。だが、後悔はしていない。私は最も重要なものを守ったと思っているからだ。それは一種の文明である。加害者にはもうすでに多くの恨みはない。私にとってはただの野蛮人でしかない」

4年前の判決の日、私は上海の裁判所まで行った。判決後、国内メディアの記者に囲まれた彼が興奮し、「絶対に許さない」と唇を震わせていた。もう秋だったが、額の汗が流れ落ちるほど上気し、卒倒するのではないかと思った。あんなに逆上した彼を見たのは初めてだった。支援者の中には北京の弁護士で現在拘束中の浦志強もいた。

個人は権力を相手にした闘いにおいて、自分の非力さに怒り、卑小さに絶望し、正常な精神を維持することが困難だ。権力はしばしば「精神障害者者」のレッテルを張って、社会から隔離しようする。そすれば何を訴えても相手にされなくなる。生活の糧を絶たれ、容易に金銭で操られるようになる。私は海鵬をずっと見てきたが、彼は怒りを徐々にコントロールし、静かな気持ちで社会と人生に向き合うすべを得た。

彼一人ではできなかった。家族がそれを支え、一人娘の存在が最も大きな勇気を与えてくれた。多くの友人が彼の話に耳を傾け、新鮮な野菜や魚を届け、子どもにお菓子を送り続けた。会うたびに彼の心境は穏やかになり、自身に降りかかった災難を大きな尺度で図ることができるようになった。

「帰りなんいざ 田園まさにあれなんとす なんぞ帰らざる」

妻の刑期が満了し、晴れて自由の身となった後、彼は陶淵明の詩をもって心を解き放った。世俗から離れ、大自然に抱かれる境遇に自らを置くことで、彼の精神は自由となったのである。道家思想が残した、林語堂の言ういわゆる「生活の芸術」なのであろう。微小な個人の悲哀を自覚しながら、なおも逞しく生きようとする精神には驚嘆せざるを得ない。

中国においては秦の始皇帝が法家思想を重んじて以来、法は統治の道具とされてきた。皇帝が民を納める際の刑こそが法の神髄だった。近代以降、民の権利を守るための法の精神が入ってきたものの、伝統の呪縛からは逃れられていない。現在は「党による指導」の名のもとに、法の精神が空洞化している。権力の格差がある状態で、法は自分を守る道具ではなく、闘うべき相手となる。

海鵬も法曹の世界に身を置いたことがある。司法界の腐敗を告発した記事を発表したこともある。仮に中国を救うのが中国式法治であっても、中国人が法治によって救われるわけではない。彼が身をもって示したのはそういうことだ。

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1 コメント

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Unknown (港虎5430)
2015-08-12 16:31:39
とても感性的な文章を読ませていただきました。微博で楊海鵬さんを追っ掛けていました。数え切れないほど微博の口座を封鎖されていたので。文章に書かれた通り楊さんの気持の変化を見てきました。傍観者で見るのが簡単だったが、当事者では大変だったと思います。良く頑張ってきたと感心してます。これから幸せな日々を過ごすよう祈ってます。

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