花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

超古代祭祀 出雲大神宮

2019年05月30日 06時20分10秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

上の画像は,出雲大神宮さんからお借りして来ました。わたしが撮影した写真ではありません。

昨日,自宅に京都の出雲大神宮さんから夏越しの大祓えの申し込み案内の封筒が届きました。出雲大神宮さんの封筒は,運気封筒と言って封筒の左上隅にミシン目が付いていて封を開けるのに綺麗に開けることが出来る少しユニークな封筒です。つい仕事柄,こう云った神社から送られてくる案内書などを見るたびに,経費面を考えてしまうことが癖になってしまっています。全国に存在する崇敬者さんへ送達する郵便代(送料)も相当な金額になるでしょうし,封筒や印刷物に掛かる経費も相当なものだと感じております。

先日も天河大弁財天社さんの護持について書かせて戴いたとおり,神社の護持には「神社運営」「神社施設」「氏子崇敬者」の3つの護持があると申し上げさせていただきました。その内,もっとも多くの資金を要するのが「神社の施設」の護持です。出雲大神宮さんから送られた今回の郵便代も封筒や印刷物に掛かる費用は神社の運営の護持に相当します。しかし,寄付される方々の意思が施設の護持や境内整備の寄付に限定されてしまうと名目上,限定的予算に編入されますから勘定方(経理担当者)は結構大変な思いをしています。やはり,神社に寄附される場合には,使い道をある程度,神社側に委ねるために裁量判断が良いかも知れません。

その場合,神社を運営するための護持費として寄附しますと言えば,受領する神社側では解かってくれます。たとえ話としては適切かどうかは解かりませんが,地方自治体が中央政府からある名目で補助予算を受け取る場合,紐付き予算は使いづらいと云うことを聞かれたこともあると思います。要は,そんな感じなのです。使い道が限定されてしまう寄附金よりも,ある程度,使い道が神社側の裁量で判断できる資金の方が正直,神社としては助かるのも現実です。そう云った細かい経費の歳出入を的確にされている出雲大神宮さんのような神社もあれば,収支計画をしない,ほとんどドンブリ勘定で,運営している神社や寺院もあるのも確かです。

 ※ 宗教法人の会計基準は,所謂,企業会計とは別の会計基準で構成されています。

小さな祭事を氏子さんや全国に存在する崇敬者さんの方々に送る案内書を趣意書と申しますが,この趣意書一つとっても慎重に言葉を選び,難しい専門用語を使わずに解かりやすい表現を考えながら作成しています。私も作っては破棄しを繰り返しながら祭事の趣意書や新しい取り組みの計画書を作成しております。文書や案内書などを送る側の主張ばかりを強調し過ぎないように注意して,読む側の立場に立脚して諸々の書面を作成して行くのです。これが難しい作業でありまして,中途半端では趣旨が伝わりません。

祭事にかかる経費を勘定して,資金の工面を考え,役割分担をなんども総代会を開催してさまざまなことを決めて行きます。そうしてようやく,1つの祭事が開催できるのであります。昨年だったか,出雲大神宮さんでは,桜奉納計画を立案されておりました。御神体の麓の境内地に桜を植樹すると云う趣旨であります。その里親を募ると云う計画です。出雲大神宮さんのような神社になりますと神社の歴史よりも祭祀場としての歴史の方が遙かに遠く永いのです。祭祀場としては,軽く1万年以上も前から祭祀場として御神体に祈りが奉げられて来た場所でもあります。そう云った気の遠くなるような歴史を受け継ぎ,後世に伝え,継承して行くことを考えながら桜奉納計画の立案をされたのだと思っています。とても素晴らしい計画だと思います。参拝に来られる方々に少しでも幸せになってもらいたいと云う職員の意思の表れであることが感じ取れます。たくさんの桜が,どんな鈴の音を奏でるのか楽しみです。

※ 御神体への入山は,すべきではありません。

 本来,御神体へ入山できる資格のある人は,宮司さんと清掃をする人だけです。

花咲 あさひ 拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


はやくおうちにかえりましょう。鬼が出て来ますよ。

2019年05月29日 05時50分00秒 | 怒りの心柱

 

こんにちは。今日は,怒りの心柱です。

先日,わたしの家に,とある新興宗教の信者さんが勧誘に来られました。よくあることですが,片手に教団が発行している新聞紙を持って私に教団の説明やら宗教の話しやらいろいろと話をしながら教団に入信しませんか?と云うことを言いたいのでしょう。女性二人でやって来ました。あとで,わたしも考えて見てみるとどうやら宗教の勧誘には戦略を以て活動されているようです。勿論,戦術ではなく戦略ですから目には見えません。その戦略とは何か?それは,企業のマーケティングを参考にしているのではないかと想像しています。いろいろと教団で策を考え,宗教勧誘が上手く出来そうな場所や人を見つけ出しターゲットにしているようです。

わたしもワザといろいろとその二人の女性に質問してみたりして見ましたが,全然お話にならないレベルです。聞いていて私の方が説法してやりたくなるくらいで,言葉に重みも説得力も説明力も無くすべてがダメです。そんな薄っぺらい言葉で,勧誘している自分自身が内容も理解せず,教団新聞に書いてあることすら解からない人がと言ってやりたいくらいでした。自分の言葉にもなっていない言葉で,書いてあることをそのまま文字図らで朗読されてもそもそも気持ちも何も伝わって来ません。そんな魂の宿らないような言葉ではなく,自分自身の言葉で宗教とはなにか?信仰とは何かを語ってもらいたかったのですがまったく期待外れでした。

一般人には理解できないような仏教用語で長々と何かを話している様子に思わず一度,永平寺にでも行って若い雲水の伽藍説明でも聴いてくれば良いですよと言ってやりたくらいでした。永平寺とは,禅の根本道場でもある福井県にある雲水さんたちの修行道場ですが御存知の方も多いと思います。その永平寺に参拝すると,伝承部と云うところから若い雲水さんが独り来て参拝者に七堂伽藍を案内して回ります。いろいろと施設の話を雲水さんがしてくれるのですが,実は,この雲水さんの話しは,雲水さんの大事な修行でもあるのです。つまり,自分の考えや思いを相手に伝えるためにはどういった言葉を選べば良いのかを修行しているのです。

相手に何かを伝える。その為に,私たちは言葉や文字を使います。普段の生活でも仕事でも誰でも同じです。その際に,自分だけのことしか考えずに何かを伝えたい相手と対話していたらどうなるのでしょうか?相手に解かる伝え方をすることは対人関係でもとても大切なことだと以前,永平寺で修行中の雲水さんを観ていてそう感じました。どうすれば永平寺に来寺して下さった参拝者の人に分かり易く,限られた時間の内に伝えることができるのか?これも禅の根本修行のひとつです。つまり,言霊信仰でもあります。

自分でも解かっていないお題目を何万遍唱えるよりも何倍もまだ行く価値があります。

口を開けば,やれ,安倍政権がどうした,お釈迦さまがどうした,日蓮さんがどうした,教団に入信しない人は地獄へ落ちるだの独り寂しく暮らしている高齢者の人にも同じように勧誘していると想像しただけで,心の鬼が太鼓を叩きはじめ,舞を舞い出してきました。これ以上,話をしていると本当に鬼が出て来てしまうので「お題目も唱えません」「入信もしません」と言って帰って頂きました。あんな言葉に易々と新興宗教に入信してしまう人がいる事に,私はある意味とても危機感があります。ご注意ください。

日蓮さんを崇敬する新興宗教信者のみなさん。

日蓮さんは,伊勢神宮の外宮で宗教家になる決意を宣べました。

それが,3つの言葉です。今の教団に日蓮さんの魂は宿っていません。

愛する人がお家で待っています。はやくおうちにかえりましょう。喝!

  

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心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


スサノオブルーのチルドレンたちへ。 ~YELL~ 

2019年05月28日 14時20分20秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

これまでも現代の若者について,このブログでも書かせて頂いて来ました。世間では,最近の若者はと言われることがありますが大丈夫です。エジプト文明の頃から言われ続けて来たのですから気にする必要もありません。私は,最近の若者を見ると本当に立派な若者が多くて凄いなと感じています。礼儀正しく,優しくて,そして,あまり欲もないような感じもします。その若者の中でも,特に今の10代の若者が20歳を過ぎる頃,世界を牽引して行くのではないかと期待もしているのです。冗談ではなく本当に。

この世代は,あまり贅沢を知らず,ステイタスにも興味がないようです。又,貧富の差を経験している子供も多く存在します。たとえ自分では経験していなくても,周囲の友達が給食費も払えない事や塾に行きたくても行けない事や夏休みに何処にもいけない事を肌感覚で知っているようです。そう言った小さな子供のときから自分ではどうすることも出来ない事に対する思いは,やがて,実体験を通して経験した慈悲の心を自然と身に付けて行きます。慈悲の心はまるで自分で体感して来た感覚として残りますので,自分が経験していなくても直感で真実を見抜きますし,だいたい大人の嘘なども瞬時に判りますから嘘偽りが通用しません。

マスコミは直ぐに,若いスポーツ選手や芸能人など有名人ばかりに目を向けますが,むしろそう言ったスポットライトの中にいる子供よりも,そうでない子供たちに私はもの凄く期待しているのです。そして,その子供たちが成人を迎えたころ社会の役に立ちたい。困っている人の役に立ちたい。世界で挑戦したみたいと奮起して行ってくれることを心から願っています。

そう云った子供たちが和の国である日本にどんどん生まれ出ています。

きっと,魂の経験値が高いのでしょう。肉体は若くても魂の年齢,つまり,輪廻転生を多く繰り返してきた魂です。その魂が現代に続々と生れ出て来ているようであります。人は誰でも年齢「世代」に関係なく,生まれて来る前に宿命を宿して来ます。運命とは違い,決して変えることの出来ないことが宿命です。古神道では,今世に生れ出る前に,あの世で神さまと相談した上で,生まれ出る環境を自分で設定して神さまと共に誕生して来ます。これを産土神と申します。つまり,誰の心の中にも存在する神さまです。

そして,産土神と共に一生を共に歩んで行くのです。

郵便局で配達員のアルバイトをしていると,小包の配達を1日だいたい100件以上は配りに回ります。朝から夜遅くまでひたすら配達することだけ考えて時間指定の荷物は限られた時間に間に合うように注意しながら配達をしています。そう言った中で,小さな子供のいる家庭に配達に行くと本当に感心することがとても多いのです。小学生くらいの子供たちはとても礼儀正しく,ちゃんと最後には「ありがとうございました」と頭をさげて挨拶をして来ます。まだ仕事と言う概念が備わっていないので,心からの「ありがとう」なのです。見るからに賢そうな子供たちばかりです。私も将来,子供たちの御役に立てることを仕事を通じてやって行こうと考えております。特に,貧困層の子供たちの御役に立てれたら良いなと思っています。日本で生活している子供たちに国籍や生まれたところは関係ない話です。国家間の争いや紛争は政体を司る人たちで河川敷にでも行って殴り合いの喧嘩でも何でもして下さい。

今の世界の政治家は,国民の命と云うものを神さまからお預かりしていることを忘れています。

理屈にもなっていない屁理屈ばかり。

破綻した論理ほど惨めなものはないことすら判らず,不知な頭脳をさらけ出し。

自ら滅び行く哀れな姿よ。神が預けし御子の御霊を傷つけ汚すは神への冒涜。

毎日,苦しい中でも何とか一般の生活をしている国民と平穏に暮らしている子供たちを巻き添えにして欲しくないのであります。神さまは全てをご覧になっています。自分の先祖もすべてを観ています。自分の胸に手を当て考えて見れば答えは出てくるはず。もしも,何の答えも出てこないのであれば,それは単なる努力不足でしかありません。大いに省みて猛省しなければなりません。

心配,不安は穢れの根源。穢れとは「気枯れ」つまり,気が枯れること。神さまが最も嫌うエネルギーであります。穢れに触れると私たちの身体は病気になります。私は,いつも上手く出来ているなと感じていますが,これも神さまから日々の行い生活を省みろと云うひとつのサインなのでありましょう。すべての子供たちが豊かに平穏で暮らして行けますように。祈念いたします。拝

自分の事など形振り構わず,子供の為にとパートをしながら一生懸命育ててくれた母上様を大切に。合 掌

 

  

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すべてを水に流すこと。古神道とともに。③

2019年05月21日 06時14分36秒 | 美しき水の国

 

こんにちは。先日の古神道のところから続きを書かせて頂きたいと思いますが,今日もその前に,左の写真は,伊勢神宮「内宮」別宮である伊雑宮(いざわのみや)の御料田で撮影させて頂きました。ここに来るととても気持ちが良いので,いつも最後に参拝させて頂いています。ちゃんと,正面には鳥居も設置されています。御社殿は撮影できないのですみません。

古神道の思想と云うものは,大自然を崇拝「畏怖と感謝」するだけです。どこかの宗教団体に入ることもありません。団体としての組織がありませんから当然,宗教上の教えもありませんし,指導者も教祖も存在しません。大自然そのものが神様であり,自然の恵みや恩恵によって人間は生かされ,この世のありとあらゆるものは神様の御分霊を宿す存在なんだと云う思想です。大自然や自然ばかりではなく,私たちも神様の御分霊を宿していると考えられています。もっと言えば,古神道と云う名称すらも存在しません。便宜的に使用しているに過ぎないのです。つまり,縄文時代までの文明と解釈して頂いて結構です。

縄文時代以前には越國と呼ばれる文明もあったようです。ただそこまで行くと話が難しくなるので,紀元前1万5000千年前の縄文時代としています。そして,この縄文文明を生きた,我々の遠い祖先である縄文人「古神道」の最も特徴的な考え方は,とくにかく争いを嫌います。縄文時代の遺跡などから唯一,見つかっていないものがあります。それは武器です。人を殺傷する武器は遺跡などから発見されていません。何故か?古神道の思想には,死後の世界つまり,死生観と云うものが存在していて,生きている間に,人やものを恨み,憎しみの様な観念を持って死を迎えるとその魂はあの世に帰ることが出来ず,この世に停留すると云う思想がありました。そうなると生きている子孫をあの世で守護することが出来なくなってしまうだけではなく,輪廻転生が出来ないと考えられていたからです。死後の世界にまで影響するものだと信じられていました。現代の神道や原始仏教にも死生観が存在していますが,その元を辿ると縄文時代に行き着くことが出来るのです。又,罪や穢れを水に流す神事として古来から継承され続けている人形祓のように海水や川の水は罪や穢れを流してくれるものだと考えられていたようです。そして,その思想は現在の神社神道で6月と12月の大祓神事として受け継がれています。つまり,先人の知恵に学ぶ「温故知新」から来ているのかも知れません。

すべてを水に流すと云うことは大変ですし,難しいことでもあります。楽なことではないことも確かです。特に現代のような物質主義社会や資本主義経済での豊かさや幸せを実感するには,どうしたってお金が必要であります。そして,事業をされている経営者の方などは何をするにも先ず資本となるお金がなければ事業は成り立ちません。私も経験がありますが,一生懸命努力して報酬を頂けなかったことが何度かあります。それを水に流せと云われても無理な話だと感じるのも致し方がないことです。固定費が捻出できなければ会社は倒産します。個人でもお金がなければ破産も破綻もしてしまいますし,ご飯も食べることが出来ません。病気をしても病院へも行けません。お金はとても大切なものですし,自分や他人を助けてくれるものであることは間違いありません。

その混沌とした社会の中であっても家族や社会の為に一生懸命に一つの事に立ち向かう姿は正に勇者そのものだと思います。私も挫折の連続でした。これでもかと云うくらいでした。悔しくて悔しくて泣き疲れて寝た日もたくさんありました。思い出すだけで眠れなくなる時もあります。それでも己を信じ,自分を律し,他者を思いやり,他人の幸せを祈れる人は本当に尊いことだと考えるようになりました。それは何事にも変えることの出来ない真の財産でもあります。そう言った人を神様が放って置く訳がないと私は真剣に感じています。そして,水の如く逆らわず,争わず,競い合わずにどんな姿にでも素直に適用出来るように努力すること。自分の身を低く謙虚に生きること。不要なものは,すべてを水に流し溜め込まないこと。それ以外にも今回の水の神への感謝参詣を通じて大切なことをたくさん学ぶことが出来ました。大自然の恩恵で生かされていること命を繋いでくれた祖霊に感謝致します。

有難う御座いました。拝

  

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又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

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心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


すべてを水に流すこと。古神道とともに。②

2019年05月19日 03時58分57秒 | 美しき水の国

 

こんにちは。昨日の記事の続きです。その前に,左の写真は上賀茂神社境内に流れる「ならの小川」です。神道の大祓詞に登場される祓戸四神の瀬織津姫神が坐しますところです。川の織り成すところに御鎮座されると言われていて,最も祓いのエネルギーが強い場所です。境内唯一の休息用のベンチが設置されています。

それでは,続きから書かせて頂きます。あらためて今回の参詣を振り返って観てみると「水の如く」「すべてを水に流すこと」ではないかと感じています。これに尽きた参詣であったと帰宅してからそう思っています。しかし,この「すべてを水に流すこと」と言うことほど難しいものはありません。良いことも悪いことも,損も得もすべてを水に流すのですから容易なことではありません。なぜなら,好きなものは好きですし,嫌いなものは嫌い。良いものは良いし,悪いものは悪い。興味のあるものは興味があるし,興味のないものはない。自分にとって得することはするけど,自分にとって損することはしない。対照的に考えて見るとそれ以外にもたくさん比較する対照が私たちの日常にはあります。

仮に,それを人に話しても「そんなこと当たり前だ」と言われてしまうでしょうし「変わってるな」と感じられるかも知れません。私も知人にその様な話をされたらきっと,そう想い,感じることだろうと思います。そんな難しく考えないで,自分が楽しく豊かに幸せになることだけを考えて生きて行った方が良いよと話をしてしまうかも知れません。それが正しいかどうかと云った事柄ではなく,自分が幸な人生を歩もうとし,それに伴う努力をすることに正誤の判断は出来ないと感じているからなのかもしれません。

しかし,これを理屈で考えれば考えるほど迷いの道を歩んで行くことにもなるのだろうと感じています。私は仕事柄,紛争や争いなどの事柄に接することも多くあります。そう言った中で,霊能者などの人と闘うことも多くあります。そのほとんどが,お金に関する事柄です。現在も係争中の事案もあります。私が,このブログで稀に霊能者などのことを書くのは仕事を通じて体験し,実感して来たものがほとんどです。その危険性も払う犠牲の大きさもよく理解しています。眼には見えない世界であるから事実関係が曖昧で,実態がなかなか把握できないのが霊能・霊的事案の特徴的な実情です。神社や寺院がそう言った方々と縁を持ち,神様,仏様から自ら離れてしまうことも近年は特に多いような気もしています。やはり,地道にコツコツと道を歩んだ方が断然,良いです。

この辺りのことを記事にすると,それだけでブログが出来てしまいますので機会があれば,たまに書きたいと思います。

皆さんは,何かの壁にぶち当たったり,自分がスランプに陥っている時,どのように乗り越えているのでしょうか。又,どのような条件が揃ってしまうと壁やスランプの罠に陥ってしまうのでしょうか。私は,ある時期,仕事でスランプに陥っていた時に,そのことを深く考えていたことがありました。その結果,争いと所有の概念こそ私自身がスランプに陥る主な原因ではないかと考えるようになったのです。先程の霊能者の話ではないですが,たとえば,紛争を仕掛けられた場合や自分の生活や組織が危ぶまれる事態に陥ってしまった場合には「余計な」を入れないことです。淡々と,そのことに真摯に謙虚に向き合うことです。そして,勝とうと思わないこと。これをしないだけでも随分と結果は違ってくるように感じています。道徳経の祖,老子さんの云う水の如くです。

私はそれを深く探究すればする程,古神道に辿り着きました。正直,ここまで来るには大変でした。常に相手よりも自分が勝っていることを考え,負けることなんて考えならない。自分は正しいのだから,相手が間違っている。自分の言っていることは正義だ。だから相手が自分に合わせるべきだと云う自分の自我や我欲がたくさんありました。それがいつの頃からか,自分の考え方を疑うようになりました。どうして自分は正しいと考えるのか?なぜ正しいと人に言えるのか?を逆に自分自身へ問うことをして行きました。

今でも憶えていますが,部屋の掃除をしている時に「自分の考えを疑え」と音霊から言霊に変わった瞬間を観ました。つまり,自分が正しいと感じていたことを省みることです。そうは言ってもそれが難しくて「そんなのは自分でそう感じてしまうのだから仕方がない」とか正解を探そうとする自分がまだありました。つまり,素直に謙虚に省みることが出来ていないのです。それは,心に反省の心柱がちゃんと起立していないからでした。せっかく努力して作ったものを自分の手で壊すのですから嫌な作業でもありました。

続きは,また明日。拝

  

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すべてを水に流すこと。古神道とともに。①

2019年05月17日 21時51分55秒 | 美しき水の国

 上の写真は,上賀茂神社の神域に流れる「ならの小川」です。

こんにちは。今回の「水の神への感謝参詣」もあと女人高野の室生寺と伊勢神宮で終わりになります。今日は,ここ数日の間に書かせて頂いて来た「水の神への感謝参詣」を自分なりに振り返って(音霊)観た感想を書かせて頂きたいと思います。何かの正解を探すのではなく,素直な心柱で感じて観たいと思います。本当に今回は御水に関することを意識する参詣になりました。これまでも同じ神社や寺院に参拝させて頂いて来ましたが,今回は御水と云うお題を与えられた様な感じでとても解りづらく,抽象的と云うか感覚的と云うか不思議なものでした。古神道の神髄である無言の教示や案内は,自分から率先して意識したり,行動しなければ会得できるものではありません。つまり,教祖たる人物がいない訳ですから教えてくれる人が誰も存在しません。相手は大自然です。

仏教の祖であるお釈迦様が心の燈火を拠り所にして道を歩みなさいと言われた意味が欠片ほどですが理解できたような気がします。現代の神社神道の祝詞「大祓詞」にも仏教の経典「例えば,般若心経や観音経」にもたくさん知恵や教示が示されていることだと思います。しかしながら,その本当の意味や内容を理解する為には何万遍と唱えても悟ることは永遠に出来ないと私はそう思っています。立派な言葉や文字を眺めているだけ,また読んでいるだけで人生が豊かに生活が平穏になると考える心の方にこそ問題があるとも考えているからです。つまり,祝詞や経典に書かれている内容を如何に日常生活の上で実践して行けるかだと感じています。

したがいまして,本当の悟りや理解などは厳しい修行や苦行にあるのではなく,日常生活の中にあるのではないでしょうか。そして,誰もが豊かに平穏に暮らす為に生まれて来ているのだと考えています。よく,この世の中は,厳しく,不幸なものだからとか言われる方がいますが,私は全く考え方が違います。不幸の中の不幸は,何処まで行っても不幸のままです。苦しみの中の苦しみもどこまで行こうが苦しむままです。苦しむことで過去の因縁を昇華できるとか言うことはありません。これを暗示のように毎日毎日,自分に言い聞かせ,他の人物からこのような教義を受けていると最後の日まで苦しみの中にいることになってしまいます。

私たちは,大自然と云う太神様の中で生かされて生きているのです。そして自然とともに生きているのですから大自然の仕組みが変われば,私たちの心も良くも悪くも変わってしまうのです。大自然や自然に感謝をすると言う言葉の奥には,自分自身に感謝することに繋がっているのであります。さらにこの世のありとあらゆるものは太神様の断片で,すべてのものには太神様の御分霊が宿っていると考える方が自然な考え方の様に思えます。それを,科学ではこの様に考える,医学ではこの様に考える。経済ではこうだとか法律的にはどうだとかを真剣に大人たちが議論しています。つまり,人間が社会や自然をコントロールしていると思い込んでいます。元々,科学も医学も経済も法律もそして,宗教も信仰の対象として崇拝されて来た一つのものであったのです。それがいつの間にか,一つひとつを分離させ,人が支配するようになってから訳が分からなくなって来たのです。分離分割すればする程です。

今回の水の神への感謝参詣を通じて,いろんな事を勉強させて頂きました。一見してみれば,川に流れるただの水ですし,神社から湧き出る御水つまり,御神水です。しかし,そのただの水と感じるのも人の心の内であります。大自然の中で生かされ,自然と共に共存共栄して生きることで大自然からの音霊(波動)を感じ取れることができます。何か特別な能力が必要だとか神様から選ばれたとか云うものではありません。誰においても出来ると私は思っています。その為にも感謝の心柱を立てなければなりません。つまり「自ら手を挙げ名乗り出よ」と云うことなのです。だからと言って,神様がそのような言葉をしゃべる訳でもないです。あくまでも自分からですから別の言い方をすれば,奉仕の心柱も自分の心に必要であるとも言えます。私がしますと言う謙虚な心柱を自分の心の高天原に太如き立てるしかないようです。今日で,このブログを開設させて頂いてから108日目が経過致しました。仏教に伝わる様に,人間の煩悩の数と同じであることから今日の記事を書かせて頂きました。感謝申し上げます。有難う御座いました。

明日に続く。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


和の仕組みを考え続けた昭和の経営者

2019年05月16日 06時23分51秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。上の言葉は,松下幸之助さんが生前,会社の幹部によく話されていた言葉のようです。

松下幸之助さんは,とても信心深く神社や寺院に多額の寄付をされて来た人でも有名であります。きっと,学歴もなく病気がちであった自分を世界的な企業にまでさせてくれたのは神仏と先祖のおかげであることを誰よりも御存知であったのではないかと思います。少し事業が上手く行きだし,お金にも恵まれて行くと人は誰しも自分の力だと勘違いを起こしてしまいます。

これは,悲しいかな人間の持つ性(さが)なのかも知れません。ひとつの企業が成長して行く過程において,たくさんの人の支えがあってはじめて成長できるものです。そこには,企業競争に敗れた相手とその家族もたくさん存在しています。当然,努力が実らずに定年を迎えた人々,途中で挫折してしまい終えた従業員も居たはずであります。そんな人たちのある意味犠牲の上で企業は成長して行くのですから,経営者は常にそのことを忘れてはならないのではないのでしょうか。そして,そう言った物事に対する姿勢が経営者の人格を磨いて行く様にも感じています。敗れた相手,忘れ去られた人々を決して忘れない考え方は和の基本姿勢です。

松下幸之助さんが実現したかった社会とは「和の仕組」だと私は感じています。何よりも素直に生きることが大切であると以前,松下幸之助さんの本を読んで書かれていたことをよく憶えています。確か,本のタイトルは素直な心に成るためにだったと思います。又,松下幸之助さんは,将来日本の為に活躍できる人材を育てる目的である塾を創設させました。そこで様々な事柄を学び教育されますが,私が一番感心したのは「掃除」にありました。なんでもその塾では,やる事がなければ掃除をしろと言うことが徹底されているようです。きっと,掃除の持つ御力をよく知っていたからではないかと思います。アップルコンピューターの創業者であるジョブズさんもマイクロソフトのビルゲイツさんも掃除の持つ御力をとても理解されていました。これは本当にその通りであります。

禅をこよなく愛した松下幸之助さん,ジョブズさん,ビルゲイツさんならではの考え方でもあり,非常に実践的なことであるとも思います。掃除は禅の基本で根本と言っても良いかも知れません。福井県の永平寺に行くと深夜1時から若いき雲水が懐中電灯を額に着け一生懸命にただひたすら掃除をしている場所があるのです。その中でも特に,水と水回りの掃除はとても大事であります。つまり,水が流れ出る場所です。私たちが暮らす個人の家においても同様であります。浴室や洗面所などが汚れるとその家に住む人の健康や運気に悪いと古神道では言い伝えられています。水は穢れを流し,掃除には祓いの御力が込められているのであります。

今日は,なんだか常日頃から私が考えていたことを先人も同様に考えていたんだと云うことで,松下幸之助さんを記事にさせて頂きました。そして,先人から背中を押して頂いている気がして嬉しくもなりました。やはり,いつどんな時代であろうと和が基本であり,その和の仕組みは,わたしたちが暮らす和の国から始まるのであります。明るく温かいと言うのが人の基本です。暗く冷たいと言うのはやはり可笑しい。人を人と思わず,人を物として来た1つの時代,世の中がもうすぐ終わります。和の仕組みの復活です。

松下幸之助さんに感謝。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 1

2019年05月14日 08時42分21秒 | 感謝の心柱

以下の記事は,過去記事です。

こんにちは。先日,千葉県の成田市に御鎮座されます麻賀多神社へ参拝させて頂きました。御存知の方も多いと思います。麻賀多神社は,あの日月神示「ひふみ神示」が降ろされた天日津久神社があるところです。その帰り,隣の茨城県に仕事の用事があったので自動車で向かっている途中,阿見町と云うところを通過したときにあることを思い出していました。それは,2008年頃から研究していた神風特別攻撃隊「特攻隊」についてでした。この茨城県にある阿見町には,特攻隊への入隊を前提とされていた14歳から17歳までの若い人たちで構成された予科練があった場所です。私の大叔父も予科練から特攻隊へ入隊し,出撃の数日前に終戦を迎えました。今日と明日と明後日の3日間は,ただ純粋に国の為に朝夕と厳しい訓練に励んでいた予科練習生,愛する国と故郷,家族の為に尊い命を捧げた特攻隊員,そして,本土決戦で激戦地となった沖縄ひめゆり学徒隊を記事にさせて頂きます。いよいよ明後日,8月15日は71回目の終戦祈念日を迎えます。いま私たちに出来ることは,後世に伝え残すことだと考えます。

過去の関連記事です。「あなたは神風特別攻撃隊を知っていますか?」宜しければ,お読みください。

先ずは,下記の予科練から神風特攻隊として出撃される前にお母さんへ向けた遺言書をご覧ください。

僕はもう,お母さんの顔を見られなくなるかもしれない。 お母さん,良く顔を見せて下さい。 しかし,僕は何んにも「カタミ」を残したくないんです。 十年も二十年も過ぎてから「カタミ」を見てお母さんを 泣かせるからです。 お母さん,僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。 それが僕のあいさつです。母上様。

(資料出処:予科練平和記念館)

この遺言は,予科練から特攻隊へ入隊し,昭和25年5月4日に弱冠19歳と云う若さで,特攻作戦のため出撃され沖縄で特攻戦死された福島県出身の茂木少尉が大好きな母上様に宛てた最後の御手紙であります。

上の画像は,知覧特攻平和会館に所蔵されている,燃えさかる特攻機から6体の天女が特攻隊員を救い出し,昇天の様子を描写させた画です。目で見ると確かにこの画像は,作者の鎮魂の祈りが描写させて描かせたものですが,この画のとおりのことが実際に起こっておりました。日本神界の神々様から仏界におられる菩薩様も総出で戦禍に赴いた御霊の救出と昇天をさせておりました。きっと,この画を描写した作者には,後世に伝えるために神懸りにより筆を取らせて描かせたものです。

それでは,予科練について記事にさせて頂きますが,予科練を語る前に,特攻について少し書かせて頂きます。特攻隊には幾つかの部隊が存在しておりました。陸軍や海軍に所属し,予科練はその内,海軍に所属する「海軍飛行予科練習生」のことを通称:予科練と呼んでいます。特攻隊員の多くは予科練の所謂,卒業生で卒業後はほとんどの少年が特攻隊へ入隊しています。14歳から17歳ですから中学2年生から高校2年生の未だ未成年の子供たちであります。これが少年特攻と言われる所以です。今とは想像もつかないと思いますが,これが現実でありました。特攻隊員は18歳以上の若者が出撃されたと云う風習になっていますが,私が研究している課程で元特攻隊員の方とメールですがやり取りさせて頂いた際に,17歳未満の特攻隊員も存在していたと話されていました。

いまの若い世代の人は,特攻や特攻隊と云う言葉すら聞いたことがないかも知れませんが,私たちのすぐ近くの御先祖様です。この特攻と言う言葉は,特別攻撃の略称で,航空機や水上・水中兵器に爆弾を搭載して,当初から死を持って敵戦艦に体当たりして撃破するという攻撃です。つまり,はじめから死を覚悟して出撃するのです。本格的に特攻隊が部隊として編成されたのは,昭和19年(1944年)の10月です。特攻隊員13名が志願により選出され,第一次神風特別攻撃隊としてそれぞれ4部隊が結成されました。最初の特攻攻撃の戦果が確認されたのが10月25日でした。

しかしながら,私も研究をしていて実は,特攻一番機の前に伝説となった「特攻ゼロ号」が存在していたことが判りました。敵がいなければレイテへ行きますと言って飛び立った伝説の英霊です。正式に大本営にて特攻したのかどうかの確認が出来ていないために,伝説の特攻ゼロ号と呼ばれるようになったのです。また次の機会で記事にさせて頂きたいと思います。

毎度のように話が少し逸れますが,アメリカの9.11の悲惨な出来事をまるで日本の特攻隊のようだとマスコミがニュースなどでコメントしていたり,第2の真珠湾などと言っていたりしていましたが,これはとんでもないことです。9.11のテロリストと我が国の特攻隊の御魂を一緒にするような発言は無礼にもほどがあると思います。私たちの御先祖様と一緒にしないで下さい。おじいちゃんたちの悪口を言わないで下さい。今度,悪口を言っているのを聞いたら閻魔大王と不動明王に言いつけます。

話を戻しますが,予科練は,海軍飛行予科練習生で年齢は14歳から17歳の即ち,少年航空兵のことであります。この制度が出来たのが,昭和5年6月1日で,第1期生79名でした。当初は,横須賀海軍航空隊に予科練習部を設置し,その後,全国から5,800名の志願者から厳選され昭和14年3月には霞ヶ浦湖畔に移り,大東亜戦争が開戦すると航空兵の増員が急務となったのです。そして,予科練習生は優れた搭乗員としての人間形成と,厳しい訓練をものともせず,航空兵としての実力を身につけて行きました。さらにエピソードの1つとして,昭和12年8月14日,中国本土に孤立する居留民団(日本人)を救助するため,暗夜の荒天を衝いて敢行した渡洋爆撃にその初陣を飾って以来,予科練を巣立った若人たちは多くの偉勲を重ね,大東亜戦争では名実ともに日本の航空戦力の中核となり戦ってきました。

しかし戦局は悪化の一途を辿り,敵が本土に迫った時,そのほとんどが神風特別攻撃隊員となって,一機一艦必殺の体当りを決行したのです。名も命をも惜しまず何のためらいもなく,ただ国を救うことのみに無限の未来を秘め祖国と家族を守るために尊い命を捧げたのであります。創設以来終戦までの予科練の歴史は僅か15年3ヶ月に過ぎません。しかしながら,祖国の繁栄と同胞の安泰を願い,たくさんの少年たちが全国から志願し,その予科練卒業生の8割が未曾有の国難に殉じ特攻による戦死をしたのです。私たちの今の生活があるのは,先の大戦で決死の覚悟で戦った英霊の御蔭であることは言うまでもありません。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

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菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

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心優しき動物たちへのオウムの恩返し。物語後段 再掲載

2019年05月12日 04時30分00秒 | 勇気の心柱

 

こんにちは。仏教の経典である雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)の121物語中のオウムの恩返し「雑宝蔵経 天はすべてを観ています。」「オウムの恩返しと動物たちの優しさ。物語前段」を2日程,記事にさせて頂きましたが,このオウムの恩返しの前段部分は,鎮守の森で平和に暮らしている心優しき動物たちが,エサを探し求めて森の中で迷っている一羽のオウムに優しく声を掛け,木の実や美味しい御水などをたくさんあげて夜は,オウムが寂しくないようにと安心して寝ているオウムの回りを動物たちが囲んで寝ていましたと云うお話でした。そして,翌朝,たくさんの心優しい動物たちの愛情でグッスリと寝ることができたオウムは自分の故郷を目指し,たくさんの動物たちに見送られながら飛んで行きました。ここまでが,このオウムの恩返し物語の前段部分です。

そして物語は,後段に入ります。物語の後段では,

自分の故郷に何とか戻ることが出来たオウムは,鎮守の森で出会った沢山の動物たちの真心とその恩を感じ,鎮守の森での出来事を他の動物たちへ話していました。その様子を想像すると余程,オウムは嬉しかったようです。私たち人間でも自分の力だけではどうすることも出来ない事柄がたくさんあります。たった1人の力には限界もあります。そんな時,友人や知人などの協力者が居てくれるおかげで何とか問題を解決出来たり,難問を乗り越えることが出来た経験は少なからず誰にでもあると思います。助け合ったり,補いあったり,支え合ったりと本来,人間社会においてもお互い様のはずです。いつの間にか,私たちは臆病者になってしまったのかも知れません。このオウムの恩返しの物語は前段と後段で観ると興味深い点がたくさんあるように思えます。前段では,自分から率先して困っている存在に対し積極的に語りかけ,ひとり一人が自分の出来る範囲で皆で協力している様子を物語っています。又,後段では,困っている時に助けられた恩を忘れずに感謝し,相手が困った時に自分から率先して行動に移す様子を語っています。

つまり,前段も自分に置き換え,後段も自分に置き換えた場合の両面を考えることが出来る訳です。これは,神道で云うところの一霊四魂「魂の働き」と呼ばれる思想に似ていると私は感じています。機会があればまた記事で書かせて頂きたいと思いますが,一霊四魂と云う神道の思想概念には,人は誰でも「荒魂」(あらみたま)と云う働きと「和魂」(にぎみたま)と云う働きと「幸魂」(さきみたま)と云う働きと「奇魂」(くしみたま)と云う魂には四つの働きがあると言われています。たとえば,前段の勇気を以て,自分から率先して行く勇ましさは正に「荒魂」の働きですし,困っている人の役に立ちたいと云う思いと皆で協力する姿勢は正に「和魂」の働きそのものです。物語の前段を読んだだけでも,この作者は人間の本来の在り様を動物に例えて書かれたのではないかと思います。本当に,このオウムの恩返しに学ぶところは沢山あります。見方を少し変えるだけでもいろいろ勉強もできます。

そして後段,最後の箇所では,

親切にしてくれた鎮守の森が山火事になってしまい,いてもたってもいられないオウムは,とっさに川へ飛び込み自分の身体をビショビショに濡らして山火事を消そうと鎮守の森に向かいました。しかし,山火事の現場に着くころには身体の水が乾いてしまって,自分の身体をブルブル降っても数滴しか落ちて行きません。それでも構わず,何度もなんども川に飛び込み身体をビショビショに濡らし再び,山火事を消しに向かいますが,結果は同じで数滴しか水が落ちて行きません。無理だと判っていても助けたい一心で山火事に向かうオウムの姿は,災害活動に従事される警察・消防・自衛隊の救済活動によく似ていますし,私たちの日常生活の場や企業社会でも聞くことがあります。そして,一生懸命に努力している人を努力をしない人が嘲笑い,そんな利益にならないことをよくやるな。そんなことしても無理だ。無駄なことだよ。と云う場面はどんな社会でもあることです。それでも,諦めずにただ「助けたい」と云う一心で純粋な心が天津神と国津神,八百万の神々にも通じ,神様の御加護あったのです。神様が放って置くはずがありません。オウムも突然,これまで晴天だった空が曇りだして大雨が降って来たのですからビックリしたのではないでようか(笑)

オウムも自分が困っている時に優しく,助けてくれた動物たちの恩を忘れず,自分の力だけでは到底,為し得ない困難なことであっても決して諦めず果敢に挑戦する態度とその姿勢は物語とは云え,今の現代でも理想とされ求められる人物像であるのかも知れません。その姿は天津神,国津神,八百万の神々様もずっとご覧になられています。そして私たちの祖先もすべてを観ています。果敢に挑戦する勇者(子孫)を誇らしく思っているのではないでしょうか。もしかすると,天国で友人や知人に自慢しているかもしれませんね。又,祈るとは行ずることだと云うことはひふみ神示「日月神示」にも多く書かれています。祈りと行ずることで結びます。拝

  

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日月神示と天日津久神社

2019年05月11日 05時43分28秒 | 結びの心柱

こんにちは。

以下の記事は,昨年,6月23日に掲載させて戴いた過去記事です。

こんにちは。

昨日は,約一か月半ぶりに千葉県成田市台方に御鎮座されます麻賀多神社と云うところへ参拝をさせていただきて来ました。こちらの神社は,岡本天明さんと云う画家でもあり,神職さんでもあった御方に,あの日月神示が降ろされた天日津久神社が神域奥に御鎮座されていることでも有名で,全国からたくさんの参拝者が詣でられています。ここ数年は,特に神域内は変化して来ました。御社殿は新しくなり,天日津久神社に鳥居や瑞垣が設けられ,麻賀多権現さまをお祀りする場所にも鳥居が奉納されるほどであります。

又,神域内には,東日本一最大と云われている縄文杉も聳え立っております。

わたしの知る限りにおいて,地域の氏神神社で,氏子さん「地元地域に住んでいる人」以外の方々の崇敬がここまで厚い氏神神社はないのではないでしょうか。インターネット上のブログなどで話題にあがっていることで参拝者が急激に増え続けて来たことは確かですが,神社の関係者の方々もまさかここまで多くの人々が参拝に来られるとは想像もしていなかったのではないでしょうか。

先でも書かせて戴いた通り,麻賀多神社が全国的に知られるようになったキッカケとも言える出来事は,昭和の混乱期に降ろされた日月神示と云う自動書記によるものです。この日月神示は,昭和・平成の時代に多くの宗教家や霊能者たちに絶大な影響を与えて行くことになります。日月神示に書かれている内容と申しますのは,ある意味,わたしたち人類への警告的な神示としても知られており,とても厳しいことも実際に書かれています。たとえば,現在の宗教や資本主義に対する警告,食生活に日々の私生活とそれ以外にもさまざまな分野について記載されています。しかし,読む個人にとって理解や解釈が違うことも多いのです。たとえば,日月神示の第1帖のはじめに書かれている「富士は晴れたり日本晴れ」と云う言葉の意味もなかなか理解することは難しいと思います。

わたしも日月神示でたくさんのことを学ばさせて頂きました。初めて読んだときは,正直なにが書かれているのかさっぱり解からず,ただ文字を眺めているだけでした。先程の「富士は晴れたり日本晴れ」と云う言葉も聞いたこともなく,訳も解からず,これは一体なんなんだ?と云う感じでした。読み始めの冒頭から「富士は晴れたり日本晴れ」ですから理解しようとしても理解もなにもありません。しかし解からないまま,理解できないまま繰り返し読んで行く内に,断片的にでも判って来るようになり,自分なりの理解と云うか解釈が出来て来てくるようになったのです。まるで,図柄のないジグソーパズルをつくっているような感覚です。

世界の国々には,たくさんの預言書や神さまからの啓示と呼ばれる書や口伝が存在しています。その中でも,世界で最も多くの人々に読まれている預言書「警告書」は,おそらく新旧約聖書だと思いますが,実は,私たちが暮らすこの日本こそ預言書類「警告書や啓示など」の宝庫だったことを御存知でしょうか?実にさまざまな預言書が日本には実在していました。実在していましたと敢えて書かせて戴くのも其れなりの理由があり,時の権力者によって偽書にされてしまったり,存在自体を否定されて来たものも少なくないからであります。さらに,文字を使った所謂,書物としてだけではなく,口伝と云う方法によっても伝えられて来ています。

世界の人々が日本や日本人と聞くと品質の良い優れたモノつくりや真面目で礼儀正しく,秩序を重んじると云うことを連想する外国人の方々も多いと思います。しかしながら,そのモノつくりの原点と申しますか,日本人の勤勉さや真面目で礼儀正しく秩序を重んじるのはどこからくるものなか?数十万年も前から続く古神道とは何か?神道とは何か?そう言った日本や日本人のことをブログを通じて世界に向けて発信して行けたらよいなと考えております。つまり,日本の和の精神を世界の人々に知って頂きたいと思うのです。そして,日本に観光で来られて,実際に日本の和の文化や脈々と続いてきた伝統に触れていただきたいとも感じています。

一度,ブログのコメント欄を通じて,日月神示の解釈を皆さんと語り合って見たいです。

日月神示は,答えの書かれていない宗教を超越したものです。拝

  

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真我と自我。無から有を産み出します。

2019年05月10日 05時25分08秒 | あさひの科学神書

こんにちは。

人は,誰であってもどんな人でも自分と云う存在を救えるのは自分自身でしかありません。親子であっても,兄弟や姉妹であっても自分を救ってくれることは出来ないのです。自分を救えるのは自分自身です。(これを大前提として見ます)ですから,この世は厳しいものであると云うことなのだと思ってもいます。こんなことを書くと暗く冷たいように感じられるかも知れませんが,希望を失ったり,絶望したりするにはまだ早いのです。なぜならば,わたしたちには,無から有を産みだす知恵が神さまから唯一,授けられています。外観から入ってくる知識ではなく内観から湧き上がってくる知恵であります。(これを小前提とします)その知恵を十分に働かせて活用していくことで自分も他人も救われて行くことになるのです。それが「和の仕組」です。(これを結論とします

大前提に小前提を当てはめて結論を導き出して行く。これは,リスクマネジメントの基礎基本でもありますが,たとえば,固体・液体・気体の3種類を想像してみて下さい。解かりやすくするために固体を氷とします。液体を水とします。気体は空です。無ですね。目には見えないものです。無から有を産みだすと云うことはことなのであります。つまり,固体である氷も液体である水もすべて目には見えない気体から産みだされたものであります。原点は「無」「空」であります。物質は「有」「色」であります。

この世の中のものは,すべて無や空から産まれているのです。色が存在する為には空がなければ色は存在できません。私たち人間も同じことなのであります。そしてやがて有は無に帰ることになるのです。これを原点回帰と申します。天ではなく,点に帰るのです。中心へと帰るわけです。古神道に云う,真我「無」と自我「有」の融合が神人合一であります。真我「無」は,神ですから自我「有」が,私たち人になります。つまり,私たち人は誰であっても神さまの御子なのであります。人間は神さまが創造したのです。

ですから,自分の心を痛めつけるようなことはしてはなりません。

時間説と空間説と云う言葉を聞かれたこともあると思います。

先程の固体である氷は時間を掛けて液体である水になります。そして,液体である水は,時間を掛けて気体になって行きます。つまり,人の悩み「空間」も同じようにやがて時間を掛けて無に帰って行くことになっているのであります。固体である氷が永遠に氷であり続けることは出来ません。時が来れば液体である水に為らなければなりません。これを宇宙の摂理と私は考えております。どんなことでも同じであり続けることなど不可能なのであります。よって,どんな悩みや心配事であっても限定的な現象に過ぎません。

そのように考えて行きますと,私たち人の心には神さまの分魂が内在していることがよく解かると思います。私たちの身体つまり,肉体は仮の姿なのです。霊性を包む衣のようなものです。肉体は,この3次元でしか保つことが出来ず誰でもあの世に帰るときには置いて行かなければなりません。この霊性をいつも大切に包み込んでいてくれる肉体,身体を大事にすることは当然なのであります。そして,共に生きていてくれることに感謝することが予防医学にも繋がって行きます。言葉においても同様なことが言えます。

言葉にも霊が宿ります。言霊信仰と云う日本古来のひとつの信仰です。

ちなみに,自己責任と云う言葉には,言霊も音霊も何も宿りません。そもそも日本語に自己責任と云う言葉は存在しません。日本語は祝語でありますから,自己責任と云う切り捨てや排除論と云うものはないのであります。なんでもかんでも自己責任。自己責任と云う言葉が独り歩きして行く世の中を想像してみて下さい。明日は我が身であることにも気が付けない知恵無き者がこの自己責任と云う言葉を使いたがるのです。自己責任と云う言葉が日本で認知されて行くならば,私は対義語であろう全体責任と云う言葉の方が真の日本人らしさと潔さを感じます。私は自己責任と云う言葉とボランティアと云う言葉は不言・不音・不要な言葉だと感じます。

世界でたったひとつしか和の国はないと云うのに。

外国のマネばかり。挙句の果てにマネすら出来ず笑いもの。

身を立て 名をあげ やよ励めよ。by 心神。

伊勢の神宮では心の神さま(真我)を心神「しんしん」と呼びます。拝

  

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それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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結びの時代へ。

2019年05月09日 10時33分47秒 | 結びの心柱

 

こんにちは。

知識だけでは通じない社会。知識だけでは通用しない時代。そんなことをこれまで知識が優先された構造体で生きてきた人ほど身に染みる言葉ではないでしょうか。知識さえあればこの世の中は恐くないと信じられていた時代が終焉を迎えようとしています。その終わり方に容赦はないようです。科学の世界でも医学の世界でも法律の世界でも,さらに政治の世界でもこれまでの知識だけあればやって行けた時代ではもはやありません。昨日の記事でも少し,科学の固体・液体・気体のたとえを引き合いに真我と自我の関係を書かせて戴きましたが,私たち人は外観(自我)に左右され過ぎて来ました。もっと,内観(真我)に眼を向けるべきであります。

知識が主体でやって来れた人たちほど,生きにくさを痛感する日々がやって来ています。そのことで,自分たちの立場を何とか守るために社会を世の中を混乱させようとしている一部の人達もいます。最近の政治の世界を垣間見るとそれがよく解かります。姑息な手段に小さな目的を達成させるために税金を私物化し,それに群がる利権にしがみ付きたい人々が最近は私たちと同じ人間の容姿ではなくなって来ているように観えます。自分の欲望を叶えるためだけに生きて行くと人はあのような姿になっていくのでしょう。

自ら滅びゆく哀れな姿よ。耳をすませば,こんな声なき声が聞こえて来ます。

そのような人たちに一番大きな影響を与えて行くのは,やはり,インターネットの爆発的な普及と本格的に活用されて来るAI(人口知能)の進出ではないでしょうか。つまり,インターネットと人工知能AIの融合です。大袈裟な言い方かも知れませんが,知識の分野は,今後,ほとんど人工知能AIの役割になって来ると思います。そうなると根本的に人々の生活も働き方も大きく変わって行きます。そのことはインターネットが普及したことによって私たちは既に経験済であります。今では,インターネットを業務に取り入れていない産業も業種も職種も無いのではないでしょうか。また同時に,これから多くの産業も生まれて行くとも思います。

インターネットの世界もさらに進化し,きっと,数年後にはブログなどの記事は人工知能AIが書き込んでくれるような機能も出て来るのではないかと想像しています。機械もモノも,そして人までもこれまでの価値観に縛られていた何とか主義を超越して行く存在へと変わって行きます。外側に求める時代ではなく,内側に求めて行く時代です。一部の人たちは既にそのことを御存知であるかのように歩み出しております。集団としてではなく,個人個人各々で歩み出しているのです。年齢や性別,職業や地域などと云った3次元でしか虚勢できないことではありません。従来の縛り付けや洗脳だけではもはや滅びを待つだけになってしまうのです。

そこにすべての宗教も科学も医学も法律も全てが集結して行くのです。それが日本であります。日本こそ世界の中心になることが出来るのです。今は未だ,そんな馬鹿なと想われる人も多いと思いますが日本以外に世界の中心と為り得る国があるのでしょうか?何も軍事的に中心になるとか,経済や政治的に日本が優れていると言っているのではなく世界の文明の中心軸が日本に戻ってくるのであります。これからいろいろな分野で,そう云ったことが証明されて行くだろうと私は感じています。私たち日本人の役割と云うのは,自己の欲望や願望を叶えるためではありませんし,日本だけが豊かに幸せになれば良いと云う下等な精神構造でもありません。

世界の中心は「和の國」日本です。拝

  

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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古神道入門 神ながらの伝統 5

2019年05月07日 19時00分18秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

今日は,前日に書かせて戴いた「古神道入門 神ながらの伝統 4」 の続き5を記事にしたいと思います。上の写真は,太古の昔より太陽信仰の祭祀場とされている室生寺の奥之院へと続く道であります。もう何年も前になりますが,はじめて室生寺に参拝させて頂いた際に,境内の建つ伽藍配置を知らずにウロウロと歩いていると知らず知らずに,どこまでも続く720段の石階段を登っていました。その720段の石階段をどこまでも上がって行くと奥之院へ辿り着きます。奥之院では,観世音菩薩の化身である中村さんと云う奉職者に会うことが出来たのですが,今は既に退職されているようです。多くの参拝者を癒やされて来られたと思います。

室生寺は,水の神さまと火の神さまもお祀りする太古から続く聖地です。

それでは,以下,古神道入門 神ながらの伝統より。小林美元 著

第7章 神ながらなる大道へ

争いを好まない産霊(むすび)の母性原理

古事記や日本書紀を読んでおりますと,争いがなかったとは書いておりません。正直に争い事もかいてあります。

しかし,その争いは邪悪な心をもったもの,邪悪な行いを行ったものに対する争いで,それを善に立ち返らせるという事柄が神話の内容になっています。縄文時代の遺骨から出てくる地下鉄の現場などを見ましても,ヤリや刀傷などは一つもありません。弥生時代になり初めて刀傷やヤリが突き刺さった白骨などがありますが,弥生以前の縄文時代にはそこまでの戦さ,争いというものはなかったと思われます。

争いを好まないすぐれた母性原理,すなわち和の結び=調和・平和の思想があったからです。

最近も,五,六千年前も昔の青森県三内丸山遺跡が発掘されましたが,ここにおいてもそういう血なまぐさいものが発見されていません。これは太古の人がいかに霊的に優れていたかということを表現しています。上古代の人達は「おてんとう様」に恥じない生き方をしようということで,お日様を毎日拝み,崇高な生活ぶりを繰り返していたからです。

かつてこの地上にはアトランティス大陸とムー大陸があったということですが,アトランティスの方は科学技術の非常に発達した文明圏で,ムー大陸は精神文明の発達した国であったと言われています。ところが,アトランティスとムーがある婚姻のもつれから戦が起こり,両方が現代の原子爆弾にも匹敵するような破壊爆弾を使ってどちらも没しました。

今から一万二千五百年前と言われていますが,最近,徳間書店から発売されたような本を見ますと,二千二十五年頃には,精神文明のムー大陸が再び浮上してくると,説いている学者,文化人がいます。近いうちに地球の地殻の大変動が起こって太平洋上にとつぜん大きな大陸が出現するということは無きにしもあらずと思います。

また,その時にはアメリカ大陸の大半,あるいは日本列島の海岸線も没する恐れもあるかもしれません。

しかし,新しい大陸ムーが浮上して来た場合,大きな国土が紀伊半島が伊豆半島につながれば日本の地続きになる。そして日本が二十一世紀の文明の中核になり,新しい環太平洋文化圏が営まれ,人々は恒久平和の楽園で暮らすことができるようになるかと想像もされます。いずれにしましても,未来がどうなるにしても,何も怖れることはありません。

この太陽と月と星,この三つの光はすべての生命を生成化育し,発展せしめるための光です。お日様の光,月の光によって起こる潮の満ち干きもそうですし,あらゆるものが太陽と月と星の光,音の波動によって生かされています。

この大自然,天然自然の働きを,我々人類が一層深く霊的に感受して,それをまたエネルギーの源泉として活用できる時代が訪れるのではないかと思います。

以上

毎日,このブログで和の仕組みについて書かせて戴いている,私にとっては大変嬉しく感じることが書かれています。争いは,新たな争いを産み出し。争いを争いによって終わらせた文明はありません。つまり,争いを以て争いを終わらせることが出来るのは,両者が滅びるまで争い戦い続けることです。そのような自分たちも滅びてしまう争いは愚の骨頂です。又,音霊「波動」についても書かれています。この世のありとあらゆる物質は,光と音「波動」で構成されていて,私たち,人間の身体も光と音のなのです。

途方もない超上古代の出来事です。科学者はビックバンと呼んでいます。

無から有を産み出し。その瞬間に光と音が出現しました。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝