花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

外国人労働者の受け入れをどう考えますか? 1

2018年05月31日 15時20分50秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

こんにちは。

昨日は,一日とある会社の就業規則を起案しておりました。頭の中がゴチャゴチャになってしまい中々の苦戦を引いられました。しかも,未だ未完で完成しておりません・・・。施行期日が明日からだと云うのにどうしましょう。。。3ヶ月くらい会社の代表者や従業員の代表者と協議を重ねて来ましたが,中小企業では特に,就業規則などの改定を伴う協議をして行くと今までの蓄積された念が一気に噴出してしまうものです。そう云った長年の間,蓄積された会社への不満を恐れて積極的に就業規則などの改定に踏み切れない経営者も多いような気が今回の就業規則を起案していて感じています。悪知恵を植え付けるポンコツ社労士もいますしね。

従業員の方々と打ち合わせを繰り返していると確かに,会社への不満を聞かされることも多くあります。差別や虐げられて使われている従業員の方もいらっしゃることもあります。わたしは,秘かに黒足袋衆の逆襲が起こるかな?思っているのですが,会社の経営者の考えも踏まえると複雑な心境になってしまいます。なぜならば,現行の労働基準法などの労働法令を条文や通説とおりに遵守して行くと中小企業の経営は破綻してしまうと考えているからです。なかでも,建設業界や運輸業界は圧倒的に下請け構造で一つの仕事を完成させています。その分,複雑な契約になっていて日本の労働集約型産業は,孫請け,ひ孫請けは当たり前になっています。

元請けが下請けに仕事を出し,下請けが孫請けに仕事を出す。その中間に存在する会社ごとに中間マージンが発生して行くのですから,末端で請け負う会社が黒字になることは至難の業でもあるのです。そうなると末端で働く従業員の給料も上がるはずがありません。ましてや,年に2回の定期的なボーナスや社会保険・厚生年金に加入なんて云うのは夢幻の如くであります。これが現実です。

仕事を下請けに出す大企業の側もその辺のことを考え出してはいるようですが,下請け会社の経営までに口を出すことは出来ませんから,結局,下請け会社の代表者の考え次第になると云う結論である訳です。先日もある下請け会社で,大企業でもある元請け会社から就業規則を提出るように指示があったと欠相を変えていた経営者(運送業)の方がいましたが,その会社に就業規則なんて云うものは存在しません。法律上の要件では,一定の要件に満たしていない会社は就業規則の義務付けがされていないからなのです。

元請けの大企業も大企業で,そう云った専門的な事柄を担当する部署の職員は,該当する法律をとてもよく勉強していますから,就業規則がなければ労働者との間で契約している労働契約書を提出するように指示されて来ると思っています。指示された下請け会社の経営者も,労働者との間で必ず締結されていなければならないものですから,元請け会社にありませんとは言えないのです。

そう云った細かいところまで元請け会社が関与してくる時代になりました。そこでもし,下請け会社が提出を拒否すれば解かりましたと言って,どこかで取引の継続はなくなってしまうのでしょう。わたしが考えるに,このような流れは消費者の要望や期待値を敏感に感じ取った元請け会社の意思の表れでも在るように考えています。たとえば,建設業界も運輸業界も消費者と直接接するのは,元請け会社の従業員でも下請け会社の経営者でもありません。つまり,厳しい労働環境で必死に働いている末端の労働者自身です。

その下請けの労働者が,どう云った環境で業務に従事しているのか?賃金形態はどうなのか?休日や休憩はどうなのか?労働災害が起きた場合,下請けの会社はきちんと労働者を救済する仕組みが出来ているのか?などが情報入手の射程範囲のようです。これから想定されて来るのは,たとえば,社会保険や厚生年金に未加入の場合,仕事は供給しないとなっても不思議ではありません。建設業界の一部では既にそのような動きが本格的になって来てはいますが,中堅以下の企業群にも浸透されて行くだろうと思っています。

あしたまた続きを書きたいと思います。拝

 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


童心は強烈なエネルギーを放ちます。

2018年05月30日 08時08分08秒 | 怒りの心柱

こんにちは。

今日は,自分自身を奮い立たせるためにも怒りの心柱に降ろして書かせて戴きたいと思います。人の怒りと云ってもさまざまな感情があると思います。怒りと聞くと何だか近寄りがたく,破壊的で破滅論を想像してしまいがちです。確かにそのように考えることも出来ると思いますが,私的には,そう云ったことだけではいと考えています。同時に,そう云った考え方こそ,大人が勝手につくり上げた虚構なのではないかと感じているからです。虚構は虚構で良いのですが,私の考えている怒りとは,もっと純粋な言って見れば童心のような心だと考えているのです。たとえば,困難なことに直面しても自分の信念を貫き通す気持ちも怒りだと思います。

先の見えない社会に,不安なことが多い今の世の中で怒りを以て挑戦してくことの方が逆に難しいことのようにも感じています。心が不安定になってしまったり,心配事が増えてしまったり,経済的に困窮したりと自分の信念を貫き通すことが難しいと想うことも多いと感じるくらいではないでしょうか。古神道に伝わる言葉に一霊四魂と云ういってみれば魂の働きを現わした言葉があります。

前にも確か,記事にさせて戴いたと思いますが,この一霊四魂は「和魂:にぎみたま」「幸魂:さきみたま」「荒魂:あらみたま」「奇魂:くしみたま」と云う魂の働きを分類した考え方でありますが,その内,怒りと云うのは「荒魂」の働きであるのです。困難なことに果敢に挑戦したり,自分の信念を貫き通す強い意思,自分自ら率先して行動に移す勇気も全部この荒魂の働きであります。

こう云った強い想念をわたしは怒りと表現しているのです。しかし,真に残念なことに,大人になるにつけ荒魂の働きは徐々に機能しなくなり,弱ってしまうようです。きっと,理屈で考えてしまい心で感じることが少なくなったことが原因ではなしでしょうか。

特に,小さな子どもは荒魂の働きが盛んで,勢いもあります。小さな体で,よくあんなにエネルギーがあるなと感心してしまうことがあると思います。子どもと遊ぶとそれが良く解ります。大人の方が息切れをしてしまうほどです。幼い子どもが戦隊ヒーローに憧れたりするのも荒魂の働きです。あえて別な言い方をすれば,荒魂とは正義の味方の働きであると言っても良いかも知れません。

子ども達は,みな正義の味方が大好きですから。それは,理屈を知らず,人を疑うことを知らず,純粋に物事を見つめることが出来るからだと感じています。逆に,大人になるにつれ,何でも理屈で物事を判断し,性悪説で人と接し,自分にとって損か得かで善悪を決めて行く訳ですから荒魂のエネルギーが落ちて行くのは当然と言えば当然であります。理屈は誰にでも憶えることが出来ます。

しかし,理屈を憶えて使いこなせる大人がとても少ないのです。つまり,理屈を憶えると理屈に使われてしまう訳です。そのことは法律を学ぶと良く理解できます。理屈は使う為にあるのであって,理屈に使われ支配され出すと自分は頭が良いと本当に錯覚を起こしてしまうものなのです。自分の周りの人たちがみんなバカに見えてくるとようになってしまうと理屈に支配されている証明です。

子どもの頃に戻りたいという想念は,荒魂からのシグナルでもあるのです。

童心は強烈なエネルギーを放ちます。皆で,どんどん放って行きましょう。

国宝とは何物ぞ。宝とは道心なり。by 最澄。

 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

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菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


古神道入門 神ながらの伝統 5

2018年05月27日 14時14分55秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

今日は,前日に書かせて戴いた「古神道入門 神ながらの伝統 4」 の続き5を記事にしたいと思います。上の写真は,太古の昔より太陽信仰の祭祀場とされている室生寺の奥之院へと続く道であります。もう何年も前になりますが,はじめて室生寺に参拝させて頂いた際に,境内の建つ伽藍配置を知らずにウロウロと歩いていると知らず知らずに,どこまでも続く720段の石階段を登っていました。その720段の石階段をどこまでも上がって行くと奥之院へ辿り着きます。奥之院では,観世音菩薩の化身である中村さんと云う奉職者に会うことが出来たのですが,今は既に退職されているようです。多くの参拝者を癒やされて来られたと思います。

室生寺は,水の神さまと火の神さまもお祀りする太古から続く聖地です。

それでは,以下,古神道入門 神ながらの伝統より。小林美元 著

第7章 神ながらなる大道へ

争いを好まない産霊(むすび)の母性原理

古事記や日本書紀を読んでおりますと,争いがなかったとは書いておりません。正直に争い事もかいてあります。

しかし,その争いは邪悪な心をもったもの,邪悪な行いを行ったものに対する争いで,それを善に立ち返らせるという事柄が神話の内容になっています。縄文時代の遺骨から出てくる地下鉄の現場などを見ましても,ヤリや刀傷などは一つもありません。弥生時代になり初めて刀傷やヤリが突き刺さった白骨などがありますが,弥生以前の縄文時代にはそこまでの戦さ,争いというものはなかったと思われます。

争いを好まないすぐれた母性原理,すなわち和の結び=調和・平和の思想があったからです。

最近も,五,六千年前も昔の青森県三内丸山遺跡が発掘されましたが,ここにおいてもそういう血なまぐさいものが発見されていません。これは太古の人がいかに霊的に優れていたかということを表現しています。上古代の人達は「おてんとう様」に恥じない生き方をしようということで,お日様を毎日拝み,崇高な生活ぶりを繰り返していたからです。

かつてこの地上にはアトランティス大陸とムー大陸があったということですが,アトランティスの方は科学技術の非常に発達した文明圏で,ムー大陸は精神文明の発達した国であったと言われています。ところが,アトランティスとムーがある婚姻のもつれから戦が起こり,両方が現代の原子爆弾にも匹敵するような破壊爆弾を使ってどちらも没しました。

今から一万二千五百年前と言われていますが,最近,徳間書店から発売されたような本を見ますと,二千二十五年頃には,精神文明のムー大陸が再び浮上してくると,説いている学者,文化人がいます。近いうちに地球の地殻の大変動が起こって太平洋上にとつぜん大きな大陸が出現するということは無きにしもあらずと思います。

また,その時にはアメリカ大陸の大半,あるいは日本列島の海岸線も没する恐れもあるかもしれません。

しかし,新しい大陸ムーが浮上して来た場合,大きな国土が紀伊半島が伊豆半島につながれば日本の地続きになる。そして日本が二十一世紀の文明の中核になり,新しい環太平洋文化圏が営まれ,人々は恒久平和の楽園で暮らすことができるようになるかと想像もされます。いずれにしましても,未来がどうなるにしても,何も怖れることはありません。

この太陽と月と星,この三つの光はすべての生命を生成化育し,発展せしめるための光です。お日様の光,月の光によって起こる潮の満ち干きもそうですし,あらゆるものが太陽と月と星の光,音の波動によって生かされています。

この大自然,天然自然の働きを,我々人類が一層深く霊的に感受して,それをまたエネルギーの源泉として活用できる時代が訪れるのではないかと思います。

以上

毎日,このブログで和の仕組みについて書かせて戴いている,私にとっては大変嬉しく感じることが書かれています。争いは,新たな争いを産み出し。争いを争いによって終わらせた文明はありません。つまり,争いを以て争いを終わらせることが出来るのは,両者が滅びるまで争い戦い続けることです。そのような自分たちも滅びてしまう争いは愚の骨頂です。又,音霊「波動」についても書かれています。この世のありとあらゆる物質は,光と音「波動」で構成されていて,私たち,人間の身体も光と音のなのです。

途方もない超上古代の出来事です。科学者はビックバンと呼んでいます。

無から有を産み出し。その瞬間に光と音が出現しました。拝

 

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想念を具現化するたった1つの方法

2018年05月26日 08時55分55秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

昨日は,神奈川県の小田原市と云う場所に出張に行って参りました。小田原市といえば,小田原城で有名なところでもありますが,その小田原城の城郭跡の一角に私の好きな二宮尊徳さんをお祀りする報徳二宮神社が御座います。一度,参拝させて戴きたいと思っていましたので,これも何かの縁でありますから,仕事関係者との待ち合わせ時間よりも少し早く到着するよう自宅を出発し報徳二宮神社に向かいました。上の写真は,昨日,参拝させて頂いた報徳二宮神社参道の鳥居であります。画像の左側がちょうど自動車を止める有料駐車場になっています。

駐車場も整備され,参道や境内もとても綺麗に清掃されていて神社護持の基本が行き届いている感じがしました。神社の境内自体はそれほど大きな境内ではありませんが清々しい気持ちにさせてくれる神社でありました。わたしのお客さんのご両親も報徳二宮神社の報徳会館で結婚式をされたようです。小田原市に行かれることがあれば,是非,参拝されて見ると良いと思います。実際に生きた歴史上の人物をも神格化し,祈りの対象としてお祀りすると云う日本ならではの信仰形態であります。こちらが公式ホームページです。 http://www.ninomiya.or.jp/

又,神社参拝者専用駐車場の脇の通りに面して,二宮尊徳さんの遺品や書状などを一般公開している報徳博物館が御座います。その報徳博物館の展示品の中に,二宮尊徳さんの思想を図に表した「円相図」と云うものがあります。その円相図を観て,神社に導かれて来た理由が判りました。二宮尊徳さんは,なんでも円の思想「考え方」を持たれていたようです。正直,円相図を観たとき少し驚きました。なぜなら,そこには「和の仕組み」が書かれていたからです。二宮尊徳さんも古神道家であり,音霊「波動」を重視されていたのかも知れません。毎日,ブログで書かせて頂いている内容が一目で解かる図で示されていることに嬉しくも感じました。

きっと,二宮尊徳さんに自分の生きる道を尋ねるとこんなことを言われると思います。

時代劇風に云うと(笑),

生徒役:あさひ

 尊徳先生。心の中で良きことを念じても,ちっとも良きことが具現化致しませぬ・・・。

尊徳先生

そなたはまだまだ努力が足りん。想念を具現化「現実」するには,努力「行動」あるのみ。想念を具現化する方法は,たった1つのみ。それは努力である。努力は決してそなたを裏切らん。努力無き想念は悪想と申す。即ち,どんな良い想念であっても行動し続ける努力がなければ想念を具現化することなど出来はせぬ。努力は想念を具現化する。その信念を忘れずに一歩一歩前に進むが良い。

小さな努力の積み重ねを心得,積小為大とされよ。

貧しい農民から人格神として祀られるまでになられた二宮尊徳先生に教えて戴きました。

〇 感謝 拝

 

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人の心と日本神話 ~心神の岩戸隠れ~

2018年05月24日 10時10分22秒 | 勇気の心柱

こんにちは。

先日の記事,古神道の秘儀「自励拝」に続きまして,今日も縄文時代以前から続く古神道の秘儀(ちょっと大袈裟ですが)を書かせて戴きます。これは結構,多くの方が健康や体内循環を良くする目的で実行されていることだろうと思います。それは早朝の太陽拝「日拝」と云うものです。私も毎日,早朝の7時から8時の太陽神の名「アマテラスオホミカミ」を10回唱えて祈りを奉げております。この日拝は,古神道家でなくても提唱されている方々もたくさんおりますし,医師などの医療関係者も実際に薦められることがあるようです。日拝を現代語に訳すと日光浴とでも言うのでしょうか?日光浴は,気持ちが良くて健康に良い。これは正解です。

古神道と云うのは,大自然と直接,自分自身が繋がり,自分自身の心の中の心神「しんしん」に言ってみれば気を向ける・意識することでありますから奇異的なものではありません。私は,奇異的なことが嫌いなので,自分でもすることはありませんし,決して人に薦めるようなこともしません。ただ目の前にある大自然「神さま」と自然「精霊」と直接,自分自身が繋がることだけなのです。

その理由もいたって簡単で,自分の心の中に神さまの分魂「心神」を宿しているからです。しかし,真に残念なことに,神さまの分魂「心神」が岩戸に隠れたままになっている人々も多いのです。自分を傷つけ,相手も傷つけ,されに自然を穢すことを繰り返して行く内に,心神は心の奥深くに御隠れになられます。逆に,岩戸開きをしている方は,まるで後光が射しているような感じが実際にします。よく,あの人はオーラがあるとか眩しい人だとか言ったりもします。外観的なものではなく内面的に光り出すのです。

こう云った人間の心を物語にした有名なお話が御座います。それが,私たちの国に伝わる日本神話であります。日本神話の中に,天岩屋戸と云う物語が御座います。天岩戸や天岩屋とも云われることもありますが,実は,この日本神話に登場する物語の大半は自然と人間が共生することの大切さを教えていたり,又,人の心の中の様子を物語としていることが多いのです。その物語の中でも,特にこの天岩戸と云う物語ほど人の心の様子を見事に物語として伝えたと感じています。太陽神「天照太御神」が岩戸(洞窟)に御隠れになってしまったことで暗黒の世界へと変わってしまうと云う御話です。神社の祭り事や日本のお祭りの起源でもあります。

祭り事だけではなく,民主主義も家族会議の起源でもあります。何か問題が起きた場合,皆で話し合い,互いに知恵を出し合い,皆で協力し合って問題を解決して行くことの大切さを日本の神話は教えてくれています。それはまるで,わたしたち国民一人ひとりに困難に直面した時の対処法を教えてくれているかのようです。日本神話と聞くと無理やり天皇家と結び付けたり,戦いの物語の方向に話を持って行きたがる人もおりますが全く違います。互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合うのが大和の魂を宿した真の日本人であり,日本人としての誇りなのです。

毎朝の日拝は,心の岩戸開きの意味があります。

 ※ 目の保護の意味で,太陽を直視しないように致しましょう。

大和の国で暮らす 和の住人でした。拝

 

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又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


古神道入門 神ながらの伝統 4

2018年05月23日 18時32分20秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

今日は,神主さんでもあり,古神道家でもあった小林美元先生が生前に書かれた著書「古神道入門 神ながらの伝統」の4を同書から一部を抜粋して前回同様,書かせて戴きたいと思います。上の写真は,ご存知の方も多いと思います。二見興玉(ふたみおきたま)神社の夫婦岩で御座います。いつも二見興玉神社に参拝させて頂くときには,こちらで海の神さまへ祈りを奉げています。

昔の人々は,伊勢詣と云えば,この二見が浦の海で禊を済ませてから伊勢の神宮へ詣でると云うことが習わしでしたが,時代の移り変わりで参拝の習わしも徐々に変わって来ています。古神道の世界観や古神道家の間では,この夫婦岩は「イザナギの神:男神」と「イザナミの神:女神」としています。そのイザナギの神とイザナミの神の間から太陽神「天照太御神」が誕生すると言われているのです。5月から7月の間にちょうど夫婦岩「夫婦神」の間から日の出の太陽「天照太御神」が昇るようすを観ることが出来ます。

それでは,以下,古神道入門 神ながらの伝統より。小林美元 著

第5章 弥栄(いやさか)の思想と信仰

なぜ,政治を「マツリゴト」というのか。

何度も申しますように,日本語というのは非常に古くから天体の動きを四十八の文字に写していました。あおうえい・かこくけきという一音,一音の声音が,宇宙を象徴的にあらわす符号として整序しておりました。

現代人が想像する以上に,宇宙の原理には精通していたのです。

ですから,

伊勢神宮の恒例のお祭り,二十年に一度行われる御遷宮のようなお祭りにしても,天体の動きに合わせて行われる。祭りを行う月と日と時を非常に大事にして,神代ながらに古代からのしきたりを厳重に伝承して行われてきております。

例えば,御遷宮の祭りは,北斗七星の運行と関係があります。

夕方七時頃,北極星の右上にあった北斗七星が時刻がたつとともに北極星の真上になり,それからだんだん時計の針と逆方向の左へと回っていきます。そして北極星の位置が,ちょうど北斗七星の柄の先の勺のところにくる時間に,神さまに勺で食事を捧げるということで,祭りが進められる。

この一例を見ても,天体の動きと祭りというものが,いかに密接にかかわっているかということが伺われるわけです。そういうことですから,村人の生活がまた社会的な発展に伴って段々と大きくなって,国として発展していく段階になっても同様に,その組織体を統御するために祭り事を行う。

そして国の祭り事が,そのまま村々を統治することになり,いわゆる政治にもつながっていく。

宇宙のカムとの深い関係,交流の中で,村人を一つに束ね結わうことが,祭り事でした。カムの意思に基づいて正しい統治を行なうという,政治の思想の姿があったわけです。だから政治を司る者は,少なくとも宇宙の運行とか自然生命に対する畏敬の念をもった人でないと尊敬もされず,その長たる資格がなかった。

明治の頃までは政治のことを政り事(まつりごと)とも称していましたが,しかし実際歴史的にみると,聖徳太子のように本来の意味での「祭り事」を意識した政治家は少ない。まして今日,政治というと,何やらどろどろとした権力闘争や駆け引きなどをイメージします。政治とは,「マツリゴト」であるということを忘却の彼方に押しやったかのようです。

以上

現代の政治家のみなさんにも読んで頂きたい内容であります。今では,魑魅魍魎の世界となり,ほとんど貴族化している政治家の人たちの頭の中に政治とは「祭り事」であると考えている人がいるのでしょうか?言葉では選挙が近くなったりすると綺麗な言葉を並べますが,日々の政治活動との差は激しいものであるようです。おくそくですが,国体と政体との区別すら理解していない政治家がいても不思議ではなくなってしまっています。これは国家存亡にかかわる重大な事柄でもあるのです。国体とは「祭祀」です。政体とは「統治」です。即ち,祭祀の中心の座に座ることが出来るのは天皇陛下だけであります。そして,統治を司る頂点に存在するのが内閣総理大臣であります。自分は政治家であると言うのであれば,最低これくらいは深く理解して戴きたいと願うばかりです。

 ※ 天皇陛下を祭祀の頂点と表現する人もおりますが,これは違います。頂点ではなく中心です。

   天皇陛下を祭祀の頂点とした明治・大正・昭和の歴史を想い出してください。

    結果,天皇に剣を持たせ軍服を着せたのです。これは,大きな罪です。天皇が持てる剣は,草薙の剣だけです。

ところで,記事本文中に伊勢神宮の祀り事について記載されているように,式年遷宮や恒例祭事の際には,天体の動きに合わせながら執り行うと云うことが書かれております。つまり,北極星や北斗七星をお祀りしているのが伊勢神宮でもあるのです。ここでもう1つ古神道家の間で語られている大切なことを書かせて戴きます。伊勢の神宮は「内宮」と「外宮」の2つの御正宮が御座います。

その2つの御正宮の内,外宮にお祀りされている神さまを豊受大神と一般的に称されますが,その際に,内宮にお祀りされております天照太御神の食事を司る神さまであると云う語り(現在の定説)がありますが,この意味を取り違いされている方が結構,多いのであります。外宮にお祀りされている神さまは「地球神:国常立大神」で御座います。国常立大神をお祀りしていると云うことは地球上に存在するすべては,国常立大神さまのもので御座います。そのことが取り違いされてしまい,外宮の神さまは,内宮の神さまの食事を司る神さまだと解釈されてしまったのです。きっと,過去の文献などに基づいてそのような解釈が通説となって行ったのだと思いますが,外宮は,内宮よりも遙か昔に祭祀場として存在しておりました。つまり,内宮よりも外宮の方が古いのです。

またいつか,機会があればゆっくりと書きたいと思います。

毎晩,北斗七星に祈りを奉げていると「和する事」と声なき声が聴こえて来ます。

北斗七星が大好きな花咲でした。拝

 

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わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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現実が都市伝説を超えた!?

2018年05月22日 05時00分03秒 | あさひの科学神書

こんにちは。

記事とは関係ないですが,聴いて見て下さい。歌詞がとても好きです。

上の動画が観れない場合はこちらで。https://www.youtube.com/watch?v=7UBkNYAPcpk

これまで秘密にされて来た情報。真実を知らせれて来なかった人々。勝った者によって塗り替えられた過去の歴史。こう云ったこれまで都市伝説となっていた様々な話しの真実が暴かれて行くことだと思います。これまで信じて来たことが偽りであったりと歴史がひっくり返ることも明らかになっていくでしょう。そのとき,私たちに求められるものとは何かというと情報の分析力であります。

特に歴史は・・・。凄いです(笑)。

たとえば,インターネットには,知りたい情報が膨大に存在しています。しかし,インターネット上に載せられているさまざまな情報の正確性を判断できなければ,誤った情報に基づいて行動して行くことになってしまいます。同じテーマでも異なった見解であると云うことは多いものです。そんなとき,頼りになるのは自分自身の直観力です。これから直観力が主体的に研究されて行くと思います。冗談でもなく,笑い話でもなく科学の分野でも医学の分野でも法律も宗教の世界でも直観力の重要性が語られて行きます。

これまでの人類の歴史は,約3000年の間,理屈が主体でありました。つまり,理論や論理と云ったロジックに支配されて来た時代「文明」であったと云っても良いと思います。しかし,その理屈に支配られた結果,人類は様々な過ちを犯して来てしまいました。その代表が,地球を傷つけるほどの環境破壊と核開発です。この辺りについては,あえて言わなくても誰にでも解かることではないでしょうか。世界各地で起きている自然の猛威と異変は,いよいよ地球が浄化作用を本格的に始動し始めたことへの合図です。

サハラ砂漠で雪が降り,ナイヤガラの滝が凍り,木に登るリスが瞬間凍結すると云う異変もニュースで確認しました。ありえない・信じない云うことが次から次へと世界中で実際に起きています。私たちの国,日本でもかつて九州地方は地震が起きないと云う一種の都市伝説のような話がありましたが,そのような都市伝説を簡単に現実が超えてしまいました。(個人的な感想は,九州地方は火山活動を注視です)地球の磁場の異変,地軸が移動などなど地球と宇宙の摂理の関係も重なっています。又,地球は,これから30年以内に氷河期に突入すると言われています。日本や世界各地で起きている火山活動と氷河期は無関係ではないように思えます。

そう云ったことからアメリカは宇宙開発政策を月から火星に大きく政策を転換しています。本気で,火星に移住する計画を考えているようです。少し前まで,火星移住計画は都市伝説として一部の人々の間で語られていたことですが,あと何年か経過すると本格的に議論されて行くだろうと思います。地球規模で起こる大異変の影響は,当然,私たち人類にも影響をもたらして行きます。現実が都市伝説やオカルト話を完全に超え出した現在,日本人は,これまでのような「なんとかしんわ」を捨てなければなりません。安全神話や学歴神話などと言ったことは通用しない時代に突入しています。頼りになるのは,自分自身の心神からの直観力であります。

皆さまは,火星に移住する方を選びますか? それとも地球に残りますか?

心柱神社 心神とともに。拝 

 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


古神道の秘儀を伝授します。

2018年05月21日 05時05分55秒 | あさひの医学心書

こんにちは。

今日は,秘儀を伝授するなんて,何だか偉そうなタイトル表現になってしまっていますが,私たち人が生きて行く上でとても有効であり,意義のあることなのでそのことを書かせて戴きたいと思います。ただ,なにか良いことがあると云う先入観では見ない方が良いと思います。いつの日か振り返った時に判ると云う縄文時代以前から続く古神道の秘儀中の秘儀であります。でも,内緒だよ・・・。

古神道には,これまでもブログで紹介させて頂いて来ました通り,秘儀がたくさんあります。現代でも伝わっているものもありますが,その中には正確に伝わっていないものも多くあります。その理由は,お金になることを一部の人が判ってしまったからであるのですが,それはそれとして,古神道の秘儀の中でも特に私がおススメするのが自霊拝と云う秘儀で御座います。霊と云う文字や言葉に違和感がある方は,自励拝と言い換えても良いと思います。つまり,自分で自分を癒やす・励ます・感謝する。これだけです。

この秘儀は最先端の現代医学の世界でも注目されて来ている自己治癒の元であります。

先日も記事で,薬の効用について書かせて戴いた通りです。薬が症状を治しているのではありません。

自励拝を行うに,もちろん,お金も掛りません。おそらく日常生活の中で皆さんが既に毎日されている事です。ちょっとした意識の向け方を変えるだけであります。たとえば,女性がお化粧をするとき「カワイイな」とか「私は目が綺麗だな」とか自分に向けて話し掛けてあげるのです。そうするとより一層,褒められた細胞はイキイキと輝き始めるのです。お風呂に入るときにも自分の身体をさすってあげて「いつもありがとう」と話し掛けて優しく撫でてあげるのです。そうすると身体の細胞が歓びはじめて悪い細胞を退治してくれます。ご飯を食べるときも「私は料理が上手いな」と自分を褒めて上げるのです。そうすると本当に料理が上達します。

こんな言葉を聞いたことはないでしょうか?

米は焚き方,茶は淹れ方。これも古神道の秘儀なのです。

ただし,秘儀ですから注意が必要です。それは他人の前ではしない事と疑いを以てすることです。人の前ですると余計な念が入り込んでしまいますから止めた方が良いですし,それよりも悪いのが疑いを以て自励拝をして行くことです。生きている私たちでも人に疑われながら共にいるのは辛いことではないでしょうか?自分が自分自身を疑うと自分を傷つける選択をして行ってしまうのです。

疑われる自分自身(霊体)は「なんで疑うの?」「いつも一緒に居るのになんで?」「どうして信じてくれないの?」と云う波動を放ちます。しかし,その波動を受け取らずに無視し続けるとどうなるでしょう?その意思の表れです。自分自身を優しく思いやりを持つことが出来て,はじめて他の人へも優しく思いやりが持てるのではないでしょうか。自分が自分を好きなると云うことは,私たちが想像している以上に,私たちの人生に大きな影響を与えているのです。自惚れ・わがまま・傲慢さと云った低次元の波動の話しとは全く違います。自励拝と云う古神道に伝わる秘儀は,文字通り自分自身にしか出来ません。他人が出来るものではありません。

又,厄介なことに病気になってしまった場合も同様です。実際に,自励拝を取り入れている病院も結構,増えて来ています。現代医学が古神道的な考え方を実際の医療現場で活用して行くことが出来れば,飛躍的に患者さんの治癒に役に立つと考えています。病気などになってしまった場合「ごめんね。いつも無理をさせていて」と身体に話し掛けてあげてください。そして患部を優しく,思いやりを以て手を当てて下さい。手当と云う言葉の語源はここから来ています。今日は,日本の古神道に伝わる自霊拝のお話でした。

今が苦しい人でも必ず状況は変わります。

明日があることを信じてください。

古神道 花咲あさひ 拝

 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

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歓びもちて結びとすれば弥栄なり。

2018年05月20日 08時38分38秒 | 歓びの心柱

 

9時43分 追記:防災情報。

今朝,晴天であるのに雨が降りました。東日本大震災の時もそうでした。

5月半ばを過ぎたのにとても寒い日です。防災意識を忘れずいましょう。

こんにちは。

最近のニュースを見ても,新聞を読んでも暗くなるようなものばかりが報道され続けています。政治の世界でもそうですし,宗教界でも同じであります。ほとんどが性非行か金銭的な事柄です。なんだか暗くなるようなニュース以外は報道しないようにしているのか?と思えて来てしまうような社会になってしまいました。これは,私たち個人に与える影響は良くないものであり,まして子供たちのことを考えると複雑な気持ちになって来てしまいます。そうかといって,事実を報道しないと云う報道姿勢ではいけません。

本来,私たちの国の政治も経済も祭であるのです。その祭りの意味を取り違えしてしまっている期間が少し長すぎてしまって,いつの間にか政治の祭,経済の祭を忘れてしまったようです。祭を忘れてはなりません。日本と云う国家は祭を主体とした和の國であります。食事をすることは直会(なおらい)と云う生命を維持する祭事です。お風呂に入るということは禊と云う祭事です。身を浄める・清めるとも云われています。掃除でも同じように埃や塵を払う祓事と云う祭事なのです。こんなにたくさん国民の日常生活に祭事が存在する国家は,世界中の国々をどんなに探しても日本「和の國」以外に存在することはありません。日本人は祭人です。

故に,特に西洋人には不思議な民族として見られているようです。日本人と聞くと礼儀正しく,清潔で,真面目と云う代名詞のように感じられていますが,それもそのはず。これだけ祭事が国民一人ひとりの生活の中に浸透しているのです。日本人からすると何も特別な意識すら以ていないのであります。つまり,当たり前と云う前提がそこにはあります。しかしながら,その前提がいま大きく崩れかけて来てしまっています。これは日本と云う国家と日本人と云う国民にとっての存亡にかかわることではないでしょうか。

たとえば,生命を維持するために私たちは,食事「直会:なおらい」と云う祭事をします。その食事が出来までの過程を見てみると五穀豊穣を祈る五穀豊穣祭と云う祭事からはじまり,天と地のエネルギーを十分に吸収した作物を収穫します。無事に収穫できたことを天と地の神さまに感謝申し上げます。そうして私たちは自分の身体に吸収できる訳です。食事「直会」を通じて感謝の気持ちを育むことを小さな子供のころから私たち日本人は教育されて来たのであります。それを自分の身体で表現したカタチが食事をする際の「いただきます」と云う祈りの姿です。この祈りの姿とは何を意味するものなのか?ここにも祭の重要な意味があるのです。

それは,動植物供養祭と云う祀り事です。

何気ない食事と云うことでも五穀豊穣祭からはじまり,天と地のエネルギーを吸収して育つ生育祭,そして,無事に収穫出来たことへの収穫感謝祭,さらに,私たちが食事できることへの感謝祭と生命を戴くことへの動植物供養祭と単なる食事だけでもこれだけの祭事があるのであります。しかし,こう云った祭事が日本からどんどん減って行ってしまっています。食事をするときの「いただきます」と云う言葉には動植物への供養の意味が籠められているのですが,それすら出来ない人がおります。考えて見て下さい。動物が人間の為に処分されたときの苦しみ・悲しみ。そして人間への復讐心が蓄積された念を自分自身の身体の中に入れているのです。

いただきますを単なる儀式と考えない方が身の為です。

肉食を好む人は,怒りっぽくて短気になります。たかが食事と侮るなかれ。

食事の祭事でけではありませんが,冒頭でも書かせて戴いたお風呂にしても同じであります。お風呂は禊ぎするだけではなく,自分の身と心を癒やしてくれる大切な癒し所でもあります。水への感謝の場所でもあります。最近は,湯船にはつからずシャワーだけで済ませる日本人が多いようですが,湯船につかると云うことも大切な祭事であるのです。よく落武者が戦場で負傷した刀傷を治癒するために温泉を探していたり,発見したと云う話を聞かれたことはないでしょうか?温泉は,身体の内部の病気だけに効果がある訳ではなく,外傷にも効果があることを昔の人々は知っていたのであります。現代医学でも温泉療法は有効であるとされています。

私たちの日常生活からさまざまな祭事が減って行き,消えて行ってしまうと日本はどうなるのでしょうか?このままでは,日本人が西洋人化してしまう日が本当に来ると私は感じています。企業社会では,ほぼ西洋化してしまいました。ちょっと前に,社内用語をすべて英語にすると云うことで話題になっておりました。もしかすると,戦後の占領統治政策は終わっていないのかも知れません。私たちが暮らすこの日本から祭事を無くしては決していけません。私たちが祭事を失ってしまえば,日本人は日本に住みながらにして日本人ではなくなってしまうのです。既に,西洋人化している面も多々ありますが,しかしまだ間に合うようにも思います。

日本弥栄!あなたも弥栄!

祭人 Asahi Hanasaki 

 

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自我は真我に付き従う。大自然の摂理です。

2018年05月19日 12時12分34秒 | 反省の心柱

こんにちは。

大自然の摂理によって,もたらされることに不必要在庫の調整と云うものがあるのではないかと想像しております。

それはどういうことかと申しますと人は多くのものを持ち過ぎると一定のところで手放さなくてはならないものが出来てくると云うことであります。たとえばよく,運気の良い人が一転して置かれている状況が悪くなってしまった。こんな話を世間では聞くことがあります。実際に,私もそう云った御方が知り合いにおります。そのような状況に陥ってしまうと経済的にも精神的にも大変厳しい状態になってしまいます。しかしながら,そう言った厳しい不遇の時に去るものは,本来,その人にとって必要ではなかったものであり,又,与えられた役割を終えたが故に去るものであると云うことです。それは人でもモノでも言えるのかも知れません。

社会での成功者が一転して貧困になってしまうことがありますが,そのような不遇な状況に陥ったときに一番先に去るものはこれまで仲良く親しくしていた「人」であると聞くことがよくあります。それまで自分を慕ってくれていた人々が次から次へと自分のまわりから去って行ってしまったり,急に掌を返すような人も社会には現実に存在します。そう云った時の辛さや悔しさは言葉では言い表すことのできないことであると思います。金の切れ目が縁の切れ目と云う言葉も残っているくらいですから真理であります。

日本の言い伝えは本当に直球ど真ん中の言葉が多いですね。

そう云った厳しい環境に立たされた時にこそ自分自身を省みることが出来るように思います。これまでの自分の人生を振り返り,原点(中心)に回帰することで,さらなる飛躍が待っているのではないでしょうか?刀折れ矢も尽きた状態からの自分こそ本当の自分であると言い換えることもできるようです。何をやっても上手く行き,調子も良く絶好調のときに人は誰であっても傲慢になり過ぎてしまいます。これは人間の性(サガ)でもあるようです。そのような観点で観て見ると誰であっても例外なく同じであります。

人は多くのものを欲しがります。人よりも多くの財「お金やモノ」を持つことで安心すると錯覚を起こしてしまいます。しかしながら,本当に人よりも多くの財を得ることで安心することが出来るのか?と云うと決してそんなことはないようです。財を得れば,次は得た財を失うことへの恐怖心が芽生えてしまうからです。恐怖心は,さらに財を得ることへの執着心を産み出し,自分の我欲を強めて行きます。したがいまして,私たちが考えている財を得ると云う概念と安心感とは全く別なものであると云うことが言えます。

誰であってもそんなに大差はないのではないかと思いますが,やはり持ち過ぎると云うことには注意が必要な気もします。何かを得れば,何かを失うという言葉は個人的に好きな言葉ではありませんが,もしかすると,私自身がこの言葉に込められている奥を観れていないだけかもしれません。本当の幸福感や安心感は,手放すことからはじまり,手放す勇気と固執しない大切さを知ったときなのかも知れないと感じています。自我は真我に付き従うと云うことが大自然の摂理であるのです。摂理に反すれば滅びる訳です。

心柱(みはしら)神社を穢し,心神(しんしん)を傷つけることのないようにしましょう。

 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

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菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

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神棚は神さまへ向けた意識の顕れです。

2018年05月18日 05時15分55秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

上のお借りした画像は,伊勢神宮の御膝元に御座います,宮忠さんと云う神具店の茅葺屋根の神棚です。

ご自宅の神棚で神宮大麻や氏神さま,ご自身が崇敬されている神さまをお祀りしている方も結構,いらっしゃることだろうと思います。つまり,マイ神社であります。すべては,自分の想念の顕れと云う考えに基づいて言えば,自宅で神棚にお祀りしている神さまは心柱神社の顕れであるとも言えます。自分の心の中の心柱神社が具現化したものが,神棚でお祀りしているお宮であるのです。特別,神棚が大きいから良いとか小さいから悪いとかそういったことが問題ではなくて,自分自身の意識が神さまへ向くと云うことはとても良いことだと思います。ところで,神棚の御宮は伊勢神宮の外宮・内宮でも授与させて頂けることをご存知でしょうか?

伊勢神宮の外宮・内宮の社務所で申し込めば後日,郵送で送って頂ける仕組みになっております。御宮の種類もたくさんあって,中には茅葺屋根の御宮も御座います。実際の現物が社務所に展示してあります。私も伊勢神宮の外宮で授与させて頂きました。伊勢神宮の神棚「御宮」は,伊勢神宮が管轄する工作場で製作されている御宮です。御宮に使われている檜(ひのき)も式年遷宮の御用材の残材であったり,旧御社殿を撤下したさいの御用材であることがあります。綺麗にカンナがけをしているので古さ「時代」を感じることはありません。値段も1000円くらいの御宮から数万円と値段の幅はありますが気持ち「想念」ですからあまり気になされない方が良いと思います。そういったことよりも自分自身の意思で自宅で神さまをお祀りさせて戴きたいと云うことが大切です。

それと,せっかく神さまを自宅でお祀りしていても単に飾っているような神棚もよく見かけます。会社などでも神棚で神さまをお祀りしていることがありますが,ホコリまみれで御水の交換や榊が枯れっぱなしで放置している会社や人もいます。これは絶対にしてはならない最悪な状態です。もし,神棚の護持「お手入れ」が出来ないのであれば,神札を近くの神社へお返して,神棚も撤去された方が未だ良いと言えます。会社や自宅の神棚で神さまをお祀りすると云う行為は,日々の護持「御水の交換など」にあるのです。

そして,その実践的な行動と行為に神さまの神気が寄るのであります。祭祀の本質と言っても過言ではないと思います。祝詞を奉げる事だけが祈りではなく,御水の交換や掃除は欠かすことの出来ない超重要な神事であります。したがいまして,ホコリまみれの神棚に寄る存在も同じような存在しか寄ることが出来ません。祖霊をお祀りしている仏壇などでも同じです。埃や塵が発している波動「電気」が良いものを寄せ付けないのです。何日か前の想念がすべてを具現化すると云う記事を想い出して戴ければと思います。

簡単に言ってしまうと,類は類を呼ぶと云う法則が働き出してしまいます。普段の何気ない行為や行動が実は,自分自身の心の模様「想念」を映し出していると云うのが真実であることがあります。会社や自宅にて神棚で御宮を設けて神さまをお祀りすると云うことも心柱神社が具現化された1つの顕れだと考えることが出来るのではないでしょうか。したがいまして,神棚を掃除することも水玉や榊の水を交換することも自分の心の中の心柱神社を綺麗に掃除していると同じことなのであります。とにかく掃除が第一です。

はじめをはじめとし もとをもととする。by 倭姫命 

 

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菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

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医学と科学が進歩する日が来ます。

2018年05月17日 07時17分21秒 | あさひの医学心書

こんにちは。

今日は,2016.10.31に書かせて戴いていた過去の記事を再掲載させて頂こうと思います。

人間の体は宇宙の縮図ですと云う過去記事です。

こんにちは。今年は,秋が来たのか,冬が早いのか何なのか分からないくらいの季節になっているように感じます。どうか風邪には十分ご注意なさってください。風邪などを引かれると病院に通院することが,今の世の中の常識となっておりますが,私は病院が患者に出す薬がどうも変だなと思っているのです。根拠も何もありませんが徐々に明るみに出てくることだろうと思ってもいます。

身体のバランスを正常に保つには,朝一番の太陽を拝する日拝がとても有効であります。日頃から,古神道的な生活をしているとまず病気にはなりません。風邪なども引きませんし,万が一他人の風邪をもらってしまっても病院で診察するような状態にまで悪化しません。まして,薬を服用するなんて考えられないことでもあります。ただ,病気になってしまった場合には,病院へ行くしか仕方がありませんが,身体を無理やり薬で支配する西洋医学よりも東洋医学に期待しています。東洋医学では人間の体を宇宙の仕組みと同だと云うことから出発しています。つまり,身体の一部が悪いのではなく,身体のバランスが崩れていると云うことから考えるのです。ですからバランスを整えれば元に戻ると考えています。近年,予防医学や自然治癒に関する研究者が増えて来ています。

生活のリズムが崩れたり,生活面で不摂生であったりすると最初に身体のバランスが正常に保てなくなってきます。しかし,この段階では何ら症状的なものは発症しませんので,誰も自分の身体のバランスが崩れ出していると云うことを感じませんし,考えもしません。是非,参考にして頂きたいのが食べものと水,それと掃除です。意識して気を付けるだけでも違いが出てくると思います。

以上が,その過去記事ですが,これまでブログで紹介させて頂いて参りました,私たちの人生の諸先輩方の皆さまが同じようなことを各方面で述べられて来ました。特に,元医師でもあった春日大社の宮司でいらした葉室頼昭先生の言葉は説得力が御座いました。私も共感するところがとても多い話しの内容でした。そして,述べられていることがすごくシンプルです。難しい言葉や宗教用語を使うことはせずに,一般の誰でも解かる言葉で話される姿勢は,今に生きる私たちも見習わなければなりません。とかく人は,知識を習得するといろいろと難しいことを話したがります。知識の多い人ほど,おしゃべりが多いと言われたりすることもあります。

しかし,道を歩む人の言葉と云うのは,実に判り易く余計なことを話すことが無いのであります。わたしも葉室先生には,著書などを通じてたくさん学ぶことが出来たことにとても感謝しております。本が読めない私でも葉室先生の本は読むと云うより観ると云う言葉の方が似合うような気が個人的にします。宗教アレルギーの一般の方や企業の経営者に是非とも読んで頂きたいと感じています。現在は,あまりの人気で古本市場でも入手が困難になっている状況です。確か,10冊ほどの本を出されていたと思います。

一部ですが,このブログでも読めますので,検索機能を活用して見て下さい。

又,一昨日の記事で,過去と現在と未来の結果は,私たち自身の想念「原因」が産み出して来たものであり,又,未来も同様に今と云う瞬間瞬間の想念が形成して行くとも書かせて戴きました。ある日本の科学者の話しでは,病気と云うものは自分自身が認めた瞬間に病気になるのだと話されているのを聞いて古神道的な発想をする先生だなとつい最後まで動画サイトで観ていました。やはり,科学も医学も古神道が起点になったことを再確認出来たようでおもしろかったです。これからの科学は見える現象から観えないものへの研究が主体となると思っています。医学もこれまでの西洋医学に見る身体を支配したり征服したりすることから人間の身体を宇宙の仕組みと同じように考える東洋医学が主体になって行くと私は考えております。宗教家と法律家が一番遅いようです。いつまでたっても進歩がないです。人の悲しみや苦しみの上に成り立つ業がそもそも存在する事こそ異常なのです。まさに逆様であります。

自分自身の道を歩めば,いろいろなことがあるのは当然です。

ですが,その出来事も一時的な風景や景色のようなものです。

永遠に同じところに留まり続けることなど出来ません。拝

 

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過去・現在・未来はすべて想念の具現化です。

2018年05月15日 10時10分10秒 | あさひの医学心書

こんにちは。

私たちの想念が祈り「音霊:波動」であります。急になんだ?また変になったのか?

そのように思われるでしょうが大丈夫です(笑)。ちゃんとご飯も食べていますし,睡眠もしっかりととっています。実は,私たちの人生すべての現象は,この想念・祈りに基づいて具現化すると云うことをただ言いたかったのであります。つまり,想念とは原因であります。想念とは行為や行動の母であるのです。なぜ母なのかと云うと,ものごとを具現化するからです。つまり,産み出すことが出来るからであります。日本以外の国々の宗教観では大地を母と言います。母なる大地と云う言葉を聞かれたこともあると思います。日本だけが父なる大地と云う表現をします。それにも意味があるのですが,それはいつか別の機会で書かせて戴きます。そして,行為や行動は結果です。原因と結果の関係は,よく宗教の世界観でも言われること多いですが,しかし,ここで書いてあることとは少し違います。決定的に何が違うかと申しますと,私が想うに,宗教では人は救われないと感じているからであります。

自分自身を救うのは自分自身でしかないと考えているからであります。これは宇宙の摂理だと想うのです。それをある意味証明しているのが,上で申しました想念と結果の関係ではないでしょうか?真我と自我とも云えると思います。それ以上のでもそれ以下でもありません。良い出来事も悪い出来事もすべて私たちの思い・言葉・行為この3つの想念「イメージ」が自分の過去も現在もそして未来も決めていると云うことなのです。そう考えると,今のこの一瞬一瞬をどう生きるかがとても重要なことであるようです。

たとえば,想念が先で行動はそのあとについてくると云うことは誰でもよく解かることであると思います。想念「イメージ」よりも先に肉体「身体」が行動に移すと云う人は存在しません。ご飯を食べようと云う「想念」が先で,ご飯を食べると云う行為は後になる訳です。ある看護師の婦長さんに聞いた話があります。風邪をひいてしまい薬を服用しても本当に直しているのは自分の気持ち「想念」であって,お薬そのものではないと云うことでした。薬と云うものは,薬と云う目に見える物質を飲むことで風邪が治るんだと云う想念が治癒させているのです。したがいまして,人は誰であっても自分の想念次第の結果しか具現化出来ないのです。

しかしながら,真に残念なことに,私たちは結論や結果にばかり眼を向けてただ苦しんでいます。毎日,毎日,明日のことを気にしながら生きています。心配すれば心配事が具現化してしまいます。不安に想えば,不安になるようなことが実際に起きてしまいます。しかし,これを具現化させてのは誰かと云うと自分自身であります。ある科学者の話しでは,想念は人の人生に4倍となって具現化すると云われています。これではたった一回の人生が勿体ないように私自身も最近感じています。結論や結果に眼を向けることから,もっと想念「原因」に眼を向けて生活して行けば,誰であっても豊かに幸せに自分相応に暮らして行けるように考えるからであります。宇宙の摂理や神の理と云うことであります。それにはやはり,自分の内観を見つめて生きて行くしかありません。結論や結果は外観的な現象ですから,それを産み出した自分自身の内観「原因」に対し,素直になってもっと眼を向けるべきと考えます。

人は,誰でも豊かに幸せになるために生まれて来るのです。

苦しむために,不幸になるために生まれて来る人は誰も存在しません。

神道にも原因と結果を意識した考え方があります。それは,中今(なかいま)信仰と云うものです。過去に束縛されず,未来を憂い嘆くのではなく,ただ今を懸命に生きると云う考え方です。簡単に申し上げますと,今が未来を形成すると云うことであります。表現の仕方はそれぞれありますが,理「真実」は1つでありますから中今と表現しようが,真我と表現しようが,想念や原因と云っても自分なりで良いと思います。人をイジメると今度は,自分が4倍のイジメを受けます。これが宇宙の摂理であり,神の理なのであります。良い想念は,私たちの心の中「高天原」に御鎮座されている心柱神社(みはしらじんじゃ)の御神体で御座います。

自分の内面を祈られる方が宜しいかと存じます。

心神とともに。花咲あさひ 拝

明日は,早朝から夜まで,郵便局で配達のアルバイトなので記事が書けないと思います(残念)。

 

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刀折れ矢も尽きた・・・。本当の闘いはそこから。

2018年05月14日 04時38分14秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

今日の記事表題。きっと,そんなことを考えながら感じながら日々,生活されている人も多いのではないでしょうか。自分の周りを見渡せば自分よりもすべての人々が幸せそうに思ってしまうことをあると思います。確かに,一見すれば恵まれた環境の中で暮らしている人は結構多いようにも感じます。しかし,その一見すればと云う一側面だけで自分の周りの人の人生までを幸せだと判断してしまうことにも一度,自分の眼を向けることにも意義があるように感じます。つまり,自分自身の内面・内観をよく見つめると云うことであります。こんな偉そうに書いている私自身もつい自分の周囲の人との違いに羨ましさを感じることは確かにあります。

しかも,厳しい世の中ですから尚更です。

わたしの仕事柄,今の物質社会において地位が高いと言われている人がとても多いのです。たとえば名家であったり,資産家であったり,職業上であったりとだから特にそう感じてしまうのかも知れません。貧乏人の私が何でお金持ちの面倒を見なきゃいけないんだとふてくされて居たこともたくさんありました(笑)。あんなボンボン真面目に働け!なんて考えたことも正直のところありました。その額たるや凄まじい資産でしたからその様にやっかんでいたのだと思います。修行が足りずお恥ずかしい限りで御座います。

お金が無くてご飯が食べられない時の苦しさと虚しさ,悲しさは真に耐え難いことであります。このように餓死して行くんだと感じていたこともありました。地獄と云うものは,あの世にではなくて,この世にあるのだと確信したのです。今思うと,当時の様子が懐かしく思います。きっと,私の膨大な祖先の中にもご飯が食べたくても貧困や食糧難・病気などでご飯が満足に食べることが出来ずに亡くなった御霊もたくさん居た筈だと云うことが判りました。出来れば,体験をしないで判るようになりたいですね(笑)。

家系の祭祀継承者には,このような事があるようです。

餓死などで亡くなった御霊は,あの世でもお腹を空かしているのではないかと思うと何だか悔しさが自分の身体の中から湧き上がってくる感覚がありました。それならば,自分が祖霊の御霊を自分で供養することで,あの世の先祖にご飯を届けることができるのだと想い,子孫の私がやらねばと決意しました。しかし当時は,まだ若かったですから,お金がないのです。供養台が欲しくても高くて若い私には手が出ません。みかん箱にベニヤ板を買ってきて,その上で画用紙に自分の家系の名前を書いたものを位牌代わりにしていました。傍から見れば貧しい祭祀用具一式でしたが,不思議と供養することが楽しくて仕方がなかったのを憶えております。

本当に笑っちゃうようなことを平気でしていたのです。

でも,私自身は真剣そものもでした。いつか必ず豪華な位牌で供養するんだ!と意気込んでいましたから。それから位牌貯金の計画を立案して1年くらいで目標の金額が貯まったので仏具店さんに発注して豪華な位牌で祖霊祭祀が出来るようになったのです。仏具店さんに発注する時もいろいろと位牌の種類などを調べていたりしておりました。あとになって考えて見ると,祖霊祭祀と云うのは自分で供養すると決意した瞬間から祭祀が始まっているのだと想います。現在でもその位牌で祖霊の御霊を毎日供養しています。

私の場合は,そう云った一つひとつの実体験と積み重ねが祖霊祭祀の動機付けになって行ったんだろうと改めて振り返って観るとそのように感じています。なにか霊的に云々とか霊能者に何かを言われたとかそう云うことではなくて,自分から私が祖霊の御霊を供養する!と思い立ったのが始まりです。そして,気が付いたらいつの間にか自分で御経を作成して見たりしていました。動機付けは問題ではなく,実際に自分が供養するかどうかだと感じています。供養するから何か良いことがあるとか,願いが叶うとかではありません。祖霊の御霊を供養していたって厳しい社会の中で生きて行かなければなりませんし,現実は誰でも同じでありますから。

刀折れ矢も尽きた時だからこそ,本当の闘いが始まるのであります。

本当の自分は,心の中に坐します。

仮の姿を見て思い悩んではなりません。悪い状況は必ず好転します。

身を以て体験した,花咲あさひでした。拝

 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


心柱神社奥之院 大和藍足袋衆か?

2018年05月13日 11時56分56秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

こんにちは。

知識だけでは通じない社会。知識だけでは通用しない時代。そんなことをこれまで知識が優先された構造体で生きてきた人ほど身に染みる言葉ではないでしょうか。知識さえあればこの世の中は恐くないと信じられていた時代が終焉を迎えようとしています。その終わり方に容赦はないようです。科学の世界でも医学の世界でも法律の世界でも,さらに政治の世界でもこれまでの知識だけあればやって行けた時代ではもはやありません。昨日の記事でも少し,科学の固体・液体・気体のたとえを引き合いに真我と自我の関係を書かせて戴きましたが,私たち人は外観(自我)に左右され過ぎて来ました。もっと,内観(真我)に眼を向けるべきであります。

知識が主体でやって来れた人たちほど,生きにくさを痛感する日々がやって来ています。そのことで,自分たちの立場を何とか守るために社会を世の中を混乱させようとしている一部の人達もいます。最近の政治の世界を垣間見るとそれがよく解かります。姑息な手段に小さな目的を達成させるために税金を私物化し,それに群がる利権にしがみ付きたい人々が最近は私たちと同じ人間の容姿ではなくなって来ているように観えます。自分の欲望を叶えるためだけに生きて行くと人はあのような姿になっていくのでしょう。

自ら滅びゆく哀れな姿よ。耳をすませば,こんな声なき声が聞こえて来ます。

そのような人たちに一番大きな影響を与えて行くのは,やはり,インターネットの爆発的な普及と本格的に活用されて来るAI(人口知能)の進出ではないでしょうか。つまり,インターネットと人工知能AIの融合です。大袈裟な言い方かも知れませんが,知識の分野は,今後,ほとんど人工知能AIの役割になって来ると思います。そうなると根本的に人々の生活も働き方も大きく変わって行きます。そのことはインターネットが普及したことによって私たちは既に経験済であります。今では,インターネットを業務に取り入れていない産業も業種も職種も無いのではないでしょうか。また同時に,これから多くの産業も生まれて行くとも思います。

インターネットの世界もさらに進化し,きっと,数年後にはブログなどの記事は人工知能AIが書き込んでくれるような機能も出て来るのではないかと想像しています。機械もモノも,そして人までもこれまでの価値観に縛られていた何とか主義を超越して行く存在へと変わって行きます。外側に求める時代ではなく,内側に求めて行く時代です。一部の人たちは既にそのことを御存知であるかのように歩み出しております。集団としてではなく,個人個人各々で歩み出しているのです。年齢や性別,職業や地域などと云った3次元でしか虚勢できないことではありません。従来の縛り付けや洗脳だけではもはや滅びを待つだけになってしまうのです。

そこにすべての宗教も科学も医学も法律も全てが集結して行くのです。それが日本であります。日本こそ世界の中心になることが出来るのです。今は未だ,そんな馬鹿なと想われる人も多いと思いますが日本以外に世界の中心と為り得る国があるのでしょうか?何も軍事的に中心になるとか,経済や政治的に日本が優れていると言っているのではなく世界の文明の中心軸が日本に戻ってくるのであります。これからいろいろな分野で,そう云ったことが証明されて行くだろうと私は感じています。私たち日本人の役割と云うのは,自己の欲望や願望を叶えるためではありませんし,日本だけが豊かに幸せになれば良いと云う下等な精神構造でもありません。

世界の中心は「和の國」日本です。拝

心柱神社奥之院 大和藍足袋衆か?

 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝