花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

ありがとう。これが森羅万象の中心です。2 再掲載

2018年08月30日 20時51分55秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

以下の記事は,今年3月14日に書かせて戴いた過去記事です。

昨日の記事「ありがとう。これが森羅万象の中心です。」の続きを書かせて頂きます。

わたしたち日本人が,普段何気なく使っている日本語には,古から言霊と云われひとつの信仰の対象とされて来ました。又,ありがとうと云う現代の日常でよく耳にする言葉にも,たとえ私たちが意識せずとも言霊を宿しています。感謝の意を言葉で表現した「ありがとう」は,単なる50音の繋ぎ合わせではないのであります。自分の心の中に存在する根源的な存在と大自然に,そして祖霊に「ありがとう」と素直に言えることは素晴らしいことだと思います。神と人が合一する訳であります。それが,ありがとうです。

もしかすると,仏教の宗派によっても主題は違いますが「南無阿弥陀仏」も「南無妙法蓮華経」もその文字に隠された本当の意味と真理は「ありがとう」なのかも知れません。自己に内在する仏性に気が付く為には「ありがとう」の方が,私には肚に落ちます。

又,日本人は,人に会ったときに頭をさげます。こんにちはと軽く頭をさげたり,深く頭をさげたりしています。時と場合によって挨拶やお辞儀の仕方を変えたりしていますが,この日本人の挨拶もちゃんと意味があるのです。たとえば,深く頭をさげてお辞儀する意味は,相手の過去・現在・未来に感謝すると云う意味も含まれているのです。さらに,相手の先祖にも両親にも出会いを与えて下さり「ありがとう」御座いますと云う意味も包含しているのです。つまり,相手の人生すべてにありがとうと感謝の意を自分の身体で表現しているわけであります。世界の国々でも他の民族でも,ここまで挨拶一つに大きな意味のある国も民族もいません。

何年か前,今上天皇にアメリカのオバマ前大統領が謁見し,頭を深く下げて挨拶したことがアメリカの国内で「頭を深く下げ過ぎだ」とブーイングになっていたようです。国際社会の常識からすると正しいのですが,それぞれ国の挨拶の仕方は違う訳ですし,そんなに言わなくても良いのではないかと思ってしまいます。アメリカでは要人であっても他国の人に頭を深く下げることに抵抗感でもあるのでしょうか。あるとすれば日本と日本人の性質を知らない証拠です。謙虚で,人格者ほど腰が低くて偉ぶらない方が,日本人に与えるイメージが良いはずなのに少し残念であります。外国の人に比べ,日本人ほど挨拶に気を使う民族はいないと思います。

実るほど首を垂れる稲穂かな。こんなことわざもあるのですから。

外国の人からすると日本人は直ぐに頭をさげると不思議に思われるようですが,わたしたちの国,日本には日本の文化や伝統が遙か何万年も前から脈々と続いて来ているのです。数百年,数千年ではなく数万年も前から続いて来ているのです。どちらが良いとか悪いとか言いたいのではなくて,私たち日本人は,自分の国の文化や伝統を知らな過ぎているのではないかと私自身が不知であることも含め反省の意味も込めて書かせて頂いております。縄文時代以前に栄えたカタカムナと云う言霊信仰を主軸にしていた高度な文明も世界で最も平和であった縄文文明も知れば知るほど日本と云う国柄と日本人と云う不思議な民族の素晴らしさが判ります。

そして,今年もいよいよ春の祖霊感謝祭が始まります。

日常生活でも仕事でも,神恩感謝に心音感謝。毎朝毎夕祖霊に感謝であります。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


ありがとう。これが森羅万象の中心です。再掲載

2018年08月29日 22時02分01秒 | 感謝の心柱

こんにちは。今日は,一之宮に御酒を奉納して,神札を新しい神札に交換して参ります。私は一年間の間に3回くらいは神札を新しい神札に交換しています。最近,昔に比べると神社に参拝される人が何だか増えているように感じています。それも比較的,若い人たちが多くなって来ているようです。若い人たちが,自分の住む地域の氏神さまに素直に感謝を捧げることが出来ると云うことは,とても良いことです。何か自分の願いを叶えて貰おうとする参拝ではなく,日々の生活に感謝できる心と云うものは尊いことです。

できますれば,多くの人々が,大自然に感謝の気持ちを誰も介在させることなく出来れば良いなと思っています。純粋無垢な感謝の気持ちは必ず大自然に届いています。そしてその素直な想念は,自分自身に反射されて来ることなります。特別,何か呪文のような言葉を捧げるのではなく「ありがとう」これだけで良いのであります。なぜならば,この「ありがとう」と云う言葉は感謝を表す言葉として私たちは何気なく使っていますが,これは言霊信仰の中心でもあり,最強の祝詞でもあるからです。理屈を超越します。

わたしたちの国「日本」には,一つひとつの言葉,つまり一音一音に神さまの分霊が宿ると云われています。言霊信仰と云われて来た古の信仰形態です。たとえば,ひらがなの50音の一つひとつに神さまの分霊が宿っているのです。一音一音を組み合わせ,それを繋げて私たちは普段何気なく会話をしています。その一音一音の組み合わせの中でも森羅万象を顕す言葉「言霊」があるのです。

それが「ありがとう」と云う5音であります。ありがとうと云う5音の言葉「言霊」の組み合わせと繋がりは,実は,宇宙の根源的存在「根源神」は,自分の心の中に坐します云う意味があるのです。これが世界すべての宗教や信仰の元の本であると私は感じています。万物・物事の始まりであり,物事の中心でもあり,和の中心でもあるのが「ありがとう」と云う言葉の意味であるのです。

つまり,森羅万象,万物の中心なのです。私たちに馴染の深い現代の神社神道も仏教も「ありがとう」が起点となっています。人間の心は宇宙と繋がっていると言われる所以でもあります。大自然に感謝を捧げること氏神神社で感謝を捧げることの意味もここにあるのです。したがいまして,神社や寺院に行って自分のお願い事を金銭を払ってするような祈願信仰とは全く違うのです。

素直に感謝のありがとうだけで十分です。こんな事を書くと,神社やお寺の宗教家のみなさんに怒られると思いますが,ちゃんと護持や国体・政体を勉強して頂きたいと思いますし,それこそ神さまを商売に利用しているよなものです。そもそも発想が貧困ではないでしょうか。神社やお寺で交通安全の祈願をすると本当に事故を起こさないのですか?身体健康の祈願をすると本当に健康でいられるのですか?そんなことは小学生でも判ることです。それは,私たちの国「日本」にあるべき本来の信仰ではありません。

また明日,続きを書かせて頂きたいと思います。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

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わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


家族を養う尊さ。夫婦とは家族なのか?

2018年08月28日 12時35分34秒 | 結びの心柱

こんにちは。

以下の記事は,今年の3月28日に書いた過去記事です。

こんにちは。上の写真は,第42回:賀茂別雷神社「上賀茂神社」式年遷宮の翌早朝に撮影させて頂いた太陽神で御座います。右側に観える鉄塔は京都府警本部の通信指令塔です。ちょうど,宿泊していた部屋の窓から撮った写真ですが,朝の太陽が昇る時間帯はとても静かで,京都の町が穢れのない清純として様子でした。ここ上賀茂神社は,これまで数えられないほど参拝させて頂いております。わたしの神棚でもお祀りさせて戴いている神さまで御座います。神域に流れる小川は「ならの小川」と云い御神体の神山から水が来ています。その「ならの小川」沿いのベンチで休息するのが楽しみでもあるのです。日頃の罪・穢れを祓ってくれます。

さて,今日の記事ですが。

そもそも「夫婦」とは「家族」なのか?いつも私が疑問に感じている1つのテーマです。皆さまは,率直に言ってどうでしょうか?正直,私は未だ答えが出せておりません。目には見えない縁で結ばれ夫婦となっても離れてしまえば家族ではなくなってしまうのか?いえ,そうではなく一度結ばれた夫婦は永遠に家族であるのか?そうであれば離婚や再婚をどう考えるのか?考えれば考えるほど難しい事柄ように思います。たとえば,法律上の問題では決着はついていますが法哲学や道徳的に考察すると答えが出ません。

答えがない,又は,答えが出せない事柄を考え思考して行くことが,もしかすると自分の理性を育て上げ,眠っている遺伝子DNAを呼び起こすことなのかも知れません。不知の知は,自分が不知であることを知らないことが不知であると云う前提とした言葉です。つまり,自分を不知であることを知っている人は不知ではないと云うことです。人は誰であっても最初は不知の塊のようなものです。しかし,自分が不知であることを知ったときからさまざまな事柄を学ぼうとします。そして成長して行くのだと思います。

最近,芸能人の不倫告白を自らの意思で発表するタレントもいますが,相手の家族からするとどう云った気持ちになるのか考えたりはしないのでしょうか。相手の家族に子供がいたり,奥さんや旦那さんの身体の体調が良くなかった場合などを想像したりはしないのでしょうか?自分は堂々と周囲の人の迷惑も省みずスッキリした気持ちになると思いますが,態々,知らせる必要はないと思います。歴史でもそうですが,知らなくても良いことは知らずにいた方が幸せな感じもします。これにも答えはありません。

ただ言えることは,相手の立場や相手の心を思いやる気持ちは大切であり,相手の気持ちを踏み躙るようなことはすべきではないと云うことは一般社会で共通した常識でもあり,普通に考えても何ら不思議なことではありません。変えてはならない不変的なことでもあります。はじめをはじめとし,もとをもととする。この言葉が示すように,元々本々は変えても良いことと変えてはいけないことがあることを教えてくれています。この言葉は,伊勢神宮を創建された「倭姫命」が後世のわたし達に残してくれた御言葉です。

自分の事など形振り構わず,家族を養うために働いてくれる家族はかけがえのない存在で在ります。こう云った人こそ,最も古神道に沿った生き方ですし,神さまに一番近い存在でも在ります。このような人を神さまがほって置くはずがありませんし,先祖もここぞとばかりに必ず守護します。それとは真逆に,相手の事など形振り構わず,自分の為だけ考えているような人こそ地獄道に沿った生き方ですし,神さまから一番遠い存在でも在ります。この様な人が神さまと繋がることはありません。自分の先祖もあの世で嘆き苦しみます。子孫の行いがあの世で評価される世界ですから。この世限定の社会的地位や身分,職種は何の自慢にもなりません。

家族を養うこと。それは尊いことだと思っています。

まさに,そう云った人こそ観世音菩薩の化身であります。合 掌

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

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又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

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心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


人の心と日本神話 ~心神の岩戸隠れ~ 再掲載

2018年08月25日 21時24分27秒 | 勇気の心柱

こんにちは。

先日の記事,古神道の秘儀「自励拝」に続きまして,今日も縄文時代以前から続く古神道の秘儀(ちょっと大袈裟ですが)を書かせて戴きます。これは結構,多くの方が健康や体内循環を良くする目的で実行されていることだろうと思います。それは早朝の太陽拝「日拝」と云うものです。私も毎日,早朝の7時から8時の太陽神の名「アマテラスオホミカミ」を10回唱えて祈りを奉げております。この日拝は,古神道家でなくても提唱されている方々もたくさんおりますし,医師などの医療関係者も実際に薦められることがあるようです。日拝を現代語に訳すと日光浴とでも言うのでしょうか?日光浴は,気持ちが良くて健康に良い。これは正解です。

古神道と云うのは,大自然と直接,自分自身が繋がり,自分自身の心の中の心神「しんしん」に言ってみれば気を向ける・意識することでありますから奇異的なものではありません。私は,奇異的なことが嫌いなので,自分でもすることはありませんし,決して人に薦めるようなこともしません。ただ目の前にある大自然「神さま」と自然「精霊」と直接,自分自身が繋がることだけなのです。

その理由もいたって簡単で,自分の心の中に神さまの分魂「心神」を宿しているからです。しかし,真に残念なことに,神さまの分魂「心神」が岩戸に隠れたままになっている人々も多いのです。自分を傷つけ,相手も傷つけ,されに自然を穢すことを繰り返して行く内に,心神は心の奥深くに御隠れになられます。逆に,岩戸開きをしている方は,まるで後光が射しているような感じが実際にします。よく,あの人はオーラがあるとか眩しい人だとか言ったりもします。外観的なものではなく内面的に光り出すのです。

こう云った人間の心を物語にした有名なお話が御座います。それが,私たちの国に伝わる日本神話であります。日本神話の中に,天岩屋戸と云う物語が御座います。天岩戸や天岩屋とも云われることもありますが,実は,この日本神話に登場する物語の大半は自然と人間が共生することの大切さを教えていたり,又,人の心の中の様子を物語としていることが多いのです。その物語の中でも,特にこの天岩戸と云う物語ほど人の心の様子を見事に物語として伝えたと感じています。太陽神「天照太御神」が岩戸(洞窟)に御隠れになってしまったことで暗黒の世界へと変わってしまうと云う御話です。神社の祭り事や日本のお祭りの起源でもあります。

祭り事だけではなく,民主主義も家族会議の起源でもあります。何か問題が起きた場合,皆で話し合い,互いに知恵を出し合い,皆で協力し合って問題を解決して行くことの大切さを日本の神話は教えてくれています。それはまるで,わたしたち国民一人ひとりに困難に直面した時の対処法を教えてくれているかのようです。日本神話と聞くと無理やり天皇家と結び付けたり,戦いの物語の方向に話を持って行きたがる人もおりますが全く違います。互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合うのが大和の魂を宿した真の日本人であり,日本人としての誇りなのです。

毎朝の日拝は,心の岩戸開きの意味があります。

 ※ 目の保護の意味で,太陽を直視しないように致しましょう。

大和の国で暮らす 和の住人でした。拝

  

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菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

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心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


童心は強烈なエネルギーを放ちます。再掲載

2018年08月24日 11時34分58秒 | 怒りの心柱

こんにちは。

今日は,自分自身を奮い立たせるためにも怒りの心柱に降ろして書かせて戴きたいと思います。人の怒りと云ってもさまざまな感情があると思います。怒りと聞くと何だか近寄りがたく,破壊的で破滅論を想像してしまいがちです。確かにそのように考えることも出来ると思いますが,私的には,そう云ったことだけではいと考えています。同時に,そう云った考え方こそ,大人が勝手につくり上げた虚構なのではないかと感じているからです。虚構は虚構で良いのですが,私の考えている怒りとは,もっと純粋な言って見れば童心のような心だと考えているのです。たとえば,困難なことに直面しても自分の信念を貫き通す気持ちも怒りだと思います。

先の見えない社会に,不安なことが多い今の世の中で怒りを以て挑戦してくことの方が逆に難しいことのようにも感じています。心が不安定になってしまったり,心配事が増えてしまったり,経済的に困窮したりと自分の信念を貫き通すことが難しいと想うことも多いと感じるくらいではないでしょうか。古神道に伝わる言葉に一霊四魂と云ういってみれば魂の働きを現わした言葉があります。

前にも確か,記事にさせて戴いたと思いますが,この一霊四魂は「和魂:にぎみたま」「幸魂:さきみたま」「荒魂:あらみたま」「奇魂:くしみたま」と云う魂の働きを分類した考え方でありますが,その内,怒りと云うのは「荒魂」の働きであるのです。困難なことに果敢に挑戦したり,自分の信念を貫き通す強い意思,自分自ら率先して行動に移す勇気も全部この荒魂の働きであります。

こう云った強い想念をわたしは怒りと表現しているのです。しかし,真に残念なことに,大人になるにつけ荒魂の働きは徐々に機能しなくなり,弱ってしまうようです。きっと,理屈で考えてしまい心で感じることが少なくなったことが原因ではなしでしょうか。

特に,小さな子どもは荒魂の働きが盛んで,勢いもあります。小さな体で,よくあんなにエネルギーがあるなと感心してしまうことがあると思います。子どもと遊ぶとそれが良く解ります。大人の方が息切れをしてしまうほどです。幼い子どもが戦隊ヒーローに憧れたりするのも荒魂の働きです。あえて別な言い方をすれば,荒魂とは正義の味方の働きであると言っても良いかも知れません。

子ども達は,みな正義の味方が大好きですから。それは,理屈を知らず,人を疑うことを知らず,純粋に物事を見つめることが出来るからだと感じています。逆に,大人になるにつれ,何でも理屈で物事を判断し,性悪説で人と接し,自分にとって損か得かで善悪を決めて行く訳ですから荒魂のエネルギーが落ちて行くのは当然と言えば当然であります。理屈は誰にでも憶えることが出来ます。

しかし,理屈を憶えて使いこなせる大人がとても少ないのです。つまり,理屈を憶えると理屈に使われてしまう訳です。そのことは法律を学ぶと良く理解できます。理屈は使う為にあるのであって,理屈に使われ支配され出すと自分は頭が良いと本当に錯覚を起こしてしまうものなのです。自分の周りの人たちがみんなバカに見えてくるとようになってしまうと理屈に支配されている証明です。

子どもの頃に戻りたいという想念は,荒魂からのシグナルでもあるのです。

童心は強烈なエネルギーを放ちます。皆で,どんどん放って行きましょう。

国宝とは何物ぞ。宝とは道心なり。by 最澄。

  

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菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

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心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


言葉の裏に隠された邪心 再掲載

2018年08月22日 19時02分51秒 | 勇気の心柱

こんにちは。

努力は,自分の宝。しかし,努力で得たものは人のもの。これを奉納と云う。手柄は人に与えるもの,自分のものとしないこと。でも,手柄を立てなければ仕事で評価されない。仕事で評価されな変えれば,お客さんから信頼も得られない・・・。手柄ってなんだろう?評価ってなんだろう?こんな問答を心神(しんしん)と昨日しておりました。理屈で論じる訳でもなく,間違い探しのような正解や不正解と云った正誤判断をするわけでもなくごく自然とそんな波動「音霊」が自分の中から湧き上がって来ておりました。

昨日の記事でも少し書かせて戴いたとおり,夕方から社長と面談し話をお聞きしましたが,やはり,知恵をかすのは止めることにしたのです。確かに,住職のしていることは許されることではありません。許される許されないと云う基準は,もちろん道義的な意味もありますが,法律的な面においても同様です。しかしながら,その社長の話をよく聴いていると,どうも憎しみや恨みと云った感情論でしかありませんでした。そのような所謂,紛争を起こさせ,争いを増長させるようなことに知恵を授ける訳には参りません。

それこそ自分の中の心神を穢してしまいます。

わたしとその社長は,仕事上の関係もなく寺院を介した知り合いでありますので,したがいまして,何か困ったことがあるのであれば出来る範囲で無償で協力くらいはと考えておりました。ですが,話しを伺っていると,何かピンときません。話している言葉に重みがないのです。そこで,少し気を集中させて社長の波動を感じ取ると言葉の裏に隠れている邪心が波動となって伝わって来たのです。先日の記事でも書かせて戴いたとおり,言葉でどんなに誤魔化しても波動「音霊」だけは誤魔化すことが絶対に出来ません。

波動を読み取ることを古神道で審神者(さにわ)と申します。

つまり,その社長が私と会った真の目的は,目的を完成させるための手段についての相談ではなくて,仲間になってもらい,自分は高み見物をしようと考えていたのです。こう云った人物は,いざとなったら一番最初に逃げるタイプの人でもあります。これはとても卑怯なことだと考えます。一人で闘うことが出来ないからと云って仲間を集め,その仲間を危険な目に遭わせるようなものだからです。結局のところ,自分一人で闘う勇気がないのです。そう言ったことは社長には告げませんでしたが,そのような類のことには洒落では済まされない事も多いので拘らない方が良いですよとだけ言って,そのあとの時間は日常の雑談程度の話しで終えました。

こう云った上手い言葉に踊らされて,乗せられて自分が損をしたり,犠牲になってしまったりしないように十分に注意が必要な時代だと本当に思います。紛争やトラブルの話を聞くときには,心ここに非ず程度で十分です。それ以上,話にクビを入れて行くといつの間にか自分が当事者になっていたり,巻き込まれたりすることが現実的にあります。そう云った話には一線を明確に引いた上での方が自分の為であります。決して感情的にならず,沈着冷静で自分自身の良心に照らして考えて頂きたいと切に思っております。

本当に強い人は,周りを巻き込むような事は為さりません。拝

  

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祖霊大感謝祭を終えて思うこと。 再掲載

2018年08月19日 12時54分32秒 | 謙虚の心柱

上の写真は,天河大弁財天社へ向かう途中の天ノ川で撮影させて頂きました。

以下の記事は,2年前の8月16日に掲載した過去記事です。

こんにちは。昨日8月15日は,71回目の終戦祈念日を無事に迎えることができ,そして今日,16日は私たちの御先祖様もあの世に帰還されます。私たちは日々,御先祖様に見守られながら生活が出来ております。本当に有難いことでです。今年の祖霊大感謝祭の思い出は奈良県吉野郡天川村に御鎮座されます天河大弁財天社「通称:天河神社」で,旧暦七夕神事が斎行され,祖霊御魂の献灯供養をが出来たことでした。神社で先祖の御霊を供養できる神社は現在ほとんどありません。

しかし,本来,先祖の御霊の鎮魂や供養は太古の昔「縄文時代」から続けられてきたものです。したがいまして,お寺はもちろんのこと神社であっても祖霊祭祀をすることが本来の本当の姿だと思います。

私自身が自然そのものを神様だとする縄文信仰ですから,そのように深く感じるのかもしれません。現在の神道は,神社神道です。

奈良県の春日大社では祖霊崇拝を積極的に取り入れている神社でもあります。参拝にすれば誰でも申し込むことが出来ます。これは本当に素晴らしいことではないでしょうか。山や川,海や鎮守の森を御神体とする他の古神道系の神社でも是非とも祖霊崇拝を申し込めるようにして頂きたいと思います。これから古神道系の神社は参拝者が増えて行くと思っています。たとえば,三輪山を御神体とする大神神社や霊峰白山を御神体とする白山神社,玉置山の玉置神社,宇宙との繋がる天河大弁財天社もそうです。ただ,神社の神職さんも元々,先祖供養は神道の役割であったことを知る方は少ないようです。又,先祖供養はお寺がするものであると云う固定概念が定着しているのかもしれません。

若い人は特に日本の素晴らしい伝統と文化をたくさん学び,世界の人々にもその素晴らしい伝統と文化を語って頂きたいのです。なぜならば,外国人が日本の素晴らしい伝統と文化を知りたいと思っていても日本人自身が日本の文化や伝統さらには歴史をあまり知らないと言われています。これでは少し寂しいと思います。世界最古の文明をもった日本でもあり,世界最古の王朝をもった国でもありるのです。このような国は世界で日本だけであります。そして,世界の人々からも称賛される勤勉で努力家,思いやりと優しさを兼ね備えた日本人が各分野でも世界で活躍する日が,これまで以上に来る日々が近づいて来ていると感じています。私も皆様方に遅れないように日々謙虚に励んで参ります。

今年も無事に7日間,祖霊大感謝祭を終えることができ明日,一之宮と氏神様へ御報告し全てが終了いたします。

有難う御座いました。花咲 あさひ 拝

  

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心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


せいじのはなしをきかせてくれ。再掲載

2018年08月17日 21時48分36秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

こんにちは。

昨日は,お隣の韓国と北朝鮮の両首脳が国家として数十年ぶりの会談を実施したとかで,朝からニュースでも取り上げられておりました。又,保守系のブロガーさんも話題にして掲載されていたようです。私もインターネットで少し会談の様子を観ましたが特にこれと言って感想もありません。しかし,日本と北朝鮮の間には拉致問題と云う解決しなければならない重要事項があります。韓国と北朝鮮が南北統一と云うところまで進展して行くのかがこれからの大きな主題になってくると感じますし,そこには中国や米国の外交戦略も大きく係わってくるのでしょう。今年2018年,来年2019年と世界の政治と外交は活発になって来るようです。

その一方,わたし達の日本はどうでしょうか。あまり,政治についての記事は書きたくないのですが日本の政治家や官僚の話題と云えば,性非行に汚職,損得に忖度,そして暴言に不倫と云った問題ばかりが連日のようにニュースで世界中に発信され続けています。わたし達の国には,今の内にやっておかなければならない重要政策が山積しています。しかし,野党の審議拒否や与党議員の度重なる不肖事で重要な法整備が出来ないでいます。これこそ国民にとって不利益なことであります。もっと国家の行く末を憂い,国民のことを考え行動できる政治家を国会に送り出して行かなければならいのです。それには,やはり選挙でしか手段がありません。

わたしが思うに,政治家の一番の問題は世襲制にあると考えております。親の地盤を子が引き継ぎ,資金も人脈もそして名前もある大物政治家であればある程,引き継ぐ子も当選することが確実となります。つまり,政治についての勉強も資質も何も身に付けていない状況で政治家になって行くのですから世間知らずの政治家がどんどん増えて行くのは当然と云えば当然なのであります。親の七光りで政治家になって,政治家になってから政治家になるような信じられない滑稽なことが今の政治の世界ではないでしょうか。

よって,出来の悪さは増々です。

国民はことごとく疲弊して行き,待ったなしの高齢化に少子化。さらに,追い打ちをかけるように貧富の格差も凄まじい勢いを伴って進んでいます。そんなことはないと言われる右派や左派のみなさんは信憑性もない情報に振り回されず現実をもっと自分の眼で確かめると良いです。信憑性もないと書かせて戴く理由も論ずるまでもなく,改ざんに隠ぺいと国家機関の情報が誤りであるのですから,わたしたちが入手できる情報は信憑性など疑わしきものです。今のような何をするにもお金・お金・お金とお金があることがすべての様な社会はやはり異常社会です。日本人はもともとお金至上主義の民族でなないのですが,ある時代を節目に変わってしまったようです。安全な言い方をすれば明治維新が転換期でしょうし,少し冒険心を以て言えば室町時代あたりではないでしょうか。

軍産複合体と云う言葉を聞いたことがあると思います。世界は金融と戦争の上に成り立っているのです。わたし達も金融と戦争の上にある現在の生活基盤です。本当の豊かな暮らしとは金融と戦争の上に成り立っているのでしょうか?そんなこと私には関係のない話と想われるかも知れませんが,関係のない人は誰一人としていません。すべての人が関係しています。ジャングルなどで自給自足で生活している人以外は誰でもです。その戦争を終わらせる方法は金融にしか出来ないと私は思っています。戦争を戦争で終結させることは出来ないからです。もはや軍拡競争の時代ではありません。核兵器の開発・実験・配備が整ってしまったのです。さらなる軍拡競争があるとすれば,それはAI「人工知能」を搭載した軍事兵器だけです。永遠に戦い続ける死なない兵士たちです。

ただ,金融が大変革できれば戦争はなくなると思いますが,今度は食糧難の問題が深刻的になって来ます。

おほみたからにいなるまで かしこみ かしこみ もうす。

せいじのなはしをきかせてくれ。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


神と人が和すること。神人合一惟神 再掲載

2018年08月16日 22時03分23秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

先日も若干,書かせて戴いた「心の鬼が太鼓を叩く 心の鬼が舞を舞う。」今月2月1日から始まった和の仕組みつくり業務改革は,今現在のところ順調に進んでおります。その任された業務の中で感じましたのは,以外に経営者の想いと考え方次第で企業も社員も大いに変わると云うことを実感しております。やはり,始める前から諦めると云うのは,過去の経験や先入観,固定観念で意識や気持ちを縛り付けているのも自分自身であるようです。物事に結果が伴わない場合,省みるのは大切なことだと思います。

神社や寺院で培ったこれまでの経験を企業社会で活かせるかの挑戦でもあるのですが,これが実は不思議と活かせるのです。私も正直,ここまで神社や寺院の護持が活かせるとは思ってもいませんでした。しかし,実際に行動して見ると様々なところ,場面で応用が利くのであります。良く考えて見れば,それもそのはずなのかも知れません。なぜならば,経済活動も元々は信仰の対象であったのですからそれもそのはずです。私たちが脳で忘れていても遺伝子「DNA」にはちゃんと記録(インプット)されています。

気の遠くなる祖先が経験し,体験した膨大な記録は,私たちがフッとした瞬間に蘇る機能を有しているのかのようです。上手く表現できませんが,たとえば,何故か理由は判らずとも肚に落ちるといった感覚を経験されたことがあろうと思います。途方もない歴史の中で,無数の先祖が体験してきた記録がその瞬間に瞬時に私たち子孫へ伝達されていると考えると何だか不思議な感じもします。その途方もない記録「遺伝子・DNA」の根本は,やはり「和」が基盤になっています。和に反すると,和に戻す力が働きます。

私たちが過去に生きていてくれた無数の先祖のお蔭で,私たちは様々なことを体験でき,危難に遭遇した場合にも瞬時に危難を回避する行動に移せるのだと感じています。しかし,ただ一点だけ機能不全に陥ってしまっている記録「遺伝子・DNA」もあるようです。それは,大自然「神さま」自然「精霊」と距離を取り過ぎてしまったことです。たとえば,神社や寺院で手を合わせる人は普通に居りますが,太陽や山や海,畑や田んぼに手を合わせる人はほとんど見ません。逆に,現代では奇妙に見えるかも知れません。

神社や寺院にゴミを捨てる人はあまり居ませんが,山や川,海にゴミを投棄する人が後を絶ちません。それは何故なのかであります。本来,私たちは大自然や自然と一対一の関係なのであります。つまり,自然と自分との間には何も遮る存在がいないはずなのであります。今一度,私たちは大自然や自然と合致・合一することが大切な気がしてなりません。古神道では,これを神と人が合一すると言って「神人合一」「惟神:カムナガラ」と言われて来ました。現代の宗教家でこう言った話が出来ないのは真に残念です。

神社で神主さんにお金を払って祈祷してもらった。祝詞を奏上してもらった。

お寺で住職さんにお金を払って御経を読んでもらった。供養してもらった。

だから良いことがある。先祖が成仏する。願い事が叶う・・・などなど。

これは全く違います。大切なことは直接,何も介在させずに繋がると云うことです。

つまり,自分自身が自然を崇拝し,祖霊を供養すると云う祭祀者になることなのです。

お金は,あくまでもこの世の3次元で有効的に機能する物であります。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

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予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊3 再掲載

2018年08月15日 08時46分22秒 | 反省の心柱

上の写真は,ひめゆり学徒隊の遺族によって建立された,ひめゆりの塔です。

こんにちは。昨日,一昨日と続けて書かせて頂いてきた「予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 」ですが,本日その3で終わりにしたいと思います。一昨日は「予科練」について,昨日は「特攻隊」について書かせて頂き,今日の最終日では,日本本土上陸で激戦地となった沖縄「ひめゆり学徒隊」を書かせて頂きます。若い世代の人たちには「ひめゆり」や「ひめゆり学徒隊」と言っても聞いたこともない人も多いのではないではないかと思います。私も自分で勉強するまで知りませんでした。ちょうど今の高校生と同じ頃の若い女子学生をひめゆり学徒と呼んでいます。なぜ,そんな若い乙女までも戦争の被害にならなければならないのか?そして,学徒隊なんて言う軍隊みたいなものに入隊しないとならないのか?戦争は男の軍人さんたちが戦うものではないのか?そのような素朴な疑問が勉強をする上でも生命の尊さを知る上でも大切な事ではないかと私はそのように考えています。

さて,それでは先ず,ひめゆり学徒とは具体的にどのような人たちで,何を任務としていたのでしょうか。昭和20年3月23日,いよいよアメリカ軍が日本の沖縄県に上陸を開始しました。よく本土上陸などと言われていたりしますね。当時の沖縄県から21の中等学校の生徒たちが動員されました。これを学徒と云います。その内,女子学徒は15歳から19歳です。主に陸軍の病院等で負傷した兵隊さんたちの看護が任務でありました。一方,男子学徒は14歳から19歳で上級生になると「鉄血勤皇隊」へ入隊を命じられ,下級生は「逓信隊」に編成されて行きました。現在の沖縄県那覇市安里にあった沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校から,生徒222名と教職員18名が沖縄陸軍病院へ動員されて看護任務を遂行することになったのです。

これを戦後になって,ひめゆり学徒隊と呼ぶようになりました。元々は,沖縄師範学校女子部を「乙姫」と呼び。沖縄県立第一高等女学校を「白百合」と呼称していて,併設された両校を漢字で「姫百合」と呼ばれていたのです。したがいまして,ひらがねで「ひめゆり」と呼ぶようになったのが戦後と云うことになります。

沖縄師範学校女子部は主に教員を養成することを目的とした学校で,沖縄県立第一高等女学校は「知性あふれる教養豊かな女性を育成」するために設立された学校でした。沖縄県で唯一,プールがあった学校でも有名で,勉強熱心で,沖縄県内から難関を突破し集まった生徒たちは恵まれた環境下で学校生活を送っておりました。しかしながら,激しい沖縄戦でアメリカ軍の猛攻撃を受け続け全てが焼失し廃校となってしまったのです。最終的に,実に136名の尊い生命が戦場で亡くなることになってしまいました。

太平洋戦争末期,日本の大本営(最高統帥機関)は,次々と特攻をありとあらゆる部隊に命じて行きます「神風」「桜花」「回天」「舟艇」「兵士」そして,あの巨大戦艦「大和」ですら特攻を命ぜられます。それほど,日本軍は連合国軍に追い詰められている状況で,沖縄県でも多くの民間人が犠牲となり,地上戦を繰り広げて行くことになりました。日本軍は,本土決戦の準備期間を何とか稼ごうとアメリカ軍を沖縄に張り付けさせ持久戦をとり,地下壕にもぐって対抗しました。しかし,アメリカ軍の容赦ない艦砲射撃,砲爆撃は3ヶ月続き,実に軍民合わせて20万人以上の尊い生命を奪い去りました。沖縄の男子,女子合わせた全学徒のうち,2000名余りが沖縄戦の激戦地で亡くなったのです。ここでもまた若い命が奪われることになってしまいました。

そうしていよいよ撤退と姫百合学徒の解散命令です。これを南部撤退と呼んでいます。

既に窮地に追い込まれていた沖縄で,アメリカ軍は日本軍司令部のある首里に迫っておりました。日本軍は,何とかアメリカ軍の本土上陸に徹底交戦するため持久作戦を決断します。沖縄本島南部へ撤退を開始したのであります。当然,ひめゆり学徒隊が任務を遂行している陸軍病院にも撤退命令が発令され,ひめゆり学徒たちは歩ける患者たちを連れて,傷ついた友人を担架で運び,薬品や書類を背負い砲弾が飛び交う中を本島南部に急ぐことになりました。しかし,連日の爆撃と降り続く雨で道路は泥沼化して行き,本島南部への道は撤退する住民や兵士であふれ,無数の死体が転がり,手足のない重傷者たちが泥の中を這いずり回っている惨状であります。各病院では,自力歩行できない重傷患者には毒物を与え,2人の学友は動くことすら出来ず,南風原に残さざるをえませんでした。その時の学徒さんたちの気持ちとはどんな思いだったでしょうか。これこそまさに地獄絵図そのものです。

6月18日の夜半に,陸軍病院において「ひめゆり学徒」に解散命令が出せれました。しかし,ここからが語り継がれる「ひめゆり学徒」そのものでした。アメリカ軍が自分たちの目の前まで迫って来ており,砲弾が飛び交う中,学徒たちは自分たちで地下壕などから脱出し,自分たちの考えで行動しなくてはなりません。つまり,指揮官が戦場でいないことになります。情報もなにもありません。そして6月下旬,激戦地では,沖縄守備が壊滅し,牛島司令官は生き残った全兵士に対して降伏することは許さず,最後の最後まで戦うことを命じて自らも自決することになります。牛島司令官は,とても教育熱心な御方であったようです。

牛島司令官の自決後も兵士たちはアメリカ軍の凄まじい攻撃から逃れることも出来ず,ここでもまた多くの地元住民と兵士が亡くなりました。3月の学徒動員から解散命令が発令されるまでの90日間,ひめゆり学徒の犠牲者は19名であるのに対し,解散命令後のわずか数日間で100名あまりが亡くなることになったのです。指揮官を失い,自分たちの周囲はすべてアメリカ軍の兵士たちです。そして,行き場の無くなった学徒たちは父親と母親の名前を叫び続けて自ら命を絶つ学徒が続出し,学徒たちはアメリカ軍に捕まることを最も恐れ,手りゅう弾で自決した学徒さんもおりました。

戦争は,軍人だけが戦う訳ではありません。それを沖縄戦が後世の私たちに教えてくれています。このひめゆり学徒隊の悲劇から私たちは何を学ぶことが出来るのか,そしてその想いを後世の人へ伝え残す役割があるのだと考えています。

そして,本日,正午より天皇陛下,皇后陛下の見守る中,日本武道館にて全国戦没者追悼式が斎行されました。

激しい沖縄の激戦地で犠牲になられてしまった御霊に心より供養させて頂きたいと思います。

大 々 合 掌

  

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ほんの一時でも贅沢をさせてあげたい。 再掲載

2018年08月13日 06時16分28秒 | 歓びの心柱

上の写真は,総本山 長谷寺です。

以下は「2016.9.2」に掲載した神恩感謝に心音感謝。毎朝毎夕祖霊に感謝記事です。

こんにちは。また台風(12号)が発生し,今度は九州地方・熊本の被災地を直撃しそうな進路を辿っているようです。大難が小難に小難が無難になるよう祈ります。9月と10月は台風に注意したいと思います。これから台風が巨大化して行くと感じていますし,これまでの様な進路以外も想定しておく方が無難かも知れません。9月9日(重陽の節句)には大きな節目のような日になるとも感じています。(これは眼には観えないお話です)白山の太神様への感謝の日と私は個人的に考えております。

さて,先月8月には祖霊感謝祭がありました。そして,今月9月には祖霊感謝祭がのお祀りが御座います。8月つまり,お盆の際の祖霊大感謝祭よりも若干,質素にはなりますが,今から献立を考えたりしながら楽しみにしています。未だ若いのですが,考え方は御老人の様です。先祖供養や祖霊感謝のお祀りは何だかとても楽しくて仕方がないのです。私たちの祖先の中には,飢饉や飢餓,疫病や死産の御霊がたくさんおります。どんな家系であろうとおります。平安時代や鎌倉時代の祖先においてはまさに飢饉や飢餓,疫病の時代でありました。その祖先が,この世に置いて逝った未練も凄いものであったと想像しています。

きっと,やりたい事ももっと沢山あったでしょうし,遊びたいこともあったと思います。勉強も仕事もしたかったでしょうし,女の子であれば今で云うオシャレもしたかったのではないかと感じています。中には,人に奉仕することを夢見ていた先祖もいたはずです。その未練や執着,想いや想念を私たち子孫は受け継いで生きています。万が一,祖先がお盆やお彼岸に子孫の元へ帰還することが神様に許して頂けるのであれば,せめてその短い期間中は贅沢をさせてあげたいといつも思いながら供養させて頂いております。今日,神様へ大祓詞を奏上した時の気持ちはとても気持ちが良いものでした。先祖供養の前の観音経も落ち着いて気持ちよく捧げることが出来ました。気持ちがとても清々しかったです。有難う御座いました。

心柱に音を降ろし,言葉にして観ました。以下の紫色の文字がそうです。

我 子孫 祖霊飲食 祖霊衣服 祖霊住居 祖霊薬薬 祖霊安寧 祖霊平穏 一心観世音菩薩 祈

我 祖先 子孫飲食 子孫衣服 子孫住居 子孫薬薬 子孫安寧 子孫平穏 一心観世音菩薩 祈

子孫は,祖霊の飲食,祖霊の衣服,祖霊の住居,病気の祖霊に薬を祖霊の安寧,祖霊の平穏を一心に観世音菩薩へ祈ります。

祖先は,子孫の飲食,子孫の衣服,子孫の住居,病気の子孫に薬を子孫の安寧,子孫の平穏を一心に観世音菩薩へ祈ります。

神恩感謝に心音感謝。毎朝毎夕祖霊に感謝。花咲 あさひ 拝

  

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やって参りました祖霊大感謝祭 御先祖様とともに。 再掲載

2018年08月11日 20時01分17秒 | 感謝の心柱

こんにちは。今年もいよいよ大イベントである祖霊大感謝祭がやって参りました。この一週間は,私にとっては特別な日々であります。特に,春のお彼岸や秋のお彼岸と違ってお盆はとても重要でもあります。それは,前にも記事にさせて頂きましたが,人が亡くなりあの世に帰ると生前の行いにより自分に見合った世界へ自ら行くことになります。本当は,自分自ら各世界へとさらなる修行の旅に出る訳ですから,その魂の向上にとっては一番良い場所ともいえます。このお盆の期間に限っては,あの世で私たち子孫を見守っていてくれている全ての御先祖様が,この世の子孫のもとへ戻って来れる唯一の期間,楽しみでもあるのです。

そして,その膨大な御先祖様の中には,この世で生を享けしときに様々な思いや為すべきことを為さずして亡くなった方や,飢餓や飢饉,病気などで亡くなって逝った方々も多いはずです。むしろ,そのような方の方が多いのではないでしょうか。平安時代や鎌倉時代などは正に苦しみの時代であったことだと思います。そしてまた,この世に生れ出ることが出来なかった水子さんもしっかりと供養すべきであります。神様から授けられた御魂でありながら何らかの理由で生まれて来ることが出来なかった水子さんにとっては無念であったことだと思います。今の私たちに比較的近い存在である御先祖様においてもあの世からお盆の期間中は帰還することが許されていますから,きっと,そばで孫やひ孫をじっと微笑ましく観ていることと思っています。

正に,祖霊大感謝祭に相応しい期間であるのがお盆であります。しかも,1年に一度しかない大イベントです。以前も少し記事にさせて頂いたことがありました。もし宜しければお読みください。「観世音菩薩と共に。これが本当の理由です。

私はいつもお盆当日若しくは,前日に,先ず氏神様と地域の一之宮の神社へ今年も無事にお盆を迎えることができ,祖霊大感謝祭をさせて頂けることに感謝させて頂くために参拝し,そのあとに自宅の神様への御神酒を奉納してから事前に決めておいた献立に沿って,御先祖様の御供物を買い出しに行った後に供養させて頂く慣例であります。貧乏の時代には御線香と御水,御茶と御団子が精一杯でしたが,今では豪華にお供えが出来るようになりました。本当に有難いことであります。

それとお風呂に湯をいっぱいに張り入浴準備を整えます。日本人でお風呂が嫌いな人はほとんどいないと思いますし,私自身がお風呂が好きであるので,きっと,御先祖様もお風呂に入ると想いお風呂に湯を張っています。実は,私の母方は銭湯を営んでいたので,私にとってお風呂はとても大切であり,疲れを癒やす最高の場ではないかと思っています。あの世で忙しく修行されているたくさんの御先祖様が疲れを癒やせる場がお風呂と云う訳です。狭いお風呂なのでいっぺんには入れませんけどね。

元々,先祖の供養と云うのは仏教の思想ではありません。実は,縄文時代には既に確立されておりました。そして,今で言う追善供養も実に丁寧に斎行されておりました。また本来,祈りには自分と云う概念は存在しないのであります。しかしながら,今では祈りの対象が先祖の御霊を供養すると云うよりも自分自身の幸せの為の供養とになってしまっています。これは祈りではなく,単なる取引です。せめて,自分の先祖への祈りは感謝のみを捧げては如何でしょうか。子孫の純粋で無垢な感謝の祈りほど,御先祖様の供養になることはないと私は感じております。高額のお金を掛けて寺院へ御願いする祈り方も先祖にとっては嬉しいことではあると思いますが,それよりも真心が籠った子孫の祈りほど尊く,嬉しいものはないのではないでしょうか。

このお盆の期間中,たくさんの御先祖さまと楽しく過ごし,ともにいたいと思います。拝

  

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それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

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最後の宮大工 西岡常一棟梁 3 再掲載

2018年08月10日 22時36分06秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。

最後の宮大工の西岡常一棟梁。

その西岡家に代々伝わる口伝を昨日も紹介させて頂きましたが,西岡家を含む歴代の法隆寺の棟梁のみに伝えることが許されて来た秘伝には,どんな意味が説かれて来たのかを生前,西岡棟梁が書かれた著書から引用して掲載させて頂きたいと思います。

きっと,数千年と云う気の遠くなるような永い年月を経て繰り返しその時代時代の棟梁に代々伝え続けられて来た口伝・秘伝ですから現代の私たちでも学べることがたくさんあると考えます。たとえば,大工の親方と若衆,茶道や華道の師匠と弟子,会社の社長と社員,親と子など先人たちの知恵から何を学ぶかは私たち次第であります。歴代の法隆寺棟梁にだけ許される口伝です。

引用著書:木のいのち 木のこころ 著者:西岡常一棟梁

1.神仏をあがめずして社頭伽藍(しゃとうがらん)を口にすべからず。

 口伝曰く,

これは神の道を知らんものは神社建築を口にするな,また仏の道を知らぬものは堂塔伽藍を口にするなということですな。これは何も神道や仏教の専門家にならねば手を染めてはならんということではないんですな。自分が造ろうとしているもの,かかわっている仕事がどんなものか知らなならんという宮大工の心構えですな。金のためだけに仕事をしてはならんということでしょう。

法隆寺は聖徳太子が仏法者を育てるための場所として造られたんです。その仏法によって国を治めようとしたんですな。その聖徳太子の教えがどのようなものかぐらいは知らんと,法隆寺の修理にも解体にもかかわれませんな。私がこの仕事にかかわるとき,法隆寺の管長の佐伯さんがいいましたもんな,法華経ぐらいは目を通しておけって。

この口伝に似たもので,こんなものもありますのや。

家宅は住む人の心を離れて家宅なし。

家宅を造るならそこに住む人の心組みを受けて,その意を汲んで造作しなさいということですな。まあ,大工のわがままや,自分の儲けで造るなということです。寺は仏さんの住むところやから仏さんの心組みを忘れるなということでしょうな。

以上

第1の口伝は,神仏への崇敬心を大前提とした宮大工の心構えを口伝されています。少し前にも大手建設業「ゼネコン」で,儲けを追求するあまりにセメントを実際の図面より少なくしたり,杭を減らしたりといったことが大問題となりました。このような事が建設業界では日常的なことと言えるかどうかは分かりませんが,実際の図面に沿わない形で建築して行けば耐震性も耐久性も期待できません。つまり,人の生命にかかわる重大な事柄です。そう言った反道徳的な考え方や心構えでは仏さまの住むところは造れませんし,造らせる訳にもまいりません。又,西岡棟梁の説明文において法隆寺の管長さんに法華経ぐらいは目を通して置くように言われたと書かれていますが,わたしは,法隆寺の管長さんが仰りたかったことは法華経を文字図らだけで理解するのではなく,法華経の精神を心の目で読み解くようにと言いたかったのではないかと想像しています。これが音霊なのであります。

漢字で書かれている法華経をただ読んでいるだけ,又,唱えているだけではなく,法華経に書かれている言葉の奥を観るのであります。その時に,自分自身が直感的に感じたことが音霊なのです。この音霊については,過去にも何度か書かせて頂いていますので検索ツールを使って宜しければ読んでみて下さい。音霊を観ることこそ古神道の真髄ですし,音霊をこそ内なる声でもあります。

古神道で云う審神者です。音霊と言っても実際に耳に聴こえてくる音ではありません。目には見えない音ですから波動と言った方が解かりやすいと思います。この波動を読み取ることを審神者と申します。海や山や川などの自然からも目には見えない波動を発しています。その自然が私たちに発している波動を自分自身の心に建つ心柱(みはしら)に降ろして観るのであります。そうすると言霊が生まれて,私たちは言葉をしゃべることが出来るのです。つまり,自分自身の心次第で言霊も言葉も変わると云うことなのです。

  

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最後の宮大工 西岡常一棟梁 2 再掲載

2018年08月09日 19時40分48秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。

昨日は,日本が世界に誇る技術者集団「宮大工」の最終者でもある西岡常一棟梁その1を書かせて頂きました。

昨日の記事の冒頭で,NHKで紹介されたと書かせて頂きましたが,テレビだけではなく,どうやら,映画にもなっていたようです。上の画像は,インターネット上から借りて来たものですがドキュメンタリー映画と記載されています。私の家にはテレビがないので,この手の情報はさっぱり分かりません(笑)。テレビがないと言っても経済的に買うことが出来ないとかではなく,テレビの情報は基本的に偽りが多いように思えることとテレビを見ている時間が勿体ない気がしているからです。自分の感が鈍るのであります。ニュースはもっぱらインターネットで十分ですし,見たい番組は動画サイトを活用しておりますので不便ではありません。

今日は,その2を書かせて頂きます。それにしても,宮大工の精神性が継承されないことに私はとても残念に思います。宮大工の宮とは神職と云う意味があるのです。元々,宮大工は神社や寺院に所属していたのです。伊勢神宮の式年遷宮を見ても判るように,20年に一度の建て替えは,民間のようにどこかの建設会社へ一括して請負されることはしないのです。神宮造営部に所属します。

なぜならば,御宮を御造営することは祭事になるからであります。

一つひとつの作業に祈りを込めて丁寧に造り上げて神さまへ奉納するのです。これが,和の国「日本」のモノづくりに対する基礎基本となって現代に継承されて来ています。つまり,どんな物質も特有のエネルギーを発しています。念です。古神道では,この世のありとあらゆるものには神さまの分魂が宿っていると云う分魂思想があるのです。したがいまして,恨み辛み,悲しみ憎しみを抱いてモノづくりをしてはならないのであります。やはりモノづくりは,明るく,楽しく,感謝して。これを基本にしたいものです。

ブラック企業の社長さん。大丈夫でしょうか?(笑)

話しが逸れてしまいましたので戻します。

代々,法隆寺の棟梁だけに伝え続けられて来た口伝が,棟梁西岡家には存在します。

この口伝は,棟梁だけに伝えることを許されていたと言います。

生前,西岡棟梁が書かれた本「木のいのち 木のこころ」の中から一部を抜粋させて頂きます。

1.神仏をあがめずして社頭伽藍(しゃとうがらん)を口にすべからず。

2.伽藍の造営には四神相応(ししんそうおう)の地を選べ。

3.堂塔建立の用材は木を買わず山を買え。

4.木は生育の方位のまま使え。

5.堂塔の木組みは寸法で組まず木の癖で組め。

6.木の癖組みは工人たちの心組み。

7.工人たちの心組みは匠長(しょうちょう)が工人らへの思いやり。

8.仏の慈悲心なり,母がわが子を思う心なり。

9.百工あれば百念あり,これをひとつに統ぶる。これ匠長の器量なり。百論ひとつに止まる,これ正なり。

10.百論をひとつに止めるの器量なき者は謹み畏れて匠長の座を去れ。

11.諸々の技法は一日にして成らず。祖神たちの神徳の恵みなり。祖神忘れべからず。

以上です。

西岡棟梁が生前書かれた本の中から,一部を抜粋して書かせて頂きました。ただこれだけを読んでも一つひとつの意味が解りませんので,明日の記事で一つひとつに西岡棟梁が丁寧に説明したものを掲載させて頂きたいと思います。明日に続きます。拝

  

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


最後の宮大工 西岡常一棟梁1 再掲載

2018年08月08日 21時41分21秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。

私の好きな方の中に,法隆寺を修復する棟梁の家系に生まれ,自らも棟梁となった西岡常一棟梁が居られます。NHKなどの番組で特集されたり紹介されていたようなので御存知の方も結構多いように思います。日本が誇る宮大工の最終者でもあり,薬師寺の復興にも総棟梁として若衆や技術者へ口伝されていた御方です。西岡棟梁が最も拘り続けたものが木です。木材の癖読みは今でも語り続けられるほどの眼力を備えていたようです。木と会話をしながら,木と呼吸しながら寺院を建築されていたのですから驚きです。

もし,生涯学習として人物研究をしたいとすれば,私は鎮守の森を守り続けた「南方熊楠」さんと最後の宮大工「西岡常一」さん,そして報徳思想の「二宮尊徳」さんです。私がなぜ西岡常一棟梁を知ったかと申しますと東日本大震災で被災した寺院の復興を約5年間ほど任されて居た際に,お寺の本堂建築を請け負った宮大工A棟梁からお話を伺ったからであります。そのA棟梁は,とても気性が激しく自分の腕(技術)には絶対の自信を以ていました。本当なのかな?と当初,私も思っていましたがA棟梁の地元では有名で,実際に過去建築した寺院をA棟梁と見学に何度も行きましたが,住職さんや檀家総代さんからも絶大な信頼を得ていました。

又,A棟梁は図面を見ないのです。全部,自分の頭の中に入っているのです。

図面を作製する一級建築士もA棟梁には敵わず,逆にA棟梁から教えてもらうことがほとんどでした。

頑固で気が荒く,自分の腕には絶対的な自信を以ている昔ながらの職人気質であります。私も復興事務局の責任者でしたので,このA棟梁とは何度も衝突しておりました。A棟梁もお前みたいな若い奴に何が解かる?と言わんばかりです。そんなA棟梁ですが,何故か憎めないことろがあり,こちらが謙虚になって技術のことを聞くと何でも教えてくれました。夜中に為ろうが何時間でも私の質問に正面から答えてくれていました。おかげで最後には,私も多少の知識を得ることが出来るように成長したのです。毎日の様に夜中まで激しくぶつかり,納得が行くまで協議し合った日々が今となってはとても懐かしく思えます。A棟梁は自分の技術を売りに来ていたかも知れませんが,私は700年続くお寺を護持する為に居るのですから易々と引き下がる訳には行きませんでした。

きっと,西岡棟梁も同じような性格であったのかも知れません。生前,西岡棟梁が書かれた本の中で,私が特に強く印象を受けたのが「穢れ」についてでした。西岡棟梁の穢れに対しての概念と申しますか観念と申しますか考え方は私も全く同じであったのです。西岡棟梁曰く「宮大工は一般の住宅を建築したらあかん」「一般の住宅を建築すると穢れが付いてしまうから建築したらあかん」と言っております。一見すると何を言っているのか意味が解りません。しかし,その理由はちゃんとあるのであります。

その理由を今日と明日に渡って書かせて頂きます。

先ず,穢れるとは「気が枯れる」ことを指します。汚いとか汚れとは違います。

つまり,商売の頭で計算していては,神社や寺院の建築は出来ないと云う意味であります。商売は損得勘定に基づいて商いがされて行きます。何処まで行っても損得勘定で計算しないと大損してしまいますし,そもそも経営が成り立ちません。経営が成り立たなくなるとそこで働く人々は失業してしまいます。食べて行けなくなりますから,現代においても企業は営利を目的にする営利法人と云う大前提であり当然であります。しかしながら,神社や寺院は,始めから営利を目的としていません。確かに,定款に定めれば営利行為は可能ですが,これはあくまでも理論上のことであります。その為に,神社や寺院は法律上も一般企業と比べて法人格も別ですし,税制も非営利事業に対しては不可税となっています。又,寄附金などを募集し,寄附を受けることも可能となるのです。

そう言ったことからも神社や寺院の建築は,損得勘定を以てすることは御法度で,数千年の昔から親方から弟子へ繰り返し口伝され続けて来ました。決して,損得だけで考えたならば少なくても数千年も継承して行くことは出来なかったであろうと思います。建築に使用する木材も損得勘定で考えたら安く仕入れて高く売るようになってしまいます。そうなれば,木材の寿命も低減し,地震などに耐える耐震性や免震性も期待できず,湿気の多い山間部に建立する場合を考えても木材は直ぐに腐敗して保湿性も度外視するようになります。安い木材を仕入れて神社や寺院に高く売ることは出来ないのであります。そこが一般企業とは決定的に違うのです。

それでは,損得勘定や銭勘定抜きで昔ながらの宮大工が存続できるのか?

そうなのです。結論から申し上げますと宮大工は,現在の日本には存在しません。

西岡棟梁が最後の宮大工と云われる所以がここにあります。

神社や寺院は一度,建立すると数百年は偶にある補修や修繕のみとなりますので,宮大工が食べて行けないじゃないかと思われると思います。私も同じ様に感じました。それでは,一般住宅を建築しない本物の宮大工が存続できるのか?です。そのことも西岡棟梁は本の中で書いていますが,昔から本当の宮大工は一般住宅を建築することが出来ないので「農家を兼業していたんです」「お寺の仕事が暇になると農業をしてます」「そしてお寺の仕事を頼まれると宮大工をします」このように宮大工と農業を兼業することによって一般住宅を建築しなくても食べて行けたのであります。現代にこの考え方を当て嵌めるには農業が衰退していますから無理がありますし,現在は,建設業法などの法律もありますから資金が潤沢でないと無理です。そもそも今の建築士さんでは社寺建築を理解できません。したがいまして,現在の宮大工さんは精神性は抜きにして,技術だけを継承していると考えると良いと思います。

この様にして文化や伝統は消えて行くのでしょうか?

明治時代に一部の官僚によって立案された神社合祀政策。そしてそれに真っ向から猛烈に反対し続けた南方熊楠さん。建築業法などの理屈で世界に誇れる技術者集団である宮大工を日本から消滅させ,それを推進する大学教授対しては鬼の如く徹底的に議論し続けた最後の宮大工西岡常一棟梁。わたしは,ここから何か学べるような気がしています。二人に共通するものは何なのか?やはりそれは和の心であったのだと思います。時の官僚政策が本当に正しかったのか否か歴史が判断する以前の問題であると考えます。

そのあたりのことを明日,書かせて頂きたいと思います。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝