花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

海のとおり道と陸のとおり道。

2018年03月31日 07時53分33秒 | あさひの科学神書

こんにちは。

日本には,地震のエネルギーのとおり道が海と陸の2つあります。

先ずは,海のとおり道です。

昨日の早朝8時頃に,茨城県北部(こちらは内陸)で震度4の地震が起きました。東日本大震災以降,福島県沖・茨城県沖・千葉県沖で発生している地震ですが,どうもこの地震は南に下りてこようとしているかの意思を持っているようです。これを仮に東側のエネルギーとします。そして,反対側方向から来る地震のエネルギーを仮に西側のエネルギーとするとします。この東側のエネルギーと西側のエネルギーは,ともに同じ場所「ポイント」に合流する明確な意思を持って向かっているように感じてしまいます。

その場所となるポイントは,伊豆・八丈島を経由した「富士山」です。

次に,陸のとおり道です。

海のとおり道と同じ様に内陸側でも地震が起きています。

東側の地震のエネルギーが進入できる入口が茨城県と千葉県の県境付近にあります。つまり,九州東部から関東まで縦断している日本最大級の断層である中央構造線です。この東側の先端から進入する地震のエネルギーは中央構造線に沿って西へ進みます。一方,九州東部から進入する地震のエネルギーも中央構造線に沿って東へ向かいます。そして,東側のエネルギーと西側のエネルギーが交差する地点「ポイント」が糸魚川断層「フォッサマグマ」と云われる長野県にある諏訪湖です。諏訪湖で合流した東西の地震のエネルギーは凄まじいエネルギーを伴って日本海と太平洋へ抜けて行きます。日本列島が分断するほどの凄まじいエネルギーです。

以上が「海のとおり道」と「陸のとおり道」です。ある御方の見立てでは,東側のエネルギーと西側のエネルギーが近づき出すと合流地点の諏訪湖が東と西から押されて地形に歪が生じ諏訪湖の水が地下へ抜けると云われます。神道の世界の所謂,啓示「神示」なのかどうかまで知りませんが,諏訪湖の水位が下がり出したらその日は近いと話されていました。しかし,わたしの中では,陸のとおり道「中央構造線」の合流地点「ポイント」は,長野県の諏訪湖と云うよりも違う場所「ポイント」ではないかと感じています。

私が感じている最終合流地点は,海のとおり道と同様に「富士山」です。

陸の合流地点も海の合流地点も「富士山」を目指しているように感じています。勿論,科学的な根拠は何もありません。以前,はじめて龍神(龍雲)に出会ったとき,どこに行くのか心の中で問いかけたときがありました。すると,龍神から富士山へ帰ると云う音霊「波動」が届いて来ました。何やら,とても急いでいるようで早く帰らないと間に合わないと云う感じであったのです。あとで自動車のネビゲーションで龍神が向かっている方向を見てみるとやはり富士山の方向にはじめて出逢った龍神は向かっていました。

御存知のとおり,富士山は日本一の霊山であり,日本の象徴でもあります。外国の人も日本と云えば「富士山」を連想される人も多いと思います。神道の世界にも富士山をテーマにして書かれた啓示「神示」も多くあります。又,これも科学的な根拠は何らありませんが,富士山一帯は,地球創生のときに多量の水の成分を含んだ惑星「巨大な隕石」が飛来した場所であったのではないかと感じています。地球は十回の衝突を繰り返して出来上がった惑星です。この十回目に衝突したのが水の惑星「巨大な隕石」です。

それが日本の富士山一帯です。日本は,火と水の国であります。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


スサノオブルーのチルドレンたちへ。 ~YELL~ 2

2018年03月30日 09時03分20秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

  

こんにちは。

昨日は,出張で熱海の方へ行って参りました。すぐ目の前には,海が見えとても景色の良いところで,自動車を運転しながら,海の神さまへお祈りしていました。ところで,上の写真は,アルバイト先の郵便局の配達地域に御鎮座される神社の境内に咲く桜です。配達時間に余裕があるとき,ここの境内脇に車を止めて休憩しています。地元の氏子さんたちにもとても愛されている神社であるらしく境内は丁寧に清掃されていて,地元の人の参拝者も多い神社です。先日,御社殿の御扉が新しい御扉に交換れておりました。

又,境内の裏手には,子供たちが野球やサッカーをする大きな運動場まであり,よく子供たちが汗を流しながら練習しています。神さまは,子供たちの声を聞くことで勢いも神気も増すと云われています。たとえば,幼稚園が小学校,中学校などの近くにある氏神神社に参拝しますと境内の神気「空気」が違うことが良くあります。子供たちの声や気は別次元に届きやすいのかも知れません。

子供たちは国家「日本」の宝です。アジアのある国に「終身の計は人を樹うるに如くはなし」という言葉があります。この言葉の意味は一生を豊かに平穏に暮らしたいのであれば人を育てなさいと言う先人からの大切な教えです。前に聞いた話ですが,東北地方のある集落では,子供たちのことを宝者「たからもの」と呼ぶそうです。将来,日本の子供たちが日の丸を胸に菊の紋章を背負い世界に羽ばたいて行ってもらいたいです。今の子供たちは天の才を授かった子がたくさん生まれて来ています。つまり,天才児です。

ただ一言,小言をいわせてもらえれば,幼少のころから日本の歴史をとにかく学ばせることと健康な身体つくりです。逆にやってはいけないことは,部屋に閉じこまらせて先に理屈「理論」を学ばせることです。そうでないと,せっかくの天の才も大人のエゴで台無しになってしまいます。文武両道の基礎基本は,先ずは健全なる肉体つくりから始めます。児童のころに受験戦争をを終えることで有名な慶応幼稚舎でもそのような教育方針を採っています。勉強だけ出来れば良いと云うのは明らかに間違っています。

天才児と言っても勉強が出来るとか云う3次元限定の話しではありません。志が高く,礼儀正しく,優しくて,賢い子供たちです。名前は忘れてしまいましたが,確か,イギリスかアメリカで40年くらい前から次世代の子供たちを専門に研究されている心理学者がいると聞いたことがあります。その時代の節目節目で生まれて来る子供たちに特徴があると云うことでした。そう云った子供たちの多くは,幼少の頃に知的障がいと診断されたり,友達をつくることが苦手であったり,勉強が出来なかったりすることが多いと云う特徴があると云うことです。つまり,肉体としての年齢は若いのですが,魂の年齢はとても高いのです。輪廻転生が桁違いです。

そして,その次世代の子供たちの多くは,感受性がとても強く,特に社会的弱者に対する思いやりはハンパではありません。又,直観力「インスピレーション」もズバ抜けています。大人の嘘や偽り。そして,愛のない偽善心を一瞬で見抜きます。したがいまして,次世代の子供たちに嘘や偽り,上辺だけの愛のない偽善心は一切通用しません。嘘発見器のような頭脳を生れながらにして有しているのかも知れません(笑)。いつものように音霊「波動」で子供たちの気を受け取ると本当に優しい魂を備えています。今の時代に輪廻転生を多く繰り返してきた魂が生まれ出て来るのにはやはり大きな理由があるのだと子供たちを見ると感じています。

古神道の色霊で云うと藍色のオーラを放ちます。

そこで,わたしは,この次世代の子供たちのことをスサノオブルーのチルドレンと呼んでいます。

過去にも幾つか掲載した記事がありました。その内の2つです。拝

スサノオブルーのチルドレンたちへ。 ~YELL~  日の丸を胸に世界へ羽ばたけ。日本の子供たち。


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

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又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

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あの世の先祖が祈ること。

2018年03月29日 00時58分35秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

わたし達には,数え切れない程の祖先がおります。家系図を作成されている人でも過去の親戚一同を把握することは出来ないと思います。特に,女性は嫁いでしまいますから嫁ぎ先まで家系図に入れることはありません。こうなると一体,わたし達の祖先はどれくらい存在していたのでしょうか?その先端で生きているのが,私たち子孫であります。そうなると,自分の先祖に歴史上の有名人物の誰々がいるなんて話をしてもあまり意味がないようです。なぜならば,どの家系にもいるからです。こう言ったことを書かせて頂いている私にも歴史上の有名人物が祖先の中におりましたし,このブログをこうして読んで下さっている御方の中にも歴史上の有名人物が祖先の中に存在しております。このように考えますと,私たち子孫は共に共通した祖先を持つ者同士であります。

そして,お互いの家系を遡り共通した祖先に辿り着き,さらに遡りますと最終的には神さまに行き着く訳であります。したがいまして,私たちは明らかに神さまの子孫同士でありますから,やはり争いごとはするべきではありません。古神道では「同根思想」とも言います。この同根思想は人と人の関係性だけではなく,宗教間でも当てはめられて来ました。つまり,如何なる宗教も同じ根から生じたものであると云う解釈・結論です。元々は一つの宗教・信仰からさまざまな宗教・信仰形態が産まれたのであります。

したがいまして,元々は同じ根から生じた宗教同士が戦争や紛争をすること事態,実に愚かなことでもあるのです。きっと,宗教観の違いから生じる戦争や紛争が勃発するたびに,神さまは悲しんで居られます。人間界でも兄弟姉妹を子供に持つ親であれば,自分の子供たちがいつも争い合い,憎しみ合っている様子をあの世で見ているのですから,こんな辛く悲しいことはありません。兄弟姉妹がいる方であれば経験があると思いますが,子供の時,おもちゃの取り合い,見たいテレビのチャンネル争いをしていると親が怒ってすべてを取り上げられたなんて経験はないでしょうか。今はその本当に一歩手前まで来てしまっているように感じます。

親の願いは,いつの時代であっても同じであろうと思っています。健康に恵まれなくても経済的に困窮してても生きていてくれればそれだけで良いとあの世で私たちを見守ってくれているのです。しかし,生きている私たちは,そんなことを考えもしません。それどころか,あの世なんてないと言い切ってしまう人もいるくらいです。あの世があるなら証明して見せろと云うことなのでしょう。

それならば,あなたが生きていることを証明して見せて下さいと言ってもこれまた証明ができません。残念ながら,結局,人は自分自身を見ることが出来ないのです。鏡に映っている自分は本当の自分ではありません。鏡に反転している自分でありますから,人は誰であっても自分を見ることが出来ないのです。そんなとき,頼りになるのが第三者である他人であります。神道の考え方に,人は自分の鏡であると云う思想的なものが存在します。つまり,人の気になるところは自分に存在するからと云うものです。

たとえば,嫌なところが友人や知人にあるとそれは自分が持っているものだということです。人の振り見て我が振り直せと云うことわざもあるぐらいです。古事記の中の日本神話「天孫降臨」によると太陽神「天照太御神:アマテラスオホミカミ」の命を享け,地上の国「豊葦原中国:トヨアシハラノナカツクニ」を支配するため孫の「瓊瓊杵尊:ニニギノミコト」に授けた三つのものがあります。わたし達が良く知る三種の神器「八咫鏡」「八尺瓊勾玉」「草薙剣」であります。この三種の神器うち,現在の神社でも御神体として祀られているのが鏡であります。この意味は,とても意義のあることでさまざまな研究と解釈がされて来ています。

今日の記事を覚えていれば,明日以降に書かせて頂きます。

私たちの魂の親でもある神さまから,すべてを取り上げられないようにしなければなりません。

すべてを無くし失う時は,一瞬です。拝


 

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家族を養う尊さ。夫婦とは家族なのか?

2018年03月28日 04時17分26秒 | 結びの心柱

 

こんにちは。上の写真は,第42回:賀茂別雷神社「上賀茂神社」式年遷宮の翌早朝に撮影させて頂いた太陽神で御座います。右側に観える鉄塔は京都府警本部の通信指令塔です。ちょうど,宿泊していた部屋の窓から撮った写真ですが,朝の太陽が昇る時間帯はとても静かで,京都の町が穢れのない清純として様子でした。ここ上賀茂神社は,これまで数えられないほど参拝させて頂いております。わたしの神棚でもお祀りさせて戴いている神さまで御座います。神域に流れる小川は「ならの小川」と云い御神体の神山から水が来ています。その「ならの小川」沿いのベンチで休息するのが楽しみでもあるのです。日頃の罪・穢れを祓ってくれます。

さて,今日の記事ですが。

そもそも「夫婦」とは「家族」なのか?いつも私が疑問に感じている1つのテーマです。皆さまは,率直に言ってどうでしょうか?正直,私は未だ答えが出せておりません。目には見えない縁で結ばれ夫婦となっても離れてしまえば家族ではなくなってしまうのか?いえ,そうではなく一度結ばれた夫婦は永遠に家族であるのか?そうであれば離婚や再婚をどう考えるのか?考えれば考えるほど難しい事柄ように思います。たとえば,法律上の問題では決着はついていますが法哲学や道徳的に考察すると答えが出ません。

答えがない,又は,答えが出せない事柄を考え思考して行くことが,もしかすると自分の理性を育て上げ,眠っている遺伝子DNAを呼び起こすことなのかも知れません。不知の知は,自分が不知であることを知らないことが不知であると云う前提とした言葉です。つまり,自分を不知であることを知っている人は不知ではないと云うことです。人は誰であっても最初は不知の塊のようなものです。しかし,自分が不知であることを知ったときからさまざまな事柄を学ぼうとします。そして成長して行くのだと思います。

最近,芸能人の不倫告白を自らの意思で発表するタレントもいますが,相手の家族からするとどう云った気持ちになるのか考えたりはしないのでしょうか。相手の家族に子供がいたり,奥さんや旦那さんの身体の体調が良くなかった場合などを想像したりはしないのでしょうか?自分は堂々と周囲の人の迷惑も省みずスッキリした気持ちになると思いますが,態々,知らせる必要はないと思います。歴史でもそうですが,知らなくても良いことは知らずにいた方が幸せな感じもします。これにも答えはありません。

ただ言えることは,相手の立場や相手の心を思いやる気持ちは大切であり,相手の気持ちを踏み躙るようなことはすべきではないと云うことは一般社会で共通した常識でもあり,普通に考えても何ら不思議なことではありません。変えてはならない不変的なことでもあります。はじめをはじめとし,もとをもととする。この言葉が示すように,元々本々は変えても良いことと変えてはいけないことがあることを教えてくれています。この言葉は,伊勢神宮を創建された「倭姫命」が後世のわたし達に残してくれた御言葉です。

自分の事など形振り構わず,家族を養うために働いてくれる家族はかけがえのない存在で在ります。こう云った人こそ,最も古神道に沿った生き方ですし,神さまに一番近い存在でも在ります。このような人を神さまがほって置くはずがありませんし,先祖もここぞとばかりに必ず守護します。それとは真逆に,相手の事など形振り構わず,自分の為だけ考えているような人こそ地獄道に沿った生き方ですし,神さまから一番遠い存在でも在ります。この様な人が神さまと繋がることはありません。自分の先祖もあの世で嘆き苦しみます。子孫の行いがあの世で評価される世界ですから。この世限定の社会的地位や身分,職種は何の自慢にもなりません。

家族を養うこと。それは尊いことだと思っています。

まさに,そう云った人こそ観世音菩薩の化身であります。合 掌


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 


あべちゃん。アッキー。ファイト!

2018年03月27日 06時37分41秒 | 怒りの心柱

こんにちは。今すぐ,子供を母親のもとへ引き渡せ!今日は,怒りの心柱ですからこれくらいの出だしがちょうど良いかも知れません。そもそも債権者代位権訴訟を提起されるとは情けないことで,且つ,元々の能力の低さを感じてしまいます。検事をたかが3年くらい経験した程度で元検事なんて言わないのです。男子は男子で法律家ではなく,法律屋に成り下がっているのが解かります。たいしたこともないくせに,国会議員の政策顧問だなんて法曹界は爆笑です。身の程知らずとはこのことかなのです。要は,姑息なただの卑怯者に過ぎないのです。病気療養中の妻がいない隙を狙って自宅に連れ込み不倫するような輩が弁護士とは情けない。

でも,この債権者代位権訴訟もちょっと怪しい・・・。仕組まれたかな?

はじめに書いて置きたかったので失礼しました。あとで怒りの熱が冷めたら削除するかもしれません(笑)。

天皇の大いなる臣下である内閣総理大臣。その内閣総理大臣が,いま苦境に立たされております。身から出た錆なのかなんなのか,私たち国民は知ることが出来るのか否か?どうせいつもの一部を切り捨てて終結するんじゃないのと云う想いもありますが,重要政策が山積する国家においていつまでも長引かせることは国民の利益になりません。あまり,政治や政治家についての記事は書きたくないのですが,私も国民の一人として無関心でいる事は出来ない問題でもあり,現役の総理大臣を巻き込んだ事件であります。

個別の政治家をブログで記事にするのは2人目であります。一人目は,稲田朋美さん。稲田朋美さんが防衛大臣になる前と防衛大臣に就任した際に,稲田さんはリスクマネジメントを駆使できる人物を側近に据えないと難しいことになると書かせて頂きました。

稲田防衛大臣に想うこと。がんばれ!ともちん! 神様から授かったリスクマネジメント3 今日は独り言です。 

安倍総理も稲田さん同様に,とにかく私費を出してでもリスクマネジメントを駆使できる人物を側近に据えることです。弁護士などの法律家では能力的に無理です。資格と能力は別ものであって,合致するものではありませんから。そもそも初めからリスクマネジメントを使いこなせる人物がもし安倍総理の側近にいたら,こんな問題にはなっていません。夫人の言動が問題を大問題にしていると云われても居ますが,夫人の言動は不知故に引き起こすようなものですから謙虚に素直に心を低くしなければなりません。

水の働きから学ぶべきです。(自然と繋がるとなんでも教えてくれますよ)

自分の心の位置が高いから,ナンチャッテ愛国者の顧問に使われたり,権力に群がる人間の宣伝に使われたり,利権を求める輩に利用されたりするのです。つまり,現役の総理大臣の夫人であるからと云う大前提がある上でと云うことです。これから,今まで自分を持ちあげヨイショしていた権力大好き人間たちが次から次へと去って行くだろうと思います。今まで何でも賛成してくれた人たちの様子も変化して行くとも思います。その時に,虚しさを感じてしまうことが無いようにして戴きたいと思います。

せめて,国と国家の違いや国体と政体の違いと役割くらいは知っていてほしいです。

憶測ですが,外国の要人の方が,もしかすると日本の歴史や伝統と文化をよく知っているのかも知れません。日本史を学んでいるとき,この辺りも考察していたことがありました。勿論,国体と政体についての研究もとっく「室町時代前後」に終えている様にも思えます。そして,日本の政治家が不知なことも承知の上でいるのかも知れません。「日本はお金だけ出せばそれで宜しい」「余計なことを考える必要もない」「中古の武器を買えばそれで良い」と言った前提の上で米国との関係,国際政治が回っているように思えるのです。しかし,そのことに日本の政治家自身が不知であることを知らないことに私たち国民は恐れを抱いているのです。

その証拠に,日本がアメリカから武器を購入すると言ったとたんに北朝鮮の日本に対する挑発行為が終わりました。

以前,こんなことを聞いたことがあります。アメリカの世界戦略は,日本人が考えているような生易しいものではない。戦後の日本人は甘い,甘すぎる。戦うことも出来ず,逃げることも出来ないのが今の日本だ。軍産複合体の国家と云うのは,A国とB国を戦わせ,両国に資金や武器の提供を行い,最終局面で仲裁に入る。そうすることで,武器の輸出にも成功し終結後の政策にも経済・産業にも関与して行く。そうすることで莫大な利益を確保できると言うことでした。これはアメリカだけに限った話ではありません。西洋の国のやり方はこう云ったものであることが普通なのです。わたし達の国,日本でも明治維新で経験済みであります。

今の一連の政治スキャンダルが終わると天皇陛下の譲位について再び議論されて行くと思います。つまり,次の天皇即位に纏わる是非です。そうなると私たち国民は祭祀と統治と云う日本人としての精神性そのものを根本から見つめ直し,真剣に考えなければならない時代へと入って行くように思えるのです。これが,これからのキーワード「鍵」になって来るようにも感じています。祭祀とは国体を言います。つまり,祭祀の中心は天皇陛下と云うことになる訳です。君臨すれども統治せずと云う言葉もあるようにです。

一方,統治とは,政体を意味します。政体とはつまり,政治です。この政体の頂点に存在するのが内閣総理大臣と云うことになる訳です。今日の時点で言うと安倍晋三さんです。その政体の最高権力者は,祭祀の中心「天皇」に従い,祭祀「天皇」の大いなる臣下として務めることを定めとするのです。それは何故なのかです。それは太陽神から私たち国民を御預かりしているからに他ありません。だから,わたし達の国家の国旗は太陽であるのです。世界で唯一,天地の子孫たちが住む国「国家」となる訳であります。

和の国である日本の国体「祭祀」も政体「統治」もすべてこの言葉に集約されています。

おほみたからにいたるまで かしこみ かしこみ もうす。拝


 

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きょうはいろんなひとりこと。3

2018年03月25日 16時12分53秒 | 美しき水の国

こんにちは。この靴「シューズ」カッコよくないですか? それが・・・。

昨日は,春の祖霊感謝祭を無事に終えられたことを氏神神社へ報告を兼ねて参拝させて頂きました。天候も良く,ポカポカ陽気で清々しかったです。しかも,昨日はアルバイト先の給料日でした!早速,神さまの御酒を買って,前から欲しかった靴があったので,夕方に靴屋さんへ行ったら,なんと!お目当ての欲しかった靴が売り切れておりました(笑)まぁだいたい,こんなもんです。

その靴が,上の画像の靴です。あの靴を履きながら配達している自分を想像していたのに・・・。残念です。

最近の国内ニュースと言えば,財務省の改ざん問題や安倍総理の忖度があったのかどうかと云った問題や安倍昭恵夫人の言動ばかりに注目が集まっています。昨日はどこ行った。今日はどこへ行くみたいな話題ばかりです。もっと,この国家にはやるべきことがたくさんあるのに何か不自然さなるものを感じています。確かに,これはこれで大きな問題であり,逮捕者まで出ているのですから事件でもあります。安倍昭恵夫人も止めて置けばよいのに態々,SNSを使って発信し続けていますね。意地になっている見たいに。

ある御方のブログを見てみると安倍昭恵夫人と籠池夫人とのメールの遣り取りが時系列的に書かれている記事を拝見しました。これを読んで,解かりました。昭恵夫人も籠池夫人も国体と政体の役割も分担も理解していないと感じてしまいました。確か,夫の籠池さんは日本会議に所属していたと思いましたが,日本会議に所属していながら国体と政体のことも理解されていないことに驚きでした。今ではすっかり,安倍政権を裏で操っているとか牛耳っているとか言われていますが,そもそも日本会議は,そんな団体ではなかったのです。わたしも日本会議の創立メンバーをとても良く知っていますが,少なくとも創立メンバーの人たちは本当に日本と云う国と国家の将来を憂い集まって出来た団体であったのです。そこに,いろんなナンチャッテ愛国者と云われる国会議員や企業経営者,文化人に大学教授などが参加して現在の様な団体になってしまったのです。要は,権力や権力者に群がるなんとかです。

その両夫人のメールでの遣り取り中に,神さまと云う言葉と祈りと云う言葉がたくさん出て参ります。これで解かったのです。しかも,何を勘違いしてしまったのか?それとも霊能者にでも憑かれてしまったのか?そこまでは解かりませんが,とんでもないことをしてしまっているようです。よくこんなことが出来るな?と私はそう思います。それは,知る人ぞ知る神社(ちょっと私には恐れ多いので神社名は出しません)へ祈祷に出掛け,さらに,別の日本の史実に必ず登場する重要な神社にまで行って祈祷をしたと云うのですから恐れ多いものです。神さまを自分たちの利益誘導の為に使ったことに気が付かない人が,どうして子ども達の教育者になれますか?ちなみに,祈祷に出掛けたのは籠池夫人の方です。本当に日本と云う国と国家の将来を憂いているのであれば,自分たちの利益誘導の為に祈祷など絶対に出来ないことであります。ご本人達もまさかここまで有名人になるとは想像もしていなかったと思いますが,自分の器以上のことをしようとしても上手く行かないのであります。初心に立ち返り考えて頂きたいです。原点回帰です。

又,アメリカと中国との間で貿易戦争が勃発するようなニュースも気になります。何やら,中国がアメリカに対し報復通知を出したとか報道されています。これを決してアメリカと中国の二国間の問題として見ない方が良いです。わたし達にも影響が出て来る話です。何と云っても,わたし達の国家に急がれる必要な政策課題は水と食料自給率の課題です。先日から続く株式市場の下落もそうですが,金融の底が割れるといよいよ今度は水と食料の争奪戦が本格化して行きます。これまでも何度もブログで書かせて頂いて来たことが,私たちの住む日本で起こり始めます。とにかく,日本は食料自給率を上昇させる政策に方針を大転換して,水資源を守れるような法整備を着々と進めて行かなければなりません。そうでないと私たちの国から大量の餓死者を出してしまいます。


 

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又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


春の祖霊感謝祭 結

2018年03月24日 08時42分46秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。上の写真は,静岡県の海岸で撮影させて頂いた早朝の太陽神で御座います。

昨日,無事に春の祖霊感謝祭を終えることが出来ました。今日,氏神さまへ無事に祭祀が終了したことを報告して来たいと思っています。やはり,氏神さまに始まり,氏神さまで終わるは祭祀の基本です。又,次の祖霊感謝祭は,一年の中でも最も大事な夏の祖霊大感謝祭「お盆」です。それまで通常の祭祀に戻ります。私たちの国「日本」には,祭祀文化と言っても良いくらいの古来より脈々と続けられて来た独特な祭祀形態が存在します。しかも,その祭祀形態は,年万年と云う途方もない年月を経て脈々と継承され続けて来ています。これは本当に凄いことだと思っています。絶えることのない祭祀が何故,何万年も継続されて来たのでしょうか。

一言で言えば,本当に大切なものは目には見えないからと言えます。しかし,ちょっと変な気もします。なぜならば,普段のわたし達は,目に見えるモノこそ信用し,何ら疑うことなく信頼して生活をしているのに,なぜ目には見えない,耳にも聞こえない存在に対し祈り,たとえば,祖霊祭祀がこれほど永く続いているのか?です。皆さま不思議に思いませんでしょうか?目に見えるから,耳で聞こえるから信用する。又は,信頼すると云うのは単なる幻想的なのかも知れません。そうでないと理屈で説明が付きません。

それもその筈なのであります。祭祀は理屈では説明が出来ないものですし,目には見えない,耳にも聞こえてこないからこそ大切であるからです。つまり,極端な言い方をあえてするならば,理屈は相手を説得する学問であります。相手を説得するとは,相手は説明があってはじめて理解することになります。相手の説明によって「説得される」訳です。まさに政治の世界や法律の世界はこれです。説明する内容「理屈」に説得力があればそれで良いのです。しかし,これが実はくせ者の正体でもあるのであります。

これは,私の個人的な考えと発想ですが,悪魔の正体とは理屈にあると私は感じています。だからこそ理屈を使いこなせつことが大事なんだと云う考えを持っています。要は,理屈に支配されてしまうと心身ともに穢れがついてしまいます。祭祀の中心に存在する天皇陛下が君臨すれども統治せずに徹しなければならない理由もここにあるのです。祭祀に穢れは厳禁であるからです。それを何を勘違いしてしまっているのか解かりませんが,祭祀を法や法律と云う理屈で縛り付けているのですから恐れ多いものです。

話しがいつもの様にそれてしまいましたが,目には見えない,耳にも聞こえない存在に祈りを奉げると云う行為そのものは理屈ではないのであります。極端ですが,いくら祈り続けても自分の願いが叶うなんて保障も約束もありません。それでも祈り続けると云うのは,人には心が存在するからこそなのです。自分自身の心に坐します神さまの大切な分け御魂が存在しているから,わたし達は先祖の御霊を供養したいと云う理屈を超えた慈悲の心の働きと祖先の遺伝子の働きがあるからこそ信用するとか,信頼するとかと云った屁理屈ではなく祈り続けて来たのではないでしょうか。しかも何万年もの長い永い歳月を経ていまも祈り続けているのです。

祈れば何か良いことがあるとか云うのは,祈りではなく単なる取引です。その取引心もちゃんと神さま,御先祖さまに届いてしまいます。それよりも自分の願い事があっても人の為に祈り続け,祖霊の御霊を供養し続ける人を神さまがほっておく筈がないのです。世間で言われる運の良い人とは,神さまに自分の願望を叶えて貰うと云う発想をしない人が多いのです。これマジ話です。素直な心で感謝を奉げることが出来れば,あとはカムナガラ「神人合一」であります。ただ大自然と自分自身が繋がるだけであるのです。

祭祀は理屈を超越しますので,理屈が祭祀の上位に位置することはあり得ません。

理屈に騙されないようにいたしましょう。拝


 

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

これからも,2つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


ブログのコメント欄について。

2018年03月23日 21時18分44秒 | 結びの心柱

こんにちは。上の写真は,何年か前に関東地方で大雪が降った翌日の早朝,伊勢神宮へ向かう途中の太陽神です。

さて,平成30年度 春の祖霊感謝祭も今日で終わりであります。

夜の祭祀を無事に終えて結びと致しました。明日は,氏神さまへ報告に行って参ります。

偶に,このブログを読んで下さった御方からメールでコメント欄の使用について,ご意見を頂戴することがあります。出来れば,わたしも多くの皆さまとコメント欄を通じ,さまざまなことをたくさん学ばせて頂きたいと感じてはおります。ブログをご自身で書かれている方ならば御承知のことだと思いますが,多くの読者さんが読まれるブログではコメント欄を開放していることがほとんどであります。そう云ったブログの中には,大変素晴らしいブログもたくさんあります。人の役に立つことを趣旨として取り組まれている方や特定分野において社会への警戒を発し続けられているブログも御座います。勿論,わたしも学ばせて頂いております。

しかしながら,わたしは,本業以外にも研究やアルバイトなどを含めるとたくさん仕事などをしております。その本業以外の仕事の中には,朝の早い時間から夜の日付けが変わる頃まで掛かる仕事も御座います。スーツを着て長靴を履きながら仕事をしているときもあります。自分でも不思議に感じていますが,そうなるとコメント欄の対応も難しく,わたしの書く拙いブログを読んでせっかくコメント欄にご意見を頂戴しても返答するのに時間が掛り過ぎてしまうことが,申し訳なく気持ちの上でとても嫌なのであります。

こんな笑っちゃう私ではありますが,自分なりに夢も持っています。それは,保護司さんに成りたいのです。現行の制度下では無理だと思いますが,保護司さんになって全国の神社とお寺で無料の法律相談をしながら,生きることに疲れてしまったり,ちょこっと何かに失敗してしまった人に係わりを以て行きたいと思っています。特に,未成年の子供たち少年少女の保護司をしたいです。

この世で駄目ならあの世で出来るかも知れません。

したがいまして,今現在のわたしの様な未熟な立場では,ブログのコメント欄を通じ,読んで下さっている方々との交流をして行くことは現在のところ叶うことでは御座いません。わたし自身がもっと,今まで以上に努力し,成長してからでないと神さまから許可も出ないようです。これもわたし自身の修行の一つでもありますし,何より縁でありますので仕方がないことであります。そのような理由からもコメント欄を開放していない訳でありますので,今後とも拙いブログで恐縮ではありますが宜しくお願い致します。

花咲あさひ 拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


古(個)神道で生き活きと。

2018年03月22日 19時12分05秒 | 感謝の心柱

こんにちは。上の写真は,北陸に出張した際に撮影させて頂いた早朝の太陽神で御座います。

わたし達の先祖を辿り辿ると誰であっても,みな同じ祖先に辿り着き,その先には神さまの存在に行き当たります。つまり,誰であっても人は神さまの子孫であると云うことになるのです。わたし達の心の中に神さまの分魂が宿っていると云われる所以でもあります。古神道で言うところの分魂・分霊思想です。わたし達は,どこに居ても,どこで何をしていても神の愛しい御子であることに変わりはありません。だからこそ,大自然と自分自身が他人を介在させずに直接つながることこそ大切なのであります。

ただ目の前に存在する大自然に素直に感謝を奉げる。感謝は森羅万象の中心の座に位置します。その感謝の気持ちを言葉に表した言葉(言霊)が「あ・り・が・と・う」であるのです。そのことは,先日も記事にさせて戴いた通りであります。大自然と繋がると云うことは,巷で言われている一般の人には解からない様な霊的云々,スピリチュアル云々とはかけ離れたもので,全く別のものなのです。それどころか,あげくの果てに絶対禁足地にしなければならない御神体に集団で登り,場を穢し,神さまを商売に使って買収するような姑息な手段を用いる輩まで登場して来ているのです。本来,御神体に入山できるのは祭祀者と清掃者だけなのです。

こちらが,先日書かせて頂いた記事です。

ありがとう。これが森羅万象の中心です。 ありがとう。これが森羅万象の中心です。2

一般人のわたし達は,御神体の麓で遥拝(遠拝)することが丁度良いのです。そう云った理由から,わたし達の祖先は御神体を穢さないようにと麓に神社を建立して来たのであります。つまり,後世の子孫たちが,御神体に入山しないように麓に神社を建立し拝殿を設けたのです。それにもかかわらず,絶対禁足にすべき御神体を神社が金銭との引き換えで,御神体への入山を認めているのですから恐ろしいことです。このようなことを書き込むと神社関係者の方から「入山を認めなければ神社に参拝者が来ない」とか「資金がなければ神社を運営できない」などど言われると想像しますが,だから,神社の神職が政体事に明け暮れるとダメなのです。

神社の運営・制度の整備・資金の管理と云う政体事は「氏子崇敬者」の役割なのです。これを護持と申します。

その中でも特に注意が必要なのは「お金」です。私もこれまで,これでもかと云うくらい宗教家対宗教家,宗教家対一般人の争いを見て来ました。その時に「お金には別の人格が入り込む」と強く感じたことがありました。人格そのものが変わってしまうのです。これは何も宗教家だけに限った話ではありません。わたし達一般人も同じように「お金には別の人格が入り込む」と頭の片隅に置いておいた方が良いと思います。お金の取扱いにミスや間違いが生ずるとやがて紛争になります。そこに待ち受けているのが修羅の世界で暮らす住人たちです。ようこそ。修羅道へと案内されて行きます。冷たく冷え切った石棺の建物へと連れて行かれます。

もはやそこには,大自然と繋がるなんて考えは到底,ありません。

私たちは,神さまの子孫であることに相違御座いません。どんな人であっても,私たち人類の本を辿って行くとイザナギの神さま・イザナミの神さまに行き当たります。肉体を持った我々の親も自分の子供どうしがいつも争い合って,憎しみ合っている姿は嫌なもので見たくもありません。あまりそう云った時期が長く続くとわたし達の肉体の親はどうするのでしょうか?おもちゃの取り合い,見たいテレビの奪い合いを繰り返している兄弟双方から喧嘩両成敗として,喧嘩の本となったすべてのモノを取り上げられたなんて経験をされた方もいらっしゃると思います。同じようなことが起きないようにしなければなりません。

みなさま。古(個)神道で生き活きと。


 

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神恩感謝に心音感謝。

毎朝毎夕祖霊に感謝。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


現在,現場待機中。

2018年03月21日 19時59分54秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

こんにちは。あと4件で,今日の配達も終了です。

日中は,雪も結構降ったりして,今は雨になっています。

20時から21時指定のお荷物なので,近くのコンビニでYouTubeを見ながら待機中です。

それでは~。そろそろ出陣して参ります。


 

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観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


きょうはいろんなひとりこと。

2018年03月20日 20時16分01秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

こんにちは。

日本人が西洋化に進んで行った時代って?

日本と西洋のある国との間には,米国(アメリカ)よりも密接で且つ,何か不思議な関係性があるように思えます。根拠はありませんので直感「インスピレーション」です。その西洋のある国は,日本から様々な制度を持ち帰ったのではないかとも思っています。よく,日本が西洋化した時代を江戸末期「明治維新」・明治時代・大正時代・昭和時代「終戦後のGHQ占領政策」を引き合いにされる方も居られますが,いやいやもっと前の時代,室町時代・南北朝時代に何か大きな出来事があったのではと感じているのです。先程,日本から様々な制度を持ち帰ったと書きましたが,その代表的な制度とは,国体「祭祀」と政体「統治」であります。

君臨すれども統治せず。こんな言葉を聞いたことがあると思います。

春の祖霊感謝祭3日目。

先日,長野県に出張に行った際に購入した春の祖霊感謝祭用の御線香ですが,御先祖さまにも大変喜ばれているようです。御線香の煙で解かるのです。真っ直ぐに一本の線のように上へのぼっていく時は安心した先祖が寄っていたりと長く先祖供養をしていると何となく解かって来るものであります。御線香の煙と香りは,自分の疲れた身体と心身の穢れを癒やしてくれますし,心の傷も治してもくれます。昔から御線香についての伝承は知ってはいましたが,御香の煙と香りは未知なる力を秘めているかもです。

最近,おしるこやコーンポタージュが飲みたくてしょうがなく仕方がなかったのですが,水子さんでも寄って来ていたのかな?普段はあまり気にしない食べ物が無性に食べたくなったり,飲みたくなったりするときは,自分の家系の先祖や水子さんだったりが欲しがっていることがあるのです。霊は人の形に寄りますから,生きている子孫の身体を使って要望を叶えようとします。お酒なんて良くある話です。これまで全く飲めなかったお酒が急に飲めるようになったりと云う経験をされた方もいると思います。

そう云った意味でも祖霊祭祀は大切なのです。これマジ話です。

毎年,この3月から4月頃は,芝桜の植付けの時期なのですが・・・。

今年は,芝桜の農園「植付け」は,出来そうもありません。毎年楽しみにしているのですが,なかなか想うようには行かないものです。いくつかの神社と数ヶ寺のお寺に持って行けるだけかも知れません。プランターで植え付けて,根が完全に張った状態になったら持って行くことにします。はやく,境内に思いっ切りたくさんの芝桜を植え付けて,綺麗な芝桜を咲かせたいです。観音さまに教えて頂いた護持のひとつです。神社やお寺には,感謝の参拝や願い事の参拝に来る人だけではなく,生きることに疲れ,さ迷っている人々もたくさん来られます。そんな人たちに,また明日も生きて見ようと思っていただける神社・お寺であったらといろいろな事をさせて戴いて来ました。改めて振り返ると神さまの御力,仏さまの御力があったから出来たことだと思い知っています。

あしたは,朝から夜まで郵便局で配達のアルバイトがあるので,記事の更新が無理かもです。

お金持ちはいいなぁ~・・・。わたしも頑張って3億円貯めないと(笑)。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


忘れ去られた御霊の供養。

2018年03月19日 06時11分58秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。何年か前に仏教に倣って御経文を短いものですが作成したことがありました。

我子孫 祖霊飲食 祖霊衣服 祖霊住居 祖霊薬薬 祖霊安寧 祖霊平穏 一心観世音菩薩 祈

我祖先 子孫飲食 子孫衣服 子孫住居 子孫薬薬 子孫安寧 子孫平穏 一心観世音菩薩 祈

子孫は,祖霊の飲食,祖霊の衣服,祖霊の住居,病気の祖霊に薬を,祖霊の安寧,祖霊の平穏を一心に観世音菩薩へ祈ります。

祖先は,子孫の飲食,子孫の衣服,子孫の住居,病気の子孫に薬を,子孫の安寧,子孫の平穏を一心に観世音菩薩へ祈ります。

きっと,わたしたち子孫が先祖を想う気持ちも,先祖が子孫を想う気持ちもあまり変わらないのではないかと感じたので,ただ感じるままに作成してみました。わたし達の先祖の中には,食べるモノも着るモノも無く,そして住むところもなかった先祖がたくさん居たはずです。日本史の勉強をしているとき,平安時代と鎌倉時代が一般庶民に取ってどう云った時代であったのかを学んでいるとき大変な時代を生き抜いた先祖に,どうかあの世で楽になってもらいたいと祈るばかりでした。それで,日本の仏教各宗各派が平安時代と鎌倉時代に集中的に誕生したのもよく理解出来ました。あの世に帰ってまで不憫な思いをさせる訳にはまいりません。

その時に降りて来たのが,自ら手を挙げ名乗り出よと云う「勇気の心柱」でした。

昨日から始まった春の祖霊感謝祭「春のお彼岸」ですが,日曜日と云うこともあってたくさんの人が,お墓参りに行かれたことだと思います。日中は天候にも恵まれ,丁度良いくらいの気温で過ごしやすかったと思います。わたしは,無事に春の祖霊感謝祭を迎えることができたことを地域の氏神さまへ報告に参拝に行かせて頂きました。それから御先祖さまにお供えする御供物の買い出しに出掛けたのですが,お寺の近くにあるお墓を見るとほとんどのお墓に供えられてる御花が綺麗な御花に交換されておりました。

春・夏・秋と日本には伝統的な祭祀文化という独特な祭祀形態が存在します。これは,世界的に見てもおそらく日本だけではないかと思います。祭祀継承者であることの証である菊の紋章を戴く国「菊紋章とは世界祭祀の継承者と云う意味」ですからそれもそのはずなのですが,わたし達の先祖は,私たちがお墓参りする先祖だけではありません。これは近年,特にお寺でも話題になっている事柄ですが少子化の影響で墓守がいない又は,いなくなるケースが増えて来ているのです。お寺の経営は難しくなるばかりです。

たとえば,両親の間に生まれた子供が1人で,その1人が女の子であった場合,将来はお嫁さんとして他家に嫁いでしまいます。そうなるとお墓を御守りする人が居なくなってしまう為,今の内にお寺に離檀「檀家を抜ける」の申し出をする家が増えて来ていたり,そもそも子供がいない夫婦もおりますので増々,墓終いするケースが多くなって来るのではないかと想定されて来てもいます。

わたし達がお墓に御参りに行く先祖と云うのは大抵,何代か前の自分から少しだけ遡った先祖だけですが,わたし達の先祖の中には当然,お墓にいない先祖もいるのです。むしろ,そう云った先祖の方が多いと言った方が正確であります。たとえば,この世に肉体を持てなかった水子さんであったり,今は無縁仏として合祀されていたりとどんな家系にも膨大な祖先がいます。子孫に直接,供養してもらえる先祖もいれば,供養どころかお墓もない先祖もたくさんいるのです。つまり,忘れ去られた先祖の存在です。そう云った膨大な先祖の御霊は,何とか自分の存在を知らせようと生きている子孫へ様々な形で自分の存在意思を示そうとするものです。

本来は,そう云った所謂,寺院関係者などの間で呼称されている無縁さまは,お寺の住職さんが子孫に代わり全身全霊で御霊供養をして行くのですが,真に残念なことにそう云った本物の宗教家が少なくなっているのが現状であります。その理由は様々ですが,一番大きな理由は宗教家が宗教屋に成り下がってしまったことではないでしょうか。つまり,大きな観念で言うと政体事に宗教家が関与するようになって来てしまったのです。その政体の最たるものが「寺院運営における制度整備」と「お金の取り扱い」です。

この辺のことは書き出したら切がないので,この辺りで留めて置きます。

今日は,無縁仏も大切な私たちの先祖であると云うことを書きたくなりました。拝


 

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観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


平成30年度 春の祖霊感謝祭

2018年03月18日 08時34分26秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。毎月18日は,観音さまの縁日であります。

そして,今年も本日18日から無事に,春の祖霊感謝祭を迎えることが出来ました。

先ず,地域の氏神さまに祖霊感謝祭の報告をしてお供えものの買い出しに出かけてからになるので,毎年初日は午後からになることがほとんどであります。私ぐらいの年代の若い世代は,自分の自宅に仏壇がある人もとても少なく,お墓詣りにもいかない人が多いのです。したがいまして,ほとんど祖霊祭祀「先祖供養」をしている人もあまりいないようです。祖霊祭祀は,超太古の昔から私たちの先祖が続けて来た,日本独特の祭祀文化の一つです。何万年も前から祖霊祭祀「先祖供養」がされて来たのであります。

亡くなった祖霊の御霊を供養する行為と云うのは損得感情でするものでもなく,自発的に自分からして行くものですから,私がこのブログでああだこうだと言うのも変なことであります。しかしながら,祖霊の御霊を供養すると云うことが,どれ程のことなのか?誤解を招く言い方かも知れませんが,生きている我々子孫にどう云った影響を与えるのか?は拙いブログで恐縮ですが過去記事にもたくさんありますので宜しければ読んで頂きたいと思っています。祖霊祭祀は,わたし達が考えている以上に影響しています。

我々と共に生き。我々ひとり一人の御先祖さま。

過去,日本の歴史をちょっとだけ辿っても解かる様に,現代よりも,ただ生きて行くだけでも厳しい激動の時代がありました。飢餓などの苦しみを伴う苦難の時もありました。戦いの連続の時代もありました。過去さまざまな時代をひたすらに生き抜いた我々の先祖を誇りに想い,祖霊を尊び祖霊に感謝の祈りを素直に捧げる。その幾多の祖先を代表して生きる現代の我々子孫たちです。

我々ひとり一人に微笑み,寂しい時には,我が子を包み込むようにそっと抱きしめ,時には叱咤し,楽しい時にはともに喜び,片時も離れず天国で我々子孫を守護して下さっています。そこにあるのは,ありとあらゆる物質を遙かに超越した慈悲即ち,愛のみで御座います。祖霊祭祀に代理人は必要ありません。大自然と祖霊と直接,自分自身が繋がることこそ真の祭祀継承者であります。

この一週間,いろいろな人が,さまざまな形で祖霊の御霊を供養されて行くと思います。人によっては,自宅に仏壇や供養するような仏具も位牌もない人も結構多いと思います。しかしながら,モノがなければ供養は出来ないと云う心意気でも少し変なことであります。そういった祭祀としてのモノがなくても,自分自身の心の中で先祖に感謝することは,いつでもどこでも出来る供養ではないでしょうか。自宅の近くの神社に参拝して,神さまに感謝を奉げることも祖霊の安寧を祈ることも立派な祖霊祭祀であります。

先祖供養をすれば何か良いことがあるとか何かの願いが叶うとか,先祖供養を霊的現象の道具に使い,自分だけ生き延び様とすることだけは慎みを以て行かなければなりません。それを祈ってしまうと祖霊の御霊は嘆き悲しみを伴い真逆の行為「供養」となってしまいます。その祖霊の負の念(波動)は,子孫に伝わり生きて行く上で,必要のないものへと変化してしまうものであります。

祖霊の為に,何か自分に出来ることを探す行為も考えも立派な祭祀であり,尊い継承者です。拝


 

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それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

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いま目の前にある大自然と繋がること。

2018年03月17日 14時11分55秒 | あさひの科学神書

こんにちは。

夜空に輝く七つの星。北斗七星に祈りを奉げていると伝わって来る音霊(波動)は「和」です。

兎にも角にもただ和すること。これに尽きますが,どうして北斗七星から和の音霊(波動)が伝わって来るのかは,私には解かりません。こう云った抽象的な想いが実はとても大切なことを示していることが多いのであります。後にこう云った意味だったのかと感じることも多くありますし,木を見て森を見ずではないですが,あとになってそうかと気が付くこともたくさんあるのです。

人は,目の前にある大自然や自然と直接つながると争いや憎しみや恨み辛みといった感情から遠ざかって行くように思えます。別に人よりも勝っていなくても,強くなくても関係ないやと素直に思えてくるのです。それが良いとか悪いとかと云った価値観ではなく,大自然や自然と繋がることが如何にして凄いことなのかと云った方に価値観を見出すことになるからだと感じています。

又,そうなると権力に興味もなく,そもそも人の上に自分の身を置こうとしません。

それはきっと,わたしたちの遺伝子DNAの影響ではないかと感じているのです。普段は眠っている遺伝子のある部分がある事柄に対して作用することでつまり,遺伝子が目覚めることがあるのではないかと云うことであります。この辺りのことを研究されている方に筑波大学の村上和雄教授と云う遺伝子工学の第一人者の方がおります。その村上先生の著書でも同じことが書かれています。

わたし達の遠い祖先は,争いや憎しみ,恨みに辛みと云った感情が負の感情であることを知っていたのです。

前にも確か,ブログで村上先生のことを書かせて頂いたと思います。又,春日大社の宮司でいらした葉室頼昭先生も神学と医学の側面から同じことを著書の中で書かれていました。私は書いた後のことはあまり覚えていないので,偶に過去記事を読んでいるとこんなこと本当に,自分が書いたのか?と思うこともたくさんあります。なんだか他の人が書いたものを読んでいる感じです。

そう云った心境になると今の物質的な社会と必要以上に係わり合いを持たなくなって行くようでもあります。わたしの良く知る人にも自分は必要以上に経営している会社を大きくしないとおっしゃる方が居ます。その理由を尋ねると,会社を大きくすればするほど悪事をして行くことになるからだと断言されています。個人個人で考え方も感じ方も違うのは当然ですし,それはそれでとても良いことだと思っていますが,確かに資本主義と云う経済システムの中で会社を大きくしていくと為ると良心に反することも多くしなければなりません。恐らくこれは真実でしょう。事実は違うと反対論を主張できても結局は世界を見渡せば答えが既に出ています。

本物は表には出てこないとか,裏に隠れるとか言うこともありますが,まんざらではないのかも知れません。

明日から一週間,春の祖霊祭祀の期間でもあります。私たちと共に過ごす大切な期間でもありますが,遺伝子の観点から言っても私たちの先祖は,今も私たちと共に生きていると云うことになるのであります。それをこれから遺伝子工学の立場からも証明されて行くのではないでしょうか。そして,遺伝子工学の研究がさらに進んで行くと人類は争うことをしなくなるのかも知れません。大自然や自然と直接,自分自身が繋がる古神道的な生き方とは肌感覚を大切にすることでもあります。つまり,自分自身を信じ,直感「インスピレーション」を大切にすることなのです。すると人と争っている場合ではないと心から思うようになって行きます。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


咲いた花見て喜ぶよりも 根元で咲かせた恩を知れ。

2018年03月16日 07時15分20秒 | あさひの六法全書

こんにちは。上の動画は,たまたまyoutubeで拝見したものです。アメージング・グレイスと云う曲を沖縄の歌姫こと夏川りみさんが沖縄の言葉で唄っております。何故?この動画を投稿させて戴いているかと申しますと唄っている夏川りみさんの表情と振り付けと申しますか動作や仕草に注目して頂きたいのです。神さま「大自然」に対する崇敬の念がもの凄いのです。わたしも聴いていて直ぐに心の柱に音霊「波動」が降りて来ました。これは,もしかすると吉幾三さんの「ありがとうの唄」以来かも知れません。

歌詞は,沖縄の言葉も標準語も古神道の思想です。言霊の力も凄い迫力と優しさと思いやりを感じさせます。きっと,夏川りみさんの心が沖縄の海のように澄みきった心をお持ちなのではないかと思います。言葉は,人の身体の中から出て来ます。確か,以前にもブログで中島みゆきさんと福山雅治さんのことを書かせて頂いたと思います。夏川りみさんも御二方も大自然からの一種の啓示的なもので歌詞を書いたり,歌を唄っているのだと私はそう感じております。大自然と繋がると私たちの心の中に存在する大自然の分霊は目覚め発露して行きます。つまり,古神道的に申し上げると神と人が合一する神人合一であります。実は,こう云った方たちに共通することがあるのです。それは,幅広い年代から支持されると云う特徴を以ているのです。こうなると後のことは「カムナガラ」であります。又,わたしたちが受け継いでいる祖先「人類」の遺伝子DNAも起動します。スイッチが入ってしまうわけです。感と名の付く言葉はいろいろとありますが,その中でも感動とはそう云ったひとつの自然現象の現われではないでしょうか。

さて,いきなりトーンが落ちますが。

無事に平成29年度の確定申告が,昨夜終了し税務署のポストに投函致しました。

例の問題で,税務署の職員さんもいろいろと納税者から言われて大変そうですが,民間企業の社員に比べれば大したことはないので頑張ってください。給料が貰えないなんてことはないのですから。私の知り合いにも数人,公務員の方がいらっしゃいます。税務署の職員の方はいませんが,公務員と民間人との違いは「感覚」だといつも公務員の方と話す時に感じていました。感覚の前に来る言葉は様々です。何も公務員を責めたり嫌みを言いたいのではなく,民間企業との温度差的なものは凄いものがあることは確かです。

それにしても,今回のモリにカケの一連の問題はなんなのでしょうか?あまり良く解らないことが多くて,事実と真実を混同してマスコミの皆さんが報道しているようにも観うけられるし,要人の家族がわけの分からないことで注目をまたしても浴びるているし,政治家の名前を削除していたとか何とかで話の道筋がなかなか見えて来ません。たとえば,これ民間人や民間企業が同じ様なことをしたらどうなるのでしょう。何故?政治家や政治家に近い人がすると無事に済むのか?国会で答弁している政治家や質問についての答弁を考えている官僚の話しが,そもそも嘘で偽りだとすると情報を収集している段階で正しい判断が出来なくなるわけです。

情報の収集・情報の分析・情報の発信。

この3つは,公務員であっても民間人であっても同じであります。経済を起案する場合の3原則「何の為にするのか?」「誰が何をするのか?」「そのことで何がどうなるのか?」目的趣旨に手段を使い効果を生みだす。法律を起案する場合の3原則「大前提」に「小前提」を当てはめて「結論」を導く。所謂,三段論法と云われるやつです。雨が降ったら傘をさす。今日は,雨が降っている。したがって今日は傘をさす。つまり,起きた事件に法律としての規範を当てはめ,結論を導くです。これらの全てに共通することが情報の「収集」と情報の「分析」に情報の「発信」であります。しかしながら,最初の情報の収集において間違ってしまうとそのまま誤った分析と誤った発信をしてしまう訳です。それが今の政治家の答弁や官僚の言い訳ではないのかなと思っています。

これからいろいろと炙り出されて行くことでしょう。

カツカレーをカレーに。かつ丼を親子丼にしながら生活している国民ひとり一人の大切な大事な税金であります。額に汗して目にも汗して,みんなが一生懸命に働いた貴重なお金であります。そのお金で,自分たちの仕事や生活,自分の家族の生活までも賄って行けることに感謝しなければならないと感じて頂きたいと思っています。政治家や公務員は一部の奉仕者ではありません。国民全体の奉仕者であるのです。全体の為に働く職種を奉職と申します。咲いた花見て喜ぶよりも,根元で咲かせた恩を知れなのであります。


 

2つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝