花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

いまふたたび,南方熊楠 2

2018年03月05日 08時07分18秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。上の写真は南方熊楠さんでありますが,皆さんはこの写真をご覧になって,どのような思い,感じますでしょうか?写真を観た瞬間に感じたことが音霊「波動」であります。この音霊「波動」が人によって違うのです。それは何故なのかであります。肉眼で見るとただの人の写真です。しかしながら,心の目で観ると人それぞれに感じることが違うのであります。実は,心柱「みはしら」の正体がここにあります。誰の心にも柱は立っています。この心柱に音霊「波動」を誰であっても瞬時に降ろしています。心柱に降ろされた音霊「波動」は,思いを感じさせ,言葉を産み出します。心柱の大きさや太さは人それぞれに違うのです。

人それぞれに思いや考え方が違うと云うことは尊いことなのであります。その違いを認め合い,尊重し合いながら人と接することが思いやりに繋がり,和の仕組みを形成する大切な要素になるのだと感じています。たとえば,自分と考え方が違う,自分が思っていることと違う。だから相手を認めない。こんなことを考えながら生きていては,先は判り切っています。自分が孤立するだけです。

わたしは,何とも言えない優しい音霊「波動」を感じるのです。

純朴と申しますか,まるで少年のような眼差しであります。

南方熊楠さん以外でも,海外で同じように音霊「波動」を上手く観ていたと私が思う方が何人かおります。それは日本でもお馴染みの天才物理学者であるアインシュタインさんや369の数字にこだわり続けたニコラ・テスラさんです。私の勉強不足もあって人物に対する知識はほとんどゼロですが,偶に写真なんかを拝見するとその様に感じます。きっと,学問として体系付けするのに苦労したのではないでしょうか。結論は判っていても,それを理論的に体系的に理屈で説明することに苦戦していたと思います。

音霊を観る時,つまり波動を読み取るときによくあることなのです。観えている対象が,抽象的過ぎてなにが何だか解からないのであります。たとえば,わたしは憲法を勉強しているとき,どうも憲法にある精神は神道そのものだと感じていました。一部の人たちの間で言われている日本国憲法は連合国「GHQ」からの押し付けだから改正するのだと云われていることに実は???の部分も多いのです。自然権思想や天賦人権説まで否定するのは如何か?と感じます。どんな学問であっても最後に辿り着くのが生命です。

またいつか憲法と神道に関する記事で書かせて頂きたいと思います。

音霊や波動と云う言葉でも解かり難いと思いますから,音霊や波動とは直感やヒラメキと思っても良いかも知れません。自分が何か「違う」ことに没入していたりすると急にヒラメキがあったり,理屈もなく直感的に判ったりすることが誰でもあると思います。ですが,ヒラメキや直感で判ってもそれを論理的に相手に説明したり,体系的に説明したりすることが出来るでしょうか?

このように結論的に何となく理解できていたり,解かっていたりするのですが,あまりにも対象が大きいと云いますか大は小を兼ねると云いますか抽象的過ぎて解からないことが多いのです。ただ自分が考えていることとの関係性が解からないだけなのであります。自然の景色を眺めている時などはその典型です。自然からの音霊「波動」を読み取れる「観れる」かどうかだけです。

わたしは,これが不思議で不思議で仕方がありませんでした。だって,みなさん同じ自然の景色を見ているのに,何で人それぞれ違う思いや,感じ方をするのだろうと。同じ自然の景色を見れば,誰でも同じように思い,感じ方をするはずなのに人それぞれ違うのです。そう考えていたときに「和すること」と私の心柱に音霊「波動」が降りて来たのです。つまり自然が発している音霊「波動」は和です。人それぞれ違うからこそ和の仕組みが大切なんだと感じたのです。私たちの遠い祖先も南方熊楠さんも和することでしか人は生存することが出来ないと,その大切さを知っていたのであります。自然との共生もこれもまた然りではないでしょうか。

それでは,また明日。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝