花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

首の皮一枚

2023年02月27日 10時04分08秒 | 祭祀と和の国

互いに支え 助け合い 足りないところを補い続け

共に手を取り 手を握り 

互いの違いを認め合い 互いの違いを尊重し合う

如何なることにも先ずは感謝を

謙虚さ忘れずこうべを垂れて 

自ら手を挙げ名乗り出る真の勇気と素直さと

時には省み反省し 人への奉仕を忘れずに

歓びもちて結びとすれば 

怒りの心を鎮められん

 

こんにちは。

何年か前に,富士山を御神体とする神社「富士山本宮浅間大社」へ参拝させていただいた時に,

降ろされた祝詞「心御柱祝詞」の前段の一部です。

毎日,大祓祝詞のあとに神棚に奏上させていただいております。

祝詞を唱える度に,世界の中の日本がいよいよ試されてくる時代へと移行したように日々感じております。

日本人の親をもち,日本で生まれ,日本で育つことが本当に日本人であるといえるのか?

そんなことを最近は考えてもいます。

それは,今年の10月を過ぎたころから様々な事柄として際立ち始めて来るのではないでしょうか。

姥捨山が復活し。餓死する人もたくさん出てくる。これまでに経験したことのない大不況。

治安は乱れ,犯罪も増え,人が人を信じなくなり,孤立していく。

人々は,自己保身を第一と考え,人のことなどどうでもよくなり,自己責任論が浸透する。

神も仏もあるものかと祈る人も居なくなり,自分だけが生き残れば良いと云う人が多くなっていく。

日本人も首の皮一枚です。相互扶助を取り戻さない限り。

 

花咲 あさひ 拝


急ぎ馳せ参じ候。胡坐をかいた宗教家たち。

2022年10月24日 12時22分06秒 | 祭祀と和の国

 

以下の記事は,2019.11.28に掲載した過去の記事です。

宗教家のみさなん。

何故,観音さまが裸足でいるのか説明できますか?

こんにちは。

今日も生意気にも私,花咲あさひは宗教家に物申します。

最近,たくさんの人が日本古来の古神道に触れて頂けることは素直に嬉しく思っています。古神道を理解してしまえば,今だけ・カネだけ・自分だけの宗教家やスピ何者や霊能者云々の詐欺紛いの事件も少しは減って来ると思いますし,苦しむ人々も減るからです。その前に,そう言った人たちを頼ろうとも思わなくなります。

又,人としての和を重んじて行くようになるからでもあります。

そして,最後には自分の心の中の心神と云う存在に気が付きます。

ただ,なかなか腰を上げようとしない人たちもいらっしゃいます。それが,神社の宮司さんをはじめ,神職さんやお寺の住職さんたちであります。もう冷めてしまっているのか,それとも神職や住職を1つの職業として割り切っているのか,安住の地から離れられないのかは存じませんが,所謂,御座敷にあがる立場の白足袋衆がなかなか動こうとしません。

神社や寺院の護持は黒足袋衆に任せておいて,自分たち白足袋衆は今すぐにでも困っている人たちや社会的に弱い立場に立たされている人々の元へ急ぎ馳せ参じ候なのに,じっと胡坐をかいたままです。ただ難しいことはなく,目の前にいる参拝者や檀家さんへ何気なく声を掛ければ良いだけです。

胡坐をかいたままで,うちの神社には参拝者が来ないとか,うちのお寺は檀家が増えないとかはただの言い訳です。

胡坐をかいたままでは参拝者も増えません。檀家も増えません。企業であればとっくに倒産しています。

今の世の中は,大変便利なインターネットなどもありますしSNSなどを使ってどんどん積極的に発信して行けば良いと思います。たとえば,ブログなどで記事を掲載して読んでもらったりするのもとても有効な手段だと思いますし,本を出版されても良いと思います。ある程度,大きな神社ならばマスコミや出版会社の人との繋がりもありますからとにかくじっと受け身ではなく能動的に活動されて見ては如何でしょうか?やはり,日本人は神社や寺院が理由もなく好きなのです。どこか心が落ち着くと申しますか安心できると申しますか理屈ではなく純粋に好きなのであります。

ですから,神社が主催するイベントに多くの方が来社されるのです。

日本人が神社や寺院が好きな理由は,わたしは遺伝子「DNA」の関係がとても強く作用していると考えているのですが,いずれにしても神社や寺院が今すべきことは,日本人としての和の心を再び伝えていくことだと考えます。その伝承者たる人が本来は,神社の宮司さんをはじめ神職さんやお寺の住職さんの役割であるのであります。その役割を忘れた結果が今の神社界・仏教界の姿のように私は感じています。

つまり,一般の人々に信仰心がなくなったのではなく,神社の神職さんやお寺の住職さんたちに信仰心がなくなったのです。その結果,スピ何者や新手な霊能者云々が跋扈するようになって行ったのです。これは宗教家の責任であります。

何かと云えば御利益御利益と言って来たと思いますが,もう若い人たちにはそんな話は通用しません。

若い人たちは,本当のことが知りたいのです。御利益とかそう言ったことでは無いのです。

たとえば,わたしもいろいろな人から「あさひちゃん。なにかおススメの本はない?」とよく聞かれることがことがあります。そんな際に,私が必ずお勧めする本は,このブログでも何度も書かせて戴いて来た春日大社の元宮司さんでいらした葉室頼昭先生の著書です。今でも葉室先生の本は人気があり,古本市場でも入手が困難な状態です。宗教や信仰は嫌いと言う人でも葉室先生の書いた本は人気があります。いまだに葉室先生の言霊は本の中で生き続けています。特に現代の会社経営者は必読書だと思っています。

それは何故でしょうか?難しい宗教用語や意味不明な言葉や理解できないような話がほとんど無いからだと私は思っています。又,以前,葉室先生の本を紹介したあるお寺の住職さんは,葉室先生の本を読み態々,関東地方から奈良の春日大社まで参拝に行かれた程です。その後,なんとそのお寺の住職さんは,檀家さんをはじめ親類縁者に至るまで困っている人の役に立とうと決心し,活動を開始されています。

まさに,山を下りた観世音菩薩の後を追った宗教家の御一人です。檀家数の少ない田舎にある小さなお寺ですが,住職さんの心意気は大寺院にも負けないほどです。それだけ,真の宗教家の伝える言葉と云うものは大切なのであります。大袈裟と思われるかも知れませんが,人の人生に大きな影響を与えるほどなのです。

そのことをもっと自覚して頂きたいと思います。

この期に及んでなぜ,宗教家は胡坐をかき続けるのか。

今すぐ山を下りよ。

苦しむ人々を救済し,観世音菩薩の後を追え!

天はすべてを観ています。祈


山の神より人へ

2021年10月26日 07時33分31秒 | 祭祀と和の国

富士は不死なり 不二の山なり

本より不二は遙拝の御神地

人が容易く立ち入ることならず

遠方より祈りを捧げし尊き御山

 

神の御山に御無礼無きよう 

麓の神に祈るが先よ

 

山を穢せば浄化激しく

己の願望欲望を

人は願えど無駄な願いよ

 

神に真を捧げるならば

遠方からでも神は聞き

必要あらばすべてを与えん

 

遠い近いは人の都合よ

おろせよしかと神の願いを

 

不二を穢す人々よ

富士を汚す人々よ

穢れに汚れて何を祈るや


言葉の魔力

2021年08月07日 19時51分25秒 | 祭祀と和の国

過去記事です。

こんにちは。

今日も昨日の続きを掲載させて頂く予定でしたが,急遽,別の事柄を書かせて頂きたいと思います。

近年,よく耳にする言葉に「個人主義」と云う言葉を聞く回数がだんだんと多くなってきた気がしています。

ですが,この「個人主義」と云う言葉の意味を理解している人は案外少ないようにも思えます。このブログを長く読んでくださっている方はご存知であろうと思いますが,私は,主に神社と寺院の護持をしています。

ただ,神社と寺院の護持だけでは到底,食べていく事は出来ませんので郵便局で配達員の仕事も兼ねています。

神社や寺院の護持と云うものは,大きく区分けして3種に分類できます。

三本柱と表現する事も出来ますが,

その1つは御本殿や本堂などの礼拝堂施設の護持,

もう1つは,氏子崇敬者さんや檀家さん,

一般にお参りに来られる参拝者の護持,そして神社や寺院本体の護持です。

この内,どれが先で,どれが一番大切かと言った事ではなく,その時・その場・その状況で優先順位が変わってきます。

つまり,神社や寺院の護持は三本柱で支えられているのです。

そして,護持をする上で,私たち護持司が最も気を使うのが,参拝者の皆さまに「また明日も生きてみよう」と感じて戴ける事です。

この記事を読まれている方の中には,生きてみようなんて随分と大袈裟だなと感じるかも知れません。私もおそらく,護持司でなければそのように感じる事もあるのかなと思います。

しかしながら,生きる事に疲れ,生きている事が苦痛に感じている人々も神社や寺院には沢山参拝に来られます。そう云った方々が,神社や寺院に参って「また明日も生きてみよう」とほんの少しでも感じてくれれば良いなと考えながら護持をさせていただいています。ささえな事で元気になられる方もいらっしゃいますが,本当に残念な事ですが,亡くなった方もいます。

最近は特に,個人主義と云う言葉があちらこちらで平然と使われるようになりました。

確かに,個人主義と云う言葉は魅力的に感じるかも知れません。

ですが,

私は,この「個人主義」と云う言葉に,とても強い魔力を感じています。世界の個人主義思想の元は,自然権思想や天賦人権説に基づいた思想です。

つまり,人は誰であっても生まれながらにして人権と言う目には見えないものを宿し,その時の権力者によって人権を与えられるものではないと云った考え方です。当然,私たちの国の憲法にも書かれている憲法の核に相当するものです。それを「個人の尊重」と言います。

しかし,私たちが日常的に口にする「個人主義」は「個人の尊重」と同じ意味で使われているでしょうか?私には,どうもそうは思えないのです。

つまり,個人主義と個人の尊重を履き違えているように見えます。

私たちの住むこの日本は大変歴史が長い国でもあります。

しかしながら,長い民族史を持つ日本に個人主義だの自己責任と言った時代は一度もありません。もし,一度でもそう云った時代が過去に存在していたら,きっと,日本民族は滅びていたと感じます。

個人主義が行き過ぎると,私たちは,自己責任と云う恐ろしい言葉を何の違和感も嫌悪感も抱かずに平然と使い始めます。

それが,今の日本ではないでしょうか?

私たちの国には,自己責任と云う言葉は存在しないのだと言う事から改めて学んで行かなければならず,このままでは本当に滅びるのを待つのみです。

誰であっても,明日は我が身です。自分は安全だなんて言える人はもういません。先日も記事で書かせていただきましたとおり,今,日本が抱えるいくつもの問題は,すべて中途半端な状態のままです。

その一つひとつの問題や課題に個人主義や自己責任論を当てはめるとどう云ったことになるでしょう。考えるだけでも嫌になるくらいです。

古神道の世界観では,日本の諸問題は,世界に先駆けて起きます。したがいまして,日本のとる対応が今後の世界で同様に起こる問題の悪い見本にならない様にしなければなりません。

なら,どうすれば乗り越えられるか?

それは,本来の日本人の姿勢である相互扶助でしか乗り越えることは出来ないと,わたしは考えます。

花咲あさひ 拝


塵を払い垢を除かん

2021年04月03日 20時06分55秒 | 祭祀と和の国

だいぶ前に書いた過去記事です。

こんにちは。

松下幸之助さんは,とても信心深く神社や寺院に多額の寄付をされて来た人でも有名であります。きっと,学歴もなく病気がちであった自分を世界的な企業にまでさせてくれたのは神仏と先祖のおかげであることを誰よりも御存知であったのではないかと思います。少し事業が上手く行きだし,お金にも恵まれて行くと人は誰しも自分の力だと勘違いを起こしてしまいます。

これは,悲しいかな人間の持つ性(さが)なのかも知れません。ひとつの企業が成長して行く過程において,たくさんの人の支えがあってはじめて成長できるものです。そこには,企業競争に敗れた相手とその家族もたくさん存在しています。当然,努力が実らずに定年を迎えた人々,途中で挫折してしまい終えた従業員も居たはずであります。そんな人たちのある意味犠牲の上で企業は成長して行くのですから,経営者は常にそのことを忘れてはならないのではないのでしょうか。そして,そう言った物事に対する姿勢が経営者の人格を磨いて行く様にも感じています。敗れた相手,忘れ去られた人々を決して忘れない考え方は和の基本姿勢です。

松下幸之助さんが実現したかった社会とは「和の仕組」だと私は感じています。何よりも素直に生きることが大切であると以前,松下幸之助さんの本を読んで書かれていたことをよく憶えています。確か,本のタイトルは素直な心に成るためにだったと思います。又,松下幸之助さんは,将来日本の為に活躍できる人材を育てる目的である塾を創設させました。そこで様々な事柄を学び教育されますが,私が一番感心したのは「掃除」にありました。なんでもその塾では,やる事がなければ掃除をしろと言うことが徹底されているようです。きっと,掃除の持つ御力をよく知っていたからではないかと思います。アップルコンピューターの創業者であるジョブズさんもマイクロソフトのビルゲイツさんも掃除の持つ御力をとても理解されていました。これは本当にその通りであります。

禅をこよなく愛した松下幸之助さん,ジョブズさん,ビルゲイツさんならではの考え方でもあり,非常に実践的なことであるとも思います。掃除は禅の基本で根本と言っても良いかも知れません。福井県の永平寺に行くと深夜1時から若いき雲水が懐中電灯を額に着け一生懸命にただひたすら掃除をしている場所があるのです。その中でも特に,水と水回りの掃除はとても大事であります。つまり,水が流れ出る場所です。私たちが暮らす個人の家においても同様であります。浴室や洗面所などが汚れるとその家に住む人の健康や運気に悪いと古神道では言い伝えられています。水は穢れを流し,掃除には祓いの御力が込められているのであります。

今日は,なんだか常日頃から私が考えていたことを先人も同様に考えていたんだと云うことで,松下幸之助さんを記事にさせて頂きました。そして,先人から背中を押して頂いている気がして嬉しくもなりました。やはり,いつどんな時代であろうと和が基本であり,その和の仕組みは,わたしたちが暮らす和の国から始まるのであります。明るく温かいと言うのが人の基本です。暗く冷たいと言うのはやはり可笑しい。人を人と思わず,人を物として来た1つの時代,世の中がもうすぐ終わります。和の仕組みの復活です。

花咲 あさひ 拝


森羅万象の中心の坐が感謝です。

2021年04月01日 18時02分48秒 | 祭祀と和の国

2年程前の過去記事です。

こんにちは。今日は,一之宮に御酒を奉納して,神札を新しい神札に交換して参ります。私は一年間の間に3回くらいは神札を新しい神札に交換しています。最近,昔に比べると神社に参拝される人が何だか増えているように感じています。それも比較的,若い人たちが多くなって来ているようです。若い人たちが,自分の住む地域の氏神さまに素直に感謝を捧げることが出来ると云うことは,とても良いことです。何か自分の願いを叶えて貰おうとする参拝ではなく,日々の生活に感謝できる心と云うものは尊いことです。

できますれば,多くの人々が,大自然に感謝の気持ちを誰も介在させることなく出来れば良いなと思っています。純粋無垢な感謝の気持ちは必ず大自然に届いています。そしてその素直な想念は,自分自身に反射されて来ることなります。特別,何か呪文のような言葉を捧げるのではなく「ありがとう」これだけで良いのであります。なぜならば,この「ありがとう」と云う言葉は感謝を表す言葉として私たちは何気なく使っていますが,これは言霊信仰の中心でもあり,最強の祝詞でもあるからです。理屈を超越します。

わたしたちの国「日本」には,一つひとつの言葉,つまり一音一音に神さまの分霊が宿ると云われています。言霊信仰と云われて来た古の信仰形態です。たとえば,ひらがなの50音の一つひとつに神さまの分霊が宿っているのです。一音一音を組み合わせ,それを繋げて私たちは普段何気なく会話をしています。その一音一音の組み合わせの中でも森羅万象を顕す言葉「言霊」があるのです。

それが「ありがとう」と云う5音であります。ありがとうと云う5音の言葉「言霊」の組み合わせと繋がりは,実は,宇宙の根源的存在「根源神」は,自分の心の中に坐します云う意味があるのです。これが世界すべての宗教や信仰の元の本であると私は感じています。万物・物事の始まりであり,物事の中心でもあり,和の中心でもあるのが「ありがとう」と云う言葉の意味であるのです。

つまり,森羅万象,万物の中心なのです。私たちに馴染の深い現代の神社神道も仏教も「ありがとう」が起点となっています。人間の心は宇宙と繋がっていると言われる所以でもあります。大自然に感謝を捧げること氏神神社で感謝を捧げることの意味もここにあるのです。したがいまして,神社や寺院に行って自分のお願い事を金銭を払ってするような祈願信仰とは全く違うのです。

素直に感謝のありがとうだけで十分です。こんな事を書くと,神社やお寺の宗教家のみなさんに怒られると思いますが,ちゃんと護持や国体・政体を勉強して頂きたいと思いますし,それこそ神さまを商売に利用しているよなものです。そもそも発想が貧困ではないでしょうか。神社やお寺で交通安全の祈願をすると本当に事故を起こさないのですか?身体健康の祈願をすると本当に健康でいられるのですか?そんなことは小学生でも判ることです。それは,私たちの国「日本」にあるべき本来の信仰ではありません。

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことをとても大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。

大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。

高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心神とともに。花咲あさひ 拝


玉置神社改修事業奉賛会

2020年01月18日 19時16分06秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

昨日,玉置神社さんより郵便でお手紙を頂戴いたしました。

その内容ですが,玉置神社改修事業奉賛会と云う奉賛組織の立ち上げと趣旨に関する案内書でした。つまり,玉置神社さんの御社殿等を改修する目的で結成された奉賛組織と云う位置付けになります。通称:令和の大改修・正式名称は「玉置神社本殿等大改修事業」と趣意書には記載されています。護持の基本でもあります3つの護持で云うところの「神社施設の護持」に相当しますが,どのなうな事業内容であるのか送られて来た趣意書に基づいて概要の方を少し書かせて頂きたいと思います。

名称 玉置神社本殿等大改修事業

通称 令和の大改修

● 事業概要及び事業費

  総事業費 15億円

  玉置神社本殿改修工事 三柱神社改修工事  社務所及び台所並びに石垣大改修工事

  出雲大社教玉置教会建替工事 神輿殿建替工事 その他工事

● 事業期間(予定)

  令和二年一月一日~令和十年末日

● 御奉賛金

  一口三千円以上のご奉賛をお願いいたします。

  ご奉賛いただいた方々のお名前は,永久に保存いたします。

  三万円以上のご奉賛をいただいた方々のご芳名は,社頭に掲示いたします。

● 奉賛手続等

  随時玉置神社社務所で受け付けております。

 郵便振替等ご希望の方は左記QRコードもしくは裏面下部のURLより当社ホームページを閲覧願います。

● お問い合わせ先

  本紙の裏面下部に記載しております。

以上が趣意書に記載されている事業の概要ですが,自分の経験を踏まえた上で,私なりに率直な感想を言わせていただくと,ここまで来るのには道は険しく,相当大変であったのではないかと感じています。私も今から3年位前だったと思いますが,玉置神社さんの大改修をクラウドファンティングを上手く活用して出来ないかどうかを考えていた時期がありました。そのときは,私の心の中での想いだけでしたが,このたびは実際に令和の大改修が正式にスタートする事になりました。

先ずは,無事に最後まで達成できるように,私も祈っております。

記事冒頭でも少し書かせて頂きましたが,神社護持の3つの内,今回の護持は,神社施設の護持を目的(趣旨)としています。施設の護持となると,先ずは責任役員会にてある程度の道筋を予め用意して,総代会や世話人会などを開催し神社としての考えや想いを伝えて行きます。その上で,総代会や世話人会で施工業者,工事金額等々さまざまな事柄を決めていく事になります。大規模工事となると工事開始までに10年前後の準備期間を要するのもごく普通にあることです。

そこで,今回の玉置神社改修事業奉賛会が結成されたと言うことなので,自分自身がこれまで経験した事も含めて次回,送られて来た趣意書などの資料を基に玉置神社の護持を思うと云うタイトルで書かせて頂きたいと考えております。


個人主義と云う言葉に騙されるな!

2020年01月12日 17時20分52秒 | 祭祀と和の国

 

私達,古神道家が最も危機感を抱く言葉が,個人主義と云う恐ろしい言葉です。

確かに,現代社会に生きる私達にとって個人主義と云う言葉は魅力的に感じるかも知れません。

法律家の中にも個人主義と基本的人権を同義に解釈する人もいます。

私も仲間の弁護士や奉仕先の宗教家とよく議論しますが,個人主義と基本的人権は全く別の概念です。

そもそも日本語は祝語とも云われ,一音一音に魂が籠められていると言われています。

それが言霊信仰と云われる独特な信仰形態です。

この個人主義と云う言葉を使い始めて行くと,

次に自己責任と云う言葉を何ら躊躇することもせずに使い始めて行くことになります。

私達の国,日本は互いに支え,助け合い,足りないところ補い続けて行くことでしか生きては行けません。

その代表的な仕組みが相互扶助です。

相互扶助は,西洋が発祥だと主張する人もたくさん存在しますが,実は日本の縄文時代が相互扶助の始まりです。

私たちの国の歴史に,一度たりとも個人主義や自己責任と云った時代はありません。


国会議員に物申す。

2020年01月06日 21時10分55秒 | 祭祀と和の国

 

 

おほみたからにいたるまで かしこみ かしこみ もうす

この御言葉は,日毎朝夕,天皇陛下が八百万之神々に捧げる祝詞です。

安倍総理をはじめ,国会議員のみなさん。

咲いた花見て喜ぶよりも 根元で咲かせた恩を知れ

国民は,毎日,生活が苦しいと悲鳴をあげているのです。

動くか! 八咫烏!?

花咲 あさひ 拝


三峯神社の護持を思う。その4

2019年12月18日 18時10分03秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

三峯山を御神体とする三峯神社の護持について先日から1と2を書かせて頂いてきました。

以下の写真は,奥之宮を遥拝する遥拝所です。2枚目の御神体に奥之宮を御祀りしております。

それでは,続きのその4を書かせて頂きたいと思いますが,前々回のその2では,御神水の授与方法について予め御神水が入っている専用のペットボトルを参拝者が購入する方法ではなくて,三峯神社にて,たとえば京都の貴船神社さんと同じように空のペットボトルを参拝者が購入し,御神水を直接汲める方法を提案させて頂きました。

その理由は,①御神水とは流れている若しくは動いている御水であり,停留している御水は御神水ではないということを書かせて頂きました。ただし,御神水を汲んでからの時間差は多少ありますから2日以内に汲まれた御水であれば問題ないと私個人は感じています。自宅で御祀りしている神棚の御水も毎日か少なくても2日以内に交換すると言う習慣が古神道にはあることからです。私も出張などで3日以上,自宅を留守にする場合には御水の容器そのものを撤去しております。榊はそのままです。

次に,②神社護持の観点から申し上げますと,いろいろ思いつく事もありますが上記①でも書きました空のペットボトルを神社が用意する理由は(1)神社を運営する費用(収益)の確保と(2)統一規格にすることで汲み取り行列(渋滞)を避ける意味があります。この専用のペットボトルである統一規格がなければ,たとえば沢山のペットボトルを持参される参拝者や中にはポリタンクを持参する参拝者も出て来てしまいます。不特定多数の参拝者の方々に短時間で御神水を汲んで戴くには効率的です。

実際に,群馬県の榛名神社では,御神水を求める人々が殺到してしまい,今現在は御神水の持ち帰りは禁止されています。

又,(3)専用のペットボトルを神社から購入する数本を制限をするのも上記(2)をスムーズに運営していく為には有効的な手段とも考えます。(4)衛生面もとても大切な事項ですから,飲料水としての適合合格の有無を必ず立て看板や専用のペットボトルを販売する際にも口頭でも購入者へ告げることを忘れてはなりません。神社名は書きませんが,御神水を汲める場所の環境を整備していても,実際に飲料水としては適していない場合もとても多いのが現状です。つまり,持ち帰る参拝者自身で神社や寺院側に確認しなければならないのです。これでは意味がありませんので,参拝者が解る・理解できることが必要です。

確か,このブログで天河大弁才天社(通称:天河神社)の護持について書かせていただいた時にも述べましたが,神社や寺院の護持と云うものには3つの柱があって神社や寺院を支えています。その3つの柱とは,1.神社・寺院の本体(運営)の護持と2.礼拝堂などの護持と3.氏子,檀家,そして一般参拝者の「人」の護持です。この3つの護持の柱は共に支えあい,補い合っていますのでどれが先とかと言った優越性はありません。つまり,その時・その場で優先順位が変わって行きます。

今回,埼玉県秩父市三峰に太古の昔から祭祀が執り行われ,私たちの祖先が心の拠所として大切に御守りして来た古神道系の神社に参拝させて頂き感謝致します。美しい山々に囲まれ,御水にも恵まれ,山の麓で暮らしている人々の生活を支えてくれています。

三峯之神の神恩に感謝申し上げます。

神恩感謝に心音感謝

毎朝毎夕祖霊に感謝

花咲 あさひ 拝


三峯神社の護持を思う。その3

2019年12月17日 21時55分56秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

仕送りが厳しく,深夜のアルバイトも増やしたので記事の更新がなかなか出来ずにおりました。

いらっしゃらないとは思いますが,このブログを読んでくださっている方に申し訳ない気持ちにもなってしまいます。私のような末端の末端で働いている人々の経済状況や生活環境はますます厳しくなっています。郵便局の配達のアルバイトもそうですが,深夜に増やしたアルバイトでも会社から要求される内容はほとんど社員の方々と変わりはありません。

神社や寺院の護持だけで食べて行けれ良いのですが,これだけはどうする事も出来ず,神仏に関わる事を飯の種にする事は御法度ですから仕方がないことです。外で働く肉体労働者にとって一番恐れるのは雨と風です。雨の神さまに風の神さまですね。

平成の大禊に備えましょう。

今の社会は本当に厳しいですね。皆様もどうか生き抜いて下さい。

もうそろそろ次の仕事の準備をしなければならず,続きの記事が書けませんでした。

実際に撮影させて頂いた,美しい国の美しい三峯神社でも見て下さい。拝

上の写真2枚は,鳥居脇に建立されている謎の燈です。

仏教寺院に見るお経などを納める納経塔のように思いましたが違いました。

上の写真は,御社殿から手水舎を撮影した写真です。

上の写真は,随身門です。

以上です。

最後の最後まで生き抜いて下さい。

花咲 あさひ


三峯神社の護持を思う。その2

2019年12月15日 14時39分56秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

先日の三峯神社の護持を思う。その1の続きを書かせて頂きたいと思います。

つい,神社や寺院に参拝に行くと護持の視点で観てしまうもので変なクセになってしまっています(笑)案の定,古神道系の神社でもあるここ三峯神社でも同じように,いろいろと護持について考察しながら参拝させて頂くと,やはり気になる点が幾つかありました。その中でも特に敏感に感じたを書かせて頂きます。あくまでも護持の観点ですから良いとか悪いという事ではありません。

※上の写真は,三峯神社の境内です。

神社寺院の護持をする者として一言,言わせて頂けるなら御神水の授与方法について検討した方が良いと感じました。現在,埼玉県神社庁のホームページでお水取りの出来る神社を検索できますが,そこには,三峯神社もお水取りが出来る神社として公開されています。しかしながら,実際は,今現在,御神水を授与することは出来ますが,御水取りは出来ません。このことに対し,検討した方が良いと言っているのではなく,その理由は,別のところにありました。

それは,何故かと申しますと,現在の御神水は社務所にて予め神社側が用意している専用のペットボトルに入っている御神水を参拝者が購入する方法になっています。これのどこが,検討課題なの?と感じられると思いますが,専用のペットボトルに入っている御神水は当然,停留している御水ですから,時期が経過すれば腐りだしてしまいます。

つまり,停留している御水は御神水ではないのです。流れている若しくは,動いている御水でなければなりません。

これは,浄化の意味もありますが,神棚の御水を毎日交換する意味もここにあります。

したがいまして,専用のペットボトルに御神水を入れて販売するのではなく,京都の貴船神社さん同様に空のペットボトルを販売し,御神水は参拝者自身に流れている御神水を直に汲んで頂くことで良いかと考えます。もし,私が三峯神社さんの護持に奉職していたら,真っ先にこの御神水の授与方法について総代会に議案提出します。

それではなぜ,神社側で空のペットボトルを予め用意するのか?

そのことを次回に書かせて頂きたいと思います。拝


三峯神社の護持を思う。その1

2019年12月14日 08時01分50秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

先日,埼玉県秩父市三峰地域の三峯山に御鎮座される三峯神社へ参拝させて頂きました。

自然豊かな場所で,埼玉県でも大自然に触れる事が出来るのだと少し嬉しく感じることが出来ました。

上の写真は,三峯神社手水舎です。私は,御社殿を撮影できないのでありません。

今日は,この三峯山を御神体とする三峯神社について私が体感したことを2~3日,書かせて頂きたいと思います。

三峯神社の創建は,今から1900年前ごろと云うことですが,私が感じますところはもっともっと古くから祭祀場として存在していたのではないかと想像しています。古神道系の神社であることは間違いないとも思っています。私は,神社や寺院に参拝しても由緒書などを見ることはほとんどありません。それは,自分自身の感覚と云うか直観力と云うか思うままに感じるままにを大切にしているからでもあります。この考えは,神社に御祭りされている御神名においても同様で,御神名はまったく気になりません。

御神名を気にし過ぎることにとても違和感や嫌悪感があります。

ただ,人々が勝手に命名した御神名と云うよりも神々の神気を感じることの方に気を向けています。

こ三峯神社でも社殿脇に立ち入った際に,本当に御祭りされている神さまが解りました。

その御社殿脇と云うのは,社殿を正面にして右側に御祭りされている御宮です。ピリッとした独特の空気感と威厳に満ちた感覚がその周辺に漂っていました。とても厳しい御眷属神が鎮まって居られるようです。あのような感じのする神社では,やはり真剣さが要求されることが多いのが特徴的で,さすがは,山岳信仰の修験道の聖地だと実感した次第です。

不敬な事があれば容赦はしないと云った感じがヒシヒシと伝わってくる古神道系の神社です。とは言っても,参拝させて頂けること,自然に触れ合うことが出来ること,そして何よりも生かされていることへの感謝の気持ちの参拝であれば何ら問題はありません。一方,社殿前では,やはり人々の欲得や欲望の気しか感じることは出来ませんでした。

明日以降,三峯神社で,私が感じた護持について具体的な事柄を書かせて頂きたいと思います。拝