花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~1 再掲載

2018年11月30日 07時07分07秒 | 美しき水の国

こんにちは。一昨日,日本の水源地を守らねば!~狙われる日本の国土~と云う記事を掲載させて頂きました。このブログでもこれまで過去にたくさん水に関する記事を掲載して来ました。私のブログでアクセスが多い「キーワード」も御水なのです。したがいまして,過去に掲載して来た水に関連する記事を再掲載し,水が如何にして大切なものなのか私も再度,勉強する為にも取り上げたいと思います。今日は,過去記事「水の神への感謝参詣 天河大弁財天社 編からです。写真は天川村の天ノ川と申します。

和の国の水源地を金銭目当てで,他国の人に譲り渡しては神の怒りに必ず触れます。

近年,富士山周辺,主に北海道で水源地を他国の人に譲り渡しているようです。北海道は縄文人の末裔が多く暮らしている場所でもあります。アイヌ民族が相当しますが,そのアイヌ民族の末裔が絶対に出来ないことがあるのです。それは,水を穢すことです。そして,山の一帯にはアイヌ民族の祖先が大切にして来た隠れた祭祀場が多数存在します。万が一,他国の人が無知故に自分の所有物だからと言って山の上流一帯に施設を建設するとどうなるでしょうか?その様に考えただけでも私には恐れ多くて言葉も出ません。

私たちが暮らす和の国において,山は「御神体」水は「御神水」なのであります。

そのことを~美しきかな水の国~長編シリーズで記事に掲載して行きたいと考えています。

以下の記事は「2016.9.23」に掲載したものです。

こんにちは。初日は,春日大社で参拝を終え,近くの宿泊施設に到着して,明日の準備を整え就寝致しました。しかし!早朝5時頃に起床したら外が大変なことになっておりました(笑)雨と云うより嵐です。しかも,雷の神様が御降臨されている様子でピカピカ光っております。2日目の予定は,奈良県は吉野郡天川村に御鎮座されます天河大弁財天社「通称:天河神社」への参詣と同じ天川村の洞川温泉郷近くにある「ごろごろ水」の採水に行く予定でありました。そして,伊勢に向かう途中に室生龍穴神社と室生寺に参詣してゆとりを以て行動する計画を立てていました。これはどうしたものかと思案していましたが,支度だけしてしばらく様子を見てから出発することに致しました。そうして身支度を整え,準備万端となった頃,雨も小雨に変わりましたので目的地へ出発することになりました。

奈良市街を走行しているときは小雨もありましたが,山間部に入ると雨はほとんど降らなくなり,時より空が明るくなってきたりと心配していた気持ちが祓われて無事に天河神社へ到着しました。この天河神社は何故か解りませんが,魂の母親に会った気分になる神社なのです。きっと,天河神社へお参りされたことのある方も私と同じ様な感覚になられたと思います。本当に優しさだけの波動を放つ神様です。唐突ですが,神と云う文字は漢字です。この神と云う漢字をひらがなで文字にすると「か」「み」です。これを音霊で観ると「あ」「い」となります。つまり愛です。この愛と云う言葉がとてもピッタリの神社です。私たちが参拝させて頂く拝殿から階段の上にある本殿の建築様式は,他の神社仏閣ではあまり見ることが出来ません。この本殿も音霊を言霊にして観ました。

すると「親」と云う言葉(漢字)が私には観えて来ます。つまり,木の上に立ち,子供の様子を見守る親の姿を神社建築に取り入れているようでした。おそらく,神社の宮司さんも建築した宮大工さんも無意識と云う意識で現在の建築様式を決められていると思います。神道にはとにかくこのような無言の教示が多いのです。例えば,ひふみ神示「原本は日月神示」でも元々は,私たちが普段使用している様な文字ではありませんでした。記号であったり,数字であったり,渦のような絵柄であったりと意味が解らない表記だけでした。「1414」と書いて「いよいよ」と解釈したり,「ニニ」と書いて「富士」と解釈したりと云う感じのものでした。

したがいまして,あくまでも言葉に変え,文字にしたのは人間です。つまり,神様は言葉をしゃべりません。言葉が生まれる前の存在を私は音霊(波動)としています。この音霊(波動)を正確に観れるかどうかがとても大事なことであるのです。つまり,古来から伝わる審神者です。昔の審神者は,神さまから伝わる音霊を見事に観れていたのだと思います。ただ,現代においても音を正確に観れる人たちがいます。それは,幼子を持った母親です。母親はテレパシーを使って常に幼子と交信しています。

このとき,母親が発するテレパシーに使用するのも母親の体内に含む水です。

その辺りの事は,また別の機会で記事にさせて頂きたいと思います。話が逸れてしまいましたので,天河神社に戻したいと思いますが,この天河神社をインターネットで検索すると実にいろんな話や話題が出て来ます。そこには「選ばれた人しか行けない」とか「然るべき時にしか参拝できない」とか云う所謂,都市伝説です。確か,玉置神社の記事でも書かせて頂きましたが,選民意識に繋がるような話は信用しない方が良いですし,気にすることも一切ないです。こう云う話は神さまが一番嫌う音霊(波動)なのです。

既に審神者も失敗,選ばれてもいません。きっと,その様な伝説話になった最大の理由は,天河神社までの道程の難所さからだと思います。その様な意味においては,なかなか行きたくても行ける場所にはありませんし,何となくドライブしていたら到着しましたなんて云う場所でもありません。やはり,明確に天河神社へ行こうと決めなければ行ける所ではありません。天河神社とよく引き合いに出される玉置神社はさらにそうです。参拝を計画されている方は,そのような都市伝説を信用するよりも安全な参拝計画を立てられることをお進めします。自動車であれば,十分な運行計画に基づいて事前に神社の案内を調べるのも良いと思いますし,これから秋から冬になれば路面の凍結も考えられますので,交通安全で意義のある参拝をされてみると良いと思っています。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


日本の水源地を守らねば!~狙われる日本の国土~ 再掲載

2018年11月27日 12時00分00秒 | 美しき水の国

こんにちは。

今年(平成30年1月15日)の朝,突然,日本の水が危ないと云う感情が湧き上がって来ることがありました。

その時に書かせて戴いた内容を再掲載したいと思います。私たちのこの水の国に,これから何が起こるのでしょう?

 

緊急事態です

こんにちは。直ぐにでも日本の食料自給率を上げるべきです。次の戦争は「水」と「食料」の争奪戦になります。もう既に,世界はそのように舵を切り,戦略を展開しているのです。一見,軍事と武力の衝突と見せかけて,国民の緊張感を煽って見せて,実はその裏では日本の食料自給率を極限まで下げ,私たちの食卓に並ぶ食品はいつの間にか外国産ばかりになり,日本の農家はコストがかかり過ぎると言う理由で廃業に追い込まれ,最後は日本の水源地の土地を外国勢が買収し,日本人が日本の水を外国人から高額で買うと云うわけの分からない世になって行きます。

理屈に騙されては行けません。一旦,所有権が認められると取り戻すことは出来ません。

これに加担している日本人の土地所有者。企業経営者。政治家等々は正に売国者です。

絶対に,日本の水源地を外国人の所有物にしてはなりません。取り返しの付かないことになります。

私もこの件については,もっとたくさん勉強して書き続けて行きます。拝

  

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

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心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


天川行ったらこっちも寄ってよ。丹生川上神社下社。再掲載

2018年11月26日 06時24分50秒 | 美しき水の国

こんにちは。地震が少し気になっています。防災意識を高めて行きましょう!

昨日まで書かせて戴いて来た,奈良県吉野郡天川村とその天川村に御鎮座される天河大弁財天社「通称:天河神社」をご紹介させていただいたら,やはり,ここの神社もご紹介させて戴かなくてはなりません(笑)。そして何と言っても,宮司さんと神職さんが素晴らしい御方なのです。宮司さんは,古神道タイプの御人ですから御蔭信仰や祈願信仰などの所謂,ご利益話などは一切されない方です。これまでの宮司歴で言いますと近畿圏の名立たる神社の宮司を歴任した後,平成21年の秋に丹生川上神社下社に赴任することになりました。上の動画に宮司さんのお話を貼り付けていますのでご覧になって下さいませ。笑顔が素敵な宮司さんです。

あっ!すみません。神社名を書き忘れておりました。失礼いたしました。

日本最古の水の神さまをお祀り申し上げる。丹生川上神社下社で御座います。

ここ丹生川上神社も凄い神社で,国家の重大事や天変地異などの国家に危険や危難が及ぶと朝廷から特別な奉幣を賜る国家にとってはなくてはならない重要な神社で,神社の社各を示す二十二社中の一社であるのです。何回かブログでも記事にさせて頂いてきた神社でもあります。わたしが初めてこちらの丹生川上神社下社を目にしたのは,やはり天河神社への参拝後,秘水ごろごろ水を採取した帰りがけに何気なく自動車を走行中に目に飛び込んできた神社でした。今でもその時のことをハッキリとよく覚えております。

天川村から国道か県道を自動車で走行し,室生龍穴神社へ向かっているときでした。その日はわずかながら小雨が降っていました。その走行中,なにげなく右側をフッと見てみると大きな龍が大きな口を開けてこっちを観ています。おもわず急いでブレーキを踏んで引き返して見てみると,そこには古神道系だと瞬時に解かる神社があり水への感謝拝礼所と書かれた立て看板が設置してありました。水と聞くと思わず身体が反応してしまう水マニアの私としては参拝させていただくしかないと思っていたのですが,室生龍穴神社へ着く時間も迫っていたので,その日は,正面の第1鳥居前から礼拝だけを済ませて室生方向へと再び自動車を走らせました。

しかし,そこからが凄い体験をしました。何かと申しますと先程まで小雨であった雨が,丹生川上神社下社を出発したとたんに大雨に変わり,さらに猛烈な雨になってしまったのです。運転するのがやっとなくらいで途中,あまりの猛烈な雨で車を停車させるほどでした。今までにあれ程の雨は経験がないほどでした。きっと,丹生川上神社下社の龍神が外出する時にちょうど私は鳥居に立っていたのかも知れません(笑)。わたしの気枯れに潤いを与えて下さっているような感じもします。その猛烈な雨は,室生の手前でピタリと止み,室生龍穴神社付近では嘘のように青空が広がっていたのであります。それにしても凄い体験をさせて戴きました。

そんな初めての体験をさせて頂いたのですが,家に帰っても丹生川上神社が気になって仕方がありません。そこでいろいろとあの神社の醸し出す雰囲気は何だろうと調べてみると,なんと二十二社中の一社であることが判ったのです。これまでも丹生川上神社下社と云う名称は二十二社の一社でもあると云うことでよく知ってはいたのですが,まさか天河神社の帰り道に存在するとは思ってもいませんでした。しかも,あれほどの強烈な気を放つ神社ですから,時代の古さと先人たちが如何にして神社を護持して来たのかを感じさせます。(創建は飛鳥時代)数千年と龍神が守護する正真正銘の水の神さまをお祀りする神社だと思いました。

龍は,人間どうしの争いをとにかく嫌います。どうやら騒がしいのが苦手なようなのです。心優しい龍は,争いを嫌い里山の奥深くにその身を隠していると云う伝説もあります。人間が放つ憎しみや恨みや辛みの気が龍の身体を傷つけているようなのです。龍は,清らかな水を好みます。しかし,人間の激しい気が水の結晶を壊してしまっています。すると,龍は清らかの水を呑むことが出来なくなると云うわけです。丹生川上神社下社を数千年も前から守護している龍神も同じようにその身を隠してきた龍かも知れません。

そして,2回目に参拝したとき,その龍神の正体が解かりました。

明日に続きます。拝

  

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菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


すべてを水に流すこと。古神道とともに。① 再掲載

2018年11月20日 07時25分05秒 | 美しき水の国

こんにちは。今回の「水の神への感謝参詣」もあと女人高野の室生寺と伊勢神宮で終わりになります。今日は,ここ数日の間に書かせて頂いて来た「水の神への感謝参詣」を自分なりに振り返って(音霊)観た感想を書かせて頂きたいと思います。何かの正解を探すのではなく,素直な心柱で感じて観たいと思います。本当に今回は御水に関することを意識する参詣になりました。これまでも同じ神社や寺院に参拝させて頂いて来ましたが,今回は御水と云うお題を与えられた様な感じでとても解りづらく,抽象的と云うか感覚的と云うか不思議なものでした。古神道の神髄である無言の教示や案内は,自分から率先して意識したり,行動しなければ会得できるものではありません。つまり,教祖たる人物がいない訳ですから教えてくれる人が誰も存在しません。相手は大自然です。

仏教の祖であるお釈迦様が心の燈火を拠り所にして道を歩みなさいと言われた意味が欠片ほどですが理解できたような気がします。現代の神社神道の祝詞「大祓詞」にも仏教の経典「例えば,般若心経や観音経」にもたくさん知恵や教示が示されていることだと思います。しかしながら,その本当の意味や内容を理解する為には何万遍と唱えても悟ることは永遠に出来ないと私はそう思っています。立派な言葉や文字を眺めているだけ,また読んでいるだけで人生が豊かに生活が平穏になると考える心の方にこそ問題があるとも考えているからです。つまり,祝詞や経典に書かれている内容を如何に日常生活の上で実践して行けるかだと感じています。

したがいまして,本当の悟りや理解などは厳しい修行や苦行にあるのではなく,日常生活の中にあるのではないでしょうか。そして,誰もが豊かに平穏に暮らす為に生まれて来ているのだと考えています。よく,この世の中は,厳しく,不幸なものだからとか言われる方がいますが,私は全く考え方が違います。不幸の中の不幸は,何処まで行っても不幸のままです。苦しみの中の苦しみもどこまで行こうが苦しむままです。苦しむことで過去の因縁を昇華できるとか言うことはありません。これを暗示のように毎日毎日,自分に言い聞かせ,他の人物からこのような教義を受けていると最後の日まで苦しみの中にいることになってしまいます。

私たちは,大自然と云う太神様の中で生かされて生きているのです。そして自然とともに生きているのですから大自然の仕組みが変われば,私たちの心も良くも悪くも変わってしまうのです。大自然や自然に感謝をすると言う言葉の奥には,自分自身に感謝することに繋がっているのであります。さらにこの世のありとあらゆるものは太神様の断片で,すべてのものには太神様の御分霊が宿っていると考える方が自然な考え方の様に思えます。それを,科学ではこの様に考える,医学ではこの様に考える。経済ではこうだとか法律的にはどうだとかを真剣に大人たちが議論しています。つまり,人間が社会や自然をコントロールしていると思い込んでいます。元々,科学も医学も経済も法律もそして,宗教も信仰の対象として崇拝されて来た一つのものであったのです。それがいつの間にか,一つひとつを分離させ,人が支配するようになってから訳が分からなくなって来たのです。分離分割すればする程です。

今回の水の神への感謝参詣を通じて,いろんな事を勉強させて頂きました。一見してみれば,川に流れるただの水ですし,神社から湧き出る御水つまり,御神水です。しかし,そのただの水と感じるのも人の心の内であります。大自然の中で生かされ,自然と共に共存共栄して生きることで大自然からの音霊(波動)を感じ取れることができます。何か特別な能力が必要だとか神様から選ばれたとか云うものではありません。誰においても出来ると私は思っています。その為にも感謝の心柱を立てなければなりません。つまり「自ら手を挙げ名乗り出よ」と云うことなのです。だからと言って,神様がそのような言葉をしゃべる訳でもないです。あくまでも自分からですから別の言い方をすれば,奉仕の心柱も自分の心に必要であるとも言えます。私がしますと言う謙虚な心柱を自分の心の高天原に太如き立てるしかないようです。今日で,このブログを開設させて頂いてから108日目が経過致しました。仏教に伝わる様に,人間の煩悩の数と同じであることから今日の記事を書かせて頂きました。感謝申し上げます。有難う御座いました。

明日に続く。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


日本を弱体化させたのは相続と偏差値です 3 再掲載

2018年11月19日 05時27分47秒 | 勇気の心柱

japan spirit 牙を抜かれたライオン

こんにちは。早速く昨日の記事の続きを書きたいと思います。下の黒文字箇所が昨日の文末です。

>そして,ここからが激しい出世競争が待ち受けています。このような激しい出世競争でも必ず負けます。なぜか?自分のことしか考えていないからです。そんな人を国家も省庁も上司も望んでいないからです。これは現実的で本当の話です。採用選考の最近の傾向では,バランス感覚を重要視しています。そのバランス感覚と云うのが道徳と理屈です。偏差値の高い所謂,頭の良い人なんてどこにでもいます。そんな人を採用したところで省益にも国益にもなりません。まして国家国民の為になりません。

つまり,道徳観をきちんと根底に据え且つ,理論を構築できる人を企業であってもお役所でも待ち望んでいます。理屈は使われるものではなく,使うものです。これは暗黙の了解事項であり,理論構築における基礎基本を正しく理解していて理屈を使いこなせるかどうかで評価が分かれます。最近やっと,偏差値だけでは国家の運営や政策は出来ないのだと云うことを認めて来ているのではないかと私はそのように考えております。大企業でも昔は,東大・慶応・中央・早稲田・一橋大学出身者と云うだけで商談が成立した時代がありました。まだ少しあるかもしれません。しかし,これからはそうは行きません。

このブログの左帯の一番上に検索ツールを設けてあります。たとえば「理屈」と入力し検索するとその辺りの関連する記事が出て来ますので是非お読みください。いろいと面白い話もありますので宜しくお願いします。

これまでも繰り返し書かせて頂きましたが,この理論を構築して相手に理屈を伝えることが,とくにかく日本人は苦手です。それはそのはずで,元々,日本人の遺伝子(DNA)には理屈がインプットされておりませんから苦手なはずなのです。ですが,道徳観はすんなりと受け入れることが出来るのです。それもそのはずで,日本人の遺伝子(DNA)にしっかりとインプットされているからです。私たちの祖先からの記録として誰にでもインプットされております。世界の人々には不思議な民族として語られる理由はここにあります。たとえば,お隣の国では,悪いことをして亡くなっても悪人は悪人とします。

しかしながら,日本は悪人であっても亡くなれば仏様としてお祀りしています。ただの宗教観とも説明できるかもしれませんが,私の考えは少し違います。宗教観と云うよりも日本人特有の道徳観つまり,遺伝子(DNA)の働きだと考えております。処刑台に仏壇を設置し,僧侶が御経を読経する国は世界にないと思います。この辺りは,また機会があれば記事にしたいと思います。

ここまで日本を弱体化させて来たのは偏差値教育にあります。大企業や国家公務員になれば将来は約束されている。だから,勉強だけすれば豊かで幸せな人生が待っている。他人なんてどうでも良い。偏差値さえ高ければ人生の成功者になれると云う社会が出来上がってしまい,子供を持つ親は多額のお金を使い,人脈を辿り,身体を張ってまでも有名私立の大学に子供を入学させようと必死です。凄まじいくらいです。そうして子供たちは高い偏差値を目指し,猛勉強して行き希望の就職先に就業して来たのです。たった18年間の短い人生で,その後の60年以上の人生が決まる訳です。そして,相続にも関係して行くことになります。

その結果,偏差値は絶対で不動なんだと云う幻想が生まれました。少しばかり偏差値が高く,同級生と比べると優位になることもあると思います。しかしながら,その親が子供を扇動して小さい時から学習塾に通わせ,勉強だけして来た子供が大人になったとき,困っている人を見ても無関心,自分よりも弱い立場にある人を徹底的にイジメる。まるでロボットのような人間を多く社会に放出するようになってしまうのです。これは日本にとって不幸なことであり,世界の人々も日本人の良いところは礼儀正しさと真の優しさ,そして勤勉さにあると言われております。この根底に流れる意識や想念,考えや思想は遠い我々の祖先から受け継ぐ遺伝子(DNA)であります。これ以上,理屈ばかりを良しとする風習を継続し,子供たちに遺伝子(DNA)として残すと日本人の精神性は破壊されます。私は,日本人であることと遠い祖先から脈々と受け継いできた日本人の精神を誇りに思います。

明日は,日本を弱体化したもう1つの主な理由である「相続」について書かせて頂きたいと思います。拝

理屈には負けませぬ。

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

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菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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日本を弱体化させたのは相続と偏差値です 2 再掲載

2018年11月18日 07時24分57秒 | 勇気の心柱

こんにちは。毎日,朝は太陽に夜は北斗七星にお祈りさせて頂いておりますが,昨夜の北斗七星はとても綺麗でした。大自然そのものが神様である縄文原始の信仰が復活を迎えます。明後日,8月8日には天皇陛下の生前譲位について,陛下御自ら国民へ向けて御言葉を宣べられると云うことですから,やはりひとつ時代の節目のようになるのだと思っています。ただひたすら国民(おほみたから)の平穏で豊かな暮らしを祈り続けてきた天皇陛下,皇后陛下におかれましては十分な御静養が何よりといち国民として思っております。

又,憲法での制約があるだとか,皇室典範がどうとかと云うことよりも先ずは御静養が必要なのではないでしょうか。

政治家とくに,政府は天皇陛下を政治利用しないで頂きたい。それこそ,かつて来た道であります。天皇陛下の御会見の後に,安倍総理が会見するような報道がありますが必要ないと思っています。私たち国民は,天皇陛下の御言葉を直接御聞きしたいのであって,安倍総理の感想は聞いても意味ありません。他にするべきことが山のようにあるように思えます。

又,防衛大臣に着任された稲田朋美大臣に対するバッシングが国内や国外からも多いようです。軍国主義者だとか過去の発言なんかも取り上げられているようです。このブログでも前に書きましたが,理論が破綻した理屈ほど惨めなものはありません。敵が攻めて来たら国と家族を守るんだ!そのためには国民は血を流さなくてはいけないんだ!と云う発言をされているようです。国民はそんなに馬鹿ではありません。そんなこと解りきっていることであり,敵が攻めて来ているのに呑気にしている国民がいる訳ないのです。そもそもその様な事態にならないために国民は政治家を選挙で選び,苦しい生活の中でも高い税金を納めているのです。

万が一,現在が緊急事態を要する必要性があるのだとすれば,それは政治家の責任であって,国民の責任ではありません。一見,稲田大臣の発言も正論のように聴こえますが,それは全然違います。つまり,政治家の仕事は理屈で相手国や国民を説得することが仕事なのです。そこに,感情論や宗教的思想を持ち出すと国論を分断し,同じ民族同士で罵り合い,貶し合い,必ずや紛争に進展してしまうのです。そして戦争への道を歩むことに繋がります。世界の紛争や戦争を観察してみて下さい。すべて宗教戦争です。

その上で,稲田大臣の発言を観察すると明らかに理屈は破綻し,感情論と宗教観に基づいていることが誰にでも理解できるのではないでしょうか。私は,稲田朋美さんを応援したいひとりです。だからこそ,この様な言いたいことを書かせて頂いておりますが,一部の人の利害などに振り回されず,政治家として常に国家の安寧と国民(おおみたから)と向き合ってほしいと考えています。

だいぶ前置きが長くなってしまいましたので,少しだけタイトルに沿って昨日の記事の続きを書かせて頂きたいと思います。昨日の記事では「理屈」と「占領統治」について書きましたが,今日は,日本を弱体化させた主な理由の1つである偏差値教育について書かせて頂きます。私も仕事柄,高校生を持つお父さんやお母さんから子供の将来や進学について相談を受けることがあります。その中には勉強が得意で,東京大学に進学させたいと言われる方もいらっしゃいます。

勉強が得意なのは良いことだと思いますし,自分が生きて行く上で現在の社会においては可能性が広がることも確かであります。しかし,学部にもよりますが,東京大学に進学させて将来何をしたいのかを答えられる親や生徒はほとんどいません。それもそうだと思います。そんなことを聞く方が可笑しな質問をしているのかもしれません。まだ18歳前後で明確に将来の自分を見据えている子供の方が最近では珍しいのではないでしょうか。東京大学へ進学を望む親に共通している点があります。それは「安定性」です。

つまり国家公務員です。きっと,世間一般の親からすると国家公務員は将来が約束されているし,収入も安定しているし,社会的な地位や信用は抜群で憧れの仕事だと考えているようです。私は,そのような親子には必ず止めた方が良いと返答しています。とても甘い考えであり,そのような考えでは,たとえばどこかの省庁へ入省出来たとしても本人が潰れてしまうからです。

志を高く,これまでたくさん勉強してきたことを国家運営の政策に役立てて行きたい。困っている人や苦しんでいる人の役に立ちたいと考えて行けるかどうかで,官僚になってから試されるからでもあります。自分の身の保身やただお金持ちに成りたいからと云う理由だけでは間違いなく潰れます。省庁を辞めても使いものになりません。たとえば,財務省にしても警察庁にしてもそうですが,ある一定の階級までは同期の皆と一斉に昇進して行きます。警察庁であれば警視までは一斉に昇進します。

そして,ここからが激しい出世競争が待ち受けています。このような激しい出世競争でも必ず負けます。なぜか?自分のことしか考えていないからです。そんな人を国家も省庁も上司も望んでいないからです。これは現実的で本当の話です。採用選考の最近の傾向では,バランス感覚を重要視しています。そのバランス感覚と云うのが道徳と理屈です。偏差値の高い所謂,頭の良い人なんてどこにでもいます。そんな人を採用したところで省益にも国益にもなりません。まして国家国民の為になりません。

今日は,たいぶ前置きが長くなってしまいましたので,明日も偏差値教育について書きたいと思います。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


日本を弱体化させたのは相続と偏差値です。再掲載

2018年11月17日 12時44分46秒 | 勇気の心柱

こんにちは。理屈を理解すると活きやすく感じて来ると思います。理屈を理解するとはどういったことなのかと申しますと,それは仕組み(ロジック)を理解することであると私は考えております。さらに,この理屈と云う仕組み(ロジック)を自分のものにしてしまい,呑み込んでしまえば最強ではないかと思っています。つまり,理屈を嫌い,遠ざけている間は既に理屈に負け,理屈に支配されたままになってしまうと云う訳です。又,日本人はとにかく理屈が苦手です。太古から世界でも稀な道徳的民族ですから理屈に対する答弁を持ち合せていないのが特徴的な民族集団でもあったのです。

これを見事に見抜いていた人が戦後の日本を統治する目的で日本にやって来た連合国最高司令官であったGHQダグラス・マッカーサーです。マッカーサーは,日本人をよく研究し,同時に日本人の脅威さもよく理解できていたはずです。その理解できていたと思われる発言に「日本人の能力は小学生6年生くらいだ」と言葉にしています。このブログの左帯の一番上に検索ツールが設けております「理屈」と入力すると関連する過去の記事が出てきますので是非,検索してみて下さい。例えばこのような記事「いま必要なのは悪魔の力を兼ね備えたデビルマン」です。そして,日本人の脅威さを払拭するために徹底的な政策を打ち出して行きます。

そのマッカーサーだけではなく,連合国が考えていた日本の脅威とは何なのか?そして,日本を弱体化させるために何をしなければならないのか?それを研究し尽くした結果,あることに行き着いてのではないかと私は想像しています。それは,日本古来から続く祀り事(祭事)から日本国民を遠ざけることと偏差値教育を徹底的に取り入れることです。そして,貴族や華族に多額の納税を強制し断絶させ,新たな中流階級層を作り上げ,金と女とギャンブルに狂わせることに成功しました。見事に日本人はこの戦略に嵌って行きました。盲目して行くことになってしまったのです。つまり,理屈を善だと勘違いしてしまい,理屈は絶対で正しいと考えるようになり,今では疑うことすらもありません。俗にいう頭の良い人を作り上げたのです。このひとつの虚しき現象は,今の社会でも多くの人に信じ込まれていています。そして最後の政策が食文化を激変させることです。もう子供たちの生態系が変化しています。

その結果,五穀豊穣に感謝することを日本人自らが放棄したのです。多くの日本人が新嘗祭を知りません。

これはこの国,日本にとって不幸な事でもあり,太古の昔から世界に類のない道徳的民族であった日本人が外国人になってしまったと言っても言い過ぎはありません。そのことに気が付いている政治家が何人いるのでしょうか。私はほとんどいないと感じておりますが,たとえそのことを政治家が理解できたとしても理屈が支配する世の中では少数となってしまい政治の世界でも活躍することが出来なくなってしまっているのではないかと考えてもいます。さらに,その原因は正しく理屈を使いこなすことが出来ずにただ毛嫌いしているだけのものではないかと私は思っています。これでは完全に負けます。負け続けてしまいます。

このまま行けば最後には,日本人として生まれたはずの日本人が,心まで理屈に支配され外国人となり理屈と云う仕組みに操られてこの国を統治して行くのです。私たちの遺伝子(DNA)には,理屈と云うものはありません。理屈は人を人間を支配する道具です。つまり,説得するために用いられる道具です。その一部の人が生み出した道具に私たち日本人が騙され,操られ,呪縛され続けていては日本人は滅びます。その前に,今一度,私たち日本人がそのことに気が付かなければなりません。世界の国は,日本を日本人をじっと見つめています。外国に行けば解りますが,日本人は世界に類のない特殊な民族であるのです。世界の国の人たちが,日本人のようになりたい,どうすれば日本のような国になれるのか研究もしています。いくら研究しても理屈で支配されている研究では理解できるはずがないのであります。それもそのはずです。日本人の根底には道徳があるからです。つまり,感謝の心柱です。

この国を弱くした最大の原因は「相続」と「偏差値教育」です。騙され続けては絶対にいけません。明日もこの「日本を弱体化させたのは相続と偏差値です2」を書きたいと思います。拝 

日本は負けませぬ。

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


消すな善意の燈火と日本の餓死者への鎮魂。再掲載

2018年11月16日 07時43分01秒 | あさひの六法全書

こんにちは。

2年前の8月3日は,このような記事を書いておりました。

こんにちは。都知事選に続き,安倍政権では次々と閣僚が決まり出していますね。その中でも私個人が注目していた人に,前政調会長の稲田朋美さんがいました。安倍総理も大胆と云うか何というか,この稲田さんを防衛大臣にされたようです。これは民進党をはじめとする野党に対する宣戦布告となることは間違いないことではないでしょうか。稲田朋美さんは弁護士出身ですから理屈を使うことには慣れていると思いますし,憲法や法律に対する考え方は他の大臣とは違うと思います。いずれにしても防衛大臣となったのですから自分の命を投げ出す覚悟で務め上げて頂きたい。信仰心の強い方ですから大丈夫だとは思いますが,心配している点が一つあります。それは,文民統制「シビリアンコントロール」を思考の前提としないこと。また出来ると勘違いしないことです。

さて,今日も昨日に続き,予定していた記事「僧侶の世俗化が仏法を滅ぼす3」を変更して,どうしてもお伝えしておきたいことを書かせて頂こうと思います。その書かせて頂きたい内容とは餓死についてです。餓死と聞くと日本では信じされない,外国の貧しい国の話ではないかと思われる方も多いと思いますが,それはとんでもない話で,この日本においても毎年,1000人以上の人が餓えによる餓死で亡くなっているのです。信じられないことかと思いますが事実です。このブログを読んだ戴いている方で,近所に障がいをお持ちの方がいらしたら気にかけてあげて頂きたいのです。この日本で餓死者が1000人を突破してしまいました。

それは何故かと申しますと,近年の傾向を観ると餓死してしまう方にはある共通点があるようです。それは①身体的に不自由である事。②兄弟姉妹で暮らしていること。③兄弟姉妹の内,どちらかが軽度な障害を患っていること。④年齢が30代から40代であること。⑤生活保護などの申請を役所の水際作戦で申請却下処分になった人など。もちろん,年間1000人以上の統計からすると極めて限定的な少ない人数になりますが,そんな理屈はどうでもよく,私が思うに,この条件が当て嵌まる人は,最も他人から気が付かれないのではないかと考えているのです。本当に弱っている人,弱り切っている人は声すら出ません。そのために役所の部署や社会福祉協議会などの機関があるのですがあまり期待に応えられていないようです。相談に来られないとと云う前提があるのです。

しかしながら,役所に生活保護の申請に来ても水際作戦で追い返していては何の対応にもなっていません。生活保護と云う制度の要件に見合っているかいないかを役所の窓口に立っている人の裁量に任せると地域の自治体で受給できる人と受給できない人が出てきてしまいます。つまり,均等が保てなくなるのです。その実例が上記の人達であったように思えます。生活保護については色々な議論があって,考え方にも違いがありますが少なくてもこれまで餓死で亡くなった人たちは食べ物さえあれば死なずに済んだことは事実です。そして,何よりも悔しいのは,誰にも気が付かれずにある程度の日数が経過してから発見されるのです。

これは本当に悔しいし,悲しいことです。誰一人として,この国で餓死者を出すことはあってはなりません。もの凄く多い人数を抱えている役所なのですから,生活保護の申請を却下処分にした人を「生活困窮者」として定期的な訪問などはせめて出来ることではないかと考えます。むしろ積極的に訪問するべきであります。幼児の虐待も同様ではないでしょうか。

このブログでも何度も繰り返し書かせて頂いておりますが,この国は五穀豊穣を祈り,天皇陛下が日々,国民ひとり一人が平穏で豊かに暮らせるようにと神様へ祈る国であります。それがこの日本と云う世界に類のない国なのであります。これは今に始まったことではなく,太古の昔から我々の祖先が脈々と続けてきた伝統です。相互扶助を世界で最も早く取り入れて,世界のどこよりも民主主義な国でもあります。そのことは神道の大祓詞にも「神集えに集ひて 神議りに議りて」と云う言葉で記載されています。つまり,神様の時代(神代)から何度も何度も神様が集まって,何度も何度も神々で話し合いを行い豊葦原瑞穂国を安国とし,国民を纏めて行くのかを言葉に変換したものです。現代では,天皇陛下がおほみたからにいたるまで かしこみ かしこみ もうす祈られております。このおほみたからと云うのは,私たちひとり一人の国民のことです。自国の国民をおおみたからと呼ぶのは日本だけです。拝

  

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宇宙の構造と心の病 神道と現代医学 再掲載

2018年11月14日 13時44分35秒 | あさひの医学心書

今日は,医学博士でもあり,奈良県の春日大社 前宮司でいらした葉室頼昭先生をご紹介しながら,神道と心の病の関連性を含め記事にしたいと思います。宇宙の仕組みと神道の考え方を医療現場にも率先して取り入れた先生でありました。

心の病と聞くと,なんだか複雑で厄介で,訳が分からないと思う方も多いと思います。日本は他の先進国と比較すると,心の病についての認識性と又,その心の病を社会がどのように受け入れているのかを積極的に知る必要がある時期に差し掛かっているように思います。なぜならば,現代社会において,この心の病を患っておられる方がとても多い気がしています。しかし,病と呼ばれる又は病と云うには,どの程度の症状が発症した時を指すのでしょうか?たとえば、誰でもそうだと思いますが,社会での様々なストレス,家庭でのストレス,会社でのストレスなどなどストレスを抱えていない人は現代社会においていないと思います。又,ストレスが心の病を発症されるものなのかどうかも定かではありません。要は,誰でも落ち込んだり,不安になったりすることはあります。そのときに,病院に行けば心の病だと決められてしまうのではないでしょうか?その時,自分は病人なんだと,自分で暗示を掛けてしまう訳です。自分で自分自身に,自分は病気なんだ,病人なんだと言われてしまえば,誰でも病気になってしまうと思うのです。

たとえ医師であっても本当の根本の原因や起因が分からないのです。ですが本当に,この心の病との因果関係が現代の西洋医学で少しでも近づけることが出来れば,困った人の役に立つことは間違いありません。その一方で,西洋医学とは別に,人間の身体を宇宙そのものとして考えている東洋医学に私個人的には期待しています。前にも記事にさせて頂きましたが,この東洋医学の身体宇宙論(通説ではありません。私個人の呼び方です)で,心の病を少しでも解明でき,治癒出来るのではないかと思っています。さらに,日常の生活習慣の影響がとても大き様な気がしています。その中でも特に大切だと感じるのが,食事と生活する場の清掃です。そして最も重要なのが「水」です。水については,またの機会に記事にさせて頂きます。奥が深いですし,とても大切なことが多く含まれておりますので。つまり,身体のバランスと本人の気持(念)がすごく関係しているようです。

子供のころに風邪をひいて熱を出したりで病院に行くと,優しい看護師さんやお医者さんが診察の前に体温計を持ってきて測ることがあります。そうすると,不思議なことに家を出る前にあった熱が少し下がった。そんな経験をされた方はいないでしょうか。病院に行くと熱が下がる。そんな安心感があってのことだと思います。一種の暗示力ではないでしょうか。子供は疑うことをしませんし,なんでも素直に言うことを聞きます。その純粋無垢な気持や念(波動)が,熱を下げるのかもしれません。つまり,自己治癒です。病院に行くと熱が下がると云うことに何ら疑うことをせずに素直な気持ちで風邪と向き合う。日本の神経科の先生も,そのあたりの研究をされると新たな成果が期待できるはずです。

このブログにも度々,御登場される奈良春日大社の前宮司であった葉室頼昭先生が,この東洋医学と自己治癒の話を本などで書かれておりました。なぜ?と思われるかもしれませんが,葉室先生は宮司になる前は,形成外科のお医者さんであったからです。そして,葉室先生が繰り返し述べられているのが,病気を素直な心で受け入れること。そして,何よりも大切なのは身体に感謝の気持ちを捧げることだと云うのです。私はもの凄く共感できますし,納得しました。以前の記事は「医者はなくなります。感謝の心で病魔を退散」です。記事本文では,時間の短縮と新陳代謝による自己治癒ですが,ご興味があればご覧下さい。又,葉室先生の本の中ではあまり触れてはおりませんが,それにプラスして食事と清掃を組み入れると格段に違いが出るように感じます。

正直,現代人は食べすぎです。そして,その食べる内容のものである献立が凄く悪いです。私はだいたい1日1食ですし,食べても2食です。それ以上,食べるともう身体がきついです。集中できないし,何よりも身体がダルい。これでは,仕事に成りませんし,勉強なんて絶対無理です。満腹感で寝てしまいます。

話が少し変わりますが,ひと昔前までの薬。つまり病院なんかで頂く薬ですね。ある大学病院の看護婦長さんに教えて頂いてのですが,ほとんど精神安定剤の様なものだとおっしゃっていました。要は,気持ちを落ち着かせるために服用するものです。しかしながら,現代は無理やり体を強制的に支配する考えですから,強い薬でコントロールしています。これでは後の副作用が大変だと思います。治癒ではなくて,無理やり支配すると云う考え方ですね。先ほども申し上げましたが,東洋医学の考えでは,身体を宇宙そのものであると云う考え方に立脚していますから,支配すると云う考えはそもそもない訳です。

そのことは,今の地球の構造と似ているように思います。地球を汚し,自然環境を強制的に支配する。そうすると地球のバランスが崩れ,自然環境が破壊される。近年は,異常と想えるほどの気象や気候に変化が出て来ています。この論理を人間の身体に当てはめているのが東洋医学のそもそもの考え方です。だからこそ,葉室先生は,身体に感謝し,素直に病気を向き合うことが何よりも大切なことだと言われたのはではないでしょうか。同時に,生命の尊さを伝えたのだと考えます。

心の病は,心の在り方で治癒できると云う論証を私は,東洋医学の研究に期待しています。私はそれは可能だと思っています。                                                                     日々の暮らしを神様に感謝する。祖霊,先祖に感謝する。そして,これまで付き合ってくれた身体を何よりも大切にする。たまには感謝の気持ちで身体をさすってあげると身体が喜んでくれます。そう言ったことがとても大切なことの様に思います。岩戸開きが出来ること信じて下さい。葉室先生が繰り返し伝えてきたことをこのブログで記事に出来ることに感謝致します。

  

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春日大社 前宮司 葉室頼昭先生 再掲載

2018年11月14日 07時11分16秒 | 素直の心柱

こんにちは。今日は,私の好きな神道家で春日大社の前宮司さんでいらした葉室頼昭先生の御本とその御本の中に書かれている一部を紹介させて頂きたいと思います。神道と日本人と云うタイトル本ですが,この御本は多くの人に読んで頂きたいと感じる超優良本だと思います。私は元々,本が苦手でほとんど読みませんと云うか本が読めないのです。なんだか変な話をしておりますが,実はこのかたマンガ本も読んだことがなく,本を読むのに人の何倍も時間が掛ってしまい苦手なのです。以前,こんなので本当に大丈夫かと心配になってしまいいろいろ調べたら失読症と云うものあるのを知ってテストしてみましたがほとんど当て嵌まってしまい納得致しました。もちろん学校の成績は・・・?ご想像にお任せします。(笑)そんな私でもすんなりと読める本ですから普通に本が読める人にはおすすめです。葉室先生は生前に確か10冊前後の本を書かれていて,その内,数冊は過去にこのブログでも紹介させて頂きました。こちら「宇宙の構造と心の病 神道と現代医学」です。補足,葉室先生は神職になる前は形成外科のお医者さんでした。

それでは,以下が葉室先生が書かれた「神道と日本人」と云う御本の「おわりに」からです。

現代の日本人のなかには「この科学の時代に,神など信じない」という人も多いし,また「この世には,科学では分からないことがまだまだたくさんあるから,私は神を信じる」と云う人もいます。また「目に見えないものは信じない」「神がいるならどうして,この世に不幸だとか悩みだとか病気などがなくならないのだろうか。だから私は神を信じない」と考える人もいます。「神がいるならなぜ,悪いやつが金を儲けて幸福な生活をし,あんな善い人が不幸な生活をするのだろうか。だから神を信じない」「自分の人生は自分の力で築くものであるから,何ごとも神の導きに従うというような神頼みの人生は真実の人生ではない」などと思っている人もいます。また私に対して「お医者さんのくせに,なぜ神さま,神さまというのか」と聞く人もいます。

しかしこれらは,神とはどんな存在なのかということを知らないで,ただ神を信じるとか信じないとか言っているだけなのです。私はこういう態度こそ,科学の発達した現代の中で,非科学的なことだと思っています。神さまは,信じるか否かということではなくて,神の世界を見ることができるかどうか,なのです。

神の世界と,我々の世界は,別々に存在しているように思われていますが,本当はそうではありません。ちょうど夜の世界と昼の世界が別世界ではないように,宇宙の真実,神の世界は夜の世界であって,その中に我々のいる現世,昼の世界が一緒に存在します。昼の世界は,ただ日光の明るさで夜が見えなくなっただけです。だから昼でも日光を完全に遮断したら,闇,すなわち夜の世界がそこに現れるでしょう。でも夜の世界を知るためには,夜ばかりでは分かりません。反対の明るい昼の世界がなければ分からない。この宇宙の仕組みが本当に分かることが我々の役目なのです。つまり,神さまは,神の真実の世界を認めさせるために,わざと逆の世界を人間に与えておられるのでしょう。逆があるから真が見えるのです。それなのに人間は,病気だとか,不幸だとか悩みというようなものが,実在の世界であると思ってしまったところに過ちが現われ,現在のような乱れた世の中になってしまったのです。

古来より,日本人はそのすばらしい知恵で,病気だとか,不幸だとか,悩みなどは,神さまが本来神の姿に作られた人体を包み隠す(罪),また我々を生かしてくださる気を枯らす(穢)ことが原因であるから,これらを祓い除くことで神の真実の姿が現われることを知っていました。この罪・穢はすべて我欲であるから,その我欲を祓い除いたとき,神の姿を見ることができるのです。つまり神は外に求めるものではなくて,心の中の我欲をなくしたとき,はじめて神の世界が現われてくるのです。

私は子供のときから,いつも何かに導かれているという感じがして「これは神さまや祖先に導かれているのか,あるいは自分の心の錯覚なのか」と大いに迷い,中学時代から神社,仏閣をはじめ,いろいろな宗教から「神さまとは何か」ということを勉強してきました。それが大学医学部在学中に肺結核となり,悪化してついに死が目の前に近づいたとき,なぜか私からすべての我欲が消え,目の前に神の世界を見せられて,ただありがたさに涙が止まらず,気がついたら病気が消えていた,という体験をしました。その時の感動が忘れず,もう一度神の世界を見たいと思いましたが,恥ずかしながらまだまだ我欲があるために,現在まで二度と神の世界を見ることができていません。しかしながら,人生を振り返ってみると,いろいろと奇跡と思われるようなことや,厳しい状態もあり,それらを含めて神の導きと知らされ,それに順応して耐え抜く人生を歩まされてきました。そして,この年になってふと,私は進化させられ,神の世界に近づかされていることに気がつきました。

とくに春日大社の宮司に就任してからは,自分でも不思議なくらい我欲がなくなり,常に神の導きを感じるようになり,そのとおりに生活させていただいています。神を見るには理屈はいりません。日本人の祖先が伝えてきたように,すべては神の恵みと祖先の恩の導きですから,それに従って全力をあげて努力し,決して我欲を出さないことです。これは非常に厳しい人生ですが,神さまは厳しさの極限を耐えぬいたときに現われてこられます。

今までいろいろなことを述べてきましたが,すべては1人でも多くの方々に,神の真実の世界を伝えたいと考えたからです。私の申し上げたことが少しでも,皆さまの何かのお役に立てれば,幸いに思います。

以上が,葉室先生の「神道と日本人」と云う御本のおわりに書かれている内容の全文であります。冒頭でも少し書かせて頂きましたが,本を読まない私でも葉室先生の本は読みやすく,特別な宗教用語は使用していません。今でも人気のある本ですので,是非,読んでみて下さい。私がはじめて葉室先生の本を読んだとき,自分の考えていることと葉室先生の本の中に書かれている内容が一致する箇所が多く驚きと嬉しさを感じた覚えがあります。我々の祖先がいかに子孫を守ろうと命懸けて生きていてくれたことや日本語の意味や様々なことを勉強できる一冊であると思っています。今日は,おすすめの一冊からでした。拝

  

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大自然への畏怖と感謝で先人たちは生き抜いた。再投稿

2018年11月12日 07時00分00秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

こんにちは。

以下の掲載記事は,2016年の9月8日に書かせて戴いた記事であります。

こんにちは。連続して発生していた台風ですが,どうやら13号は温帯低気圧に変わり,無事に過ぎきったようです。前回の台風もそうでしたが,多くの人が放射する波動は,やはり自然はキャッチしていると今回の13号であらためて感じました。インターネットの情報やブログなどでも多数の人が台風に関する注意の呼びかけをされているのを拝見していました。純粋無垢な人の祈りは必ず届きます。又,台風のような事前に把握できることには対策次第で大難を小難に小難を無難にできると私は考えております。

そう言った具体的な対応とともに,大自然への畏怖と感謝を捧げることを多くの人が自分自身の意思で感謝の波動を繰り返し放射することが大切な気がしてなりません。大自然に感謝を捧げることに特別な能力や訳の解らない資格など必要ありません。

そんな中,台風や自然災害に「勝ちましょう」などと呼びかけている人もおりました。この「勝ちましょう」と云う言葉の意味を理解されて使われているのかどうか解りませんが,大自然に勝てる人間が存在する訳ありません。こんなことをしていたら,自然の脅威はどんどん巨大化して行くことになります。自然を征服することなど最も愚かで,野蛮で,傲慢な考え方であると思います。

きっと,悪気があってそのような言葉を使われたのではないと私も信じていますが,もう少し慎重にされた方が御本人の為ではないかと感じました。そもそも私たち日本人の遺伝子(DNA)の中に自然の脅威に勝つと云う記憶はされてもいません。

またある人は,地震に勝つために基礎を頑丈にするように呼びかけ,別の人は,台風や暴雨,強風に対抗するために鉄筋コンクリートで要塞のような家を建てることを何にも知らない一般人に進めているようです。確かに,建物の構造上の強度や近年の自然災害の被災状況を見るとその様に言えるのかもしれません。また,そう言った主張の方が多くの賛同を得るのかも知れません。しかしながら,果てしてそれで,自然をコントロールしていると考えているのか甚だ疑問です。人間がそのような身勝手で傲慢な考え方を捨て去らない限り,大自然はこれでもかというくらい巨大化して行きます。そして,極端な事件事故も激増するのです。それが今です。

奈良や京都には,数百年,数千年経過する神社仏閣が多くあります。しかし,そのほとんどの神社仏閣で建て替えが行われたのは自然災害ではなく,火災が原因であります。そして,その多くの神社仏閣の基礎をよく観て下さい。基礎をコンクリートで塞いでいるところはありません。ほとんどが掘立柱か,くつ石と云う柱よりも少し大きいくらいの天然石の上に柱が立っている設計になっています。では,それは何故か?簡単な理由です。大地をコンクリートや石で塞いでしますと定期的に地下のエナルギーが放出できなくなり,地下でエネルギーが溜まり続け一気に噴出してしまうことを太古の先人は知っていたからです。太古の先人は,我々子孫が大自然に逆らわず,そして自然と共に共存共栄して生きて行けるように,樹木を植樹し絶対に入ってはいけない禁足の地としたのです。それが,現代でも鎮守の森としている場所です。もし宜しければ過去記事に複数の記事がありますのでご覧ください。

以前,東日本大震災の影響によって被災されてしまった寺院の復興に数年間ほど携わらせて頂きました。その際に,建築士さんと何十回と基礎などについて大激論を致しました。神社や寺院の重要な決定は総代会などの護寺会で決議されますので,たくさんの関係者が出席します。当然,工事を担当する宮大工の棟梁も意見具申を述べるのですが,宮大工の棟梁もやはり,私と同じ意見でした。

その宮大工の棟梁は不思議な人で,神社や寺院の柱が立つ場所を足で数回踏みつけるとどの程度の地盤かが判ると云うのです。縄文人か?と思う程の感覚の持ち主でした。現代は,建築基準法などの法律で神社仏閣の建築を想定していませんので古来の伝統工法を実施することは出来なくなりましたが,せめて,先人の知恵は是非とも活かして頂きたいと個人的に思っています。

私は日本の建築技術は,世界最高峰の技術だと思っています。縄文人の意思を受け継いだ伊勢神宮の御正宮をはじめ,世界最古の木造建築と云われている法隆寺などの建築物を観て頂けると実に巧妙で,年数が経過すればするほど強度が増すように予め設計されているようです。梁と梁の接合部分,梁と柱の接合部分,柱と基礎の接地部分をワザと数センチあけて置いて,地震などの自然力学を取り入れる技術は災害大国であるが故の先人の知恵ではないでしょうか。そこには,大自然に生かされ,自然とともに共生すると云う太古からの遺伝子(DNA)がそうさせているのではないかと思います。自然の恵みは五穀豊穣だけではないようです。拝

  

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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大岡越前守に訊け。大岡裁きは復活するのか?再掲載

2018年11月11日 07時55分07秒 | 怒りの心柱

こんにちは。

今日は,とても厳しい社会の現実的なお話を書かせて戴きたいと思います。

これは,決して他人事ではなく,国家として取り組んで行かなくてはならない重要な課題でもあると想っています。決して自己責任論だけで終わらせて良い問題ではありません。明日は我が身であります。政治家や公務員には是非とも何度も読み返して頂きたいと思います。わたし達の国家には,やらなければならないことが山積しているのです。政治家ひとり一人には,その現実を直視して政務活動をして戴きたいです。もう待ったなしのところまで来ていると云うのに・・・。厚生労働省によると要介護(要支援)認定者数は620万人と推計されているのです。この現実を日本人は少子化の中で乗り越えて行かなければならないのであります。

こちらも見て下さい。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8B%E8%AD%B7%E6%AE%BA%E4%BA%BA

本当に自己責任論と云う抽象的な言葉だけで良いのでしょうか?

下記記載の引用元は「デイリー新潮」2016年11月16日掲載分(全文)からです。

https://www.dailyshincho.jp/article/2016/11161130/?all=1

地裁が泣いた介護殺人 10年後に判明した「母を殺した長男」の悲しい結末

2006年2月1日、京都市伏見区の桂川の遊歩道で、区内の無職の長男(事件当時54歳)が、認知症の母親(86歳)の首を絞めて殺害、自身も死のうとしたが未遂に終わった「京都・伏見認知症母殺害心中未遂事件」をご存じだろうか。

一家は両親と息子の3人家族だった。1995年、父親が病死後、母親が認知症を発症。症状は徐々に進み、10年後には週の3~4日は夜間に寝付かなくなり、徘徊して警察に保護されるようにもなった。長男はどうにか続けていた仕事も休職して介護にあたり、収入が無くなったことから生活保護を申請したが「休職」を理由に認められなかった。

母親の症状がさらに進み、止む無く退職。再度の生活保護の相談も失業保険を理由に受け入れられなかった。

母親の介護サービスの利用料や生活費も切り詰めたが、カードローンを利用してもアパートの家賃などが払えなくなった。

長男は母親との心中を考えるようになる。

そして2006年真冬のその日、手元のわずかな小銭を使ってコンビニでいつものパンとジュースを購入。

母親との最後の食事を済ませ、思い出のある場所を見せておこうと母親の車椅子を押しながら河原町界隈を歩く。

やがて死に場所を探して河川敷へと向かった。

「もう生きられへんのやで。ここで終わりや」という息子の力ない声に、母親は「そうか、あかんのか」とつぶやく。

そして「一緒やで。お前と一緒や」と言うと、傍ですすり泣く息子にさらに続けて語った。

「こっちに来い。お前はわしの子や。わしがやったる」。

その言葉で心を決めた長男は、母親の首を絞めるなどで殺害。

自分も包丁で自らを切りつけて、さらに近くの木で首を吊ろうと、巻きつけたロープがほどけてしまったところで意識を失った。それから約2時間後の午前2時ごろ、通行人が2人を発見し、長男だけが命を取り留めた。

 京都地裁は2006年7月、長男に懲役2年6月、執行猶予3年(求刑は懲役3年)を言い渡した。

裁判では検察官が、長男が献身的な介護を続けながら、金銭的に追い詰められていった過程を述べた。

殺害時の2人のやりとりや「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介すると、目を赤くした裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。

判決を言い渡した後、裁判官は「裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のあり方も問われている」と長男に同情した。そして「お母さんのためにも、幸せに生きていくように努力してください」との言葉には、長男が「ありがとうございます」と応え、涙をぬぐった。

この事件が一地方ニュースに留まらず、ネットなども通じて「地裁が泣いた悲しい事件」として日本中に知られることになる。

親子の境遇や長男に同情する声や温情判決に賛同する声などが広がった。

それから約10年後の2015年。毎日新聞大阪社会部の記者が、介護殺人に関するシリーズ記事の一環としてこの長男への取材を試みた。しかし弁護にあたった弁護士も行方を知らず、数少ない親族を探し出して訪ねると、彼はすでに亡き人になっていた。

事件の後の足跡について親族は口が重く、なぜ亡くなったのかも不明のまま。行き詰った末に探し当てた長男の知人という人に彼の死を告げると、絶句して、判決後に長男が落ち着いた先の住所を告げた。

やがて判明した死因は自殺だった。

琵琶湖大橋から身を投げたという。所持金は数百円。「一緒に焼いて欲しい」というメモを添えた母親と自分のへその緒が、身につけていた小さなポーチから見つかった。地獄を味わった彼の言葉やその後の人生が、在宅介護に限界を感じ、絶望している人への何らかの助けになるのではないか。そう考えて必死に動いた記者を待っていた、悲しすぎる結末だった。

厚労省によると、要介護(要支援)認定者数は620万人。要介護者を抱える家族が増える一方、後を絶たない介護苦による悲しい殺人事件。なぜ悲劇は繰り返されるのか。どうすれば食い止めることができるのだろうか……。

引用記載「全文」は,以上です。

自己責任と云う言葉に分霊は宿りません。

古神道の言霊に自己責任と云う言葉はありません。

祝語である日本語でもありません。

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


刀折れ矢も尽きた・・・。本当の闘いはそこから。再掲載

2018年11月07日 11時25分00秒 | 怒りの心柱

こんにちは。

今日の記事表題。きっと,そんなことを考えながら感じながら日々,生活されている人も多いのではないでしょうか。自分の周りを見渡せば自分よりもすべての人々が幸せそうに思ってしまうことをあると思います。確かに,一見すれば恵まれた環境の中で暮らしている人は結構多いようにも感じます。しかし,その一見すればと云う一側面だけで自分の周りの人の人生までを幸せだと判断してしまうことにも一度,自分の眼を向けることにも意義があるように感じます。つまり,自分自身の内面・内観をよく見つめると云うことであります。こんな偉そうに書いている私自身もつい自分の周囲の人との違いに羨ましさを感じることは確かにあります。

しかも,厳しい世の中ですから尚更です。

わたしの仕事柄,今の物質社会において地位が高いと言われている人がとても多いのです。たとえば名家であったり,資産家であったり,職業上であったりとだから特にそう感じてしまうのかも知れません。貧乏人の私が何でお金持ちの面倒を見なきゃいけないんだとふてくされて居たこともたくさんありました(笑)。あんなボンボン真面目に働け!なんて考えたことも正直のところありました。その額たるや凄まじい資産でしたからその様にやっかんでいたのだと思います。修行が足りずお恥ずかしい限りで御座います。

お金が無くてご飯が食べられない時の苦しさと虚しさ,悲しさは真に耐え難いことであります。このように餓死して行くんだと感じていたこともありました。地獄と云うものは,あの世にではなくて,この世にあるのだと確信したのです。今思うと,当時の様子が懐かしく思います。きっと,私の膨大な祖先の中にもご飯が食べたくても貧困や食糧難・病気などでご飯が満足に食べることが出来ずに亡くなった御霊もたくさん居た筈だと云うことが判りました。出来れば,体験をしないで判るようになりたいですね(笑)。

家系の祭祀継承者には,このような事があるようです。

餓死などで亡くなった御霊は,あの世でもお腹を空かしているのではないかと思うと何だか悔しさが自分の身体の中から湧き上がってくる感覚がありました。それならば,自分が祖霊の御霊を自分で供養することで,あの世の先祖にご飯を届けることができるのだと想い,子孫の私がやらねばと決意しました。しかし当時は,まだ若かったですから,お金がないのです。供養台が欲しくても高くて若い私には手が出ません。みかん箱にベニヤ板を買ってきて,その上で画用紙に自分の家系の名前を書いたものを位牌代わりにしていました。傍から見れば貧しい祭祀用具一式でしたが,不思議と供養することが楽しくて仕方がなかったのを憶えております。

本当に笑っちゃうようなことを平気でしていたのです。

でも,私自身は真剣そものもでした。いつか必ず豪華な位牌で供養するんだ!と意気込んでいましたから。それから位牌貯金の計画を立案して1年くらいで目標の金額が貯まったので仏具店さんに発注して豪華な位牌で祖霊祭祀が出来るようになったのです。仏具店さんに発注する時もいろいろと位牌の種類などを調べていたりしておりました。あとになって考えて見ると,祖霊祭祀と云うのは自分で供養すると決意した瞬間から祭祀が始まっているのだと想います。現在でもその位牌で祖霊の御霊を毎日供養しています。

私の場合は,そう云った一つひとつの実体験と積み重ねが祖霊祭祀の動機付けになって行ったんだろうと改めて振り返って観るとそのように感じています。なにか霊的に云々とか霊能者に何かを言われたとかそう云うことではなくて,自分から私が祖霊の御霊を供養する!と思い立ったのが始まりです。そして,気が付いたらいつの間にか自分で御経を作成して見たりしていました。動機付けは問題ではなく,実際に自分が供養するかどうかだと感じています。供養するから何か良いことがあるとか,願いが叶うとかではありません。祖霊の御霊を供養していたって厳しい社会の中で生きて行かなければなりませんし,現実は誰でも同じでありますから。

刀折れ矢も尽きた時だからこそ,本当の闘いが始まるのであります。

本当の自分は,心の中に坐します。

仮の姿を見て思い悩んではなりません。悪い状況は必ず好転します。

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

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菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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祖霊祭祀と古神道 ~ 宗教界に物申す ~ 再掲載

2018年11月06日 18時18分00秒 | 祭祀と和の国

こんちには。

昨日は,日蓮宗の寺院に久しぶりに伺い,製作した無縁霊さん用の祭祀壇の点検を行いました。想像していたよりも多い無縁霊さんや一時的にお預かりしている御霊さまであったので少し驚きました。久しぶりに住職さんと寺族の方ともお会いしたくさんお話をさせていただいて帰って来ました。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいます。やはり祖霊祭祀は清々しい気持ちにさせてくれます。日々の神祀りも然り,祖霊祭祀も誰を介在しない祭事は良いものであります。直接繋がるこれは先祖供養でも同じです。

現代では,お寺に先祖の供養はお願いしているからと考えている方も多くいらっしゃいますが,これは明らかに現代風の考え方と申しますか,日本古来の祖霊祭祀と云う世界に誇れる伝統とは違います。日本人が太古の昔より脈々と続けて来た先祖供養とは,生きている子孫が直接,自分の先祖と繋がると云うことを大切にして来たのであります。そもそも,祖霊祭祀と云うものはお寺つまり,仏教にはありませんでした。何度かブログで書かせて頂いて来ましたが,祖霊祭祀「先祖供養」は,既に縄文時代には祭事として先祖供養がされていたのです。又,現代の私たちが行う例えば〇回忌と云う追善供養も縄文時代には実に丁寧な追善供養が斎行されています。縄文時代には,現在のような神社神道は存在しませんし,又,国家神道も存在していませんから古神道の役割でした。

左にある検索で「古神道 祖霊祭祀 縄文時代」と検索し申し宜しければご覧ください。

それと,私の自論ではありますが,先祖供養は,私たちの遺伝子に影響を多大に与えていると感じています。私たちの遺伝子「DNA」には祖先が体験した膨大な記録が保存されています。その遺伝子「DNA」は,私たちが日々暮らしている生活や仕事,勉強に恋愛に結婚,そして病気に至るまでも影響していると感じているのです。わたし程度が理論的に説明することは不可能ですが真実だと根拠なく確信しています。直感です。私たちが自ら執り行う祖霊祭祀「先祖供養」には神秘に満ちた祭事です。そのことをよく知っていた縄文人は実に丁寧に祖霊祭祀を斎行していたのではないでしょうか。そこからさまざまな日本固有の思想が生まれ,現代の私たちも無意識の内に引き継いでおります。引き継いでいると云うよりも,これが遺伝子「DNA」の働きだと考えています。

つまり,祖霊祭祀は遺伝子「DNA」のお掃除だと言える面もあるのです。

このあたりの分野を研究されている御方が筑波大学の村上和雄教授です。

今ではすっかり,先祖の供養は,お寺でするものと言った固定観念が一般的になってしまっています。又,先祖供養は長男がするべきものだと云う間違った考え方が罷り通っています。普通に考えて見ても,長男次男と云う生まれた順番と先祖供養を結びつけること自体が滑稽な話でしかありません。遺伝子は長男にも次男にも存在しているからです。長男の遺伝子は長男遺伝子で次男の遺伝子は次男遺伝子なんてことはありません。長男も次男も共に同じ先祖を持つのです。子供でも解かることであります。

明治時代の家督制度や家制度が発祥なのか,私も勉強不足でハッキリとしたことは分かりませんが,いつ・だれが・何の目的で長男が先祖の供養をするものだと云うことにしたのか今後も研究して行きたいと思います。もしかすると祭祀継承者「墓守」から来ているのかも知れません。長男は本家を継ぎ,他の兄弟は分家となるから本家を継ぐ長男が先祖代々のお墓を御守りするのだと云うことから来ているかもです。自分で書いていて何だか研究するのが楽しくなって参りました。陰謀説かも知れません・・・(笑)。

しかしながら,先ほども書かせて頂いたとおり,いくらお寺で先祖の供養をしてもそれは間接供養で直接,自分の先祖と繋がっている訳ではありません。本来であれば,ちゃんとお寺の僧侶もそう言ったことを檀信徒さんへ教えて差し上げるべき大切なことなのですが話す僧侶はほとんど居りません。本当に残念なことであります。おそらく疑問にも感じていないかも知れません。現在の仏教は葬儀仏教となってしまいましたから,自宅でもちゃんと先祖の御霊を供養しないとダメだよと言えないのだと思います。

したがって,その結果,逆に神社や寺院は,資金などの運営面や氏子・檀信徒の離檀や先祖供養の稀薄さからお墓を閉じるひとが急増し減少の一途を辿っています。しかも,これからがとても厳しい時代を迎えることになって行きます。そのことで法律上,破産の申立てを余儀なくされる宗教法人も多く出てくるはずです。宗教界も社会構造の中に存在していますので避けては通れない道のようです。そんな厳しい時代の中でこそ,宗教家は道や法を説いて歩くべきと考えますが,宗教家自身に危機感がないのです。

神社界は,春日大社のように祖霊祭祀祭「先祖供養」を復活させるべきであります。拝

  

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家族を養う尊さ。夫婦とは家族なのか?再掲載

2018年11月05日 07時45分00秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

以下の記事は,今年の3月28日に書いた過去記事です。

こんにちは。上の写真は,第42回:賀茂別雷神社「上賀茂神社」式年遷宮の翌早朝に撮影させて頂いた太陽神で御座います。右側に観える鉄塔は京都府警本部の通信指令塔です。ちょうど,宿泊していた部屋の窓から撮った写真ですが,朝の太陽が昇る時間帯はとても静かで,京都の町が穢れのない清純として様子でした。ここ上賀茂神社は,これまで数えられないほど参拝させて頂いております。わたしの神棚でもお祀りさせて戴いている神さまで御座います。神域に流れる小川は「ならの小川」と云い御神体の神山から水が来ています。その「ならの小川」沿いのベンチで休息するのが楽しみでもあるのです。日頃の罪・穢れを祓ってくれます。

さて,今日の記事ですが。

そもそも「夫婦」とは「家族」なのか?いつも私が疑問に感じている1つのテーマです。皆さまは,率直に言ってどうでしょうか?正直,私は未だ答えが出せておりません。目には見えない縁で結ばれ夫婦となっても離れてしまえば家族ではなくなってしまうのか?いえ,そうではなく一度結ばれた夫婦は永遠に家族であるのか?そうであれば離婚や再婚をどう考えるのか?考えれば考えるほど難しい事柄ように思います。たとえば,法律上の問題では決着はついていますが法哲学や道徳的に考察すると答えが出ません。

答えがない,又は,答えが出せない事柄を考え思考して行くことが,もしかすると自分の理性を育て上げ,眠っている遺伝子DNAを呼び起こすことなのかも知れません。不知の知は,自分が不知であることを知らないことが不知であると云う前提とした言葉です。つまり,自分を不知であることを知っている人は不知ではないと云うことです。人は誰であっても最初は不知の塊のようなものです。しかし,自分が不知であることを知ったときからさまざまな事柄を学ぼうとします。そして成長して行くのだと思います。

最近,芸能人の不倫告白を自らの意思で発表するタレントもいますが,相手の家族からするとどう云った気持ちになるのか考えたりはしないのでしょうか。相手の家族に子供がいたり,奥さんや旦那さんの身体の体調が良くなかった場合などを想像したりはしないのでしょうか?自分は堂々と周囲の人の迷惑も省みずスッキリした気持ちになると思いますが,態々,知らせる必要はないと思います。歴史でもそうですが,知らなくても良いことは知らずにいた方が幸せな感じもします。これにも答えはありません。

ただ言えることは,相手の立場や相手の心を思いやる気持ちは大切であり,相手の気持ちを踏み躙るようなことはすべきではないと云うことは一般社会で共通した常識でもあり,普通に考えても何ら不思議なことではありません。変えてはならない不変的なことでもあります。はじめをはじめとし,もとをもととする。この言葉が示すように,元々本々は変えても良いことと変えてはいけないことがあることを教えてくれています。この言葉は,伊勢神宮を創建された「倭姫命」が後世のわたし達に残してくれた御言葉です。

自分の事など形振り構わず,家族を養うために働いてくれる家族はかけがえのない存在で在ります。こう云った人こそ,最も古神道に沿った生き方ですし,神さまに一番近い存在でも在ります。このような人を神さまがほって置くはずがありませんし,先祖もここぞとばかりに必ず守護します。それとは真逆に,相手の事など形振り構わず,自分の為だけ考えているような人こそ地獄道に沿った生き方ですし,神さまから一番遠い存在でも在ります。この様な人が神さまと繋がることはありません。自分の先祖もあの世で嘆き苦しみます。子孫の行いがあの世で評価される世界ですから。この世限定の社会的地位や身分,職種は何の自慢にもなりません。

家族を養うこと。それは尊いことだと思っています。

まさに,そう云った人こそ観世音菩薩の化身であります。合 掌

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝