花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

僧侶の世俗化が仏法を滅ぼす 1

2016年07月31日 04時59分22秒 | あさひのプチ予言

この国の宗教を根底から変えたい。変革させたい。信仰と云う自然を神そのものとしていた頃に,この世のありとあらゆるものには神の分霊が宿っていると云う数万年前の原始信仰に戻らなければならない。そんな想いで毎日ブログを書かさせて頂いております。そんな大それたことなど出来る訳がないと云う思いも少なからずあることは正直な感想でもあります。しかし,信仰と人間,宗教家と人とは決して切ることが出来ないものであるのです。それは世界的に観ても同じことです。たとえば,アメリカの大統領が就任演説をする際には,壇上で聖書に手をかざし誓いの言葉を述べます。この国で云う祈りと言霊です。

私たちが暮らすこの国においても総理大臣が年の初めに伊勢神宮の天照太御神様へその年一年の国家の安寧と国民ひとり一人の平穏で豊かな暮らし,そして五穀豊穣を祈ることから始めます。この日本は言葉と祈りの国であるからです。言い換えると,それは,すべてが祀り事「祭事」であるのです。朝起きて食事をするのも祭事,掃除をするもの祭事,仕事をするもの祭事,帰宅して夕食をすることも祭事,お風呂に入るのも祭事,就寝することも祭事であります。もちろん子育てや勉強もすべてが祭事です。つまり現代風に言えば,それら一連のことを日々繰り返しされている方は,例外なく神官です。

真意は判りませんが,まさか総理大臣個人の祈願をしていることはないと思います。

食事をする際に,頂きますと云う言霊を宣ります。これは短い祝詞です。天の神様の恵みと大地の神様の恵み,つまりエネルギーが合わさった御米を頂戴しているのです。そして私たちは生きていられる訳ですから,そのことに感謝の祝詞を捧げているのです。又,仕事から帰って来てお風呂に入ったり,シャワーを浴びたりもしていますが,これも信仰で云う禊になります。神様と祖先から預かっている身体を清潔に綺麗に保つと云う意味が込められています。世界にはさまざまな宗教が存在していますが,すべての元の元は日本です。日本の縄文原始信仰の精神が世界各地でその形を変えて行ったものです。日本固有の仏教の原形も同じことです。

それでは,その原形とは何かと申しますと太陽信仰です。世界のどの宗教であろうとすべて太陽信仰が元です。つまり,宗教ではなく信仰が元の元なのです。宗教には必ず教祖が存在しなければ宗教が成り立ちません。しかしながら,信仰には教祖なる人物がおりません。自分の肉体を酷使した厳しい修行もありません。むしろそんな自分の身体を酷使しても何ら意味もないからです。すべての人がそんなことをしていたら人類は絶滅してしまいます。そうではなく,自然そのものが神であり,その神の恩恵を私たちは戴きながら生きていられると云う人間の根本が信仰そのものであります。それを忘れたことが様々な悪い要因になって行ったようです。

以前,このブログでも紹介させて頂きました「ひふみともこ」さんと云う方が,神様と問答をされたと云う記事を書かせて頂きました。私も一通りは読まして頂きましたが,その中に,ひふみともこさんが宗教と宗教家について神様と問答されていた内容がありました。そして,その内容を観たとき,やはりと云う印象と少なからずのショックを覚えた記憶があります。なぜならなば,その問答の中で,ひふみともこさんの問いについて神様からの返答は宗教家には「期待していない」と云うことであったからです。それは何故なのでしょうか。そして,この日本で,ミラクルが起きるのかを明日の記事にさせて頂きたいと思います。

このブログの左帯一番上に検索ツールが設けております。その検索ツールで,ひふみともこで検索してみて下さい。

タイトルの「僧侶の世俗化が仏法を滅ぼす」と言う言葉は,曹洞宗大本山永平寺 第78代貫首である宮崎奕保禅師が生前に若き雲水たちへ向けて書かれた著「髪を断ずるは-宗門の将来を想う-」の中にある3項です。私は,この御言葉は宮崎禅師の預言書であり,遺言書だと感じております。以前,2004年にNHKドキュメンタリー番組で放送された禅師さまでした。


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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設49日目 記事数第57記 あさひのプチ預言  編


国津神の御子と青き観世音菩薩たち。

2016年07月30日 04時44分52秒 | 奉仕の心柱

昨日,国津神の御子と出会いました。しかも3名です。同じ日に3名の御方とお会いできるなんて初めてかもしれません。御一人は,ガソリンスタンドで働いている若い女性の方,もう御二方も女性で世界的な某物流企業でトラックを運転されていらっしゃる御方です。3名の御方ともに正に神様の御子でありました。その態度,姿勢,礼儀,目付き,優しさ,愛情,謙虚さ,明るさ。すべてにおいて国津神の御子でありました。あの方たちが,この今の日本を陰から支えているのだなと心からそう思いました。それと同時に,あの御三方に比べたら私なんて未だ未だ赤ん坊のようなものです。自分自身の未熟さも同時に感じました。

いまの自由主義が優先し,優越する社会構造では誤解されたり,孤独を感じてしまったり,はみ出し者として扱われてしまったりされる人たちこそが実は,この日本を根底から支え,縁の下の力持ちであることが国津神の御子の特徴的な一つの面であり,家庭の中でも反抗者であったり,家族の輪から少しはみ出したり,学校や地域社会で問題児として扱われていた子供が大人に成長し,そして大人になって父親や母親をとても大切にする親孝行者として立派な成人に成長していることも多く実例としてあります。正に心優しき神の御子です。これから社会に,このような人がどんどん登場して来ます。もう既に出て来ております。

又,近代資本主義社会においても同様です。資本主義社会は1パーセントの富を握った者が99パーセントの人間を支配する目的で作られたものです。創られたものではなく,一部の人のために作成された作られたものなのです。そこに正しい神の御力はありません。いまの国津神の御子は,職業的地位や賃金面でも高いと言われている様なものではなく,むしろ多くの人たちが望まない「きつい」「汚い」「厳しい」と言われている仕事をされている方の中にとても多くの勇者がおります。そしてこのことは,前回もご紹介させて頂いたひふみ神示「日月神示」にも書かれている内容でもあります。上下ひっくり返るとまで書かれています。

あえて今日も話を飛ばしますが,仏教の開祖であるお釈迦さまが菩提樹の下で解脱されたのは,何も厳しくて,苦しい修行をされた結果ではありません。多くの宗教家は,そのように考え信じているようですが,それは極めて限定的な一面を観てのことであります。お釈迦さまが悟りを得ることが出来た最大と言いますか根本は,貧しい身でありながら牛乳を売りに歩いているスジャータと云う女性の優しさ,慈悲に触れたからであります。その心優しき女性から差し出された牛乳を飲み干した瞬間,すべての苦行や修行は無駄であったと云うことを悟ったのであります。宗教家の人にとっては信じがたいことだと思いますが,これは真実です。

このスジャータと云う名称,どこかで聞いたことあると感じされた方もいると思います。そうです,コーヒーに入れるミルクで有名なスジャータです。私個人的には,このスジャータさんは,観世音菩薩の化身ではないかと考えていますが,それはともかく,要は,どんな聖人であろうとも苦行では悟ることは出来ず,人の優しさに触れることで悟ることが出来ると云うことの様な気がします。そして何よりも大切なことは,人に優しくしてもらうことをじっと待っているのではなく,自ら手をあげ人々に奉仕するからこそ,自分自身が助けられることに繋がっているように考えます。これが宇宙の摂理であり,地球の仕組みなのです。

いよいよ終わりの始まりです。これから社会に続々と青き観世音菩薩が登場してきます。いよいよです。


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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設48日目 記事数第56記 奉仕の心柱 編 


豊葦原瑞穂国のおおみたからたち。

2016年07月29日 05時12分37秒 | あさひの経済新書

法が国を治めることを法治国家と言います。もちろん,私たちが暮らす日本は,この精神に基づいております。日本の最高法は日本国憲法ですが,日本国憲法は,私たち国民が国家を縛る目的で制定されているものです。もっと言えば,国家運営に携わる政治家や公務員に対してこのように国家の運営をしなければなりませんと云うことを憲法で示しています。それはなぜか,国家は直ぐに暴走する危険があるからであります。いつの時代であっても,どんな政党が与党になっても,誰が総理大臣になっても常に暴走する危険があるのであります。そして,その国家がいったん暴走すると国民の生命が失われ,危険にさらされることに繋がるからです。

特に,若い人たちへお伝えしたいのは,国家を形成する3要素を頭の隅でも良いので置いて下さい。国家を形成するために最低限必要な要素が3つあります。それは「領土」「国民」「権力」です。この内,最も大事なものは何かと言いますと「権力」です。権力の行使にあります。

だからこそ,その権力を行使する側を私たち国民が選挙で選んで行かなくてはならないのです。

又,政治は,私たちの暮らしに近い存在であるはずなのに何かとても遠い存在のように感じます。政治は政治家のためにあるんだと考えている政治家も多くいるようにも見えます。先般の東京都知事の会見を見ていてそう感じました。弁護士二人を同席させ,調査報告をしておりましたが,なんだか中身のない会見であったようにも思いました。あくまでも第三者委員会のような監査を主体とした訳ではなく,疑義に対する調査ですから仕方がないのかもしれません。私は,東京都民ではありませんので,明後日の都知事選には投票できませんが,誰が都知事になっても同じという風習は変わりないような気もします。

特に,若い世代の人たちには生きることが精一杯で,都知事選ところではないと感じている人も多くいることは事実です。それではダメだと云うことはその通りだと私もそのように思っておりますが,その根本の問題をそして,そのような状況にさせてのは当の本人政治家であることはあまり指摘されていません。組織票を以ている政党や候補者にして見れば,投票率が低ければ低いほど自分たちに有利に働くからあまり変えようとも積極的に呼びかけたりもしないのでしょう。たいてい投票に行きましょう!と呼びかけしているのは特定の政党や政治家の公認や応援が得られずにいる無所属や個人がほとんどです。

話が毎度のように変わりますが,昨日は仕事で知人の弁護士事務所で受任した個人破産者記録の処分を手伝いました。数百人の方々の記録でありましたが,一枚一枚その当時の記録を読んでいると苦しみ,悲しみ,無念さが伝わってくるような思いがしていました。なかには若い当時,20代前半の男女の記録もあり,たった20数年で破産という道をたどらなければならなかった理由は何なのか強い憤りで記録を読んでいました。他にも若い夫婦で破産の相談に来られていて子供も小学生や中学生と云った一番お金が必要な時に破産という経済的なリセットをしなくてはなりません。記録を読んでいて,私の方が悔しくて感情的になってしまうものもありました。経済的にリセットすると決めたなら,次はなんとしてでも幸せになって貰わないとなりません。

それとは逆に高齢で78歳の方の破産記録もあり,78歳まで頑張って生きて来られて何でいまさら破産しなければならないのか,やるせない気持ちでもありました。記録の保存期間は5年間が目途ですから,今現在は,新たなスタートを開始して幸せに平穏に暮らして戴けていると信じております。それ以外にも本当に,いろいろな事情を抱えた人たちがいて,その事情はすべて違います。破産に至る経緯も破産しなければならない理由も同じという人は当然ながらおりません。先程の政治家や都知事の話ではないですが,生きることすら精一杯でこと欠く状況にある都民や国民がこの国にはたくさん暮らしています。身体の不自由な人や経済的に貧困状態にある人,様々な人たちが暮らしていて,そのひとり一人の生活を支えて行くことが政治家や公務員に課せられた使命であると今一度,原点に回帰してもらいたいと思います。そのために何ら経済的なことに心配することなく任務を遂行できるのですから。

おおみたからにいたるまで かしこみ かしこみ もうす。拝


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人々の想念が社会空間を創り上げています。

2016年07月28日 05時17分20秒 | 奉仕の心柱

そなたは死に方用意していればそれで良いぞ。死に方用意してどんどん生きて御座れよ。みろくの世の礎になるのぞ。自分助かろうと塵でも考えることならんぞ。もうすでに知っておろうが。未来の子供の笑顔が見たかろうが。どんなことがあってもビクともしない心に宮柱太しき立てるのだぞ。五柱の芯柱立ててくだされよ。感謝の柱と謙虚な柱と素直な柱と奉仕の柱と反省の柱じゃ。立派に成れよ。大きく成れよ。遠慮いらん。伝える御役も結構なれど,仕送りの御役忘れずにな。しかと心得よ。寂しくなったら訪ねて御座れ。伝える御役は誘惑が多いこと申し伝えておくぞ。よいな。みな誘惑に負け,金に負け,先生と言われ勘違いして御座るのぞ。正神との交流は先ず素直であることぞ。すべてに感謝すること。稲穂のように謙虚な姿勢でいること。国と人に奉仕することぞ。

これまでそなたの所に訪ねてきた者は,皆,神が用意したのぞ。苦しんでいる人,悲しんでいる人,霊能者さん,お坊さん,偉い学者さん,法律屋さん,皆々,神が用意して,そなたの力量見たのぞ。そなたがどれ程大きく成ったのか見たいぞ。それで,みなそなたに訪ねてくるのぞ。教えてください,教えてください。助けて下さい,助けて下さいと訪ねて来ようがな。誰が訪ねてきても判らんことなどないぞ。神に仕えるとはどう云うことか考えよ。どんなことがあってもビクともしない御魂授けてあるぞ。自分助かろうと思うなよ。申しておくぞ。どんどん相互扶助の道を伝え広めよ。必ずできる心配いらん。なれど,手柄を立てようなどと考えることならんぞ。自分が自分がと云う風潮もならん。手柄はすべて人に与えよ。そなたの住む世界に自分のものなど何もないぞ。

いくら学あっても米粒一つも作れまい。いくら金あっても犬小屋ひとつも作れまい。天狗ではならん。よいな。弱き者助けてあげて下されよ。みんなで守ってあげて下されよ。その民は神が直々に御守護致すぞ。よく心得よ。


紫色の文字は,私の心に御鎮座される神様からの音霊言霊を私の心柱で変換しました。青色の文字は,私自身の言葉です。

人々の想念が,社会と云う空間を創生すると云うことを以前,お寺の住職さんと話したことは先日も記事にさせて頂きました。その宗教家である住職さんは,人々の多くは自分たちが社会を支配していると考えているが,実は全く違う。我々人は社会に支配されているんだと真剣な面持ちで話されておりました。私も人々の想念がひとつの空間を形成し,創り上げると云う考えに同感です。多くの人々の悲しみに満ちた想いは,それ相当の社会空間を創り上げますし,喜びに満ちた想いは,喜びの社会空間を創り上げて行きます。話が逸れますが,縄文人はそのことを判っていたからこそ祖先の祀り事を絶やすことをしなかったのではないでしょうか。

私たちの多くが,先祖供養や祖霊崇拝は,お釈迦さまが広め仏教にあると信じております。しかし,そうではありません。日本では遥か太古の時代には,既に先祖供養や祖霊崇拝をしております。それだけではなく,実に丁寧な追善供養もされていました。自分たちの先祖に対する供養の想いが,先祖の御霊に必ず通じ,あの世で安らかに暮らしてくれることを祈っていたのではないかと私は考えています。その想いは先祖の御霊に届き,先祖の安心した念が生きる子孫へ波動となって伝わっていたのではないでしょうか。もうすぐ御盆ですから,せめて自分の先祖の御霊へは悲しみの念ではなく,感謝の念を送ってお盆期間中は過ごしたいですね。

関連記事「祖霊祭祀の日本人 祈りの民族」もし宜しければお読みください。

※昨夜も関東地方茨城県で震度5弱の地震が起きました。悲しみの念が強い昨今,多くの人々の悲しみの波動がひとつの空間を形成し創り上げています。今後,しばらくの間は地震に注意され,家族の所在地は事前に把握されていると安心だと思います。又,お年寄りや,身体の不自由の方,小さいお子さんを抱えたいる方,外国人の方は,地域の自治体で「災害時要援護者」と云う制度があるのかを確認してみて下さい。そちらの制度を活用されるのも防災対策の一つだと思います。拝


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宇宙の仕組みと私たちの思惑

2016年07月26日 07時22分13秒 | あさひの科学神書

こんにちは。昨日,武蔵国一之宮である氷川神社さんのことを記事で書かせて頂いて,そのあと妙に氷川神社さんへ参拝したくなってしまったので昼過ぎに参拝させていただきました。氷川神社さんの境内は8月1日の例祭の準備で大忙しの様子です。今日は少し,宇宙仕組みが私たちの生活にどうのように影響しているのかを少しだけ書きたいと思います。

宇宙の仕組みやバランスを知ることで,私たちが普段,悩んでいる事や,哀しんでいる事,苦しんでいる事の本質が理解でき解決できる糸口を見いだせるのではないか。そんなことを考えております。病気においても,法律上のトラブルや紛争においても同じことが言えるのではないかと思います。特に病気の一種と認定されている精神上の疾患は,身体のバランスが崩れて起きる症状であって,私たちが普段何気なく思っている,感じている病気の種類とは異なるように以前から感じていました。前にも少しだけ記事にさせて頂きましたが,東洋医学では人間の身体の構造は宇宙そのものと考えております。しかしながら,現代の医学は西洋を中心とした医学ですから心の病の治療方法は,主に薬で無理やり支配する治療法です。私はこれは治療ではないと思っています。あとから必ず副作用となってさらに悪化して行くことになってしまうのではないかと考えています。参照記事「宇宙の構造と心の病 神道と現代医学」もし宜しければお読みください。別に,西洋の医学が悪いと言っているのではなく,西洋医学と東洋医学とでは根本的な考え方が違うと云うことをお伝えしたいのです。私は,心の病は人間の身体を宇宙の仕組み同じと考えている東洋医学にとても期待しています。それに掃除を元とする日常の生活態度(姿勢)と良質な御水を採取することによって現実的な変化の兆しが表れてくるように思っております。特に重要なのが食事です。また機会があればカテゴリー「あさひの医学心書」記事にしたいと思います。

宇宙と聞くと何だか難しい科学のことだったり,日常の生活とほど遠い話のように聞こえるかも知れませんが,そうではありません。なぜならば,地球も他の惑星もこの世のありとあらゆるものすべて宇宙の仕組みの中で,法則や摂理の中で生かされて生きているに過ぎないからです。この宇宙の仕組みを知ることから遠ざかって行けば行くほど様々な事象が私たちの暮らす社会で起こり始めます。それが今の社会ではないでしょうか。たび重なる自然の驚異,紛争に戦争,原因が解明できない病気等々,しかしながら,この根本は人間が宇宙の仕組みを無視し,自然を支配するようになってから起きたことであります。昨日の記事でも若干,触れさせていただきました大地のエネルギーの放出などは,その典型的な事柄の様な気がしています。大地のエネルギーが放出される場所と云うところが,この地球上には予め仕組まれていて,その大地をコンクリートなどで塞いでしまうと大地のエネルギーは仕組み通りの活動が出来なくなってしまいエネルギーが地下で蓄積され一気に巨大な地震などを発生させているのです。それを太古の人たちは知っていて樹木などを植え,禁則の地(鎮守の森)とし,後世の子孫が立ち入らないようにして来たものだと想っております。この説は,私個人の考えであって何ら学術的であったり科学的な証明は出来ませんが,そのように考えています。

例えば,いまの建築物を見ても免震や耐震構造のコンクリートが主流です。このような構造は,自然を支配する考え方なのです。つまり,巨大地震に勝つためにはより強硬に頑丈に建物を建てるわけです。そうすると自然は,それならばもっと大きな,巨大な地震を起こさせてやると云うことになっているのです。地震だけではありませんが,最近の自然の驚異が以前に増して巨大化して来ているのを感じませんでしょうか?よくテレビのニュースなどで「観測史上最高を記録」「これまでに経験のない規模」などと言ったアナウンスを聴くことが多くなって来たことは明らかです。建物の耐震性能や構造を頑丈に丈夫に向上させればさせるほど風や雨,雷や地震はどんどん巨大化ししています。最近では,神社やお寺の建物さえもコンクリートで頑丈にすることが良いなどと言った発言をする人がいますが,これは根本的な宇宙の仕組みを理解しておりません。ましてや,基礎をコンクリートで塞いでしまうと大地が息をすることが出来なくなり,エナルギーを定期的に放出できなくなってしまいます。確かに,建築基準法の定めや自分一人がそんなことをしても何の意味もないと云う方もいると思いますが,だからと言って地球の仕組みを無視し,自分だけ助かればそれで良いと云うことにはならないはずですし,あまりにも知識だけであって知恵なのい発想のような気もします。私たちはもっと,自然と共存共栄できる仕組みを考えるべきであり,そうでなければ本当に滅んでしまいます。つまり原点に回帰することです。

以前,仕事でお寺の本堂を建築するに当たって建築士さんと建築に関して議論した時がありました。建築士さんは基礎は完全にコンクリートで塞いだ方が耐震性に優れていて震度8程度の地震であれば耐えられると主張されていましたが,私はその建築士さんの主張(意見)に対して反対の主張を展開しましたが,結局,お寺の住職さんと総代さんの意見は,最近の自然災害を見ると巨大化して来ているので基礎は頑丈にすべてコンクリートで塞ぐと云う結論に至りました。確かに,住職さんや総代さんの話の方が分かり易い話だと思いますし,建築士さんの主張の方が理解しやすいとは思います。その議論の中で,建築士さんが話していた内容は,私にとってとても勉強になり,いまの行政の建築指針は地球の仕組みを理解していない上に施行されていることが建築士さんの言葉を通じてよく理解出来ました。京都や奈良の数千年経過する神社や寺院で基礎をコンクリートで塞いでいる建物はありません。

今日も纏まりがない記事になってしまいましたが,要は,私たちが知っている宇宙と云うのは,ほんのごく一部に過ぎないと云うことであります。少しでも宇宙の仕組み,地球の構造や仕組みを理解しようとする心があれば人間はいかに生かされて来たのかが理解できるはずです。そうすれば,自然と感謝の気持ちが沸き上がり,謙虚に素直な生活が出来るに違いありません。そうすることになって自然と心の病や紛争などから自分を遠ざけることが出来ると感じております。今日はこの辺で終わりにしたいと思います。

花咲 あさひ 拝


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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                            ブログ開設44日目 記事数第52記 あさひの科学神書 編 


武蔵国一之宮 氷川神社の縄文信仰

2016年07月25日 04時40分01秒 | 感謝の心柱

こんにちは。ちょっと暑い日がこれから続きますので,雪景色で涼しんで行ってください。(写真は武蔵国一之宮 氷川神社です)                                                                        今日は,この武蔵国一之宮である氷川神社を記事にしたいと思います。(私もよく参拝させて戴く神社です)

実は,この武蔵国一之宮である氷川神社は埼玉県さいたま市大宮区高鼻町と云う場所に御鎮座されておりますが,なんと東京都を含む関東(旧武蔵国:別称は武州)埼玉県全域・神奈川県の一部を相当領域とした神社なのです。しかも,参道(氷川参道)は2kmにも及び境内地は3万坪を有するとてつもない広さを持つ神社であります。創建は2000年以上とされ,大宮区の大宮とは大いなる宮という由来があるとのことです。私はてっきり,東京の一之宮は明治神宮かと思っておりましたが埼玉県さいたま市の氷川神社でした。皆さんもよく御存知だと思いますが,パワースポットの生みの親でもある方が,こちら氷川神社の神池で神様から啓示を受け取った神社でも有名です。又,毎年の初詣参拝ランキングでは必ず全国10位以内に入ることでも知られ,正月の3日間で200万人を超える神社であります。どうやら縄文時代に大きな祭祀場が存在していて,その跡地に氷川神社を建てたようです。

今から3年くらい前だったと記憶しておりますが,新しい参集殿を建設する際に,発掘調査が長いことされておりました。この氷川神社の場所は,大宮大地の高台にあり,その高台の中でも鼻を突き出したような位置に御鎮座されているようです。このことから,高鼻町と云う名称が付けられました。縄文原始信仰が未だに残る数少ない重要な聖地(祭祀場)であります。

元々,縄文期には,神社の周辺一帯に大きな沼地があり,度重なる地殻変動で大地が地上に現れ盛り上がった場所ではないかと私は感じています。神社の近くには見沼と云う大きな沼が今でもあります。その大きな沼(見沼)が幾つかに分断されその一つが氷川神社境内にある神池です。その神池の真ん中には宗像大社の神様をお祀りしております。この神池には龍神さんが今でも住んでいて,毎朝,蛇の姿に変身し御本殿へ参拝されています。私も目撃しました。もちろん変身する瞬間を目撃した訳ではなく,朝の参拝を終えた蛇が御本殿の方から神池の宗像大社へ帰って行く様子を目撃したのです。しばらくその様子を観察していると,その蛇の姿に変身した龍神さんは宗像大社の下に身を隠しました。縄文人はもっとリアルに龍神さんの姿を観ていたのかもしれません。

ここ氷川神社は,中央構造線のフォッサマグナの線状に位置しているようで太古の昔から重要な聖地として大地のエネルギーを塞がないようにする目的と大きな沼の御眷属神である龍神さんをお祀りすると云う縄文原始信仰(古神道)の思想からこの場所にお宮を建てたのではないかと思います。神社にお祀りされている御祭神を考えると頷けることでもあります。特にここ最近,神社の気つまり波動が上昇しているように感じることが参拝するたびに肌で感じます。言葉で表現するのは難しいですが,以前よりも神域一帯が清らかになったと云うか空気が澄んでいると云うか心地よさが持続しているようです。きっと,大地からのエネルギーが噴出しているのかもしれません。逆に,大きな地震でもなければ良いなとお祈りしています。しかし,ここに縄文原始信仰の神髄があります。

奈良県の春日大社でも阪神淡路大震災の3日目前に大地のエナルギーが噴出していたと前宮司である葉室頼昭先生が生前の著書で書かれておりました。重要な神事の最中に焚火で燃えている木がピョンピョント跳ね上がっていて,その3日後に大地震が起きたらしいのです。その時,直感であの日の現象は大地のエナルギーが噴出していたんだと感じたらしいです。しかし,あれほどの大地震であったにもかかわらず春日大社の灯篭はひとつも倒壊することはなかったようです。つまり,事前に大地のエネルギーがアースされるようなカタチで地上に噴出してくれた御蔭で春日大社への被害は少なかったようです。万が一,神域を近代の人たちが都市計画などで塞いでいれば,大地のエネルギーが噴出できず,地下でエネルギーが溜まり続けていて一気に噴出していたことを考えると春日大社周辺も甚大な被害を被っていたに違いありません。昔の人は,直感でそれを知っていて絶対に塞いではいけない場所に樹木を植えて禁則の地(鎮守の森)としたのでしょう。そうです!これこそ縄文原始信仰そのものなのです!!

又,氷川神社は天皇家とのかかわりも深く,天皇陛下が毎年初めに執り行う宮中祭祀に「四方拝」と云う重要なお祀りが宮中にて行われておりますが,その四方拝にて天皇陛下が遥拝される神社の1社でもあるのです。ちなみに,四方拝で天皇陛下が遥拝される神社は「伊勢神宮内宮」「外宮」「上賀茂神社」「下鴨神社」「石清水八幡宮」「鹿島神宮」「香取神宮」そして「氷川神社」であります。(伊勢神宮以外,順不同)四方拝に登場するくらいの神社ですから,我が国,日本にとって重要な御役目を担われているのかもしれません。その事実は,明治天皇・昭和天皇・今上天皇の行幸でも見られ,明治天皇は2度,昭和天皇は皇太子時代と合わせて2度,そして,今上天皇におかれましては皇太子時代に1度,天皇に即位されてから皇后陛下と共に1度ご参拝されております。

やはり,この武蔵国一之宮である氷川神社も太古の昔から国津神である大地の神様をお祀りしてきた聖地であったと思います。特に,ここ最近の氷川神社は素晴らしい神気に満たされております。近隣にお越しの際は,参拝されると良いと思います。

上の御写真は,氷川神社境内です。(私が撮影したものではありません)氷川神社さんの公式HPよりお借りいたしました。

武蔵国一之宮 氷川神社 公式ホームページ:http://musashiichinomiya-hikawa.or.jp/


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昭和天皇 終戦の詔勅に秘められた祈り 1

2016年07月23日 07時07分28秒 | 反省の心柱

  

こんにちは。

毎年,この時期になるとお中元のお届けも一段落し,8月のお盆に備えて今年の神様への御酒の銘柄選びや御先祖様への御供物の献立を考え始めます。又,他にも71年前に迎えた終戦を祈念し始める頃でもあります。日本は,世界で唯一,原子爆弾を落とされた被爆国であります。いくら戦争と言っても罪もない人たちを無差別に殺傷する残虐性にただ茫然と祈りを捧げることしか出来ない自分にもこんなので良いのでしょうかと不甲斐無さを感じてしまいます。先の大戦でお亡くなりになった御霊は天国で今の日本をどのようにご覧になっているのでしょうか。サミット後のオバマさんが被爆者と抱擁されている様子を拝見し複雑な思いが致しました。

その複雑な思いとは,こんなにも時間を必要とするものなのかと云う思いでありました。国としての姿勢や大統領としての立場,国益も考えて行かなければならないことはあるのかもしれませんが,そっと,献花と礼拝くらいは70年を待たずに出来たのではないかと思っています。戦後70年ですから原爆を体験された被爆者もどんどん亡くなってしまっています。一度でもいいからアメリカの大統領が祈りを捧げてくれる姿を観たいと感じていた方も多かったのではないでしょうか。それと,もうひとつ,東京大空襲を計画立案したカーチス・ルメイさん対し,日本国政府は戦後,勲章を授与しています。正直言って,返して頂きたい。

戦争は人が人を殺し合うものです。そこには,兵士個人の一切の感情や人間心を持つことは出来ませんし許されないことであります。しかしながら,勲章は必要ないと私は考えます。東京大空襲の当日,東京の下町一帯にB29爆撃機が最初に決行した作戦は,下町全域を囲むように高さ数十メートルの巨大な炎の壁をつくり,住民をその炎の壁の中に封じ込める作戦を実行しました。当然,住民は逃げることなど出来ません。炎の壁の中に封じ込められた住民を次に,B29爆撃機は超低空飛行で接近し機銃掃射で目視できる住民を徹底的に射殺しました。お年寄りであろうと,女性であろうと,子供であろうと関係なしに射殺して行きました。

逃げ遅れた人々は,学校などの丈夫な建物へ避難しましたが,大空襲当日は,千葉県房総半島から入り込む強風の影響で巨大な炎の壁は猛烈な火災旋風と炎の竜巻を発生させありとあらゆる建物を焼き尽くして行きました。そうしたことも事前にカーチス・ルメイさんは本国の実験場で計算しており,下町の建物を破壊するにはどのような作戦が最も効果的で効率的であるかを繰り返し実験していました。その実験の成果は的中しました。計算通りに作戦は実行され作戦成功が本国へ届けられます。大空襲の翌日,日本の大本営はあまりの悲惨さに昭和天皇の現地視察を拒みましたが,昭和天皇は自分の眼で現地の戦場を確認すべきとし,視察を実施されましたが焼き尽くされた人々を軍関係者の手によって大きな穴を掘り,その穴に無雑作に放り込みしたのです。その遺骨が未だに道路工事で重機を使い穴を掘ると発見されています。戦後71年を経過した今でもです。

戦後しばらくした頃だったと思いますが,新聞記者がカーチス・ルメイさんへインタビューした際に,東京大空襲をなぜ計画したのか訊くとカーチス・ルメイさんは「我々は,日本の軍事工場を破壊しただけだ」「日本は女子供でも工場で働いている」「その軍事工場とは下町の民家の中に多数ある」と話していたようです。いずれにしても罪もない人々をたった数時間の間に数十万人と云う大量殺戮を計画立案した元敵国兵に,我が国の政府が勲章を授与するなんてとんでもない話であります。戦争と云うものは,そういうものなのだと言われてしまえば返す言葉もありません。確かにその通りかもしれません。兵士同士が憎み合っている訳でもありませんし,恨みもありません。相手の兵士に待っている家族がいるんだなんて道徳的に考えていたら自分が殺されてしまいます。

過去の歴史に学ぶことは誰であろうと大切な事であると思っています。政治家だけではなく,私たちも含めて先の大戦を後世へと語り続けて行かなくてはなりません。決して忘れることなく,きちんと御伝えできるように私もたくさん勉強して次の世代へと伝える御役ができたらと思っています。今日は本題のテーマと記事の内容が違いますが,明日にまた本題を書きたいと思います。

先の大戦でお亡くなりになられてしまった御霊へ心よりお祈り致します。

合 掌


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いま必要なのは悪魔の力を兼ね備えたデビルマン

2016年07月22日 05時05分20秒 | 素直の心柱

いまの世の中に必要なのは人間の心と悪魔の力を兼ね備えたデビルマンです。

悪魔の力とは何か?それは法律と云う理屈を自由自在に操ることのできる能力を有することです。これは先日の記事でも若干書かせて頂きました「戦争に行かない政治家と送出される兵士たち。」もし宜しければ読んでみてください。法律は数百年前に一部の人たちが多数の人間を支配する目的で作られてものです。ですから,法や法律は使い切るものであって,使われては駄目なのです。理論の破綻した理屈ほど惨めなものはありません。集団的自衛権云々の解釈改憲がこれに相当します

理屈を以て説明することが求められているのに,感情論で説得しようとすると国論を二分することになります。案の定そうなりました。そうなると理屈を自在に操れる側に有利に働いてしまいます。私はこれを仕掛けられた罠と呼んでおります。相手からすると絶好のチャンスです。相手が感情論や道徳で反論する様に仕向けられていることに気が付くべきであります。愚者は経験に学び,賢者は歴史に学ぶを勉強しなくてはなりません。目的と手段を最後まで見失わないことです。手段はいくらでも変更しても良いのです。なぜならば,手段は目的を達成させるためだけに存在するものです。つまり,補佐・補助する役割です。

政府の役割は国論を二分することではありません。国家国民を統治することが役割ですから二分させてはならない訳です。                                   誰もが,平和で,豊かに,そして幸せに暮らしたいその様に願うのは日本国民だけではなく,世界中の人々が共通する想いです。                                               しかしながら,その想いをそれぞれの国の国益を考えたときに違いが生じます。この違いを相手に説明する方法として理屈を使うのです。ですから,理屈に対し感情論では話にならなくなり最終的に紛争をすることになります。過去の歴史はすべてそうです。

いつか機会があれば記事にしたいと思いますが,非常に興味深いと申しますか,私がなるほどと感じた内容がひふみ神示「日月神示」にも書かれておりました。書かれていると云っても私個人の解釈によるものです。その一文の中に悪に対する考え方について記述があります「悪を抱き参らせること」「悪を嫌うそなたの心が悪じゃ」云々と他にも記述がありますが,私は繰り返し読んでいて悪であるかどうかと言うよりもその悪を自分が自在に操ることが出来れば良い訳です。つまり,悪と戦いをする必要がないのです。なぜならば,自分が悪を呑み込んでしまえば良い訳ですし,それには純粋バイオだけでは無理です。

日本人は理屈で戦っても100%負けます。日本人のDNA遺伝子には,そもそも理屈と云うものは組み込まれておりません。                                                                                              例えば,アメリカのハーバード大学のロースクール生と東京大学法学部の生徒で議論すると東京大学の生徒は何も反論できません。ボコボコにされて帰って来ます。なぜか?そんなことは当然なのです。日本人であれば道徳観を基礎基本として理屈を操らなければならないのに,真正面から日本人が最も苦手な理屈だけで議論したって完敗するに決まっています。いくら法律を勉強してもそれ以前の日本人としての誇りを呼び起こさなければ,小学生と大学生がケンカするようなものです。TPP交渉でもハッキリとその違いが認識できたのに,政府は道徳観のみ理屈だけで押し切ろうとしています。それでは勝負になりません。

戦後統治の話になりますが,連合国GHQの総司令官であったダグラス・マッカーサーはこのことをとても良く見抜いていました。それと同時に,日本人は理屈がもの凄く苦手であるから理屈を武器にすれば簡単に統治できると考えていたと思います。その証拠に総司令官ダグラス・マッカーサーは日本人の精神年齢(能力)を小学6年生程度だと言っています。しかし本当の意味は私個人は違うと考えています。マッカーサーが言ったのは,理屈を操れる度合を小学6年生程度だと云ったのではないかと考えています。

それではなぜ日本人は理屈が下手なのか?それは,日本は島国だからです,大陸国とは違い,理屈を以て相手を説得したり,支配したりする必要がなかったのです。つまり,義理や人情の道徳観がなければ小さな島国では皆が共存共栄出来なかったからです。日本は,太古から共存共栄する考えを最も美徳として来た民族です。武士道精神の根底がこれです。いま世界の外国人の間でとても人気があるものが武士道と云う精神性です。もの凄い人気があります。我々日本人ひとり一人にちゃんと組み込まれた道徳観を基礎基本とし理屈と云う力を兼ね備えた人こそが現代においては必要なのです。その精神を宿した民族は世界で日本民族だけです。

理屈だけの国は,相手が自分の言うことを聞かないなら武力もって無理やりに言うことを聞かせるしか方法を持ち合せていません。                                                                                   争いをしないために理屈対しては道徳観を基本とし理屈を以て立ち向かうことが大事ではないかと考えます。戦をせずに勝利することを考えるべきなのです。日本民族であれば必ずできます。話が逸れますが,中国に老子と云う偉い方がおりました。日本人にも好きな人は多いと思いますし,人生の指針などにされている方も多いと思います。その老子さんも戦いについて様々な君主論を残されております。表面的に相手より勝っていても何の価値もありません。そんなことよりも表面は負けていても実質面で目的が達成されている方が何倍も価値があり,国家国民の利益になると説かれております。私もその通りだと考えます。

そんな理屈(法律)なんて一般市民の人たちが詳しく理解できるわけないだろと怒られてしまうかも知れませんが,何も法律の条文に書かれていることを憶えるのではありません。そんなことしても何の役にも立ちません。無駄であるとは書きませんが,役に立たないことは事実です。なぜならば,そんなことは法律の本を読めば書いてあるからです。本に書いてあることをいちいち憶えても何の価値もありません。道徳と云う民族特有の精神性と理屈と云うロジックのバランス感覚が最も重要です。

では,何か言いたいのかと申しますと,自分の頭で考えると云う癖をつけるなのです。なぜ自分は相手と違う意見を以ているんのか?なぜ自分はこのように考えるのかを自分自身で考えるのです。すでに述べた通り,道徳には違いはありません。違いが生じるのは理屈の部分だけです。どこの国の人でも同じです。

相手の話に素直に耳を傾け,素直に自分で考え,素直に自分の主張や意見を述べることです。                                                日本人の根底に流れるものとは何なのか?私はそれを「感謝」「反省」「謙虚」「奉仕」「素直」五つの心柱としています。                                                                         この五柱を総称して宮柱と呼んでいます。そして道徳である心は高天原として,神様からの波動をチャッチするアンテナを千木と呼んでいます。これには正解,不正解と云うことはなく私個人が思っていることです。

今こそ,人間の心と悪魔の力を兼ね備えた心優しきデビルマンがどうしても必要だと思っています。                                               私も日々,精進を重ねて行き,皆さんに遅れないように頑張ります。日本は負けねぇ。


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神様はあまり宗教家には期待していないようです。

2016年07月21日 07時57分56秒 | 謙虚の心柱

私は仕事柄(霊能者や占い人ではありません),ほとんど毎日,生きて行くことが辛くて,苦しく感じながら過ごしている人とお会いします。その仕事を通じ,社会の理不尽や不条理とも言える様な出来事も数々あります。その根本の原因を探すことなど出来る訳もありませんが,同じ日本人でありながら,同じ人間でありながら何故,これほどまでに違うのかと思い知らされることが最近は特に多くなって来ているように実感としてあります。そんなことは,人はそれぞれ違うのだから当然だと言われてしまえばそうなのかもしれません。自分の人生なのだから自己責任で自由に生きて行けば良いのだと考えながら過ごしている人もいると思います。

しかしながら,前にも記事中で少しだけ書かせて戴きましたが「明日は我が身」だと云うことは,特定の人だけではなくすべての人に当てはまる言葉ではないかと私は考えます。健康の問題,金銭(経済)の問題,恋愛の問題などなど上手く行くことが未来永劫継続するなんてことは誰においてもありません。又,よく社会的弱者と云う言葉を政治家の方が使われますが,この社会的弱者と云う言葉の意味は,人は置かれる立場や環境で常に変わると云うことなのです。常に強者であり続けるなんてことはありえません。逆に,常に弱者であり続けることなどもありえません。常に変化します。誰においてもです。

つまり人は「その時」「その状況」「その事柄」において変わると云うことを書かせて頂きます。だからこそ,この国には,お互い様と云う日本人特有の考えや思想が太古の昔からあります。本当は「ありました」と過去形なのかもしれませんが,私は未だ諦めたくはないので「あります」と云う言葉を使いたいと思います。それが,いつも間にか自由主義だから良くなるのも悪くなるのもその人の問題であって,他の人には関係ないと云う風習が出来上がってしまい,ちょっと人生に失敗してしまうと元に戻すことがとても難しい,厳しい社会構造がこの国には出来上がってしまいました。政治家の責任は大きですが,政治家だけのせいでもありません。

又,そのような「その時」「その状況」「その事柄」において弱い立場にある人が最後にすがるところに所謂,宗教家や霊能者,占い師,祈祷師などなど目には観えない世界に救いを求められる人も非常に多い社会であります。私は,この霊能者のした行為を後から処理したり処分したり,闘ったり,時には霊能者の相談に乗ることも仕事柄あります。昨日もあるお寺で住職さんと寺族(家族)と協議して参りましたがそのほとんどがお金の問題です。99%の確率でお金の問題です。本当に困っている人の役に立ちたいと真剣に考え,行動されている宗教家の方もいることは,私も実際に知っております。真面目に修行されている方もいらっしゃいます。

しかしながら,その割合は限りなくゼロに等しいです。近年の霊能者は学習脳力を備えたのか,それとも理屈をどこかで学んだのか知りませんが,悪い意味で手口が巧妙で且つ,次々と新手になって来ています。これから社会が一時,とても不安定になって来ます。そんな時,目には観えない世界に救いを求めて行く方も多くいるのではないかと心配でもあります。そんな時は,どうか自分の人生を今一度,振り返り省みて反省すべきところは反省し,神様と先祖へこれまで生かされたことに感謝申し上げ,苦しく感じてしまう時には,自分よりも苦しい思いをしている人が世の中にはいるんだと云う謙虚な姿勢で自分を冷静に見つめて欲しいです。

生きて行くことが辛く,苦しく,悲しく過ごしている同じ日本人が,この国はたくさん住んで暮らしています。今こそ,真の宗教家の起ち上げるべき時です。何をして良いのか解からないのであれば,せめて自分の神社の氏子崇敬者さん,お寺であれば檀家さんや信徒さんに声を掛けてあげて下さい。必ず苦しんでいる人がその中にいるはずです。神様や仏様に誓ったあの日を思い出してください。狼煙を揚げて下さい。本来の宗教家の使命を己の魂から目覚めさせ,呼び起こしてください。

そして,山を下りた観世音菩薩の後を追ってください。それが出来ないのであれば,宗教家は宗教家を辞めるべき時が今です。


 

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理屈と道徳 天使と悪魔 こちらも最後の決戦

2016年07月19日 04時45分48秒 | 反省の心柱

昨日,観音様の記事で挨拶をするのを忘れてしまいました。昨日の分もいっしょに,こんにちは!                                                 来年は不動明王が復活すると勝手に思っているあさひです。京都の東寺も是非,参拝してみて下さい。あっ!それと大事なことを御伝えせねばなりませぬ。(なっ!なんだ?と思われたおじいちゃん。おばあちゃん。いきますよ!)これからは時間をとにかく意識して行動してみて下さい。これまでの時間間隔ですとデートに遅れてしまったり,会社に遅刻してしまったりしてしまいます。

それはそれとして,今日は,理屈と道徳をテーマに書きたいと思います。又,天使の働きと悪魔の働き少し書ければと思います。                                                      どのような人であっても心で想うことにあまり変わりはありません。しかし,人それぞれが今現在,おかれている環境などを考慮し,頭で自分と他人を比較することで違いが生じ,人それぞれ違う問題や課題が出てきます。この頭で考えた違いを言葉にすると理屈と云うものに化けるのではなでしょうか。人は,だれでも幸せになりたいですし,豊かに暮らしたいと心より想うものです。この感覚と云いますか感情が道徳の持つ神性であると考えます。つまり,不幸になろうと思って生きている人はいないと云うことです。

しかし,誰でも豊かに幸せに暮らしたいと想うのに人と争い,人と比較し,人を羨み,妬み嫉みを繰り返すのでしょうか。そんなことは「自由主義社会なのだから当然じゃないか」「資本主義社会と云うのはそういう社会なんだ」と父上や母上の方々に怒られそうですが,確かに,自由主義社会や資本主義社会では,他人よりもより自由で,より多く,より大きく財を取得した者が優越する社会であります。理屈を用いると説得力があるのかもしれません。しかしながら,本当にそうなのか?他人よりもより自由でより財を得ることで豊かに暮らすことができ,幸せを実感することが出来るのか考え込んでいた時期がありました。

私なりに考え,結論付けたものは,先ほど申し上げたこととは別にありました。つまり,理屈を理屈で解釈した場合,統制社会や計画経済ならば豊かで幸せを実感でき,また享受できるのかと云うとそうでもない気がします。そうなると,自由主義や資本主義が豊かで幸せな人や社会を創り上げるのだと云う考えや理屈は破綻します。それは根本ではないと結論付けました。そんな綺麗ごとなどと言われてしまうかもしれませんが,やはりどこまで考えても理屈ではなくて道徳が必要だと結論付けしたのです。この理屈と道徳の区分けが自分の中で出来るまでは正直,悩みました。理屈と道徳が交り合って頭の中で整理が付かずにおりました。

理屈は相手や自分を説得するために使うものです。道徳は相手や自分に納得してもらうために使われるものです。理屈の特徴は理論ですから説得する時間は短時間で済みます。つまり,相手が自分の理屈に弁論出来なければ,その時点で説得したと云う形式が整います。しかしながら,道徳は相手に納得して頂かないと為りませんので時間がとてもかかるのが特徴であると思います。私の仕事上で知り合う人の中にも絶えず争いを繰り返している方が稀におられます。よくここまで争いができるなと,ある意味感心してしまうのですが,争いをする人には,ある共通点があります。それは「自分は正しい」「自分は正義だ」と考えていることです。

そのように考えますと,他人と自分を比較することをしなければ,きっと,心に余裕が生まれ,道徳観を培うことができ,他人を祝福することが出来る様に思います。争うことだけはせずに暮らして行けたら,それぞれ人に見合った幸福感は得られるように思うのです。争いは本当に無駄な時間とお金を捨てます。私は争いをして裕福になった人を見たことがありません。テレビ電波を受信できない砂嵐のような波動をいつも放出しています。言葉も態度も周りに与える環境はよくありません。ですが,当の本人は気が付いていません。顔は正直と申しますので,顔と眼を見ると良く解ります。理屈と云う悪魔に完全に思考を支配されてしまっています。

今日は,自分自身の心に潜む理屈と云う悪魔の働きと道徳と云う天使の働きを書かせて頂きました。                                                           しかしながら,考えることは人それぞれ違うと言うことは記事の前提にしたいと思います。より豊かに幸せを実感するためには高天原と云う心に宮柱を太如き立て,五つの「感謝」「反省」「謙虚」「奉仕」「素直」の心柱での中のることが生きて行く上で,とても大切であると私はその様に考えます。理屈と云うロジックに騙されてはなりませぬ。

花咲 あさひ 拝


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観世音菩薩と共に。これが本当の理由です。

2016年07月18日 05時30分00秒 | 奉仕の心柱

 

今日18日は観音様の縁日ですね。せっかく,観音様の縁日なので,観音様について記事にしたいと思います。                                      観音様についてと言っても「観音信仰の発祥」についてと云った方が良いかも知れません。観音様における史実などについては,私よりも宗教史などを専門に書かれている方のブログなどを読まれる方が良いと思います。中には素晴らしい解釈を以て御伝えされている御方もおります。私が個人的にお薦めするブログは「今日は何の日?徒然日記」です。もし宜しければご覧ください。

さて,観音様と聞くと寺院などにお祀りされている木像や石像の仏様をイメージされると思います。確かに,私もそうでした。又,観音様は,人々の願いを何でも叶えてくれる尊い存在であると誰でも想像されると思いますが,実は,そうではないのです。                                                                           先ず,何故そのような思想を我々は以ているのでしょうか。それは,平安時代と鎌倉時代の歴史的背景を観察すると理解しやすいと思います。平安時代や鎌倉時代とは一言で云えば「飢餓と疫病の時代」であったと云っても言い過ぎではありません。その飢饉と疫病の時代だからこそ,観世音菩薩が登場したとも言えます。そして,観音様には神様から与えられた唯一の任務がありました。

ここからは私が思い描く宗教観でありますので,話半分で読んで頂ければと思います。つまり,我々の祖先は,飢饉や疫病から逃れさせて貰う為にひたすら観音様にお願いをすることから救世思想が生まれ,その想念が神様を動かしたのではないかと思います。その時に,神様が人間に分かり易い形として見せた姿が観世音菩薩です。そこに,日本仏教の祖でもある比叡山の最澄さんを筆頭に,空海さん,親鸞さん,道元さんに日蓮さんと次々とそうそうたる高僧を誕生させ,迷い苦しんでいる民衆を救いの道へと導くことをさせたのではないでしょうか。神様はそっと陰から弱いものを人を使わし救います。その神様は,祓いの神様でもあります。

昨日も記事にさせて頂いたひふみ神示「日月神示」には,祓いの神様の御祭神名が書かれていることなので,ここに書いても良いと思いますので書かせて頂きます。その祓いの神様とは素戔嗚大神さまで御座います。素戔嗚大神さまでなければ大祓は出来ません。日々の私たちの罪穢れを陰からそっと祓って頂き,すべての罪穢れを一神に背負われているのが大祓の素戔嗚大神さまです。日本神話では,乱暴者の荒くれ者としての神様として描写されていますが事実は全く違うと私個人では考えています。事実,ひふみ神示「日月神示」にもそのように書かれております。過去の歴史や真実を良く観察すると実は真逆のことが多いようです。

神様の世界つまり,神界で起きたことは私たちの暮らす現実界でも転写されることもあるようです。ひとりの人に全ての責任を押し付けて,そのひとりが全責任を負うことは現実社会でもいくらでもある事です。過去の歴史を観てもそのような出来事はあります。本当は悪くないのに,悪いと思われたり,悪いと決めつけられたりなどよく耳にすることもあります。誤解されるなんて言うのもその内のひとつかもしれません。しかし素戔嗚大神さまには太刀打ち出来ません。その辺りはまた別の機会で記事にさせて頂きたいと思います。日本神話とひふみ神示を合わせて読んで頂けると理解が深まると思います。神界のスーパーヒーローは素戔嗚大神です。

観音様は自ら地獄へ飛び込んで行き,苦しんでいる人や困っている人を救済することを唯一の任務としています。この苦しみを救う救世思想が日本仏教の布教活動と相まって,だんだんと平安時代頃から貴族が中心となって何でも願いを叶えてくれる祈願「物質信仰」へと変わって行き,やがて庶民へと浸透して行くようになり,その観音信仰は,現代でも継承され例えば,西国観音霊場などに観られるように沢山の人の信仰を得ています。しかしながら,本来の観音信仰とは自分の願望や欲望を叶えて貰う為に発祥したのではありません。観音様には神様から与えられた任務がある訳です。その任務とは困った人を救うこと。これに尽きます。

したがいまして,観音様は,決して手の届かない高いところから声援するだけではありません。より能動的で,実践的で,実に慈悲深いのが観世音菩薩の正真正銘の実像です。観音様に祈りを捧げるとは,自分の身を観世音菩薩に捧げ,観世音菩薩と共に苦しんでいる人,困っている人を助ける救世の道を歩むことを誓うことになるのです。つまり,自分が観世音菩薩に随伴すると云うことです。ですから,観音様をお祀りすると云う真の意味は,自分自身も観世音菩薩と共にいると云う証です。その勇気と覚悟をもった尊い行為に,神様が力添えして下さるのではないかと私は確信しております。

困っている人を観音様と共に助け,協力し,時には大袈裟な言い方かもしれませんが救済する。そんな尊い存在が観世音菩薩であります。その容姿は,形振り構わず,ただひたすらに苦しんでいる,困っている民衆を何としてでも救いあげると云う強い意志と誇りにあると思います。今日は,観世音菩薩が裸足で飛び出して行った理由も若干,書かせて頂くことが出来ました。

ありがとうございました。合 掌

上の写真は,私の平安時代からの親友の太ちゃんです。あっ!失礼しました。女人高野 室生寺の十一面観世音菩薩(国宝)です。                                                                          以前,仙台博物館で東日本大震災復興祈念特別展 奈良国宝室生寺の仏たちに展示された御写真です。撮影は三好和義氏であります。                                                             

女人高野 室生寺 公式サイト:http://www.murouji.or.jp/ 室生寺さんは太古の昔,太陽信仰の重要な祭祀場でありました。

私のブログでも以前,ご紹介させて頂きました。女人高野 室生寺と十一面観世音菩薩もし宜しければお読みください。                                                                                          又,本来,私はどこの神社や寺院でも御社殿や本堂を撮影することが出来ません。もちろん仏像も同じですが,今回は掲載させて頂くことが出来ました。感謝致します。

拝 礼


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


日月神示は現代の科学神書なのかな?2

2016年07月17日 05時16分01秒 | あさひの科学神書

今日は,前回の続きから記事にしたいと思います。                                     下記の黒文字は,前回の記事にした最後の段落の一箇所です。                                    あっ!御挨拶が遅れました,デンデン坊やの神様をお祀りするあさひです。                                         

又,「富士に木之花咲耶姫之神様をお祀りしてくれよ」別に「木の神様は木之花咲耶姫之神様のことであるぞ」と云う言葉も出てきます。                                 通常,言葉,文字だけでは富士山の麓にある浅間大社の御祭神を連想する方もおられるとと思います。女性にとても人気のある神様でいらっしゃいますね。私は富士=心としたので,木之花咲耶姫之神様は木の神様でおられることから=木柱と解釈しました。この解釈が,ブログ趣旨の一部である心柱です。

前回の記事はこちら「日月神示は現代の科学神書なのかな?Ⅰです。                                                            

日月神示は,今もたくさんの方に読まれ続けていることが麻賀多神社へ参拝されると分かると思いますが,いつも沢山の人で賑っております。本当に感心させられます。

前回,記事にさせて頂いたひふみ神示「原文は日月神示」ですが,今日も前回の続きをひふみ神示に書かれている内容を引用させて頂いて書きたいと思います。私が繰り返し読んで解釈した富士=心。木の神様「木之花咲耶姫之神様」=柱とし,この2つの言葉,文字を繋げて心柱としたことは上記の黒文字にもある通りで,つまり,自分自身の心に柱を立てることが何よりも重要であると解釈した訳です。実生活の場で,実践するからこそ意味を為してくるものだと考えていますが,中々,ひふみ神示の内容とおりに生活をするとなると現代人にとっては至難かも知れません。まず食べ物や生活態度を改めることからはじめねばなりません。

さらに,私たちがこれまで抱いてきた世間一般で云われている宗教上の概念も観念も打ち破る内容でもあります。                                例えば「神のことを神社の神官に聞けば分かると言うのは根本的な大間違いぞ」であったり「教えの宗教は滅びる。人は道を歩むのじゃ」であったりと日頃,私たちが当然であると云う考えは固定観念で極めて局所的と云いうか一面だけを捉えていると書かれています。そのひとつが「教え」と云われているものであると私は考えています。このブログの趣旨のひとつでもあります。決して,教えそのものがダメだと書いてあるのではなく,教えの宗教の時代は終わりと云うことであると思います。

つまり,ひとつの文明(教えの宗教)が終焉したと解釈すると私としては肝に落ちます。お釈迦様も宗教を必要としない時代がくると予言されていますし,末法思想と云うものを聞いたことがあるかもしれません。鎌倉時代がそうであったと言われる方も居りますが,私は現代であると考えております。そうなると一番困るのは,昨日の記事「いよいよ始動か?宗教法人課税議論 1」でも少し書きましたが教えを施していた人たちと云うことに結びつくのではないでしょうか。一つひとつの事柄は一見すると別々の事のようにも見えますが,実はすべて繋がっています。分離独立しているものは,私たちの思考の範囲内でしかないようです。

又,素直についてもとても多く各巻に書かれております。ひふみ神示を解釈する上で,とても大切なキーワードのようです。私はこの「素直」と云う言葉を少し長いですが,次のように据えました。それは,素直であると云うことは人の話を素直に聞き,素直に自分自身で考え,素直に自分の考えや意見を述べることです。つまり,他人と比較せず,他人の意見を尊重することになります。素直と言われると何か,人の言いなりになるとか,人に従うとか,そう言った考えではなく,素直に聞くこと,考えること,述べることの三つです。私をはじめ,どうしても他人と比較してしまったり,自分の意見は正しいと考えてしまいがちです。

ですが,素直にと云う言葉=言霊の奥には,とても厳しさと強さを要求されているように感じます。自分の意見は間違っていない,自分の考えは正しいと云う前提がどうしても私にもあります。そのことで,相手に損をさせてしまったり,自分がかえって損をしたりと云う経験はあると思います。私の拙い経験則で恐縮ですが,物事の解釈が素直な人は,周りの人にも良い環境を与え,自分も良い環境の下で生活できることに繋がると思います。ただし,素直になる事の難しさは,誰においても同じであります。

突然ですが,上の画像をご覧ください。デンデン坊やです。素直な御顔をされています。余談ですが,私はこのデンデン坊やの元は京都の賀茂別雷神社(通称:上賀茂神社)の御祭神がモデルとなったのではないかと考えています。私の神棚にもお祀りさせて頂いております。昨年,第42回式年遷宮「正遷宮」翌日の「奉幣祭」を斎行されて益々神気が増しているように思います。私も参列させて頂き,一千年前から継承される日本古来の祀事に参列できることは真に歓喜深い思いを経験させて頂いたことに感謝致します。

今日は「教え」と「素直」について,ひふみ神示から得た内容を私個人で解釈させて頂いたことを書かせて頂きました。                                    ありがとうございました。

御写真は1千年続く上賀茂神社 第42回式年遷宮「奉幣祭です。天皇陛下からの祝品が納められている唐櫃を運ぶご様子です。京都新聞社より 

 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


いよいよ始動か?宗教法人課税議論 1

2016年07月16日 04時46分34秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

  

豊葦原瑞穂国新聞 独占取材

連載 宗教法人課税議論 シリーズ1 2○○○年○月○日付け いよいよ始まる。

日本国政府は予てから,宗教法人への課税を思案していた。しかしながら,我が国の宗教上の歴史,憲法の政教分離の原則と我が国の伝統から生ずる文化・芸能を末永く後世へ伝える道義的役割(義務)を担うことから思うように政府は推し進めることが出来ていない。又,宗教法人へ公益法人と云うあいまいな法的資格を法律により付与したことも阻害要因となっているようだ。

したがって,このままでは宗教法人への課税は達成できる見込みはない。そこで,○○総理大臣は,関係省庁の大臣,閣僚に何か良い政策を立案するように指示を出した。そして,一人の大臣,ひとりの官僚が総理秘書官を通じ,1つの政策案を提示した。

そして,その内容は極めて現実的な内容が記されていた。その一人の大臣,ひとりの官僚が提出した極秘政策案とは,いったいどう言った内容のものなのか。引き続き取材を続ける。

取材記者 花咲 あさひ


太陽は明るく暖かいとずっと思い込んでいたあさひです。

上の記事は,私個人的にと云うか勝手に仮想して記載したものです。                                                    実際にある事柄ではありません。但し,今はと云う言葉を付け加えさせて頂きます。きっと,政府もお役人も宗教法人への課税議論をスタートさせたいと考えていると思います。政策関係者のみなで共有しているかどうかは別ですが,少なくとも国の政策に関与している人であれば,その不合理性は実感していることだと思います。しかし,出来ない。実現しない。政治家は,選挙によって選ばれるからこそ政治家としての仕事が出来るわけです。つまり,正当な選挙によって選ばれた国民の代表者と云うことですね。これは,民主主義の大前提ですし,憲法が要請する適正手続きでもあります。そのプロセスを経て選ばれた良心的な政治家や志を高くして入省した官僚は,もうこれ以上,国民へ増税はお願い出来ない。こんなことをいつまでも繰り返ししていたら,本当に国民の生活は破綻してしまうと想っている政治家やお役人もいると思います。そのように私も思いますし,政治家やお役人へ期待している側面もあります又,いつまでも,高い志であってほしいものです。そのために給与の心配はせずに仕事が出来るのですから。

しかし,政治家は選挙で多くの票を勝ち取らなければ,何もならないのも現実としてあります。お役人も自分が所属する省庁の範囲内でしか,実力を発揮するしかない。他の省庁の管轄する政策には関与できません。どんなに良い政策を立案出来ようが縦割り省庁の範囲では無理な話であります。だからこそ,国民ひとり一人の声や意見がとても大切で,その関与できないお役人の考えを実現出来る可能性を秘めているのではないでしょうか。そして,後押しできることもあるのかもしれません。高い志を抱いて,例えば外務省へ入省出来たとしても経済産業省の管轄する政策には関与できません。他の省庁もしかりです。そのジレンマを抱えながら,日々,奉職の任務を遂行することは大変なことだと思います。この話も高い志のあるお役人であることが前提です。

記事を本題へと戻しますが,皆様も御存知のとおり,宗教法人は私たちが納税するような税はありません。例えば,宗教法人名義による固定資産などはその典型ではないでしょうか。あれだけの境内地に固定資産税を付帯させると莫大な税金が発生してしまい,宗教法人が破綻してしまうことに繋がります。但し,一部の収益事業などは別ですし,神職さんや住職さんの所得税も別です。つまり,課税対象です。でもなぜ?宗教法人と云う法人格には,不課税なのでしょうか。(この不課税と云う表現は,国税庁が宗教法人へ適用する際に使われれています)私たちが神社や寺院に寄附するお金に税金はかかりません。ですが,家族間で贈与の事実があると一定の範囲を超えた部分から納税の義務を課せられます。つまり,税金がかかります。この違いとはなんでしょうか?いろいろとこの辺りのことを研究すると実に面白いと思います。私もいろいろと仕事と勉強を通じ,多面的に研究してみましたが,公益法人だから特別であるとか,神社や寺院は公益のものであるとから云う理屈はもはや通用しない時代になっていると思います。そうではなくて,とても大きな,根本的な別の問題点が存在していました。また機会があれば,あさひのプチ預言で記事にしたいと思います。

国民に理解されやすく,受け入れ易く,且つ,宗教法人にもこれなら仕方がないと諦めてもらえる方法がひとつだけあります。                                                                                    平成の廃仏毀釈などと言われない為にも事前に根回しは当然必要だと思いますが,これから宗教法人を取り巻く環境は過去に経験したことなのない激動期に突入して行くことになります。私の実感では,それは既にもう始まっているように感じております。今後,私たちはこれまで経験したことのない極端な人口減少を体験します。それは従来の宗教法人にとっては何を意味することなのでしょうか。又,人口の減少と宗教法人の運営に支障や影響が出て来るのでしょうか。真剣に宗教家は考えるべきであります。

これまでのような宗教法人の形態をいつまでも維持しようと考えるのは到底,無理な事ですし,すでに,寺院では檀家の離檀,家族葬に観る葬儀の簡略化などがひとつの現象として表面化しているのです。又,数千年の歴史と伝統を有する京都などの神社においても氏子崇敬者の減少に端を発し,これまで続けてきた日本古来の伝統的な御祭りを中止する動きもマスメディアなどでも報道され深刻な状況であります。あの下鴨神社でさえ式年遷宮の資金の調達が今後,難しいことから境内の一隅に定期借地権を活用してマンション建設を許可したことから近隣住民とトラブルになり,さらに神社と近隣住民との間で訴訟の申立てがされております。とうとう神社が訴訟するようになってしまいました。その原因はなんなのかを是非とも,氏子並びに崇敬者の皆さんには考えて頂きたいと思います。下鴨神社でもきっと,苦肉の策を持ち要らなければ,式年遷宮と云う国家規模の御祭りが斎行出来ないくらいまで状況は深刻であると言うことなのです。近隣住民の方々には,是非とも訴訟の申立てを取り下げて頂きたいと思います。

人々のたび重なる乱獲により,自然環境は破壊され,資源はどんどん枯渇して行くことでしょう。                                      そうなれば,さらに需要と供給のバランスは崩れ,原材料は更なる高騰を見せると思います。その影響により神社仏閣の建設資材も高騰します。そのとこを事前に察知された伊勢神宮では神宮200年プロジェクトを立ち上げ,神宮森林地域に植樹をしています。私の知る限り,京都の上賀茂神社でも同じようにヒノキの里親を広く募集しています。こういった小さな地道な活動が,自然と共に共生する考えの日本古来から存在する信仰の根本的な考え方なのです。寄附を募れば集まる時代はすでに終わっております。その答えのひとつに東日本大震災で被災されてしまった神社やお寺が示してくれています。

それには,故きを温ねて新しき知ることからのようです。

豊葦原瑞穂国新聞で連載が決めりましたので,遠慮せずにどんどん書いて行きたいと思います。但し,如何なる宗教法人を誹謗したり,抽象したりすることが目的ではありません。いま宗教法人が抱える矛盾点とこれからの宗教法人や宗教家の在り方を様々な面から考察して,よりよい護持活動にお役にたてればと考えております。宗教法人の課税議論を後押しするものではありません。

ご紹介                                                                                伊勢神宮 神宮森林経営計画 通称:伊勢神宮200年プロジェクト http://www.isejingu.or.jp/sengu/forest.html


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


あなたが神社に参拝する日 神社は大忙しです。

2016年07月15日 04時49分41秒 | 感謝の心柱

 

まずは,上の写真をご覧ください。先日も記事にさせて頂いた霊峰白山をお祀りする平泉寺白山神社に2躰の精霊が現れました。                                                                                       明らかに男女ですね。女の子の方は,どこかカバに似ているようにも観えます。ハートの絵柄のスカートも少し短いようですね。                                                                                    となりの男の子は牙が少し出ていて,水色の半ズボンはちょっと下げた方が良いかな。見えそうです。

先日の記事「平泉寺白山神社 霊峰白山の隠れた秘境」宜しければご覧ください。この白山平泉寺は秘境ですよ。本当に。                                                                               

そしてなんと今日は,この2躰の精霊からの波動(音霊)をキャッチ(受信)し言葉に変換することに成功しましたので,その内容を記事にしてみたいと思います。皆さまも神社やお寺で掃除をされている様子を見かけたことがあると思います。でも,どうして掃除しているかは考えたことがないとも思います。私もそこまで考えたことはありません。掃除は毎日するもので日課ですから。まして,神様の神域は常に清潔に保つことは当然であると誰もが考えると思います。しかしながら,その他にも別の理由が存在していたのです。私もそんな理由が掃除にはあったのかと感心致しました。ちなみに,この2躰の精霊には,すでに名前が付いているようで男の子は「チャマゴン」女の子は「チャマリン」と云うらしいです。 

実は,私たちが神社へ参拝する早朝,神社ではこんな出来事が起きているのです。                                  それではひとつ小話風にご紹介させて頂きます。

精霊 チャマリン:                                                                                 今日は,あなたが太神さまに会われるので,私たちは大忙しなのれす。朝から総出で掃除をしています。                                          今日の朝礼で,眷属さんからあなたが来るって聞いたから皆で掃除をしているのれすよ。神社で働く神職さんたちにも手伝ったもらってるけど,塵ひとつ残すこと許さんと言われているから大変なのれす。眷属さん恐いし。すぐ怒るし。

精霊 チャマゴン:                                                                            そうだよ!そうだよ!眷属さんすぐに怒るんだよな!言い訳するなとかさ。怠けるなとかさ!                                    眷属さんだって,木の上とかで座っているだけなのにさ。僕なりに一生懸命やっているんだけどさ。休む暇もありゃしないよ。                                                                               今日も眷属さんが観ていらっしゃるし,さぼる訳にもいかないしね。ボーナス出なくなっちゃうしな。でも,きちんとお掃除が出来たらご褒美に今日は直会(なおらい)だってさ!また伊勢の太御神様の下へお参りに連れて行ってもらえるかもしれないしさ。

精霊 チャマリン:                                                                                   昨日の夜に,あなたが明日は,久しぶりに平泉寺白山神社に参拝しようと言う思いの波動が太神さまに届いたのれすよ。                                     そうしたらもう太神さまは大喜びで,喜んで,喜んで凄かったのれす。だからあなたも昨日の夜,寝るとき楽しみで仕方がなかったでしょう。そりゃそうなのれすよ,太神さまの歓喜の波動が届いてるんだから。楽しいに決まってます。

精霊 チャマゴン:                                                                                                      そうだよ。この間なんてさ,あなたが泣いているから太神さまも心配で心配で,僕に「ちょっと,そなた行って見て御座れ」って言うからあなたの部屋にどうして泣いているか見に行ったんだ。知らないの?太神さまは,なんでもあなたのことを知っているから泣いている理由もすべてわかっているけど,僕たちには悲しみの波動しか伝わらないんだ。ほら,まだ牙がそんなに大きくないだろう。眷属さんと比べると全然ちがうの分かるでしょう。もう少し修行が進めば大きくなるんだ。

精霊 チャマリン:                                                                              あなたが生まれて来てくれてから,ずっと,ずっとそうなのれす。あなたが,子供の時も学校の行きも帰りもちゃんと学校に行けるように,交通安全で家に帰れるようにって太神さまが眷属さんへ御守護の命令をするのれす。だからちゃんと家に帰れてたでしょう。最近,人間界では車や自転車が危ないれすからね。あなたが大きくなって,仕事が決まった時なんて凄かったのれすよ。                                                                           太神さまが眷属さんや私たちのみんなを集めて,ここの境内で大宴会をしたのれす。わたしなんてお酒を飲み過ぎてベロベロになってしまいました。だからまだ少し,ホッペタが赤いのれす。

精霊 チャマリン,チャマゴン:                                                               あっ!眷属さんだ!それじゃね。バイバイ・・・。怒られちゃう~・・・。

眷属さん:                                                                                             みなの者。整列じゃ。もうそろそろ御子様が参られる頃じゃ。参道に一列に並び御子様をお迎えじゃ。                                                     御子様が参道をお進みなされている間は,太鼓を叩け。笛を吹かれよ。祝詞を捧げよ。よいか!

精霊 チャマリン,チャマゴン                                                                           はっ!はい! みなの者って,二人しかいないんだけどな~・・・? あっ!眷属さま。御子様ご到着です!

眷属さま:                                                                               うむ。そのようじゃな。立派になられた御様子。先に太神さまにご報告申し上げて参る。                                               申し上げます!ただいま御子様,御到着され,参道を進んでおられまする。

白山ひめ太神:                                                                                    そうか。参ったか。

 参拝するあなた:今日も綺麗な参道だな・・・。天気も良いし,清々しくて気持ちが良いな・・・。

精霊 チャマリン:                                                                    そりゃそうだよ。わたしたち二人で一生懸命,掃除したのれすから。ねっ!チャマゴン。

精霊 チャマゴン:                                                                               そうだよね~・・・。

 参拝するあなた:パン!パン!神様いつもありがとうございます。これからも一生懸命頑張ります。

白山ひめ太神:                                                                         よう参ってくれました。待っていましたよ。大きくなりましたね。そして,立派になりました。(涙)                                                      生まれた時分は,少し心配であったが,すくすくと育ち。人にも優しく,たくましく育ちましたね。善きかな,善きかな。                                                                                       もう少し近くで顔をよく見せておくれ。可愛い御子よ。愛しい御子よ。これからも父様,母様のことお願いしますよ。                                           大きく育ててくれた御恩を決して忘れてはなりませんよ。大切に。大切に。神の御子よ・・・。こんなに立派になられて。

精霊 チャマゴン:                                                              あっ! 太神さま,嬉し泣きしてる。ほら。

精霊 チャマリン:                                                                           ほんとうだ! 嬉し泣きしてる・・・。よっぽど太神さま嬉しいのれすね。

精霊 チャマゴン:                                                                                池の鯉なんて嬉しくて,御子ジャンプしてるし! ぼくもなんだか涙が出てきちゃうよ。

眷属さん:                                                                           太神さまも御子様に逢われて嬉しいのであろう。最近,御子様も仕事やら何られで来られることが少なかったからのう。

 参拝するあなた:なんだろう・・・? 今日は,自然に涙が出ちゃうな。

白山ひめ太神:                                                                           さぁ,もう下がりなさい。そして,また訪ねて来なさい。                                                                                                     心に宮柱太しき立て,五つの心柱に千木高しりて。己を信じ,神の御子であることに誇りを以て,自信を以て種をまきなさい。                                                                     そなたが蒔く種です。きっと大きく生るでしょう。さぁ,早く帰らねば雪が降ります。今日は,少しばかり多く降らせると祓戸大神から言の葉が届きました。

 参拝するあなた:それじゃ帰ります。また参拝しに来ます。今日は,いつもと違う感じだったな~。。。

白山ひめ太神:                                                                  御子よ。愛しい御子・・・・(涙)振り返ってはならぬ!(涙)真っ直ぐ,父様,母様の下へ帰るのですよ。                                                                  御眷属。御子を無事に家まで御守護するように。道中の雪が心配です。

眷属さん:                                                                            心得ました。しかと御守護致します。

精霊 チャマゴン:                                                                ぼくは,明日お休みだよ。この間の七夕に休日出勤したからさ。だから隣町の永平寺と大和の玉置神社に遊びに行くんだ~。

精霊 チャマリン:                                                                えっ!ほんと!いいな~・・・。私も行きたいな。明日はどこの御子様かな?・・・。ひとりぽっちでお掃除か。。。

 おしまい。玉置神社へ遊びに行ったチャマゴンはどうしたのでしょうね。あの山の奥の奥ですから少し心配です。

冒頭で申し上げた,別の理由とは,あなたが参拝に来られるため,毎朝,清掃をして下さっていたようです。


信じるか,信じないかは皆さま次第です。                                                                            神社へ御参拝の折には,神様へ感謝を捧げてみて下さい。必ずやその想いは届きますよ。                                                                そして,神社を守護してくださっている御眷属様にも精霊さんにも感謝を捧げると喜んで頂けると思います。                                    その喜びの波動が,現実的に暮らす私たちへ別の形として出現していると私は考えております。時と場所と事柄を変えて伝わってくるから私たちはなかなか理解できないのでいるかもしれませんが,省みたときに全て判るように思います。

神様,祖先の加護を得ていたことが判るとも思うのです。

上の写真は,福井県勝山市白山平泉寺さんからお借りしたもので,私が撮影したものではありません。                                              平泉寺白山神社 http://heisenji.jp/ とても素晴らしい神社です。是非,一度は参る聖地だと思います。

 

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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて                                                                            感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設33日目 記事数第41記 感謝の心柱 編 


残された道は ただひとつ。相互扶助への道。

2016年07月14日 00時00分00秒 | 奉仕の心柱

地球は丸いと思っていた花咲です。(おっ!今日は地球のはなしか?と思われた父上様,母上様,ぜんぜん違います)

最近は,あの世での仕事の御役について考えることが多いです。先日も記事にさせて頂きましたが,私は「あの世」にも仕事があって,あの世に帰ると誰でも仕事をすることになるのだと思っています。その仕事の御役は「相互扶助」と「奉仕」に基づくもので,この世での行いや「経験」に従って決まるものではないかと思います。ここで,経験と書きましたが,この「経験」がもの凄く重要な判断基準とするようです。よく失敗も財産だとか失敗も経験の内。などと励ましの言葉として耳にしますが,実はこの励ましの言葉は真理ではないかと思うのです。この世では「真理」あの世では「審理」と云う意味で使われているかもしれません。つまり,本人の「経験」を基準に「審理」されるのです。閻魔さまにです。だたし,この世で成功した「経験」だとか失敗した「経験」とかではなく,純粋に経験です。そしてその「経験から自分は何を学んで来たのか?その経験から人のために何を奉仕できて来たかの?が最も重要だと考えています。

私は,あの世で,保護司さんに成りたいと心の片隅でひっそりと思っています。もちろん,この世でも臨終を迎える寸前まで保護司としての御役が出来たら最高だろうなと想いに耽っています。しかし,保護司になるには様々な面で環境を得なければ現制度下では無理です。保護司さんは無償で奉仕する特別国家公務員です。国家公務員に特別が付くのですからすごいですね。特に,少年・少女の保護司さんを希望します。また機会があれば,保護司さんと云う仕事のことを記事にしたいと思います。

仕事柄,本当にいろいろな業種,職種の方々と出会い,毎日勉強をさせて頂いております。先日の記事「三菱財閥創始者が愛した禅寺 大本山永平寺」でも少し書きましたが,私が生まれる前に,名付け親の禅師さまが,生まれて来る私の守り本尊として聖観世音菩薩を父親に授けて下さいました。その聖観世音菩薩のことをいろいろと調べて勉強すると観音様には主に六種類の観音様がいらして,その内,聖観世音菩薩は地獄で御魂を救う御役をされているようです。つまり,あの世で地獄にいる御魂の保護司の御役をされていると勉強した結果わかりました。なんてことか!偶然にも偶然で,仕事まで縁があるとは思ってもいませんでした。

人としてもっといろんなことを学び,経験して人々に奉納して活きたいです。司法試験を勉強しているとき,司法試験の専門予備校の先生が,こんな話をしておりました。例えば,弁護士になって自分は何をしたいのですか?どうせいつかは死ぬんだから,なんで弁護士みたいな仕事に就きたいのですか?たくさん好きなことをやって,たくさんお金儲けして行けば良いのに,どうして弁護士になりたいのですか?と聞きかれたら,あなたはその相手にどのような回答を用意しますか?と云う話でした。私は今の弁護士は弁護士の本分をどこかに忘れて来ていると本気で思っておりますが,予備校の先生の話にも確かにそうだなと思えることもあります。その弁護士業界もとうとう終焉を迎えます。宗教法人も同じです。

そして,新たな時代がやって来ます。これまでの様な紛争や訴訟を仕掛け,裁判で勝った,負けたの時代はようやく終わりを告げます。神社やお寺で自分の願望や欲望を満たすだけの祈祷もいよいよ終わりです。終わり方に容赦はないようです。私のブログの左サイドに「あさひのプチ預言」に弁護士と医者について記載があります。これまでの様に「人の不幸を飯の種にしている職種」は,どの分野であろうと消滅します。その現象の中で,進化出来た者だけが生き残ります。これからの数年間は,とても厳しく,激しい時代になるでしょう。互いに支え合い,励まし合うことが如何に大切なことであるかを思い知ることになるとのかもしれません。その時は,決して慌てず,いつもの様に淡々と執務をこなしていたいと思います。

しかしながら,その厳しく,激しい事象の中で,今を生きる我々が何を学ぶかにかかっているようです。人類覚醒総試験です。学問の様な甘い試験ではなく,命をかけた魂の試験です。その先駆けは日本からで,もうすでに実施されています。このブログを読んで下さっている人も何かの縁です。これまで記事にしてきた観音様との縁ではないですが,縁と云うのは本当に不可思議ですね。

今後も神様の人類覚醒計画は着々と進み,これでもかと云うくらい試されると思います。自分一人では決して生きて行くことは出来ません。そのことは誰しもが判っているのに,自分を軸に,中心に物事の善悪を無意識のうちに決めています。自分を軸に,中心に判断すればするほど,これからは自分の計画は崩れ,さらに悪循環に陥って行く世になっています。それを気付ける人と気付けない人とで別れ,気付いた人から歩みだすことになります。もう既に,時間の短縮現象に気が付いている人もいれば,最近なんか時間が経つのが速くなった様な気がするくらいの人もいます。同じ人でありながら,感じることが全然違う。それは何故なのでしょうか。

いつものように話が逸れますが,今年は,政治家や芸能人の不祥事が多い年ですね。その中でも,薬物使用による刑事事件もありました。有名な野球選手の逮捕は,その世代の人へのメッセージが込められているかのようでした。しかし,あの事件を振り返ると,きっと,本人が現役の時,同じように有名人で薬物に手を出しテレビのニュースになった人がいたと思います。その人を見て「こいつはこれで終わりだな」「バカな奴だな」などと考えていたことでしょう。

ですが,すべての人が,明日は我が身と心得ることが大切だと感じました。テレビで,一昔前,霊能者として華々しく登場した方が,あの野球選手のことを次のようにコメントしておりました「もうこの人には未来はない」そのコメントを聴いた私は,きっと,本人も現役時代に明日は我が身と云うことを感じていれば,このような事にはならなかったのではないかと思います。                                                                    又,そのコメントをした霊能者にも明日は我が身と考えられる様になって頂きたいと感じます。

神様は,どんなことがあっても,決して見捨てたりはしません。私たちが,神様から自ら遠ざかるだけです。


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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて                                                                            感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設32日目 記事数第40記 奉仕の心柱 編