花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

祖霊祭祀と古神道 ~ 宗教界に物申す ~

2019年03月30日 19時55分33秒 | 祭祀と和の国

こんちには。

昨日は,日蓮宗の寺院に久しぶりに伺い,製作した無縁霊さん用の祭祀壇の点検を行いました。想像していたよりも多い無縁霊さんや一時的にお預かりしている御霊さまであったので少し驚きました。久しぶりに住職さんと寺族の方ともお会いしたくさんお話をさせていただいて帰って来ました。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいます。やはり祖霊祭祀は清々しい気持ちにさせてくれます。日々の神祀りも然り,祖霊祭祀も誰を介在しない祭事は良いものであります。直接繋がるこれは先祖供養でも同じです。

現代では,お寺に先祖の供養はお願いしているからと考えている方も多くいらっしゃいますが,これは明らかに現代風の考え方と申しますか,日本古来の祖霊祭祀と云う世界に誇れる伝統とは違います。日本人が太古の昔より脈々と続けて来た先祖供養とは,生きている子孫が直接,自分の先祖と繋がると云うことを大切にして来たのであります。そもそも,祖霊祭祀と云うものはお寺つまり,仏教にはありませんでした。何度かブログで書かせて頂いて来ましたが,祖霊祭祀「先祖供養」は,既に縄文時代には祭事として先祖供養がされていたのです。又,現代の私たちが行う例えば〇回忌と云う追善供養も縄文時代には実に丁寧な追善供養が斎行されています。縄文時代には,現在のような神社神道は存在しませんし,又,国家神道も存在していませんから古神道の役割でした。

左にある検索で「古神道 祖霊祭祀 縄文時代」と検索し申し宜しければご覧ください。

それと,私の自論ではありますが,先祖供養は,私たちの遺伝子に影響を多大に与えていると感じています。私たちの遺伝子「DNA」には祖先が体験した膨大な記録が保存されています。その遺伝子「DNA」は,私たちが日々暮らしている生活や仕事,勉強に恋愛に結婚,そして病気に至るまでも影響していると感じているのです。わたし程度が理論的に説明することは不可能ですが真実だと根拠なく確信しています。直感です。私たちが自ら執り行う祖霊祭祀「先祖供養」には神秘に満ちた祭事です。そのことをよく知っていた縄文人は実に丁寧に祖霊祭祀を斎行していたのではないでしょうか。そこからさまざまな日本固有の思想が生まれ,現代の私たちも無意識の内に引き継いでおります。引き継いでいると云うよりも,これが遺伝子「DNA」の働きだと考えています。

つまり,祖霊祭祀は遺伝子「DNA」のお掃除だと言える面もあるのです。

このあたりの分野を研究されている御方が筑波大学の村上和雄教授です。

今ではすっかり,先祖の供養は,お寺でするものと言った固定観念が一般的になってしまっています。又,先祖供養は長男がするべきものだと云う間違った考え方が罷り通っています。普通に考えて見ても,長男次男と云う生まれた順番と先祖供養を結びつけること自体が滑稽な話でしかありません。遺伝子は長男にも次男にも存在しているからです。長男の遺伝子は長男遺伝子で次男の遺伝子は次男遺伝子なんてことはありません。長男も次男も共に同じ先祖を持つのです。子供でも解かることであります。

明治時代の家督制度や家制度が発祥なのか,私も勉強不足でハッキリとしたことは分かりませんが,いつ・だれが・何の目的で長男が先祖の供養をするものだと云うことにしたのか今後も研究して行きたいと思います。もしかすると祭祀継承者「墓守」から来ているのかも知れません。長男は本家を継ぎ,他の兄弟は分家となるから本家を継ぐ長男が先祖代々のお墓を御守りするのだと云うことから来ているかもです。自分で書いていて何だか研究するのが楽しくなって参りました。陰謀説かも知れません・・・(笑)。

しかしながら,先ほども書かせて頂いたとおり,いくらお寺で先祖の供養をしてもそれは間接供養で直接,自分の先祖と繋がっている訳ではありません。本来であれば,ちゃんとお寺の僧侶もそう言ったことを檀信徒さんへ教えて差し上げるべき大切なことなのですが話す僧侶はほとんど居りません。本当に残念なことであります。おそらく疑問にも感じていないかも知れません。現在の仏教は葬儀仏教となってしまいましたから,自宅でもちゃんと先祖の御霊を供養しないとダメだよと言えないのだと思います。

したがって,その結果,逆に神社や寺院は,資金などの運営面や氏子・檀信徒の離檀や先祖供養の稀薄さからお墓を閉じるひとが急増し減少の一途を辿っています。しかも,これからがとても厳しい時代を迎えることになって行きます。そのことで法律上,破産の申立てを余儀なくされる宗教法人も多く出てくるはずです。宗教界も社会構造の中に存在していますので避けては通れない道のようです。そんな厳しい時代の中でこそ,宗教家は道や法を説いて歩くべきと考えますが,宗教家自身に危機感がないのです。

神社界は,春日大社のように祖霊祭祀祭「先祖供養」を復活させるべきであります。拝

  

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心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


心柱神社の御造営と御遷宮

2019年03月28日 05時48分02秒 | 素直の心柱

こんにちは。

東と西。昼の祭祀は火の祭り,北と南。夜の祭祀は水の祀り。なんだか意味不明ですが。。。

御遷宮と聞くと二十年に一度に斎行される伊勢の神宮を思い浮かべます。ですが,わたしたちの心に鎮まる心柱神社「みはしらじんじゃ」の御宮も一定期間が経過するとやはり御遷宮が必要なのであります。しかし,その前に,自分自身で御宮を御造営しなければなりません(笑)。そこで必要となるのが御用材であります。御用材となる材料は,鎮守の森に立っている木々(心柱)で御座います。鎮守の森から柱や梁,扉や床となる御用材をいただくわけです。もちろん,御造営する宮大工の総棟梁も自分自身です。

私たちの日常生活「私生活」での思考や行動やそして行為が,鎮守の森の木々の生育に良くも悪くもとても影響しています。常日頃から感謝の気持ちを以て生活して来た人の感謝の木は,棟持ち柱に用いることが出来ると思います。又,神さまの祈り「音霊:波動」を受信する千木(ちぎ)は,素直の木を用いることも出来ると思います。何気ない日頃の行いが鎮守の森を形成する糧になっているとは夢にも思わないかも知れません。たとえば,人の悪口や自分よりも立場の弱い人をイジメたりしている人の鎮守の森には,感謝の木も素直の木の生育もあまり成長していないことになります。いつになっても御造営に取り掛かることさえ出来ません。

ところで,実際の伊勢神宮の御造営や御遷宮と云う我が国最大の神事「お祀り」では,二十年と云う長い歳月を掛けます。しかし,遷御の儀と言われる式年遷宮の中で最重要な神事(クライマックス)は15分くらいで終了してしまいます。つまり,15分の神事のために20年と言う歳月を要するのです。しかも,それが凡そ1300年間も続いて来ているのですから凄いことであります。

若干,話は変わりますが,これまで数千年続いてきたピラミッド型の階級構造に物質主義「金融」と紛争や戦争と云った戦いの文明がもうすぐ終わるのであります。次の文明がどう云った文明なのかどうか?わたしは預言者でも霊能者でもないのでよく解かりません。しかし,何年か前,太陽信仰の祭祀場であった奈良のある場所に参拝をした際「ここに来ても観世音菩薩はもういない」「衆生を救うため,観世音菩薩は裸足で山を下りました」と云う音霊「波動」を観たとき,これで一つの文明が終わると確信したあの日。子どもの頃に「この世からお金が無くなる」と訳も解からずそう体のどこからか聞こえて来た声なき声の存在がありました。

高天原「心界」に御鎮座されます心柱神社の御造営の時節が到来しております。そして心に最高神を祀りましょう。さらに,八咫鏡をピカピカに磨きましょう。それぞれ個人個人各々が,これまで培い,育ててきた鎮守の森で成長した御神木をいただき,心柱(みはしら)を用いて御用材とし立派な御宮を御造営して戴きたいと思っています。先ずは,その準備(段取)から始めなければなりません。わたしも立派な御宮を御造営できるように頑張ります。そして,御用材の残材で下駄を作り観音さまに履いていただきたいです。日々の生活を一生懸命に努力して,繰り返し繰り返し続けて行くことで,きっと,いつの日か履いて下さると思っています。

焦らず,慌てず,どんな時でも,自分自身に出来ることを一歩一歩,実直に。

ひとつ。またひとつ。そして,またひとつ。地道に熟して行くしか道はないようです。

Festina lente

ラテン語で,ゆっくり急げと云う意味です。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。 

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


神棚を設け 神さまを迎え お祀りをする。

2019年03月26日 20時00分00秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

すっかり,暖かくなって過ごし易くもなって来ました。先日,春の祖霊感謝祭(お彼岸)も無事に終了することが出来ました。

しかし,まだまだ日毎,寒暖の差が激しいので,皆さま御身体ご自愛下さい。

今日は,私が神社や寺院の護持に携わるようになって不思議に感じていましたことを書きたいと思います。

その内容とは,これまで,神社や寺院を通じて多くの方々と出会うことがありました。

人と人との出会いを「一期一会」と表現したり,「袖振り合うも多生の縁」などと申し上げることもあります。当然,私の職上柄,奉仕させて頂いている神社や寺院を通して知り合うわけですから,神仏に対する崇敬の念をそなえた方々でもあります。そう云った方々の中でも特に,会社を経営されている経営者や個人で商店を営んでおられる個人事業主さんに共通していることが御座います。

それが,会社の事務所や社屋,そしてご自宅おいても神さまや仏さまを丁寧にお祀りされていることであります。理屈では到底説明のつくことでもありませんが,私は,いつもそこに不思議さと申しますか,何か特別なものを感じていました。なぜ,会社や商店では神棚を設け,神さまをお迎えし,お祀りするのか?その理由は,ただ単に商売繁盛や千客万来と云った所謂,祈願信仰や自分だけの願望を叶えて貰うことへの現われだけではないと感じることが度々あります。

その理由を理論的に説明しろと言われても説明のしようがありません。

それは,神さまをお祀りすることに論理や理屈は必要ないと私自身が考えているからでもあります。その証拠に,現実的に多くの企業や個人商店,一般のご家庭においても神さまや仏さまを丁寧にお祀りしています。それどころか,行政官庁でも神さまをお祀りしているのです。神仏をお祀りすることに理屈は必要ないと考えますが,皆さま方は如何でしょうか?

それでは,神棚を設け,神さまをお迎えし,お祀りする意味とはなんでしょう?

私なりの解釈ですが,会社の経営者や個人事業主さんであれば,お客さまとの出会い,取引先とのご縁,そして共に働く仲間たちへの感謝の気持ちが根底にあるからではないでしょうか。すべてに感謝すると云うことは,企業や個人商店の経営にも通ずることだと考えます。それと,きっと,私たちの日本人の独特な宗教観と申しますか,日本人特有の信仰心なのかも知れません。

我々の遠い祖先から脈々と受け継がれて来たDNA(遺伝子)による働きでもあるようです。私たちの先祖が大切に受け継いで来た神さまへの神恩感謝への想い(精神)は,私たちから次の世代へと継承して行き,未来永劫絶えることのないよう願うばかりです。

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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知って下さい天河神社。行って見ようよ天川村へ。8 再掲載

2019年03月22日 18時44分00秒 | 美しき水の国

こんにちは。エメラルドグリーンに輝く天川村の天ノ川です。ちょうど撮影しているとき,野生の鹿と出会いました。

天川村と天河大弁財天社「通称:天河神社」をテーマにした記事も今日で「その8」になりましたので,末広がりと云う意味でも今日で結びにしたいと思います(笑)。そして,その1からその7まで長々とダラダラと書いてしまったのでその内容を少しだけ整理しながら今日も書かせて戴きたいと思っております。インターネットなどで天河神社を検索するとさまざまな情報を入手できますが,難しいことはさて置き天川村一帯と天河神社は古神道の神域中の神域であると云うことです。参拝すれば何か良いことがあると云った次元ではありません。私はむしろそう云った所謂,願掛け信仰では参拝されない方が良いのではないかとさえ感じています。

南朝の天皇家が吉野を本拠地とした理由もここに在るのかも知れません。

そして,役行者さんや空海さん,日蓮さんの最大の修行の場となったのも解かるような気がします。

大自然や自然のエネルギーが強いところほど本来,易々と人間が立ち入って良い場所とは限らないのです。このブログでもこれまで書かせて戴いて来た御神体への入山にしてもそうです。その証拠に天川村一帯からは平安時代以前の遺跡物が見つからないと言われている所以なのです。流行りのスピ云々,霊能云々と云った御一行での興味本位の参拝はくれぐれもご注意された方がご自身の身の為です。さわらぬ神に何とやらと云う言葉もありますから。願いを掛けるという「願掛け」の言葉を一旦,ぜんぶ「ひらがな」にして,ご自身で別の漢字を当て嵌めて見て下さい。漢字を当て嵌めると本来の言葉の意味とは全く違うものとなることもあるのです。

それでは,その1からその7までの記事を整理しながら書かせて戴きます。

その1では,奈良県吉野郡に天川村と云う自然に恵まれ,水の聖地があると云うことを書かせて戴き,その水の聖地には太古から水の神さまをお祀りしている天河大弁財天社「通称:天河神社」と言う古神道系の神社が今も御鎮座されていることをご紹介させて頂きました。又,たくさんの芸能人や芸能関係者,企業経営者の参拝者も多く,神社を運営する為に必要な資金が不足しているようにも感じていましたので,神社を運営するには護持を司る総代会の組織を改革し,崇敬者さんの中から総代会に参加してもらい一般の参拝者とともに古神道の成り立ちや歴史,国家神道と神社神道の違いを学べる機会を設けることを強調させていただきました。

その2は,無視して頂いて結構です。つい,私事を書いてしまったので,あまり面白い話でもありませんので(笑)。

その3では,天河神社だけに限った事ではなく,現在,神社の運営は実に厳しい環境下に置かれていて,これからも人口の急激な減少も相まって増々,神社を運営して行く環境は厳しい状況下におかれて行くということを書かせて戴き,記事の最後に神社を運営・護持して行く上でもっとも資金が必要になるものが神社の祭祀施設「建築物」に在るのだと云うことも書かせて戴きました。

その4では,上記,その3の内容に基づき,特に自然災害のような場合になると突発的な資金的困難に陥ることがあるので,そういった困難な事柄に直面した場合,はたして氏子さんだけで神社を護持「御守り」することが出来るか否かと云ったことを問題提起させて頂きました。その為には,やはり全国に存在する崇敬者さんの力添えがなければ難しいと云うことも書かせて戴きました。

その5では,あらためて天川村と云う場所の素晴らしさを伝えさせていただきました。星々の輝く光がとても強く,わたし達の祖先は,天空に光り輝く星々で水の聖地であることを感知していたのではないかと云う私なりの感想も書かせて戴きました。天川村は世界に誇る水の聖地であります。そして,神社の護持には3つの役割「柱」があることをご紹介させて頂きもしました。3つの護持とは「神社本体の運営」と「祭祀施設でもある建築物」そして何よりも大切な「氏子崇敬者と一般参拝者」の3つの護持でした。

その6では,上記の3つの護持をバランスよく意識して神社の運営に役立てて行くことが大切なことであり,さらに,人の護持をより具体的に具現的にするために法律家などの専門家と提携して,予め氏子さんや崇敬者さんの生活に万が一の不測の事態が起きた場合も事前に想定し対処できる仕組みを書かせて戴きました。そして,不定期ですが法律家による無料法律相談会を開催することを提起させて頂きました。これはとても大切なことで,わたしも実際にお寺ですが実例が幾つか御座います。最後の方で少し,神社が護持を司るようなことはせずにあくまでも神社の護持の主体となるのは氏子崇敬者さんであると云うことも書かせて戴きました。

その7では,護持の話をメインに,天河神社の祭祀行事に日本古来から伝わる重要な祭祀の一つでもある祖霊祭祀を神道に復活させてはどうかと云うことを書かせて戴きました。祖霊祭祀「先祖供養」は,本来お寺の役割ではなく,神道の役割であったと云うこともお伝えさせて頂きました。そして,祭祀の祭は氏子さんや崇敬者さんが担う護持にあり,祭祀の祀は神社の宮司さんや神職さんの役割であると書かせて戴きました。つまり,祭祀には祭と祀と云うそれぞれ別々の役割があるということをお伝えいたしました。

ざっと,その1から昨日のその7までを少しだけ整理しながら再度,書かせて戴きましたが,やはり,今の神社神道に必要なのは温故知新であります。神社本庁を頂点として全国に都道府県神社庁を傘下に置いて,各地域の神社を統括して行くような組織形態の意味はどこにあるのでしょうか?神社庁に所属している地域の神社の宮司さんは神社本庁や所属する神社庁の顔色ばかり窺いっているのではないでしょうか?ましてや,政体「統治」を司る政治に口を出したり,一方,政治家が祭祀に口を出すような姿勢は,日本本来のまつりごとではありません。宗教団体が政治政党を結成し,国政に関与すると云うことがどう言ったことであるのか?

以前にもこのブログで天皇陛下の国体論と政治家の政体論を書きましたので宜しければ参考にお読みください。国体とは「祭祀」であり政体とは「統治」を意味します。この2つが合わさって結びとなります。なにか国体と政体と云うと概念が大きいですが,たとえば神社「祭祀」と氏子崇敬者さん「統治」の関係も同じであります。祭祀を執り行う国体には国体としての務めがあります。統治を行う政体にも政体としての役割がちゃんとあります。何かその大切なことを忘れてしまっているように思えてならないのです。

声を大にして言いたいのですが「統治は祭祀に付き従い,祭祀は君臨すれども統治せず」これが日本と云う国家です。

これまで天河大弁財天社には,何度か参拝をさせて戴きましたがとても優しい波動をいつも感じています。まるで自分の母親のような波動です。京都にも天河大弁財天にとてもよく似た波動を感じる神社が御座います。それは京都に御鎮座される貴船神社であります。貴船神社の奥宮と天河大弁財天社の波動は本当に良く似ています。貴船神社も天河神社も共に水の神さまをお祀りしております。以前から,このブログでも何度か天川村の秘水でもある「ごろごろ水」をご紹介して来ました。我が家の神棚の神さまへ天川村のごろごろ水をはじめて奉納できた時の感動は未だに忘れることが出来ません。御水マニアの私としては,ここ天川村の秘水は唸るほどの名水であります。水そのものから発している波動がもの凄いのです。満天の星々がキラキラと輝き恋するほどの御水です。

近年は,山道の整備も実行されて天川村へ行きやすくなっています。

春を迎え,温かくなって来ましたのでこの機会に奈良県へ旅行などに行かれる方には是非ともおススメしたい場所であります。

水の神さまへ。感謝。

  

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


祖先を祀ることの大切さ。 再掲載

2019年03月19日 06時44分27秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

昨日18日は観音様の縁日の日でもありました。そして春の祖霊感謝祭が23日の彼岸明けまで続きます。

そこで今日は,私の好きな神道家でもあった春日大社の前宮司「葉室頼昭」先生が生前に書かれた「御力」と云う本の中から一部抜粋し,ご紹介させて頂きたいと思います。これまでもブログで葉室先生の著書や内容の一部についてはご紹介をさせて頂いて来ましたが,神道の奥義は日常生活の中にこそ存在し,且つ与えられた環境の中で努力することで誰でも神様との縁を結ぶことが出来ると私は感じております。さらに,互いに足りないところを補い,支え合い,助け合うことが神様の御心そのものだと想っています。

神恩感謝に心音感謝。毎朝毎夕祖霊に感謝。

以下,葉室頼昭先生の著書「御力」より一部抜粋です。

第5章 神を敬い祖先を尊ぶ。祖先を祀ることの大切さ。

今,我々が言うところの祖先というのは,何代か前に初めて今の商売を始めた人だとか,

今住んでいるこの地方に住みついた人とか,何かを始めた人を指しています。

もとろんそれより先に続いている祖先がいるはずなのですが,

祖先というと何か現代につながる生活というか,生き方をしてきた人を祖先と感じているのではないでしょうか。

例えば日本人の祖先と言ったら,日本人の共生という,自然と一つになるという生き方を始めた人たち。そして,いわゆる我々が喋っている日本語という言葉を通して,お互い心が通じ合うようになった人たち。だから祖先というのは物質的なものではなくて,我々と共通の生活習慣というか,そういうことを始めた人を日本人の祖先というのではないかと思います。

遺伝子学的に言うと,そういう祖先の記憶が我々の遺伝子にも入っているのですから,

それをフルに活用していくということが「いのち」を伝えるということであって,

これが民族が栄えていく本当の道ではないかと思います。世界には,いろいろな民族が暮らしていますが,日本人のように祖先の祀りを常に行う民族というのは,数少ないのではないかと思います。

それにはさまざまな理由があると思いますが,一つには,やはりこの日本列島というところに長年住んでいるうちに生まれた自然と共生するという生き方があります。この共生というのは一緒に生きようというのではなくて,一つになろうという,そういう世界でも稀なる生き方です。

これが原点になって,そこから神様や祖先に生かされていることに感謝するという生活が育まれてきたと思うのです。

外国の宗教,例えばキリスト教であれば,天に神様がいらっしゃって,その神様が天地のすべてのものを造られたという考えで,神様は人間とはまったく別の世界におられ,その神様に人間はいろいろなことを願うというのが一般的な宗教の形だと人々は思っています。

しかし日本人はそういう考え方ではなく,この章の初めにも申したように「古事記」の一番最初「神代編」に,神様が生って生まれると記されているように,神様もある実在の世界から生まれていらっしゃる。最初に,天御中主神様の御心というか,知恵というものがまず現れてきて,そこにムスビの神様が現れ,その知恵が結ばれて次から次へといろいろな神様が現れ,そしてイザナギ・イザナミの命ご夫妻の神様が誕生され,そしてたくさんの神様をお産みになった。

この考えは,神様の御心からすべてのものが生まれ,そして神様と人間は全部つながっているということです。

こういうところから神様とも祖先ともつながっているという考えが生まれてきたと思うのです。

すべてがつながっているのですから,あの世で祖先が幸せになってくれなければ,我々もまた幸せにはならない。当たり前のことですが,そういう考えで昔から日本人というのは祖先の祀りを行って来たのです。

神社で行われているお祭りについても,祖先のお祭りに関わるものが数多く行われています。

神社にはいろいろな神様がお祀りされています。過去に実在していた方もおられるし,また高天原におられた天の神様もいらっしゃる。こういう神々もすべてつながっている。要するに神様と人間は別個のものではないという考えで,そして常に神様をお悦ばせすることを行い,神様と一つになろうということでずっとやっているのが神社の祭りなのです。

これを医学的に見るならば,祖先からの遺伝子というものが我々の体の中に入っている。

お父さん,お母さんと同じ遺伝子がこの体の中に伝わってきているわけです。

考えたらこれは非常に不思議なことで,この遺伝子というものの中には,何もしなくても働く遺伝子もありますが,中にはこちらから働きかけなければ活動しない遺伝子もあります。

ですから,こちらから祖先に感謝するとか,そういうことをしないと働かない遺伝子もあるわけです。

つまり,常に祖先の祀りをする。

そうすれば医学的に祖先から受け継いだ遺伝子が目覚め,その働きによって我々も健康で幸せな生活を送ることができる。

こういう遺伝子という観点から見れば,祖先のお蔭で生かされているということは事実であり,

その恩に感謝するということは当たり前のことです。

以 上

  

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

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菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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忘れ去られた御霊の供養 再掲載

2019年03月18日 07時31分25秒 | 祭祀と和の国

 

こんにちは。何年か前に仏教に倣って御経文を短いものですが作成したことがありました。

我子孫 祖霊飲食 祖霊衣服 祖霊住居 祖霊薬薬 祖霊安寧 祖霊平穏 一心観世音菩薩 祈

我祖先 子孫飲食 子孫衣服 子孫住居 子孫薬薬 子孫安寧 子孫平穏 一心観世音菩薩 祈

子孫は,祖霊の飲食,祖霊の衣服,祖霊の住居,病気の祖霊に薬を,祖霊の安寧,祖霊の平穏を一心に観世音菩薩へ祈ります。

祖先は,子孫の飲食,子孫の衣服,子孫の住居,病気の子孫に薬を,子孫の安寧,子孫の平穏を一心に観世音菩薩へ祈ります。

きっと,わたしたち子孫が先祖を想う気持ちも,先祖が子孫を想う気持ちもあまり変わらないのではないかと感じたので,ただ感じるままに作成してみました。わたし達の先祖の中には,食べるモノも着るモノも無く,そして住むところもなかった先祖がたくさん居たはずです。日本史の勉強をしているとき,平安時代と鎌倉時代が一般庶民に取ってどう云った時代であったのかを学んでいるとき大変な時代を生き抜いた先祖に,どうかあの世で楽になってもらいたいと祈るばかりでした。それで,日本の仏教各宗各派が平安時代と鎌倉時代に集中的に誕生したのもよく理解出来ました。あの世に帰ってまで不憫な思いをさせる訳にはまいりません。

その時に降りて来たのが,自ら手を挙げ名乗り出よと云う「勇気の心柱」でした。

昨日から始まった春の祖霊感謝祭「春のお彼岸」ですが,日曜日と云うこともあってたくさんの人が,お墓参りに行かれたことだと思います。日中は天候にも恵まれ,丁度良いくらいの気温で過ごしやすかったと思います。わたしは,無事に春の祖霊感謝祭を迎えることができたことを地域の氏神さまへ報告に参拝に行かせて頂きました。それから御先祖さまにお供えする御供物の買い出しに出掛けたのですが,お寺の近くにあるお墓を見るとほとんどのお墓に供えられてる御花が綺麗な御花に交換されておりました。

春・夏・秋と日本には伝統的な祭祀文化という独特な祭祀形態が存在します。これは,世界的に見てもおそらく日本だけではないかと思います。祭祀継承者であることの証である菊の紋章を戴く国「菊紋章とは世界祭祀の継承者と云う意味」ですからそれもそのはずなのですが,わたし達の先祖は,私たちがお墓参りする先祖だけではありません。これは近年,特にお寺でも話題になっている事柄ですが少子化の影響で墓守がいない又は,いなくなるケースが増えて来ているのです。お寺の経営は難しくなるばかりです。

たとえば,両親の間に生まれた子供が1人で,その1人が女の子であった場合,将来はお嫁さんとして他家に嫁いでしまいます。そうなるとお墓を御守りする人が居なくなってしまう為,今の内にお寺に離檀「檀家を抜ける」の申し出をする家が増えて来ていたり,そもそも子供がいない夫婦もおりますので増々,墓終いするケースが多くなって来るのではないかと想定されて来てもいます。

わたし達がお墓に御参りに行く先祖と云うのは大抵,何代か前の自分から少しだけ遡った先祖だけですが,わたし達の先祖の中には当然,お墓にいない先祖もいるのです。むしろ,そう云った先祖の方が多いと言った方が正確であります。たとえば,この世に肉体を持てなかった水子さんであったり,今は無縁仏として合祀されていたりとどんな家系にも膨大な祖先がいます。子孫に直接,供養してもらえる先祖もいれば,供養どころかお墓もない先祖もたくさんいるのです。つまり,忘れ去られた先祖の存在です。そう云った膨大な先祖の御霊は,何とか自分の存在を知らせようと生きている子孫へ様々な形で自分の存在意思を示そうとするものです。

本来は,そう云った所謂,寺院関係者などの間で呼称されている無縁さまは,お寺の住職さんが子孫に代わり全身全霊で御霊供養をして行くのですが,真に残念なことにそう云った本物の宗教家が少なくなっているのが現状であります。その理由は様々ですが,一番大きな理由は宗教家が宗教屋に成り下がってしまったことではないでしょうか。つまり,大きな観念で言うと政体事に宗教家が関与するようになって来てしまったのです。その政体の最たるものが「寺院運営における制度整備」と「お金の取り扱い」です。

この辺のことは書き出したら切がないので,この辺りで留めて置きます。

今日は,無縁仏も大切な私たちの先祖であると云うことを書きたくなりました。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


海を渡った和の仕組み。 Ⅲ

2019年03月15日 08時55分20秒 | あさひの六法全書

こんにちは。

上の写真は,伊勢神宮・内宮の別宮である瀧原宮の御手洗場で御座います。今日の記事とは関係ないのですが,この写真は,私の部屋にも額に入れて飾っているものでもあります。ですが,この写真はとても幻想的な写真でもあるのです。どう云うことかと申しますと,皆さんは,この上の写真を観て太陽に照らされた昼間だと想われますか?それとも月と星の輝きによって明るい夜間だと想われますか?答えは昼間に撮影した写真ですので,太陽の光に照らされた昼間です。しかし,部屋に飾ってある写真を観ると夜間であるような月と星の輝きによって明るくなっているときがあるのです。そう観える時は,夜です。つまり,夜になると写真の中の風景も夜に変わり,昼になると写真の中の風景も昼になるのです。信じられることではありませんが幻想的な写真であります(笑)。

それでは,昨日の記事の続きを書かせて戴きます。

リスクマネジメントを追求していくと,その先には和の仕組みがありました。そして,さらに和の仕組みを追い求めて行くと日本古来の古神道に行き着くのであります。日本人は再び,日本人であることの誇りも自信も自覚も取り戻さなくてはなりません。右翼だ左翼だのそんな次元の話ではなく,又,好きだ嫌いだの勝手なことでもありません。暗く冷たいと云う日本人は本当の日本人ではありません。日本人は,明るく温かいと云うのが本来の太陽の子でもある日本人であるはずです。太陽神の分魂を宿しているのです。

一昨日の記事で,六法の中に民法と云う法律があって,その民法典の中に契約と云う分野があると書かせて戴きました。さらに,契約と約束の違いは何かと云うところで終わりましたが,先ず,後者の方の契約と約束の違いは,法的拘束力と云う効果をもたらすか否かを当事者同士で予め予定しておくことであります。契約は当然,法的拘束力が伴います。しかしながら,約束と云うものは法的拘束が伴わないものを指すのであります。したがいまして,契約も約束も当事者の意思によってもたらす効果が違ってくるのです。

勘違いしている弁護士と議論していると契約書は自分を守る大切な手段だ!などと真剣な顔で話しているのを見るとなんだか可笑しくなってしまう時があります。なぜならば,契約と云うのは性悪説に立脚して締結するものではありません。それでは相手をはじめから疑っている証になってしまうからです。契約書を締結する本当の意味は相手に損失を与えないようにするために予め目に見えるカタチで書き記すことに在るのであります。自分を守ることを最優先した思いやりのない契約を本当にしたいと思いますか?

何年か前に,お寺の住職さんに契約書の作成を頼まれて作成した時がありました。その契約書は,お寺の工事に伴う工事請負契約書でした。契約書を作成する上で必要なカンファレンス「会議・検討・協議」を何十回と行い,契約内容を作り上げて行きます。そしてようやく契約書を作り上げる時に,住職さんから「あさひちゃん。契約書はこちらの有利に作ってね」と言われたことがありました。きっと,住職さんも私が双方対等な契約書を作って来ることを予見していたのだと思います。わたしも当然,どちらかに偏った契約書など作る気はありませんでした。わたしもハイハイと軽く受け流して住職さんには解からないように契約当事者双方が対等な立場で目的が達成できる契約書を作成しました。自分のことだけ考え,有利に機能するような契約書は契約書ではありません。

この世の仕事とは,どんな仕事であっても祭事なのであります。

大切な契約書を締結する場合の大事なポイントは,契約書に書かれている言葉の羅列そのものではありません。そんなことよりもどういった経緯で契約締結までに至ったのかを示せる方が大事なのであります。経営者の方であれば,たくさん契約書を作成すると思います。しかしながら,契約書は保管していても契約を締結するまでの経緯書面を契約書に添付してある経営者はほとんどいません。大切なのは,契約書ではなく契約に至るまでの経緯です。契約書が完成されるまで,どういった話し合いがされて来たのかの方が重要な事なのです。紛争や訴訟などになるような契約書を見るとだいたいどちらかに偏った身勝手な契約書が多いのが特徴です。

したがいまして,海を渡った和の仕組みが外国でリスクマネジメントとして変化して,再び日本に戻って来ました。リスクマネジメントと呼ぼうが和の仕組みと呼ぼうが,その根本となる精神は自分に主眼を置いたものではなく,すべての出発点「土台」は相手のことを思いやることから考えられたものなのであります。どんなに人間が進化を遂げようが普遍的なことは存在するのであります。相手の立場を思いやることも相手の立場を考えながら人との付き合いをして行くことも人が生きて行く上でとても大切なことであるはずです。そう言った大切な事を忘れて行く先には,やはり,豊かで幸せな生活は予定されていないのではないでしょうか。

洋服を着ていても心の中は「和」でいたいものです。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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スサノオブルーのチルドレンたちへ。 ~YELL~ 

2019年03月14日 04時22分50秒 | 歓びの心柱

こんにちは。

これまでも現代の若者について,このブログでも書かせて頂いて来ました。世間では,最近の若者はと言われることがありますが大丈夫です。エジプト文明の頃から言われ続けて来たのですから気にする必要もありません。私は,最近の若者を見ると本当に立派な若者が多くて凄いなと感じています。礼儀正しく,優しくて,そして,あまり欲もないような感じもします。その若者の中でも,特に今の10代の若者が20歳を過ぎる頃,世界を牽引して行くのではないかと期待もしているのです。冗談ではなく本当に。

この世代は,あまり贅沢を知らず,ステイタスにも興味がないようです。又,貧富の差を経験している子供も多く存在します。たとえ自分では経験していなくても,周囲の友達が給食費も払えない事や塾に行きたくても行けない事や夏休みに何処にもいけない事を肌感覚で知っているようです。そう言った小さな子供のときから自分ではどうすることも出来ない事に対する思いは,やがて,実体験を通して経験した慈悲の心を自然と身に付けて行きます。慈悲の心はまるで自分で体感して来た感覚として残りますので,自分が経験していなくても直感で真実を見抜きますし,だいたい大人の嘘なども瞬時に判りますから嘘偽りが通用しません。

マスコミは直ぐに,若いスポーツ選手や芸能人など有名人ばかりに目を向けますが,むしろそう言ったスポットライトの中にいる子供よりも,そうでない子供たちに私はもの凄く期待しているのです。そして,その子供たちが成人を迎えたころ社会の役に立ちたい。困っている人の役に立ちたい。世界で挑戦したみたいと奮起して行ってくれることを心から願っています。

そう云った子供たちが和の国である日本にどんどん生まれ出ています。

きっと,魂の経験値が高いのでしょう。肉体は若くても魂の年齢,つまり,輪廻転生を多く繰り返してきた魂です。その魂が現代に続々と生れ出て来ているようであります。人は誰でも年齢「世代」に関係なく,生まれて来る前に宿命を宿して来ます。運命とは違い,決して変えることの出来ないことが宿命です。古神道では,今世に生れ出る前に,あの世で神さまと相談した上で,生まれ出る環境を自分で設定して神さまと共に誕生して来ます。これを産土神と申します。つまり,誰の心の中にも存在する神さまです。

そして,産土神と共に一生を共に歩んで行くのです。

郵便局で配達員のアルバイトをしていると,小包の配達を1日だいたい100件以上は配りに回ります。朝から夜遅くまでひたすら配達することだけ考えて時間指定の荷物は限られた時間に間に合うように注意しながら配達をしています。そう言った中で,小さな子供のいる家庭に配達に行くと本当に感心することがとても多いのです。小学生くらいの子供たちはとても礼儀正しく,ちゃんと最後には「ありがとうございました」と頭をさげて挨拶をして来ます。まだ仕事と言う概念が備わっていないので,心からの「ありがとう」なのです。見るからに賢そうな子供たちばかりです。私も将来,子供たちの御役に立てることを仕事を通じてやって行こうと考えております。特に,貧困層の子供たちの御役に立てれたら良いなと思っています。日本で生活している子供たちに国籍や生まれたところは関係ない話です。国家間の争いや紛争は政体を司る人たちで河川敷にでも行って殴り合いの喧嘩でも何でもして下さい。

今の世界の政治家は,国民の命と云うものを神さまからお預かりしていることを忘れています。

理屈にもなっていない屁理屈ばかり。

破綻した論理ほど惨めなものはないことすら判らず,不知な頭脳をさらけ出し。

自ら滅び行く哀れな姿よ。神が預けし御子の御霊を傷つけ汚すは神への冒涜。

毎日,苦しい中でも何とか一般の生活をしている国民と平穏に暮らしている子供たちを巻き添えにして欲しくないのであります。神さまは全てをご覧になっています。自分の先祖もすべてを観ています。自分の胸に手を当て考えて見れば答えは出てくるはず。もしも,何の答えも出てこないのであれば,それは単なる努力不足でしかありません。大いに省みて猛省しなければなりません。

心配,不安は穢れの根源。穢れとは「気枯れ」つまり,気が枯れること。神さまが最も嫌うエネルギーであります。穢れに触れると私たちの身体は病気になります。私は,いつも上手く出来ているなと感じていますが,これも神さまから日々の行い生活を省みろと云うひとつのサインなのでありましょう。すべての子供たちが豊かに平穏で暮らして行けますように。祈念いたします。拝

自分の事など形振り構わず,子供の為にとパートをしながら一生懸命育ててくれた母上様を大切に。合 掌

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

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わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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食「直会」を通じた神社の護持。 再掲載

2019年03月12日 18時30分35秒 | 歓びの心柱

こんにちは。

以下の記事は,昨年4月23日に書かせて戴いた過去記事です。

先日もブログで記事にさせて戴いた奈良県の吉野郡に御鎮座される龍神が棲息する丹生川上神社下社と云う日本最古の水の神さまをお祀りする神社で,食「直会:なおらい」を通じた護持を取り入れているようで大変興味深く拝見させて頂きました。そもそも神道に伝わる直会とは,天の神さまからの御恵みと大地の神さまからの御恵みに感謝を申し上げ,神さまのエネルギーを自分の身体に吸収させることを目的とした日本古来の食に対する食文化の1つでもあり,現在の神社神道においても重要な神事でもあるのです。

前にも確か,京都の貴船神社で御日供講と云う護持制度を紹介させて頂いたことがあったように思います。この御日供講と云う護持も心ある不特定者から少額な資金を集め,神さまへ奉献する食事「御神饌」を調達することを目的とした護持であります。現代の金融ファンドの元になったのではないかと私は考えているのですが,そんなことは横において置いて,丹生川上神社下社では八百万神直会倶楽部と云う名称で活動を食を主題に展開されております。倶楽部会員には毎月一度,神さまへ御供えした御神饌が自宅に届く仕組みのようです。左上の写真が,その御神饌のようで丁寧に包装された御神饌に宮司さんの御言葉を添えて発送されています。

現在の宮司さんは皆見元久宮司であります。

皆見先生は,今に感謝と云う信念で神社の宮司を務められているようです。又,皆見先生が倶楽部の代表発起人となって設立された八百万神直会倶楽部も設立時の理念は「人は,人の為に生き生かされる」を根本理念として取り組まれているようです。わたしは個人的に,皆見宮司は,古神道家でもあると感じていますので,今ではとても珍しく貴重な宮司さんでおられると想っています。

御利益を説かれる宗教家はたくさん居ますが,森羅万象の中心の座が感謝であることを理解されている宗教家となるとほとんど存在しませんから,私にとっては古神道家と言えるのです。奈良県の吉野と云う山深い祭祀場所から人はなぜ生きるのか?と云う人間の最大のテーマでもある事柄に真正面から真っ直ぐに向き合われている御様子です。その丹生川上神社下社が現世に生きる私たちに何を伝え,又,後世の子孫に何を伝え残すのかとても楽しみであります。右上の画像は,皆見元久宮司が書かれた著書であります。

感謝の心を主題としているようです。

八百万神直会倶楽部の内部のことまでわたしも詳しい事はよく存じませんが,通常の神社内に設置する崇敬会と同様の神社直轄の組織体ではないかと想像しています。いずれにしても,人間が生きて行く上で欠かすことの出来ない食を主題に神社の護持も考え,神さまの御心を倶楽部会員の皆さまへ発信して行くと云う発想は素晴らしいことではないかと感じております。食は人が生きて行く上の根本でもあります。食生活が乱れれば,人の心も乱れ,身体にも良くありません。現代病の根本的問題は,食生活にあるとさえ私も感じています。食生活が悪化し,その上で,ストレスを多く抱える社会ですから人の身体にも良い訳がないのであります。

五穀豊穣を祈る私たち日本人が,日本で生産された農産物をいつまでも食べて行けることが出来るように,そして,若い人たちが農業に興味を持ち従事できる環境の整備と水資源を確保できる法整備を国家は,今の内に着々と進めて行かなければならないとブログでもこれまで何度も書かせて戴いて来ました。そう言った大切なことを神道を通じ,難しい言葉ではなく,誰にでも理解できる言葉で一般の人々にも伝えてくれることを祈っています。又,食を通じて八百万神倶楽部さんには頑張って頂きたいと思います。

祭祀司と護持司が共に古神道の精神「自然崇拝と祖霊祭祀」を後世に伝え続けて行くことが日本の復興に必ずや繋がると考えます。これからも皆見宮司に続く神社の宮司さん,神職さん,そして巫女さんが現れて来ることを願っています。思い切って,神社での祈祷受付の種類を神恩感謝と祖霊感謝だけにして見ては如何でしょう。神社の宮司や神職が率先してその気になり,積極的に発信して能動的に行動しならなければ一般の参拝者にも届かないと感じています。そこから創めなければならないくらいまで来ています。

わたしも大変,勉強させて頂けたことに感謝です。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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今日の一言

2019年03月06日 08時02分15秒 | 反省の心柱

咲いた花見て喜ぶよりも

 根元で咲かせた恩を知れ

           大地に感謝

 

  

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又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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