花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

今日は・・・。

2019年04月30日 04時03分54秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

こんにちは。

今日は,郵便局で配達のアルバイトがあるので記事が書けません。

しかも2日間も泊まり込みです・・・。

行って参ります。

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


日本に生まれて来れて本当に良かった。

2019年04月29日 06時33分00秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

こんにちは。

何事もバランス意識を持つことが大切であると云う言葉を日常の生活の場でも仕事の場であってもよく聞くことがあります。つまり,中立と言い換えてよいと思います。現在の神社神道の考え方の中にも,中立を中道や過去の人生に囚われなず,将来の心配ばかりに気を使いすぎないと云う意味で中今と云う言葉が存在しています。この中今と云う言葉の意味は,今のこの一瞬一瞬を大事に生きると云うことであります。この考え方は,私たち一人ひとりの霊体と肉体のバランスにおいても非常に大切なことであります。

つまり,いつも書かせて戴いているとおり,日常生活上の中で霊体と肉体を意識して行くことがとても大切であると云うことです。霊体ばかりに気を使っていると面倒なことに巻き込まれたり,人としての生活基盤が確立して行きません。その逆に,肉体ばかりに気を使いすぎていると心柱が育って行かなくなってしまいます。祈りと云うのは,即ち,想念ですから想念は,霊体の役割でもあります。そして,実行力や行動力は肉体の役割ことを言います。このバランス感覚が生活して行く上でとても大事になって行きます。

別の言い方で言いますと,生活の基盤が祈りと言い換えることも出来ます。祈り「想念」とは円でもあります。〇の円です。その〇円を形成するものが行動や実行と云う力「エネルギー」なのです。行動力や実行力と云う「エネルギー」が働くとある形が出来て行きます。それが円形〇です。したがいまして,〇円の中心が祈り「想念」霊体である訳です。祈りを忘れた行動や実行をいくら一生懸命しても円形にはなりません。努力だけでは成功しないと云う言葉を聞いたことはないでしょうか?つまり,良き祈り「想念」は,良き行動や実践を伴い,円形「〇」を産み出します。原点と云うのは,この〇の中心に存在する訳ですから,原点回帰と云う言葉は,たとえば,道に迷った場合は原点に帰れば良いと云うことです。原点回帰は,勉強をしているときにでも有効であります。

こう云ったことが間違って解釈され続けて来たのであります。たとえば,円の思想を具現化しものが現代社会の日常生活上に必要不可欠となっている制度があります。それが相互扶助と云う仕組みですが,日本の縄文時代には,高度な相互扶助の仕組みが既に整っておりました。相互扶助と云う仕組み「システム」は,欧米などが発祥だと云うのが今では通説になっています。これは大間違いです。相互扶助の仕組みは,信じて貰えないかも知れませんが,既に縄文時代に確立されていて日本が発祥なのです。本当です。

わたしは,縄文時代に縄文人が海を渡り,世界にこの相互扶助の仕組みを伝承して行ったのではないかと考えます。きっと,インディアンや先住民族の思想や考え方の中にも相互扶助の仕組みがあるはずです。しかし,日本ではそのような事実が語り継がれることはありません。日本人は元々,自分の主義主張が苦手な民族ですから,誰も率先してそう云った事実を主張しようともしません。

別に威張ったり,自慢するのではありませんが,せめて,日本人自身がそう云った自分の国の伝統や文化を知っていると云うことは大切なことであると私は感じています。たとえば,外国人が日本のことを学ぼうとしても日本人自身が日本の伝統や文化を知りませんから,外国人からすると,きっと???だと思います。又,ある業界の認定資格試験においては,必ず出題される問題に「慶應〇年に,福沢諭吉が欧米から相互扶助の考え方を持ち帰った」と云うような問題が出題されます。その相互扶助の思想に基づいて出来たのが損害保険や生命保険と呼ばれる保険制度です。日本国の年金システムも保険制度ですから相互扶助の精神に基づいて運営されています。よく年金を積み立てと表現したりする専門家がいますが,これは全く違います。国の年金制度は,積立ではありません。

そもそも相互扶助に積立と云う概念は存在しません。積立は貯蓄です。

話しがそれてしまいましたが,その思想「相互扶助」は「円」に基づき考えられていました。後の後世に,この円思想を探求しつづけた人物が二宮尊徳さんでもあったのです。二宮尊徳さんは,なんでも円のカタチ「〇」に基づいてさまざまな事柄を思考していたようです。そのことは先日も二宮尊徳さんの記事にさせて戴いたとおりで御座います。先の縄文人も自分たちが暮らす集落全体を円形状に形成して暮らしていたのです。やがて言葉を持つようになった日本人は,円思想を「和」と表現するようになって行ったので,外国人は,日本を和の国と呼ぶようになったのです。和の仕組みを持ち,和の国で暮らし,和の民であるのが,私たち一人ひとりの日本人であります。こんな凄い国は,世界のどこを探してもどこにもないのですが,そう感じていないのが日本人なんですね。

国家の最高祭主が,自国の国民を「大いなる宝・おほみたから」と呼ぶのは日本だけです。

日本に生まれて来れて本当に良かった。〇 合 掌

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


最後の宮大工 西岡常一棟梁 2

2019年04月28日 05時43分27秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。

昨日は,日本が世界に誇る技術者集団「宮大工」の最終者でもある西岡常一棟梁その1を書かせて頂きました。

昨日の記事の冒頭で,NHKで紹介されたと書かせて頂きましたが,テレビだけではなく,どうやら,映画にもなっていたようです。上の画像は,インターネット上から借りて来たものですがドキュメンタリー映画と記載されています。私の家にはテレビがないので,この手の情報はさっぱり分かりません(笑)。テレビがないと言っても経済的に買うことが出来ないとかではなく,テレビの情報は基本的に偽りが多いように思えることとテレビを見ている時間が勿体ない気がしているからです。自分の感が鈍るのであります。ニュースはもっぱらインターネットで十分ですし,見たい番組は動画サイトを活用しておりますので不便ではありません。

今日は,その2を書かせて頂きます。それにしても,宮大工の精神性が継承されないことに私はとても残念に思います。宮大工の宮とは神職と云う意味があるのです。元々,宮大工は神社や寺院に所属していたのです。伊勢神宮の式年遷宮を見ても判るように,20年に一度の建て替えは,民間のようにどこかの建設会社へ一括して請負されることはしないのです。神宮造営部に所属します。

なぜならば,御宮を御造営することは祭事になるからであります。

一つひとつの作業に祈りを込めて丁寧に造り上げて神さまへ奉納するのです。これが,和の国「日本」のモノづくりに対する基礎基本となって現代に継承されて来ています。つまり,どんな物質も特有のエネルギーを発しています。念です。古神道では,この世のありとあらゆるものには神さまの分魂が宿っていると云う分魂思想があるのです。したがいまして,恨み辛み,悲しみ憎しみを抱いてモノづくりをしてはならないのであります。やはりモノづくりは,明るく,楽しく,感謝して。これを基本にしたいものです。

ブラック企業の社長さん。大丈夫でしょうか?(笑)

話しが逸れてしまいましたので戻します。

代々,法隆寺の棟梁だけに伝え続けられて来た口伝が,棟梁西岡家には存在します。

この口伝は,棟梁だけに伝えることを許されていたと言います。

生前,西岡棟梁が書かれた本「木のいのち 木のこころ」の中から一部を抜粋させて頂きます。

1.神仏をあがめずして社頭伽藍(しゃとうがらん)を口にすべからず。

2.伽藍の造営には四神相応(ししんそうおう)の地を選べ。

3.堂塔建立の用材は木を買わず山を買え。

4.木は生育の方位のまま使え。

5.堂塔の木組みは寸法で組まず木の癖で組め。

6.木の癖組みは工人たちの心組み。

7.工人たちの心組みは匠長(しょうちょう)が工人らへの思いやり。

8.仏の慈悲心なり,母がわが子を思う心なり。

9.百工あれば百念あり,これをひとつに統ぶる。これ匠長の器量なり。百論ひとつに止まる,これ正なり。

10.百論をひとつに止めるの器量なき者は謹み畏れて匠長の座を去れ。

11.諸々の技法は一日にして成らず。祖神たちの神徳の恵みなり。祖神忘れべからず。

以上です。

西岡棟梁が生前書かれた本の中から,一部を抜粋して書かせて頂きました。ただこれだけを読んでも一つひとつの意味が解りませんので,明日の記事で一つひとつに西岡棟梁が丁寧に説明したものを掲載させて頂きたいと思います。明日に続きます。拝

  

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。 

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


最後の宮大工 西岡常一棟梁 1

2019年04月27日 05時37分32秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。

私の好きな方の中に,法隆寺を修復する棟梁の家系に生まれ,自らも棟梁となった西岡常一棟梁が居られます。NHKなどの番組で特集されたり紹介されていたようなので御存知の方も結構多いように思います。日本が誇る宮大工の最終者でもあり,薬師寺の復興にも総棟梁として若衆や技術者へ口伝されていた御方です。西岡棟梁が最も拘り続けたものが木です。木材の癖読みは今でも語り続けられるほどの眼力を備えていたようです。木と会話をしながら,木と呼吸しながら寺院を建築されていたのですから驚きです。

もし,生涯学習として人物研究をしたいとすれば,私は鎮守の森を守り続けた「南方熊楠」さんと最後の宮大工「西岡常一」さん,そして報徳思想の「二宮尊徳」さんです。私がなぜ西岡常一棟梁を知ったかと申しますと東日本大震災で被災した寺院の復興を約5年間ほど任されて居た際に,お寺の本堂建築を請け負った宮大工A棟梁からお話を伺ったからであります。そのA棟梁は,とても気性が激しく自分の腕(技術)には絶対の自信を以ていました。本当なのかな?と当初,私も思っていましたがA棟梁の地元では有名で,実際に過去建築した寺院をA棟梁と見学に何度も行きましたが,住職さんや檀家総代さんからも絶大な信頼を得ていました。

又,A棟梁は図面を見ないのです。全部,自分の頭の中に入っているのです。

図面を作製する一級建築士もA棟梁には敵わず,逆にA棟梁から教えてもらうことがほとんどでした。

頑固で気が荒く,自分の腕には絶対的な自信を以ている昔ながらの職人気質であります。私も復興事務局の責任者でしたので,このA棟梁とは何度も衝突しておりました。A棟梁もお前みたいな若い奴に何が解かる?と言わんばかりです。そんなA棟梁ですが,何故か憎めないことろがあり,こちらが謙虚になって技術のことを聞くと何でも教えてくれました。夜中に為ろうが何時間でも私の質問に正面から答えてくれていました。おかげで最後には,私も多少の知識を得ることが出来るように成長したのです。毎日の様に夜中まで激しくぶつかり,納得が行くまで協議し合った日々が今となってはとても懐かしく思えます。A棟梁は自分の技術を売りに来ていたかも知れませんが,私は700年続くお寺を護持する為に居るのですから易々と引き下がる訳には行きませんでした。

きっと,西岡棟梁も同じような性格であったのかも知れません。生前,西岡棟梁が書かれた本の中で,私が特に強く印象を受けたのが「穢れ」についてでした。西岡棟梁の穢れに対しての概念と申しますか観念と申しますか考え方は私も全く同じであったのです。西岡棟梁曰く「宮大工は一般の住宅を建築したらあかん」「一般の住宅を建築すると穢れが付いてしまうから建築したらあかん」と言っております。一見すると何を言っているのか意味が解りません。しかし,その理由はちゃんとあるのであります。

その理由を今日と明日に渡って書かせて頂きます。

先ず,穢れるとは「気が枯れる」ことを指します。汚いとか汚れとは違います。

つまり,商売の頭で計算していては,神社や寺院の建築は出来ないと云う意味であります。商売は損得勘定に基づいて商いがされて行きます。何処まで行っても損得勘定で計算しないと大損してしまいますし,そもそも経営が成り立ちません。経営が成り立たなくなるとそこで働く人々は失業してしまいます。食べて行けなくなりますから,現代においても企業は営利を目的にする営利法人と云う大前提であり当然であります。しかしながら,神社や寺院は,始めから営利を目的としていません。確かに,定款に定めれば営利行為は可能ですが,これはあくまでも理論上のことであります。その為に,神社や寺院は法律上も一般企業と比べて法人格も別ですし,税制も非営利事業に対しては不可税となっています。又,寄附金などを募集し,寄附を受けることも可能となるのです。

そう言ったことからも神社や寺院の建築は,損得勘定を以てすることは御法度で,数千年の昔から親方から弟子へ繰り返し口伝され続けて来ました。決して,損得だけで考えたならば少なくても数千年も継承して行くことは出来なかったであろうと思います。建築に使用する木材も損得勘定で考えたら安く仕入れて高く売るようになってしまいます。そうなれば,木材の寿命も低減し,地震などに耐える耐震性や免震性も期待できず,湿気の多い山間部に建立する場合を考えても木材は直ぐに腐敗して保湿性も度外視するようになります。安い木材を仕入れて神社や寺院に高く売ることは出来ないのであります。そこが一般企業とは決定的に違うのです。

それでは,損得勘定や銭勘定抜きで昔ながらの宮大工が存続できるのか?

そうなのです。結論から申し上げますと宮大工は,現在の日本には存在しません。

西岡棟梁が最後の宮大工と云われる所以がここにあります。

神社や寺院は一度,建立すると数百年は偶にある補修や修繕のみとなりますので,宮大工が食べて行けないじゃないかと思われると思います。私も同じ様に感じました。それでは,一般住宅を建築しない本物の宮大工が存続できるのか?です。そのことも西岡棟梁は本の中で書いていますが,昔から本当の宮大工は一般住宅を建築することが出来ないので「農家を兼業していたんです」「お寺の仕事が暇になると農業をしてます」「そしてお寺の仕事を頼まれると宮大工をします」このように宮大工と農業を兼業することによって一般住宅を建築しなくても食べて行けたのであります。現代にこの考え方を当て嵌めるには農業が衰退していますから無理がありますし,現在は,建設業法などの法律もありますから資金が潤沢でないと無理です。そもそも今の建築士さんでは社寺建築を理解できません。したがいまして,現在の宮大工さんは精神性は抜きにして,技術だけを継承していると考えると良いと思います。

この様にして文化や伝統は消えて行くのでしょうか?

明治時代に一部の官僚によって立案された神社合祀政策。そしてそれに真っ向から猛烈に反対し続けた南方熊楠さん。建築業法などの理屈で世界に誇れる技術者集団である宮大工を日本から消滅させ,それを推進する大学教授対しては鬼の如く徹底的に議論し続けた最後の宮大工西岡常一棟梁。わたしは,ここから何か学べるような気がしています。二人に共通するものは何なのか?やはりそれは和の心であったのだと思います。時の官僚政策が本当に正しかったのか否か歴史が判断する以前の問題であると考えます。

そのあたりのことを明日,書かせて頂きたいと思います。拝

  

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。 

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


高天原の心柱神社 心神とともに。

2019年04月26日 06時12分53秒 | あさひの科学神書

こんにちは。

時間の短縮に伴って,これまでよりもさらに月日の経過が速く感じる今日この頃です。爪の伸び具合も増々早くなっております。今では1日の時間が10時間を切ったように感じています。わたしは,この時間の短縮と云う現象がこれから医学の世界にとても影響して行くのではないかと前から書かせて戴いて来ました。それと良質な水と正しい食事と身のまわりの掃除「整理整頓」を意識的に実践して行くことで自己治癒が出来るようにも感じて仕方がないのです。理由なんてもちろんありません。ただいつもの直感です。

心神からのお知らせであろうと思っています。

逆に申し上げますと,火や熱を使用しない水道水と加工食品や農薬ばかりの食事,散らかって掃除が出来ていない部屋にいると病に罹りやすくなるようにも感じています。そう云った良くない環境で,先日も書かせて戴きました古神道の秘儀である自分の霊体を拝する「自霊拝・自励拝」や毎朝の太陽拝「日拝」を実践しても変な言い方ですが効果はあまりないようにも感じているのです。

やはり,日常生活と云う修行の中において基礎基本が整った状況で,何万年と続く古神道の諸々の秘儀を実践してこそだと思っています。ことのついでに書かせて戴くと,朝早い時間の空気の入れ替えはとても良い気がします。わたしも毎日実践しています。夏場は,明るくなるのが早いですから5時30分頃から30分前後,玄関と部屋の窓を開けて清々しい空気と交換しています。寒い冬場は,5時半ごろだと未だ外も暗いですから外が明るくなってから新鮮な空気の入れ替えをします。古神道的に云うと風の神さまの御力をお借りして,場の悪い気「気枯れ」を祓い,場「部屋」を清めると云う祓清めとでも申し上げておくことにいたします。

わたしのアパートの玄関は,ちょうど地図で観て見ると富士山と白山から吹いてくる風の合流地点線状にあります。富士山から吹いてくる風と白山から吹いてくる風が玄関から入って来て,部屋を通り抜けて東の窓から出て東の海へと吹いて行きます。そう考えると贅沢な場所で暮らしていると思っています。東に窓がある部屋は,太陽神が朝一番に部屋の中を照らして下さいますから風の神さまと太陽神の本物の御力をお借り出来ます。しかも,日常生活の中での実践であります。これこそ古神道そのものであるのです。

大自然と自然の神さまの祓清めですからそのような立地で暮らせることに感謝の念が自然と湧き上がってくるときでもあります。神棚の向きをインターネットでよく解説しているものを拝見しますが,自然の摂理に従うと自然に北か東北(鬼門)に設けることになります。神社や寺院の配置も北を拝するようになっています。自然と共に共生し共栄して行く生活と云うのは,そんなに難しいことでもないのかも知れません。ただ私たちが難しく考え,ややこしくしているだけだとも感じています。古神道と云うのは,大自然の理に則したものです。神と人が一体となることこそ本当の道であります。古神道では,それを惟神「神人合一」と申します。

高天原の心柱神社 心神とともに。拝

  

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菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

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心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


玉置神社の護持を思う。

2019年04月25日 06時27分11秒 | 勇気の心柱

過去記事です。

こんにちは。

上の写真は,ちょうど2年くらい前に撮影した玉置神社参拝者駐車場からの風景です。

京都の出雲大神宮さんに続き,奈良の玉置神社さんからも夏越し大祓の案内書が何日か前に届きました。又,玉置神社さんのことはブログでも何度か記事に掲載させて頂いてまいりました。玉置神社は,奈良県十津川村の玉置山と云う場所に御鎮座されている神社で御座いますが,神社としての創建よりも遙か昔から古神道としての重要な祭祀場でもありました。その古さと言ったら先の出雲大神宮さん同様,軽く1万年以上も前の遙か昔々であります。この玉置神社は,山全体がまさに御神体でありまして,山から放射される気「エネルギー」が凄いところであります。インターネットで玉置神社を検索すると実にさまざまな情報が存在しています。

十津川村の地元の人の話では,昔は畏れ多くて玉置山「御神体」へ易々,近づくことがなかなか出来なかったと云うことです。昔の人々は,山そのものが神さまの御神体であると云うことを知っていましたから,今のように何々修行とか霊行とか山登りやピクニック気分で行くところではないと云う1つの戒めでもあったのだろうと感じます。そして,とても理に沿った考えだとも思います。

現在,玉置神社では神社創建以来の厳しい資金難に直面しており,玉置神社の公式ホームページ上においてもそのことが掲載されされています。神社の資金難は,一部の神社を除き直面している大きな難題でもあります。これからの時代,増々厳しい時代になって行くとも考えられています。神社は寺院とは違い,所謂,収入となる源泉が少ない形体でもあります。まして,玉置神社さんのように山間部で険しい場所に御鎮座されていると一般の参拝者数も極端に少ないと云うのも神社の資金難に直接影響して行きます。

拙い経験ではありますが,わたしも何か玉置神社さんの護持のお役に立てればとよく考えてはいます。玉置神社さんのような山間部の神社は,明確に行こうと意識しなければ辿り着くことが出来ません。つまり,何となく散歩していたら着きましたなんて云う場所にある訳ではありません。実際に,玉置神社までの山道は落石も多く,冬場などは雪や凍結で地元住民の人々でも細心の注意を払って参拝に行かれるほどの場所に御鎮座されています。天河大弁財天社の護持について書かせて戴いたような「和の仕組」を玉置神社さんでも推し進めて行ければ良いのになと感じているのですが,十津川村と云う人口構成から言っても氏子さんだけの力では限界に来ているのがとても良く解ります。そうなると,やはり頼りになるのは,全国に存在している崇敬者さんの御力しかありません。

たとえば,崇敬者さんの御力を得ている神社の実例で申し上げますと。

 ※ 伊勢神宮では,財団法人伊勢神宮崇敬会と云う団体を通じて神宮の護持に寄与しています。

 ※ 丹生川上神社下社では,農業「食」を通じて直会倶楽部と云う団体を介して神社護持に寄与しています。

 ※ 京都の貴船神社では,御日供講と云う崇敬者が集う団体を通して御神饌の購入費用に寄与しています。

 ※ 出雲大神宮では,毎月第3土曜日に境内の清掃を行うお掃除の会が神社境内の清浄に寄与しています。

このような奉仕活動は,それぞれの神社の任意であります。つまり,みなさんの知恵です。

そこで,玉置神社でも何かできないか?

たとえば,お金の寄付だけではなく,コピー用紙や名入れ封筒・使っていない郵便切手等々の現物寄附であっても神社を運営する神社側にとっては助かります。なぜならば,先日の記事で書かせて戴いたとおり,祭事を開催するための案内書を氏子さんや全国に存在する崇敬者さんへ郵送する為の費用が膨大に掛かりますし,コピー用紙などの事務用品の負担も年間を通すと大きな経費を伴うからです。自分なりに出来ることを探す行為は,やがて大きな実りとして自分自身に返って来ます。難しい問題や難題に挑戦する勇気と起案能力も養うことが出来るはずです。それは仕事をして行く上でも役に立ち,自分の成長にも繋がるのではないでしょうか。

少しづつ玉置神社さんの護持に有効的な起案をして見たいと思います。

神社の護持は,氏子さんや崇敬者さんの大切な御役目であります。拝

  

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たかが掃除と侮るなかれ。

2019年04月23日 12時48分07秒 | あさひの医学心書

こんにちは。

今日は,氏神さまへ参拝させて戴いてから,昼からの会議まで時間もあるので宮大工の営業にでも行こうかと寺院さん数件を巡回して来る予定です。どこの寺院さんも立派な本堂にお堂が建ち並び境内も綺麗に掃除がされていることだと思います。神社や寺院の掃除や清掃は,宗門宗派を問わず祭祀をする上で基礎基本とするのが現在の考え方であります。本来であれば,掃除や清掃は黒足袋衆の大事な御役目なのですが,現代では白足袋衆と黒足袋衆の境も無くなってしまいました。そんな中,特に,禅宗系「曹洞宗」「臨済宗」「黄檗宗:おうばくしゅう」では掃除を徹底して行います。又,この基本的な考え方を企業に取り入れたのが松下幸之助さんであったり,ビル・ゲイツさんであったり,スティーブ・ジョブズさんもそうであったのです。三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎さんは別の意味でも禅宗の根本道場である大本山永平寺をメッチャ愛しておりました。大本山永平寺の唯一の檀徒さんです。

ビル・ゲイツさんとマイクロソフト社の掃除のオバちゃんとのエピソードは結構有名な話でもあります。公に公開はしていないようですが,企業精神に禅を取り入れています。松下幸之助さんが晩年,松下政経塾を創設した目的もその奥にある理念は掃除にあったのではないかと私は想像しています。とにかくやることがなければ掃除をしろというのが松下政経塾の姿勢でもあったようです。

掃除には,魔を祓う絶大な効果があります。

現在の神社神道でも古からの古神道でも掃除はとても重要なものとして据えられております。先日の記事でも少し触れさせていただきましたが,人の内面「心の状態」が如実に現れて来るのが家や部屋の掃除具合です。配達のアルバイトをしているとそのことが最近になってよく理解できるようになりました。荷物を届けるために家の玄関先まで行くと良く判るのです。靴が散乱しているお宅や廊下にゴミが散乱しているような家の住人はどこか暗く感じてしまいます。表情も人相もなんだか暗そうで,無愛想にしています。きっと,本人はそんなことまで感じてはいないと思いますが,他人から観るとよく解ります。玄関先の清潔感はとても重要です。

心の状態が暗く,心が病み出すと心に穢れ「気枯れ」が付きます。これを祓える唯一の方法が掃除なのです。掃除は人の健康や運気にも多大な影響を及ぼしていると神道では考えますが,これは本当のことであります。それだけではなく,掃除は病にも影響しているとも感じています。運気の良い悪いと云うと誤解を受けるかも知れませんが,実際に,運の良い人は掃除にとても気を使っていることが多いです。特に営業の仕事をされている方は,掃除を気に掛ける方が良いと思います。経営者ほど掃除にうるさい人が多いのも納得します。私事で恐縮ですが,わたしは水の流れる場所の汚れをとても気にしています。たとえば,お風呂や台所,洗面所,洗濯機付近などですが,水の流れる場所は神聖な場所であるので汚れている場合には綺麗に掃除されていることが家の中に穢れを付けない極意なのです。極意って・・・大袈裟に思われるかも知れませんが本当なのです。魔の臭いと排水溝の汚れの悪臭は同じです。

さらに,家の中の掃除だけではありません。

わたしたちの心の世界「心界」の八咫鏡もピカピカに磨きましょう。曇りが酷くなると理屈に騙されたり,事実と真実を見抜くことが出来なくなってしまいます。裁判官がつけているオモチャの曇りに曇った偽物の八咫鏡よりもハッキリと映し出すことが出来る本物の八咫鏡が人々の心の中に存在しています。そして,個人個人各々が心の八咫鏡を磨けば宗教は必要なくなります。それが,仏教で云うところの弥勒菩薩の出現です。ミロクの世の中と云うのは,どこからともなく救世主が登場するのではありません。救世主思想を数千年続けて来た結果,神の御意思と言いながら金融で世界を支配して,宗教戦争で世界を征服しているのが今の世の中です。

救世主とは,わたしたちひとり一人が救世主と為ることなのです。拝

  

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。 

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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和の国体と和の政体「祭祀と統治」2

2019年04月21日 04時31分05秒 | 祭祀と和の国

                    

 

こんにちは。早速,昨日の記事の最後から続きを書かせて頂きます。

>明治天皇・大正天皇・昭和天皇に共通することがあります。

>それは,剣を持ち,軍服を着用していることです。

>和の国の祭祀を司る最高祭主に軍服を着用させ,剣を持たせたのは誰なのか?

>国体である天皇陛下が持てる剣は三種の神器のひとつ「草薙剣」だけです。

ここまでが昨日の記事の末尾ですが,国体「祭祀を司る最高位」でもある天皇陛下にこともあろうに剣を持たせることをしたのは大きな疑問でもあります。なぜならば,天皇霊を宿すとは祭祀つまり,祭祀を司る最高の位に就くことを意味するのであり,武将や軍人の最高位に就くことでは決してありません。今後,憲法が改正されて行くことだろうと想像しますが,曲がり間違っても天皇陛下に再び,軍服を着用させ,剣を持たせるようなことは絶対に阻止しなければなりません。本来であれば,それこそが国体護持の精神を主とする右派の主張する真髄と云うものではないのでしょうか。少し歴史を遡ると奈良時代から平安時代に移り変わり,都が京都に遷都されたあとも天皇陛下や天皇家に異変や危難が及ぶと国体の身を御守り「護持」する為,お役目のある御方「八咫烏」は,天皇を縁の深い神社と寺院に身を隠しながら奈良県の吉野に逃がす役割を担っていました。その神社や寺院が今でも京都や奈良には存在します。自分の身を犠牲にしてでも国体「天皇」を御守り「護持」して来たのです。それが政体の務めであったのです。

間違っても,天皇陛下に鎧と兜を着用させ,剣を持たせるなんてことはして来なかったのであります。

それどころか,天皇陛下に軍服を着用させ,剣を持たせれば天皇陛下を危険にさらすことに繋がってしまう訳であります。剣を持つのは政体である幕府,今で云う政府の役目であり,当然の役割であります。一昨日も記事で書かせて頂いた通り,天皇陛下は「おほみたからにいたるまで」なのであります。つまり,私たち国民「おほみたから」を神さまからお預かりしている訳です。万が一,戦争で天皇陛下が軍服を着用し,剣を手に取り戦い出したら私たち国民は祭祀を司る最高祭主を失うことになるのです。そうすれば,和の国は完全に消滅してしまいます。世界最古の王朝を持った国家が日本であるのです。世界最古の王朝なんだから日本人は誇りに思え!なんて言う事ではないのであります。日本は世界最古の王朝なんだから凄いだろう!なんて自慢したい訳でもないのです。

世界で最も古くから祭祀を司る最高位が日本の天皇陛下と云うことなのです。

したがいまして,わたしにはどうしても大きな疑問と違和感を持たずにはいられないのです。

明治維新から新政府となり,欧米などの所謂,西洋文明に欧米文化を積極的に日本へ取り入れ,日清戦争,日露戦争,そして第一次世界大戦へと日本は突き進んで行ったのであります。過去の歴史が証明してくれております。天皇陛下が軍服を着用し,剣を持てばどうなるのか?わたしたち国民はもっと歴史から学ぶべきではないでしょうか。幸いなことに平成の世である今上天皇におかれては軍服を着用されていません。そのことも歴史から学ぶことが出来るだろうと考えます。万が一,昭和の終戦後も戦前同様に軍拡政策を日本が選択し,今上天皇も明治天皇・大正天皇・昭和天皇と同じように軍服を着用され,剣を手に取っていれば日本は戦争を避けて来れなかったのではないかと私個人的には感じています。それだけ,国体と政体の違いと云うものがあるのが和の国「日本」の象徴なのです。祭祀を司る最高位の天皇陛下の御考えが国家と国民の行先を導くのであり,それは過去も同じであります。

その時代の天皇が祈り「祭祀」を疎かに,蔑ろにしていると必ず国家は動乱し,天変地異に疫病,そして大飢饉と云った世の中になって行きました。たとえば,今回の伊勢神宮の式年遷宮は第62回目の御遷宮でしたが,過去数回,式年遷宮が出来なかった時期がありました。その歴史の背景には何があったのか過去の歴史に学ぶことが出来ます。はたして,国家が非常事態にあったから式年遷宮が出来なかったのか?それとも,式年遷宮を斎行しなかったから国家は非常事態になってしまったのか?

全身を以て全霊で祈りを続けて来られ,国家国民の災難・苦難・困難は我が身を通過してでも国家の繁栄と国民の安寧をひたすら祈り続けて来られたのが世界中の祭祀の最高位である歴代の日本の天皇陛下なのであります。このような国は世界探してもどこの王朝にも存在しません。これが世界の王朝からも尊ばれる理由であり,崇敬を集める理由でもあります。国旗を見ても判るように,太陽を国旗と出来るのは日本だけです。菊の紋章をパスポートに出来る国民は日本人だけです。菊の紋章は祭祀の頂点を意味します。

わたしたち日本人は,先の大戦で完全にその自覚を失わされてしまいました。菊の紋章の意味するところも忘れてしまい,菊の紋章を見ると右翼か暴走族を想像するくらいまで落ちてしまいました。本来,菊の紋章は世界の祭祀継承者の証なのであります。これが世界共通した解釈です。世界有数の神殿には,必ず菊の紋章が刻印されています。つまり,私たち日本人はパスポートでもそれを表現しているのです。ですから,菊の紋章が印字されている日本人の持つパスポートは外国人から信頼されて来た訳なのです。

したがいまして,和の国の天皇陛下に軍服と剣は必要御座いません。

  

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。 

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


和の国体と和の政体「祭祀と統治」1

2019年04月20日 13時36分57秒 | 祭祀と和の国

 

以下の記事は,過去記事です。

こんにちは。唐突ですが,日本は和の国です。この和と云う言葉の本当の意味は「神」だと私は考えています。

えっ?今日もなに言ってんだ?と想われた方もいらっしゃると思いますが,暫しお付き合い下さい。

たとえば,日本には頭に和と名の付く言葉がたくさん存在します。日本家屋の和室や着物などの和服,食べ物の和食など数えあげたら切がないほど存在しています。又,日本へ観光に来られる外国人の方々にもとても人気のある日本の和風・和物の御土産品でもあります。小さなものから大きなものまで和と付くものが多くあります。そのどれをとっても精密で且つ,精巧な技術品なものばかりで作り手が一生懸命に使う人の立場に立って考え,試行錯誤を繰り返しながら出来上がった最高傑作なものであります。

つまり,最初に私が申し上げた「和」と云う言葉の本当の意味は「神」だと考えますと言った理由も実は,そのひとつの物が出来上がるまでの過程を総称して感じたのであります。一見すれば,ただの物に過ぎない物質に「和」と呼称するにもちゃんと理由があるのであります。その理由とは,いま書かせて戴いた通りですが,日本人が作る和物は,一つひとつの作業にとても手間隙を掛けて物作りをして行きます。しかも,これが,外国人にとって日本製品が人気のある理由のひとつでもあるようです。

丹念に作り上げる思いと念に神さまの分魂が宿ると古から考えられてきました。この世のありとあらゆるものに神さまの分魂が宿っていると云う分魂思想に基づいた概念です。作り手側の念,気と言っても良いかも知れませんが作った物の中に入ってしまう訳です。悪く云ってしまうと不平不満を持ちながら,悔しさ悲しみを抱きながら作り上げた物の中にも負の念や気が満ちてしまいます。

ブラック企業などで朝から晩まで心身共にボロボロになりながら働いている会社の商品や製品は如何でしょうか?

古神道の観念に照らすとあまり自分の身の回りには置きたくないですね。

しかし,この日本人の物作りに対する姿勢と云いますか態度は,太古の昔からの遺伝子の働きではないでしょうか?突然,変な宗教の教義みたいな話になっていますが,ありとあらゆる宗教の根本が日本の古神道であります。古神道とは何かと申しますと,自然崇拝に祖霊祭祀に尽きます。たとえば,太陽や月のような大自然と山や海などの自然を崇拝することであり,自分たちの祖先「先祖」を祭祀「供養や追善供養」することだけであります。何も難しいことも多額のお金も掛りません。ですが,このいつもそこにある大自然と自然に感謝することが出来ないのです。誰であっても無数の先祖が存在してくれていたことで私たちは生きているのにも気が付けなくなって来ています。それは何故なのでしょうか?忘れられた故人を想い出すだけでも供養になるのであります。

元々,農業も科学も宗教も,そして,医学も法学も哲学もすべて信仰の対象であったのです。それを私たち人間が勝手に解釈をしだし,様々に分離させ,分派を繰り返して行く内に訳の分からない「魔」を創り出してしまったのであります。つまり,理屈(理論)が出来上がってしまいました。自然を崇拝するどころか自然を支配する思想になってしまったのは悲劇に近いものがあります。

農業を理屈で考えて行った先が農薬と遺伝子組み換えです。これによって,人の身体は自己治癒が完全に出来なくなりました。本来,天のエネルギーと大地のエネルギーが豊富に含まれた食物を食べるからこそ自己治癒が出来ていたのであります。又,科学では証明できないものは存在しないと平然と言い切ってしまう学者さんも居ますが,現代科学の進歩はどれくらいなものなのか答えられる科学者は殆んどいません。現代科学で分かることは僅か1%にも満たしていないのです。つまり,99%は非科学的と云うことになります。その99%の非科学的なことを1%の理屈「理論」で説明するのですから何があっても想定外となります。

宗教も同じであります。宗教とは教えですから,善と悪の教えが存在しなければ成立しません。そこで登場したのが宗教を理屈で解釈し説明することをしたのです。しかしながら,正しい教えか否かを判断するのは受け入れる側の本人自身であります。そもそも何が正しくて,何が悪いかと云う善悪は理屈で説明できるものではありません。受け入れる側しだいになるのです。つまり,宗教を理屈で説明し出した結果,人は自分で考えることを止めてしまうのです。自分自身で考えさすことを阻害してしまうのであります。

すると,自分の教えが絶対に正しいと思い込みます。つまり,大自然や自然と繋がることを自ら拒否します。

その先に待ち受けているのが,紛争と戦争,略奪と殺戮です。人類が滅亡するとすれば,その根底にあるものは宗教観の違いです。世界中の戦争を見てみて下さい。相手を憎しみ,滅ぼそうとする目的は何なのか?日本でも過去戦争がありました。一部の軍部の暴走によって,神さまを利用し,国家神道を樹立させ,古来祭祀の中心に存在する天皇陛下を軍の最高指揮官に据え天皇の名の元に戦った戦争でした。理屈(理論)は時に大切なものであり,理屈が必要なことは私も良く理解しています。しかしながら,正しいと思える理屈や完ぺきで他の者の追随を許さない理論や言葉ほど慎重に注意して使わなければならないとも考えています。

なぜならば,そこで犠牲になる人は,いつの時代であっても疑うことを知らない純粋で真っ直ぐな心を持った若者や子供たちだからに他なりません。これ以上の犠牲が国家にあるのでしょうか。将来の国家を背負って立つ多くの若者や子供たちを犠牲にしてまで守り続けらなればならない理由は何なのか?その理由が判らない自分の不知の知を恥じるとともに神さまが人を殺せ,人と戦えなんて言うはずがないと言う自分も居ます。宗教を人類の戦いの道具にしてはなりません。和の国に住む日本人であれば判ると思います。

明治天皇・大正天皇・昭和天皇に共通することがあります。

それは,剣を持ち,軍服を着用していることです。

和の国の祭祀を司る最高祭主に軍服を着用させ,剣を持たせたのは誰なのか?

国体である天皇陛下が持てる剣は三種の神器のひとつ「草薙剣」だけです。

  

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ポンコツ僧侶との闘い始まる? 再掲載

2019年04月19日 05時25分54秒 | 怒りの心柱

以下の記事は,過去記事です。

こんにちは。今日は,怒りの心柱に沿って書かせて戴きます。

最近,寺院と檀家さんとのトラブル「争い」が多くなって来ているのか何なのかよく解かりませんが,昨日もある寺院と関係する仕事先の社長さんから相談を受けました。どうやら,そこの住職さんが檀家さんに対して不当に金銭を要求したり,恐喝まがいな行為を繰り返していて,檀家さんが離檀したいと云う相談が急増しているのでどうにかしたいと云う内容でした。又,お寺のお金を交際相手に使いまくり,貢ぐお金がなくなると,霊的なことで不安を煽り檀家さんや信徒さんへ高額で札を売っていると云うのです。

その社長さんのもとに,あるご高齢の檀家さんが泣きながら相談に来たとのことでした。高齢者のおばあちゃんと云うことなのでどうして良いのか解からないようです。特に,高齢の方だと信仰心も厚く,心配や不安の対象が自分の家族や亡くなった先祖の御霊のことを言われると居ても立ってもいられないのだと思います。騙す方の輩もそう云った不安になることを言えばお金が出て来ることを知っていてやるのです。人間霊を宿して生まれておきながら,畜生霊まで成り下がる愚かで,自ら滅び行く哀れな姿であります。

そう云ったことで,昨日の夕方,おばあちゃん檀家さんから相談を受けた社長さんから「あさひちゃん。何か良い方法はない?」と電話で連絡がありました。今日の夕方,その社長さんとお会いすることになりましたが,おばあちゃん檀家さんも来られるかどうかまでは判りません。私もこれまで寺院の僧侶の非行問題と対峙して来たりもしましたし,非行問題と対決して来たことも何度もありましたので方法論としてはたくさんあるのです。つまり,選択肢としてはと云うことです。しかし,その目的が相手をただやっつけたいとか,打ちのめしたいとか,地に落としてやると云う恨みや,憎しみだけであれば,知恵をかすわけにはいかないのです。

ただ,自分の地位を利用して,自分よりも弱い者を徹底的に追い込んで行き,精神を狂わせる行為には毅然とした対応で臨まなければならないとも考えます。しかもこともあろうに,住職の身でありながら,霊的なことで相手の不安心を煽り金銭を要求すると云う卑怯な行為は,僧侶に非ずと云うべき悪行そのものであります。第六天魔王が降臨する前に改心出来れば良いなと思っています。

本来,御仏さまに仕えると云うことも忘れ,分を弁えず,本能のまま勝手好き放題の行為には,まさにポンコツ僧侶と云う名がピッタリと当て嵌まります。もうこうなると,何でもありの状況で宗教法人と云う民間企業の経営者には考えられない高待遇で守られていることの意味すらその住職は忘れているのです。自分たちは,神仏から選ばれた人間で,特別な人間なんだと思っているのでしょう。偶に,こう云ったことを本気で信じ込んで気の毒を巻き散らかしている輩がいますので巻き込まれないよう致しましょう。

僧侶の世俗化が仏法を滅ぼす。by 宮崎 奕保。

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

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伊勢神宮と出雲大社 国津神と天津神  

2019年04月17日 20時14分10秒 | 祭祀と和の国

 

上の写真は,皇大神宮内宮 別宮 瀧原宮御手洗場です。(流れる川の水は,宮川の支流の頓登川です)

おほみたからにいたるまで かしこみ かしこみ もうす。この「おほみたから」とは,私たち国民のことをさします。天皇陛下が日々,神様への祈りとして捧げる御言葉です。すべての国民一人ひとりが日々の生活が平穏で,そして豊かに安寧に暮らせますようにと云う祈りの言霊です。なぜ,天皇陛下は,これほどまでに国民の幸せを祈り,願うのでしょうか?

昨日の記事「伊勢神宮1300年続く 永遠なる祈り」で,伊勢神宮について書かせて頂きました。やはり,天皇陛下の祈りのもとは日本神話の国譲りの中にあるようです。昨日の記事でも若干,その国譲り「日本神話」を引き合いにしましたので,今日は,この日本神話にある国譲りテーマに書きたいと思います。

1.私たちの国の神話に「国譲り」があります。

いま私たちが暮らすこの国は豊葦原瑞穂國(とよあしはらのみずほのくに)と云い,元々,この日本には先に暮らしていた所謂,先住民族がおりました。この先住民族は国津神の子孫で,仲よく平和な暮らしを営んでおりました。そして何よりも祈りを大切にする民族でした。その祈りの根底には,この世のありとあらゆるものには神様が宿ると云う思想を持ち合わせ,同時に,自然そのものを神様だと判っていました。そこに,天から天津神が降りて来て,国津神の神様へこの国と国民を天津神に譲るように「説得」をしました。その後,国津神は天津神に幾つかの条件を提示して豊葦原瑞穂國と国民を天津神へ譲ることに決めました。

私個人的には,この国津神の子孫とは縄文人を指しているのではないかと考えています。つまり,我々の遠い遠い祖先です。世界で最も永く,平和で,豊かな文明を築いていたのが縄文文明です。世界で一番古い文明でもあります。私たちは子供のころに学校でお米は弥生時代にもたらされたものだと教えてもらいましたが,実は,縄文時代には既に,お米はありました。御酒もありました。縄文土器から検出されています。

2.国津神の条件提示。国を譲った国津神と祈りを約した天津神

国津神の提示した幾つかの条件の中に①国津神をお祀りする立派な神殿を建築すること②天津神の子孫が未来永劫,丁寧に丁重に国津神をお祀りすること。ここまでが,一般的に国譲り神話に登場する内容です。しかし,あともう一つ昨日の記事にも書いたように③あったのではないかと私は考えております。それは,次の3.国津神の子孫の想い引き継ぐ。③です。

3.国津神の子孫の想いを引き継ぐ。

③国津神の国民(子孫)が最も大事にしている精神「御蔵」を尊重し,お祀りすること。この③が今の伊勢神宮に建つ御社殿です。ちなみに①は出雲大社です。②は天皇家を中心に,伊勢神宮の祭主(現在は,黒田清子様)や出雲大社の社家(出雲国造家)です。

4.いまなお続く聖なる祈り。

昨日の記事の通り,伊勢神宮の御社殿を現在の茅葺屋根に掘立て柱に造り替えたのは,天武天皇,持統天皇です。その天武天皇,持統天皇が縄文人の最も大切にしていた五穀豊穣の精神を又,収穫できた穀物を納める御蔵(高床式倉庫)を中心に置くことによって永遠に守り続けると云う決意を建築物を通して後世に示し,残しているのではないかと思います。その構想を誰が考えたのかは分かりません。しかしながら,我々,現代の子孫も伊勢神宮の御正宮で知らず知らずに,そして無意識に永遠なる祈りを捧げていることになるのです。その精神は歴代の天皇陛下にも承継され,近代では,昭和天皇の終戦の詔勅の一文にも見て取れます。そして,平成の世でも今上陛下の精神もまた同じであると私はそのように考えます。被災者とともに。被災者に寄り添いたい。一日でも早く被災地へ出向き被災者と言葉を交わしたいと思っておられると考えます。

5.むすび。

国津神の子孫である縄文人の最も特徴的な考え方は「平和」です。これに尽きるかもしれません。つまり,争いをしないと云う考え方であるのです。前にも「祖霊祭祀の日本人 祈りの民族」の記事でご紹介させて頂きましたが,とにかく争いを嫌います。それは縄文人の死生観に基づくものですが,その証拠に,全国の縄文遺跡から見つかっていないものが1つだけあります。

それは,武器です。つまり,人を殺傷するために使われる武器は発見されていません。ところが弥生時代を境に戦闘が始まります。戦い方を知らない民族(縄文人)は北へ北へと逃げるように移動したのです。それが現在の東北地方です。そう,鬼門です。

それ以降,現在に至るまで,日本人の宗教観は鬼門を最も畏れ,神聖なる方位として厚くお祀りしているのです。その後,数千年の歴史を経て現代があるのであります。

記事本文掲載 終わり。

近年,地球温暖化などの影響からか「エコ」環境保護が世界的に注目されています。ここにも縄文人の考えと云うか知恵が伝えれて来ています。縄文人は,必要なものを,必要なとき,必要な分だけ頂くという考え方で暮らして下りました。つまり,根こそぎ採取するということはしないのです。エコの生活は,縄文人からの重要なメッセージかもしれません。

現在の学校教育では,日本神話を授業で教えることはありませんので,興味を持った生徒は自学自習で勉強しなくてはなりません。これは,この国にとっても不幸なことであります。世界的に観ても自分の国の神話を知らない国民はほとんどいません。日本人が外国人に馬鹿にされるひとつの話題として,よく言われるのが日本人は日本の文化や伝統を知らない。それで,他国の文化や伝統,歴史を勉強しようとしている。そんなんで恥ずかしくないのか?と言われています。これは,学ぶ側の責任よりも,伝える側の責任だと思います。伝える側が,もっと謙虚に,歴史に学び,子孫へ命の尊さを伝えることが大切なことではないでしょうか。

尚,本文中にある「国譲り」の一部を除き,他は,私個人の解釈であって,何ら文献等の学術的根拠を有するものではありません。したがいまして,個人の解釈によるものだとご覧頂ければ,真に幸いで御座います。拝

記事作成にあたって参考にさせて頂いた資料は,以下の通りです。

1.出雲大社と大国主大神「出雲大社公式ホームページ

http://www.izumooyashiro.or.jp/kamigami/izumo/index.html

2.出雲観光ガイド 国譲り「出雲観光協会公式ホームページ内」

https://www.izumo-kankou.gr.jp/1033

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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伊勢神宮1300年続く 永遠なる祈り。 再掲載

2019年04月16日 11時15分40秒 | 祭祀と和の国

こんにちは

最近,地磁気が高いのか,地球の磁場が乱れているせいかインターネットの接続状況が凄く悪いです。

さて,今日も過去記事の紹介をさせていただきます。

以下の記事は,2年前の7月2日に掲載した伊勢神宮についての記事であります。 

今日は,伊勢神宮について記事にしたいと思います。私も年に5.6度は参拝させて頂いております。

我が国,日本は太古の昔から神様へ五穀豊穣を祈る(感謝)国であります。その祈りは,今日の現代でも今上天皇を中心に伊勢神宮を頂点として全国の神社で御祭(祭事)されております。私は,経済の原点つまり,経済の本質とはこの五穀豊穣にあるのだと考えています。歴代の総理大臣も1年の仕事始めは,伊勢神宮からです。機会があれば神道と五穀豊穣として記事にしたいと思います。

さて,伊勢神宮の外宮・内宮の両御正宮ともに御社殿は唯一神明造でお馴染みの茅葺屋根に掘立柱で構成されたシンプルでベストな建築様式です。世界的に観ても建築物として,とても評価の高い建築物と云われています。しかし私は,この質素にして美しい御社殿が疑問でありました。皆さんも伊勢神宮の御社殿は何かに似ていると思いませんか?

そもそもなぜ,このシンプルな建築様式が用いられたのでしょうか?そして,20年ごとに式年遷宮を斎行するのでしょうか?式年遷宮を定められたのは今から1300年前の飛鳥時代に天武天皇が御制定され,第1回式年遷宮は後の持統天皇が最初に斎行されました。御存知の通り,我が国,最大の御祀事(神事)であります。

1300年前の日本には,既に法隆寺などに見られる建築様式が確立されていたのに何故,あの唯一神明造であるのか?

その理由は,私の個人的な考えですが,あの茅葺屋根に掘立柱の唯一神明造でなければならなかったのです。

そこには,壮大で永遠なる祈りの意味が込められているのです。   

参拝するとだれでも感じて頂けると思いますが,あの親しみやすさ,馴染みやすさを感じられるその訳は,我々,日本人ひとり一人に受け継がれている遺伝子(DNA)に記憶として記録され組み込まれているからではないかと考えています。なぜか,懐かしく,親しみやすく,馴染みやすい。それは,我々の遠い縄文時代の祖先の想いにまで行き着きます。

伊勢神宮の御社殿の原型は,縄文時代の高床式倉庫がもとです。

つまり,この高床式倉庫を改良したのが伊勢神宮の御社殿です。

国譲りで国津神が天津神に豊葦原瑞穂国を譲りました。そして,天津神の子孫が,國津神の子孫が最も大事に,大切にしていた高床式倉庫を最も格式の高い唯一神明造に変え,永遠に祈り続けることを約束したのです。その壮大な物語が,伊勢神宮にはあります。そして,現代でもその永遠なる祈りが毎日,お祀りされております。正に聖地中の聖地だと思います。

きっと,天武天皇・持統天皇は,敗者を祀ることの大切さ,重要さを知っていて意図的に唯一神明造にされたのではないでしょうか。それと同時に,霊的な影響も知っていたと思います。これは,もの凄いことです。国を譲った国津神の子孫である縄文人が大切にしていた高床式倉庫に装飾品を設けて造り替え,神様の御宮として大事に,大切に,お祀りをする。それだけではなく,20年ごとに御社殿を丸ごと新しくし,常に若々しく保つ。現に伊勢神宮では常若と云う精神が伝わっています。

国譲りの決断をされた国津神の神様に。決して,忘れていません。国譲りの時にお互いで取り決めた約束ごとは天津神の子孫がちゃんと丁寧に,丁重に御守り続けております。と語りかけているように感じます。1300年も続く式年遷宮は,単なる御宮を新しくするだけではないのです。敗者や負けた相手を永遠に労り,その功績を讃え,称賛する。そのことで,争うことがなく国民一体となることを何よりも望んだのだと思います。そのことは,過去様々な文献でも照見されます。聖徳太子の和を以て,貴しと為す。などもそうです。もちろん,神道の大祓詞にもあります。

私は,ここに日本人特有の精神が見て取れると感じています。敗者を先ず祀ると云う思想です。これは,その後の武士道精神の根本としても残り,現代の日本人の精神でもあると思っています。負けた者を哀れみ,負けた者に対する情けや称賛,その功績を称える。そして,それができる民族が日本人だと思うのです。

伊勢神宮へ参拝を計画されている方は,そのような考えもあるのだなと思って御社殿に参拝してみて下さい。

武力によって,相手を滅ぼしたり,制圧したり支配したりする考えは日本古来の考え方ではありません。

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


素直に生きることの大切さ。再掲載

2019年04月13日 06時47分25秒 | 素直の心柱

こんにちは。

最後の宮大工である西岡常一棟梁の記事は,明日にまた続きを書かせて頂くとして今日は,違ったことを書きたいと思います。私たちは,これまで続いて来たタテ型社会からヨコ型社会に移り変わる過渡期に存在しています。自然崇拝,祖霊祭祀をしている一般人の私からするとただ太古の昔に帰るだけと感じていますが,タテ型構造の上に存在していた人たちにとっては嫌でしょうね。

でも,いくら嫌がっても無駄であります。もうそうなってしまうのですから無理です。

それはそれとして,今月は,春の祖霊感謝祭があります。

一年間に春と夏と秋の3回の祖霊感謝祭を自宅でひっそりとお祭り致します。御水にお茶に,そして白湯を位牌の正面に置いて,その両脇に御団子や和菓子に煮物に漬け物。さらに玄米に白米,お味噌汁と御赤飯と御酒も忘れずに捧げ先祖と共に過ごしています。毎回,きっと,先祖はこんなものが好物だったのではないかな?水子さんはミルクを欲しがっているのではないかな?などなど想像しながら献立を考えています。普段の祖霊祭祀は,御水と御茶と白湯でけです。何で白湯?と思われる方もいらっしゃると思いますが,白湯は病気で亡くなった先祖の為に捧げます。特別な意味はありませんが,病気には身体を温めることが大切だからです。

古神道には死生観と云うものがあります。あの世に帰った祖先が,私たち子孫を見守り続けていると言った考え方も古神道の死生観のひとつであります。又,人は誰でもあの世に帰ると仕事をしていると言われています。この世で経験した内容に基づいた仕事をあの世でも行うのです。この世で経験した内容と言っても仕事で成功したとか達成したとかいうことは何も関係がありません。

以前にもブログで記事にさせていただきましたが,あの世のどんな階層に自分が進もうが課題となるのは「奉仕」のみであります。奉仕に基づいた仕事をすることになります。ひとつの食べものを皆で分け合う世界です。しかし,この世で自分の思う通りに他人の迷惑も省みず,自分の好き勝手に生きた御霊ですとあの世に帰ったあと他の御霊の為に奉仕するということが出来ず厳しい体験をしているようです。つまり,これが修行です。とても辛抱を伴い,融通もわがままも忖度も損得も通すことが出来ませんので,生きている間にやりたい放題好き放題してきた御霊にとっては非常に苦痛であります。これを地獄と申します。ズルは一切通用しません。

一方,この世で生きている間に,どんな小さなことでも他の為に奉仕していた人は素直に奉仕を実践できるのであります。私たちが考えている素直というものは,あの世では大きな財産「徳」になっているのです。しかしながら,人間と云うものは自我の塊と申しますか,自分中心にどうしても考えてしまいがちです。駄目だと頭で分かっていながらも自分を軸に中心に据えてしまいます。この自我と自分が向き合い,受け入れ,認めて行くことで段々と自我が薄れて行き無理なく無駄なく生き易くなって行くようです。

したがいまして,この世で生きている間に経験している一切は,実は,あの世での自分の位置「御霊の階層」を形成する過程であると考えることも出来るのであります。人間と云うのは,死んでしまえば同じ。あの世なんて言うものはない。だからこの世で生きている間に自分の好きな様に生きる。他の人なんてどうなっても良いということではないのであります。まして,生きているときに体験や経験していない事をあの世に帰って出来るわけありません。この世でどう生きたのか?それ次第であります。

人は生きていることにこそ意味があるのであります。

この世で成功するとかお金持ちになるとかそう言った小さなことではありません。

生きていることに価値がある訳です。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


心界「神界」の八咫鏡をピカピカにしましょう。

2019年04月11日 05時55分34秒 | 素直の心柱

こんにちは。

今日は,氏神さまへ参拝させて戴いてから,昼からの会議まで時間もあるので宮大工の営業にでも行こうかと寺院さん数件を巡回して来る予定です。どこの寺院さんも立派な本堂にお堂が建ち並び境内も綺麗に掃除がされていることだと思います。神社や寺院の掃除や清掃は,宗門宗派を問わず祭祀をする上で基礎基本とするのが現在の考え方であります。本来であれば,掃除や清掃は黒足袋衆の大事な御役目なのですが,現代では白足袋衆と黒足袋衆の境も無くなってしまいました。そんな中,特に,禅宗系「曹洞宗」「臨済宗」「黄檗宗:おうばくしゅう」では掃除を徹底して行います。又,この基本的な考え方を企業に取り入れたのが松下幸之助さんであったり,ビル・ゲイツさんであったり,スティーブ・ジョブズさんもそうであったのです。三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎さんは別の意味でも禅宗の根本道場である大本山永平寺をメッチャ愛しておりました。大本山永平寺の唯一の檀徒さんです。

ビル・ゲイツさんとマイクロソフト社の掃除のオバちゃんとのエピソードは結構有名な話でもあります。公に公開はしていないようですが,企業精神に禅を取り入れています。松下幸之助さんが晩年,松下政経塾を創設した目的もその奥にある理念は掃除にあったのではないかと私は想像しています。とにかくやることがなければ掃除をしろというのが松下政経塾の姿勢でもあったようです。

掃除には,魔を祓う絶大な効果があります。

現在の神社神道でも古からの古神道でも掃除はとても重要なものとして据えられております。先日の記事でも少し触れさせていただきましたが,人の内面「心の状態」が如実に現れて来るのが家や部屋の掃除具合です。配達のアルバイトをしているとそのことが最近になってよく理解できるようになりました。荷物を届けるために家の玄関先まで行くと良く判るのです。靴が散乱しているお宅や廊下にゴミが散乱しているような家の住人はどこか暗く感じてしまいます。表情も人相もなんだか暗そうで,無愛想にしています。きっと,本人はそんなことまで感じてはいないと思いますが,他人から観るとよく解ります。玄関先の清潔感はとても重要です。

心の状態が暗く,心が病み出すと心に穢れ「気枯れ」が付きます。これを祓える唯一の方法が掃除なのです。掃除は人の健康や運気にも多大な影響を及ぼしていると神道では考えますが,これは本当のことであります。それだけではなく,掃除は病にも影響しているとも感じています。運気の良い悪いと云うと誤解を受けるかも知れませんが,実際に,運の良い人は掃除にとても気を使っていることが多いです。特に営業の仕事をされている方は,掃除を気に掛ける方が良いと思います。経営者ほど掃除にうるさい人が多いのも納得します。私事で恐縮ですが,わたしは水の流れる場所の汚れをとても気にしています。たとえば,お風呂や台所,洗面所,洗濯機付近などですが,水の流れる場所は神聖な場所であるので汚れている場合には綺麗に掃除されていることが家の中に穢れを付けない極意なのです。極意って・・・大袈裟に思われるかも知れませんが本当なのです。魔の臭いと排水溝の汚れの悪臭は同じです。

さらに,家の中の掃除だけではありません。

わたしたちの心の世界「心界」の八咫鏡もピカピカに磨きましょう。曇りが酷くなると理屈に騙されたり,事実と真実を見抜くことが出来なくなってしまいます。裁判官がつけているオモチャの曇りに曇った偽物の八咫鏡よりもハッキリと映し出すことが出来る本物の八咫鏡が人々の心の中に存在しています。そして,個人個人各々が心の八咫鏡を磨けば宗教は必要なくなります。それが,仏教で云うところの弥勒菩薩の出現です。ミロクの世の中と云うのは,どこからともなく救世主が登場するのではありません。救世主思想を数千年続けて来た結果,神の御意思と言いながら金融で世界を支配して,宗教戦争で世界を征服しているのが今の世の中です。

救世主とは,わたしたちひとり一人が救世主と為ることなのです。拝

  

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


五円玉に籠められた祈り。再掲載

2019年04月10日 08時20分17秒 | あさひの経済新書

こんにちは。以下の記事は過去記事です。

今年も残すところ僅かしかありません。仕事のノルマと様々な準備とプレッシャーに押しつぶされそうですが,何とか乗り越えて新しい年を迎えたいと思います。さて,上の画像はご存知「五円玉」の硬貨です。この五円玉の絵柄の意味を貧乏時代に考えていた時期がありました。私たちの暮らすこの日本国には紙幣である1万円,5千円,2千円,千円と通称ジャリ銭と呼ばれる5百円,百円,五十円,十円,五円そして一円があります。当然,貨幣としての価値としては誰でも一万円が価値の高いものだと解ります。しかし,それぞれの貨幣に印刷されている絵柄や刻印されている絵柄をよく眺めていると精神的な価値は一円であります。

その貨幣の中でも五円玉の絵柄に籠められた壮大さと云うか祈りと云うか日本人としての誇りをつい感じ取ってしまいます。

左側の五円に描かれている絵柄はです。つまり「農業」を意味しています。

次に,真ん中の穴が開いている回りのギザギザは機械の歯車です。工業」を意味しており,

下の横線は海や川などの水つまり「水産業意味しています。

農林水産業とよく耳にすると思います。経済の根幹であり,五穀豊穣でもあります。

あれ?でも何か一つ足りない・・・。ような気がします。はい!それは,農水産の「」です。

私はこれを観たときに本当に凄いことを考えるなと正直思いました。誰が最初に立案したのだろうかと・・・。

その理由は,右側の画像でも見れるとおり,ちゃんと新芽の若木が左右に一本ずつ配置されています。

しかも,この若木は日本の若い人達つまり若者を意味し,

日本の将来を支え,日本国を持ち上げるのは若い人の力だと無言の教示が隠されているように感じたのです。

つまり,右の画像の音霊を言葉に変えると昭和五十二年生まれの若者たちが日本国を支えて行くと云う祈りが籠められて当時,造られたのではないでしょうか。要は,毎年毎年その年に生まれて来る子供に将来の日本を託した強いメッセージのようなものを感じてしまうのです。その為に態々,日本国の文字をアーチ状に示し「日」と「国」を新芽の若木がしっかりと下で支えて行く様に描かれているのです。今日の記事は,私個人が想うまま,感じるままに書かせて頂きましたが,皆さまは如何でしょうか?上の五円玉を観て何か自分なりに感じるものがあるでしょうか。一円は経済的な価値が最も低いですが,最も可能性を秘めているのも一円玉です。

みなさまが平穏で豊かに年を越せますように。祈

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝