花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

スサノオブルーのチルドレンたちへ。 ~YELL~ 

2019年03月14日 04時22分50秒 | 歓びの心柱

こんにちは。

これまでも現代の若者について,このブログでも書かせて頂いて来ました。世間では,最近の若者はと言われることがありますが大丈夫です。エジプト文明の頃から言われ続けて来たのですから気にする必要もありません。私は,最近の若者を見ると本当に立派な若者が多くて凄いなと感じています。礼儀正しく,優しくて,そして,あまり欲もないような感じもします。その若者の中でも,特に今の10代の若者が20歳を過ぎる頃,世界を牽引して行くのではないかと期待もしているのです。冗談ではなく本当に。

この世代は,あまり贅沢を知らず,ステイタスにも興味がないようです。又,貧富の差を経験している子供も多く存在します。たとえ自分では経験していなくても,周囲の友達が給食費も払えない事や塾に行きたくても行けない事や夏休みに何処にもいけない事を肌感覚で知っているようです。そう言った小さな子供のときから自分ではどうすることも出来ない事に対する思いは,やがて,実体験を通して経験した慈悲の心を自然と身に付けて行きます。慈悲の心はまるで自分で体感して来た感覚として残りますので,自分が経験していなくても直感で真実を見抜きますし,だいたい大人の嘘なども瞬時に判りますから嘘偽りが通用しません。

マスコミは直ぐに,若いスポーツ選手や芸能人など有名人ばかりに目を向けますが,むしろそう言ったスポットライトの中にいる子供よりも,そうでない子供たちに私はもの凄く期待しているのです。そして,その子供たちが成人を迎えたころ社会の役に立ちたい。困っている人の役に立ちたい。世界で挑戦したみたいと奮起して行ってくれることを心から願っています。

そう云った子供たちが和の国である日本にどんどん生まれ出ています。

きっと,魂の経験値が高いのでしょう。肉体は若くても魂の年齢,つまり,輪廻転生を多く繰り返してきた魂です。その魂が現代に続々と生れ出て来ているようであります。人は誰でも年齢「世代」に関係なく,生まれて来る前に宿命を宿して来ます。運命とは違い,決して変えることの出来ないことが宿命です。古神道では,今世に生れ出る前に,あの世で神さまと相談した上で,生まれ出る環境を自分で設定して神さまと共に誕生して来ます。これを産土神と申します。つまり,誰の心の中にも存在する神さまです。

そして,産土神と共に一生を共に歩んで行くのです。

郵便局で配達員のアルバイトをしていると,小包の配達を1日だいたい100件以上は配りに回ります。朝から夜遅くまでひたすら配達することだけ考えて時間指定の荷物は限られた時間に間に合うように注意しながら配達をしています。そう言った中で,小さな子供のいる家庭に配達に行くと本当に感心することがとても多いのです。小学生くらいの子供たちはとても礼儀正しく,ちゃんと最後には「ありがとうございました」と頭をさげて挨拶をして来ます。まだ仕事と言う概念が備わっていないので,心からの「ありがとう」なのです。見るからに賢そうな子供たちばかりです。私も将来,子供たちの御役に立てることを仕事を通じてやって行こうと考えております。特に,貧困層の子供たちの御役に立てれたら良いなと思っています。日本で生活している子供たちに国籍や生まれたところは関係ない話です。国家間の争いや紛争は政体を司る人たちで河川敷にでも行って殴り合いの喧嘩でも何でもして下さい。

今の世界の政治家は,国民の命と云うものを神さまからお預かりしていることを忘れています。

理屈にもなっていない屁理屈ばかり。

破綻した論理ほど惨めなものはないことすら判らず,不知な頭脳をさらけ出し。

自ら滅び行く哀れな姿よ。神が預けし御子の御霊を傷つけ汚すは神への冒涜。

毎日,苦しい中でも何とか一般の生活をしている国民と平穏に暮らしている子供たちを巻き添えにして欲しくないのであります。神さまは全てをご覧になっています。自分の先祖もすべてを観ています。自分の胸に手を当て考えて見れば答えは出てくるはず。もしも,何の答えも出てこないのであれば,それは単なる努力不足でしかありません。大いに省みて猛省しなければなりません。

心配,不安は穢れの根源。穢れとは「気枯れ」つまり,気が枯れること。神さまが最も嫌うエネルギーであります。穢れに触れると私たちの身体は病気になります。私は,いつも上手く出来ているなと感じていますが,これも神さまから日々の行い生活を省みろと云うひとつのサインなのでありましょう。すべての子供たちが豊かに平穏で暮らして行けますように。祈念いたします。拝

自分の事など形振り構わず,子供の為にとパートをしながら一生懸命育ててくれた母上様を大切に。合 掌

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


食「直会」を通じた神社の護持。 再掲載

2019年03月12日 18時30分35秒 | 歓びの心柱

こんにちは。

以下の記事は,昨年4月23日に書かせて戴いた過去記事です。

先日もブログで記事にさせて戴いた奈良県の吉野郡に御鎮座される龍神が棲息する丹生川上神社下社と云う日本最古の水の神さまをお祀りする神社で,食「直会:なおらい」を通じた護持を取り入れているようで大変興味深く拝見させて頂きました。そもそも神道に伝わる直会とは,天の神さまからの御恵みと大地の神さまからの御恵みに感謝を申し上げ,神さまのエネルギーを自分の身体に吸収させることを目的とした日本古来の食に対する食文化の1つでもあり,現在の神社神道においても重要な神事でもあるのです。

前にも確か,京都の貴船神社で御日供講と云う護持制度を紹介させて頂いたことがあったように思います。この御日供講と云う護持も心ある不特定者から少額な資金を集め,神さまへ奉献する食事「御神饌」を調達することを目的とした護持であります。現代の金融ファンドの元になったのではないかと私は考えているのですが,そんなことは横において置いて,丹生川上神社下社では八百万神直会倶楽部と云う名称で活動を食を主題に展開されております。倶楽部会員には毎月一度,神さまへ御供えした御神饌が自宅に届く仕組みのようです。左上の写真が,その御神饌のようで丁寧に包装された御神饌に宮司さんの御言葉を添えて発送されています。

現在の宮司さんは皆見元久宮司であります。

皆見先生は,今に感謝と云う信念で神社の宮司を務められているようです。又,皆見先生が倶楽部の代表発起人となって設立された八百万神直会倶楽部も設立時の理念は「人は,人の為に生き生かされる」を根本理念として取り組まれているようです。わたしは個人的に,皆見宮司は,古神道家でもあると感じていますので,今ではとても珍しく貴重な宮司さんでおられると想っています。

御利益を説かれる宗教家はたくさん居ますが,森羅万象の中心の座が感謝であることを理解されている宗教家となるとほとんど存在しませんから,私にとっては古神道家と言えるのです。奈良県の吉野と云う山深い祭祀場所から人はなぜ生きるのか?と云う人間の最大のテーマでもある事柄に真正面から真っ直ぐに向き合われている御様子です。その丹生川上神社下社が現世に生きる私たちに何を伝え,又,後世の子孫に何を伝え残すのかとても楽しみであります。右上の画像は,皆見元久宮司が書かれた著書であります。

感謝の心を主題としているようです。

八百万神直会倶楽部の内部のことまでわたしも詳しい事はよく存じませんが,通常の神社内に設置する崇敬会と同様の神社直轄の組織体ではないかと想像しています。いずれにしても,人間が生きて行く上で欠かすことの出来ない食を主題に神社の護持も考え,神さまの御心を倶楽部会員の皆さまへ発信して行くと云う発想は素晴らしいことではないかと感じております。食は人が生きて行く上の根本でもあります。食生活が乱れれば,人の心も乱れ,身体にも良くありません。現代病の根本的問題は,食生活にあるとさえ私も感じています。食生活が悪化し,その上で,ストレスを多く抱える社会ですから人の身体にも良い訳がないのであります。

五穀豊穣を祈る私たち日本人が,日本で生産された農産物をいつまでも食べて行けることが出来るように,そして,若い人たちが農業に興味を持ち従事できる環境の整備と水資源を確保できる法整備を国家は,今の内に着々と進めて行かなければならないとブログでもこれまで何度も書かせて戴いて来ました。そう言った大切なことを神道を通じ,難しい言葉ではなく,誰にでも理解できる言葉で一般の人々にも伝えてくれることを祈っています。又,食を通じて八百万神倶楽部さんには頑張って頂きたいと思います。

祭祀司と護持司が共に古神道の精神「自然崇拝と祖霊祭祀」を後世に伝え続けて行くことが日本の復興に必ずや繋がると考えます。これからも皆見宮司に続く神社の宮司さん,神職さん,そして巫女さんが現れて来ることを願っています。思い切って,神社での祈祷受付の種類を神恩感謝と祖霊感謝だけにして見ては如何でしょう。神社の宮司や神職が率先してその気になり,積極的に発信して能動的に行動しならなければ一般の参拝者にも届かないと感じています。そこから創めなければならないくらいまで来ています。

わたしも大変,勉強させて頂けたことに感謝です。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


多賀宮の神さまとの再会 再掲載

2018年11月03日 06時08分45秒 | 歓びの心柱

こんにちは。上の写真は,伊勢神宮「外宮」まがたま池側の鳥居です。神域内では,写真が撮れないのでここが限界です。偶に,神宮に御参りに行かれる御人で,内宮のみで参拝を終わらせる方がいらっしゃいますが,是非とも外宮に先に御参り後,内宮に参拝して頂きたいと思います。外宮に先に参拝することを昔から外宮先祭と申します。昨日,日月神示と天日津久神社の記事を書かせて戴きましたが,今日は,私が感じる天日津久神社と同じ神気を感じるもうひとつの神社と云うか御宮を書かせて戴きたいと思います。

その御宮は,伊勢神宮「外宮」神域内に御鎮座されます多賀宮と云う第1別宮です。

外宮に参拝されたことのある御人であれば,御正宮への参拝後に行かれたこともあると思います。小高い丘の上に御鎮座されていています。御正宮から御池にかかる亀石を渡り,真っ直ぐ直進すると左側に98段の石段があり,その石段を上がり行くのですが,この98段の石段も神気が凄いところであります。98段の石段であれば,さほど体力的にもキツイ感じもしませんが神気が強いせいか何なのかとても体力を必要とするときがあります。わたしの知り合いの人と参拝した時は,その知人は息切れが凄く,ドキドキ感が石段を上がっているときずっとしていたと話しておりました。やはり,神気の強い場所への立ち入りは注意が必要であります。

これまでもブログを通じて,御神体や祭祀場への立ち入る意味を書かせて戴いて来ましたが,パワースポットだから誰でもパワーが貰える云々では絶対に止めた方が良いと思います。特に,古神道系の祭祀場所は,大自然や自然のエネルギーがもの凄いですから生身の人間が容易く立ち入れる場所では本来はありません。たとえ,神社が許可をしていてもそこに遊び気分の気持ちが少しでもあるのであれば本当に止めておいた方が身の為であります。神さまが祟りを齎せることはありませんが,神さまが鎮まり,御眷属神がいる場所で不敬なことがあると簡単にその人の人生が変わってしまうこともあるのです。冗談でも何でもありません。マジ話です。

多賀宮もそうのような威厳に満ちた祭祀場所でありますが,わたしが初めて多賀宮を参拝させて戴いた時のあの声「音霊・波動」の主は一体誰なのか?偶に,思い出しては考えています。外から聴こえてくる声ではなく,私自身の中から聞こえて来た言葉でした。その内容を書くことは出来ませんが,再会を連想させる言葉でありました。その後,何度も参拝をさせていただいておりますが,同じようなことは一度もありません。御宮も現在の位置ではなく,式年遷宮前の方です。つまり,今で云う反対側の御敷地です。

これは,あくまでもわたし個人が感じている直感力「インスピレーション」ですが,外宮の多賀宮に御鎮まりになられる神さまは旧約聖書を書かせた神さまではないかと云う想いが凄くあるのです。新約聖書ではなく,旧約聖書の方です。きっと,外国人の方で感受性が高く,旧約聖書に想い寄せられる御人であれば何か特別な感情と申しますか,心の奥底で感じることがあると思っています。とは言っても,わたし自身が旧約聖書も新約聖書も読んだことがないので,聖書に何が書かれているのかは知りません。ただ感じるままに書かせて戴いているだけであります。外宮に参拝されることがあれば,是非とも多賀宮の神さまへも参拝されて下さい。

再会を感じ神気に満ちた御宮でした。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


ほんの一時でも贅沢をさせてあげたい。 再掲載

2018年08月13日 06時16分28秒 | 歓びの心柱

上の写真は,総本山 長谷寺です。

以下は「2016.9.2」に掲載した神恩感謝に心音感謝。毎朝毎夕祖霊に感謝記事です。

こんにちは。また台風(12号)が発生し,今度は九州地方・熊本の被災地を直撃しそうな進路を辿っているようです。大難が小難に小難が無難になるよう祈ります。9月と10月は台風に注意したいと思います。これから台風が巨大化して行くと感じていますし,これまでの様な進路以外も想定しておく方が無難かも知れません。9月9日(重陽の節句)には大きな節目のような日になるとも感じています。(これは眼には観えないお話です)白山の太神様への感謝の日と私は個人的に考えております。

さて,先月8月には祖霊感謝祭がありました。そして,今月9月には祖霊感謝祭がのお祀りが御座います。8月つまり,お盆の際の祖霊大感謝祭よりも若干,質素にはなりますが,今から献立を考えたりしながら楽しみにしています。未だ若いのですが,考え方は御老人の様です。先祖供養や祖霊感謝のお祀りは何だかとても楽しくて仕方がないのです。私たちの祖先の中には,飢饉や飢餓,疫病や死産の御霊がたくさんおります。どんな家系であろうとおります。平安時代や鎌倉時代の祖先においてはまさに飢饉や飢餓,疫病の時代でありました。その祖先が,この世に置いて逝った未練も凄いものであったと想像しています。

きっと,やりたい事ももっと沢山あったでしょうし,遊びたいこともあったと思います。勉強も仕事もしたかったでしょうし,女の子であれば今で云うオシャレもしたかったのではないかと感じています。中には,人に奉仕することを夢見ていた先祖もいたはずです。その未練や執着,想いや想念を私たち子孫は受け継いで生きています。万が一,祖先がお盆やお彼岸に子孫の元へ帰還することが神様に許して頂けるのであれば,せめてその短い期間中は贅沢をさせてあげたいといつも思いながら供養させて頂いております。今日,神様へ大祓詞を奏上した時の気持ちはとても気持ちが良いものでした。先祖供養の前の観音経も落ち着いて気持ちよく捧げることが出来ました。気持ちがとても清々しかったです。有難う御座いました。

心柱に音を降ろし,言葉にして観ました。以下の紫色の文字がそうです。

我 子孫 祖霊飲食 祖霊衣服 祖霊住居 祖霊薬薬 祖霊安寧 祖霊平穏 一心観世音菩薩 祈

我 祖先 子孫飲食 子孫衣服 子孫住居 子孫薬薬 子孫安寧 子孫平穏 一心観世音菩薩 祈

子孫は,祖霊の飲食,祖霊の衣服,祖霊の住居,病気の祖霊に薬を祖霊の安寧,祖霊の平穏を一心に観世音菩薩へ祈ります。

祖先は,子孫の飲食,子孫の衣服,子孫の住居,病気の子孫に薬を子孫の安寧,子孫の平穏を一心に観世音菩薩へ祈ります。

神恩感謝に心音感謝。毎朝毎夕祖霊に感謝。花咲 あさひ 拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


食「直会」を通じた神社の護持。 再掲載

2018年07月20日 05時10分21秒 | 歓びの心柱

こんにちは。

以下の記事は,今年4月23日に書かせて戴いた過去記事です。

先日もブログで記事にさせて戴いた奈良県の吉野郡に御鎮座される龍神が棲息する丹生川上神社下社と云う日本最古の水の神さまをお祀りする神社で,食「直会:なおらい」を通じた護持を取り入れているようで大変興味深く拝見させて頂きました。そもそも神道に伝わる直会とは,天の神さまからの御恵みと大地の神さまからの御恵みに感謝を申し上げ,神さまのエネルギーを自分の身体に吸収させることを目的とした日本古来の食に対する食文化の1つでもあり,現在の神社神道においても重要な神事でもあるのです。

前にも確か,京都の貴船神社で御日供講と云う護持制度を紹介させて頂いたことがあったように思います。この御日供講と云う護持も心ある不特定者から少額な資金を集め,神さまへ奉献する食事「御神饌」を調達することを目的とした護持であります。現代の金融ファンドの元になったのではないかと私は考えているのですが,そんなことは横において置いて,丹生川上神社下社では八百万神直会倶楽部と云う名称で活動を食を主題に展開されております。倶楽部会員には毎月一度,神さまへ御供えした御神饌が自宅に届く仕組みのようです。左上の写真が,その御神饌のようで丁寧に包装された御神饌に宮司さんの御言葉を添えて発送されています。

現在の宮司さんは皆見元久宮司であります。

皆見先生は,今に感謝と云う信念で神社の宮司を務められているようです。又,皆見先生が倶楽部の代表発起人となって設立された八百万神直会倶楽部も設立時の理念は「人は,人の為に生き生かされる」を根本理念として取り組まれているようです。わたしは個人的に,皆見宮司は,古神道家でもあると感じていますので,今ではとても珍しく貴重な宮司さんでおられると想っています。

御利益を説かれる宗教家はたくさん居ますが,森羅万象の中心の座が感謝であることを理解されている宗教家となるとほとんど存在しませんから,私にとっては古神道家と言えるのです。奈良県の吉野と云う山深い祭祀場所から人はなぜ生きるのか?と云う人間の最大のテーマでもある事柄に真正面から真っ直ぐに向き合われている御様子です。その丹生川上神社下社が現世に生きる私たちに何を伝え,又,後世の子孫に何を伝え残すのかとても楽しみであります。右上の画像は,皆見元久宮司が書かれた著書であります。

感謝の心を主題としているようです。

八百万神直会倶楽部の内部のことまでわたしも詳しい事はよく存じませんが,通常の神社内に設置する崇敬会と同様の神社直轄の組織体ではないかと想像しています。いずれにしても,人間が生きて行く上で欠かすことの出来ない食を主題に神社の護持も考え,神さまの御心を倶楽部会員の皆さまへ発信して行くと云う発想は素晴らしいことではないかと感じております。食は人が生きて行く上の根本でもあります。食生活が乱れれば,人の心も乱れ,身体にも良くありません。現代病の根本的問題は,食生活にあるとさえ私も感じています。食生活が悪化し,その上で,ストレスを多く抱える社会ですから人の身体にも良い訳がないのであります。

五穀豊穣を祈る私たち日本人が,日本で生産された農産物をいつまでも食べて行けることが出来るように,そして,若い人たちが農業に興味を持ち従事できる環境の整備と水資源を確保できる法整備を国家は,今の内に着々と進めて行かなければならないとブログでもこれまで何度も書かせて戴いて来ました。そう言った大切なことを神道を通じ,難しい言葉ではなく,誰にでも理解できる言葉で一般の人々にも伝えてくれることを祈っています。又,食を通じて八百万神倶楽部さんには頑張って頂きたいと思います。

祭祀司と護持司が共に古神道の精神「自然崇拝と祖霊祭祀」を後世に伝え続けて行くことが日本の復興に必ずや繋がると考えます。これからも皆見宮司に続く神社の宮司さん,神職さん,そして巫女さんが現れて来ることを願っています。思い切って,神社での祈祷受付の種類を神恩感謝と祖霊感謝だけにして見ては如何でしょう。神社の宮司や神職が率先してその気になり,積極的に発信して能動的に行動しならなければ一般の参拝者にも届かないと感じています。そこから創めなければならないくらいまで来ています。

わたしも大変,勉強させて頂けたことに感謝です。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

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菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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多賀宮の神さまとの再会

2018年06月24日 17時17分17秒 | 歓びの心柱

こんにちは。上の写真は,伊勢神宮「外宮」まがたま池側の鳥居です。神域内では,写真が撮れないのでここが限界です。偶に,神宮に御参りに行かれる御人で,内宮のみで参拝を終わらせる方がいらっしゃいますが,是非とも外宮に先に御参り後,内宮に参拝して頂きたいと思います。外宮に先に参拝することを昔から外宮先祭と申します。昨日,日月神示と天日津久神社の記事を書かせて戴きましたが,今日は,私が感じる天日津久神社と同じ神気を感じるもうひとつの神社と云うか御宮を書かせて戴きたいと思います。

その御宮は,伊勢神宮「外宮」神域内に御鎮座されます多賀宮と云う第1別宮です。

外宮に参拝されたことのある御人であれば,御正宮への参拝後に行かれたこともあると思います。小高い丘の上に御鎮座されていています。御正宮から御池にかかる亀石を渡り,真っ直ぐ直進すると左側に98段の石段があり,その石段を上がり行くのですが,この98段の石段も神気が凄いところであります。98段の石段であれば,さほど体力的にもキツイ感じもしませんが神気が強いせいか何なのかとても体力を必要とするときがあります。わたしの知り合いの人と参拝した時は,その知人は息切れが凄く,ドキドキ感が石段を上がっているときずっとしていたと話しておりました。やはり,神気の強い場所への立ち入りは注意が必要であります。

これまでもブログを通じて,御神体や祭祀場への立ち入る意味を書かせて戴いて来ましたが,パワースポットだから誰でもパワーが貰える云々では絶対に止めた方が良いと思います。特に,古神道系の祭祀場所は,大自然や自然のエネルギーがもの凄いですから生身の人間が容易く立ち入れる場所では本来はありません。たとえ,神社が許可をしていてもそこに遊び気分の気持ちが少しでもあるのであれば本当に止めておいた方が身の為であります。神さまが祟りを齎せることはありませんが,神さまが鎮まり,御眷属神がいる場所で不敬なことがあると簡単にその人の人生が変わってしまうこともあるのです。冗談でも何でもありません。マジ話です。

多賀宮もそうのような威厳に満ちた祭祀場所でありますが,わたしが初めて多賀宮を参拝させて戴いた時のあの声「音霊・波動」の主は一体誰なのか?偶に,思い出しては考えています。外から聴こえてくる声ではなく,私自身の中から聞こえて来た言葉でした。その内容を書くことは出来ませんが,再会を連想させる言葉でありました。その後,何度も参拝をさせていただいておりますが,同じようなことは一度もありません。御宮も現在の位置ではなく,式年遷宮前の方です。つまり,今で云う反対側の御敷地です。

これは,あくまでもわたし個人が感じている直感力「インスピレーション」ですが,外宮の多賀宮に御鎮まりになられる神さまは旧約聖書を書かせた神さまではないかと云う想いが凄くあるのです。新約聖書ではなく,旧約聖書の方です。きっと,外国人の方で感受性が高く,旧約聖書に想い寄せられる御人であれば何か特別な感情と申しますか,心の奥底で感じることがあると思っています。とは言っても,わたし自身が旧約聖書も新約聖書も読んだことがないので,聖書に何が書かれているのかは知りません。ただ感じるままに書かせて戴いているだけであります。外宮に参拝されることがあれば,是非とも多賀宮の神さまへも参拝されて下さい。

再会を感じ神気に満ちた御宮でした。拝

  

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

これからも,世界への発信ボタン3つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


歓びもちて結びとすれば弥栄なり。

2018年05月20日 08時38分38秒 | 歓びの心柱

 

9時43分 追記:防災情報。

今朝,晴天であるのに雨が降りました。東日本大震災の時もそうでした。

5月半ばを過ぎたのにとても寒い日です。防災意識を忘れずいましょう。

こんにちは。

最近のニュースを見ても,新聞を読んでも暗くなるようなものばかりが報道され続けています。政治の世界でもそうですし,宗教界でも同じであります。ほとんどが性非行か金銭的な事柄です。なんだか暗くなるようなニュース以外は報道しないようにしているのか?と思えて来てしまうような社会になってしまいました。これは,私たち個人に与える影響は良くないものであり,まして子供たちのことを考えると複雑な気持ちになって来てしまいます。そうかといって,事実を報道しないと云う報道姿勢ではいけません。

本来,私たちの国の政治も経済も祭であるのです。その祭りの意味を取り違えしてしまっている期間が少し長すぎてしまって,いつの間にか政治の祭,経済の祭を忘れてしまったようです。祭を忘れてはなりません。日本と云う国家は祭を主体とした和の國であります。食事をすることは直会(なおらい)と云う生命を維持する祭事です。お風呂に入るということは禊と云う祭事です。身を浄める・清めるとも云われています。掃除でも同じように埃や塵を払う祓事と云う祭事なのです。こんなにたくさん国民の日常生活に祭事が存在する国家は,世界中の国々をどんなに探しても日本「和の國」以外に存在することはありません。日本人は祭人です。

故に,特に西洋人には不思議な民族として見られているようです。日本人と聞くと礼儀正しく,清潔で,真面目と云う代名詞のように感じられていますが,それもそのはず。これだけ祭事が国民一人ひとりの生活の中に浸透しているのです。日本人からすると何も特別な意識すら以ていないのであります。つまり,当たり前と云う前提がそこにはあります。しかしながら,その前提がいま大きく崩れかけて来てしまっています。これは日本と云う国家と日本人と云う国民にとっての存亡にかかわることではないでしょうか。

たとえば,生命を維持するために私たちは,食事「直会:なおらい」と云う祭事をします。その食事が出来までの過程を見てみると五穀豊穣を祈る五穀豊穣祭と云う祭事からはじまり,天と地のエネルギーを十分に吸収した作物を収穫します。無事に収穫できたことを天と地の神さまに感謝申し上げます。そうして私たちは自分の身体に吸収できる訳です。食事「直会」を通じて感謝の気持ちを育むことを小さな子供のころから私たち日本人は教育されて来たのであります。それを自分の身体で表現したカタチが食事をする際の「いただきます」と云う祈りの姿です。この祈りの姿とは何を意味するものなのか?ここにも祭の重要な意味があるのです。

それは,動植物供養祭と云う祀り事です。

何気ない食事と云うことでも五穀豊穣祭からはじまり,天と地のエネルギーを吸収して育つ生育祭,そして,無事に収穫出来たことへの収穫感謝祭,さらに,私たちが食事できることへの感謝祭と生命を戴くことへの動植物供養祭と単なる食事だけでもこれだけの祭事があるのであります。しかし,こう云った祭事が日本からどんどん減って行ってしまっています。食事をするときの「いただきます」と云う言葉には動植物への供養の意味が籠められているのですが,それすら出来ない人がおります。考えて見て下さい。動物が人間の為に処分されたときの苦しみ・悲しみ。そして人間への復讐心が蓄積された念を自分自身の身体の中に入れているのです。

いただきますを単なる儀式と考えない方が身の為です。

肉食を好む人は,怒りっぽくて短気になります。たかが食事と侮るなかれ。

食事の祭事でけではありませんが,冒頭でも書かせて戴いたお風呂にしても同じであります。お風呂は禊ぎするだけではなく,自分の身と心を癒やしてくれる大切な癒し所でもあります。水への感謝の場所でもあります。最近は,湯船にはつからずシャワーだけで済ませる日本人が多いようですが,湯船につかると云うことも大切な祭事であるのです。よく落武者が戦場で負傷した刀傷を治癒するために温泉を探していたり,発見したと云う話を聞かれたことはないでしょうか?温泉は,身体の内部の病気だけに効果がある訳ではなく,外傷にも効果があることを昔の人々は知っていたのであります。現代医学でも温泉療法は有効であるとされています。

私たちの日常生活からさまざまな祭事が減って行き,消えて行ってしまうと日本はどうなるのでしょうか?このままでは,日本人が西洋人化してしまう日が本当に来ると私は感じています。企業社会では,ほぼ西洋化してしまいました。ちょっと前に,社内用語をすべて英語にすると云うことで話題になっておりました。もしかすると,戦後の占領統治政策は終わっていないのかも知れません。私たちが暮らすこの日本から祭事を無くしては決していけません。私たちが祭事を失ってしまえば,日本人は日本に住みながらにして日本人ではなくなってしまうのです。既に,西洋人化している面も多々ありますが,しかしまだ間に合うようにも思います。

日本弥栄!あなたも弥栄!

祭人 Asahi Hanasaki 

 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


真実と事実。バランス意識が大事です。

2018年04月24日 06時18分28秒 | 歓びの心柱

こんにちは。

真実と事実と云う言葉。今日は,この2つの言葉の意味を書かせて戴きたいと思います。わたし達が日々の生活をして行く上でよく耳にする言葉であります。この真実と事実のもつ言葉の意味を最近とても考えていたりしておりました。つまり,真実と事実の違いはどこに在るのだろう?と云うことです。事実と云う言葉には,真実が果たして含めれているのか?反対に真実と云う言葉には事実が含まれているのだろうか?なんだか考えれば考えるほど奥が深く似ているようで似ていない言葉であると大変興味がありました。

たとえば,事実と云う言葉を「現実」と云う言葉に置き換えて考えて見るとより分かり易いように思います。この「現実」と云う言葉もよく耳にしたりする言葉でもあります。「これが現実」など人との会話で使うように。次に,真実と云う言葉を「真理」と云う言葉に置き換えた場合はどうでしょうか?「真理」と「現実」と云う言葉どうしでは,その言葉のもつ意味は全く違うことが解かり易くなります。事実とは目に見えるカタチの現象的な事柄であって,真理とは目には見えない非現実的な心で感じる事柄のように感じています。要は,誰にでも共通した普遍的・不変的なものと考えることが出来るのです。真理は1つと云う言葉もよく聞きます。

そこで,真実と云う言葉を真理と置き換え,事実と云う言葉を現実と云う言葉に置き換えて考えた場合,自分の人生をより良く生きるとは,まさにこの真実と事実の中間地点「中心」に立つことではないかと思い当たりました。真実にも事実にもどちらにも偏らない生き方が,この世界では生き易さを感じて行けることなのではないと考えた次第であります。たとえば,気の合う仲間同士で,いろいろな夢や希望をお互いに熱く語り合い無我夢中になり過ぎて時間を忘れていたと云う方々もいらっしゃると思います。

しかし,いくら自分の夢や希望をどんなに熱く夢中になって語り合ったとしても事実「現実」を考えると無理だとか難しいと云った急に先程まで語り合っていた話が空想話に変わってしまいます。わたしは,これが真実と事実の違いに想えてくるのです。実は,昨日,関東地方の千葉県成田市に御鎮座されます麻賀多神社と云う東日本一の大杉「御神木」を有する神社に久しぶりに参拝をさせていただきました。御存知の方も多いと思いますが,この麻賀多神社は日月神示と云う御啓示が降ろされた神社としても有名な神社で御座います。※正確には,麻賀多神社の境内に御鎮座される天日津久神社(あめのひつくじんじゃ)の御祭神とされています。

その日月神示(ひつきしんじ又はひつくしんじ)の中に,先ほどの真実と事実を考えさせるような言葉がたくさん出て来ます。たとえば「祈りだけでは祈り地獄に」「理屈だけでは理屈地獄に」にと云う言葉などであります。つまり,すべての物事と云うものにはバランスが大切であり,どちらか一方に偏ったりせずに中間地点「中心」を意識しなさいと云う趣旨だと私は感じています。とたえば,霊能云々,スピリチュアル云々に偏り過ぎて日常生活「仕事や私生活」に支障を来す様では,そんなものは神さまの御心にそうものではないと云うことです。ここを強く意識することがとても大切な気がいたします。人間には人間としての行があります。

この世の中は,お金だけではない。お金では買えない大切なものがあると云う考えがあるとします。わたしも正しい考えだと思っています。しかし,この世を生きて行くためには,お金がなければどうすることもできないと云う確かな思いもあります。つまり,この世は,お金だけではないと云う真実「真理」とこの世を生きて行く為にはお金が必要だと云う事実「現実」と解釈するとなんだか気持ちがとても楽に感じが致します。極端にどちらか一方に偏り過ぎた思考よりもバランス感覚がとても大事だと感じた日でした。

午後13時30分 麻賀多神社の境内にて記す。拝

 

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又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

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観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


食「直会」を通じた神社の護持。

2018年04月23日 05時10分15秒 | 歓びの心柱

  

こんにちは。

先日もブログで記事にさせて戴いた奈良県の吉野郡に御鎮座される龍神が棲息する丹生川上神社下社と云う日本最古の水の神さまをお祀りする神社で,食「直会:なおらい」を通じた護持を取り入れているようで大変興味深く拝見させて頂きました。そもそも神道に伝わる直会とは,天の神さまからの御恵みと大地の神さまからの御恵みに感謝を申し上げ,神さまのエネルギーを自分の身体に吸収させることを目的とした日本古来の食に対する食文化の1つでもあり,現在の神社神道においても重要な神事でもあるのです。

前にも確か,京都の貴船神社で御日供講と云う護持制度を紹介させて頂いたことがあったように思います。この御日供講と云う護持も心ある不特定者から少額な資金を集め,神さまへ奉献する食事「御神饌」を調達することを目的とした護持であります。現代の金融ファンドの元になったのではないかと私は考えているのですが,そんなことは横において置いて,丹生川上神社下社では八百万神直会倶楽部と云う名称で活動を食を主題に展開されております。倶楽部会員には毎月一度,神さまへ御供えした御神饌が自宅に届く仕組みのようです。左上の写真が,その御神饌のようで丁寧に包装された御神饌に宮司さんの御言葉を添えて発送されています。

現在の宮司さんは皆見元久宮司であります。

皆見先生は,今に感謝と云う信念で神社の宮司を務められているようです。又,皆見先生が倶楽部の代表発起人となって設立された八百万神直会倶楽部も設立時の理念は「人は,人の為に生き生かされる」を根本理念として取り組まれているようです。わたしは個人的に,皆見宮司は,古神道家でもあると感じていますので,今ではとても珍しく貴重な宮司さんでおられると想っています。

御利益を説かれる宗教家はたくさん居ますが,森羅万象の中心の座が感謝であることを理解されている宗教家となるとほとんど存在しませんから,私にとっては古神道家と言えるのです。奈良県の吉野と云う山深い祭祀場所から人はなぜ生きるのか?と云う人間の最大のテーマでもある事柄に真正面から真っ直ぐに向き合われている御様子です。その丹生川上神社下社が現世に生きる私たちに何を伝え,又,後世の子孫に何を伝え残すのかとても楽しみであります。右上の画像は,皆見元久宮司が書かれた著書であります。

感謝の心を主題としているようです。

八百万神直会倶楽部の内部のことまでわたしも詳しい事はよく存じませんが,通常の神社内に設置する崇敬会と同様の神社直轄の組織体ではないかと想像しています。いずれにしても,人間が生きて行く上で欠かすことの出来ない食を主題に神社の護持も考え,神さまの御心を倶楽部会員の皆さまへ発信して行くと云う発想は素晴らしいことではないかと感じております。食は人が生きて行く上の根本でもあります。食生活が乱れれば,人の心も乱れ,身体にも良くありません。現代病の根本的問題は,食生活にあるとさえ私も感じています。食生活が悪化し,その上で,ストレスを多く抱える社会ですから人の身体にも良い訳がないのであります。

五穀豊穣を祈る私たち日本人が,日本で生産された農産物をいつまでも食べて行けることが出来るように,そして,若い人たちが農業に興味を持ち従事できる環境の整備と水資源を確保できる法整備を国家は,今の内に着々と進めて行かなければならないとブログでもこれまで何度も書かせて戴いて来ました。そう言った大切なことを神道を通じ,難しい言葉ではなく,誰にでも理解できる言葉で一般の人々にも伝えてくれることを祈っています。又,食を通じて八百万神倶楽部さんには頑張って頂きたいと思います。

祭祀司と護持司が共に古神道の精神「自然崇拝と祖霊祭祀」を後世に伝え続けて行くことが日本の復興に必ずや繋がると考えます。これからも皆見宮司に続く神社の宮司さん,神職さん,そして巫女さんが現れて来ることを願っています。思い切って,神社での祈祷受付の種類を神恩感謝と祖霊感謝だけにして見ては如何でしょう。神社の宮司や神職が率先してその気になり,積極的に発信して能動的に行動しならなければ一般の参拝者にも届かないと感じています。そこから創めなければならないくらいまで来ています。

わたしも大変,勉強させて頂けたことに感謝です。拝

 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


戸隠神社に善光寺。それと御線香のお母さん。

2018年03月15日 10時10分10秒 | 歓びの心柱

こんにちは。上の写真は,戸隠神社さんのHPからお借り致しました。戸隠神社「奥宮」に続く参道です。

昨日は,仕事の出張で長野県に行って来ました。本来であれば,現地で1泊するような内容でしたが強行に日帰りで夜中に帰って来ました。当日0時頃に自宅を出発して長野県に向かい,高速道路のサービスエリアで少し仮眠をとって長野県に到着したのは朝の8時ごろでありました。しかし,お客さんと会うのにまだ2時間前後,時間があったので戸隠神社(中社)へ参拝をさせていただくことにしました。朝の長野市街の渋滞を抜け,長野市内から善光寺を通り過ぎて山道を自動車で走りながら上って行ったのですが,ちょうど飯縄高原を過ぎたあたりから周辺の山や路肩には雪がまだ相当残っておりました。戸隠神社へ参拝させていただいたのは,これで2度目です。日本神話「岩戸開き」にも登場する戸隠であります。戸隠山を御神体とする古神道系の神社であります。

又,戸隠と云えば「戸隠そば」でも有名です。私もお客さんに贈る御中元や御歳暮は戸隠そばと永平寺そばに決めております。これがなかなかお客さんに好評で,戸隠そばをはじめて食べる方には凄く喜んでいただけます。美味しいお蕎麦を打つのに欠かせないのが,何と云っても良質なお水です。ここ戸隠一帯も湧水が豊富で良質な御水に恵まれていることでも有名なところであります。

戸隠神社(中社)に到着し,西口参道に整備された駐車場に自動車を止めて,神域内に入って見ると神域内は雪が多く残っておりました。参道の一部以外は,路面もほとんど雪が積もっています。朝の早い時間でしたので,参拝に来られる人も数人の方のみで静かで落ち着いた清々しい神域です。さっそく,御社殿で参拝をさせていただき,御社殿の前にそびえ立つ御神木にも挨拶をさせていただきました。それと,毎朝の日課でもある太陽拝(日拝)もしていなかったので,朝の光り輝く太陽神に御社殿の前で日拝をさせていただくことにしました。神社に到着してから帰るまでの参拝の時間は20分くらいしたがとても清々しく気持ちが良かったです。

その後,お客さんの自宅へ伺い,お客さんと共に前半の打ち合わせを行いました。いくつも協議する内容があり,又,見学や訪問や調査に行く場所もあったので協議は節目の良いところで一旦中止し,あちこち長野市内をチョロチョロとまわり何とか14時頃に前半を終えました。後半の協議は最終的に夜の8時30分頃までかかり,それから急いで自動車で高速道路に乗り,自宅に到着したのは夜中0時を過ぎていました。そんな強行スケジュールでしたが,とても興味深いと申しますか一期一会の出会いもありました。

それは,仕事の関係で善光寺さんへ行った時のことであります。いまいろいろと話題になっている善光寺さんです。良い話で話題になるのならまだ良いのですが,紛争に纏わる話題は参拝者にとっても良いものではありません。詳しい事情は,お寺の内部の人だけにしか解りませんが善光寺の責任役員と檀信徒さんには,護持の精神を以てこれからも寺院の運営をお願いしたいと思います。

それはそれとして,その興味深い一期一会の出会いとは,仕事以外に善光寺さんへ行ったもう1つの理由がもたらしてくれた話であります。その理由は,今月18日から始まる春の祖霊感謝祭用の御線香を買う為(品を定める)でした。はじめは,善光寺さんの売店で御線香をと思いましたが,売店に入ってみると私が予定している長寸(長い御線香)は販売されておりませんでした。今は祖霊感謝祭「先祖供養」を日々されている人も少なくなっているせいか,お寺の売店であっても置いて並んでいる御線香の種類も数もあまり多くありません。どこの寺院さんでも,ほとんどが御守りや記念品のようなものであります。善光寺さんでも同じであります。残念に思いながら,善光寺さんの門前にあるお店を数軒回りましたが,やはりお目当ての長寸線香がどこにも置いてありません。

後半の打ち合わせも控えていたので,これも縁だから仕方がないかと諦めていたのですが,なんと,最後に入った仏具店さんにお目当ての長寸御線香がズラリと並んでおります!しかも,普段わたしが使用している御線香も置いてあり,憧れの伽羅も置いてあります!それ以外にも長寸御線香が豊富にたくさん並んで置いてあるのです。線香界のスーパースターが勢ぞろいです。御線香マニアの私にとっては,御線香の箱を見ただけでもワクワクしてしまい,思わず嬉しくなって感動してしまいました(笑)。

さっそく,いろいろと御線香を眺めていると店の奥からお母さんが「いらっしゃい」と声を掛けて出て来てくださいました。とても優しそうなお母さんです。そのお母さん曰く「御線香は,値段の高い香木とかでなくても,手ごろな値段の御線香もとても良いよ」といろいろな御線香を紹介してくれて「その中でも,私が良いと思うのはこれ」と言って薦めて下さいました。きっと,無理に高いものではなくても,自分の身の丈にあった出来る範囲のもので御先祖さまは十分喜んでくれるよと言っているのだと思いました。もっと言えば,私の先祖か善光寺の観音さまが仏具店のお母さんの口を使い語りかけてくれたのだと帰宅してから感じています。

一期一会に感謝。仏具店のお母さん。ありがとう。

これで春の祖霊感謝祭の御線香が決まりました。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


スサノオブルーのチルドレンたちへ。 ~YELL~ 

2018年02月21日 21時11分37秒 | 歓びの心柱

こんにちは。

これまでも現代の若者について,このブログでも書かせて頂いて来ました。世間では,最近の若者はと言われることがありますが大丈夫です。エジプト文明の頃から言われ続けて来たのですから気にする必要もありません。私は,最近の若者を見ると本当に立派な若者が多くて凄いなと感じています。礼儀正しく,優しくて,そして,あまり欲もないような感じもします。その若者の中でも,特に今の10代の若者が20歳を過ぎる頃,世界を牽引して行くのではないかと期待もしているのです。冗談ではなく本当に。

この世代は,あまり贅沢を知らず,ステイタスにも興味がないようです。又,貧富の差を経験している子供も多く存在します。たとえ自分では経験していなくても,周囲の友達が給食費も払えない事や塾に行きたくても行けない事や夏休みに何処にもいけない事を肌感覚で知っているようです。そう言った小さな子供のときから自分ではどうすることも出来ない事に対する思いは,やがて,実体験を通して経験した慈悲の心を自然と身に付けて行きます。慈悲の心はまるで自分で体感して来た感覚として残りますので,自分が経験していなくても直感で真実を見抜きますし,だいたい大人の嘘なども瞬時に判りますから嘘偽りが通用しません。

マスコミは直ぐに,若いスポーツ選手や芸能人など有名人ばかりに目を向けますが,むしろそう言ったスポットライトの中にいる子供よりも,そうでない子供たちに私はもの凄く期待しているのです。そして,その子供たちが成人を迎えたころ社会の役に立ちたい。困っている人の役に立ちたい。世界で挑戦したみたいと奮起して行ってくれることを心から願っています。

そう云った子供たちが和の国である日本にどんどん生まれ出ています。

きっと,魂の経験値が高いのでしょう。肉体は若くても魂の年齢,つまり,輪廻転生を多く繰り返してきた魂です。その魂が現代に続々と生れ出て来ているようであります。人は誰でも年齢「世代」に関係なく,生まれて来る前に宿命を宿して来ます。運命とは違い,決して変えることの出来ないことが宿命です。古神道では,今世に生れ出る前に,あの世で神さまと相談した上で,生まれ出る環境を自分で設定して神さまと共に誕生して来ます。これを産土神と申します。つまり,誰の心の中にも存在する神さまです。

そして,産土神と共に一生を共に歩んで行くのです。

郵便局で配達員のアルバイトをしていると,小包の配達を1日だいたい100件以上は配りに回ります。朝から夜遅くまでひたすら配達することだけ考えて時間指定の荷物は限られた時間に間に合うように注意しながら配達をしています。そう言った中で,小さな子供のいる家庭に配達に行くと本当に感心することがとても多いのです。小学生くらいの子供たちはとても礼儀正しく,ちゃんと最後には「ありがとうございました」と頭をさげて挨拶をして来ます。まだ仕事と言う概念が備わっていないので,心からの「ありがとう」なのです。見るからに賢そうな子供たちばかりです。私も将来,子供たちの御役に立てることを仕事を通じてやって行こうと考えております。特に,貧困層の子供たちの御役に立てれたら良いなと思っています。日本で生活している子供たちに国籍や生まれたところは関係ない話です。国家間の争いや紛争は政体を司る人たちで河川敷にでも行って殴り合いの喧嘩でも何でもして下さい。

今の世界の政治家は,国民の命と云うものを神さまからお預かりしていることを忘れています。

理屈にもなっていない屁理屈ばかり。

破綻した論理ほど惨めなものはないことすら判らず,不知な頭脳をさらけ出し。

自ら滅び行く哀れな姿よ。神が預けし御子の御霊を傷つけ汚すは神への冒涜。

毎日,苦しい中でも何とか一般の生活をしている国民と平穏に暮らしている子供たちを巻き添えにして欲しくないのであります。神さまは全てをご覧になっています。自分の先祖もすべてを観ています。自分の胸に手を当て考えて見れば答えは出てくるはず。もしも,何の答えも出てこないのであれば,それは単なる努力不足でしかありません。大いに省みて猛省しなければなりません。

心配,不安は穢れの根源。穢れとは「気枯れ」つまり,気が枯れること。神さまが最も嫌うエネルギーであります。穢れに触れると私たちの身体は病気になります。私は,いつも上手く出来ているなと感じていますが,これも神さまから日々の行い生活を省みろと云うひとつのサインなのでありましょう。すべての子供たちが豊かに平穏で暮らして行けますように。祈念いたします。拝

自分の事など形振り構わず,子供の為にとパートをしながら一生懸命育ててくれた母上様を大切に。合 掌


 

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貧すれば鈍すると云う言葉と他力本願の真意 4

2018年02月18日 05時23分23秒 | 歓びの心柱

こんにちは。

一昨日,ある真言宗系の寺院の住職さんから,ちょっとお願いしたいことがあるので来ない?と連絡をいただきました。その住職さんとは8年くらいのお付き合いで,頭脳明晰な60代前半の御方です。ある事を悩んでいて,朝目覚めたら私のことを想い出して電話をくれたようです。普段,私は営業が苦手なので,営業をしているときもあまり仕事の話を長々としません。少しだけ仕事の話をさせていただき,あとはほとんど仕事とは関係のない話をしています。そちらの営業スタイルの方が私にはあっているようです。

ですが,そんな私でも営業の最後に一言だけ添える言葉があります。それは,何かあった時にだけで良いので想い出して下さいと云います。するとこれが本当に想い出して頂けるようです。そもそも新規のお客さまで,ましてや飛び込み営業となると営業の話を真剣に聞いてくれる人は,あまり居ませんし,早く帰ってくれないかな?と思われるのが通常のお決まりです。しかも,商品や会社の説明も長くくどくど話すと次の訪問では居留守を使われることもあり得ます。やはり,最初の営業は,短く要所だけを伝え,爽やかにしたいものです。営業職は,歩く広告塔ですから身だしなみや言葉使いに,態度や姿勢にも気を使うので大変な職種です。

そんないろいろな事が要求される営業職ですが,なかでも最も大切なことは知って頂くと云うことだと私は考えます。どんなに,良いものを作っても,どんなに良い会社でもその存在をお客さまに知って頂かなくては経済行為は生まれません。それどころか,会社の経営も出来なくなってしまいます。私の拙い経験で恐縮ですが,自分をお客さまに知って頂くとは営業の基礎基本ではないかと思います。その為にどうするか?これを考えるのが重要なのであります。私の場合,最初の1年は,少なくても1件のお客さまのところに最低5回は訪問させて頂きます。そうしてやっと自分の名前を憶えて頂ける程度です。営業職の皆さん,頑張ってください。

冒頭で紹介した,住職さんとの仕事の話しは30分くらいで終わり,その後は4時間も今の社会の問題や仏教界の問題,世界情勢や政治の問題など様々な話題について意見交換をしていると既に夜8時頃になっていました。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいます。その意見交換の中で,住職さんから人が背負う苦労についての話しがありました。ちょうど,このブログでも取り上げていた事柄なので興味津々にお話を伺っていると,住職さん曰く,苦労は人の魂が浄化する為には有効で,且つ,人が乗り越えた苦労は,人類の共通した意識に溶け込むと話されていました。つまり,私たちが人生において乗り越えた苦労が人類の進化に繋がっていると言うのです。これには正直,驚きました。私たちが生きていることで生じる苦労が実は,人類の共有意識に溶け込んでいると云う発想はどこから来るものなのか?しばし沈黙していると住職さんは,生命とは何か?生きると云うことは何か?それは魂の浄化であると続けます。さらに,私たち3次元で暮らす人間には,2つのプログラミングが設定されていると云います。その内,1つのプログラミングとは「破壊と再生」というプログラミング設定でした。この話は,とても興味深かった話しでした。

小さな子供が積み木を積み上げたあとにする行為を観察すると判ると云うのです。

またいつか,2つのプログラミングについて書かせて頂きたいと思います。

自分自身で体験しているさまざまな苦労が,まさか,人類進化の為になっているとは大変勉強になりました。そう考えるとどの様な苦労も決して無駄ではないようであります。私も自分の力だけではどうしようもない時,何で自分だけ苦労しないといけないんだ。こんな苦労に何の意味があるんだと思ってしまう時があります。苦労する為に生まれて来たんじゃないとも考えてもいます。

しかしながら,ほんの少しだけ考え方が変わるだけで,同じ事柄でも全く違うように解釈できるのであります。住職さんから急な呼び出しと,ちょうど人の苦労をテーマにした記事を書いている最中にドンピシャの話しが出来たことは不思議であります。しかも仕事まで頂いて帰って来ました。出会った頃は,住職さんもまだ若く,私が住職さんに気安く住職さんと話し掛けると怒られたり,仕事で頭から怒鳴られた時もありました。今思うととても懐かしい思い出です。きっと,これが縁と云うものなのでしょう。

感謝。拝


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


貧すれば鈍すると云う言葉と他力本願の真意 3

2018年02月17日 07時39分11秒 | 歓びの心柱

昨日は,平安時代に貧しいお百姓さんの為に,自ら立ち上がった平将門公を少しだけ書かせて頂きました。

その将門公は,現在の茨城県常総市に本拠地を構えますが,今の時代でも茨城県の常総・坂東一帯では絶大の人気があるのです。悲しいかな,将門公は悲運の猛将,朝廷への反逆者として後世に伝え続けられてしまっていますが,その実情は全く違います。そのことは昨日も記事にて書かせて頂いた通りですが,平安時代の当時,将門公に助けられた貧しいお百姓さんたちの感謝の想いは現代でも語り続けられており,その感謝の想いは,将門公をお祀りする祭祀場所を御守りしているのではないでしょうか。

巷で言われている,祟りに怨霊云々は,私には?です。

確かに,日本にはその様な怨霊思想と云うものが存在することは知っていますし,あるのかも知れません。しかしながら,普通に考えて見れば一般に普通に生活している人には関係のない話だと思うとともに,そもそも人のお墓や祭祀場所に興味半分,遊び気分で来たら誰だって怒ると思います。スピリチュアル気分で何とかツアーとは危険極まりない行為としか私には理解できないのです。本当にその御霊を供養したいと考えるのであれば,その行為はとても尊いことであろうと思います。祭祀にはお遊び厳禁であります。

それでは,記事の本題に戻りたいと思います。

人の心を扇動する為にもこの「苦労美化説」はされて来たのではないでしょうか?ただ苦労することは良いことだと・・・。宗教の教義や説法でも苦労を題材にしているのがありますが,言葉は人と場所をわきまえないと時には危険なものへと変貌してしまうことがあるので気を付けて行くことが大切なような感じがします。確か,前にもこのブログである宗教家が観音さまについての講演をしている音声をインターネットで拝聴したことがありました。しかし,話していた内容に対してとても疑問でした。

いいのかな・・・? そこで話を終えてしまって・・・? それ無責任じゃない・・・?

宗教家曰く,信者の皆さんへ一般の人たちは神社やお寺に厄を落としに行くんだ。しかし,わたし達は神社やお寺に役を貰いに行くんだと云う話の趣旨でした。どうでしょうか?皆さま。とても短い言葉ですが,皆さまは神社やお寺に厄を落としに行かれますか?それとも役を貰いに行きますか?私的にはもちろん真っ向から両方違うと想っていますが,私が何故その宗教家の言っている話に疑問を抱いたかと云うと観音行と云うものは自分自ら地獄の淵をさ迷っている人のもとへ行くと云うことなのであります。

生半可なことではありませんし,中途半端な事ではありません。だって,自分も地獄へ行かなければならないのですよ。そんなこと中途半端で安易な気持ちで出来る訳ないのであります。さ迷っている相手の念を自分に落とし込める人でなければ到底無理ですし,苦労の為の苦労が付きまとってしまいます。藁にもすがる思いで相手はいるのですから,やはり,生半可な気持ちでは無理です。

そのことを講演で信者さんへ話さずに,何かヒーロー役でももらえると勘違いしてしまって居る様に感じたのです。きっと,講演会に参加していた信者さんたは,その言葉をそのまま信じてしまい,人の因縁まで背負ってしまうのではないかと思います。

自分の心を傷つける苦労は絶対にしてはなりませぬ。拝


 

2つクリック応援宜しくお願いします。

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


貧すれば鈍すると云う言葉と他力本願の真意 2

2018年02月16日 08時00分24秒 | 歓びの心柱

こんにちは。昨日の続きを書かせて頂きたいと思います。

現代では他力本願と聞くとあまり良い方に捉えられることはありませんが,本来の他力本願と云う言葉の意味は,他人の為に救って差し上げることであります。仏教では,阿弥陀如来の本願と言われています。他力本願を説いた親鸞さんの言葉も有名ですね。

少し話は変わりますが,歴史の勉強をしていると過去の偉人を学ぶことになります。歴代天皇や皇族に貴族など。そして,戦国武将に一般庶民の暮らしに至るまで。宗教家もそうですね。その時代を懸命に生き抜いた先人の教えや生き方は,どれも私たちが生きて行く上でとても参考になります。歴史好きな人であれば,過去の偉人の言葉を座右の銘にし頑張って居られると思います。

そう言った,歴史上の「人物」を調べているとある共通することがあるのです。

それは何かと申しますと後世の私たちへ託す思いと願いです。その思いと願いは何かと云うと「他の為の奉仕」です。

つまり,現代を生きる私たちへの遺言であります。本当に日本は凄い国だなと感じるひとつでもあります。

平安時代に平将門公と云う徹底した弱者救済保護政策の実現を目指された御方が居りました。将門公は,今でも関東地方の特に,現在の茨城県坂東一帯で絶大の人気があります。当時の貧しい暮らしを余儀なくされていたお百姓さんを救済しようと日々奮闘を重ねて行きました。歴史書と云うものは常に勝った方が自分たちに有利に書いてしまう為,私たちが学ぶ歴史書は真実とは遠いものであるようです。平将門公も同じで,私たちが学んできた人物像とは違うのです。実際の将門公は慈悲に溢れた半端でない人物です。

その平将門公が,現代の私たちに向けた遺言が御座います。

どうか人の世に暮らす人々よ。他の為に慈悲を施し,悪行を消す為,善行を積むようにせよ。

実際に,将門公が言い残した言葉ではないようですが,書き記した人物が将門公の生き方を書き残したもの「将門記」の最後に書かれている言葉であります。わたし個人的には,貴族ばかりが京都の都でのうのうと贅沢に暮らし,一般のお百姓は今日の食べ物も皆で分け合っている姿に涙していたのだと想っています。そして,将門公自ら立ち上がり苦しむお百姓を救済する為に戦ったのです。

歴史上,平安時代と鎌倉時代は飢餓に疫病,大飢饉と言った災難・苦難・困難の時代でありました。私たちの先祖は,その苦しい時代を生き抜いて来たのですが,そんな時代だからこそ将門公のような慈悲の心を持ち,自分の身を犠牲にしてまで弱者救済政策を実現させようと奮闘し戦える人物が登場して来たのかも知れません。決して,自分が偉くなりたいとか言うことではありません。

歴史は,学問として捉えるか,ロマンとして捉えるかで全く違うものになります。

貧しい御百姓さんを何とか救済しようと権力者と戦い続けた平将門公でした。

現代の世の中をご覧になったらどう思われるでしょう。

続きはまた明日。拝


 

2つクリック応援宜しくお願いします。

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


貧すれば鈍すると云う言葉と他力本願の真意 1

2018年02月15日 07時07分07秒 | 歓びの心柱

こんにちは。

とあるブログを興味深く読んでいたら「貧すれば鈍する」と云う言葉が書いてありました。

最初は,なるほど!と感心して読んでいたのですが,このまま「貧すれば鈍する」と云う言葉だけを意味も理解しないままを暗記するのは良くないような気がして自分なりにいろいろと考えて見ました。日本や中国にはことわざが沢山残っています。その一つひとつのことわざには,先人の体験に基づいた事や知恵を含んだ言葉として短く上手く表現されたものばかりであります。私もことわざから多くの事を学びましたが,ことわざと云うのは奥が深く,受け取る側の解釈によっては意味合いが全く違って来ます。

次の故事ことわざ辞典には,このように書いてありました。

貧すれば鈍する 

読み:ひんすればどんする。

意味:貧すれば鈍するとは,人は,貧乏になると利口な人でも愚かになるということ。

 参照ページ:http://kotowaza-allguide.com/hi/hinsurebadonsuru.html

他にもインターネットで普段みなさんが「貧すれば鈍する」と云う言葉をどのような理解でいるのか知りたくなっていろいろ調べてみましたが,だいたい皆さん同じような意味で使われているようです。今,このブログを読まれている皆さまは如何でしょうか?やはり,辞典に書かれているような意味で使われているでしょうか?しかし,貧すれば鈍すると云う言葉は,一体何を指しているのでしょうか?金銭を指すのか?それとも心の内を指すものなのか?つまり,2つの大きな区分けが必要ではないかと思います。

先ず,1つ目は「経済」の問題。そして,2つ目は「心」の問題です。

心と云うと判りにくいかもしれませんので,少し想像しやすいように「道徳」としても良いと思います。きっと,私も含め言葉だけを読んでみると経済的な金銭を見据えて書かれている様に思います。しかしながら,少し深く考えて想像して見ますと,いやいや経済的な金銭だけでは何とも理解しがたいことが判りました。私なりの結論は「心」の方を指しているのであると考えます。

実は,何故この様なことを考えていたのかと云うと,常日頃,私たち人は苦労する為に生まれて来たのではないと云うことを感じているからであります。苦労の為の苦労は,苦労でしかなく,それでは苦労する為に生まれて来たようなもので,無意味な苦労だと思うのです。過去においても苦労と云う言葉を用いて様々な引用がされて来ました。ちなみに,成長の為の苦労は努力です。

たとえば「若いうちの苦労は買ってでもしろ」「苦労している人は人の苦労が良く解る」などなど。

しかし,私は本当にそうですか?と聞きたいのです。言葉が独り歩きしている様にも感じます。

ちょっと違う気がしています。私は,苦労しなくてもよい苦労はする必要がないと考えます。それは何故かと申しますと一言で申し上げるなら「穢れ」を「畏れ」るからです。いつも書かせて頂いておりますが,穢れとは汚れや汚いと云う言葉の意味ではなく,気が枯れると云う意味での「穢れ=気枯れ」です。人は誰でも気枯れを持つと心と身体に異変が起きて行きます。精神疾患や身体の多機能不全です。疾病などもそうかも知れません。それだけではなく,日常の生活面でもだらしない生活になってしまいます。

これが一番ダメな理由です。 要はこれを「畏れ」ているのです。

成長の為の苦労は,私は努力としていますので苦労ではないのです。たとえば,仕事などで目的を達成する為に努力するのですから努力するのは当然であります。しかしながら,そこを苦労と言われてしまうと少し違和感があるのです。苦労は,自分の力だけではどうすることも出来ない事柄に直面した時に当てはまる言葉ではないかと考えます。つまり,自分以外の存在の力が必要な状況です。したがいまして,その様な自分だけの力ではどうすることも出来ない事柄に直面した時は,躊躇することなく他の存在の力を借りる勇気も必要だと思うのです。ひとりで抱えず,悩まずに他の力を頼って欲しいと思います。他力本願の意味はここにあります。

なにも恥ずかしいことではありません。自分の心を傷つけることを罪と申します。

互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,ともに手を取り,手を握り,

互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合う。如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手をあげ名乗り出る真の勇気と素直さと。

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められる。

こころのみはしら(心柱)祝詞の一部より。

きっと,私たち和の民であれば出来るのではないでしょうか。

花咲 あさひ 拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝