花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

授けてあるぞ神の御霊を。

2022年11月22日 11時11分56秒 | 素直の心柱

日々の仕事が祭事と云うこと未だ判らんか。

祈り行じて省みると云うこと解らんのか。

自分が進む方向性とそこに辿り着く道のりをごちゃまぜにしてはならん。

正解ばかり探すからそうなるのだぞ。

心で想う良きことと頭で考える良きことが一致せんことになるぞ。

合点承知になっておらん。

心が先だと云うこと忘れたか。

道のり厳しいと,つい自分が進む方向性を見失い,疑い,わけが解らんことになるぞ。

己が正しいと感じることは方向性は合っているのだけれど,遠回りしての道だから息切れして,

あっちの道じゃ,こっちの道じゃ。向こうは良いらしい。

そのまた向こうも良いらしいとウロウロすることになるのぞ。

くたびれもうけとはそのことを言うぞ。それでは永遠に目的地には着かん。

それでは何一つ役に立てん。

目的地に辿り着く道は何通りもあるぞ。一本であって一本ではないぞ。

途中で枝分かれしているだけのこと。

時には,寂しくなる時もあろうが。悲しくなる時もあろう。

孤独を感じ,周りが羨ましくなる時もあるぞ。

ならば,突き進め。とことん突き進め。

迷わず,疑わず,ただ突き進め。素直になれば判ること。

道に迷いし時こそ,訪ねよ。

己の内に問えよ。

授けてあるぞ神の御霊を。


むすび、あさひちゃんに質問して見たの件。

2022年11月14日 20時20分16秒 | 結びの心柱

3年ほど前に掲載した記事です。

 

こんばんは!!

ピンチヒッターは昨日で、終わったはずなのですが(汗)。。。

                 あと2日間、延長になってしまいました~・・・。

そういうことで、今日は少し真面目に。

あさひちゃんは、なぜ神社やお寺の護持?をしているのか聞いて見た件。

すると、あさひお姉ちゃんは真剣な眼差しでこんなことを話していましたの巻。。。

 むすびは何で観音さまお地蔵さん裸足でいるのか解かる?

わたしが正直に分からない答えると・・・。

神社お寺には、それぞれ違った想いを持った人たちが大勢くる。

何か自分のために祈願をしたり、家族の健康事業成功祈り来る人も当然いる。

そんな中で、生きることに疲れ、死に場所を求めて来る人もいるの。

わたしもそう言った人たちにたくさん出会って来た。

でも、いまの宗教家は、

たとえば、そんなお金のない人よりもお金を持った人を優先して自分の周囲に置こうとするの。

本来、宗教家は、

生きることに疲れてしまった人たちにこそ寄り添い合わなければならないはず。

だから神社やお寺に来

「明日もまた生きてみよう」と少しでも感じてもらえれば、それだけで良いと思ってる。

私の護持「仕組みつくり」に対する源流は、そこにある。原点ってことね。

今から7年くらい前だったと思うけど、

あるお寺の復興をするので事務局をしてたときに起きた忘れられない出来事があったから・・・

お金を稼ぎたいと思うのであれば続かないよ。

日本は世界的に観てもとても裕福な国で、とても自然に恵まれている国でもあるけれど。

しかし、この日本の社会に、世の中には、首に縄をつけ彷徨っている人たちがたくさんいる。

誰にも頼ることすら出来ないで。お前(むすび)はまだ解からないだろうと思うけど、

今、こうしている間にもご飯が食べることが出来なくて死んじゃう人が本当に、

この日本にはいるんだよ。

餓死するんだよ。この五穀豊穣を祈る国で。

こんなことで神さま仏さま。わたしたちの祖先が本当に歓ぶと想う?

いろんなことを言う人も居るけど、

今の時代に餓死する人は身体の不自由な人に集中的に起きているの。

両親も既に他界していて、自分一人では生きて行けない人。

兄弟や姉妹だけで暮らしていて、どちらかが精神疾患を患い生活している人。

所謂、人の助けや力が必要な人たちが大勢いるのよ。

わたしも仕事で関わったからよく知っているけど、切実な事柄なの。

だから宗教家がやらないのであれば、私がやる。

そういう仕組みつくりを考える。

誰かがやらなければ本当に、この国家に未来はないよ。

むすびももっと沢山、いろんなことを経験して、人に奉仕出来るような人になること。

人に感謝されることは、自分も確かに嬉しいと素直に思うけど、

自分がやったとか自分の手柄だなんて考えちゃダメだよ。

それは、やがて選民意識に変わっちゃうから。

人は、選民意識と所有の概念を持つと紛争することを覚えてしまうから。

特に、この世で社会的地位の高いと言われる人に多くいる。

そういう人と仕事なんかで出会ったりすると、心が渇いているのが直ぐに判る。

心に潤いがなければ、心柱(みはしら)は枯れ、やがて倒れる。

 こんな内容のことを話していました。が!

  さらに、むすびは質問してみたの件。あしたに書きます。

地蔵菩薩とともに。花咲 むすび 拝

 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


生きることが辛く苦しい人へ。再掲載

2022年11月07日 18時01分18秒 | 素直の心柱

 

こんにちは。

がんばって!と言っても,最早そんな言葉は通用しないほど何かに傷ついてしまったり,人が誰も信用できないくらいまで落ち込んでしている人もいらっしゃると思います。ですが,どうかそんな時にでも心の燈火だけは消さないでいて下さい。種火でも良いので心の燈火を消さないで戴きたいのです。人のことを棚に上げて,こんなことを書かせていただく立場ではありませんが,清く生きよう・正しく生きよう・美しく生きよう・正義が絶対と考えれば考える程,わたしは真理から遠ざかってしまう気がするのです。

これは,とても誤解を招く言い方かも知れません。清く正しく美しく生きることがどうして真理から遠ざかってしまうのだと言われれば返す言葉は,わたしにはありません。しかし,これらの言葉の本当の意味は違ったところにあるのではないかと考えています。たとえば,清らかな水だけを呑んでいては,濁を呑み合わせることが出来ません。清濁併せ呑むと云う言葉が示す通り両方を知ることで本当の清らかさが判るのではないでしょうか。蓮の花も然り,綺麗な蓮の花を咲かせるためには濁水が必要で在るようにです。

わたしたちが想い悩むことが自分の私利私欲のことであるならば,その想い悩みは消え失せることはないようにも感じています。なぜならば,たとえその問題に答えが見つかり,解決できたとしても人間は,さらなる欲を抱き,迷い込んでしまうからであります。人はなぜ生まれ,なぜ生きるのか?これは人生最大のテーマだとも思います。なかなか答えを見つけ出すこともできません。辛く,自分だけの力ではどうすることも出来ない困難な事に直面すると,正直な話し,つい他人と自分を比較してしまうこともあります。

そう云った意味においては,わたしも同じであります。ただ目の前のことに全力で取り組んでいても,心のどこかで自分はなぜ生まれて来たのか?どうして生きているのかを心神と自問自答している日々でありました。しかし,もしかすると私たち人が生まれ,生きる本当の目的と云うものは人を養うことにあるのではないかと感じるようになって行ったのです。更に,人を養うと云うことは凄いことなんだと云うことも理解出来ました。人を養うと言っても,例えば,親や家族の生活を養うと云うことだけではありません。

自分のことだけではなく,誰かの為に,何かの為にと云う気持ちです。

そう自問自答しているといつの間にか人は強く成長できるのだと云うことも解かりました。わたしの場合,その一念で毎日生きて居られるようなものです。たぶん,自分の事だけを考えて生きて来たら,今の自分は居なかったと思っています。ただ,それも自分の事だけを考えて来た結果に過ぎず,自分の事だけを考えて来たことで得られたのだとも思っています。たとえば,お釈迦さまが悟りをひらいたと云われる話しに,苦行が悟りをもたらしたと云う説が一般的ですが,わたしの感じるままに言わせてもらえば,これは全く違います。お釈迦さまが悟りを啓くことが出来たのは,貧しい女性による慈悲「思いやり」であります。苦行ではないのです。

人の優しさ,思いやりに触れた瞬間にお釈迦さまは悟りを啓くことが出来たのです。肉体を酷使させるような厳しい諸々の修行が悟りを啓かせたのではありません。これが後世になって,お釈迦さまの悟りは苦行によるものだと云う解釈が定説となってしまったのです。こうのようなことを書くと,なら山伏や禅僧の修行は間違いなのか?と言われるかも知れませんが,山伏や禅僧の修行は,そもそも意味合いが異なります。山伏「修験道」や禅僧がする修行は「同体思想」「同根思想」と云う内観に通じるものであります。

今日も纏まりのない記事になってしまい恐縮ですが,どうか自分自身を必要以上に傷つけることだけはしないで戴きたいのです。他人と比較しても迷いの淵に落ちるだけです。山に篭り,滝に打たれを繰り返していても手にしようとしているものは手に出来ません。人を養うと云うことが,この世での最高の慈悲であります。人の為に,何かの為に生きているからこそ人は成長できるように思います。これが本当の修行であるとも感じています。今,生きることが辛く苦しいと感じていても変わる時は一瞬で変わります。

心神を忘れずに居れば,なにがあっても絶対に大丈夫です。

心神とともに。

 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝