花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

最後の宮大工 西岡常一棟梁 2

2019年04月28日 05時43分27秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。

昨日は,日本が世界に誇る技術者集団「宮大工」の最終者でもある西岡常一棟梁その1を書かせて頂きました。

昨日の記事の冒頭で,NHKで紹介されたと書かせて頂きましたが,テレビだけではなく,どうやら,映画にもなっていたようです。上の画像は,インターネット上から借りて来たものですがドキュメンタリー映画と記載されています。私の家にはテレビがないので,この手の情報はさっぱり分かりません(笑)。テレビがないと言っても経済的に買うことが出来ないとかではなく,テレビの情報は基本的に偽りが多いように思えることとテレビを見ている時間が勿体ない気がしているからです。自分の感が鈍るのであります。ニュースはもっぱらインターネットで十分ですし,見たい番組は動画サイトを活用しておりますので不便ではありません。

今日は,その2を書かせて頂きます。それにしても,宮大工の精神性が継承されないことに私はとても残念に思います。宮大工の宮とは神職と云う意味があるのです。元々,宮大工は神社や寺院に所属していたのです。伊勢神宮の式年遷宮を見ても判るように,20年に一度の建て替えは,民間のようにどこかの建設会社へ一括して請負されることはしないのです。神宮造営部に所属します。

なぜならば,御宮を御造営することは祭事になるからであります。

一つひとつの作業に祈りを込めて丁寧に造り上げて神さまへ奉納するのです。これが,和の国「日本」のモノづくりに対する基礎基本となって現代に継承されて来ています。つまり,どんな物質も特有のエネルギーを発しています。念です。古神道では,この世のありとあらゆるものには神さまの分魂が宿っていると云う分魂思想があるのです。したがいまして,恨み辛み,悲しみ憎しみを抱いてモノづくりをしてはならないのであります。やはりモノづくりは,明るく,楽しく,感謝して。これを基本にしたいものです。

ブラック企業の社長さん。大丈夫でしょうか?(笑)

話しが逸れてしまいましたので戻します。

代々,法隆寺の棟梁だけに伝え続けられて来た口伝が,棟梁西岡家には存在します。

この口伝は,棟梁だけに伝えることを許されていたと言います。

生前,西岡棟梁が書かれた本「木のいのち 木のこころ」の中から一部を抜粋させて頂きます。

1.神仏をあがめずして社頭伽藍(しゃとうがらん)を口にすべからず。

2.伽藍の造営には四神相応(ししんそうおう)の地を選べ。

3.堂塔建立の用材は木を買わず山を買え。

4.木は生育の方位のまま使え。

5.堂塔の木組みは寸法で組まず木の癖で組め。

6.木の癖組みは工人たちの心組み。

7.工人たちの心組みは匠長(しょうちょう)が工人らへの思いやり。

8.仏の慈悲心なり,母がわが子を思う心なり。

9.百工あれば百念あり,これをひとつに統ぶる。これ匠長の器量なり。百論ひとつに止まる,これ正なり。

10.百論をひとつに止めるの器量なき者は謹み畏れて匠長の座を去れ。

11.諸々の技法は一日にして成らず。祖神たちの神徳の恵みなり。祖神忘れべからず。

以上です。

西岡棟梁が生前書かれた本の中から,一部を抜粋して書かせて頂きました。ただこれだけを読んでも一つひとつの意味が解りませんので,明日の記事で一つひとつに西岡棟梁が丁寧に説明したものを掲載させて頂きたいと思います。明日に続きます。拝

  

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。 

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


最後の宮大工 西岡常一棟梁 1

2019年04月27日 05時37分32秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。

私の好きな方の中に,法隆寺を修復する棟梁の家系に生まれ,自らも棟梁となった西岡常一棟梁が居られます。NHKなどの番組で特集されたり紹介されていたようなので御存知の方も結構多いように思います。日本が誇る宮大工の最終者でもあり,薬師寺の復興にも総棟梁として若衆や技術者へ口伝されていた御方です。西岡棟梁が最も拘り続けたものが木です。木材の癖読みは今でも語り続けられるほどの眼力を備えていたようです。木と会話をしながら,木と呼吸しながら寺院を建築されていたのですから驚きです。

もし,生涯学習として人物研究をしたいとすれば,私は鎮守の森を守り続けた「南方熊楠」さんと最後の宮大工「西岡常一」さん,そして報徳思想の「二宮尊徳」さんです。私がなぜ西岡常一棟梁を知ったかと申しますと東日本大震災で被災した寺院の復興を約5年間ほど任されて居た際に,お寺の本堂建築を請け負った宮大工A棟梁からお話を伺ったからであります。そのA棟梁は,とても気性が激しく自分の腕(技術)には絶対の自信を以ていました。本当なのかな?と当初,私も思っていましたがA棟梁の地元では有名で,実際に過去建築した寺院をA棟梁と見学に何度も行きましたが,住職さんや檀家総代さんからも絶大な信頼を得ていました。

又,A棟梁は図面を見ないのです。全部,自分の頭の中に入っているのです。

図面を作製する一級建築士もA棟梁には敵わず,逆にA棟梁から教えてもらうことがほとんどでした。

頑固で気が荒く,自分の腕には絶対的な自信を以ている昔ながらの職人気質であります。私も復興事務局の責任者でしたので,このA棟梁とは何度も衝突しておりました。A棟梁もお前みたいな若い奴に何が解かる?と言わんばかりです。そんなA棟梁ですが,何故か憎めないことろがあり,こちらが謙虚になって技術のことを聞くと何でも教えてくれました。夜中に為ろうが何時間でも私の質問に正面から答えてくれていました。おかげで最後には,私も多少の知識を得ることが出来るように成長したのです。毎日の様に夜中まで激しくぶつかり,納得が行くまで協議し合った日々が今となってはとても懐かしく思えます。A棟梁は自分の技術を売りに来ていたかも知れませんが,私は700年続くお寺を護持する為に居るのですから易々と引き下がる訳には行きませんでした。

きっと,西岡棟梁も同じような性格であったのかも知れません。生前,西岡棟梁が書かれた本の中で,私が特に強く印象を受けたのが「穢れ」についてでした。西岡棟梁の穢れに対しての概念と申しますか観念と申しますか考え方は私も全く同じであったのです。西岡棟梁曰く「宮大工は一般の住宅を建築したらあかん」「一般の住宅を建築すると穢れが付いてしまうから建築したらあかん」と言っております。一見すると何を言っているのか意味が解りません。しかし,その理由はちゃんとあるのであります。

その理由を今日と明日に渡って書かせて頂きます。

先ず,穢れるとは「気が枯れる」ことを指します。汚いとか汚れとは違います。

つまり,商売の頭で計算していては,神社や寺院の建築は出来ないと云う意味であります。商売は損得勘定に基づいて商いがされて行きます。何処まで行っても損得勘定で計算しないと大損してしまいますし,そもそも経営が成り立ちません。経営が成り立たなくなるとそこで働く人々は失業してしまいます。食べて行けなくなりますから,現代においても企業は営利を目的にする営利法人と云う大前提であり当然であります。しかしながら,神社や寺院は,始めから営利を目的としていません。確かに,定款に定めれば営利行為は可能ですが,これはあくまでも理論上のことであります。その為に,神社や寺院は法律上も一般企業と比べて法人格も別ですし,税制も非営利事業に対しては不可税となっています。又,寄附金などを募集し,寄附を受けることも可能となるのです。

そう言ったことからも神社や寺院の建築は,損得勘定を以てすることは御法度で,数千年の昔から親方から弟子へ繰り返し口伝され続けて来ました。決して,損得だけで考えたならば少なくても数千年も継承して行くことは出来なかったであろうと思います。建築に使用する木材も損得勘定で考えたら安く仕入れて高く売るようになってしまいます。そうなれば,木材の寿命も低減し,地震などに耐える耐震性や免震性も期待できず,湿気の多い山間部に建立する場合を考えても木材は直ぐに腐敗して保湿性も度外視するようになります。安い木材を仕入れて神社や寺院に高く売ることは出来ないのであります。そこが一般企業とは決定的に違うのです。

それでは,損得勘定や銭勘定抜きで昔ながらの宮大工が存続できるのか?

そうなのです。結論から申し上げますと宮大工は,現在の日本には存在しません。

西岡棟梁が最後の宮大工と云われる所以がここにあります。

神社や寺院は一度,建立すると数百年は偶にある補修や修繕のみとなりますので,宮大工が食べて行けないじゃないかと思われると思います。私も同じ様に感じました。それでは,一般住宅を建築しない本物の宮大工が存続できるのか?です。そのことも西岡棟梁は本の中で書いていますが,昔から本当の宮大工は一般住宅を建築することが出来ないので「農家を兼業していたんです」「お寺の仕事が暇になると農業をしてます」「そしてお寺の仕事を頼まれると宮大工をします」このように宮大工と農業を兼業することによって一般住宅を建築しなくても食べて行けたのであります。現代にこの考え方を当て嵌めるには農業が衰退していますから無理がありますし,現在は,建設業法などの法律もありますから資金が潤沢でないと無理です。そもそも今の建築士さんでは社寺建築を理解できません。したがいまして,現在の宮大工さんは精神性は抜きにして,技術だけを継承していると考えると良いと思います。

この様にして文化や伝統は消えて行くのでしょうか?

明治時代に一部の官僚によって立案された神社合祀政策。そしてそれに真っ向から猛烈に反対し続けた南方熊楠さん。建築業法などの理屈で世界に誇れる技術者集団である宮大工を日本から消滅させ,それを推進する大学教授対しては鬼の如く徹底的に議論し続けた最後の宮大工西岡常一棟梁。わたしは,ここから何か学べるような気がしています。二人に共通するものは何なのか?やはりそれは和の心であったのだと思います。時の官僚政策が本当に正しかったのか否か歴史が判断する以前の問題であると考えます。

そのあたりのことを明日,書かせて頂きたいと思います。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。 

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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最後の宮大工 西岡常一棟梁 3 再掲載

2018年08月10日 22時36分06秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。

最後の宮大工の西岡常一棟梁。

その西岡家に代々伝わる口伝を昨日も紹介させて頂きましたが,西岡家を含む歴代の法隆寺の棟梁のみに伝えることが許されて来た秘伝には,どんな意味が説かれて来たのかを生前,西岡棟梁が書かれた著書から引用して掲載させて頂きたいと思います。

きっと,数千年と云う気の遠くなるような永い年月を経て繰り返しその時代時代の棟梁に代々伝え続けられて来た口伝・秘伝ですから現代の私たちでも学べることがたくさんあると考えます。たとえば,大工の親方と若衆,茶道や華道の師匠と弟子,会社の社長と社員,親と子など先人たちの知恵から何を学ぶかは私たち次第であります。歴代の法隆寺棟梁にだけ許される口伝です。

引用著書:木のいのち 木のこころ 著者:西岡常一棟梁

1.神仏をあがめずして社頭伽藍(しゃとうがらん)を口にすべからず。

 口伝曰く,

これは神の道を知らんものは神社建築を口にするな,また仏の道を知らぬものは堂塔伽藍を口にするなということですな。これは何も神道や仏教の専門家にならねば手を染めてはならんということではないんですな。自分が造ろうとしているもの,かかわっている仕事がどんなものか知らなならんという宮大工の心構えですな。金のためだけに仕事をしてはならんということでしょう。

法隆寺は聖徳太子が仏法者を育てるための場所として造られたんです。その仏法によって国を治めようとしたんですな。その聖徳太子の教えがどのようなものかぐらいは知らんと,法隆寺の修理にも解体にもかかわれませんな。私がこの仕事にかかわるとき,法隆寺の管長の佐伯さんがいいましたもんな,法華経ぐらいは目を通しておけって。

この口伝に似たもので,こんなものもありますのや。

家宅は住む人の心を離れて家宅なし。

家宅を造るならそこに住む人の心組みを受けて,その意を汲んで造作しなさいということですな。まあ,大工のわがままや,自分の儲けで造るなということです。寺は仏さんの住むところやから仏さんの心組みを忘れるなということでしょうな。

以上

第1の口伝は,神仏への崇敬心を大前提とした宮大工の心構えを口伝されています。少し前にも大手建設業「ゼネコン」で,儲けを追求するあまりにセメントを実際の図面より少なくしたり,杭を減らしたりといったことが大問題となりました。このような事が建設業界では日常的なことと言えるかどうかは分かりませんが,実際の図面に沿わない形で建築して行けば耐震性も耐久性も期待できません。つまり,人の生命にかかわる重大な事柄です。そう言った反道徳的な考え方や心構えでは仏さまの住むところは造れませんし,造らせる訳にもまいりません。又,西岡棟梁の説明文において法隆寺の管長さんに法華経ぐらいは目を通して置くように言われたと書かれていますが,わたしは,法隆寺の管長さんが仰りたかったことは法華経を文字図らだけで理解するのではなく,法華経の精神を心の目で読み解くようにと言いたかったのではないかと想像しています。これが音霊なのであります。

漢字で書かれている法華経をただ読んでいるだけ,又,唱えているだけではなく,法華経に書かれている言葉の奥を観るのであります。その時に,自分自身が直感的に感じたことが音霊なのです。この音霊については,過去にも何度か書かせて頂いていますので検索ツールを使って宜しければ読んでみて下さい。音霊を観ることこそ古神道の真髄ですし,音霊をこそ内なる声でもあります。

古神道で云う審神者です。音霊と言っても実際に耳に聴こえてくる音ではありません。目には見えない音ですから波動と言った方が解かりやすいと思います。この波動を読み取ることを審神者と申します。海や山や川などの自然からも目には見えない波動を発しています。その自然が私たちに発している波動を自分自身の心に建つ心柱(みはしら)に降ろして観るのであります。そうすると言霊が生まれて,私たちは言葉をしゃべることが出来るのです。つまり,自分自身の心次第で言霊も言葉も変わると云うことなのです。

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


最後の宮大工 西岡常一棟梁 2 再掲載

2018年08月09日 19時40分48秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。

昨日は,日本が世界に誇る技術者集団「宮大工」の最終者でもある西岡常一棟梁その1を書かせて頂きました。

昨日の記事の冒頭で,NHKで紹介されたと書かせて頂きましたが,テレビだけではなく,どうやら,映画にもなっていたようです。上の画像は,インターネット上から借りて来たものですがドキュメンタリー映画と記載されています。私の家にはテレビがないので,この手の情報はさっぱり分かりません(笑)。テレビがないと言っても経済的に買うことが出来ないとかではなく,テレビの情報は基本的に偽りが多いように思えることとテレビを見ている時間が勿体ない気がしているからです。自分の感が鈍るのであります。ニュースはもっぱらインターネットで十分ですし,見たい番組は動画サイトを活用しておりますので不便ではありません。

今日は,その2を書かせて頂きます。それにしても,宮大工の精神性が継承されないことに私はとても残念に思います。宮大工の宮とは神職と云う意味があるのです。元々,宮大工は神社や寺院に所属していたのです。伊勢神宮の式年遷宮を見ても判るように,20年に一度の建て替えは,民間のようにどこかの建設会社へ一括して請負されることはしないのです。神宮造営部に所属します。

なぜならば,御宮を御造営することは祭事になるからであります。

一つひとつの作業に祈りを込めて丁寧に造り上げて神さまへ奉納するのです。これが,和の国「日本」のモノづくりに対する基礎基本となって現代に継承されて来ています。つまり,どんな物質も特有のエネルギーを発しています。念です。古神道では,この世のありとあらゆるものには神さまの分魂が宿っていると云う分魂思想があるのです。したがいまして,恨み辛み,悲しみ憎しみを抱いてモノづくりをしてはならないのであります。やはりモノづくりは,明るく,楽しく,感謝して。これを基本にしたいものです。

ブラック企業の社長さん。大丈夫でしょうか?(笑)

話しが逸れてしまいましたので戻します。

代々,法隆寺の棟梁だけに伝え続けられて来た口伝が,棟梁西岡家には存在します。

この口伝は,棟梁だけに伝えることを許されていたと言います。

生前,西岡棟梁が書かれた本「木のいのち 木のこころ」の中から一部を抜粋させて頂きます。

1.神仏をあがめずして社頭伽藍(しゃとうがらん)を口にすべからず。

2.伽藍の造営には四神相応(ししんそうおう)の地を選べ。

3.堂塔建立の用材は木を買わず山を買え。

4.木は生育の方位のまま使え。

5.堂塔の木組みは寸法で組まず木の癖で組め。

6.木の癖組みは工人たちの心組み。

7.工人たちの心組みは匠長(しょうちょう)が工人らへの思いやり。

8.仏の慈悲心なり,母がわが子を思う心なり。

9.百工あれば百念あり,これをひとつに統ぶる。これ匠長の器量なり。百論ひとつに止まる,これ正なり。

10.百論をひとつに止めるの器量なき者は謹み畏れて匠長の座を去れ。

11.諸々の技法は一日にして成らず。祖神たちの神徳の恵みなり。祖神忘れべからず。

以上です。

西岡棟梁が生前書かれた本の中から,一部を抜粋して書かせて頂きました。ただこれだけを読んでも一つひとつの意味が解りませんので,明日の記事で一つひとつに西岡棟梁が丁寧に説明したものを掲載させて頂きたいと思います。明日に続きます。拝

  

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これからも,世界への発信ボタン3つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


最後の宮大工 西岡常一棟梁1 再掲載

2018年08月08日 21時41分21秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。

私の好きな方の中に,法隆寺を修復する棟梁の家系に生まれ,自らも棟梁となった西岡常一棟梁が居られます。NHKなどの番組で特集されたり紹介されていたようなので御存知の方も結構多いように思います。日本が誇る宮大工の最終者でもあり,薬師寺の復興にも総棟梁として若衆や技術者へ口伝されていた御方です。西岡棟梁が最も拘り続けたものが木です。木材の癖読みは今でも語り続けられるほどの眼力を備えていたようです。木と会話をしながら,木と呼吸しながら寺院を建築されていたのですから驚きです。

もし,生涯学習として人物研究をしたいとすれば,私は鎮守の森を守り続けた「南方熊楠」さんと最後の宮大工「西岡常一」さん,そして報徳思想の「二宮尊徳」さんです。私がなぜ西岡常一棟梁を知ったかと申しますと東日本大震災で被災した寺院の復興を約5年間ほど任されて居た際に,お寺の本堂建築を請け負った宮大工A棟梁からお話を伺ったからであります。そのA棟梁は,とても気性が激しく自分の腕(技術)には絶対の自信を以ていました。本当なのかな?と当初,私も思っていましたがA棟梁の地元では有名で,実際に過去建築した寺院をA棟梁と見学に何度も行きましたが,住職さんや檀家総代さんからも絶大な信頼を得ていました。

又,A棟梁は図面を見ないのです。全部,自分の頭の中に入っているのです。

図面を作製する一級建築士もA棟梁には敵わず,逆にA棟梁から教えてもらうことがほとんどでした。

頑固で気が荒く,自分の腕には絶対的な自信を以ている昔ながらの職人気質であります。私も復興事務局の責任者でしたので,このA棟梁とは何度も衝突しておりました。A棟梁もお前みたいな若い奴に何が解かる?と言わんばかりです。そんなA棟梁ですが,何故か憎めないことろがあり,こちらが謙虚になって技術のことを聞くと何でも教えてくれました。夜中に為ろうが何時間でも私の質問に正面から答えてくれていました。おかげで最後には,私も多少の知識を得ることが出来るように成長したのです。毎日の様に夜中まで激しくぶつかり,納得が行くまで協議し合った日々が今となってはとても懐かしく思えます。A棟梁は自分の技術を売りに来ていたかも知れませんが,私は700年続くお寺を護持する為に居るのですから易々と引き下がる訳には行きませんでした。

きっと,西岡棟梁も同じような性格であったのかも知れません。生前,西岡棟梁が書かれた本の中で,私が特に強く印象を受けたのが「穢れ」についてでした。西岡棟梁の穢れに対しての概念と申しますか観念と申しますか考え方は私も全く同じであったのです。西岡棟梁曰く「宮大工は一般の住宅を建築したらあかん」「一般の住宅を建築すると穢れが付いてしまうから建築したらあかん」と言っております。一見すると何を言っているのか意味が解りません。しかし,その理由はちゃんとあるのであります。

その理由を今日と明日に渡って書かせて頂きます。

先ず,穢れるとは「気が枯れる」ことを指します。汚いとか汚れとは違います。

つまり,商売の頭で計算していては,神社や寺院の建築は出来ないと云う意味であります。商売は損得勘定に基づいて商いがされて行きます。何処まで行っても損得勘定で計算しないと大損してしまいますし,そもそも経営が成り立ちません。経営が成り立たなくなるとそこで働く人々は失業してしまいます。食べて行けなくなりますから,現代においても企業は営利を目的にする営利法人と云う大前提であり当然であります。しかしながら,神社や寺院は,始めから営利を目的としていません。確かに,定款に定めれば営利行為は可能ですが,これはあくまでも理論上のことであります。その為に,神社や寺院は法律上も一般企業と比べて法人格も別ですし,税制も非営利事業に対しては不可税となっています。又,寄附金などを募集し,寄附を受けることも可能となるのです。

そう言ったことからも神社や寺院の建築は,損得勘定を以てすることは御法度で,数千年の昔から親方から弟子へ繰り返し口伝され続けて来ました。決して,損得だけで考えたならば少なくても数千年も継承して行くことは出来なかったであろうと思います。建築に使用する木材も損得勘定で考えたら安く仕入れて高く売るようになってしまいます。そうなれば,木材の寿命も低減し,地震などに耐える耐震性や免震性も期待できず,湿気の多い山間部に建立する場合を考えても木材は直ぐに腐敗して保湿性も度外視するようになります。安い木材を仕入れて神社や寺院に高く売ることは出来ないのであります。そこが一般企業とは決定的に違うのです。

それでは,損得勘定や銭勘定抜きで昔ながらの宮大工が存続できるのか?

そうなのです。結論から申し上げますと宮大工は,現在の日本には存在しません。

西岡棟梁が最後の宮大工と云われる所以がここにあります。

神社や寺院は一度,建立すると数百年は偶にある補修や修繕のみとなりますので,宮大工が食べて行けないじゃないかと思われると思います。私も同じ様に感じました。それでは,一般住宅を建築しない本物の宮大工が存続できるのか?です。そのことも西岡棟梁は本の中で書いていますが,昔から本当の宮大工は一般住宅を建築することが出来ないので「農家を兼業していたんです」「お寺の仕事が暇になると農業をしてます」「そしてお寺の仕事を頼まれると宮大工をします」このように宮大工と農業を兼業することによって一般住宅を建築しなくても食べて行けたのであります。現代にこの考え方を当て嵌めるには農業が衰退していますから無理がありますし,現在は,建設業法などの法律もありますから資金が潤沢でないと無理です。そもそも今の建築士さんでは社寺建築を理解できません。したがいまして,現在の宮大工さんは精神性は抜きにして,技術だけを継承していると考えると良いと思います。

この様にして文化や伝統は消えて行くのでしょうか?

明治時代に一部の官僚によって立案された神社合祀政策。そしてそれに真っ向から猛烈に反対し続けた南方熊楠さん。建築業法などの理屈で世界に誇れる技術者集団である宮大工を日本から消滅させ,それを推進する大学教授対しては鬼の如く徹底的に議論し続けた最後の宮大工西岡常一棟梁。わたしは,ここから何か学べるような気がしています。二人に共通するものは何なのか?やはりそれは和の心であったのだと思います。時の官僚政策が本当に正しかったのか否か歴史が判断する以前の問題であると考えます。

そのあたりのことを明日,書かせて頂きたいと思います。拝

  

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

これからも,世界への発信ボタン3つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


吉野と云えば金峯山寺 金剛蔵王大権現 再掲載

2018年07月17日 05時00分18秒 | 奉仕の心柱

 

以下の記事は,今年4月19日に掲載した過去記事です。

こんにちは。

南朝の本拠地である吉野。そして,ちょっと季節が外れてしまいましたが,吉野と言えばやはり,千本桜で有名な吉野さくらを連想されると思いますが,吉野の桜は信仰の力によって産み出されて行ったでのあります。その吉野山には修験道の総本山が御座います。その名は金峯山寺と云う神道と仏教を今も伝える神仏習合の寺院で御座います。上の動画は,吉野山旅館組合さんの動画サイトからお借りした動画ですが,おそらく早朝の御勤め中だと思いますが,声明真言と云うわたしも大好きな独特な節回しが聴けます。

この金峯山寺と云えば,金剛蔵王大権現さまでも有名な寺院で,現在,国宝仁王門の大修復工事祈念として特別御開帳が時に一定期間,開催されていたりしております。今年の春の特別御開帳は平成30年3月31日(土)5月6日(日)までと云うことです。私もこれまで何度か金峯山寺さんへ参拝させて頂いたり,少ないですが毎月仕送りをさせて戴いて参りました。国宝仁王門の修理に掛かる費用「総工費」は20億円と云うことですから,何年も前からその準備で大変であったのではないかと感じております。

金峯山寺さんのホームページで公開されている仁王門修理に関する趣意書を拝見しますと工事に着手するのは,今年2018年の秋頃となっており,その後10年間の工事期間を経て2028年の完成を予定されております。したがいまして,護持と云う観点から云えば,国宝仁王門の修復の起案から工事完成までの期間は15年から20年間ではないでしょうか。段取(準備)に5年から10年,そして工事に10年と云う一般的な復興よりも長い中長期計画です。もしかすると,国宝級ですからもう少し起案に時間が掛っていたかも知れません。国宝や重要文化財級になると神社や寺院の考えだけでは修理も修復も好き勝手には出来ないのです。

たとえば,通常の(自然災害などの被災した場合を除く)祭祀施設の護持(建築工事開始まで)を起案する場合,ざっくりと①起案を開始(計画の立案)②総代会にて議案提出。③実行委員会や建設委員会の創設。④趣意書の作成。⑤寄付金募集の開始。⑥建設業者の選定。⑦工事着手です。とても大まかに書きましたが,ざっくり言うとこんな感じです。わたしも護持司ですから,その係わる大変さは身に染みてよく解かっております。計画を立案しても計画通りに上手く物事が運ぶなんてことはほとんどありません。祭祀施設の護持には多額の資金も必要になりますし,資金の集め方にもさまざまな方法が御座います。地道にコツコツと起案して来たものなのか?突発的に計画したものなのか?それともただのお金集めなのか?計画の趣意書(主文)を観ればよく解かるのです。

ちなみに,一番長い長期計画で言いますと200年と云う超長期計画も御座います。それは伊勢神宮の神宮再生200年プロジェクトと云う計画であります。この計画は,伊勢神宮の式年遷宮で使用される木材を神宮の森からいただくと云う趣旨であります。

天河神社の記事でも書かせて戴いた通り,神社や寺院の護持の中でもっとも資金が必要となるのが祭祀施設の建築物であります。資金調達と言っても何年も前から積み立てなどをしながら計画して実行して行きますが,今の時代は本当に厳しい経済環境ですからなかなか計画通りに資金が調達できると云うことはありません。ほとんど目標金額に達することが出来ないのが現状なのであります。

又,古神道(自然崇拝と祖霊祭祀)の観点から言っても,先日から書かせて戴いて参りました天河神社も丹生川上神社下社も御水から教えられることが多いのですが,ここ金峯山寺では,修験道の総本山でもありますから,何と言っても山であります。その吉野の山から金峯山寺は,山岳信仰を通じて,わたしたち人は自然と共に生きることの大切さを伝え続けている神仏習合の寺院です。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


吉野と云えば金峯山寺 金剛蔵王大権現

2018年04月19日 08時44分33秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。

南朝の本拠地である吉野。そして,ちょっと季節が外れてしまいましたが,吉野と言えばやはり,千本桜で有名な吉野さくらを連想されると思いますが,吉野の桜は信仰の力によって産み出されて行ったでのあります。その吉野山には修験道の総本山が御座います。その名は金峯山寺と云う神道と仏教を今も伝える神仏習合の寺院で御座います。上の動画は,吉野山旅館組合さんの動画サイトからお借りした動画ですが,おそらく早朝の御勤め中だと思いますが,声明真言と云うわたしも大好きな独特な節回しが聴けます。

この金峯山寺と云えば,金剛蔵王大権現さまでも有名な寺院で,現在,国宝仁王門の大修復工事祈念として特別御開帳が時に一定期間,開催されていたりしております。今年の春の特別御開帳は平成30年3月31日(土)5月6日(日)までと云うことです。私もこれまで何度か金峯山寺さんへ参拝させて頂いたり,少ないですが毎月仕送りをさせて戴いて参りました。国宝仁王門の修理に掛かる費用「総工費」は20億円と云うことですから,何年も前からその準備で大変であったのではないかと感じております。

金峯山寺さんのホームページで公開されている仁王門修理に関する趣意書を拝見しますと工事に着手するのは,今年2018年の秋頃となっており,その後10年間の工事期間を経て2028年の完成を予定されております。したがいまして,護持と云う観点から云えば,国宝仁王門の修復の起案から工事完成までの期間は15年から20年間ではないでしょうか。段取(準備)に5年から10年,そして工事に10年と云う一般的な復興よりも長い中長期計画です。もしかすると,国宝級ですからもう少し起案に時間が掛っていたかも知れません。国宝や重要文化財級になると神社や寺院の考えだけでは修理も修復も好き勝手には出来ないのです。

たとえば,通常の(自然災害などの被災した場合を除く)祭祀施設の護持(建築工事開始まで)を起案する場合,ざっくりと①起案を開始(計画の立案)②総代会にて議案提出。③実行委員会や建設委員会の創設。④趣意書の作成。⑤寄付金募集の開始。⑥建設業者の選定。⑦工事着手です。とても大まかに書きましたが,ざっくり言うとこんな感じです。わたしも護持司ですから,その係わる大変さは身に染みてよく解かっております。計画を立案しても計画通りに上手く物事が運ぶなんてことはほとんどありません。祭祀施設の護持には多額の資金も必要になりますし,資金の集め方にもさまざまな方法が御座います。地道にコツコツと起案して来たものなのか?突発的に計画したものなのか?それともただのお金集めなのか?計画の趣意書(主文)を観ればよく解かるのです。

ちなみに,一番長い長期計画で言いますと200年と云う超長期計画も御座います。それは伊勢神宮の神宮再生200年プロジェクトと云う計画であります。この計画は,伊勢神宮の式年遷宮で使用される木材を神宮の森からいただくと云う趣旨であります。

天河神社の記事でも書かせて戴いた通り,神社や寺院の護持の中でもっとも資金が必要となるのが祭祀施設の建築物であります。資金調達と言っても何年も前から積み立てなどをしながら計画して実行して行きますが,今の時代は本当に厳しい経済環境ですからなかなか計画通りに資金が調達できると云うことはありません。ほとんど目標金額に達することが出来ないのが現状なのであります。

又,古神道(自然崇拝と祖霊祭祀)の観点から言っても,先日から書かせて戴いて参りました天河神社も丹生川上神社下社も御水から教えられることが多いのですが,ここ金峯山寺では,修験道の総本山でもありますから,何と言っても山であります。その吉野の山から金峯山寺は,山岳信仰を通じて,わたしたち人は自然と共に生きることの大切さを伝え続けている神仏習合の寺院です。拝

 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

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わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


最後の宮大工 西岡常一棟梁 5

2018年03月03日 08時34分00秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。

今日の西岡棟梁が著書で語られている3番目の口伝は,私にとっても興味深い内容です。なぜならば,寺院の本堂を復興する際に本堂に使用する御用材をどこの木材にするかを何度も住職さんや檀家総代,そして大工の棟梁と議論を重ねた経緯があったからであります。その中で,たくさんの山林関係者の方々とも知り合い,とても良い経験をさせていただき,高度な技術が要求される社寺建築について学ぶことが出来たことに感謝しております。そんな本堂復興当初の思い出を想い起しながら書かせて頂いております。

ただ,そこで悩んだことがありました。それは,寺院建立の為に山の木をむやみやたらに伐採する事でありました。つまり,古神道的に云うと立木を伐採することは出来ないのであります。木を伐採することは命をいただくことになるのです。その為に,さまざまなお祀りの仕方やお祭り事をして行きますが,倒木など自然からの恵みとは違い,人間の都合だけで立木を伐採することはしてはいけない事です。そう言った事も含めて協議を重ねて議論し,立木の伐採はせずに,間引きなどで既に伐採された木を調達することになりました。既に伐採された木と云っても木は生きていますので木に宿る御霊「精霊」に対し供養をして行きました。

山の神さま,木の精霊にコトワリを何ヶ月も前から述べ,木の御霊を供養する。製材する前の取り扱いも十分注意しながら,柱や梁などに変わったあとも大切に大事にお祀りをさせていただく。これは最低限しなければならないお祀りであります。

それでは,法隆寺歴代棟梁だけに伝わる口伝であります。

引用著書は前回同様:木のいのち 木のこころ 著者:西岡常一棟梁

3.堂塔建立の用材は木を買わず山を買え。

木の質は土の質によって決まりますし,木の癖は木の心と言っても良いかも知れませんが,それは山の環境によって生まれますな。たとえば山の南斜面に生えた木を例に取ってみましょう。この木の日の当たらない北向きの側には枝が少ないんですな。あったとしても細かくて小さいもんです。逆に良く日の当たる南側には大きく太い枝が出ます。この地形が年間平均すると西からの風が強い場所だったとすると,この木の南の枝は風に押されますな。それで東に捻じれます。しかし,この木が風によって無理に東に捻じられているために何とかしてもとに戻ろうとする性質が生まれて来るんです。この元に戻ろうとする性質をこの木の癖と言いますのや。

すべての木には生える場所によってこうした癖ができますな。

口伝に云う「木を買わず山を買え」と云うのは,この木が伐採されて,製材されてから買うのではなく,自分で山に行って地質を見,環境による木の癖を見抜いて買いなさいと云うことです。なぜかと言いましたら,製材されてしまってからでは木の癖は見わけづらいんですな。この西に戻ろうとする木の癖は,切り倒され,乾燥しますと木の本音を出すんです。この口伝は木の癖の見抜き方を教えているわけですな。それとこの口伝のもう1つの意味は,一つの山で生えた木を持ってひとつの塔を造れということです。

あちこちの山の性質の異なる木をバラバラに買わず,自分で山へ行き,木を見てその山の木をうまく使って一つの塔や堂を建てなさいというているんですな。近ごろは実際に山へ行って木を見るということが難しくなって来ています。それでも私は薬師寺の木を買いに台湾の山へ行きましたで。二千年を越す檜を見て心からよかったと思いましたな。山を見て,木を見ておいたので悔いのない仕事ができたと思っています。この口伝は,次の四番目,五番目の口伝と密接な関係があります。

以上

この第3番目の口伝は,現代の企業経営者や社内の上司や責任者の立場にある方にも人を活用する上で,とても参考になる言葉ではないでしょうか。人も木と同様さまざまな癖を持っています。良い癖もあるでしょうし,悪い癖も同然だれでもあると思います。それが人と云うものですから,その人の癖を上手く活用することは企業にとっても個人にとっても良いことだと思います。日本の過去の偉人も人の活用方法を後世の私たちに言葉として残してくれております。織田信長公に徳川家康公。武田信玄公も同じように人が財産だと言われています。他にも宮本武蔵さんに山本五十六さんなど沢山の先人から私たちに向けた言葉があります。

企業社会では限られた人材と時間,そして資金で結果を出して行くことが常に求められています。日々,その要求に何とか応えられる様に努力をしています。特に,中小企業では人材にも資金にも限界がありますので,中小企業の社長さんとっては上手い人の活用術があるのならば是が非でも欲しいと感じているのではないでしょうか。又,切磋琢磨しながら学んでいるとも思います。

これから様々な社会がタテ型からヨコ型に移行していきます。

金融の世界では始まったようであります。法律がどこまで追いつけるのか?

人の活用も,これまでの様な人をモノと同然に扱う時代は,既に終わっております。そのことにいち早く気が付いた企業経営者も社内の上司も決して命令系に会話をしたりしなくなって来ています。たとえば,あなたとわたしは立場の違いであるだけで,どちらが偉いとか上だとか下だとか言った事ではないと考えている責任者が多くなって来ています。つまり,これまでの命令系では部下も協力会社も動いてくれない訳です。労働集約型の産業社会では当たり前になって来ています。昨日お会いした経営者の方も同じようなことを話されていました。企業が人を選ぶ時代は終わり,人が企業を選び選別する時代のようです。新時代の到来です。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


最後の宮大工 西岡常一棟梁 4

2018年03月01日 08時31分55秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。

今日から3月で御座います。昨日は,アルバイトが忙しくブログの更新も出来ないでいました。日中の気温も暖かくて過ごしやすかったのではないでしょうか。郵便局でアルバイトをしていると本当に人材不足を毎回感じています。とにかく若い年代の人たちが入って来ません。荷物などの仕分け作業などでは多少,若い人の顔を観ることが出来るのですが,配達員となるとなかなか募集しても人材確保が出来ていません。いまは農業や運輸業,建設業などの労働集約型産業で人材が不足しています。この5年・10年後どう変わるかとても興味があります。日本の伝統と文化を継承してきた業種や職種もさま変わりして行くのだとも思います。

それでは,昨日の続き,法隆寺の歴代棟梁に口伝されて来た秘伝を書かせて頂きます。

引用著書は一昨日と同様:木のいのち 木のこころ 著者:西岡常一棟梁

2.伽藍の造営には四神相応の地を選べ。

四神というのは中国から伝わった四つの方位の神さまですな。伽藍を造営するなら方位に適した場所を選びなさいというているんです。四つの神というのは,青竜・朱雀・白虎・玄武です。青竜は,勾芒(こうぼう)ともいいまして,春,草木の芽がたつ時期もいいますが,方位でいうと東の神さまです。朱雀は季節は夏,方位は南。祝融(しゅくゆう)ともいいまして,火の神さまですな。

白虎は季節は秋で,方位は西です。玄武は季節は冬,方位は北です。これを地形ではどないなものかといいますと,東の青竜には清流がなければならん。南の朱雀は伽藍より一段低く沼や沢でなければならない。西の白虎には白道が走っていなければならない。

北の玄武には山岳が伽藍の背景になっていなければならない。

伽藍を建てるならこんな土地を選び,南に面し北を背にするように造営しなさいというんですな。

この口伝を法隆寺に当てはめてみましょうか。法隆寺のあるところを斑鳩といいますが,ここの東方には富雄川(とみおがわ)があり,青竜に匹敵しています。南の朱雀は伽藍より一段低く大和川に向かって傾斜し,朱雀に匹敵しています。西にはそんな大きな道はありませんが,西大門の西側に大和川に達する道がありますし,北の玄武に当たるものは矢田山脈(やたさんみゃく)が伽藍の背後に迫っています。こんなふうに法隆寺は四神相応の地に造られていますな。

こうした地相のよさが1300年前の創建当時の伽藍を残すことができた理由かもしれません。

こないにいうと迷信のようですが,たいていの都や城はこうした地に建てられています。南側が低いということは見晴らしがよく,日当たりが良いと云うことですな。北に山と云うのは北風を防ぎ,過ごしやすいと云うふうに推測できますが,東に川,西に道と云うのも何かそれなりに意味があったんでしょうな。今では何故そう云うのかわかりません。

これが薬師寺の場合には当てはまらないところがあるんです。

東には秋篠川(あきしのがわ)があり,南は一段低くなっています。西は平城京西の二坊が貫通して口伝と合っているんですが,北には玄武に相当する山がない。欠相しているんですな。このためではないかも知れませんが,法隆寺が創建当時の七伽藍全部残しているのに,薬師寺で残っているのは東塔だけですわ。科学的やないと言われるかも知れませんが,私は口伝を信じています。

それが伝統だと思っています。こうして今まで引き継がれて来たんです。もし私が伽藍を建てろ言われましたら,迷わずに一番先にこの口伝に従った場所を探しますし,そうでない場所には建てませんでしょうな。

以上 

第2の口伝を読んで最初に想像するのが平安京と江戸であります。つまり,現在の京都と東京であります。

所謂,中国から伝わったと言われている風水思想と呼ばれているものですが,実際の日本の風水思想と中国の風水思想では違いがあるようです。日本の風水は独特な風水と云われています。そこで,少し不思議に思うのが,法隆寺は飛鳥時代に建立された寺院であります。そうなると,既に飛鳥時代には風水が和の国「日本」に中国から取り入れられていたことになります。

確か,平城京はシリウス信仰に基づいた設計に都市開発をしていたと思ったのですが,風水が既に日本の都市開発に影響を与えていたというと少し疑問に感じるところもあります。京都や東京は,風水に基づいた都市開発を実施しましたが,私的には奈良飛鳥と云うとどうしてもシリウス信仰の北北西20度構想を思い起こしてしまいます。北北西20度構想とは,つまり,シリウス星を崇拝する信仰形態で神社や寺院の社殿の配置をシリウスを拝む形式にしたものであります。まぁ~,私は,万物同根の古神道ですから風水のことは良く知りません(笑)。風水を意識し過ぎて,風の神さまと水の神さまに祓われないように注意致しましょう。


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


最後の宮大工 西岡常一棟梁 3

2018年02月27日 16時45分11秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。

最後の宮大工の西岡常一棟梁。

その西岡家に代々伝わる口伝を昨日も紹介させて頂きましたが,西岡家を含む歴代の法隆寺の棟梁のみに伝えることが許されて来た秘伝には,どんな意味が説かれて来たのかを生前,西岡棟梁が書かれた著書から引用して掲載させて頂きたいと思います。

きっと,数千年と云う気の遠くなるような永い年月を経て繰り返しその時代時代の棟梁に代々伝え続けられて来た口伝・秘伝ですから現代の私たちでも学べることがたくさんあると考えます。たとえば,大工の親方と若衆,茶道や華道の師匠と弟子,会社の社長と社員,親と子など先人たちの知恵から何を学ぶかは私たち次第であります。歴代の法隆寺棟梁にだけ許される口伝です。

引用著書:木のいのち 木のこころ 著者:西岡常一棟梁

1.神仏をあがめずして社頭伽藍(しゃとうがらん)を口にすべからず。

 口伝曰く,

これは神の道を知らんものは神社建築を口にするな,また仏の道を知らぬものは堂塔伽藍を口にするなということですな。これは何も神道や仏教の専門家にならねば手を染めてはならんということではないんですな。自分が造ろうとしているもの,かかわっている仕事がどんなものか知らなならんという宮大工の心構えですな。金のためだけに仕事をしてはならんということでしょう。

法隆寺は聖徳太子が仏法者を育てるための場所として造られたんです。その仏法によって国を治めようとしたんですな。その聖徳太子の教えがどのようなものかぐらいは知らんと,法隆寺の修理にも解体にもかかわれませんな。私がこの仕事にかかわるとき,法隆寺の管長の佐伯さんがいいましたもんな,法華経ぐらいは目を通しておけって。

この口伝に似たもので,こんなものもありますのや。

家宅は住む人の心を離れて家宅なし。

家宅を造るならそこに住む人の心組みを受けて,その意を汲んで造作しなさいということですな。まあ,大工のわがままや,自分の儲けで造るなということです。寺は仏さんの住むところやから仏さんの心組みを忘れるなということでしょうな。

以上

第1の口伝は,神仏への崇敬心を大前提とした宮大工の心構えを口伝されています。少し前にも大手建設業「ゼネコン」で,儲けを追求するあまりにセメントを実際の図面より少なくしたり,杭を減らしたりといったことが大問題となりました。このような事が建設業界では日常的なことと言えるかどうかは分かりませんが,実際の図面に沿わない形で建築して行けば耐震性も耐久性も期待できません。つまり,人の生命にかかわる重大な事柄です。そう言った反道徳的な考え方や心構えでは仏さまの住むところは造れませんし,造らせる訳にもまいりません。又,西岡棟梁の説明文において法隆寺の管長さんに法華経ぐらいは目を通して置くように言われたと書かれていますが,わたしは,法隆寺の管長さんが仰りたかったことは法華経を文字図らだけで理解するのではなく,法華経の精神を心の目で読み解くようにと言いたかったのではないかと想像しています。これが音霊なのであります。

漢字で書かれている法華経をただ読んでいるだけ,又,唱えているだけではなく,法華経に書かれている言葉の奥を観るのであります。その時に,自分自身が直感的に感じたことが音霊なのです。この音霊については,過去にも何度か書かせて頂いていますので検索ツールを使って宜しければ読んでみて下さい。音霊を観ることこそ古神道の真髄ですし,音霊をこそ内なる声でもあります。

古神道で云う審神者です。音霊と言っても実際に耳に聴こえてくる音ではありません。目には見えない音ですから波動と言った方が解かりやすいと思います。この波動を読み取ることを審神者と申します。海や山や川などの自然からも目には見えない波動を発しています。その自然が私たちに発している波動を自分自身の心に建つ心柱(みはしら)に降ろして観るのであります。そうすると言霊が生まれて,私たちは言葉をしゃべることが出来るのです。つまり,自分自身の心次第で言霊も言葉も変わると云うことなのです。


 

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最後の宮大工 西岡常一棟梁 2

2018年02月26日 07時51分10秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。

昨日は,日本が世界に誇る技術者集団「宮大工」の最終者でもある西岡常一棟梁その1を書かせて頂きました。

昨日の記事の冒頭で,NHKで紹介されたと書かせて頂きましたが,テレビだけではなく,どうやら,映画にもなっていたようです。上の画像は,インターネット上から借りて来たものですがドキュメンタリー映画と記載されています。私の家にはテレビがないので,この手の情報はさっぱり分かりません(笑)。テレビがないと言っても経済的に買うことが出来ないとかではなく,テレビの情報は基本的に偽りが多いように思えることとテレビを見ている時間が勿体ない気がしているからです。自分の感が鈍るのであります。ニュースはもっぱらインターネットで十分ですし,見たい番組は動画サイトを活用しておりますので不便ではありません。

今日は,その2を書かせて頂きます。それにしても,宮大工の精神性が継承されないことに私はとても残念に思います。宮大工の宮とは神職と云う意味があるのです。元々,宮大工は神社や寺院に所属していたのです。伊勢神宮の式年遷宮を見ても判るように,20年に一度の建て替えは,民間のようにどこかの建設会社へ一括して請負されることはしないのです。神宮造営部に所属します。

なぜならば,御宮を御造営することは祭事になるからであります。

一つひとつの作業に祈りを込めて丁寧に造り上げて神さまへ奉納するのです。これが,和の国「日本」のモノづくりに対する基礎基本となって現代に継承されて来ています。つまり,どんな物質も特有のエネルギーを発しています。念です。古神道では,この世のありとあらゆるものには神さまの分魂が宿っていると云う分魂思想があるのです。したがいまして,恨み辛み,悲しみ憎しみを抱いてモノづくりをしてはならないのであります。やはりモノづくりは,明るく,楽しく,感謝して。これを基本にしたいものです。

ブラック企業の社長さん。大丈夫でしょうか?(笑)

話しが逸れてしまいましたので戻します。

代々,法隆寺の棟梁だけに伝え続けられて来た口伝が,棟梁西岡家には存在します。

この口伝は,棟梁だけに伝えることを許されていたと言います。

生前,西岡棟梁が書かれた本「木のいのち 木のこころ」の中から一部を抜粋させて頂きます。

1.神仏をあがめずして社頭伽藍(しゃとうがらん)を口にすべからず。

2.伽藍の造営には四神相応(ししんそうおう)の地を選べ。

3.堂塔建立の用材は木を買わず山を買え。

4.木は生育の方位のまま使え。

5.堂塔の木組みは寸法で組まず木の癖で組め。

6.木の癖組みは工人たちの心組み。

7.工人たちの心組みは匠長(しょうちょう)が工人らへの思いやり。

8.仏の慈悲心なり,母がわが子を思う心なり。

9.百工あれば百念あり,これをひとつに統ぶる。これ匠長の器量なり。百論ひとつに止まる,これ正なり。

10.百論をひとつに止めるの器量なき者は謹み畏れて匠長の座を去れ。

11.諸々の技法は一日にして成らず。祖神たちの神徳の恵みなり。祖神忘れべからず。

以上です。

西岡棟梁が生前書かれた本の中から,一部を抜粋して書かせて頂きました。ただこれだけを読んでも一つひとつの意味が解りませんので,明日の記事で一つひとつに西岡棟梁が丁寧に説明したものを掲載させて頂きたいと思います。明日に続きます。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


最後の宮大工 西岡常一棟梁 1

2018年02月25日 05時05分55秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。

私の好きな方の中に,法隆寺を修復する棟梁の家系に生まれ,自らも棟梁となった西岡常一棟梁が居られます。NHKなどの番組で特集されたり紹介されていたようなので御存知の方も結構多いように思います。日本が誇る宮大工の最終者でもあり,薬師寺の復興にも総棟梁として若衆や技術者へ口伝されていた御方です。西岡棟梁が最も拘り続けたものが木です。木材の癖読みは今でも語り続けられるほどの眼力を備えていたようです。木と会話をしながら,木と呼吸しながら寺院を建築されていたのですから驚きです。

もし,生涯学習として人物研究をしたいとすれば,私は鎮守の森を守り続けた「南方熊楠」さんと最後の宮大工「西岡常一」さん,そして報徳思想の「二宮尊徳」さんです。私がなぜ西岡常一棟梁を知ったかと申しますと東日本大震災で被災した寺院の復興を約5年間ほど任されて居た際に,お寺の本堂建築を請け負った宮大工A棟梁からお話を伺ったからであります。そのA棟梁は,とても気性が激しく自分の腕(技術)には絶対の自信を以ていました。本当なのかな?と当初,私も思っていましたがA棟梁の地元では有名で,実際に過去建築した寺院をA棟梁と見学に何度も行きましたが,住職さんや檀家総代さんからも絶大な信頼を得ていました。

又,A棟梁は図面を見ないのです。全部,自分の頭の中に入っているのです。

図面を作製する一級建築士もA棟梁には敵わず,逆にA棟梁から教えてもらうことがほとんどでした。

頑固で気が荒く,自分の腕には絶対的な自信を以ている昔ながらの職人気質であります。私も復興事務局の責任者でしたので,このA棟梁とは何度も衝突しておりました。A棟梁もお前みたいな若い奴に何が解かる?と言わんばかりです。そんなA棟梁ですが,何故か憎めないことろがあり,こちらが謙虚になって技術のことを聞くと何でも教えてくれました。夜中に為ろうが何時間でも私の質問に正面から答えてくれていました。おかげで最後には,私も多少の知識を得ることが出来るように成長したのです。毎日の様に夜中まで激しくぶつかり,納得が行くまで協議し合った日々が今となってはとても懐かしく思えます。A棟梁は自分の技術を売りに来ていたかも知れませんが,私は700年続くお寺を護持する為に居るのですから易々と引き下がる訳には行きませんでした。

きっと,西岡棟梁も同じような性格であったのかも知れません。生前,西岡棟梁が書かれた本の中で,私が特に強く印象を受けたのが「穢れ」についてでした。西岡棟梁の穢れに対しての概念と申しますか観念と申しますか考え方は私も全く同じであったのです。西岡棟梁曰く「宮大工は一般の住宅を建築したらあかん」「一般の住宅を建築すると穢れが付いてしまうから建築したらあかん」と言っております。一見すると何を言っているのか意味が解りません。しかし,その理由はちゃんとあるのであります。

その理由を今日と明日に渡って書かせて頂きます。

先ず,穢れるとは「気が枯れる」ことを指します。汚いとか汚れとは違います。

つまり,商売の頭で計算していては,神社や寺院の建築は出来ないと云う意味であります。商売は損得勘定に基づいて商いがされて行きます。何処まで行っても損得勘定で計算しないと大損してしまいますし,そもそも経営が成り立ちません。経営が成り立たなくなるとそこで働く人々は失業してしまいます。食べて行けなくなりますから,現代においても企業は営利を目的にする営利法人と云う大前提であり当然であります。しかしながら,神社や寺院は,始めから営利を目的としていません。確かに,定款に定めれば営利行為は可能ですが,これはあくまでも理論上のことであります。その為に,神社や寺院は法律上も一般企業と比べて法人格も別ですし,税制も非営利事業に対しては不可税となっています。又,寄附金などを募集し,寄附を受けることも可能となるのです。

そう言ったことからも神社や寺院の建築は,損得勘定を以てすることは御法度で,数千年の昔から親方から弟子へ繰り返し口伝され続けて来ました。決して,損得だけで考えたならば少なくても数千年も継承して行くことは出来なかったであろうと思います。建築に使用する木材も損得勘定で考えたら安く仕入れて高く売るようになってしまいます。そうなれば,木材の寿命も低減し,地震などに耐える耐震性や免震性も期待できず,湿気の多い山間部に建立する場合を考えても木材は直ぐに腐敗して保湿性も度外視するようになります。安い木材を仕入れて神社や寺院に高く売ることは出来ないのであります。そこが一般企業とは決定的に違うのです。

それでは,損得勘定や銭勘定抜きで昔ながらの宮大工が存続できるのか?

そうなのです。結論から申し上げますと宮大工は,現在の日本には存在しません。

西岡棟梁が最後の宮大工と云われる所以がここにあります。

神社や寺院は一度,建立すると数百年は偶にある補修や修繕のみとなりますので,宮大工が食べて行けないじゃないかと思われると思います。私も同じ様に感じました。それでは,一般住宅を建築しない本物の宮大工が存続できるのか?です。そのことも西岡棟梁は本の中で書いていますが,昔から本当の宮大工は一般住宅を建築することが出来ないので「農家を兼業していたんです」「お寺の仕事が暇になると農業をしてます」「そしてお寺の仕事を頼まれると宮大工をします」このように宮大工と農業を兼業することによって一般住宅を建築しなくても食べて行けたのであります。現代にこの考え方を当て嵌めるには農業が衰退していますから無理がありますし,現在は,建設業法などの法律もありますから資金が潤沢でないと無理です。そもそも今の建築士さんでは社寺建築を理解できません。したがいまして,現在の宮大工さんは精神性は抜きにして,技術だけを継承していると考えると良いと思います。

この様にして文化や伝統は消えて行くのでしょうか?

明治時代に一部の官僚によって立案された神社合祀政策。そしてそれに真っ向から猛烈に反対し続けた南方熊楠さん。建築業法などの理屈で世界に誇れる技術者集団である宮大工を日本から消滅させ,それを推進する大学教授対しては鬼の如く徹底的に議論し続けた最後の宮大工西岡常一棟梁。わたしは,ここから何か学べるような気がしています。二人に共通するものは何なのか?やはりそれは和の心であったのだと思います。時の官僚政策が本当に正しかったのか否か歴史が判断する以前の問題であると考えます。

そのあたりのことを明日,書かせて頂きたいと思います。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


衆生を救済する為,裸足て飛び出した観音さま。

2017年11月26日 00時00分00秒 | 奉仕の心柱

以下は「2016.10.10」の掲載http://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/209b39a2b792ee78affb8171d943f6a9?fm=entry_awc記事です。

こんにちは。先日,動画サイトにて宗教団体なのか宗教サークルなのか解りませんが「観音様に呼ばれる人」と云うことをテーマにした勉強会のような動画サイトがありました。動画でしたが映像はなく音声のみでしたが,私の思い考えることと相違があるなと云う意味で興味深いものでした。観音様はどんな存在ですか?と聞かれると,多くの人が困っている人を救ってくれる存在であり,願い事を叶えてくれる存在とお答えになると思います。確かに,仏教寺院の僧侶もその様に観音様の存在を伝えていますし,観音経と云う経典の一部にもその様に書かれております。今日は,私たちにとても身近な観音様の存在を少し書かせて頂きたいと思います。

まず観音様と云っても観音様には○○観音と云うようにたくさんの観音様がいらっしゃいます。たとえば,仏教の六道思想に観るように天界を担当する如意輪観音,人間界を担当する准胝観音,修羅道を担当する十一面観音,畜生道を担当する馬頭観音,餓鬼道を担当する千手観音,そして,地獄道を担当する聖観音を六観音と申します。その六観音の内,今日は,地獄の世界で人々を救済される聖観世音菩薩についてです。私たちが一般的に呼ぶ観音さまとは,この聖観世音菩薩を観音様と呼んでいます。仏教の経典の般若心経や観音経で唱える観音様も聖観世音菩薩です。つまり,仏教界のスーパーヒーローと云ったところでしょうか。

観音様は,困っている人や弱い立場にある人を救済することを唯一の任務とされております。つまり,困っている人や弱い立場にある人を救済できるだけ強いとも言い換えることが出来ます。さらに,地獄の淵まで降りて行くことが出来る存在です。したがいまして,本当の観音様と云うのは,観音様自ら地獄まで降りて行って困っている人や弱い立場にある人の元へ行き救済するのです。決して高い場所から声を掛けて叫び続けることではありません。まさに,着の身着のまま裸足で飛び出して行くのが,私たちが祈りを捧げる観世音菩薩の真の御姿です。いろいろと諸説ありますが,私個人的には,聖観世音菩薩は,神界のスーパーヒーローが人々を救済する際に用いる御姿だと思っています。蒼き神の素戔嗚大神様で御座います。黄泉の国を統治する神は,素戔嗚大神様です。

その動画サイトで話されていた内容は「普通の人は観音様のところで厄を落としに行くんだ」しかしながら「私たちは役を貰いに行くんだ」と云う内容でした。つまり,自分たちが観世音菩薩のように菩薩行をする人になるのだと云う趣旨の話でした。ここまでの話は,私たちもいろいろなところでよく聞く話です。新興宗教でも何かと多く引き合いに出されるのが観音様です。しかし,私が思い感じたことは,何故,そこで話を止めるのか?その奥の話をされないのか?が疑問でした。なぜならば,ここまでの話を聴いて実際に人の厄を貰い,人の役に立てると信じて菩薩行を実践しても実感が感じられないどころかこの世では厳しい立場つまり,環境に立たされることが多いのです。その主な理由は2つあります。1つ目は,物質世界に人の価値観を見出すことではなく,生き方や道徳,精神世界に真の価値を見出すからです。2つ目は,私たちは常に見返りを期待してしまう様になってしまっているからです。

先にも申したように,観音様は困っている人や立場の弱い人を救う尊い存在です。しかし,ここだけに着目してもその先にある本当の姿を観ることは出来ません。たとえば,細かい日常的な事柄ですが,自分から人に挨拶をして,相手から挨拶がなければ嫌な気持ちになります。何か人に良い事をして,相手から何も感謝もされない。ありがとうも言ってもらえないと寂しい気持ちになります。中には,人に良くしてもらったら感謝するのは当たり前だ。こんなに自分はしてあげてるのにと怒り出す人も居るかも知れません。

それは何故か?です。日常生活によく在りがちな話でもあります。どうして,私たちは,その様に感じてしまうのでしょうか。もし,その様な不平や不満を抱くのであれば,それは菩薩行とはかけ離れたものです。その様な気持ちはやがて,人を恨み心を穢すことになってしまいます。菩薩行には,感謝されること。ありがとうと言ってもらえることは,はじめから予定されていないことです。つまり,一方的な行為が観音様の菩薩行ですから,相手に感謝されるとか有難うと云ってもらうとか言う話にはならないのであります。物質的な見返りがないのが菩薩行であると考えていた方が,逆に,何ら見返りを期待せず,執着することなく済みます。拝


   

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝

 


実を求めて木を枯らす。

2017年03月22日 09時09分09秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。

今日は,葉室頼昭(春日大社 前宮司)先生の著書「神道 いきいきと生きる」の中からご紹介させて頂きます。

こちらの「神道 いきいきと生きる」は,昨日の「神道 感謝のこころ」に続いて読まれると良い本です。

 

以下,神道 いきいきと生きる「実を求めて木を枯らす」より。

もともと,日本人は素晴らしい精神文化を持っています。

第一に生真面目です。不真面目なことを嫌がって,国のため社会のためにやってきた民族です。

企業が製品をつくるにしても,昔は立派なものを作って,それで日本の国が発展したらよいとやっていました。

しかし現在は,利己的で,自分のことばかりです。

自分さえ儲かり,楽しければいいといって,他人や国のことなど考えない人が増えてきました。

感謝するこころ,質素,勤勉,努力,神様や祖先を尊ぶというのが日本人の精神文化ですが,それらはどこにいったのでしょうか。

「木を育つれば,実を得られるものを,実を求めて木を枯らす。取ろう取ろうは取られるもと」という言葉があります。

親御さんたちは,子供をよい学校に入れようと,よい会社に就職させようと,その場にある実を取ることばかりやっているけれど,それでは結局,子供がだめになる,ということです。我々はエネルギーだけで生きているわけではありません。

車でも人間が乗ってハンドルを握って安全運転をしなければ,ガソリンを燃やしても,暴走してどこかにぶつかって壊れてしまいます。同じことです。ご飯を食べてエネルギーを作っているだけでは,生きることができません。

人間としてどうしたらいいかというと知恵がなければ,人間として健康に生きていけないのです。

今,いい大学を卒業したのに,自分が何をしたらいいのか分からないという人や,エリートコースを進んで来たのに,汚職事件を起こして道を外す人が,たくさんいます。

それは,先に実を取ることばかりの生き方をしてきたために,木が充分に成長していないから,生きるための知恵が身についていないのです。人間として立派な子供を育てれば,よい学校に入れるし,よい会社にも入れるのに,それをやっていない。

まず立派な木を育てなさい。そうしたら黙っていたってよい実はなるのです。

逆をやっているから,精神文化などどこかへいってしまって,今のような情けない日本のすがたになったのではないでしょうか。

以 上


宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 祈り行じて省みる。                                                             感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えています。                                            一隅を照らす人であれ。その命ある限り。花咲 あさひ 拝                   ブログ開設283日目 記事数第218記 奉仕の心柱 

 


神から人へ 「この世の終わりを、人に知らせよ」

2017年01月17日 20時20分22秒 | 奉仕の心柱

神から人へ。神のみことば、教えなり。

人と伝えし、教えなれば、人の全てに伝えることが、

全ての者の、縁ある者の、み役なり。

素直に正しく心豊かに、さなるようにと伝え教えし、

神のことばを人に知らせよ。



この世の変わり目、この世の終わり。

時は移りて、始まらんとす。

この世の汚れも、間違いも、人の作り文明文化も、

神の御心にそぐわぬものは、残さず消して、作り直さん。

全ての人に改心を。知らずに積みし、罪科(つみとが)を、

悔い(くい)あがなうは、この時なり。

さらに伝えん、真の教え。真のことばと、神の意図。

神は人に伝えるらん。神の思いと人への願いを。人に求むる霊行を。

神から人へ。残りし時はわずかなり。

今まだ知らぬ無縁の者にも、知りてもなさぬ愚か者にも。

等しく与えん、最後の機会、最期の縁なり、この世における。


心し聞けよ。書き止めよ。神の求むる、神の願わる、神の御心、

神の切願。聞いてなさぬも勝手なり。知りて励まぬ、それも詮なし。

なれど、知らずに滅ぶる命のあらば、神は悲しむ、嘆かるる。

神を助けよ、心を汲めよ。

生きて生かされ賜りし、多くの恵みを感謝に表せ。

感謝に表し、返してゆけよ。己の罪をも浄めてゆけよ。

神を求めて信ずるならば、心素直に清らかに、神への信は高らかに。

神は人に願われし。人が豊かに、平穏に、勤めを果たして精進するを。

願い祈りて今日までを、幾月、幾年、幾星霜、

この世の終わりの来ぬように、計らい願いて、神は待たれし。

なれど、ついなる時は訪れ、人の世界の立て替えを、

ついに決められ、始めんとさる。

神は人を思わるる。人が残りて、許されて、再び戻りて、

手伝うを。神の望まる再生とは、人の力で、協力で、

人自らが努力して、この世を浄め、立て直さんこと。

神の力を借りずして、己の能力全てを挙げて、神の力に適うるように、

人が力を合わさんこと。なれば、人よ、神に背くな。裏切るな。

神の心を省みもせず、己一人の独善にて、再生計らば繰り返さん。

同じ過ち、愚行盲動。

神の力に及ぶはずなし。神の神知に適うわけなし。


神は人に示されよう。人の行く道、なすべき行い。

全てが動き働くように、神の仕組みしこの世の原理。

理(ことわり)に外るれば、直されん。法に背かば、罰せらる。

さにて守りし自然の調和。乱し壊すは人間なり。

調和を無視し、真理を解さず、人の作りし、法律規則、

人の汚れを強め深むる。神の望まぬ罰設け、人を裁きて、刑を課す。

人を殺すも、人を罰すも、全ては神のなすべき行い。

分をわきまえぬ僭越を 神は許さず、見過ごさず。

神に帰りて神に問え。己の罪の真の深さを。人間心で測りても

答えは出ぬぞ。過つぞ。さらに増やすぞ、神への冒涜。


この世に通りて許されることにも、神の真理を侵する多し。

真理を曲げて乱するものは、神は残さず、滅ぼさん。

人の正義は正義にあらず。人の美徳に真の徳なし。

神の定めし自然摂理を、人に課されし霊行を、違えて理解、解釈す。

過ち深め、神を侵し、ついには変えなん、宇宙真理も。

この世を治め、この世を動かし、自然の流転、運行定むる、

全ての源、大本を、人よ乱すな、汚するな。

人の欲得、競争にて、神の定めし天理天命、狂わせ壊すは、

神への暴虐。自然の神秘、神の妙、一つもあたわず、人の技。


人の作りし多くのものの、全てに人の計算あり。

人の幸せ、人の豊か、さなるを行なうこと、もの、少なし。

己よければ全てよし。他人はどうであれ、明日はどうなれ、

今ある己が富まばよし。人間心の浅はかは、やがては己に

返り来るを、知らぬ仏の滑稽なり。

神から人、人から神、全ては巡り、返り来ん。

人の行い改めば、神は与えん、さらなる幸を。

人の行い、過ち多くば、神は計らん、人への戒め。


やがては訪る、この世の終わり。

神は人に確かに示さん。明らかにして、目にも見せん。

ことばを伝えん。文字に表し、声にも聞かせん。

素直に、豊かに、平かに、心を澄まさば、自ずと気付かん。

今この時に何を望むか。人にさせたきことの全てを。

人は真摯に、敬虔に、受け止め表せ、真心を。神から人へ。

悲しきことも辛かることも、人のためなり、後のため。

人は感謝し、素直に行なえ。神の望まる霊行を。

僅かの時を惜しみ励めよ。一秒たりとも無駄にせず、

神にまことを捧ぐるべし。神に真を示すべし。

神に使われ働くことを、心に祈り、神に求めよ。


神から人へのお伝えは、一人の幸せ、富みを願わず。

全ての物が平等に、分け合い、助かり、救わるる。

さなるためなり。それのみなり。

神から人へ、最期に与うる教えを守れよ、行なえよ。

神から人へ。繰り返し、伝うることの真の意味を、

神の神意を、悟れ、わが子よ。

親の喜び、悲しみを、汲みて、思えよ、親の恩。

神の御心、大愛を、忘れず讃えよ、胸の奥にて。

神の声を伝える人
ひふみともこさん著書 「神から人へ(下)」より抜粋
ひふみともこさんHP
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大神神社 狭井神社 三輪山の巫女「真理の 御霊」  
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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 祈り行じて省みる。                                                             感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えています。                                            殿の御役 花咲 あさひ 拝                      ブログ開設219日目 記事数第201記 奉仕の心柱 編