花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

太陽神と日本人。心神の岩戸隠れ

2022年10月31日 08時05分37秒 | 感謝の心柱

 

こんにちは。

先日の記事,古神道の秘儀「自励拝」に続きまして,今日も縄文時代以前から続く古神道の秘儀(ちょっと大袈裟ですが)を書かせて戴きます。これは結構,多くの方が健康や体内循環を良くする目的で実行されていることだろうと思います。それは早朝の太陽拝「日拝」と云うものです。私も毎日,早朝の7時から8時の太陽神の名「アマテラスオホミカミ」を10回唱えて祈りを奉げております。この日拝は,古神道家でなくても提唱されている方々もたくさんおりますし,医師などの医療関係者も実際に薦められることがあるようです。日拝を現代語に訳すと日光浴とでも言うのでしょうか?日光浴は,気持ちが良くて健康に良い。これは正解です。

古神道と云うのは,大自然と直接,自分自身が繋がり,自分自身の心の中の心神「しんしん」に言ってみれば気を向ける・意識することでありますから奇異的なものではありません。私は,奇異的なことが嫌いなので,自分でもすることはありませんし,決して人に薦めるようなこともしません。ただ目の前にある大自然「神さま」と自然「精霊」と直接,自分自身が繋がることだけなのです。

その理由もいたって簡単で,自分の心の中に神さまの分魂「心神」を宿しているからです。しかし,真に残念なことに,神さまの分魂「心神」が岩戸に隠れたままになっている人々も多いのです。自分を傷つけ,相手も傷つけ,されに自然を穢すことを繰り返して行く内に,心神は心の奥深くに御隠れになられます。逆に,岩戸開きをしている方は,まるで後光が射しているような感じが実際にします。よく,あの人はオーラがあるとか眩しい人だとか言ったりもします。外観的なものではなく内面的に光り出すのです。

こう云った人間の心を物語にした有名なお話が御座います。それが,私たちの国に伝わる日本神話であります。日本神話の中に,天岩屋戸と云う物語が御座います。天岩戸や天岩屋とも云われることもありますが,実は,この日本神話に登場する物語の大半は自然と人間が共生することの大切さを教えていたり,又,人の心の中の様子を物語としていることが多いのです。その物語の中でも,特にこの天岩戸と云う物語ほど人の心の様子を見事に物語として伝えたと感じています。太陽神「天照太御神」が岩戸(洞窟)に御隠れになってしまったことで暗黒の世界へと変わってしまうと云う御話です。神社の祭り事や日本のお祭りの起源でもあります。

祭り事だけではなく,民主主義も家族会議の起源でもあります。何か問題が起きた場合,皆で話し合い,互いに知恵を出し合い,皆で協力し合って問題を解決して行くことの大切さを日本の神話は教えてくれています。それはまるで,わたしたち国民一人ひとりに困難に直面した時の対処法を教えてくれているかのようです。

日本神話と聞くと無理やり天皇家と結び付けたり,戦いの物語の方向に話を持って行きたがる人もおりますが全く違います。互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合うのが大和の魂を宿した真の日本人であり,日本人としての誇りなのです。

毎朝の日拝は,心の岩戸開きの意味があります。

 ※ 目の保護の意味で,太陽を直視しないように致しましょう。

大和の国で暮らす 和の住人でした。

花咲 あさひ 拝


水の神より人へ

2022年10月28日 21時00分31秒 | 美しき水の国

夜空に輝く星々たちは 水に恋をし光り輝く

太古の人はそれを知り 星の輝き目印に 水の湧き出る大地を求め

種々の種植え鎮守の森に 水を穢さず 水を汚さず

人の出入りを固く禁じ 水に感謝し 水を奉る。

水が如何ほど尊いか 水は人の命の源 知る人少なき哀れなことよ。

水は万物恵みを与え 誇らず競わず素直に流るる 下へ下へとその身を任せん。

なれど必要あればすべてを祓い 必要あらばすべてを清めん。

穢すなかれよ 汚すなかれ

水を穢せばその身も気枯れ 水を汚せば空も怒り荒れん。

水の如く素直に生きよ 水の如く謙虚であれよ。

逆らわず 競いもあわず 争わず ただ己の身を低くして

多くの人に恵みを与えよ。

 

夜間の配達も無事に終わり,

郵便局に戻る途中,しばし休憩しています。

今日も一日ありがとう御座いました。

花咲 あさひ 拝


急ぎ馳せ参じ候。胡坐をかいた宗教家たち。

2022年10月24日 12時22分06秒 | 祭祀と和の国

 

以下の記事は,2019.11.28に掲載した過去の記事です。

宗教家のみさなん。

何故,観音さまが裸足でいるのか説明できますか?

こんにちは。

今日も生意気にも私,花咲あさひは宗教家に物申します。

最近,たくさんの人が日本古来の古神道に触れて頂けることは素直に嬉しく思っています。古神道を理解してしまえば,今だけ・カネだけ・自分だけの宗教家やスピ何者や霊能者云々の詐欺紛いの事件も少しは減って来ると思いますし,苦しむ人々も減るからです。その前に,そう言った人たちを頼ろうとも思わなくなります。

又,人としての和を重んじて行くようになるからでもあります。

そして,最後には自分の心の中の心神と云う存在に気が付きます。

ただ,なかなか腰を上げようとしない人たちもいらっしゃいます。それが,神社の宮司さんをはじめ,神職さんやお寺の住職さんたちであります。もう冷めてしまっているのか,それとも神職や住職を1つの職業として割り切っているのか,安住の地から離れられないのかは存じませんが,所謂,御座敷にあがる立場の白足袋衆がなかなか動こうとしません。

神社や寺院の護持は黒足袋衆に任せておいて,自分たち白足袋衆は今すぐにでも困っている人たちや社会的に弱い立場に立たされている人々の元へ急ぎ馳せ参じ候なのに,じっと胡坐をかいたままです。ただ難しいことはなく,目の前にいる参拝者や檀家さんへ何気なく声を掛ければ良いだけです。

胡坐をかいたままで,うちの神社には参拝者が来ないとか,うちのお寺は檀家が増えないとかはただの言い訳です。

胡坐をかいたままでは参拝者も増えません。檀家も増えません。企業であればとっくに倒産しています。

今の世の中は,大変便利なインターネットなどもありますしSNSなどを使ってどんどん積極的に発信して行けば良いと思います。たとえば,ブログなどで記事を掲載して読んでもらったりするのもとても有効な手段だと思いますし,本を出版されても良いと思います。ある程度,大きな神社ならばマスコミや出版会社の人との繋がりもありますからとにかくじっと受け身ではなく能動的に活動されて見ては如何でしょうか?やはり,日本人は神社や寺院が理由もなく好きなのです。どこか心が落ち着くと申しますか安心できると申しますか理屈ではなく純粋に好きなのであります。

ですから,神社が主催するイベントに多くの方が来社されるのです。

日本人が神社や寺院が好きな理由は,わたしは遺伝子「DNA」の関係がとても強く作用していると考えているのですが,いずれにしても神社や寺院が今すべきことは,日本人としての和の心を再び伝えていくことだと考えます。その伝承者たる人が本来は,神社の宮司さんをはじめ神職さんやお寺の住職さんの役割であるのであります。その役割を忘れた結果が今の神社界・仏教界の姿のように私は感じています。

つまり,一般の人々に信仰心がなくなったのではなく,神社の神職さんやお寺の住職さんたちに信仰心がなくなったのです。その結果,スピ何者や新手な霊能者云々が跋扈するようになって行ったのです。これは宗教家の責任であります。

何かと云えば御利益御利益と言って来たと思いますが,もう若い人たちにはそんな話は通用しません。

若い人たちは,本当のことが知りたいのです。御利益とかそう言ったことでは無いのです。

たとえば,わたしもいろいろな人から「あさひちゃん。なにかおススメの本はない?」とよく聞かれることがことがあります。そんな際に,私が必ずお勧めする本は,このブログでも何度も書かせて戴いて来た春日大社の元宮司さんでいらした葉室頼昭先生の著書です。今でも葉室先生の本は人気があり,古本市場でも入手が困難な状態です。宗教や信仰は嫌いと言う人でも葉室先生の書いた本は人気があります。いまだに葉室先生の言霊は本の中で生き続けています。特に現代の会社経営者は必読書だと思っています。

それは何故でしょうか?難しい宗教用語や意味不明な言葉や理解できないような話がほとんど無いからだと私は思っています。又,以前,葉室先生の本を紹介したあるお寺の住職さんは,葉室先生の本を読み態々,関東地方から奈良の春日大社まで参拝に行かれた程です。その後,なんとそのお寺の住職さんは,檀家さんをはじめ親類縁者に至るまで困っている人の役に立とうと決心し,活動を開始されています。

まさに,山を下りた観世音菩薩の後を追った宗教家の御一人です。檀家数の少ない田舎にある小さなお寺ですが,住職さんの心意気は大寺院にも負けないほどです。それだけ,真の宗教家の伝える言葉と云うものは大切なのであります。大袈裟と思われるかも知れませんが,人の人生に大きな影響を与えるほどなのです。

そのことをもっと自覚して頂きたいと思います。

この期に及んでなぜ,宗教家は胡坐をかき続けるのか。

今すぐ山を下りよ。

苦しむ人々を救済し,観世音菩薩の後を追え!

天はすべてを観ています。祈