花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

母の宮に宿りし幼き御霊 無念の一心何処に逝かずや 

2017年11月30日 00時00分00秒 | 反省の心柱

女人高野 室生寺の十一面観世音菩薩さまです。

以下は「2017.1.13」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/0d2a44c8200788739326a17c34a48e2d記事です。

こんにちは。

今週末にかけて大雪が降る地域があるそうなので,除雪や屋根の雪下ろしの際は十分気を付けて下さい。毎年毎年,この時期になるとニュースなどで雪掻きの作業中に怪我をした等の話がされています。高齢化が進み,限界集落や若い人が少ない地域は大変な重労働です。毎年の事ですので,産学官連携して何か良い施策があればといつも思います。

最近は,神様から授かった子供(御霊)を中絶する人が多いような気がしています。私が毎日仕事で会う方の中にも数霊の水子をもつ方がおります。人それぞれに異なった事情があるとは思います。たとえば,未成年で就学中の子であったり,経済的理由であったり,婚姻関係以外の人との間に出来た子供であったりと様々であろうとは想いますが,せめて生まれて来ることの出来なかった子供の為に供養だけは欠かさずして頂きたいと思います。所謂,水子供養ですが,この水子供養をしている人は実に少数です。

肉体を持てなかった霊魂は関係ないと考えているのか何なのか理解できませんが,中絶を繰り返す女性,そして中絶を繰り返させる男性の人に共通しているのが水子の供養をしていない人です。関心すらない人も多くいます。そう云った方に,私がよく話すのが霊的なことよりも子供が母親の子宮(御宮)に受胎するまでには壮絶な競争があり,奇跡の連続であると云うことです。それは正に神秘の世界です。今は便利なインターネットが存在しますから,簡単に生命の誕生までを学ぶことが出来ます。

又,神道には神社と言うものが存在します。どこの神社でも鳥居をくぐり,参道を歩いて,最後に御宮で神様に参拝するように配置されています。神道では無言の教えと云うものが存在していて,この鳥居,参道,御宮と云う配置にもちゃんと意味があるのです。

それは何かと申しますと,つまり,母親の身体を具現化したものです。

子供が受胎する子宮は「御宮」です。子供が生まれる膣は「参道」です。そして,母親の股が「鳥居」になります。

水子の供養もしなければ,御宮を穢すことに繋がり,もっと最悪なのは穢すことを繰り返したまま放置することです。この報いは生きている子孫が背負い続けることになります。なぜなら,人の肉体はなくなってしまっても霊魂は一定のあいだ家族や子孫と生き続けるからです。どんな有名な僧侶に供養を頼んでも,どんな立派なお墓を建立するだけでは殆ど意味がありません。

なんと言っても生まれて来ることが出来なかった水子の御霊が一番喜ぶのは,母親と父親の愛情です。気を向けられることで安心して行きます。些細なことでも良いのです。ご飯を家族で食べるとき,お風呂に入るとき,夜寝るときなど一緒に食べよう,一緒に入ろう,一緒に寝ようと気を向けてあげるだけでも供養になります。そして,その母親や父親の愛情の想いは必ず水子に届きます。

母の宮に宿りし幼き御霊 無念の一心何処に逝かずや 

合 掌


   

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


塵を祓い垢を除かん。3

2017年11月29日 00時00分00秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

本日の写真も上賀茂神社「ならの小川」です。

以下は「2016.10.26」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/660c1598d75d3889f9d43d81ffc77cb7記事です。

こんにちは。仏教の経典である雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)の121物語中のオウムの恩返し「雑宝蔵経 天はすべてを観ています。」「オウムの恩返しと動物たちの優しさ。物語前段」を2日程,記事にさせて頂きましたが,このオウムの恩返しの前段部分は,鎮守の森で平和に暮らしている心優しき動物たちが,エサを探し求めて森の中で迷っている一羽のオウムに優しく声を掛け,木の実や美味しい御水などをたくさんあげて夜は,オウムが寂しくないようにと安心して寝ているオウムの回りを動物たちが囲んで寝ていましたと云うお話でした。そして,翌朝,たくさんの心優しい動物たちの愛情でグッスリと寝ることができたオウムは自分の故郷を目指し,たくさんの動物たちに見送られながら飛んで行きました。ここまでが,このオウムの恩返し物語の前段部分です。

そして物語は,後段に入ります。物語の後段では,

自分の故郷に何とか戻ることが出来たオウムは,鎮守の森で出会った沢山の動物たちの真心とその恩を感じ,鎮守の森での出来事を他の動物たちへ話していました。その様子を想像すると余程,オウムは嬉しかったようです。私たち人間でも自分の力だけではどうすることも出来ない事柄がたくさんあります。たった1人の力には限界もあります。そんな時,友人や知人などの協力者が居てくれるおかげで何とか問題を解決出来たり,難問を乗り越えることが出来た経験は少なからず誰にでもあると思います。助け合ったり,補いあったり,支え合ったりと本来,人間社会においてもお互い様のはずです。いつの間にか,私たちは臆病者になってしまったのかも知れません。このオウムの恩返しの物語は前段と後段で観ると興味深い点がたくさんあるように思えます。前段では,自分から率先して困っている存在に対し積極的に語りかけ,ひとり一人が自分の出来る範囲で皆で協力している様子を物語っています。又,後段では,困っている時に助けられた恩を忘れずに感謝し,相手が困った時に自分から率先して行動に移す様子を語っています。

つまり,前段も自分に置き換え,後段も自分に置き換えた場合の両面を考えることが出来る訳です。これは,神道で云うところの一霊四魂「魂の働き」と呼ばれる思想に似ていると私は感じています。機会があればまた記事で書かせて頂きたいと思いますが,一霊四魂と云う神道の思想概念には,人は誰でも「荒魂」(あらみたま)と云う働きと「和魂」(にぎみたま)と云う働きと「幸魂」(さきみたま)と云う働きと「奇魂」(くしみたま)と云う魂には四つの働きがあると言われています。たとえば,前段の勇気を以て,自分から率先して行く勇ましさは正に「荒魂」の働きですし,困っている人の役に立ちたいと云う思いと皆で協力する姿勢は正に「和魂」の働きそのものです。物語の前段を読んだだけでも,この作者は人間の本来の在り様を動物に例えて書かれたのではないかと思います。本当に,このオウムの恩返しに学ぶところは沢山あります。見方を少し変えるだけでもいろいろ勉強もできます。

そして後段,最後の箇所では,

親切にしてくれた鎮守の森が山火事になってしまい,いてもたってもいられないオウムは,とっさに川へ飛び込み自分の身体をビショビショに濡らして山火事を消そうと鎮守の森に向かいました。しかし,山火事の現場に着くころには身体の水が乾いてしまって,自分の身体をブルブル降っても数滴しか落ちて行きません。それでも構わず,何度もなんども川に飛び込み身体をビショビショに濡らし再び,山火事を消しに向かいますが,結果は同じで数滴しか水が落ちて行きません。無理だと判っていても助けたい一心で山火事に向かうオウムの姿は,災害活動に従事される警察・消防・自衛隊の救済活動によく似ていますし,私たちの日常生活の場や企業社会でも聞くことがあります。そして,一生懸命に努力している人を努力をしない人が嘲笑い,そんな利益にならないことをよくやるな。そんなことしても無理だ。無駄なことだよ。と云う場面はどんな社会でもあることです。それでも,諦めずにただ「助けたい」と云う一心で純粋な心が天津神と国津神,八百万の神々にも通じ,神様の御加護あったのです。神様が放って置くはずがありません。オウムも突然,これまで晴天だった空が曇りだして大雨が降って来たのですからビックリしたのではないでようか(笑)

オウムも自分が困っている時に優しく,助けてくれた動物たちの恩を忘れず,自分の力だけでは到底,為し得ない困難なことであっても決して諦めず果敢に挑戦する態度とその姿勢は物語とは云え,今の現代でも理想とされ求められる人物像であるのかも知れません。その姿は天津神,国津神,八百万の神々様もずっとご覧になられています。そして私たちの祖先もすべてを観ています。果敢に挑戦する勇者(子孫)を誇らしく思っているのではないでしょうか。もしかすると,天国で友人や知人に自慢しているかもしれませんね。又,祈るとは行ずることだと云うことはひふみ神示「日月神示」にも多く書かれています。祈りと行ずることで結びます。拝


    

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それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

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そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


塵を祓い垢を除かん。2

2017年11月28日 00時00分00秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

上の写真は,上賀茂神社のならの小川です。

以下は「2016.10.24」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/5aa5a4a75f0207005b4658fe56e45398記事です。

こんにちは。昨日は,仏教に伝わる経典である雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)の中に書かれているオウムの恩返しと云う物語を書かせて頂きました。こちらです「雑宝蔵経 天はすべてを観ています。実は,このオウムの恩返と云う物語は,奈良県の薬師寺さんの管長が修学旅行で参拝に来られる中学生や高校生の子供たちに話す法話なのです。私も中学校での修学旅行で薬師寺さんに行ってお坊さんの話を聞いた記憶があります。話の内容までは憶えてはおりませんが,当時の様子が今でも映像として浮かんできます。

薬師寺さんの管長さんは,オウムの恩返しを子供たちに話し終えても人間としてこうあるべきだと云う正解や不正解や答えを教えることはしないらしいです。あとはすべて子供たち自身に考えさせるようです。近年は,子供たちが被害に遭遇してしまう事件事故や子供たちが加害者になってしまうことも多い社会です。今の子供たちには危険を察知する能力や自分で考える能力が低下して来ていると考えられてのことだろうと自分たちで考える種を蒔かれたのではないかと想像しています。現代はパソコンなどで簡単に正解や不正解など答えを探すことが出来ます。これを繰り返し警告していた人物に同じ奈良県に御鎮座される春日大社の前宮司でいらした葉室頼昭先生がおられました。物語の中に登場してくる鎮守の森の動物たちの親切さ,困っているオウムに対する優しさ,なんら見返りを求めず,自らオウムに積極的に話し掛けてくる動物たちなど沢山この物語から学ぶことが子供たちだけではなく,私たち大人も学ぶことが出来ることだろうと思います。私がやりますと云う謙虚さと私にやらしてくださいと自らの意思で手を挙げる勇気は企業社会でも必須の条件です。もちろん,私たちの魂「霊性」を高めて行く上で欠かすことの出来ないものです。原因と結果です。

今日は仕事の関係でこれにて失礼します。続きはまた明日。拝


    

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塵を祓い垢を除かん。1

2017年11月27日 00時00分03秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

以下は「2016.10.23」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/9e94adfaffb31ee7aaf5b2ee20051ff9記事です。

こんにちは。さて,今日は,仏教の経典に雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)と云うお釈迦様と弟子たちの時代から西暦2世紀カニシカ王が終る頃までの物語121話が書かれた経典の中に伝わるお話を書かせて頂きたいと思います。その雑宝蔵経の中のひとつにオウムの恩返しと呼ばれている物語があります。混沌とした現代の社会でも,私たちが日常で暮らす中でも大変参考になる物語であります。そして,私なりに感じたことも後日,書きたいと思います。

とある場所に,神様の御神体でもあります山の中腹に大きな鎮守の森がありました。その鎮守の森には,たくさんの動物たちが仲よく平和に暮らしておりました。そこに,ある日,一羽のオウムがエサを探し求め道に迷い,鎮守の森に紛れ込んでしまいました。つまり,迷子になってしまったのです。オウムはなんとか鎮守の森から外に出ようと飛び回りましたが,自分がどこにいるのかもさっぱり解りません。そうしている内に,とうとう日が暮れてあたりが暗くなってきてしまいました。オウムはとても心配で不安に思いながら,自分の家の方向さえも解らず途方にくれていたのです。日がどんどん沈み,あたりも暗くなるにつれオウムの気持ちも寂しく,しょんぼりしていた時,鎮守の森のさらに奥深くから鳥や獣などの動物がさくさん出て来ました。

すると,その動物たちは,「ねぇねぇオウム君,君は道を間違えてしまったのだよ。オウム君の家までは,ここからずっと遠いところだから今からでは帰れないよ。明日僕たちが送って行ってあげるから,今夜は僕たちの家にとまりなよ」ととても親切にしてくれました。 オウムも優しい動物たちの言葉と不安な気持ちでいたことから,動物たちの家に泊めてもらうことにしました。

動物たちは「きっと,オウム君は道に迷い,不安で寂しい気持ちになっているに違いない」「だから今夜は,オウム君がちゃんと寝るまでは皆で順番にオウム君の側にいてあげよう」と動物たち皆で話し合い決まりました。「ここに木の実があるから,お腹いっぱい食べてね。あそこにはとても美味しい水があるよ」「何も心配いらないから安心してね」と動物たちはオウムにたくさん声を掛けあっていました。オウムもすっかり動物たちの優しさに慣れて,とうとうくたびれて寝てしまいました。その様子を観ていた動物たちも夜中にオウムが起きて悲しまないようにと皆でオウムの回りをぐるりと囲むように一緒に寝てくれました。

翌朝,空は晴天です。朝日に照らされながら,オウムは鎮守の森の動物たちに賑やかに送り出され,オウムが家に帰れるところまで一緒に付き添ってくれました。そうして,無事に自分の家に着くことが出来ました。家に着いたオウムは,あの山にいる動物たちの優しさが嬉しくてたまりません。仲間の動物たちにも昨夜の話を自慢げにたくさんしていました。

そんなある日,優しくしてくれた動物たちの山の方を見ると,親切に優しくしてくれた動物たちの山からたくさんの煙が立ち上っています。オウムは驚いて,急いで動物たちが暮らしている山の方へ飛んで行くと,なんと!山が大火事になっているのです。オウムはいてもたってもいられません。そこでオウムは,すぐさま川に飛び込み,自分の全身を濡らしては飛び立ちました。しかし,川から山火事の場所に着く手前で,ほとんど体から水が落ちてしまい山の上空で体を振っても2.3滴しか水が落ちません。でも,オウムは諦めようともしません。なんども何度もオウムは川に飛び込んでは自分の身体を濡らし,燃えさかる山に飛び立ち火事の上空で体を振って2.3滴の水を落としています。

その時,近くの木立でオウムの様子を見ていた他の鳥たちが,オウムを嘲笑います。「オウム君,君が運んでいる水であの山火事を本当に消せると思っているのか?」「無駄なことは止めな」「そんなことをしたってくたびれるだけだよ」などと言いながらオウムを皆で笑っています。

この時オウムは,自分を嘲笑う鳥たちに言い放ちます。「確かに,僕の運んでいる水は僅かです」「あの山の火事は消えないかもしれない」「だけど,僕が鎮守の森で迷って,困っている時に,僕に親切にしてくれた友達が,あの山にいるんです」「僕を助けてくれた友達が苦しんでいると思うと,僕はいてもたってもいられない」「だから,僕は絶対に止めない。僕は水を運び続ける!」と言って一生懸命に水を運んでいます。

すると突然,さっきまで晴天だった空が曇りだし,大粒の雨が降って来ました。もの凄い大雨です。オウムもビックリして茫然としていると,その大雨のおかげで山火事はたちまち消えていました。

おわり


   

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衆生を救済する為,裸足て飛び出した観音さま。

2017年11月26日 00時00分00秒 | 奉仕の心柱

以下は「2016.10.10」の掲載http://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/209b39a2b792ee78affb8171d943f6a9?fm=entry_awc記事です。

こんにちは。先日,動画サイトにて宗教団体なのか宗教サークルなのか解りませんが「観音様に呼ばれる人」と云うことをテーマにした勉強会のような動画サイトがありました。動画でしたが映像はなく音声のみでしたが,私の思い考えることと相違があるなと云う意味で興味深いものでした。観音様はどんな存在ですか?と聞かれると,多くの人が困っている人を救ってくれる存在であり,願い事を叶えてくれる存在とお答えになると思います。確かに,仏教寺院の僧侶もその様に観音様の存在を伝えていますし,観音経と云う経典の一部にもその様に書かれております。今日は,私たちにとても身近な観音様の存在を少し書かせて頂きたいと思います。

まず観音様と云っても観音様には○○観音と云うようにたくさんの観音様がいらっしゃいます。たとえば,仏教の六道思想に観るように天界を担当する如意輪観音,人間界を担当する准胝観音,修羅道を担当する十一面観音,畜生道を担当する馬頭観音,餓鬼道を担当する千手観音,そして,地獄道を担当する聖観音を六観音と申します。その六観音の内,今日は,地獄の世界で人々を救済される聖観世音菩薩についてです。私たちが一般的に呼ぶ観音さまとは,この聖観世音菩薩を観音様と呼んでいます。仏教の経典の般若心経や観音経で唱える観音様も聖観世音菩薩です。つまり,仏教界のスーパーヒーローと云ったところでしょうか。

観音様は,困っている人や弱い立場にある人を救済することを唯一の任務とされております。つまり,困っている人や弱い立場にある人を救済できるだけ強いとも言い換えることが出来ます。さらに,地獄の淵まで降りて行くことが出来る存在です。したがいまして,本当の観音様と云うのは,観音様自ら地獄まで降りて行って困っている人や弱い立場にある人の元へ行き救済するのです。決して高い場所から声を掛けて叫び続けることではありません。まさに,着の身着のまま裸足で飛び出して行くのが,私たちが祈りを捧げる観世音菩薩の真の御姿です。いろいろと諸説ありますが,私個人的には,聖観世音菩薩は,神界のスーパーヒーローが人々を救済する際に用いる御姿だと思っています。蒼き神の素戔嗚大神様で御座います。黄泉の国を統治する神は,素戔嗚大神様です。

その動画サイトで話されていた内容は「普通の人は観音様のところで厄を落としに行くんだ」しかしながら「私たちは役を貰いに行くんだ」と云う内容でした。つまり,自分たちが観世音菩薩のように菩薩行をする人になるのだと云う趣旨の話でした。ここまでの話は,私たちもいろいろなところでよく聞く話です。新興宗教でも何かと多く引き合いに出されるのが観音様です。しかし,私が思い感じたことは,何故,そこで話を止めるのか?その奥の話をされないのか?が疑問でした。なぜならば,ここまでの話を聴いて実際に人の厄を貰い,人の役に立てると信じて菩薩行を実践しても実感が感じられないどころかこの世では厳しい立場つまり,環境に立たされることが多いのです。その主な理由は2つあります。1つ目は,物質世界に人の価値観を見出すことではなく,生き方や道徳,精神世界に真の価値を見出すからです。2つ目は,私たちは常に見返りを期待してしまう様になってしまっているからです。

先にも申したように,観音様は困っている人や立場の弱い人を救う尊い存在です。しかし,ここだけに着目してもその先にある本当の姿を観ることは出来ません。たとえば,細かい日常的な事柄ですが,自分から人に挨拶をして,相手から挨拶がなければ嫌な気持ちになります。何か人に良い事をして,相手から何も感謝もされない。ありがとうも言ってもらえないと寂しい気持ちになります。中には,人に良くしてもらったら感謝するのは当たり前だ。こんなに自分はしてあげてるのにと怒り出す人も居るかも知れません。

それは何故か?です。日常生活によく在りがちな話でもあります。どうして,私たちは,その様に感じてしまうのでしょうか。もし,その様な不平や不満を抱くのであれば,それは菩薩行とはかけ離れたものです。その様な気持ちはやがて,人を恨み心を穢すことになってしまいます。菩薩行には,感謝されること。ありがとうと言ってもらえることは,はじめから予定されていないことです。つまり,一方的な行為が観音様の菩薩行ですから,相手に感謝されるとか有難うと云ってもらうとか言う話にはならないのであります。物質的な見返りがないのが菩薩行であると考えていた方が,逆に,何ら見返りを期待せず,執着することなく済みます。拝


   

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観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝

 


互いに支え,助け合い,足りないところを補う。~あの世も同じ~

2017年11月25日 00時00分00秒 | 素直の心柱
 

以下は「2016.7.14」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/c7efe19de88c661770241c447f0bc1f1記事です。

地球は丸いと思っていた花咲です。(おっ!今日は地球のはなしか?と思われた父上様,母上様,ぜんぜん違います)

最近は,あの世での仕事の御役について考えることが多いです。先日も記事にさせて頂きましたが,私は「あの世」にも仕事があって,あの世に帰ると誰でも仕事をすることになるのだと思っています。その仕事の御役は「相互扶助」と「奉仕」に基づくもので,この世での行いや「経験」に従って決まるものではないかと思います。ここで,経験と書きましたが,この「経験」がもの凄く重要な判断基準とするようです。よく失敗も財産だとか失敗も経験の内。などと励ましの言葉として耳にしますが,実はこの励ましの言葉は真理ではないかと思うのです。この世では「真理」あの世では「審理」と云う意味で使われているかもしれません。つまり,本人の「経験」を基準に「審理」されるのです。閻魔さまにです。だたし,この世で成功した「経験」だとか失敗した「経験」とかではなく,純粋に経験です。そしてその「経験から自分は何を学んで来たのか?その経験から人のために何を奉仕できて来たかの?が最も重要だと考えています。

私は,あの世で,保護司さんに成りたいと心の片隅でひっそりと思っています。もちろん,この世でも臨終を迎える寸前まで保護司としての御役が出来たら最高だろうなと想いに耽っています。しかし,保護司になるには様々な面で環境を得なければ現制度下では無理です。保護司さんは無償で奉仕する特別国家公務員です。国家公務員に特別が付くのですからすごいですね。特に,少年・少女の保護司さんを希望します。また機会があれば,保護司さんと云う仕事のことを記事にしたいと思います。

仕事柄,本当にいろいろな業種,職種の方々と出会い,毎日勉強をさせて頂いております。先日の記事「三菱財閥創始者が愛した禅寺 大本山永平寺」でも少し書きましたが,私が生まれる前に,名付け親の禅師さまが,生まれて来る私の守り本尊として聖観世音菩薩を父親に授けて下さいました。その聖観世音菩薩のことをいろいろと調べて勉強すると観音様には主に六種類の観音様がいらして,その内,聖観世音菩薩は地獄で御魂を救う御役をされているようです。つまり,あの世で地獄にいる御魂の保護司の御役をされていると勉強した結果わかりました。なんてことか!偶然にも偶然で,仕事まで縁があるとは思ってもいませんでした。

人としてもっといろんなことを学び,経験して人々に奉納して活きたいです。司法試験を勉強しているとき,司法試験の専門予備校の先生が,こんな話をしておりました。例えば,弁護士になって自分は何をしたいのですか?どうせいつかは死ぬんだから,なんで弁護士みたいな仕事に就きたいのですか?たくさん好きなことをやって,たくさんお金儲けして行けば良いのに,どうして弁護士になりたいのですか?と聞きかれたら,あなたはその相手にどのような回答を用意しますか?と云う話でした。私は今の弁護士は弁護士の本分をどこかに忘れて来ていると本気で思っておりますが,予備校の先生の話にも確かにそうだなと思えることもあります。その弁護士業界もとうとう終焉を迎えます。宗教法人も同じです。

そして,新たな時代がやって来ます。これまでの様な紛争や訴訟を仕掛け,裁判で勝った,負けたの時代はようやく終わりを告げます。神社やお寺で自分の願望や欲望を満たすだけの祈祷もいよいよ終わりです。終わり方に容赦はないようです。私のブログの左サイドに「あさひのプチ預言」に弁護士と医者について記載があります。これまでの様に「人の不幸を飯の種にしている職種」は,どの分野であろうと消滅します。その現象の中で,進化出来た者だけが生き残ります。これからの数年間は,とても厳しく,激しい時代になるでしょう。互いに支え合い,励まし合うことが如何に大切なことであるかを思い知ることになるとのかもしれません。その時は,決して慌てず,いつもの様に淡々と執務をこなしていたいと思います。

しかしながら,その厳しく,激しい事象の中で,今を生きる我々が何を学ぶかにかかっているようです。人類覚醒総試験です。学問の様な甘い試験ではなく,命をかけた魂の試験です。その先駆けは日本からで,もうすでに実施されています。このブログを読んで下さっている人も何かの縁です。これまで記事にしてきた観音様との縁ではないですが,縁と云うのは本当に不可思議ですね。

今後も神様の人類覚醒計画は着々と進み,これでもかと云うくらい試されると思います。自分一人では決して生きて行くことは出来ません。そのことは誰しもが判っているのに,自分を軸に,中心に物事の善悪を無意識のうちに決めています。自分を軸に,中心に判断すればするほど,これからは自分の計画は崩れ,さらに悪循環に陥って行く世になっています。それを気付ける人と気付けない人とで別れ,気付いた人から歩みだすことになります。もう既に,時間の短縮現象に気が付いている人もいれば,最近なんか時間が経つのが速くなった様な気がするくらいの人もいます。同じ人でありながら,感じることが全然違う。それは何故なのでしょうか。

いつものように話が逸れますが,今年は,政治家や芸能人の不祥事が多い年ですね。その中でも,薬物使用による刑事事件もありました。有名な野球選手の逮捕は,その世代の人へのメッセージが込められているかのようでした。しかし,あの事件を振り返ると,きっと,本人が現役の時,同じように有名人で薬物に手を出しテレビのニュースになった人がいたと思います。その人を見て「こいつはこれで終わりだな」「バカな奴だな」などと考えていたことでしょう。

ですが,すべての人が,明日は我が身と心得ることが大切だと感じました。テレビで,一昔前,霊能者として華々しく登場した方が,あの野球選手のことを次のようにコメントしておりました「もうこの人には未来はない」そのコメントを聴いた私は,きっと,本人も現役時代に明日は我が身と云うことを感じていれば,このような事にはならなかったのではないかと思います。                                                                    又,そのコメントをした霊能者にも明日は我が身と考えられる様になって頂きたいと感じます。

神様は,どんなことがあっても,決して見捨てたりはしません。私たちが,神様から自ら遠ざかるだけです。


  

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

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そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


神社寺院とは何か? 神職と住職の役割とは?

2017年11月24日 00時00分07秒 | 結びの心柱

以下は「2016.11.17」の掲載http://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/573c5e7d9021f794c2ab7793baf82ca4?fm=entry_awc記事です。

こんにちは。明日は,私の知り合いの人の誕生日です。18日は観音様の縁日ですから忘れません。知り合いと云ってもお互い個別に連絡を取り合ったりする間柄ではありません。ですが,立派なお母さんでもあり,子供を4人も育てている方で,少子化の日本にとって何よりも有難いことです。このご時世で子供を4人も育てているのですから,いろいろな面で大変なことがあると思います。私の存在を忘れてしまっているかも知れませんので,誕生日の明日,メールでも送って見ます。元気でいると良いです。

今日は,朝から現代社会の問題を世間に提起させた悲しい結末の事件のニュースを読みました。介護殺人と云う最近,テレビや新聞などでよく報道されるようになってしまっている事件です。私が読んだ事件は,ちょうど2006年に起きたものでしたが,主文を言い渡した裁判官も心の中で相当な葛藤があったのではないかと想像しておりました。判決当日,被告人である本人は裁判官の問いに対し「生まれ変わったらまた母親の子供として生まれたい」と云う趣旨の弁を述べたようです。この被告人の言葉に,判決を言い渡した裁判官も声を詰まらせ,目を赤くしていたらしいです。判決そのものは温情判決としてニュースでも取り上げられていたようです。しかしながら,この事件は,判決と云う裁判規範性や法的規範性の外で終結することになってしまいました。

社会に復帰した本人を待っていたのは,とても厳しい現実でした。結果,本人は自死してしまったのです。本人がいつまでも大切に保管していたものの中に,母親と本人のへそ緒が遺体に身に着けてあった小さいポーチから発見され,メモ書きには一緒に焼いて欲しいと書かれていたようです。本当にこの様な事件は辛い出来事です。これでもまだ自己責任と呼ぶのでしょうか?

昨日まで書かせて頂いてきた「神様との約束事 仕事とは祭事であるぞ。 5」でも触れましたが,神社やお寺の総代さんをはじめ護持組織をとにかく動こかすことが出来れば,自分の神社や寺院の中にいる人たちにだけでも光を照らすことが出来るのです。大きな組織や団体を形成する必要もなく。お金がかかるものでもなく,不特定多数を対象とすることもなく,自分たちの神社や寺院に所属する氏子崇敬者,檀家信徒だけで良いのです。これがはじめの一歩となって,その波は日本国中の神社や寺院に波及して行きます。

そして,年に数回,氏子崇敬者さんや檀家信徒さんに祭事の案内や法事などの手紙を郵送していると思いますので,その中に一言だけで良いので皆さんへ宮司さんと総代さんが語りかけて頂きたいのです。難しい話や用語は使わず必ずお役に立てることがあります。何か困ったことがあった時にだけ,神社(寺院)と私たちを思い出してください。それだけで十分です。」と氏子崇敬者,檀家信徒さんに言葉かけをするだけでも救われる命があり,また明日も生きてみようと思って頂けると真に感じています。

今回ブログで掲載させて頂いた起案は「買い物困難者」の情報を元に立案させて頂いた過去のものです。しかし,課題は何でも応用が出来る仕組みになっております。たとえば「災害弱者」「介護」「高齢者の交通事故」「子供の貧困」等にそれぞれ変えて起案が可能です。但し,民間の企業が主体となると失敗する仕組みになってもいますので注意が必要です。神社とお寺にいる総代を動かせと神様から教えて頂き,神様から授かったリスクマネジメントを駆使して活用してみて下さい。きっと,誰かの助け舟に成ります。

事件の本人も,自分の実の母親を自分の手によって死なせてしまったこと。自分も母親の死を見たあとに自死しようとしたが,自分だけ助かってしまった心の重み。本人にしか解らないことの苦しみと悲しみ。さまざまな苦悩があったと思います。これから日本は,人類が経験したことのない少子高齢化が本格的に訪れます。そして,あまり報道されていませんが,世界中の国が日本がどうのように少子高齢化を乗り越えて行くかをじっと観察しています。特に,中国は一人っ子政策によって,数十年後には超少子高齢化時代を迎えます。それに備える為にも日本の政策と問題点や課題を見つめているのです。最大のチャイナリスクは少子高齢化です。拝


 

   

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝

 


たがが五円,されど五円。

2017年11月23日 00時00分00秒 | 感謝の心柱

以下は「2016.12.13」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/899b7f20420f38960a4ba33132a7b8d2記事です。

こんにちは。今年も残すところ僅かしかありません。仕事のノルマと様々な準備とプレッシャーに押しつぶされそうですが,何とか乗り越えて新しい年を迎えたいと思います。さて,上の画像はご存知「五円玉」の硬貨です。この五円玉の絵柄の意味を貧乏時代に考えていた時期がありました。私たちの暮らすこの日本国には紙幣である1万円,5千円,2千円,千円と通称ジャリ銭と呼ばれる5百円,百円,五十円,十円,五円そして一円があります。当然,貨幣としての価値としては誰でも一万円が価値の高いものだと解ります。しかし,それぞれの貨幣に印刷されている絵柄や刻印されている絵柄をよく眺めていると精神的な価値は一円であります。

その貨幣の中でも五円玉の絵柄に籠められた壮大さと云うか祈りと云うか日本人としての誇りをつい感じ取ってしまいます。

左側の五円に描かれている絵柄はです。つまり「農業」を意味しています。

次に,真ん中の穴が開いている回りのギザギザは機械の歯車です。工業」を意味しており,

下の横線は海や川などの水つまり「水産業意味しています。

農林水産業とよく耳にすると思います。経済の根幹であり,五穀豊穣でもあります。

あれ?でも何か一つ足りない・・・。ような気がします。はい!それは,農水産の「」です。

私はこれを観たときに本当に凄いことを考えるなと正直思いました。誰が最初に立案したのだろうかと・・・。

その理由は,右側の画像でも見れるとおり,ちゃんと新芽の若木が左右に一本ずつ配置されています。

しかも,この若木は日本の若い人達つまり若者を意味し,

日本の将来を支え,日本国を持ち上げるのは若い人の力だと無言の教示が隠されているように感じたのです。

つまり,右の画像の音霊を言葉に変えると昭和五十二年生まれの若者たちが日本国を支えて行くと云う祈りが籠められて当時,造られたのではないでしょうか。要は,毎年毎年その年に生まれて来る子供に将来の日本を託した強いメッセージのようなものを感じてしまうのです。その為に態々,日本国の文字をアーチ状に示し「日」と「国」を新芽の若木がしっかりと下で支えて行く様に描かれているのです。今日の記事は,私個人が想うまま,感じるままに書かせて頂きましたが,皆さまは如何でしょうか?上の五円玉を観て何か自分なりに感じるものがあるでしょうか。一円は経済的な価値が最も低いですが,最も可能性を秘めているのも一円玉です。

みなさまが平穏で豊かに年を越せますように。祈


  

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観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


紛争と和解 ~失われ理性と知性~2

2017年11月22日 00時00分00秒 | 勇気の心柱

以下は「2016.8.29」 に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/2a6025572016f28b7b68ce487f747ff2記事です。

こんにちは。先日も書かせて頂いた「弱い者いじめは国賊の証です。」記事ですが,その後もいろいろな動きや思惑などもあり徐々に動き出しています。このような事が,社会では頻繁に起こり勝った負けたと喜び,悲しんでいる生活は,やはり正常ではありません。何とか争わずに終結させられる方法はないか?戦わずして勝つにはどうするべきかを模索していますけれども中々,思いつく節もありません。いくら表面は負けていても構わないのであります。最も最悪なのが勝って負けると云う愚策です。紛争をすれば必ず傷つく人が出て来てしまいますし,紛争は新たな紛争を産み出すだけのものです。そこには何ら生産性など存しない。

紛争することによって得られる利益と紛争することによって失われる利益をどう取り入れて行けるか。つまり,前者は経済的利益を優先するもので,後者は精神的利益を優先するものであります。所謂,比較較量論と云うやつです。紛争して勝った人は,後に容易く紛争を繰り返し行い,紛争によって金銭を得て行くことを無意識の内に選択して行く様になってしまう傾向があるのです。しかも無意識の内にです。そして,弱い者イジメを平気で平然として行く様にもなります。なぜか?簡単な理由です。自分よりも強い者と紛争すると負けることが分かっているからであります。だから,その様な人は自分よりも強い立場にある人とは決して争わないで,自分よりも弱い人をターゲットにして紛争をするのです。これも無意識の内にして行きます。

本当に霊能者の所業と云うものはたちが悪く,霊能者の発した無責任で抽象的な言葉で,どれ程の人たちが不幸を背負って行くのかを肝に銘じなければなりません。中には人生までも破壊することにも繋がってしまうかも知れない訳です。人は誰でも豊かに,幸せになる為に生まれて来る訳で,その為に厳しい修業を学業や仕事,家庭や社会で一生をかけて行くのであると私はそのように考えています。その厳しい修業と向き合っている人に神の言葉,仏の言葉とひょうして考えさせることを奪い,思考を停止させることがどういうことなのかを素直に考えなければならないのであります。困っている人や弱っている人がいれば,無償で何らその見返りなど期待せずに正々堂々と奉仕すれば良い訳です。私も霊能者とはよく戦いますが,長く話させると必ずボロが出ます。

わざと負けるのも1つの方法なのかもしれない,しかしながら,これでみすみす勝たせてしまうとまた次に弱い者イジメをする様になってしまう。弱い者イジメを繰り返しさせてしまう。ひと昔前とは違い,今の社会的に弱い立場にある人と云うのは本当に弱く,誰にも縋ることが出来ない状態にまで追いやられています。つまり,叫びの声すらも発することが出来ないのです。未だ弁護士や法律家などを頼れるだけの経済状況にあるのは良い方です。公的機関であるはずの法テラスなどは,同じ弁護士からもの凄く評判の悪いものになってしまい,単なる仕事がない弁護士の仕事斡旋の様なものだと言われ惨めなものであります。

戦わずして,争わずして収束させる方法と手段を祀り事の原点に回帰して考え行動しなければなりません。今の自分が持合わしている能力を最大限活用して進んで行かなければならないので,多少の不安もありますが仕方がありません。過去の歴史に学び,これまで生かされて来た中で培ってきた自分自身の経験を武器にしていよいよ鬼退治です。源 頼光さんみたいです。

これから観世音菩薩と共に行って参ります。観音様は今日も裸足です。

ならぬことは ならぬものです。拝


   

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紛争と和解 ~失われた理性と知性~

2017年11月21日 01時01分01秒 | 勇気の心柱

以下は「2016.8.12」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/641ce3be9ff5514ef0097e1329276c0c記事です。

こんにちはと言うより,こんばんはですね。楽しいお盆の期間と言うのに,あまり楽しくない事柄が舞い込んで来てしまいました。まさに,乱舞です。とあるお寺が元裁判官の弁護士に法外で不当な金銭を要求されており,その対応の為の協議をして参りました。あさひのプチ預言にもあります通り,弁護士業界も最後の悪あがきが横行して来ています。はじめから到底,認められないような理屈をいくつも主張し,訴訟価額を上乗せして行く手段は当然の如く日常的に行われてきましたが,最近は,自分の依頼者とトラブルを巻き起こす弁護士が急増して来ているようです。弁護士は,必ず各都道府県に設けている弁護士会に所属していて,各弁護士会には弁護士の非行に対し処分を下す綱紀委員会や懲戒委員会が設置されています。

しかしながら,この弁護士自治と言う身内を身内が処分すると云うものにあまり期待も出来ず,泣き寝入りしてしまう人も多いのも事実であります。私の仲間の弁護士もある弁護士会で綱紀委員会副委員長をしておりましたが,近年は弁護士と依頼者のトラブルが特に多く,その中でも着手金や報酬金のトラブルが目立つと嘆いていました。そもそも日本人には,訴訟や争いは馴染まないことですし,もっと言えば,そのようなことは遺伝子(DNA)に含まれてはいません。相互扶助と奉仕の民族でしたからそれもそのはずです。しかし,昨今は,アメリカ等の真似をしているのか何なのか訴訟社会などと言われていますから何世代も訴訟するような社会が形成されて行くと,私たちの子孫の遺伝子(DNA)には紛争や訴訟をするのは当たり前な事だと言う記録がインプットされるようになってしまいます。仏教で云うところの修羅の道です。私は,紛争や訴訟をして幸せに豊かになった人をこれまで見たことがありません。関連記事「残された道は ただひとつ。相互扶助への道。」宜しければ,読んでみて下さい。

今回,私の任務は,不当に高額な訴訟価額を要求している元裁判官弁護士の懲戒請求とお寺の護持にありますので,楽しいお盆の期間中は,修羅の世界を覗かなければならないようです。どうか皆さんもお気を付け下さい。たとえ弁護士が理屈を以て捲し立てても信じ込むのではなく,いったん冷静になって弁護士会などの無料相談や各地域の法テラスで事案の内容を箇条書きにでもして担当弁護士にまずは相談すると云うことをされる様にした方が良いと思います。理屈はいくらでも作り上げることが出来てしまいます。真に残念ですが,裁判所などで行う訴訟と言うのは正義か否か,正しいか間違いかを決める場所ではありません。

事実論理言葉を以て,相手方や裁判官を説得する場であります。要は,起きた事案に法律をあてはめて結論を導くことです。したがいまして,正しい側が勝利する,正しい主張が認められると云うのは単なる幻想です。つまり,説得できた方が勝利する世界です。理屈には理屈を以て闘い,最後には道徳論で決することでしか現在の社会は動いて行かないようです。訴訟や争いをすると云うことが,その後の当人同士の人生にどのような影響が生じて来るのか,負けた人はどの様な人生を送らなければならないのかを弁護士はもっと真剣に考えるべき時期であります。それが出来る弁護士と出来ない弁護士で生き残れるかどうかが分かれて行きます。最後には,自分が審判を受けることを認識するべきです。負けて勝つことの大切さ,戦わずして勝つ技を磨かなければなりません。つまり,比較較量論を常に念頭に入れ,訴訟することによって得られる利益と訴訟することによって失われる利益を考えるのです。

喝!


  

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先人から学ぶべきこと。

2017年11月20日 06時11分05秒 | 結びの心柱

 以下記事は「2016.12.3」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/a7e898de82ff058beacf51d05abc48fa記事です。

こんにちは。上の写真は,奈良の長谷寺「御本尊:十一面観世音菩薩」の登廊です。この長谷寺にも実は,菊理媛神様をお祀りしている場所があるのです。小さな御宮ですが,その昔,白山比咩(ひめ)神社から勧請を受けていたと云うのですから御本尊「十一面観世音菩薩」がこの長谷寺に御鎮座されているのも理由のあってのことだと思います。ちょっとした歴史探究も面白いものです。

ちなみに,長谷寺さんの白山神社へのお参りは通常,出来ません。境内の裏山に御鎮座されております。下座からは参拝できます。

さっそく,先日の記事「和の神 菊理媛神 前篇」の続きを書かせて頂きます。私なりの想像では,菊理媛神と云う神様は,紛議や紛争を円く治めることが出来る御働きも言葉が適切であるかどうか解りませんが,兼ね備えている神様であると考えております。さらに,言葉の神様でもあると感じていて,そのヒントとなったものは縄文神代以前から先住民族が暮らす地区や地域には,白山神様をお祀りされているようなのです。そして,その縄文人が最も恐れと敬遠していたことは何かと言いますと争いや紛争でした。その証拠に全国の縄文遺跡から唯一,発掘されていないものが武器です。つまり,人を殺傷するような武器は縄文遺跡からは見つかっておりません。したがいまして,戦い方も知らなかったはずです。そのことは,これまでも記事で何度か書かせて頂いて参りました。

しかし,なぜ縄文人は争うことを嫌っていたのでしょうか。好きや嫌いなどと言う感情だけではなく,もっと大きな理由が存在していたのではないでしょうか。勿論,死後の世界に対する死生観も存在していたことですし,停留思想も既にありました。この世に恨みや辛み,憎しみや怨念を残すと人(霊)は,あの世に帰ることが出来ず,この世の低い次元に停留してしまい子孫を見守ることが出来ないと云う思想です。日本仏教の死生観にある成仏と云う考え方は,この縄文人の死生観が元でもあると思っています。

今から何万年も前の私たちの祖先は,神様と直接,交信が出来ていて神様の御心をとても良く理解し,実生活の上で活かし,平和で豊かな暮らしをしていたのです。又,現代に生きる私たちとは全く違った言葉や文字(神代文字)を使い,その言葉や文字には霊が宿っていると考えていました。それを現代でも言葉や文字には霊が宿る言霊として受け継がれている精神的面があります。

争いや紛争を円く治めることの出来る神様(自論です)であり,言葉の神様(これも自論です)でもある菊理媛神様は,縄文以前から深く人々によって信仰されて来た神様ではないかと思っているのです。私も調べたことはありませんが,きっと,遙か昔の居住地や集落では菊理媛神様をお祀りしていたと思います。その名残も相まって,全国に分布されている白山神社は太古の集落地であった場所に多いのではないでしょうか。きっと,考古学を研究されていたり,個人で探求されている方であれば北陸地方や白山地区さらに,菊理媛神様に想いを馳せることがあると思います。ただ,弥生時代以降の古代日本史からを基準に考えると,結局,天津神か国津神のどちらかと云う偏った話になってしまうのです。もしかしたら隠された神様かも知れませんし,弥生時代の戦国の世から菊理媛神様みずから御隠れになられたのかも知れません。話が飛びますが,カゴメ歌伝説の謎なる解説は結構,インターネットや雑誌などでも盛んに取り上げられていますが,このカゴメ歌の最後の「後ろの正面」とは誰なのでしょうか?鶴と亀が統べった。

後ろの正面だぁ~れ?


   

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日本国憲法改正議論 いよいよ始動か?

2017年11月19日 05時53分28秒 | あさひの六法全書

以下は,過去「2016.6.25」http://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/773ce92e11f8ddbd0763b600281d67d5に掲載した記事です。

今日は,参議院選挙がいよいよスタートしましたので,憲法について記事にしたいと思います。                          私たちの暮らすこの国は,御存じのとおり法治国家であります。

法治国家とは,文字通り,特定の「人」(例えば王様)が力で治める国ではなくて法律が治める国であります。                    このような話になると憲法が国民を縛るものであると誤解される人がおりますが,憲法の役割は,われわれ国民を縛るものではなく,我々が権力を行使する側である権力者を縛るために存在するものです。これを立憲主義と云います。

そのことは明確に,憲法の条文にも明記されております。(参考までに:99条に云う憲法尊重擁護義務)                          そして,この憲法こそが,我が国の最高位に位置する法となります。

私は,この憲法を勉強すればするほど,日本国憲法の根底に流れる考えは神道に通じるものがあると思えてなりません。もっと言えば,宗教全体の根幹に触れるものではないかと思います。よく政治家や憲法学者,法律家の皆さんが憲法や法律を論じると政教分離の原則を引き合いにすることがありますが,元々,憲法も法律も宗教的な概念から出発しているものです。又,民法や刑法などの個別の法律の原形はフランスやドイツではなく,もっと宗教的な「モーセの10戒律」から来ていきます。それが拡大し,拡張して行く中で規制が増えて行ったと云えると思います。ちなみに,憲法はイギリスの貴族が自分たちの特権を守る(保持)ために国王を縛る目的で制定されたものです。(イギリスの憲法は不文法です)

又,左翼思想と云われる方が,神道と戦争を結びつけたり,天皇と戦争を関連付けたりしますが,例えば,神道の長い歴史をもっと勉強して頂きたいと思います。神道の考え方に「紛争」「戦争」「訴訟」といった争う考えはありません。                     先の大戦(大東亜戦争)では,軍の一部が暴走し,天皇陛下を利用した側面はあると私個人も考えますが,神道そのものが,戦争を誘発するようなことは決して,過去の神道の歴史をみてもありません。これは,国家神道の短い期間に起きた天皇陛下を利用した一部の限定的なお話であると私は考えます。(ちなみに現代は,神社神道です

神道に大祓詞と云う祝詞があります。この大祓詞の一部に「神集へに集へ賜ひ 神議りに議り賜ひて」という言葉があります。この言葉の意味が何を指すのか?もちろん神社の神職さんであれば勉強されていると思います。これは,神様の世界は武力などの力によって統制するのではなく,何度も何度も話し合い,互いを尊重する様子,国の統治のあり方を言葉として示したのではないかと思います。つまり,民主主義の元が大祓詞と云う祝詞に記載されているということだと考えます。相手に対し,自分の考えを伝える方法に「言葉」があります。言葉によって,相手に自分の考えを伝えるわけですから,どのような言葉を使えば,相手に自分の考えが伝わるかを勉強することはとても重要なことではないでしょうか。理屈ではなく,真理を言葉で伝えるには五つの心柱がなければ伝わらないと感じています。「天つ祝詞の太祝詞事を宣れ」「此く宣らば」この間に入る祝詞は?・・・。

立憲主義と民主主義は全く別物ですが,この辺りのことは機会があれば記事にしたいと思います。                   安部総理をはじめ,与党の政治家の皆さんにも是非とも大祓詞をもっと勉強してもらいたいと思います。

日の丸は戦う民族の象徴ではなくて,我が国は,言霊の国であるという祈りの民族の証です。                            なぜ聖徳太子が第1条に,和を以て,貴しと為す。を組み入れたのか?・・・。つつがなきや。

上の写真は,早朝の太陽神です。 


 

   

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伊勢神宮に観る国津神と天津神の約束

2017年11月18日 07時03分15秒 | 結びの心柱

以下は,過去「2016.7.2http://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/53a82881c2058d54cc8fed073a21a3f4に掲載したものです。

 

今日は,伊勢神宮について記事にしたいと思います。私も年に5.6度は参拝させて頂いております。

我が国,日本は太古の昔から神様へ五穀豊穣を祈る(感謝)国であります。その祈りは,今日の現代でも今上天皇を中心に伊勢神宮を頂点として全国の神社で御祭(祭事)されております。私は,経済の原点つまり,経済の本質とはこの五穀豊穣にあるのだと考えています。歴代の総理大臣も1年の仕事始めは,伊勢神宮からです。機会があれば神道と五穀豊穣として記事にしたいと思います。                                                                 

さて,伊勢神宮の外宮・内宮の両御正宮ともに御社殿は唯一神明造でお馴染みの茅葺屋根に掘立柱で構成されたシンプルでベストな建築様式です。世界的に観ても建築物として,とても評価の高い建築物と云われています。しかし私は,この質素にして美しい御社殿が疑問でありました。皆さんも伊勢神宮の御社殿は何かに似ていると思いませんか?

そもそもなぜ,このシンプルな建築様式が用いられたのでしょうか?そして,20年ごとに式年遷宮を斎行するのでしょうか?                                                                        式年遷宮を定められたのは今から1300年前の飛鳥時代に天武天皇が御制定され,第1回式年遷宮は後の持統天皇が最初に斎行されました。御存知の通り,我が国,最大の御祀事(神事)であります。

1300年前の日本には,既に法隆寺などに見られる建築様式が確立されていたのに何故,あの唯一神明造であるのか?            その理由は,私の個人的な考えですが,あの茅葺屋根に掘立柱の唯一神明造でなければならなかったのです。                                                               そこには,壮大で永遠なる祈りの意味が込められているのです。   

参拝するとだれでも感じて頂けると思いますが,あの親しみやすさ,馴染みやすさを感じられるその訳は,我々,日本人ひとり一人に受け継がれている遺伝子(DNA)に記憶として記録され組み込まれているからではないかと考えています。なぜか,懐かしく,親しみやすく,馴染みやすい。それは,我々の遠い縄文時代の祖先の想いにまで行き着きます。

伊勢神宮の御社殿の原形は,縄文時代の高床式倉庫がもとです。つまり,この高床式倉庫を改良したのが伊勢神宮の御社殿です。                                                                    国譲りで国津神が天津神に豊葦原瑞穂国を譲りました。そして,天津神の子孫が,國津神の子孫が最も大事に,大切にしていた高床式倉庫を最も格式の高い唯一神明造に変え,永遠に祈り続けることを約束したのです。その壮大な物語が,伊勢神宮にはあります。そして,現代でもその永遠なる祈りが毎日,お祀りされております。正に聖地中の聖地だと思います。

きっと,天武天皇・持統天皇は,敗者を祀ることの大切さ,重要さを知っていて意図的に唯一神明造にされたのではないでしょうか。それと同時に,霊的な影響も知っていたと思います。これは,もの凄いことです。国を譲った国津神の子孫である縄文人が大切にしていた高床式倉庫に装飾品を設けて造り替え,神様の御宮として大事に,大切に,お祀りをする。それだけではなく,20年ごとに御社殿を丸ごと新しくし,常に若々しく保つ。

国譲りの決断をされた国津神の神様に。決して,忘れていません。国譲りの時にお互いで取り決めた約束ごとは天津神の子孫がちゃんと丁寧に,丁重に御守り続けております。と語りかけているように感じます。1300年も続く式年遷宮は,単なる御宮を新しくするだけではないのです。敗者や負けた相手を永遠に労り,その功績を讃え,称賛する。そのことで,争うことがなく国民一体となることを何よりも望んだのだと思います。そのことは,過去様々な文献でも照見されます。聖徳太子の和を以て,貴しと為す。などもそうです。もちろん,神道の大祓詞にもあります。

私は,ここに日本人特有の精神が見て取れると感じています。敗者を先ず祀ると云う思想です。これは,その後の武士道精神の根本としても残り,現代の日本人の精神でもあると思っています。負けた者を哀れみ,負けた者に対する情けや称賛,その功績を称える。そして,それができる民族が日本人だと思うのです。

伊勢神宮へ参拝を計画されている方は,そのような考えもあるのだなと思って御社殿に参拝してみて下さい。武力によって,相手を滅ぼしたり,制圧したり支配したりする考えは日本古来の考え方ではありません。


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

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そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


旧家族時代から新家族時代へ突入!

2017年11月11日 18時31分26秒 | 勇気の心柱

こんばんは。

あと5年後,10年後には新家族と云う言葉がメディアや世間一般で話されて行くと思います。

太古(縄文以前)の昔にあったとても大切な共同体思想です。

この世が新たな文明を築くとしたら「相互扶助」しか残された道はありません。

互いに支え,助け合い,足りないところを補って行く。そんな文明社会です。

血縁者だけの旧家族時代から,共同体としての新家族です。

現代の先富論やトリクルダウンでは人類は生き残っては行けません。


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