からすの巣・別館

日々の身の回り雑記

入院・手術記録 1 ~手術まで~

2010-02-13 07:00:04 | 入院記録
私は長いこと眼圧が高く点眼薬による治療をしてきました。
眼圧が高いのが続くと、視野が欠けてきます。これが緑内障です。
ここ数年、若干視野が欠けてきたので心配はしてきましたが、日ごろ通院している眼科で測定する眼圧は特別高い値でもないので、そのまま通院してきました。
でも、一度大きな病院でセカンドオピニオンを聞いてみようということになり、某大学病院を紹介されました。
そして行った初日、すぐに手術が決定。

同じ病気で頑張っている人たちへの情報として私の手術に至るまでの流れと入院生活の詳細をお知らせしようと思います。

12月中旬-1
日ごろから通院している眼科医からの紹介状を持って、川崎市内の某大学病院へ行く。
長い間待たされ、診察すると左目の眼圧が30!(正常値10-20)。もともと眼圧が高くて治療薬を使っていたので、薬を使ってこの眼圧は異常ということで、その場で手術を勧められ、家族と相談する前に、個人的には手術してほしいことを告げた。
家族との相談と手術の日程調整とをしてくるように言われ、次回まで点眼以外に飲み薬のダイアモックスが処方される。

これまでも会社近くの眼科で診てもらっているときは高くても20ぐらいでだったので、私もびっくり。
以前も大きな病院に行ったことがあるが、その時も個人的には手術してほしかったが、そこでは眼圧が異常に高くなく「様子を見ましょう」ということになり、これまでずっと点眼で来たため、「手術しましょう」という言葉は正直、「やった~!」って思った。

12月中旬-2
TDSに行ったりと家族の楽しいイベントがあったのでそれまでは妻にも黙っていたが、イベントが終わってから、妻に現状を話して、手術したいことも話す。
子供たちにはクリスマスや正月を楽しく迎えてほしいので話すタイミングを考える。
同様に実家の母にも話すタイミングを探すことにした。

12月下旬
再び川崎市内の某大学病院へ。妻は都合が悪かったので私一人で行った。
手術の了解と、日程を決める。
家の都合(おもに子供の習い事や発表会など)と仕事の都合を考慮し、2月1日入院、2日手術、15日退院と決まる。
飲み薬のダイアモックスのせいもあり左目22まで下がる(点眼と内服でこの値は異常)。

1月初旬
正月明けに子供たちには入院・手術を伝える。
上の子Yは初めすごく驚いたが、2週間入院することを教えると、
「な~んだ。それだけか。じゃあ大丈夫だよ~」って・・・。
下の子Rは複雑な感じで受け止めているようだった。

1月中旬
入院前の最後の通院。再び川崎市内の某大学病院へ。妻は都合が悪かったので私一人で。
詳細な術式を聞いた。
繊維柱体切開術。
眼房水の排出口の繊維柱体と排出管のシュレム管を切って水の排出を促す手術。
白目のほうから掘り進み、シュレム管にたどりつき、シュレム管内に管を入れ、シュレム管と繊維柱体に切り口を入れる。
切り口に抗がん剤を塗る場合もあるが、この時点ではまだ決まっていなかった。
その後、閉創。そんな感じ。

1月下旬
実家の母にも報告。
母は意外にも心配するよりも、よかったね~って感じだった。これには私もほっとした。

1月31日
家族と外食。しばらく家族で食べれてないなぁ~って思ったが、子供たちは全くいつもと同じ。

2月1日
子供たちを見送ってから病院へ。妻は子供の通学の旗振り当番があったので、少し遅れて病院で合流。
初めて妻も主治医の説明を聞く。
大学時代は妻も私と同じような分野だったので私の説明でも十分理解していたが、再び主治医の長~い説明を聞いていた。
病室で妻と別れ、いよいよ一人で入院生活スタート。
8人部屋で当初7人ぐらいいたが、初日に2人退院。
緑内障が私を含め2人。白内障が2人。黄斑円孔が3人。(緑内障と白内障、黄斑円孔と白内障を併発している人がいた)
入院生活の簡単な説明を受け、夕方に教授の診察。術式の最終的な決定をする。
薬剤師による薬の説明を受ける。自分も薬剤師だと告げた。
眼圧:左目24(点眼と内服でこの値は異常。)

2月2日
外は雪景色らしい。子供と遊べず残念。
午前
朝、診察。特に異常はなく、そのまま手術できることを確認。
眼圧:左目24(点眼と内服でこの値は異常。)
点滴用の血管確保。手首近くに付けたため左手の自由を奪われた。左利きなのに。
手術の順番や術後の治療薬の説明を受ける。
新たに2人入院。黄斑円孔と網膜剥離。緑内障は意外と少ない。
一人目の手術が9時から。私は6番目。手術用の点眼開始から2時間ほどで手術らしい。
私は2時から点眼なので4時ごろから手術かなぁと思う。

午後
2時からサンピロ(縮瞳剤)を30分ごとに点眼開始。
サエキ眼帯と目拭き綿を売店で買ってくるように言われる(本当は入院時の説明でするはずだったらしい)。
4時ごろから点滴開始。抗生剤(だけだったかなぁ・・・)

4時半
車いすで手術室へ移動。
手術室はそんなに広くない。
割と固いベッドに自分で寝て、麻酔の点眼、耳の後ろからの注射による麻酔(瞬目麻酔)、眼球の後ろまで届く曲がった注射針を下瞼の上から突き刺す注射による球後麻酔をする。それなりに痛いが、まあ想像の範囲内の痛さだった。
その後、頭を固定するマクラに寝かされ頭を固定。
顔を厚めの紙のようなもので覆う。顔側は粘着テープのようなものが付いていて、ずれないようになっている。左目の部分をハサミで切り抜く。
上下の瞼を開いて固定。見えないように小さな四角い濡れた紙のようなものを黒目の部分に乗せて、無影灯の明かりが直接目に入らないようになった。
頭側には、主治医と、主治医の先輩とその人が連れてきた学生3人の計5人。
手術室のパソコンに1人、もう1人ぐらいアシスタントの人がいたように思う。

ここまで10分ぐらい。
手術開始。

先の細い器具で切り始めているのが視野の端の方に見える。
基本的に全く痛くないが、目をいじられている感覚はある。
ものすごい恐怖感。体が硬直して手足、腰にものすごく力が入っているのに気が付き、力を抜くが、気がつくとまたものすごく力が入っている。その繰り返し。
とにかく怖い。目の手術、全身麻酔にした方がいいんじゃないかとおもうぐらい。

医者達の会話も非常によく聞こえる。(まあ、耳元で会話しているので)
手術はビデオに撮っているらしい。学生は主治医の先輩の解説でモニタの映像の解説を受けていた。
シュレム管に到達したらしい会話が聞こえた。
金属の管を入れていく。
無事切開。
金属の管を抜くとき、何かを引っこ抜く感覚があった。この手術で唯一、気持ち悪い感覚がした。
シュレム管の閉創、白目の閉創、目の表面の膜の閉創をしていく(推測)。
この間、ときどき、黒目におかれた紙のようなものは、ずれたりもどしたりを繰り返し、まぶしい時間帯もあった。

顔にかぶせられた紙のようなものをはがしたりしたのち、ガーゼを目に当て眼帯をテープで固定し終了。
抗生剤の点滴はそのまま。
自力で起き上がり、車いすに乗る。
主治医「大丈夫ですか?」
私「大丈夫です。」
主治医「顔色悪いですよ。」
私「疲れました」と軽く笑った。

病棟の看護師が迎えに来て病室へ戻る。
6時ごろ部屋に戻る。

部屋に戻るとちょうど食事の時間。点滴が左手に入っているので、利き腕が使えず不便。
食欲もないが、食べないと夜中におなかがすいても困るので、スプーンで食べた。

点滴終了。術後の安静度の説明。体を起しておく必要があるらしい。ベッドを傾け、30度ほど起してもらう。
目をあけていると手術した方の目にも悪いと思い、ひたすら目をつぶってラジオを聴く。
小沢さん問題、大相撲理事会問題、朝青龍問題ばっかり。
この日は歯磨きも禁止。キシリトールガムをかむ。トイレ以外は寝て過ごした。
夜も大して眠れず。30度起していて、しかも寝返りをうってはいけないので、背中が痛くなる。顔を上向けて体だけ寝返りを打って朝までしのぐ。

つづく。


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2 コメント

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Unknown (Honoka&AsahiのPAPA)
2010-02-13 21:24:28
お帰りなさ~い。

からすさんもお強い方でしょうが、奥さんはもっとお強い方ですね。
本当は一番心配していたのでは...

これからもからすさんのブログ楽しみにしてます。
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PAPAさんへ (からす)
2010-02-14 06:49:44
ありがとうございます。
本当は15日退院予定だったんです。
ずいぶん早まって10日に退院でした。

医薬系の仕事をしていると、病気や治療法の理解は容易にできるんですが、実際の闘病の感覚は、本人にしか分からないんだということを思い知らされました。

病院が家から遠かったので(会社からは比較的近い)、子育て中の妻はとても来れなかったんです。
顔を見れない分、心配したんだろうなぁと思います。
私も目の手術なので、ひたすら寝て過ごすつもりでしたし、「来てもすることないから来なくていい」って言ってました。

無理して来て疲れたら困るからです。
家のことを普通にこなしてくれた妻に感謝です。
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