花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

エセスピリチュアルをぶっ壊す!シャキーン!

2019年09月29日 14時10分44秒 | あさひの科学神書

こんにちは。

今日の記事は,話半分で読んで頂けたらと思います。

ここ数年,SNSなどでテクノロジーとスピリチュアルの融合が人類の進化になって行くことを大前提とした発信が多く見られます。先日もこのブログで,平成の禊について少しだけ書かせて頂きました。しかし,決して思いつきや不安を煽る様な事を目的として書いたものではありません。又,テクノロジーとスピリチュアルを念頭に置いたものでは全然ありません。

むしろ,私の考えは対極的です。

考えてみてください。

私たちの国,日本には様々な問題が半端ではないほど山積しています。

これが,世界規模と云うことになるとどうなるのか?・・・。

しかも,どれをとっても私たちの日常生活に直結する問題であり,予測可能な確実性の高い問題ばかりが置き去りにされているのであります。つまり,すべてにおいて中途半端な事ばかりになってしまっています。たとえば,高齢化の問題・少子化の課題・介護社会福祉の問題・憲法や法律の問題・国防と自衛権の問題・宗教の問題・外国人労働者の問題・経済や金融の問題・農林水産の問題等々,実に数え上げたらキリがないほど沢山の問題や課題を抱えているのが,今の日本の現状なのであります。

こう云った様々な事柄を,今を生きている私たちが向き合うことを総称して「平成の禊」としました。

これまでも,ブログで諸課題を発信して参りました。

ユーチューブやSNSで毎日のように発信されている情報を収集しても何の意味もありません。むしろ,有害な情報の方が多い様にも感じています。人はなぜ生きるのか?何のために生きているのか?肝心要の芯がなければ何の役にも立たないのです。個人主義が行き過ぎると,私たちは,自己責任と云う恐ろしい言葉を何の違和感も嫌悪感も抱かずに使い始めます。私たちの国には,自己責任と云う言葉は存在しないのだと言う事から学んで行かなければならず,このままでは滅びるのを待つのみです。

エセスピリチュアルをぶっ壊す!

お金儲けの道具にならない様に注意してください。

花咲 あさひ 拝


水の神から。穢すなかれ,汚すなかれ。

2019年09月28日 14時02分27秒 | 怒りの心柱

 

こんにちは。

昨日は,鹿島神宮にて御神水を賜り,すぐ近くの海で海の神さまにお祈りをして参りました。

帰りがけに,時間がありましたので麻賀多神社にも参拝させて頂くことが出来ました。

麻賀多神社では,いつも通りたくさんの方々が参拝に来られていてにぎわっていましたが,今回の台風での影響なのか境内の鎮守の木々が数本倒れていました。先日の台風から数週間経過した今でも茨城県や千葉県の一部の地域では,復旧作業に追われています。何年か前から,このブログでも水に纏わることを書かせて頂いて来ました。水に関する災害は,これから増々巨大化していくだろうと云う感じがしています。日本と朝鮮半島は,10月から台風シーズンに入っていきますので十分な備えを怠らず,事前の準備と避難想定をして行くことが大事なように思います。

一日も早く,もとの日常生活に戻れるよう祈念します。

 

水の神からです。

夜空に輝く星々たちは 水に恋をし光り輝く

太古の人はそれを知り 水の輝き目印に

水の湧き出る大地を求め 種々の種植え鎮守の森に

水を穢さず 水を汚さず

人と出入りを固く禁じ 水に感謝し 水を奉る。

水が如何ほど尊いか 水は人の命の源

知る者少なき哀れなことよ

水は万物恵みを与え 競わず誇らず素直に流るる

下へ下へとその身を任せん

なれど必要あればすべてを祓い 必要あらばすべてを清めん

穢すなかれよ 汚すなかれ

水を穢せば その身も気枯れ

水を汚せば 空も荒れん

水の如くに素直に生きよ 水の如くに謙虚であれよ

逆らわず 競いもあわず 争わず

ただ己の身を低くして

多くの人に恵みを与えよ。


平成の禊を前にして。

2019年09月25日 20時45分51秒 | 勇気の心柱

こんにちは。

この秋頃から,さまざまな分野でさまざまな事柄が変化し,強い言葉で云えば激動の周期に入って行くことだろうと感じています。

つまり,平成の禊をして行く事になるのです。

平成の禊は,今までにないとても厳しい禊になると覚悟はしていますが,やはり鍵となるのは,私たち国民一人ひとりがキチンと平成の禊に向き合うことが出来るかどうかであると考えています。もう,これ以上の先送りは出来ませんし,するべきではありません。万が一,これまで通り,目先の利益に囚われて,未来の子供たちにツケを回すようなことはすべきではありません。

しかし,私たちが平成の禊と真摯に向き合うことさえ出来れば,私はとても素晴らしい未来を未来の子供たちに残すことが出来るだろうとも想っています。ただの楽観論だけでは国家は破綻してしまいます。人事を尽くして天命を待つと言う言葉通り,最大限の努力をした上で神さまに御任せすると云うことでなければ,それはただの無責任であり,怠け者になってしまいます。

いよいよです。

未来の子供たちが待っています。

互いに頑張りましょう。拝


玉置神社に夢見る参拝者の人々。

2019年09月24日 10時29分39秒 | 勇気の心柱

 

こんにちは。今日一日,風神様の御活動がなかなか凄かった日でした。夜になった今も結構,強風となっております。

昨日は,知人の女性から奈良の玉置神社へ参拝に行ったと連絡がありました。その知人の女性は,東京で暮らしている方で玉置神社へ行きたいと以前から話されていたのですが,女性一人でしかもバスでの参拝は大変だからとあまり薦めることはしていませんでした。しかし,10月24日の玉置神社例大祭へ行って来たと話ておりました。上の写真は参拝者駐車場から撮影させて頂いた写真で,今年の6月に参拝させて頂いた時のものです。玉置神社へは行こうと決意しなければ行ける所にはありません。

自動車でも都会に住む人にとっては大変だと思います。そこまで大変な想いをして決意を以て行かれるのですから真剣に参拝すれば,大神様は受け取ってくれます。但し,自分の我欲の願いは玉置神社ではされない方が良いとも感じています。参拝に来る人を駐車場の正面に建つ鳥居をくぐった参道からじっと見られています。私は,玉置神社には興味本位程度なら行かない方が良いですと言っています。

ここ玉置神社と京都の出雲大神宮,伊勢神宮外宮の神域に御鎮座されております多賀宮の神様は旧約聖書と深い関係があるように思えてならないのです。これまで旧約聖書も新約聖書も私は読んだことがありませんし,根拠となる理屈や理由も特別ある訳でもありませんが,控え目に言うと,私はいつも見られているように感じる大神様であるのです。

まぁ,私のことは如何でも良いですが,参拝を計画予定されている人は,せっかく玉置神社への御縁を持たせて頂けるのですから真剣に世の中の御役に立ちます!と宣言されて見てはいかがでしょうか。なかなか厳しい難関試験も用意されますが,意義ある人生を歩むことになると思います。そして,玉置神社には,白山の菊理媛(くくりひめ)神様をお祀りされております。都会から自動車で参拝に行かれる方は,これからの時期は路面の凍結,雪などを想定され,くれぐれも安全運転で行かれて下さい。玉置神社への参拝は,とても貴重な参拝になります。拝


妹の花咲むすびです。

2019年09月23日 05時05分05秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

上の1分動画は,古神道の聖地白山です。 

 

以下は,過去に掲載したアホな妹です(笑)。

みなさん、こんにちは。

花咲三姉妹の末っ子の花咲むすびです。いつも姉のあさひがお世話になっています。

今日と明日、お姉ちゃんのあさひは郵便局に配達のアルバイトに行っていますので,

 私むすびが代打ピンチヒッターで書かせて頂きたいと思います。

それにしても朝4時半に起きて、夜0時近くに帰ってくる仕事なんてただのブラックだと思いませんか?

 私には絶対にムリ!

まぁーそれはそれとして、

しかし書けと云われてもなにを書いてよいのやら・・・(汗)。適当に書くとお姉ちゃんに叱られるし。。。

 あっと!その前に自己紹介をしたいと思います。

名 前:花咲 むすび(花咲家の三女つまり末っ子)

    長女:あさひ 次女:ひかり 三女:むすび 愛犬:神社の境内に捨てられていた「ナムちゃん」。

愛 称:むっちゃん。むすびちゃん。

性 格:超現実主義(あさひちゃんとは全く反対)

特 技:弓 道

職 業:大学生(学費はお姉ちゃん持ち。)「アルバイト:神社で巫女さん」

    自治会長のススメではじめました。

趣 味:貯金 理由、何をするにもお金だから。

好きな言葉:一攫千金

毎日の日課:あさ太陽にあいさつすること。それと、神棚の水交換と先祖供養。

 あさひお姉ちゃんによると、神棚の水玉に麒麟とお水を呑みに来らしいです

榊の葉が枯れると「来たよ」のサインらしいです。麒麟身体(体重=重さ)はゼロなんだそうです。

                         もう、こうなると。えっ?なんのこっちゃ??ですけど。

     だけど「お水」だけは凄く気にしています。そこまでするか?と言いたくなるくらい。      

  それと、明け方と夜に北斗七星に祈っています。

   なんだか嬉しそうにしている件は「ちょっとコワイ」。

こんなの記事とは言えませんが、それでは また あした~。。。 

地蔵菩薩とともに。花咲 むすび 拝


古神道入門 神ながらの伝統 4

2019年09月22日 06時59分33秒 | 祭祀と和の国

昨日の記事の続きです。

こんにちは。

今日は,神主さんでもあり,古神道家でもあった小林美元先生が生前に書かれた著書「古神道入門 神ながらの伝統」の4を同書から一部を抜粋して前回同様,書かせて戴きたいと思います。上の写真は,ご存知の方も多いと思います。二見興玉(ふたみおきたま)神社の夫婦岩で御座います。いつも二見興玉神社に参拝させて頂くときには,こちらで海の神さまへ祈りを奉げています。

昔の人々は,伊勢詣と云えば,この二見が浦の海で禊を済ませてから伊勢の神宮へ詣でると云うことが習わしでしたが,時代の移り変わりで参拝の習わしも徐々に変わって来ています。古神道の世界観や古神道家の間では,この夫婦岩は「イザナギの神:男神」と「イザナミの神:女神」としています。そのイザナギの神とイザナミの神の間から太陽神「天照太御神」が誕生すると言われているのです。5月から7月の間にちょうど夫婦岩「夫婦神」の間から日の出の太陽「天照太御神」が昇るようすを観ることが出来ます。

それでは,以下,古神道入門 神ながらの伝統より。小林美元 著

第5章 弥栄(いやさか)の思想と信仰

なぜ,政治を「マツリゴト」というのか。

何度も申しますように,日本語というのは非常に古くから天体の動きを四十八の文字に写していました。あおうえい・かこくけきという一音,一音の声音が,宇宙を象徴的にあらわす符号として整序しておりました。

現代人が想像する以上に,宇宙の原理には精通していたのです。

ですから,

伊勢神宮の恒例のお祭り,二十年に一度行われる御遷宮のようなお祭りにしても,天体の動きに合わせて行われる。祭りを行う月と日と時を非常に大事にして,神代ながらに古代からのしきたりを厳重に伝承して行われてきております。

例えば,御遷宮の祭りは,北斗七星の運行と関係があります。

夕方七時頃,北極星の右上にあった北斗七星が時刻がたつとともに北極星の真上になり,それからだんだん時計の針と逆方向の左へと回っていきます。そして北極星の位置が,ちょうど北斗七星の柄の先の勺のところにくる時間に,神さまに勺で食事を捧げるということで,祭りが進められる。

この一例を見ても,天体の動きと祭りというものが,いかに密接にかかわっているかということが伺われるわけです。そういうことですから,村人の生活がまた社会的な発展に伴って段々と大きくなって,国として発展していく段階になっても同様に,その組織体を統御するために祭り事を行う。

そして国の祭り事が,そのまま村々を統治することになり,いわゆる政治にもつながっていく。

宇宙のカムとの深い関係,交流の中で,村人を一つに束ね結わうことが,祭り事でした。カムの意思に基づいて正しい統治を行なうという,政治の思想の姿があったわけです。だから政治を司る者は,少なくとも宇宙の運行とか自然生命に対する畏敬の念をもった人でないと尊敬もされず,その長たる資格がなかった。

明治の頃までは政治のことを政り事(まつりごと)とも称していましたが,しかし実際歴史的にみると,聖徳太子のように本来の意味での「祭り事」を意識した政治家は少ない。まして今日,政治というと,何やらどろどろとした権力闘争や駆け引きなどをイメージします。政治とは,「マツリゴト」であるということを忘却の彼方に押しやったかのようです。

以上

現代の政治家のみなさんにも読んで頂きたい内容であります。今では,魑魅魍魎の世界となり,ほとんど貴族化している政治家の人たちの頭の中に政治とは「祭り事」であると考えている人がいるのでしょうか?言葉では選挙が近くなったりすると綺麗な言葉を並べますが,日々の政治活動との差は激しいものであるようです。おくそくですが,国体と政体との区別すら理解していない政治家がいても不思議ではなくなってしまっています。これは国家存亡にかかわる重大な事柄でもあるのです。国体とは「祭祀」です。政体とは「統治」です。即ち,祭祀の中心の座に座ることが出来るのは天皇陛下だけであります。そして,統治を司る頂点に存在するのが内閣総理大臣であります。自分は政治家であると言うのであれば,最低これくらいは深く理解して戴きたいと願うばかりです。

 ※ 天皇陛下を祭祀の頂点と表現する人もおりますが,これは違います。頂点ではなく中心です。

   天皇陛下を祭祀の頂点とした明治・大正・昭和の歴史を想い出してください。

    結果,天皇に剣を持たせ軍服を着せたのです。これは,大きな罪です。天皇が持てる剣は,草薙の剣だけです。

ところで,記事本文中に伊勢神宮の祀り事について記載されているように,式年遷宮や恒例祭事の際には,天体の動きに合わせながら執り行うと云うことが書かれております。つまり,北極星や北斗七星をお祀りしているのが伊勢神宮でもあるのです。ここでもう1つ古神道家の間で語られている大切なことを書かせて戴きます。伊勢の神宮は「内宮」と「外宮」の2つの御正宮が御座います。

その2つの御正宮の内,外宮にお祀りされている神さまを豊受大神と一般的に称されますが,その際に,内宮にお祀りされております天照太御神の食事を司る神さまであると云う語り(現在の定説)がありますが,この意味を取り違いされている方が結構,多いのであります。外宮にお祀りされている神さまは「地球神:国常立大神」で御座います。国常立大神をお祀りしていると云うことは地球上に存在するすべては,国常立大神さまのもので御座います。そのことが取り違いされてしまい,外宮の神さまは,内宮の神さまの食事を司る神さまだと解釈されてしまったのです。きっと,過去の文献などに基づいてそのような解釈が通説となって行ったのだと思いますが,外宮は,内宮よりも遙か昔に祭祀場として存在しておりました。つまり,内宮よりも外宮の方が古いのです。

またいつか,機会があればゆっくりと書きたいと思います。

毎晩,北斗七星に祈りを奉げていると「和する事」と声なき声が聴こえて来ます。

北斗七星が大好きな花咲でした。拝


古神道入門 神ながらの伝統 3

2019年09月21日 11時40分53秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

 

 

以下の記事は,過去に掲載したものです。

こんにちは。

古神道家にとって白山を崇拝しない人は居られないでしょう。

上の画像は,古神道の聖地である白山で御座います。わたしにとっては,七色の柱が立つ,思い出深い場所でもあります。このブログでも,これまで白山と菊理姫神さまや白山ヒメ神社・平泉寺白山神社を記事にさせて戴いて参りました。白山は,古神道だけではなく,現在の神社神道でも北陸地方の人々の信仰の対象となっているまさに御神体でもあるのです。たとえば,全国の縄文時代の集落では,ほとんど白山菊理姫神をお祀りします。この辺りを研究されると古代の日本や古事記や日本書紀に記載されている神武天皇以降の歴史の事実が解かると思います。なぜ,太古の縄文人は菊理姫神をお祀りしていたのか?大変,興味深いことであります。

菊理姫神さまは「和」の大神さまです。

白山は,縄文時代「以前」の超古神道の聖地と考えて戴ければと思います。

以下,古神道入門 神ながらの伝統より。小林美元 著

第3章 神々の系譜から一部抜粋。

朝鮮半島にも縁深いスサノヲノミコト(須佐之男命)

スサノヲノミコト(須佐之男命)は出雲の大社(おおやしろ)にお祭りされるだけではなく,熊野の神様ということで尊崇を受けています。熊野は三つに別れていまして,和歌山県紀ノ国の熊野本宮大社と速玉(はやたま)大社,そして那智の那智大社の三つに祭られていますが,この熊野の神様の活動領域というのは非常に抜きん出ておられます。

古代においては,イザナミノカミ(耶那美神)が亡くなられて,島根県・鳥取県・広島県の三つの県境にある比婆山(ひばのやま)にイザナミノカミ(耶那美神)をお祭りしたと伝えのられる伝承と,熊野の花の岩屋に葬ったという伝承と二つあります。現在でも花の岩屋では,毎年春には花をもってイザナミノカミ(耶那美神)をお祭りするという行事が盛大に執り行われています。つまり熊野の神様スナノヲミコト(須佐之男命)は,イザナミノカミのご系統として,出雲地方と紀国の両方にその源流が仰がれるわけです。

八百万の神々は,それぞれのお役割によって世界を分掌してお治めになられています。世界を分掌して治めるということで有名な神話として,イザナギとイザナミの黄泉平坂のことが伝えられています。

この黄泉平坂で二柱の神様の仲取り持ちをなさったのが,加賀の白山のククリヒメノカミ(菊理姫神)です。地下の世界はイザナミノミコトがお治めになられる。地上の世界はイザナギノカミがお治めになられる。ククリヒメ(菊理姫神)がその取り持ちをされて,地上と地下をお治めになる神々の分掌をお定めになられたということです。

ですから白山のククリヒメ(菊理姫)は,イザナギノカミとイザナミノカミの二柱の御神徳を備えている神であると白山には伝えられています。朝鮮半島と中国大陸との国境に白頭山という山がありますが,この白頭山の神々の世界と,加賀の白山とのつながりというのは,神代の昔から非常に深い幽契がありました。

その証の一つとして,朝鮮半島ではスサノヲノミコト(須佐之男命)を牛頭天王として崇敬され,またスナノヲ(須佐之男)を祖神としてその家系を大事にしておられる人達もたくさんおられます。日本でもスサノヲノミコト(須佐之男命)から出られた家系の方々はその家系図を大切に持っておられます。とにかく白山と白頭山はたいへん縁の深い御山ですし,熊野の神様スサノヲノミコト(須佐之男命)の活動領域がいかに広大であったかをも物語るものです。

以上

今日の掲載記事は意外に感じる方々も多いと思います。なんと言っていも北朝鮮の象徴として名高い白頭山が日本の神さまと縁が深いと言われても中々,信じることが出来ないと感じると思います。しかし,小林先生の著書の中にも書かれているように現在でも朝鮮半島で暮らす人たちの中に,スサノヲノミコトを家系の祖神として大切にお祀りされています。古神道家でもあった小林先生の著書ではスサノヲノミコト「須佐之男命」と書かれていますが,私はスサノオノミコト「素戔嗚之尊」と云った方がしっくりします。

この表現の違いを深く考察したことはありませんが,おそらく実在した「人格神」としての象徴とエネルギー体「神霊」としての表現の違いから来るものと解釈しています。それはそれとして,日本神話ではスサノオノカミは手におえない乱暴者として書かれています。そして最後には,神々の世界「高天原」を追放されてしまう程であります。しかし,この内容は・・・。誤りです。本当のスサノオノカミ「素戔嗚之神」は,とても心優しい神さまで,すべての罪と穢れを背負い込む非常に尊い大神さまで御座います。

たとえば,スサノオノカミは,高天原でアマテラスオホミカミ「天照太御神」が大切にしていた田畑を汚したと云うことが神話にも書かれています。しかし,普通に考えて見れば,この田畑を汚していたと云う行為は誤りで,馬を引き肥料をまいて田畑を耕していたのです。農家をされている方であれば昔の田畑の肥料を御存知であろうと思います。それを高天原の神々が勘違いをしてしまい,スサノオノカミがアマテラスオホミカミが大切にしている田畑を汚しているとしてしまったのです。つまり,単なる勘違いなのか?それとも悪意なのかは,神話を学ぶ私たち自身がどう考えるかです。この高天原におけるスサノオ物語はとても勉強になります。

ここでも事実とは何か?真実とは何か?を教えてくれています。

素戔嗚之大神さまは,藍足袋衆(スサノオブルーのチルドレン)の親分です(笑)。

大道とは太陽の道為り。即ち,これタオと申す。by 老子。


大和国 総本山長谷寺

2019年09月20日 05時37分11秒 | 祭祀と和の国

 

以下の記事は,過去のものです。

こんにちは。また台風(12号)が発生し,今度は九州地方・熊本の被災地を直撃しそうな進路を辿っているようです。大難が小難に小難が無難になるよう祈ります。9月と10月は台風に注意したいと思います。これから台風が巨大化して行くと感じていますし,これまでの様な進路以外も想定しておく方が無難かも知れません。9月9日(重陽の節句)には大きな節目のような日になるとも感じています。(これは眼には観えないお話です)白山の太神様への感謝の日と私は個人的に考えております。

さて,先月8月には祖霊感謝祭がありました。そして,今月9月には祖霊感謝祭がのお祀りが御座います。8月つまり,お盆の際の祖霊大感謝祭よりも若干,質素にはなりますが,今から献立を考えたりしながら楽しみにしています。未だ若いのですが,考え方は御老人の様です。先祖供養や祖霊感謝のお祀りは何だかとても楽しくて仕方がないのです。私たちの祖先の中には,飢饉や飢餓,疫病や死産の御霊がたくさんおります。どんな家系であろうとおります。平安時代や鎌倉時代の祖先においてはまさに飢饉や飢餓,疫病の時代でありました。その祖先が,この世に置いて逝った未練も凄いものであったと想像しています。

きっと,やりたい事ももっと沢山あったでしょうし,遊びたいこともあったと思います。勉強も仕事もしたかったでしょうし,女の子であれば今で云うオシャレもしたかったのではないかと感じています。中には,人に奉仕することを夢見ていた先祖もいたはずです。その未練や執着,想いや想念を私たち子孫は受け継いで生きています。万が一,祖先がお盆やお彼岸に子孫の元へ帰還することが神様に許して頂けるのであれば,せめてその短い期間中は贅沢をさせてあげたいといつも思いながら供養させて頂いております。今日,神様へ大祓詞を奏上した時の気持ちはとても気持ちが良いものでした。先祖供養の前の観音経も落ち着いて気持ちよく捧げることが出来ました。気持ちがとても清々しかったです。有難う御座いました。

心柱に音を降ろし,言葉にして観ました。以下の紫色の文字がそうです。

我 子孫 祖霊飲食 祖霊衣服 祖霊住居 祖霊薬薬 祖霊安寧 祖霊平穏 一心観世音菩薩 祈

我 祖先 子孫飲食 子孫衣服 子孫住居 子孫薬薬 子孫安寧 子孫平穏 一心観世音菩薩 祈

子孫は,祖霊の飲食,祖霊の衣服,祖霊の住居,病気の祖霊に薬を祖霊の安寧,祖霊の平穏を一心に観世音菩薩へ祈ります。

祖先は,子孫の飲食,子孫の衣服,子孫の住居,病気の子孫に薬を子孫の安寧,子孫の平穏を一心に観世音菩薩へ祈ります。

神恩感謝に心音感謝。毎朝毎夕祖霊に感謝。花咲 あさひ 拝


星が水に恋をした。 うらら白山人

2019年09月19日 06時04分25秒 | 美しき水の国

平成29年 白山開山1300年 プロモーションビデオ

こんにちは。

私たちの暮らすこの日本は,

水の国と呼ばれるほど水に恵まれた国であります。

 

夜空に輝く星々たちは

水に恋をし 光り輝く

太古の人はそれを知り 星の輝き目印に

水の湧き出る大地を求め 水を穢さず 水を汚さず

人の出入りを固く禁じ 木々の種植え 森つくり

水に感謝し 水を奉る

水が如何ほど尊いか 水は人の命の源

知る者少き哀れなことよ

水は万物に恵みを与え 誇らず競わず素直に流るる

下へ下へとその身を任せん

なれど必要あらばすべてを祓い 必要あらばすべてを清めん

穢すなかれよ 汚すなかれ

水を穢せば その身も気枯れ 水を汚せば空は怒り荒れん

水の如くに素直に生きよ

水の如くに謙虚にあれよ

逆らわず 競いもあわず 争わず

ただ自分の身を低くして

多くの人に恵みを与えよ。

 


耳をすませば聞こえてくる。心と体と自然の声。

2019年09月17日 13時34分21秒 | 美しき水の国

上の動画で,大自然の声を聞いてください。 

こんにちは。

以下の記事は,昨年4月22日に掲載した過去記事です。

イランカラテ(アイヌ語で,こんにちは)と云う意味です。

昨日は,少しアイヌ民族のことを勉強していました。神学としての古神道を深く考察して行くと考古学や民俗学なども学ぶことになるのです。アイヌ民族も沖縄の琉球民族の信仰は,古神道であると私は結論付けています。アイヌ民族も琉球民族も人間の能力を超えるものはすべて神としていました。たとえば,食器類においても御椀でも鍋でもシャモジでもみんな神さまの分霊が宿っていると考えていたのです。さらに,役割が終わった食器類に対しては丁寧に供養までしていたのであります。まさに古神道の分魂思想そのものです。自然崇拝と祖霊祭祀を根本とし,この世のありとあらゆるものには神さまの分霊を宿していると云う基本概念です。

アイヌ民族の先祖も琉球民族の先祖も和人の先祖もみんな縄文人です。

だから日本人は,大きな和。大和の民となって大和民族となりました。

人と云うのは本当に不思議なもので,はじめは自分にこんなこと無理だと不安に感じていたことが,いつの間にか熟せるようになり,振り返ると懐かしく感じることがあると思います。それだけ自分自身が成長したと云うことで宜しいのではないでしょうか。成長するまでの間,たくさんの人に支えられ,多くの人に鍛えられ,今の自分が存在しています。すべてに感謝を奉げるとは難しいことではないようです。祈りの本質は「感謝」にあります。アイヌ民族のことを勉強していてあらためてそう感じていました。

いろいろ難しいことは,偶には横において置いて。生きる目的を見失ってしまったり,日々の生活に疲れてしまった時などは,自然に触れて見ては如何でしょうか?きっと,目の前にある大自然と直接,自分自身が繋がることによって何かを想い起させてくれるように感じています。都会に住んでいる方は,自然と触れ合う機会があまりないようにも思いますが,そんなとき時間に余裕があるようであれば少し遠くに出掛けてみるのも良いかも知れません。だって,わたし達は,自然の一部なのですから自然から離れてしまえば心にも身体にも良い訳がありません。神社や寺院で祈願信仰に奔走するよりもいろいろな意味でも余程,良いと思っています。

それを心と体が教えてくれているのです。

耳を塞がず,目を閉じず,そのことをいつも私自身も思いながら大自然(神さま)に活かされながら自然(精霊)と共に生きています。上の写真は,北陸に出張に行った際に撮影させて戴いた早朝の太陽神で御座います。この日の太陽神の輝きが未だに忘れられずにおります。何と申しますか,辺りが朱色なのかピンク色なのか解かりませんが,急にとても大きな光の球体が現れたのです。しばらくボーッとしてしまうほどの美しさと何とも言えない優しさに包み込まれるような感覚でした。うまく言葉では言い表すことが出来ないのが残念ですが,毎日,早朝に祈る太陽神ではないと今でもあの太陽は何だったのだろうと想い出すことが偶にあります。

それも古神道「個神道」の醍醐味でもあり,楽しみでもあるのです。

ニフェーデービル(琉球語で,ありがとうございます)と言う意味です。

大自然に感謝。拝


美しき水の国 水の神へ感謝。

2019年09月15日 21時55分20秒 | 美しき水の国

こんにちは。

先日の古神道のところから続きを書かせて頂きたいと思いますが,

古神道の思想と云うものは,大自然を崇拝「畏怖と感謝」するだけです。

どこかの宗教団体に入ることもありません。団体としての組織がありませんから当然,宗教上の教えもありませんし,指導者も教祖も存在しません。大自然そのものが神様であり,自然の恵みや恩恵によって人間は生かされ,この世のありとあらゆるものは神様の御分霊を宿す存在なんだと云う思想です。大自然や自然ばかりではなく,私たちも神様の御分霊を宿していると考えられています。もっと言えば,古神道と云う名称すらも存在しません。便宜的に使用しているに過ぎないのです。

つまり,縄文時代までの文明と解釈して頂いて結構です。

縄文時代以前には越國と呼ばれる文明もあったようです。ただそこまで行くと話が難しくなるので,紀元前1万5000千年前の縄文時代としています。そして,この縄文文明を生きた,我々の遠い祖先である縄文人「古神道」の最も特徴的な考え方は,とくにかく争いを嫌います。縄文時代の遺跡などから唯一,見つかっていないものがあります。それは武器です。人を殺傷する武器は遺跡などから発見されていません。何故か?古神道の思想には,死後の世界つまり,死生観と云うものが存在していて,生きている間に,人やものを恨み,憎しみの様な観念を持って死を迎えるとその魂はあの世に帰ることが出来ず,この世に停留すると云う思想がありました。そうなると生きている子孫をあの世で守護することが出来なくなってしまうだけではなく,輪廻転生が出来ないと考えられていたからです。死後の世界にまで影響するものだと信じられていました。現代の神道や原始仏教にも死生観が存在していますが,その元を辿ると縄文時代に行き着くことが出来るのです。又,罪や穢れを水に流す神事として古来から継承され続けている人形祓のように海水や川の水は罪や穢れを流してくれるものだと考えられていたようです。そして,その思想は現在の神社神道で6月と12月の大祓神事として受け継がれています。つまり,先人の知恵に学ぶ「温故知新」から来ているのかも知れません。

すべてを水に流すと云うことは大変ですし,難しいことでもあります。楽なことではないことも確かです。特に現代のような物質主義社会や資本主義経済での豊かさや幸せを実感するには,どうしたってお金が必要であります。そして,事業をされている経営者の方などは何をするにも先ず資本となるお金がなければ事業は成り立ちません。私も経験がありますが,一生懸命努力して報酬を頂けなかったことが何度かあります。それを水に流せと云われても無理な話だと感じるのも致し方がないことです。固定費が捻出できなければ会社は倒産します。個人でもお金がなければ破産も破綻もしてしまいますし,ご飯も食べることが出来ません。病気をしても病院へも行けません。お金はとても大切なものですし,自分や他人を助けてくれるものであることは間違いありません。

その混沌とした社会の中であっても家族や社会の為に一生懸命に一つの事に立ち向かう姿は正に勇者そのものだと思います。私も挫折の連続でした。これでもかと云うくらいでした。悔しくて悔しくて泣き疲れて寝た日もたくさんありました。思い出すだけで眠れなくなる時もあります。それでも己を信じ,自分を律し,他者を思いやり,他人の幸せを祈れる人は本当に尊いことだと考えるようになりました。それは何事にも変えることの出来ない真の財産でもあります。そう言った人を神様が放って置く訳がないと私は真剣に感じています。そして,水の如く逆らわず,争わず,競い合わずにどんな姿にでも素直に適用出来るように努力すること。自分の身を低く謙虚に生きること。不要なものは,すべてを水に流し溜め込まないこと。それ以外にも今回の水の神への感謝参詣を通じて大切なことをたくさん学ぶことが出来ました。大自然の恩恵で生かされていること命を繋いでくれた祖霊に感謝致します。

有難う御座いました。拝


和の国体と和の政体「祭祀と統治」2

2019年09月14日 18時21分39秒 | 祭祀と和の国

 

こんにちは。早速,昨日の記事の最後から続きを書かせて頂きます。

>明治天皇・大正天皇・昭和天皇に共通することがあります。

>それは,剣を持ち,軍服を着用していることです。

>和の国の祭祀を司る最高祭主に軍服を着用させ,剣を持たせたのは誰なのか?

>国体である天皇陛下が持てる剣は三種の神器のひとつ「草薙剣」だけです。

ここまでが昨日の記事の末尾ですが,国体「祭祀を司る最高位」でもある天皇陛下にこともあろうに剣を持たせることをしたのは大きな疑問でもあります。なぜならば,天皇霊を宿すとは祭祀つまり,祭祀を司る最高の位に就くことを意味するのであり,武将や軍人の最高位に就くことでは決してありません。今後,憲法が改正されて行くことだろうと想像しますが,曲がり間違っても天皇陛下に再び,軍服を着用させ,剣を持たせるようなことは絶対に阻止しなければなりません。本来であれば,それこそが国体護持の精神を主とする右派の主張する真髄と云うものではないのでしょうか。少し歴史を遡ると奈良時代から平安時代に移り変わり,都が京都に遷都されたあとも天皇陛下や天皇家に異変や危難が及ぶと国体の身を御守り「護持」する為,お役目のある御方「八咫烏」は,天皇を縁の深い神社と寺院に身を隠しながら奈良県の吉野に逃がす役割を担っていました。その神社や寺院が今でも京都や奈良には存在します。自分の身を犠牲にしてでも国体「天皇」を御守り「護持」して来たのです。それが政体の務めであったのです。

間違っても,天皇陛下に鎧と兜を着用させ,剣を持たせるなんてことはして来なかったのであります。

それどころか,天皇陛下に軍服を着用させ,剣を持たせれば天皇陛下を危険にさらすことに繋がってしまう訳であります。剣を持つのは政体である幕府,今で云う政府の役目であり,当然の役割であります。一昨日も記事で書かせて頂いた通り,天皇陛下は「おほみたからにいたるまで」なのであります。つまり,私たち国民「おほみたから」を神さまからお預かりしている訳です。万が一,戦争で天皇陛下が軍服を着用し,剣を手に取り戦い出したら私たち国民は祭祀を司る最高祭主を失うことになるのです。そうすれば,和の国は完全に消滅してしまいます。世界最古の王朝を持った国家が日本であるのです。世界最古の王朝なんだから日本人は誇りに思え!なんて言う事ではないのであります。日本は世界最古の王朝なんだから凄いだろう!なんて自慢したい訳でもないのです。

世界で最も古くから祭祀を司る最高位が日本の天皇陛下と云うことなのです。

したがいまして,わたしにはどうしても大きな疑問と違和感を持たずにはいられないのです。

明治維新から新政府となり,欧米などの所謂,西洋文明に欧米文化を積極的に日本へ取り入れ,日清戦争,日露戦争,そして第一次世界大戦へと日本は突き進んで行ったのであります。過去の歴史が証明してくれております。天皇陛下が軍服を着用し,剣を持てばどうなるのか?わたしたち国民はもっと歴史から学ぶべきではないでしょうか。幸いなことに平成の世である今上天皇におかれては軍服を着用されていません。そのことも歴史から学ぶことが出来るだろうと考えます。万が一,昭和の終戦後も戦前同様に軍拡政策を日本が選択し,今上天皇も明治天皇・大正天皇・昭和天皇と同じように軍服を着用され,剣を手に取っていれば日本は戦争を避けて来れなかったのではないかと私個人的には感じています。それだけ,国体と政体の違いと云うものがあるのが和の国「日本」の象徴なのです。祭祀を司る最高位の天皇陛下の御考えが国家と国民の行先を導くのであり,それは過去も同じであります。

その時代の天皇が祈り「祭祀」を疎かに,蔑ろにしていると必ず国家は動乱し,天変地異に疫病,そして大飢饉と云った世の中になって行きました。たとえば,今回の伊勢神宮の式年遷宮は第62回目の御遷宮でしたが,過去数回,式年遷宮が出来なかった時期がありました。その歴史の背景には何があったのか過去の歴史に学ぶことが出来ます。はたして,国家が非常事態にあったから式年遷宮が出来なかったのか?それとも,式年遷宮を斎行しなかったから国家は非常事態になってしまったのか?

全身を以て全霊で祈りを続けて来られ,国家国民の災難・苦難・困難は我が身を通過してでも国家の繁栄と国民の安寧をひたすら祈り続けて来られたのが世界中の祭祀の最高位である歴代の日本の天皇陛下なのであります。このような国は世界探してもどこの王朝にも存在しません。これが世界の王朝からも尊ばれる理由であり,崇敬を集める理由でもあります。国旗を見ても判るように,太陽を国旗と出来るのは日本だけです。菊の紋章をパスポートに出来る国民は日本人だけです。菊の紋章は祭祀の頂点を意味します。

わたしたち日本人は,先の大戦で完全にその自覚を失わされてしまいました。菊の紋章の意味するところも忘れてしまい,菊の紋章を見ると右翼か暴走族を想像するくらいまで落ちてしまいました。本来,菊の紋章は世界の祭祀継承者の証なのであります。これが世界共通した解釈です。世界有数の神殿には,必ず菊の紋章が刻印されています。つまり,私たち日本人はパスポートでもそれを表現しているのです。ですから,菊の紋章が印字されている日本人の持つパスポートは外国人から信頼されて来た訳なのです。

したがいまして,和の国の天皇陛下に軍服と剣は必要御座いません。


和の国体と和の政体「祭祀と統治」1

2019年09月13日 17時47分34秒 | 祭祀と和の国

 

以下の記事は,過去記事です。

こんにちは。唐突ですが,日本は和の国です。この和と云う言葉の本当の意味は「神」だと私は考えています。

えっ?今日もなに言ってんだ?と想われた方もいらっしゃると思いますが,暫しお付き合い下さい。

たとえば,日本には頭に和と名の付く言葉がたくさん存在します。日本家屋の和室や着物などの和服,食べ物の和食など数えあげたら切がないほど存在しています。又,日本へ観光に来られる外国人の方々にもとても人気のある日本の和風・和物の御土産品でもあります。小さなものから大きなものまで和と付くものが多くあります。そのどれをとっても精密で且つ,精巧な技術品なものばかりで作り手が一生懸命に使う人の立場に立って考え,試行錯誤を繰り返しながら出来上がった最高傑作なものであります。

つまり,最初に私が申し上げた「和」と云う言葉の本当の意味は「神」だと考えますと言った理由も実は,そのひとつの物が出来上がるまでの過程を総称して感じたのであります。一見すれば,ただの物に過ぎない物質に「和」と呼称するにもちゃんと理由があるのであります。その理由とは,いま書かせて戴いた通りですが,日本人が作る和物は,一つひとつの作業にとても手間隙を掛けて物作りをして行きます。しかも,これが,外国人にとって日本製品が人気のある理由のひとつでもあるようです。

丹念に作り上げる思いと念に神さまの分魂が宿ると古から考えられてきました。この世のありとあらゆるものに神さまの分魂が宿っていると云う分魂思想に基づいた概念です。作り手側の念,気と言っても良いかも知れませんが作った物の中に入ってしまう訳です。悪く云ってしまうと不平不満を持ちながら,悔しさ悲しみを抱きながら作り上げた物の中にも負の念や気が満ちてしまいます。

ブラック企業などで朝から晩まで心身共にボロボロになりながら働いている会社の商品や製品は如何でしょうか?

古神道の観念に照らすとあまり自分の身の回りには置きたくないですね。

しかし,この日本人の物作りに対する姿勢と云いますか態度は,太古の昔からの遺伝子の働きではないでしょうか?突然,変な宗教の教義みたいな話になっていますが,ありとあらゆる宗教の根本が日本の古神道であります。古神道とは何かと申しますと,自然崇拝に祖霊祭祀に尽きます。たとえば,太陽や月のような大自然と山や海などの自然を崇拝することであり,自分たちの祖先「先祖」を祭祀「供養や追善供養」することだけであります。何も難しいことも多額のお金も掛りません。ですが,このいつもそこにある大自然と自然に感謝することが出来ないのです。誰であっても無数の先祖が存在してくれていたことで私たちは生きているのにも気が付けなくなって来ています。それは何故なのでしょうか?忘れられた故人を想い出すだけでも供養になるのであります。

元々,農業も科学も宗教も,そして,医学も法学も哲学もすべて信仰の対象であったのです。それを私たち人間が勝手に解釈をしだし,様々に分離させ,分派を繰り返して行く内に訳の分からない「魔」を創り出してしまったのであります。つまり,理屈(理論)が出来上がってしまいました。自然を崇拝するどころか自然を支配する思想になってしまったのは悲劇に近いものがあります。

農業を理屈で考えて行った先が農薬と遺伝子組み換えです。これによって,人の身体は自己治癒が完全に出来なくなりました。本来,天のエネルギーと大地のエネルギーが豊富に含まれた食物を食べるからこそ自己治癒が出来ていたのであります。又,科学では証明できないものは存在しないと平然と言い切ってしまう学者さんも居ますが,現代科学の進歩はどれくらいなものなのか答えられる科学者は殆んどいません。現代科学で分かることは僅か1%にも満たしていないのです。つまり,99%は非科学的と云うことになります。その99%の非科学的なことを1%の理屈「理論」で説明するのですから何があっても想定外となります。

宗教も同じであります。宗教とは教えですから,善と悪の教えが存在しなければ成立しません。そこで登場したのが宗教を理屈で解釈し説明することをしたのです。しかしながら,正しい教えか否かを判断するのは受け入れる側の本人自身であります。そもそも何が正しくて,何が悪いかと云う善悪は理屈で説明できるものではありません。受け入れる側しだいになるのです。つまり,宗教を理屈で説明し出した結果,人は自分で考えることを止めてしまうのです。自分自身で考えさすことを阻害してしまうのであります。

すると,自分の教えが絶対に正しいと思い込みます。つまり,大自然や自然と繋がることを自ら拒否します。

その先に待ち受けているのが,紛争と戦争,略奪と殺戮です。人類が滅亡するとすれば,その根底にあるものは宗教観の違いです。世界中の戦争を見てみて下さい。相手を憎しみ,滅ぼそうとする目的は何なのか?日本でも過去戦争がありました。一部の軍部の暴走によって,神さまを利用し,国家神道を樹立させ,古来祭祀の中心に存在する天皇陛下を軍の最高指揮官に据え天皇の名の元に戦った戦争でした。理屈(理論)は時に大切なものであり,理屈が必要なことは私も良く理解しています。しかしながら,正しいと思える理屈や完ぺきで他の者の追随を許さない理論や言葉ほど慎重に注意して使わなければならないとも考えています。

なぜならば,そこで犠牲になる人は,いつの時代であっても疑うことを知らない純粋で真っ直ぐな心を持った若者や子供たちだからに他なりません。これ以上の犠牲が国家にあるのでしょうか。将来の国家を背負って立つ多くの若者や子供たちを犠牲にしてまで守り続けらなればならない理由は何なのか?その理由が判らない自分の不知の知を恥じるとともに神さまが人を殺せ,人と戦えなんて言うはずがないと言う自分も居ます。宗教を人類の戦いの道具にしてはなりません。和の国に住む日本人であれば判ると思います。

明治天皇・大正天皇・昭和天皇に共通することがあります。

それは,剣を持ち,軍服を着用していることです。

和の国の祭祀を司る最高祭主に軍服を着用させ,剣を持たせたのは誰なのか?

国体である天皇陛下が持てる剣は三種の神器のひとつ「草薙剣」だけです。


熊野三山の奥之院 玉置神社

2019年09月12日 10時41分27秒 | 祭祀と和の国

やまとなる 玉置の山の弓神楽 弦音すれば 悪魔退く

過去記事です。

こんにちは。

京都の出雲大神宮さんに続き,奈良の玉置神社さんからも夏越し大祓の案内書が何日か前に届きました。又,玉置神社さんのことはブログでも何度か記事に掲載させて頂いてまいりました。玉置神社は,奈良県十津川村の玉置山と云う場所に御鎮座されている神社で御座いますが,神社としての創建よりも遙か昔から古神道としての重要な祭祀場でもありました。その古さと言ったら先の出雲大神宮さん同様,軽く1万年以上も前の遙か昔々であります。この玉置神社は,山全体がまさに御神体でありまして,山から放射される気「エネルギー」が凄いところであります。インターネットで玉置神社を検索すると実にさまざまな情報が存在しています。

十津川村の地元の人の話では,昔は畏れ多くて玉置山「御神体」へ易々,近づくことがなかなか出来なかったと云うことです。昔の人々は,山そのものが神さまの御神体であると云うことを知っていましたから,今のように何々修行とか霊行とか山登りやピクニック気分で行くところではないと云う1つの戒めでもあったのだろうと感じます。そして,とても理に沿った考えだとも思います。

現在,玉置神社では神社創建以来の厳しい資金難に直面しており,玉置神社の公式ホームページ上においてもそのことが掲載されされています。神社の資金難は,一部の神社を除き直面している大きな難題でもあります。これからの時代,増々厳しい時代になって行くとも考えられています。神社は寺院とは違い,所謂,収入となる源泉が少ない形体でもあります。まして,玉置神社さんのように山間部で険しい場所に御鎮座されていると一般の参拝者数も極端に少ないと云うのも神社の資金難に直接影響して行きます。

拙い経験ではありますが,わたしも何か玉置神社さんの護持のお役に立てればとよく考えてはいます。玉置神社さんのような山間部の神社は,明確に行こうと意識しなければ辿り着くことが出来ません。つまり,何となく散歩していたら着きましたなんて云う場所にある訳ではありません。実際に,玉置神社までの山道は落石も多く,冬場などは雪や凍結で地元住民の人々でも細心の注意を払って参拝に行かれるほどの場所に御鎮座されています。天河大弁財天社の護持について書かせて戴いたような「和の仕組」を玉置神社さんでも推し進めて行ければ良いのになと感じているのですが,十津川村と云う人口構成から言っても氏子さんだけの力では限界に来ているのがとても良く解ります。そうなると,やはり頼りになるのは,全国に存在している崇敬者さんの御力しかありません。

たとえば,崇敬者さんの御力を得ている神社の実例で申し上げますと。

 ※ 伊勢神宮では,財団法人伊勢神宮崇敬会と云う団体を通じて神宮の護持に寄与しています。

 ※ 丹生川上神社下社では,農業「食」を通じて直会倶楽部と云う団体を介して神社護持に寄与しています。

 ※ 京都の貴船神社では,御日供講と云う崇敬者が集う団体を通して御神饌の購入費用に寄与しています。

 ※ 出雲大神宮では,毎月第3土曜日に境内の清掃を行うお掃除の会が神社境内の清浄に寄与しています。

このような奉仕活動は,それぞれの神社の任意であります。つまり,みなさんの知恵です。

そこで,玉置神社でも何かできないか?

たとえば,お金の寄付だけではなく,コピー用紙や名入れ封筒・使っていない郵便切手等々の現物寄附であっても神社を運営する神社側にとっては助かります。なぜならば,先日の記事で書かせて戴いたとおり,祭事を開催するための案内書を氏子さんや全国に存在する崇敬者さんへ郵送する為の費用が膨大に掛かりますし,コピー用紙などの事務用品の負担も年間を通すと大きな経費を伴うからです。自分なりに出来ることを探す行為は,やがて大きな実りとして自分自身に返って来ます。難しい問題や難題に挑戦する勇気と起案能力も養うことが出来るはずです。それは仕事をして行く上でも役に立ち,自分の成長にも繋がるのではないでしょうか。

少しづつ玉置神社さんの護持に有効的な起案をして見たいと思います。

神社の護持は,氏子さんや崇敬者さんの大切な御役目であります。


森羅万象の中心の坐が感謝です。

2019年09月10日 11時26分39秒 | 感謝の心柱

こんにちは。今日は,一之宮に御酒を奉納して,神札を新しい神札に交換して参ります。私は一年間の間に3回くらいは神札を新しい神札に交換しています。最近,昔に比べると神社に参拝される人が何だか増えているように感じています。それも比較的,若い人たちが多くなって来ているようです。若い人たちが,自分の住む地域の氏神さまに素直に感謝を捧げることが出来ると云うことは,とても良いことです。何か自分の願いを叶えて貰おうとする参拝ではなく,日々の生活に感謝できる心と云うものは尊いことです。

できますれば,多くの人々が,大自然に感謝の気持ちを誰も介在させることなく出来れば良いなと思っています。純粋無垢な感謝の気持ちは必ず大自然に届いています。そしてその素直な想念は,自分自身に反射されて来ることなります。特別,何か呪文のような言葉を捧げるのではなく「ありがとう」これだけで良いのであります。なぜならば,この「ありがとう」と云う言葉は感謝を表す言葉として私たちは何気なく使っていますが,これは言霊信仰の中心でもあり,最強の祝詞でもあるからです。理屈を超越します。

わたしたちの国「日本」には,一つひとつの言葉,つまり一音一音に神さまの分霊が宿ると云われています。言霊信仰と云われて来た古の信仰形態です。たとえば,ひらがなの50音の一つひとつに神さまの分霊が宿っているのです。一音一音を組み合わせ,それを繋げて私たちは普段何気なく会話をしています。その一音一音の組み合わせの中でも森羅万象を顕す言葉「言霊」があるのです。

それが「ありがとう」と云う5音であります。ありがとうと云う5音の言葉「言霊」の組み合わせと繋がりは,実は,宇宙の根源的存在「根源神」は,自分の心の中に坐します云う意味があるのです。これが世界すべての宗教や信仰の元の本であると私は感じています。万物・物事の始まりであり,物事の中心でもあり,和の中心でもあるのが「ありがとう」と云う言葉の意味であるのです。

つまり,森羅万象,万物の中心なのです。私たちに馴染の深い現代の神社神道も仏教も「ありがとう」が起点となっています。人間の心は宇宙と繋がっていると言われる所以でもあります。大自然に感謝を捧げること氏神神社で感謝を捧げることの意味もここにあるのです。したがいまして,神社や寺院に行って自分のお願い事を金銭を払ってするような祈願信仰とは全く違うのです。

素直に感謝のありがとうだけで十分です。こんな事を書くと,神社やお寺の宗教家のみなさんに怒られると思いますが,ちゃんと護持や国体・政体を勉強して頂きたいと思いますし,それこそ神さまを商売に利用しているよなものです。そもそも発想が貧困ではないでしょうか。神社やお寺で交通安全の祈願をすると本当に事故を起こさないのですか?身体健康の祈願をすると本当に健康でいられるのですか?そんなことは小学生でも判ることです。それは,私たちの国「日本」にあるべき本来の信仰ではありません。

また明日,続きを書かせて頂きたいと思います。拝

 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝