花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

祖霊大感謝祭を終えて思うこと。 再掲載

2018年08月19日 12時54分32秒 | 謙虚の心柱

上の写真は,天河大弁財天社へ向かう途中の天ノ川で撮影させて頂きました。

以下の記事は,2年前の8月16日に掲載した過去記事です。

こんにちは。昨日8月15日は,71回目の終戦祈念日を無事に迎えることができ,そして今日,16日は私たちの御先祖様もあの世に帰還されます。私たちは日々,御先祖様に見守られながら生活が出来ております。本当に有難いことでです。今年の祖霊大感謝祭の思い出は奈良県吉野郡天川村に御鎮座されます天河大弁財天社「通称:天河神社」で,旧暦七夕神事が斎行され,祖霊御魂の献灯供養をが出来たことでした。神社で先祖の御霊を供養できる神社は現在ほとんどありません。

しかし,本来,先祖の御霊の鎮魂や供養は太古の昔「縄文時代」から続けられてきたものです。したがいまして,お寺はもちろんのこと神社であっても祖霊祭祀をすることが本来の本当の姿だと思います。

私自身が自然そのものを神様だとする縄文信仰ですから,そのように深く感じるのかもしれません。現在の神道は,神社神道です。

奈良県の春日大社では祖霊崇拝を積極的に取り入れている神社でもあります。参拝にすれば誰でも申し込むことが出来ます。これは本当に素晴らしいことではないでしょうか。山や川,海や鎮守の森を御神体とする他の古神道系の神社でも是非とも祖霊崇拝を申し込めるようにして頂きたいと思います。これから古神道系の神社は参拝者が増えて行くと思っています。たとえば,三輪山を御神体とする大神神社や霊峰白山を御神体とする白山神社,玉置山の玉置神社,宇宙との繋がる天河大弁財天社もそうです。ただ,神社の神職さんも元々,先祖供養は神道の役割であったことを知る方は少ないようです。又,先祖供養はお寺がするものであると云う固定概念が定着しているのかもしれません。

若い人は特に日本の素晴らしい伝統と文化をたくさん学び,世界の人々にもその素晴らしい伝統と文化を語って頂きたいのです。なぜならば,外国人が日本の素晴らしい伝統と文化を知りたいと思っていても日本人自身が日本の文化や伝統さらには歴史をあまり知らないと言われています。これでは少し寂しいと思います。世界最古の文明をもった日本でもあり,世界最古の王朝をもった国でもありるのです。このような国は世界で日本だけであります。そして,世界の人々からも称賛される勤勉で努力家,思いやりと優しさを兼ね備えた日本人が各分野でも世界で活躍する日が,これまで以上に来る日々が近づいて来ていると感じています。私も皆様方に遅れないように日々謙虚に励んで参ります。

今年も無事に7日間,祖霊大感謝祭を終えることができ明日,一之宮と氏神様へ御報告し全てが終了いたします。

有難う御座いました。花咲 あさひ 拝

  

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

これからも,世界への発信ボタン3つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


心界「神界」の八咫鏡をピカピカにしましょう。再掲載です。

2018年07月02日 20時28分01秒 | 謙虚の心柱

こんにちは。

今日も過去記事の中から再掲載させて頂きます。

今日の再掲載は2018年5月6日の記事ですが,5月に掲載した記事には災害注意の文字が目立っていました。

こんにちは。

今日は,氏神さまへ参拝させて戴いてから,昼からの会議まで時間もあるので宮大工の営業にでも行こうかと寺院さん数件を巡回して来る予定です。どこの寺院さんも立派な本堂にお堂が建ち並び境内も綺麗に掃除がされていることだと思います。神社や寺院の掃除や清掃は,宗門宗派を問わず祭祀をする上で基礎基本とするのが現在の考え方であります。本来であれば,掃除や清掃は黒足袋衆の大事な御役目なのですが,現代では白足袋衆と黒足袋衆の境も無くなってしまいました。そんな中,特に,禅宗系「曹洞宗」「臨済宗」「黄檗宗:おうばくしゅう」では掃除を徹底して行います。又,この基本的な考え方を企業に取り入れたのが松下幸之助さんであったり,ビル・ゲイツさんであったり,スティーブ・ジョブズさんもそうであったのです。三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎さんは別の意味でも禅宗の根本道場である大本山永平寺をメッチャ愛しておりました。大本山永平寺の唯一の檀徒さんです。

ビル・ゲイツさんとマイクロソフト社の掃除のオバちゃんとのエピソードは結構有名な話でもあります。公に公開はしていないようですが,企業精神に禅を取り入れています。松下幸之助さんが晩年,松下政経塾を創設した目的もその奥にある理念は掃除にあったのではないかと私は想像しています。とにかくやることがなければ掃除をしろというのが松下政経塾の姿勢でもあったようです。

掃除には,魔を祓う絶大な効果があります。

現在の神社神道でも古からの古神道でも掃除はとても重要なものとして据えられております。先日の記事でも少し触れさせていただきましたが,人の内面「心の状態」が如実に現れて来るのが家や部屋の掃除具合です。配達のアルバイトをしているとそのことが最近になってよく理解できるようになりました。荷物を届けるために家の玄関先まで行くと良く判るのです。靴が散乱しているお宅や廊下にゴミが散乱しているような家の住人はどこか暗く感じてしまいます。表情も人相もなんだか暗そうで,無愛想にしています。きっと,本人はそんなことまで感じてはいないと思いますが,他人から観るとよく解ります。玄関先の清潔感はとても重要です。

心の状態が暗く,心が病み出すと心に穢れ「気枯れ」が付きます。これを祓える唯一の方法が掃除なのです。掃除は人の健康や運気にも多大な影響を及ぼしていると神道では考えますが,これは本当のことであります。それだけではなく,掃除は病にも影響しているとも感じています。運気の良い悪いと云うと誤解を受けるかも知れませんが,実際に,運の良い人は掃除にとても気を使っていることが多いです。特に営業の仕事をされている方は,掃除を気に掛ける方が良いと思います。経営者ほど掃除にうるさい人が多いのも納得します。私事で恐縮ですが,わたしは水の流れる場所の汚れをとても気にしています。たとえば,お風呂や台所,洗面所,洗濯機付近などですが,水の流れる場所は神聖な場所であるので汚れている場合には綺麗に掃除されていることが家の中に穢れを付けない極意なのです。極意って・・・大袈裟に思われるかも知れませんが本当なのです。魔の臭いと排水溝の汚れの悪臭は同じです。

さらに,家の中の掃除だけではありません。

わたしたちの心の世界「心界」の八咫鏡もピカピカに磨きましょう。曇りが酷くなると理屈に騙されたり,事実と真実を見抜くことが出来なくなってしまいます。裁判官がつけているオモチャの曇りに曇った偽物の八咫鏡よりもハッキリと映し出すことが出来る本物の八咫鏡が人々の心の中に存在しています。そして,個人個人各々が心の八咫鏡を磨けば宗教は必要なくなります。それが,仏教で云うところの弥勒菩薩の出現です。ミロクの世の中と云うのは,どこからともなく救世主が登場するのではありません。救世主思想を数千年続けて来た結果,神の御意思と言いながら金融で世界を支配して,宗教戦争で世界を征服しているのが今の世の中です。

救世主とは,わたしたちひとり一人が救世主と為ることなのです。拝

世界各地で火山の噴火が起きて来ています。大規模な地割れも発生しています。日本は世界のひな形であると古神道でも言われています。九州地方にお住いの方は災害時要援護者の登録を行政(役場)で確認されてみて下さい。出来ることは出来る時にです。

こちらは熊本県ですが,各市町村でも同種同様の制度が整備されています。

http://www.pref.kumamoto.jp/kiji_3189.html

  

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

これからも,世界への発信ボタン3つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


伊雑宮の神さまと約束したあの日。

2018年06月02日 10時10分10秒 | 謙虚の心柱

こんにちは。わたしの大好きな場所です。伊雑宮の御料田です。

再来週あたりに,いつもの京都・奈良・伊勢へ参拝に行かせて戴く計画を立てております。今回の目的は,新しい神札の交換と自宅の神棚の神さまへ御神水を奉納することが主な目的であります。最初の京都では,上賀茂神社に参拝させて戴くのが恒例になっておりますが,上賀茂神社には御神水を授与させて戴ける場所がありませんので,いつもながらの参拝をして次に貴船神社へと向う予定で計画をしています。貴船神社では,茶の湯を点てるとき,貴船山の名水でなければならないと言われるほどの名水を拝殿前で授与させて戴くことが出来ます。甘くとても素晴らしい御神水です。そして,京都での最終地点は,知る人ぞ知る出雲大神宮の真名井の名水です。ただ,時間の都合上,両社を参拝することは叶わないかも知れませんので,その場合,どちらの御神水にしようか今から楽しみながら思案しております。次の奈良では,やはり天川村のごろごろ水であります。満天の星々も恋するほどの秘水です。

考えて見れば,早いもので京都・奈良・伊勢の巡礼へ行くようになったのは7,8年前になります。参詣させて頂く度に,いろいろな発見があります。いつも同じ神社と寺院をぐるぐると廻っておりますけど,当初のことを想い出すと懐かしく感じることもあります。あらためて振り返って観るとありがたいことばかりです。ましてや,御神水を授与させて戴き神棚の神さまへ奉納できると云う縁を頂けることに感謝しかありません。水はすべて命「生命」の源です。水がなければ命「生命」が誕生することもありません。

水は命。この言葉は本当に真理そのものであります。

今回は,思い切って伊勢の神宮で,はじめての御祈祷の申し込みをさせて戴こうかとも考えているのです。もう何十回も参拝させて戴いて参りましたが,御祈祷は一度もしたことがありません。何かをお願いすることにとても違和感がありますので,これまでして来なかったのです。今回の参拝で御祈祷の申し込みをすると云っても感謝が主坐の神恩感謝であります。今まで何度も参拝出来たことへの神恩感謝であります。遠方から伊勢神宮に参拝させて戴けると云うことは,時間も健康もお金もなければ出来る事ではありません。参拝に行きたくても行けない人がたくさんいる中で,自分は参拝できるのですから感謝がやはり中心の主坐になります。

古神道にとって,神さまに何か自分のことをお願いすると云うことは御法度なことで,拝殿から奥に入ることも憚れることでもあるのです。伊勢神宮に参拝しますとよく見かけるのが一般の方々が参拝する所謂,拝殿の奥「御垣内参拝」に入内して参拝されている方々を御見受けすることが御座いますが,私には畏れ多くてとてもとても出来る事ではありません。多分,一生ないと思います。

やはり,わたしには遠くから遥拝するのが一番似合っているようです。

それと確か,今月は,伊雑宮での御田植祭があると思います。本当は,わたしも御田植祭に参加したいと想ってはいるのですが,人がたくさん居るところがどうも苦手で,いつも人があまりいない時に参拝しています。伊雑宮の神さまと約束したあの日を偶に思い出しては,辛く感じたり,困難なことに遭遇したときの励みにしています。上の写真の場所がとても好きで,御料田にいると風の神さまが来て下さって,身体を包み込んでくれるのです。身体が温かくなると云う表現の方が解かりやすいかも知れません。

なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる。by 西行。

 

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

これからも,2つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


小さなことからコツコツと。二宮尊徳に学べ。

2018年05月08日 05時41分37秒 | 謙虚の心柱

 

こんにちは。歴史に学ぶとは,先人の思想や生き方に学ぶのであって歴史年表を学ぶことでは無いと日本史を勉強しているときに教わりました。現在の小学校から高校・大学の教育方法は歴史の年表をただ記憶し暗記させることに主観を置いていますから自分の国の歴史や先人の思想や生き方まで勉強することが無いのであります。たとえば,世界でもっとも多く目的を達成するために用いられるリスクマネジメントは日本の縄文時代が始まりです。西洋諸国が発祥ではありません。わたし達の国「和の國」が発祥です。

日本人は,何故,日本人から学ばないのか?

外国の人からするときっと,そんな素朴な疑問があると思います。

なぜ今日は,そんなことを書かせて戴いているのかというと,江戸時代の後期に生きたリスクマネジメント再興の祖「二宮尊徳」さんを今ちょうど,私自身もあらためて学び直しているからなのです。人物研究をして見たい先人の中に,二宮尊徳さんと云う存在があって,且つ,リスクマネジメント分野が専門の私にとっては非常に勉強になるからでもあります。リスクマネジメントと云う分野は,とにかく幅が広く,その上,奥も深いので迷路に迷い込んでしまうような危険地帯が随所にあるのが特徴的でもあります。

一番簡単と申しますか,理解しやすい方法は法律学からアプローチをして行く方法が迷路に迷わず安全でもあります。農業やロジスティックス「兵站学」からでも比較的理解しやすいのかなとも思います。しかし,その膨大な分量から日本ではなかなか体系化することが出来ず学問としての位置付けがされないままになっています。それが資格試験としても実を結んでいない大きな理由です。

このリスクマネジメントを駆使できるようになれば国家にとっても人にとっても自分にとっても最終的には社会にとってとても嬉しいことが出来るようになります。多分,司法試験が子どもの試験のように感じることだと思います。確かに,司法試験も難しい試験であることには変わりありませんが,唯一,リスクマネジメントと司法試験の共通項があるとすれば,それは答えのない問題を自分の思考を使って作り出すことです。これが今の日本人は,とても苦手なのです。自分の頭で考えることをさせない過去問主義の教育方法がもたらした弊害でもあります。暗記と理解の違いすら解からなくなって来ている学生も増えているのではないでしょうか?自分で答えを探し出すためには暗記では絶対に無理です。暗記や記憶だけでは答えのない答えを作り出すことが出来ないのです。

リスクマネジメントを学ぼうと特別なにか,大学に進学したり,専門学校に通ったり,なんとか塾に入らなくても日々の生活上の問題からでもとても高度なリスクマネジメントを誰でも身に付けることが出来ます。それは「なぜだろう」から出発することで可能です。なんでこうなるのか?自分は,なんでそう考えるのか?を冷静に見つめ考えることからはじめると理解度が一気に増して行きます。一番良いのは,社会の様々な問題を自分の頭と思考で答えを探そうとせずに結論付けることです。なんでも良い訳です。

たとえば,政治が好きな人であれば政治の問題でも良いですし,外交が好きな方であれば外交問題でも良い訳です。介護士になりたい人であれば介護の問題でも何でも良いのであります。身近なことから問題意識を持ち,そこから少し課題「テーマ」となる問題を掘り下げていくことが大切なのです。大事なことは思考回路を身に付けることにあるのですから正解や不正解と云ったことは,つまり論外であります。そんなものはどうでも良いのです。そもそも過去問主義の様な正解や不正解と云う考え方には,答えが予め用意されている問題に対して有効なのであって,予め答えが用意されていない問題では,何が正解で何が不正解なのかは解かりません。

いつか,二宮尊徳さんを連載で書かせて戴きたいと思います。拝

 

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

これからも,2つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


心界「神界」の八咫鏡をピカピカにしましょう。

2018年05月06日 05時58分08秒 | 謙虚の心柱

こんにちは。

今日は,氏神さまへ参拝させて戴いてから,昼からの会議まで時間もあるので宮大工の営業にでも行こうかと寺院さん数件を巡回して来る予定です。どこの寺院さんも立派な本堂にお堂が建ち並び境内も綺麗に掃除がされていることだと思います。神社や寺院の掃除や清掃は,宗門宗派を問わず祭祀をする上で基礎基本とするのが現在の考え方であります。本来であれば,掃除や清掃は黒足袋衆の大事な御役目なのですが,現代では白足袋衆と黒足袋衆の境も無くなってしまいました。そんな中,特に,禅宗系「曹洞宗」「臨済宗」「黄檗宗:おうばくしゅう」では掃除を徹底して行います。又,この基本的な考え方を企業に取り入れたのが松下幸之助さんであったり,ビル・ゲイツさんであったり,スティーブ・ジョブズさんもそうであったのです。三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎さんは別の意味でも禅宗の根本道場である大本山永平寺をメッチャ愛しておりました。大本山永平寺の唯一の檀徒さんです。

ビル・ゲイツさんとマイクロソフト社の掃除のオバちゃんとのエピソードは結構有名な話でもあります。公に公開はしていないようですが,企業精神に禅を取り入れています。松下幸之助さんが晩年,松下政経塾を創設した目的もその奥にある理念は掃除にあったのではないかと私は想像しています。とにかくやることがなければ掃除をしろというのが松下政経塾の姿勢でもあったようです。

掃除には,魔を祓う絶大な効果があります。

現在の神社神道でも古からの古神道でも掃除はとても重要なものとして据えられております。先日の記事でも少し触れさせていただきましたが,人の内面「心の状態」が如実に現れて来るのが家や部屋の掃除具合です。配達のアルバイトをしているとそのことが最近になってよく理解できるようになりました。荷物を届けるために家の玄関先まで行くと良く判るのです。靴が散乱しているお宅や廊下にゴミが散乱しているような家の住人はどこか暗く感じてしまいます。表情も人相もなんだか暗そうで,無愛想にしています。きっと,本人はそんなことまで感じてはいないと思いますが,他人から観るとよく解ります。玄関先の清潔感はとても重要です。

心の状態が暗く,心が病み出すと心に穢れ「気枯れ」が付きます。これを祓える唯一の方法が掃除なのです。掃除は人の健康や運気にも多大な影響を及ぼしていると神道では考えますが,これは本当のことであります。それだけではなく,掃除は病にも影響しているとも感じています。運気の良い悪いと云うと誤解を受けるかも知れませんが,実際に,運の良い人は掃除にとても気を使っていることが多いです。特に営業の仕事をされている方は,掃除を気に掛ける方が良いと思います。経営者ほど掃除にうるさい人が多いのも納得します。私事で恐縮ですが,わたしは水の流れる場所の汚れをとても気にしています。たとえば,お風呂や台所,洗面所,洗濯機付近などですが,水の流れる場所は神聖な場所であるので汚れている場合には綺麗に掃除されていることが家の中に穢れを付けない極意なのです。極意って・・・大袈裟に思われるかも知れませんが本当なのです。魔の臭いと排水溝の汚れの悪臭は同じです。

さらに,家の中の掃除だけではありません。

わたしたちの心の世界「心界」の八咫鏡もピカピカに磨きましょう。曇りが酷くなると理屈に騙されたり,事実と真実を見抜くことが出来なくなってしまいます。裁判官がつけているオモチャの曇りに曇った偽物の八咫鏡よりもハッキリと映し出すことが出来る本物の八咫鏡が人々の心の中に存在しています。そして,個人個人各々が心の八咫鏡を磨けば宗教は必要なくなります。それが,仏教で云うところの弥勒菩薩の出現です。ミロクの世の中と云うのは,どこからともなく救世主が登場するのではありません。救世主思想を数千年続けて来た結果,神の御意思と言いながら金融で世界を支配して,宗教戦争で世界を征服しているのが今の世の中です。

救世主とは,わたしたちひとり一人が救世主と為ることなのです。拝

世界各地で火山の噴火が起きて来ています。大規模な地割れも発生しています。日本は世界のひな形であると古神道でも言われています。九州地方にお住いの方は災害時要援護者の登録を行政(役場)で確認されてみて下さい。出来ることは出来る時にです。

こちらは熊本県ですが,各市町村でも同種同様の制度が整備されています。

http://www.pref.kumamoto.jp/kiji_3189.html

 

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

これからも,2つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


心柱神社の御造営と御遷宮

2018年05月05日 06時16分18秒 | 謙虚の心柱

こんにちは。

東と西。昼の祭祀は火の祭り,北と南。夜の祭祀は水の祀り。なんだか意味不明ですが。。。

御遷宮と聞くと二十年に一度に斎行される伊勢の神宮を思い浮かべます。ですが,わたしたちの心に鎮まる心柱神社「みはしらじんじゃ」の御宮も一定期間が経過するとやはり御遷宮が必要なのであります。しかし,その前に,自分自身で御宮を御造営しなければなりません(笑)。そこで必要となるのが御用材であります。御用材となる材料は,鎮守の森に立っている木々(心柱)で御座います。鎮守の森から柱や梁,扉や床となる御用材をいただくわけです。もちろん,御造営する宮大工の総棟梁も自分自身です。

私たちの日常生活「私生活」での思考や行動やそして行為が,鎮守の森の木々の生育に良くも悪くもとても影響しています。常日頃から感謝の気持ちを以て生活して来た人の感謝の木は,棟持ち柱に用いることが出来ると思います。又,神さまの祈り「音霊:波動」を受信する千木(ちぎ)は,素直の木を用いることも出来ると思います。何気ない日頃の行いが鎮守の森を形成する糧になっているとは夢にも思わないかも知れません。たとえば,人の悪口や自分よりも立場の弱い人をイジメたりしている人の鎮守の森には,感謝の木も素直の木の生育もあまり成長していないことになります。いつになっても御造営に取り掛かることさえ出来ません。

ところで,実際の伊勢神宮の御造営や御遷宮と云う我が国最大の神事「お祀り」では,二十年と云う長い歳月を掛けます。しかし,遷御の儀と言われる式年遷宮の中で最重要な神事(クライマックス)は15分くらいで終了してしまいます。つまり,15分の神事のために20年と言う歳月を要するのです。しかも,それが凡そ1300年間も続いて来ているのですから凄いことであります。

若干,話は変わりますが,これまで数千年続いてきたピラミッド型の階級構造に物質主義「金融」と紛争や戦争と云った戦いの文明がもうすぐ終わるのであります。次の文明がどう云った文明なのかどうか?わたしは預言者でも霊能者でもないのでよく解かりません。しかし,何年か前,太陽信仰の祭祀場であった奈良のある場所に参拝をした際「ここに来ても観世音菩薩はもういない」「衆生を救うため,観世音菩薩は裸足で山を下りました」と云う音霊「波動」を観たとき,これで一つの文明が終わると確信したあの日。子どもの頃に「この世からお金が無くなる」と訳も解からずそう体のどこからか聞こえて来た声なき声の存在がありました。

高天原「心界」に御鎮座されます心柱神社の御造営の時節が到来しております。そして心に最高神を祀りましょう。さらに,八咫鏡をピカピカに磨きましょう。それぞれ個人個人各々が,これまで培い,育ててきた鎮守の森で成長した御神木をいただき,心柱(みはしら)を用いて御用材とし立派な御宮を御造営して戴きたいと思っています。先ずは,その準備(段取)から始めなければなりません。わたしも立派な御宮を御造営できるように頑張ります。そして,御用材の残材で下駄を作り観音さまに履いていただきたいです。日々の生活を一生懸命に努力して,繰り返し繰り返し続けて行くことで,きっと,いつの日か履いて下さると思っています。

焦らず,慌てず,どんな時でも,自分自身に出来ることを一歩一歩,実直に。

ひとつ。またひとつ。そして,またひとつ。地道に熟して行くしか道はないようです。

Festina lente

ラテン語で,ゆっくり急げと云う意味です。拝

 

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

これからも,2つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


心柱神社に参拝しましょう。遠慮なされず。

2018年05月04日 10時00分00秒 | 謙虚の心柱

こんにちは。大和藍足袋衆さんから言文が届きました。

わたしたちの心には,高天原と言う神界「心界」が広がっています。その心界に広がる高天原には,鎮守の森があります。この鎮守の森には湖畔もあれば,清らかな水が流れる清流も存在しています。夜になれば満天の星も出現します。言ってみれば人の汗や涙はその清流から流れ出た御神水でもあります。鎮守の森に立つ木々が心柱(こころのみはしら)と云うものです。たとえば,感謝の木や謙虚の木や奉仕の木など「十柱:御神木」が茂っています。さらに,その鎮守の森の奥深くには神さまが坐します御宮(御正殿)があるのです。こちらが今日の表題でもある心柱神社(みはしらじんじゃ)と申します。この世とあの世を繋ぐ神社です。

そして,その心柱神社に御祀りされている神さまは心神(しんしん)と言う根源神から派生した神さまです。産土の神(うぶすなかみ)と云う言葉を聞かれたこともあると思います。わたしたちがこの世に誕生し,人生を終える最後まで共に歩む尊い神さまで御座います。御座いますと言っても,上記の話は,わたし個人が感じるままに書いていますので,感じ方も考え方も人それぞれあると思います。したがいまして,上の言葉は,私の心柱神社から届いた御言葉と言うわけです。それと,心神(しんしん)と云う言葉は,伊勢神宮「伊勢神道」に伝わる言葉で自己の中に坐します神さまの分御魂を表現する場合に心神「しんしん」と申し上げています。

巷では,いろいろな言葉で表現されているようですが自分なりで良いと思います。

そう云った呼び名よりも大切なのは,自分の心の中に存在する心柱神社に参拝すると云うことであり,それには,自分自身の内面を見つめること,自分の心の中に坐します根源神の分魂を宿しているのだと云うことに気が付くことにあるのであります。外在的な拠り所よりも内在的拠り所こそ人は意識を向けるべきなのであります。過去幾多の宗教家も偉人も先人も最後の最後には,やはり自分自身の心の中に何かを見出して生きて行ったのです。これは,古神道の根本的な考え方です。人の心の中には,誰であっても神さまの分魂が内在しているという意味です。どんな悪人でも心の中には尊い神さまが坐しています。生れながらにして宿しております。

親鸞さんは,悪人正機と云う言葉を残されました。

仕事や家事で忙しく働いている方であっても,自分の心の中の神社であれば,いつでも,どこにいても参拝できると思います。神社で祭祀を司る宮司も,神社をいつまでも守護する護司も自分自身です。他人ではなく,自分自身です。これは他人である第三者には決して出来る事ではありません。自分だけの唯一存在する高天原と心柱神社を放置し続けると高天原は荒廃し,湖畔や清流の水は濁り,心柱神社は朽ち果ててしまいます。古神道の感覚では,自分自身の心の現れが自分の私生活に現象として現れて来ると云う言い伝えが御座います。一番如実に表れているのが家や部屋の掃除具合だとも聞いたことがあります。掃除については,またの機会に。

生きることに疲れてしまうのは,それだけ働いている証拠です。

生きることが嫌になってしまうのは,それだけ真直ぐな証拠です。

遠慮なさらず・・・・。参りましょう。

 

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

これからも,2つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


会話することの大切さ。言霊の秘力

2018年03月06日 19時31分55秒 | 謙虚の心柱

こんにちは。

昨日は,業務大改革を遂行中の企業にて経営会議がありました。経営者と各部署の責任者を集めて行われた会議であります。2月1日から業務改革の担当を任されていましたので,わたしも出席して来ました。会議の冒頭に経営者から一言挨拶をしていただき,2月1日から取り組んでいる一丁目一番地でもある会社で働く人の改革について報告いたしました。働いている人は企業にとって宝そのものであります。人材こそ宝です。最初に着手した改革が末端で何の約束もされず,なんの保障もなく働き続けている従業員のみなさんの給料大アップとその家族が安心できる仕組み作りでした。かなり強引に押し切ってしまった感は否めませんが,なんとか右往左往しながらですが4月か5月には大枠が完成します。業務大改革の期間は10年ですから結構いろんなことが出来そうです。

経営会議を開催するに当たり,事前に経営者と協議を重ねた上で,各責任者へ日時と場所を伝えに数日前から各現場を回りました。その一つの現場では,人員の不足から生じるトラブルが多発していました,もちろん経営者も会社の幹部もその事実を承知してはいたのですが,会社として具体的に人員を補充するような対策を取らず,責任者の個人の能力と現場対応に任せ切っていたことが継続していたのです。そのことから現場責任者の考えは「会社は無責任だ!」「なぜ人員を補充しないんだ!」と怒り心頭でした。

つまり,現場と本社との間に確執的なものが生まれていたのです。

事前に経営陣の主張も現場責任者としての主張も聴いてはいたので,お互いの言い分も良く解っています。現場の責任者からすると限られた人員と予算と時間で最大限の結果を出す為にどうすれば良いかを考えています。朝の早くから夜の遅くまで現場の責任者が奮闘している姿は判っております。一方の経営者の主張も良く解ります。経営者の最大の責任は会社を潰さないことにあることも私も小さな事務所を経営しているので理解も出来ます。しかし,一番大切なことは会社は何の為に存在するのかと云うことです。

したがいまして,今回の経営会議の主たる目的は,経営陣と現場責任者との問題事項の共有と情報の共有化でありました。人員が少ないと云う現実は経営陣も現場責任者からよく聞いているので知っています。ですが,何故?人員が足りないのかを果たして理解しているのかを確認したかったことも事実であります。そこで会議を開催することにしたのであります。きっと,会議が始まり出したら経営陣も責任者も熱が入って激しい議論になるだろうと想像していましたが,約3時間弱の議論も喧嘩にならずに済みました。

会議が終了し,帰りがけに昨日まで激しく怒っていた現場責任者から笑顔でまたやりましょう!と言ってくれました。話をすることで解かること。会話をすることの大切さを改めてわたしも学ばせて頂くことが出来ました。対話の機会を設けて本当に良かったと思いましたし,私も嬉しかったです。わたしたち人が言葉を神さまから授けられているのは紛争する為にではなく,相手を罵倒することでもなく,罵ることでも決してありません。そもそも日本語は祝語ですから自分や相手を卑下する言葉は日本語ではないのです。

会社にとって一番大切なこととは?

それは,そこで働く人にあると心柱に音霊「波動」が降りて来ました。


 

2つクリック応援宜しくお願いします。

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


良いことばと悪いことば。

2017年03月20日 13時13分13秒 | 謙虚の心柱

こんにちは。

今日3月20日は春分です。

昨日に引き続き,春日大社の前宮司「葉室頼昭」先生が生前に書かれた別の本で「神道 感謝のこころ」から一部をご紹介させて頂きたいと思います。そして,私が是非,縁のある方々へお伝えしたいことでもある音霊が重要なんだということが若干ですが書かれています。紹介部分の赤文字の箇所がそうです。音霊については過去の記事で検索できますので宜しければお読みください。

このお彼岸の期間中は,葉室先生の著書をご紹介したいと思います。

 

神道 感謝のこころ「良いことばと悪いことば」より。

ある実験について読んだことがあります。

それは,右手を熱い湯に,左手は冷水に浸けておき,

その後,両手を同じ水に浸けると,右手は冷たく感じ,左手は温かく感じるというものです。

ここで大切なのは,その水の温度が同じだということです。

つまり,人間は自分が置かれた状況や経験で判断しがちであり,

そこだけで判断すると間違いが生じることもある,ということなのです。

同じ温度の水を,熱い冷たいと判断するのではなく,水は水としての,その本質を知ることが必要だということです。

このとこはそのまま言葉の本質の問題にも当てはまります。

今から150億年前,ビックバンという大爆発によってこの大宇宙ができたといわれていますが,

そのビックバンが起こる前には神さまのお心があって,その心の波動によって,全ての現象が現れてきました。

この神さまのお心を音で表現しているのが人間の言葉ですから,言葉を発するとそこから神さまの波動が現れ,それが現実のモノとして現れてくるというのが言葉の本質です。

日本人の祖先はこのことを知っていて,言葉には魂があり,良い言葉をいえば幸福が現れ,逆に悪い言葉をいえば不幸が現れるという言霊(ことだま)の信仰としてずっと伝えてきました。

今でも,おめでたいときには決して悪い言葉をいってはいけないという忌言葉(いみことば)が行われています。

ここ最近,特に不景気が回復しないために国民がこぞって不平不満をいい,テレビや新聞などで毎日不景気や倒産といった悪いニュースばかりが流れるのを見て,それが本当のことのように思って皆が暗い気持ちになっています。

しかし私はそうは思いません。

不景気は,神さまからの私たちにたいするお知らせであり,お恵みでもあります。

何も悪いことばかりではなく,そのために自然破壊が収まり,人々が働くことのありがたさを知る絶好の機会ともなっています。

ですから,不景気の悪いところばかりを見るのではなく,良い面も見てそれを言葉に出すことが大事です。

神さまは,人を不幸にしようとはなさっておりません。

不幸になるのは,神さまの恵みを忘れ,人間が勝手に不幸だと思ってそれを口に出して言うからです。 

もういい加減に,日本人全体が本当のことに目覚め,誰もが明るい言葉を使い,

生かされていることに感謝する生活を送るべきですし,またそうならなくてはならない時期にきているのではないでしょうか。

以 上


宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 祈り行じて省みる。                                                             感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えています。                                            一隅を照らす人であれ。その命ある限り。花咲 あさひ 拝                   ブログ開設281日目 記事数第216記 謙虚の心柱 

 


心の中の鬼と向き合う。

2017年01月22日 20時20分15秒 | 謙虚の心柱

こんにちは。

一昨日の大寒(1月20日)は格別に寒い日でした。

この大寒の日の早朝に汲んだ御水は腐らないと云う言い伝えからお水取りに出られる方もいらっしゃたのではないでしょうか。

ところで日々,仕事をしていますとさまざまな考えを持った方とお会いします。毎日,私もとても良い体験と勉強をさせて頂いております。そして自分と考えが違う人も多く存在しています。それは当然のことでもありますが,どうしても到底無理だと承知の上での要求や理不尽なことを言われると本音を言いたくなったりする経験は社会に出ればいくらでも存在します。特に,営業職や経営者の方は会社の利害関係人との接触が多いことからより多くそう云った場を踏んでいるのではないでしょうか。

そんなとき,怒りや憤りのままに相手と対峙しても最終的に自分が損をしてしまうことにも繋がってしまいます。この怒りや憤りとどう向き合えるかで,その人のその後の人生に良いも悪いも影響していると想えるのです。私もよくそう云った出来事に遭遇したりします。そのような時には,神様に試されているのだなと思うようにしています。しかし,これがとても難しく,厳しいのです。

これは私個人の勝手な考えですが,喜怒哀楽の感情の中で,最もコントロールし辛い感情は「怒」だと感じています。理不尽な事柄に向き合う時こそ,己の霊性や自分の人格を向上させる絶好のチャンスなのかもしれません。逆に「怒」をも上手くコントロールすることが出来ればもっと人は生きやすくなるとも思っています。つまり,自分自身を向上させてくれていたのは怒りの矛先の人なのかもしれません。心豊かに平穏に。単純な言葉のように思えますが,とても深い言葉のように感じています。拝


宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 祈り行じて省みる。                                                             感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えています。                                            殿の御役 花咲 あさひ 拝                                                ブログ開設224日目 記事数第204記 謙虚の心柱 編


和の神 菊理媛神 中篇

2016年12月03日 21時10分10秒 | 謙虚の心柱

こんにちは。上の写真は,奈良の長谷寺「御本尊:十一面観世音菩薩」の登廊です。この長谷寺にも実は,菊理媛神様をお祀りしている場所があるのです。小さな御宮ですが,その昔,白山比咩(ひめ)神社から勧請を受けていたと云うのですから御本尊「十一面観世音菩薩」がこの長谷寺に御鎮座されているのも理由のあってのことだと思います。ちょっとした歴史探究も面白いものです。

ちなみに,長谷寺さんの白山神社へのお参りは通常,出来ません。境内の裏山に御鎮座されております。下座からは参拝できます。

さっそく,先日の記事「和の神 菊理媛神 前篇」の続きを書かせて頂きます。私なりの想像では,菊理媛神と云う神様は,紛議や紛争を円く治めることが出来る御働きも言葉が適切であるかどうか解りませんが,兼ね備えている神様であると考えております。さらに,言葉の神様でもあると感じていて,そのヒントとなったものは縄文神代以前から先住民族が暮らす地区や地域には,白山神様をお祀りされているようなのです。そして,その縄文人が最も恐れと敬遠していたことは何かと言いますと争いや紛争でした。その証拠に全国の縄文遺跡から唯一,発掘されていないものが武器です。つまり,人を殺傷するような武器は縄文遺跡からは見つかっておりません。したがいまして,戦い方も知らなかったはずです。そのことは,これまでも記事で何度か書かせて頂いて参りました。

しかし,なぜ縄文人は争うことを嫌っていたのでしょうか。好きや嫌いなどと言う感情だけではなく,もっと大きな理由が存在していたのではないでしょうか。勿論,死後の世界に対する死生観も存在していたことですし,停留思想も既にありました。この世に恨みや辛み,憎しみや怨念を残すと人(霊)は,あの世に帰ることが出来ず,この世の低い次元に停留してしまい子孫を見守ることが出来ないと云う思想です。日本仏教の死生観にある成仏と云う考え方は,この縄文人の死生観が元でもあると思っています。

今から何万年も前の私たちの祖先は,神様と直接,交信が出来ていて神様の御心をとても良く理解し,実生活の上で活かし,平和で豊かな暮らしをしていたのです。又,現代に生きる私たちとは全く違った言葉や文字(神代文字)を使い,その言葉や文字には霊が宿っていると考えていました。それを現代でも言葉や文字には霊が宿る言霊として受け継がれている精神的面があります。

争いや紛争を円く治めることの出来る神様(自論です)であり,言葉の神様(これも自論です)でもある菊理媛神様は,縄文以前から深く人々によって信仰されて来た神様ではないかと思っているのです。私も調べたことはありませんが,きっと,遙か昔の居住地や集落では菊理媛神様をお祀りしていたと思います。その名残も相まって,全国に分布されている白山神社は太古の集落地であった場所に多いのではないでしょうか。きっと,考古学を研究されていたり,個人で探求されている方であれば北陸地方や白山地区さらに,菊理媛神様に想いを馳せることがあると思います。ただ,弥生時代以降の古代日本史からを基準に考えると,結局,天津神か国津神のどちらかと云う偏った話になってしまうのです。もしかしたら隠された神様かも知れませんし,弥生時代の戦国の世から菊理媛神様みずから御隠れになられたのかも知れません。話が飛びますが,カゴメ歌伝説の謎なる解説は結構,インターネットや雑誌などでも盛んに取り上げられていますが,このカゴメ歌の最後の「後ろの正面」とは誰なのでしょうか?鶴と亀が統べった。

後ろの正面だぁ~れ?


 

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

これからも,2つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


和の神 菊理媛神 前篇

2016年11月29日 21時06分18秒 | 謙虚の心柱

久しぶりの登場です。平泉寺白山神社に現れた・・・。

こんにちは。先日の記事「白山の神様と白山比咩神社の思い出 1」「白山の神様と白山比咩神社の思い出 2」の終わりに菊理媛神について続きとさせて頂いたので,今日はその菊理媛神様を私の感じる心情を書きたいと思います。日本にはたくさんの神様が存在しています。それぞれ神様の御働きも千差万別でもあり,その中で,白山の神様は,日本書紀の本文ではなく,別書に一度だけ登場される神様で菊理媛(くくりひめ)神と申します。最近では,その日本書紀の別書に基づいて,いろいろな人がいろいろな解釈を交えてブログ等で解説されていて,その中には「おっ!なるほど」と感心するものもたくさんあります。古神道系の人に多いですが。

気になる方は「https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E7%90%86%E5%AA%9B%E7%A5%9E」(参照:wikipedia)をご覧下さい。

縁結びの神様,和合の神様,夫婦円満の神様,穢れを払う神様などなど様々な御働きをされる神様だと云われています。なるほど確かに,日本書紀の別書に登場する物語「伊奘諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)の相争いを仲裁の御役」から解釈するとそのように考えられると思います。さらに,縄文時代以前までは菊理媛神をお祀りしていた場所「現代で云う白山神社」が多かったのではないかと感じています。その辺のことは,白山神と縄文人などのテーマで研究されている学者さんもいらっしゃいます。

そして,縄文以前の我々の祖先は,神様の御心をきちんと理解していたようです。つまり,争いはしないと云う考え方でした。

これは私の個人的な解釈ですが,菊理媛神様は紛議や紛争を円く円満に解決する和解の神様でもあり,もっと言えば言葉の神様だとも想像しております。上記の伊奘諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)が黄泉比良坂で口論となり,菊理媛神が伊奘諾尊に何かを言葉にしますと伊奘諾尊は,それを褒めたと記載されています。しかし,菊理媛神が何を言ったのかは記されておらず,菊理媛神の出自も示されておりません。私は,ここに大きなヒントが秘められているように思えるのです。つづきは近々に。拝


本日より,不定期ではありますが下記に普段の生活や緊急時に活用できる様な公益情報をご紹介させて頂きます。皆さまのご参考になれば幸いです。

〇災害時要援護者支援策 奈良県の取り組み http://www3.pref.nara.jp/youengo/

〇買い物困難者支援情報 経済産業省の政策 http://www.meti.go.jp/policy/economy/distribution/kaimonoshien2010.html


感謝・反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えさせて下さい! あさひは負けねぇ。クリック応援お願いします。

                

 

宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設170日目 記事数第175記 謙虚の心柱 編


穢れた都は滅びる?日月神示が示す都とは?

2016年11月26日 22時17分24秒 | 謙虚の心柱

こんにちは。11月もそろそろ終わり,12月を迎えます。本当に早いものです。12月になればお歳暮や来年の準備に向けてますます忙しくなって参ります。もう既に東京地方はお正月の準備で大量の物流が集中しているように昨日,東京へ行った際に感じました。田舎者の私には,あの東京のコンクリートジャングルはどうも馴染めません。東京で打ち合わせをしている間も,もし今,地震などの災害が発生したらどうなるのだろうと云うことばかり気になっていました。しかも,国家レベルで考えた場合でも三権が東京に集中しているのは,やはり異常です。大規模災害が発生した場合,環状線や国道は緊急車両で通行止めになると云うことですが,あの高層建物が国道に倒れた場合,緊急車両も通行止になってしまうのではないでしょうか。東京に大規模な災害が発生した場合のシミュレーションは出来ているのか定かではありませんが,国会・内閣・裁判所の三権は一極に集中するべきではないと思います。

又,ここ最近,地震の方も活発化しだし地震の規模を示すマグニュチュードが大きくなって来ているようです。もう日本に安全な場所はなく,どこに住んでいようが危険地帯であります。地震のような事前予測が困難な災害に対応するには日頃からの準備しかないように思っています。普段,家族がどこにいて何をしているのか把握しておくことで,万が一の時,安心できるように感じています。高齢となった父親や母親と離れて暮らしている人であれば,災害時要援護者の登録などを事前に登録しておくことも大切なリスクマネジメントです。これまでの常識は非常識と考えるくらいが東京や大阪などの首都には丁度良いのかも知れません。

日本で災害に最も弱い東京へ出張して感じたことでした。拝


感謝・反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えさせて下さい! あさひは負けねぇ。クリック応援お願いします。

                

 

宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設167日目 記事数第172記 謙虚の心柱 編


戦う必要はない。若者の顔をよく観れば判ること。

2016年11月20日 20時34分57秒 | 謙虚の心柱

こんにちは。きっと,これから社会は大きく変貌して行くことになることは誰にでも解っていると思います。しかし,どのように社会が変貌して行くのか,その形成過程を知る人は誰もいません。ひとつの文明が終わろうとしていて,新たな文明を受け入れることの出来る人とそれに抵抗する人たちで一時,混乱する時期に差し掛かってくるかも知れません。もしかすると既にその中に居るのかも知れませんし,その大きな渦の中に居るから判らないのかも知れません。だとしても,自分を信じ,己と共に生きて生きて行かなければなりません。そんなことを感じていると困難な立場に立たされている人にとっては生きにくい社会であることが解ります。

これまで常識とされて来たものが非常識となり,経済を成長させることが何故必要なのか。法律を整備すれば人は豊かに平穏に暮らして行けるのか。医学で健康な体を手に入れ,病を治すことが出来るのか。科学で宇宙の仕組みを知ることが出来るのか。今現代に起きている様々な事象を説明することは困難なことであろうと思います。天変地異はその最たる現象でしょう。何かあれば想定外。

インターネットの普及で知りたい情報を直ぐに入手できる便利な時代ですが,その入手した情報の信憑性は信頼できる情報なのかどうかまでを入手する人はほとんどいません。これをやるとキリがなくなってしまうからです。情報操作に,情報封鎖。これで幾多の犠牲が生まれたか。日本の歴史を勉強すると犠牲になるのは,いつも若者。近現代史は特にそうでした。与えられた情報を疑うことも知れず,最後の最後まで信じ続けていたのは疑うことを知らない若者です。若者が活躍できない社会に未来はない。以前,アジア諸国のどこの国か忘れましたが「一年の計は穀を樹うるに如くはなし,十年の計は木を樹うるに如くはなし,終身の計は人を樹うるに如くはなし」と云う言葉がありました。これをいろいろな例えで説明される人も多くいらっしゃいますが,自国の将来を憂う気持ちがあるのなら人を育てることだと思います。相手の国と戦うことを決める前に,その国の若者の顔をよく観なさいと云う事なのかも知れません。一番信用のおける情報と一番信憑性のある情報は,自分の心「良心」だと云うことが判って来ました。拝


感謝・反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えさせて下さい! あさひは負けねぇ。クリック応援お願いします。

       

 

宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設161日目 記事数第167記 謙虚の心柱 編


人口減少がもたらす神社神道と現代仏教

2016年11月19日 22時04分45秒 | 謙虚の心柱

 

こんにちは。先日,上賀茂神社から式年遷宮への参列記念品として上賀茂神社の象徴でもある立砂と細殿を刻印したクリスタルの置物を頂戴いたしました。正しくは文鎮らしいですが,私は神棚にお祀りしております。上の画像は,昨年に斎行された第42回上賀茂神社式年遷宮の翌日,早朝に宿泊施設から撮影させて頂いた写真です。右に見える鉄塔のような建造物は通信塔で京都府警です。とても綺麗な朝日でした。又,昨日は,知人の誕生日でしたので,久しぶりにメールを送信しましたら私のことを忘れずに憶えていてくれました。人との縁と云うものは本当に不思議で,地球上には70億人以上の人々がいると云うのに,自分の一生で出会える人は,ほんのわずかでしかありません。元々は茶道の言葉であったようですが,一生に一度の出会いは一期一会でもあります。

さて,昨日は,仕事で少し離れた禅宗(曹洞宗)のある寺院へ訪問させて頂き,住職さんといろいろなお話をさせて頂きました。とてもサッパリとしている住職さんで見栄を張らず,気さくの良い住職さんでした。私も初めてお会いさせて頂く住職さんでしたがお寺に着いて本堂へ参拝を済ませ寺務所へ向かう途中に草刈りをされている方がいて,方丈さんにお会いしたいのですがと声を掛けるとその草刈りをされている御方が住職さんでありました。(曹洞宗や禅宗系の寺院では住職さんを方丈「ほうじょう」と呼びます。)本堂の屋根の素晴らしさに思わず「いや,この屋根は凄いですね」と話すと嬉しそうに「そんなことはないよ。でも斜めから観るとすごいよな」と話されていました。あのような鋭くとがったよ云うな先端は奈良にある室生寺(灌頂堂)以来です。「どのこ大工さんでしたか」と聞き返すと「これは岐阜の大工さんだよ」と教えてくれました。そして,帰りがけには,門前で農業を営む檀家さんから大根と御芋を頂戴しました。有難う御座いました。今度,永平寺に参拝させて頂く日がありましたら御線香を御土産にさせて頂きます。私の住む地区では,先ずあのような屋根の形状を出せる大工さんもいませんし,寺院も存在しません。神社でも鋭くとがった先端を見ることは出来ません。本当に素晴らしい本堂を見させて頂きました。本堂の話はその辺で終え,仕事の話も含めてお話をしていると,その住職さん曰く,あと30年もしたら日本の仏教寺院は大きく変わるという趣旨の話をされておりました。つまり,人口の減少とお寺の跡継ぎの問題と資金難の影響で大きな寺院が地元の小さな寺院を吸収し合併するようになると真剣に話されていました。確かに,その通りであります。日本の人口構造や檀家の減少から云ってもそのようなことが言えると思います。

しかし,私は,もう少し厳しい状況があと10年もしない内に到来すると感じていますが,住職さんの言われる話も頷けます。まだお寺は経済的収入を得る手段が多少なりともある環境でありますが,神社の経営難は実に厳しいです。私たちが考えているよりも余程深刻な状況にあるのです。神社の主な収入源と云えば,御祈祷です。それに寄付金や御札や御守り,そして御賽銭ですが,大きな神社は別としても地域に御鎮座される氏神神社や小さな神社では,神職さんの給与や巫女さんの給与を支出すると大変厳しい環境で運営されております。経済が成長軌道にあるころは寄附金もどんどん集まりましたが,やはり,経済が低迷し,人が参拝に来ることが減ると神社の収入は激減して行きます。冒頭でご紹介させて頂いた,上賀茂神社も決して例外ではなく,今般の式年遷宮に必要な資金は数十億円ですからその膨大な資金を集めるには大変な苦労が伴ったのではないでしょうか。その資金を捻出する為に,本来は絶対禁足の地や本殿,重要な施設への入場を認めていらっしゃるようでもあります。神社寺院の運営費を稼ぐためにです。

私もリスクマネジメントを駆使して皆さんで知恵を出し合いお手伝いをさせて頂いておりますが,研究すればするほど可笑しなことに出くわし信仰とかけ離れて行く想いが多くあります。特に私は古神道ですからその様な想いをなすことが強いのかも知れません。これまでもブログで書かせて頂いて来ましたが古神道とは太陽や地球,山や川,海や森などの大自然と自然に感謝することと祖霊を丁寧にお祀りすることです。これに尽きると云っても言い過ぎではないと思います。またこれにはあまりお金は関係ありません。

無縁とまでは言えませんが,身の丈にあったものです。要は,気持ちがあれば誰にでも,直ぐにでも毎日出来ることです。難しいことも,複雑な言葉も入りません。ただ素直な気持ちを以て感謝するだけですから。しかし,奈良時代以降の神道はとにかくお金がかかります。その一番の理由は,建物にあります。建物を建築する際の建築費用が異常なくらい高すぎます。それは現代でも同じです。私たちが住んでいる一般の住宅を建設場合と比較すると坪単価4倍から5倍以上します。なんでこんなに高いのかと云う理由に実は根拠はほとんどありません。私も本堂などの復興事務局を担当させて頂きましたから良く知っていますし,内容も理解できています。もう,立派な御殿を建築する時代でもなくなって来ています。次の次世代が,その立派な御殿を維持管理できるのかを考える時期になっています。私がよく住職さんへお話させて頂く簡単なリスクマネジメントの手法があります。参考になれば幸いです。

お寺であれば,先ず,今の檀家総数と総世帯を明確にして行きます。その次に,檀家を継ぐ祭祀継承者(つまり墓守)の人数を計算します。神社であれば,氏子総数と氏子世帯です。そして全国に存在する崇敬者を算出して行きます。その人たちで次の時代,神社やお寺を運営護持して行くことになるのです。ここの部分を見落とし,今の世代で計算及び算出すると次世代の負担は増すばかりですし,境内は荒廃するばかりになってしまいます。これでは神様,仏様をお祀りする場所としては本末転倒です。これからはもの凄い速さで人口が減って行くのであります。しかも,女性は嫁ぎますし,男性と女性は半分しか存在しません。つづく。拝


感謝・反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えさせて下さい! あさひは負けねぇ。クリック応援お願いします。

                

 

宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設160日目 記事数第166記 謙虚の心柱  編