花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

すべてを水に流すこと。古神道とともに。① 再掲載

2018年07月31日 21時00分58秒 | 美しき水の国

こんにちは。今回の「水の神への感謝参詣」もあと女人高野の室生寺と伊勢神宮で終わりになります。今日は,ここ数日の間に書かせて頂いて来た「水の神への感謝参詣」を自分なりに振り返って(音霊)観た感想を書かせて頂きたいと思います。何かの正解を探すのではなく,素直な心柱で感じて観たいと思います。本当に今回は御水に関することを意識する参詣になりました。これまでも同じ神社や寺院に参拝させて頂いて来ましたが,今回は御水と云うお題を与えられた様な感じでとても解りづらく,抽象的と云うか感覚的と云うか不思議なものでした。古神道の神髄である無言の教示や案内は,自分から率先して意識したり,行動しなければ会得できるものではありません。つまり,教祖たる人物がいない訳ですから教えてくれる人が誰も存在しません。相手は大自然です。

仏教の祖であるお釈迦様が心の燈火を拠り所にして道を歩みなさいと言われた意味が欠片ほどですが理解できたような気がします。現代の神社神道の祝詞「大祓詞」にも仏教の経典「例えば,般若心経や観音経」にもたくさん知恵や教示が示されていることだと思います。しかしながら,その本当の意味や内容を理解する為には何万遍と唱えても悟ることは永遠に出来ないと私はそう思っています。立派な言葉や文字を眺めているだけ,また読んでいるだけで人生が豊かに生活が平穏になると考える心の方にこそ問題があるとも考えているからです。つまり,祝詞や経典に書かれている内容を如何に日常生活の上で実践して行けるかだと感じています。

したがいまして,本当の悟りや理解などは厳しい修行や苦行にあるのではなく,日常生活の中にあるのではないでしょうか。そして,誰もが豊かに平穏に暮らす為に生まれて来ているのだと考えています。よく,この世の中は,厳しく,不幸なものだからとか言われる方がいますが,私は全く考え方が違います。不幸の中の不幸は,何処まで行っても不幸のままです。苦しみの中の苦しみもどこまで行こうが苦しむままです。苦しむことで過去の因縁を昇華できるとか言うことはありません。これを暗示のように毎日毎日,自分に言い聞かせ,他の人物からこのような教義を受けていると最後の日まで苦しみの中にいることになってしまいます。

私たちは,大自然と云う太神様の中で生かされて生きているのです。そして自然とともに生きているのですから大自然の仕組みが変われば,私たちの心も良くも悪くも変わってしまうのです。大自然や自然に感謝をすると言う言葉の奥には,自分自身に感謝することに繋がっているのであります。さらにこの世のありとあらゆるものは太神様の断片で,すべてのものには太神様の御分霊が宿っていると考える方が自然な考え方の様に思えます。それを,科学ではこの様に考える,医学ではこの様に考える。経済ではこうだとか法律的にはどうだとかを真剣に大人たちが議論しています。つまり,人間が社会や自然をコントロールしていると思い込んでいます。元々,科学も医学も経済も法律もそして,宗教も信仰の対象として崇拝されて来た一つのものであったのです。それがいつの間にか,一つひとつを分離させ,人が支配するようになってから訳が分からなくなって来たのです。分離分割すればする程です。

今回の水の神への感謝参詣を通じて,いろんな事を勉強させて頂きました。一見してみれば,川に流れるただの水ですし,神社から湧き出る御水つまり,御神水です。しかし,そのただの水と感じるのも人の心の内であります。大自然の中で生かされ,自然と共に共存共栄して生きることで大自然からの音霊(波動)を感じ取れることができます。何か特別な能力が必要だとか神様から選ばれたとか云うものではありません。誰においても出来ると私は思っています。その為にも感謝の心柱を立てなければなりません。つまり「自ら手を挙げ名乗り出よ」と云うことなのです。だからと言って,神様がそのような言葉をしゃべる訳でもないです。あくまでも自分からですから別の言い方をすれば,奉仕の心柱も自分の心に必要であるとも言えます。私がしますと言う謙虚な心柱を自分の心の高天原に太如き立てるしかないようです。今日で,このブログを開設させて頂いてから108日目が経過致しました。仏教に伝わる様に,人間の煩悩の数と同じであることから今日の記事を書かせて頂きました。感謝申し上げます。有難う御座いました。

明日に続く。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


祖霊祭祀と古神道 ~ 宗教界に物申す ~ 再掲載

2018年07月30日 21時27分37秒 | 祭祀と和の国

こんちには。

以下の記事は,今年の2月24日に書かせて戴いた記事です。

昨日は,日蓮宗の寺院に久しぶりに伺い,製作した無縁霊さん用の祭祀壇の点検を行いました。想像していたよりも多い無縁霊さんや一時的にお預かりしている御霊さまであったので少し驚きました。久しぶりに住職さんと寺族の方ともお会いしたくさんお話をさせていただいて帰って来ました。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいます。やはり祖霊祭祀は清々しい気持ちにさせてくれます。日々の神祀りも然り,祖霊祭祀も誰を介在しない祭事は良いものであります。直接繋がるこれは先祖供養でも同じです。

現代では,お寺に先祖の供養はお願いしているからと考えている方も多くいらっしゃいますが,これは明らかに現代風の考え方と申しますか,日本古来の祖霊祭祀と云う世界に誇れる伝統とは違います。日本人が太古の昔より脈々と続けて来た先祖供養とは,生きている子孫が直接,自分の先祖と繋がると云うことを大切にして来たのであります。そもそも,祖霊祭祀と云うものはお寺つまり,仏教にはありませんでした。何度かブログで書かせて頂いて来ましたが,祖霊祭祀「先祖供養」は,既に縄文時代には祭事として先祖供養がされていたのです。又,現代の私たちが行う例えば〇回忌と云う追善供養も縄文時代には実に丁寧な追善供養が斎行されています。縄文時代には,現在のような神社神道は存在しませんし,又,国家神道も存在していませんから古神道の役割でした。

左にある検索で「古神道 祖霊祭祀 縄文時代」と検索し申し宜しければご覧ください。

それと,私の自論ではありますが,先祖供養は,私たちの遺伝子に影響を多大に与えていると感じています。私たちの遺伝子「DNA」には祖先が体験した膨大な記録が保存されています。その遺伝子「DNA」は,私たちが日々暮らしている生活や仕事,勉強に恋愛に結婚,そして病気に至るまでも影響していると感じているのです。わたし程度が理論的に説明することは不可能ですが真実だと根拠なく確信しています。直感です。私たちが自ら執り行う祖霊祭祀「先祖供養」には神秘に満ちた祭事です。そのことをよく知っていた縄文人は実に丁寧に祖霊祭祀を斎行していたのではないでしょうか。そこからさまざまな日本固有の思想が生まれ,現代の私たちも無意識の内に引き継いでおります。引き継いでいると云うよりも,これが遺伝子「DNA」の働きだと考えています。

つまり,祖霊祭祀は遺伝子「DNA」のお掃除だと言える面もあるのです。

このあたりの分野を研究されている御方が筑波大学の村上和雄教授です。

今ではすっかり,先祖の供養は,お寺でするものと言った固定観念が一般的になってしまっています。又,先祖供養は長男がするべきものだと云う間違った考え方が罷り通っています。普通に考えて見ても,長男次男と云う生まれた順番と先祖供養を結びつけること自体が滑稽な話でしかありません。遺伝子は長男にも次男にも存在しているからです。長男の遺伝子は長男遺伝子で次男の遺伝子は次男遺伝子なんてことはありません。長男も次男も共に同じ先祖を持つのです。子供でも解かることであります。

明治時代の家督制度や家制度が発祥なのか,私も勉強不足でハッキリとしたことは分かりませんが,いつ・だれが・何の目的で長男が先祖の供養をするものだと云うことにしたのか今後も研究して行きたいと思います。もしかすると祭祀継承者「墓守」から来ているのかも知れません。長男は本家を継ぎ,他の兄弟は分家となるから本家を継ぐ長男が先祖代々のお墓を御守りするのだと云うことから来ているかもです。自分で書いていて何だか研究するのが楽しくなって参りました。陰謀説かも知れません・・・(笑)。

しかしながら,先ほども書かせて頂いたとおり,いくらお寺で先祖の供養をしてもそれは間接供養で直接,自分の先祖と繋がっている訳ではありません。本来であれば,ちゃんとお寺の僧侶もそう言ったことを檀信徒さんへ教えて差し上げるべき大切なことなのですが話す僧侶はほとんど居りません。本当に残念なことであります。おそらく疑問にも感じていないかも知れません。現在の仏教は葬儀仏教となってしまいましたから,自宅でもちゃんと先祖の御霊を供養しないとダメだよと言えないのだと思います。

したがって,その結果,逆に神社や寺院は,資金などの運営面や氏子・檀信徒の離檀や先祖供養の稀薄さからお墓を閉じるひとが急増し減少の一途を辿っています。しかも,これからがとても厳しい時代を迎えることになって行きます。そのことで法律上,破産の申立てを余儀なくされる宗教法人も多く出てくるはずです。宗教界も社会構造の中に存在していますので避けては通れない道のようです。そんな厳しい時代の中でこそ,宗教家は道や法を説いて歩くべきと考えますが,宗教家自身に危機感がないのです。

神社界は,春日大社のように祖霊祭祀祭「先祖供養」を復活させるべきであります。拝

  

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みんなの変革期。Change 再掲載

2018年07月29日 15時01分18秒 | あさひの科学神書

こんにちは。

以下の記事は,先月6月22日に書かせて戴いた過去記事です。

昨日は,久しぶりに昔のお客さんから突然,連絡を頂戴いたしました。80歳を超える御婦人ですが,とても元気で喋り方などハキハキとしていて,今の若い人よりも何だか元気で安心しました。その御方は,小さな清掃会社を経営されていて現役でご自身も現場に出ておられるようです。昨日の連絡は,ちょっとした法的な相談でしたが何かあったときにだけでも想い出してくれればそれで良いと思っています。人との縁は,一期一会です。袖振り合うも他生の縁と申します通り理屈では説明のつかない事ばかりです。

さて,今年も後半に突入しようとしています。本当に早いもので,あけましておめでとうございますと言っていたのが,まだこの間のような気がしてなりません。時間の短縮がどんどん勢いを増して来ているのでしょう。現実が現代科学の常識を超え出して来ていますから,科学の研究者も何から手をつけて良いのか訳が解らなくなっているのではないでしょうか。そう云った意味においては,宗教家の方もそうかも知れません。宗教家の方々が,一般人に教えを乞う時代です。ひと昔前では考えられなかったことです。

きっと,これからは,教育者が生徒に勉強を教えて貰ったり,医師が,患者さんから治療の仕方を教わったりする日が来るのかも知れません。勿論,法律家もこれまでのように胡坐を搔いていてはなりません。相談者から法規範の使い方を学ぶ日も来るように思えます。人工知能AIが社会に進出すればする程,今までの常識では信じられないような,こう云ったことが現実的に起こり得ます。

私の中では,これからの政治の世界や公務員の世界がどう変化して行くのかがとても見応えがあります。変革に一番遅い分野であろうと考えますが,このまま,同じと云う訳にはいかないようです。民間の社会が変革を起こせば,当然,政治家だろうと公務員であろうとその渦の中へと入らざるを得なくなります。そのきっかけを創るものはなんでしょう?天変地異などによる天災でしょうか?それとも戦争やテロなどの人災でしょうか?その答えは,誰にも判りません。偶に,解かると云う人もいる見たいですが(笑)。

いずれにしましても,社会はこれから大きな変革期へと本格的に軸足を置いて行くことには間違いがないと思います。その変革期に悪い方へと軸足を置くのではなく,良い方向へと軸足を置きながら舵を切って行けなければなりません。その為には,何と言ってもわたしたちひとり一人の「念」想念次第でもあります。想念は,思うままの現象を生み出して行きます。一人では大したことはないと考えてしまいがちですが,一人が二人・三人となって行き,やがて,悪い想念が社会全体に蔓延して行くと途轍もないエネルギー体となって私たち全体にかえって来てしまいます。そう言ったことが,今の社会でも言えることも多いような気がしております。

マイナスの負のエネルギーと云うのは,必ず弱い立場の人に集中して行くのです。

今日の強者は,明日の弱者であります。明日は我が身と云う言葉を忘れずに居たいものです。

世界中に,日本の和の精神を広げて行きたい。日本の強みは,ものつくりだけじゃない。

Asahi Hanasaki 

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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母の温もりを求め続ける水子の御霊。再掲載

2018年07月28日 05時14分52秒 | 反省の心柱

こんにちは。

以下の記事は,2017年1月13日に掲載した過去記事です。

今週末にかけて大雪が降る地域があるそうなので,除雪や屋根の雪下ろしの際は十分気を付けて下さい。毎年毎年,この時期になるとニュースなどで雪掻きの作業中に怪我をした等の話がされています。高齢化が進み,限界集落や若い人が少ない地域は大変な重労働です。毎年の事ですので,産学官連携して何か良い施策があればといつも思います。

最近は,神様から授かった子供(御霊)を中絶する人が多いような気がしています。私が毎日仕事で会う方の中にも数霊の水子をもつ方がおります。人それぞれに異なった事情があるとは思います。たとえば,未成年で就学中の子であったり,経済的理由であったり,婚姻関係以外の人との間に出来た子供であったりと様々であろうとは想いますが,せめて生まれて来ることの出来なかった子供の為に供養だけは欠かさずして頂きたいと思います。所謂,水子供養ですが,この水子供養をしている人は実に少数です。

肉体を持てなかった霊魂は関係ないと考えているのか何なのか理解できませんが,中絶を繰り返す女性,そして中絶を繰り返させる男性の人に共通しているのが水子の供養をしていない人です。関心すらない人も多くいます。そう云った方に,私がよく話すのが霊的なことよりも子供が母親の子宮(御宮)に受胎するまでには壮絶な競争があり,奇跡の連続であると云うことです。それは正に神秘の世界です。今は便利なインターネットが存在しますから,簡単に生命の誕生までを学ぶことが出来ます。

又,神道には神社と言うものが存在します。どこの神社でも鳥居をくぐり,参道を歩いて,最後に御宮で神様に参拝するように配置されています。神道では無言の教えと云うものが存在していて,この鳥居,参道,御宮と云う配置にもちゃんと意味があるのです。

それは何かと申しますと,つまり,母親の身体を具現化したものです。

子供が受胎する子宮は「御宮」です。子供が生まれる膣は「参道」です。そして,母親の股が「鳥居」になります。

水子の供養もしなければ,御宮を穢すことに繋がり,もっと最悪なのは穢すことを繰り返したまま放置することです。この報いは生きている子孫が背負い続けることになります。なぜなら,人の肉体はなくなってしまっても霊魂は一定のあいだ家族や子孫と生き続けるからです。どんな有名な僧侶に供養を頼んでも,どんな立派なお墓を建立するだけでは殆ど意味がありません。

なんと言っても生まれて来ることが出来なかった水子の御霊が一番喜ぶのは,母親と父親の愛情です。気を向けられることで安心して行きます。些細なことでも良いのです。ご飯を家族で食べるとき,お風呂に入るとき,夜寝るときなど一緒に食べよう,一緒に入ろう,一緒に寝ようと気を向けてあげるだけでも供養になります。そして,その母親や父親の愛情の想いは必ず水子に届きます。

母の宮に宿りし幼き御霊 無念の一心何処に逝かずや 

合 掌

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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あの世の先祖が祈ること。 再掲載

2018年07月27日 04時33分48秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

以下の記事は,今年3月29日に掲載した過去記事です。

わたし達には,数え切れない程の祖先がおります。家系図を作成されている人でも過去の親戚一同を把握することは出来ないと思います。特に,女性は嫁いでしまいますから嫁ぎ先まで家系図に入れることはありません。こうなると一体,わたし達の祖先はどれくらい存在していたのでしょうか?その先端で生きているのが,私たち子孫であります。そうなると,自分の先祖に歴史上の有名人物の誰々がいるなんて話をしてもあまり意味がないようです。なぜならば,どの家系にもいるからです。こう言ったことを書かせて頂いている私にも歴史上の有名人物が祖先の中におりましたし,このブログをこうして読んで下さっている御方の中にも歴史上の有名人物が祖先の中に存在しております。このように考えますと,私たち子孫は共に共通した祖先を持つ者同士であります。

そして,お互いの家系を遡り共通した祖先に辿り着き,さらに遡りますと最終的には神さまに行き着く訳であります。したがいまして,私たちは明らかに神さまの子孫同士でありますから,やはり争いごとはするべきではありません。古神道では「同根思想」とも言います。この同根思想は人と人の関係性だけではなく,宗教間でも当てはめられて来ました。つまり,如何なる宗教も同じ根から生じたものであると云う解釈・結論です。元々は一つの宗教・信仰からさまざまな宗教・信仰形態が産まれたのであります。

したがいまして,元々は同じ根から生じた宗教同士が戦争や紛争をすること事態,実に愚かなことでもあるのです。きっと,宗教観の違いから生じる戦争や紛争が勃発するたびに,神さまは悲しんで居られます。人間界でも兄弟姉妹を子供に持つ親であれば,自分の子供たちがいつも争い合い,憎しみ合っている様子をあの世で見ているのですから,こんな辛く悲しいことはありません。兄弟姉妹がいる方であれば経験があると思いますが,子供の時,おもちゃの取り合い,見たいテレビのチャンネル争いをしていると親が怒ってすべてを取り上げられたなんて経験はないでしょうか。今はその本当に一歩手前まで来てしまっているように感じます。

親の願いは,いつの時代であっても同じであろうと思っています。健康に恵まれなくても経済的に困窮してても生きていてくれればそれだけで良いとあの世で私たちを見守ってくれているのです。しかし,生きている私たちは,そんなことを考えもしません。それどころか,あの世なんてないと言い切ってしまう人もいるくらいです。あの世があるなら証明して見せろと云うことなのでしょう。

それならば,あなたが生きていることを証明して見せて下さいと言ってもこれまた証明ができません。残念ながら,結局,人は自分自身を見ることが出来ないのです。鏡に映っている自分は本当の自分ではありません。鏡に反転している自分でありますから,人は誰であっても自分を見ることが出来ないのです。そんなとき,頼りになるのが第三者である他人であります。神道の考え方に,人は自分の鏡であると云う思想的なものが存在します。つまり,人の気になるところは自分に存在するからと云うものです。

たとえば,嫌なところが友人や知人にあるとそれは自分が持っているものだということです。人の振り見て我が振り直せと云うことわざもあるぐらいです。古事記の中の日本神話「天孫降臨」によると太陽神「天照太御神:アマテラスオホミカミ」の命を享け,地上の国「豊葦原中国:トヨアシハラノナカツクニ」を支配するため孫の「瓊瓊杵尊:ニニギノミコト」に授けた三つのものがあります。わたし達が良く知る三種の神器「八咫鏡」「八尺瓊勾玉」「草薙剣」であります。この三種の神器うち,現在の神社でも御神体として祀られているのが鏡であります。この意味は,とても意義のあることでさまざまな研究と解釈がされて来ています。

今日の記事を覚えていれば,明日以降に書かせて頂きます。

私たちの魂の親でもある神さまから,すべてを取り上げられないようにしなければなりません。

すべてを無くし失う時は,一瞬です。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

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菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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この世で償える罪ばかりではない。再掲載

2018年07月26日 05時28分33秒 | 反省の心柱

以下の記事は,2016年11月15日に書かさせて戴いた記事です。

こんにちは。今日は,何だかとても暖かい日でありました。気温の寒暖差から体調を崩されてしまう方もいらっしゃると思いますので,どうぞ,御身体を御自愛下さい。昨夜は,ちょうど前回からの記事の続きを書こうとパソコンに向かっている途中に,自称霊能者に何年にもわたり,数千万円と云う多額の金銭や土地などの物を採取され続けていた事案の相談者から連絡が入りました。

先日から続けて書かせて頂いている神様との約束事 仕事とは祭事であるぞ。 4の続きは,明日からまた記事にさせて頂きます。したがいまして,今日は,霊感商法絡みに対する注意喚起としても書き置きたいと思っています。先ず,金銭の要求や身体への接触などのことを要求されたら,何ら躊躇せず,直ちに110番通報か最寄りの警察署へ行って話をして下さい。そして相手には,自宅の住所,実家の住所,自分の携帯電話や家族の情報は一切,話してはダメです。なぜならば,彼らの手口は,携帯電話の個人のメールを使って連絡手段にしたり,家族の問題と霊的なことを結び付け恐怖心を煽りたてたり,先祖供養が必要だとか,昔の第三者「知人」「友人」「会社の同僚」「旦那さんの場合,昔の女性関係」などなど生霊が悪さをしているなどと云った話から供養の必要性や金銭の要求して来ます。つまり,お金を出させる方法の為に話を持ち出すのです。この話を読んで,そんな馬鹿な。そんなので引っかかるの?と思われた方は,ほとんど引っかかります。彼らは,日常の会話の中で,その人がどう云う性格で,どう言った事に興味があるのかを瞬時に見抜くのです。おまけに日本人は神様,仏様,先祖の供養に関しては子供の頃から生活の中にあり馴染みやすく,信仰心が無意識の内に存在しています。又,家族の事を言われてしまうと心配したり,不安になったりと感じてしまうのです。これだけ社会で霊感商法で騙されている人が後を絶たないのは何故か?それを考えて見て下さい。騙された人が必ず口にする言葉があります。それは「まさか自分が」です。騙された皆さんがそうの様に話されます。つまり誰であっても同じ,例外はありません。

私も事件解決の為,2年前から取り組んでいたのですが,その自称霊能者に数千万円と云うお金を採取された挙句,先祖代々から守り続けてきた土地まで売却することになってしまった極めて悪質な事案でした。事件そのものは半年くらい前に既に終結していたのですが,相談者本人の気持ちの整理がなかなか出来ずにいましたが,昨夜の話では気持ちに少し余裕が出て来て前向きに生きて行けるように頑張りますとの言葉を聞けて私も嬉しかったです。思い返せば,相談者と何度も何度も面談や協議を重ね,警察(刑事課)へ告訴しに出向いたり,私もとても勉強になった事件でした。弱い者の心の隙を狙って多額の金銭を採取したり,身体に悪戯をする様な自称霊能者自身も最近は,取締りや捜査方法,民法や刑法の法律を勉強しているようで実に巧妙な手口になって来ています。

ひと昔前のような,高額な仏像や壺などを売りつける部類ではなくなっています。くれぐれもご注意ください。

相談者には,また明日も生きて見ようと思って頂ければ,私の任務は一先ず終了です。何かあった時にだけ,私のことを思い出してくれれば,それだけで十分です。生きていると本当に様々な事が起きてしまいます。私もそうです。本当に毎日いろいろなことが日替わりで起きます。その原因や要因を外観的な視点で見ようとすればするほど深みに嵌って行くことも今の社会には多くあります。

そんな時,自分の力だけではどうすることも出来ないことに遭遇してしまったら,一緒に困難なことに立ち向かい,何年も闘って来た仲間たちが居たんだと云う事実と自分の行いを省みて頂ければ同じようなことは繰り返されないと思います。勇気も持って,自分自身が反省すべきことはきちんと反省し,二度と同じ過ちは繰り返さないと心に誓いを立て家族の為にも頑張って頂きたいです。

しかし,私とその自称霊能者との本当の闘いはこれからです。引っ張ってでも閻魔大王のもとへ連れて行きます。この世で償える罪ばかりではないことをあの世で思い知ることになるでしょう。そういえば,過去にも記事にさせて頂いたことがありました。不動明王の羂索の小話。もし宜しければ読んでみて下さい。閻魔大王と不動明王が手にする五色の紐は?こちらです。拝

  

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わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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お地蔵さまの鎮魂の祈り。再掲載

2018年07月24日 23時22分55秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

今日24日は,お地蔵さまの縁日でありました。

そんなことで,お地蔵さまに関する過去記事を再掲載させて頂きます。

昨日は,東京大空襲から73年目を迎えた日でありました。そして,今日は,あの未曾有の巨大地震「東日本大震災」から7年を迎えた日であります。人によって個人差があると思いますが,私にとっての7年と云う歳月は,そんなに経つのかと思いたくなるほど月日た経つのが早いと感じております。毎日のようにブログで自然の脅威と猛威を書かせて頂き,何よりも大自然へ感謝して過ごすことの大切さを未熟ながらお伝えさせていただいて参りました。地震に噴火,洪水に竜巻と日本のどこに住んでも安全だなんて言える場所はもはやありません。

これまで私たち人間は,自然の生態系を狂わせ,壊してきました。そのことで起こる自然災害は,むしろ私たちが招き入れた人災でもあるわけであります。自然と共に共生することの大切さは,私たちの遠い祖先から子孫へ言い伝えられてきたことでもあります。それは何故なのか?私たち人間が,自然や環境を破壊するとその報いは必ずや自分たちの子孫が受けてしまうからに他なりません。

東北の被災地でも,先祖が子孫へ石碑を用いて「これより先に住居つくるべからず」と警告碑を建てています。数千年の歴史のある神社の配置も見事に津波が到達するギリギリの場所に意図的に建立し,当時の人々が後世の子孫たちの身を案じていたことの証であります。そこに,自然と共に暮らし,自然によって生かされていることへの感謝を捧げ,海の神さま,大地の神さまをお祀りして来たのです。地震があったら神社へ逃げろ!と最後には神さまのもとへ集まり,互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,ともに手を取り,手を握り,過去幾多の大災害を私たちの先祖は見事に乗り越えて来たのであります。そう言ったことの上に,私たちは生きていられるのです。これが和の民である日本人です。

自分たちの世代だけではなく,次の世代もその次の世代にも,どうか無事で暮らして行けますようにと云う祈りなのであります。そうした先祖の想いは,今でも言い伝えや口伝,石碑や文献「文書」として私たち子孫の身を案じ,知らせてくれています。日本全国各地に先祖が子孫へ残した言い伝えがどれぐらいあるのかは存じませんが,きっと膨大な数だと思います。その子孫たちへの先祖の想いと云うのは,生きている間だけではないのであります。あの世に帰っても私たち子孫の身を案じて下さっています。

しかも,その祈りは,私たちの先祖だけではありませんでした。

私が体感したことで大変恐縮でありますが,東日本大震災によって被災してしまった寺院を復旧する目的で,関東地方のとある寺院へ伺い参道を歩いている途中に,フッと何気なく無縁仏さんの合祀塔を観てみると普段は正面を向いているはずのお地蔵さまが斜めの方向を向いたままになっておりました。既に,地震から数日が経過していた頃だった思います。きっと,地震の影響で,お地蔵さまの向きがズレてしまったのかと一瞬思いましたが,その時,お地蔵さまの音霊「波動」が,私の心柱に降りて来ました。実は,お地蔵さまが向いていた方向が東北の被災地方向だったのです。その光景は,今でもよく覚えています。同時にもの凄い慈悲の波動を感じるのです。じっと被災地を合掌しながら見つめる御姿は言葉には変えられない光景でした。被災地の様子を何百キロと離れた寺院からも見守り続け,被災者の避難所での様子と被災者の人命救助のようすを千里眼で観ていたのだと思います。

このようなお地蔵さまの祈りは,被災地以外の全国の寺院でもあったようです。長野県の六地蔵尊もすべての地蔵尊が被災地の方向に向きを変えていたと報道されていたようです。お地蔵さまは,観音さまと共に,私たちにとても身近な存在であります。ある時は,道端で行きかう人々の安全を見守り,ある時は,田んぼや畑の豊作を祈り,そしてまたある時は,子供たちの童話にも登場して参ります。それだけではなく,水子地蔵とも云われるように,水子さんの霊がすがる御仏さまとしても信仰され続けています。

お地蔵さまは,立場の弱い人や御霊の側を決して離れません。

東日本大震災によって犠牲になってしまった御霊に心よりお祈りいたします。

合 掌

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


心柱(みはしら)祝詞

2018年07月23日 06時14分48秒 | 祭祀と和の国

 

こころのみはしら「心柱」祝詞

互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,

共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合い,

如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れずこうべを垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気素直

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。

高天原(自分の心)にそびえる柱(心柱)に降ろせよしかと神の祈りを。

神の祈りを柱に降ろし,言葉に変えて,実地に移し,日々の努力を忘れずに,人を活かせど手柄にはなし。

前段一部終わり。

富士山にて記す。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


日本に生まれて来れて本当に良かった。 再掲載

2018年07月22日 03時47分32秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

こんにちは。

今月は,郵便局でのアルバイトで忙しく記事の更新が過去記事中心になっています。

その忙しい繁忙期も今日と明日で終わります。

以下の記事は,今年の6月4日に掲載した記事であります。

こんにちは。

何事もバランス意識を持つことが大切であると云う言葉を日常の生活の場でも仕事の場であってもよく聞くことがあります。つまり,中立と言い換えてよいと思います。現在の神社神道の考え方の中にも,中立を中道や過去の人生に囚われなず,将来の心配ばかりに気を使いすぎないと云う意味で中今と云う言葉が存在しています。この中今と云う言葉の意味は,今のこの一瞬一瞬を大事に生きると云うことであります。この考え方は,私たち一人ひとりの霊体と肉体のバランスにおいても非常に大切なことであります。

つまり,いつも書かせて戴いているとおり,日常生活上の中で霊体と肉体を意識して行くことがとても大切であると云うことです。霊体ばかりに気を使っていると面倒なことに巻き込まれたり,人としての生活基盤が確立して行きません。その逆に,肉体ばかりに気を使いすぎていると心柱が育って行かなくなってしまいます。祈りと云うのは,即ち,想念ですから想念は,霊体の役割でもあります。そして,実行力や行動力は肉体の役割ことを言います。このバランス感覚が生活して行く上でとても大事になって行きます。

別の言い方で言いますと,生活の基盤が祈りと言い換えることも出来ます。祈り「想念」とは円でもあります。〇の円です。その〇円を形成するものが行動や実行と云う力「エネルギー」なのです。行動力や実行力と云う「エネルギー」が働くとある形が出来て行きます。それが円形〇です。したがいまして,〇円の中心が祈り「想念」霊体である訳です。祈りを忘れた行動や実行をいくら一生懸命しても円形にはなりません。努力だけでは成功しないと云う言葉を聞いたことはないでしょうか?つまり,良き祈り「想念」は,良き行動や実践を伴い,円形「〇」を産み出します。原点と云うのは,この〇の中心に存在する訳ですから,原点回帰と云う言葉は,たとえば,道に迷った場合は原点に帰れば良いと云うことです。原点回帰は,勉強をしているときにでも有効であります。

こう云ったことが間違って解釈され続けて来たのであります。たとえば,円の思想を具現化しものが現代社会の日常生活上に必要不可欠となっている制度があります。それが相互扶助と云う仕組みですが,日本の縄文時代には,高度な相互扶助の仕組みが既に整っておりました。相互扶助と云う仕組み「システム」は,欧米などが発祥だと云うのが今では通説になっています。これは大間違いです。相互扶助の仕組みは,信じて貰えないかも知れませんが,既に縄文時代に確立されていて日本が発祥なのです。本当です。

わたしは,縄文時代に縄文人が海を渡り,世界にこの相互扶助の仕組みを伝承して行ったのではないかと考えます。きっと,インディアンや先住民族の思想や考え方の中にも相互扶助の仕組みがあるはずです。しかし,日本ではそのような事実が語り継がれることはありません。日本人は元々,自分の主義主張が苦手な民族ですから,誰も率先してそう云った事実を主張しようともしません。

別に威張ったり,自慢するのではありませんが,せめて,日本人自身がそう云った自分の国の伝統や文化を知っていると云うことは大切なことであると私は感じています。たとえば,外国人が日本のことを学ぼうとしても日本人自身が日本の伝統や文化を知りませんから,外国人からすると,きっと???だと思います。又,ある業界の認定資格試験においては,必ず出題される問題に「慶應〇年に,福沢諭吉が欧米から相互扶助の考え方を持ち帰った」と云うような問題が出題されます。その相互扶助の思想に基づいて出来たのが損害保険や生命保険と呼ばれる保険制度です。日本国の年金システムも保険制度ですから相互扶助の精神に基づいて運営されています。よく年金を積み立てと表現したりする専門家がいますが,これは全く違います。国の年金制度は,積立ではありません。

そもそも相互扶助に積立と云う概念は存在しません。積立は貯蓄です。

話しがそれてしまいましたが,その思想「相互扶助」は「円」に基づき考えられていました。後の後世に,この円思想を探求しつづけた人物が二宮尊徳さんでもあったのです。二宮尊徳さんは,なんでも円のカタチ「〇」に基づいてさまざまな事柄を思考していたようです。そのことは先日も二宮尊徳さんの記事にさせて戴いたとおりで御座います。先の縄文人も自分たちが暮らす集落全体を円形状に形成して暮らしていたのです。やがて言葉を持つようになった日本人は,円思想を「和」と表現するようになって行ったので,外国人は,日本を和の国と呼ぶようになったのです。和の仕組みを持ち,和の国で暮らし,和の民であるのが,私たち一人ひとりの日本人であります。こんな凄い国は,世界のどこを探してもどこにもないのですが,そう感じていないのが日本人なんですね。

国家の最高祭主が,自国の国民を「大いなる宝・おほみたから」と呼ぶのは日本だけです。

日本に生まれて来れて本当に良かった。〇 合 掌

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

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あの日。志摩で誓った想い,今も忘れず。 再掲載

2018年07月21日 13時13分04秒 | 勇気の心柱

こんにちは。

以下の記事は,4月26日に掲載した過去記事です。

こんにちは。上の写真は,伊雑宮の御神田で御座います。日拝をされている方には,是非ともおススメです。

ちょうど,8年くらい前に,神社の氏子さんや崇敬者さんとお寺の檀家さんを対象に孤独死や孤立死,幼児虐待を何とか防止出来ないかの起案(立案)していた時期がありました。8年を経過した現在も立案作業は進めていますが,もしかすると応用として昨日の記事のような事柄でも効果が期待できるのではないかと想い,そのことを今日は書かせて戴きたいと思います。日本人であれば,政治家であろうと政策の立案を担当する官僚であろうと公務員であろうと又,私たち国民であろうと社会のさまざまな問題点を何とかしたいと考えていることがあると思います。これは,理屈ではなく心情として誰でも理解できるのではないでしょうか?

しかしながら,一昨日も記事に書かせて戴いたように人それぞれが置かれている様々な現在の状況と真実「真理」と事実「現実」を踏まえて考えて見ると様々な問題を各人がそれぞれ承知で来ていても具体的に何か手段や方法を用いて出来るかと云うとなかなか難しいのが事実つまり,現実ではないでしょうか?あったらいいな。やれたらいいな。それは誰でも心中では同じであると私は考えております。よく,宗教家の方々と議論や協議をしているとやはり同じように「このままでは神社やお寺はなくなってしまう」と言われることがあります。私もその気持ちは理解できる面もあることは確かです。ただそう言った危機感を感じているのであれば,先ずは,宗教家自身が自分から自ら手を挙げ率先して行動に移さなければなにも変わらないのではないかといつも感じております。

危機に直面したら神仏に願いを掛ける。神仏に手を合わせればこの世の幸せをたくさん享受できる。祈れば大丈夫。おそらく,多くの宗教家がこのように考えていると思います。そう言った意味においては,宗教家だけではなく,わたしたち一般の人々も同じかも知れません。神仏に祈れば,神仏が助けてくれる。だから日本全国のパワースポットと呼ばれる場所に出掛けに行く。そこが,祭祀場であろうが,御神体であろうが,鎮守の森であろうが,磐座であろうが何ら躊躇することもなく集団で御神業だと言っては神域に入って行く。実際に,私もこれまで宗教家の方々に神仏に祈れば神仏の加護が得られるのだと聞かされることが多々あります。

これまでもブログの記事を通して,神さまから授かったリスクマネジメントと云う最強の手段と手法を書かせて戴いて参りました。わたし個人的には,この縄文時代から続くリスクマネジメントに勝る論法もないと考えています。そもそもリスクマネジメントと云う手法は,西洋諸国の考え方と思われている方も多いのですが,実はリスクマネジメントは日本が本家本元なのです。既に,縄文時代には高度なリスクマネジメントが確立していました。カタカナ文字にカタカナ言葉に日本人は弱いですから,きっと,リスクマネジメントは西洋の考え方であると据えられてしまったのだと思います。それでは,リスクマネジメントを一言で云うと何かと申しますとそれは「和の仕組」です。この和の仕組みを創り上げる事が出来る方法と手段はリスクマネジメント以外にはありません。

どれくらいのことが出来るのかは解かりませんが,神さまから授かったリスクマネジメントを駆使して,神社やお寺の護持を通じ,既計画案に応用させて見て行きたいと思います。リスクマネジメントは,どんな事にでも応用が利くところに凄さを感じてしまいます。少し,リスクマネジメントの基礎基本を書かせて戴きます。リスクマネジメントの起案作業における骨子は3つだけです。先ず,リスクマネジメントの基礎基本は①何の為にするのか?「目的と趣旨」が大前提となります。②次に,誰が何をするのか?「手段と役割」が小前提となります。③そして最後に,その事で誰が又は何がどうなるのか?「結果や効果」が結論になります。要は,大前提に小前提を当てはめて結論を導きだすのです。誰にでも簡単に出来ますので,身近なことに当てはめて見て下さい。

理想と現実の狭間にて 志摩で誓った想い忘れず。拝

  

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

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食「直会」を通じた神社の護持。 再掲載

2018年07月20日 05時10分21秒 | 歓びの心柱

こんにちは。

以下の記事は,今年4月23日に書かせて戴いた過去記事です。

先日もブログで記事にさせて戴いた奈良県の吉野郡に御鎮座される龍神が棲息する丹生川上神社下社と云う日本最古の水の神さまをお祀りする神社で,食「直会:なおらい」を通じた護持を取り入れているようで大変興味深く拝見させて頂きました。そもそも神道に伝わる直会とは,天の神さまからの御恵みと大地の神さまからの御恵みに感謝を申し上げ,神さまのエネルギーを自分の身体に吸収させることを目的とした日本古来の食に対する食文化の1つでもあり,現在の神社神道においても重要な神事でもあるのです。

前にも確か,京都の貴船神社で御日供講と云う護持制度を紹介させて頂いたことがあったように思います。この御日供講と云う護持も心ある不特定者から少額な資金を集め,神さまへ奉献する食事「御神饌」を調達することを目的とした護持であります。現代の金融ファンドの元になったのではないかと私は考えているのですが,そんなことは横において置いて,丹生川上神社下社では八百万神直会倶楽部と云う名称で活動を食を主題に展開されております。倶楽部会員には毎月一度,神さまへ御供えした御神饌が自宅に届く仕組みのようです。左上の写真が,その御神饌のようで丁寧に包装された御神饌に宮司さんの御言葉を添えて発送されています。

現在の宮司さんは皆見元久宮司であります。

皆見先生は,今に感謝と云う信念で神社の宮司を務められているようです。又,皆見先生が倶楽部の代表発起人となって設立された八百万神直会倶楽部も設立時の理念は「人は,人の為に生き生かされる」を根本理念として取り組まれているようです。わたしは個人的に,皆見宮司は,古神道家でもあると感じていますので,今ではとても珍しく貴重な宮司さんでおられると想っています。

御利益を説かれる宗教家はたくさん居ますが,森羅万象の中心の座が感謝であることを理解されている宗教家となるとほとんど存在しませんから,私にとっては古神道家と言えるのです。奈良県の吉野と云う山深い祭祀場所から人はなぜ生きるのか?と云う人間の最大のテーマでもある事柄に真正面から真っ直ぐに向き合われている御様子です。その丹生川上神社下社が現世に生きる私たちに何を伝え,又,後世の子孫に何を伝え残すのかとても楽しみであります。右上の画像は,皆見元久宮司が書かれた著書であります。

感謝の心を主題としているようです。

八百万神直会倶楽部の内部のことまでわたしも詳しい事はよく存じませんが,通常の神社内に設置する崇敬会と同様の神社直轄の組織体ではないかと想像しています。いずれにしても,人間が生きて行く上で欠かすことの出来ない食を主題に神社の護持も考え,神さまの御心を倶楽部会員の皆さまへ発信して行くと云う発想は素晴らしいことではないかと感じております。食は人が生きて行く上の根本でもあります。食生活が乱れれば,人の心も乱れ,身体にも良くありません。現代病の根本的問題は,食生活にあるとさえ私も感じています。食生活が悪化し,その上で,ストレスを多く抱える社会ですから人の身体にも良い訳がないのであります。

五穀豊穣を祈る私たち日本人が,日本で生産された農産物をいつまでも食べて行けることが出来るように,そして,若い人たちが農業に興味を持ち従事できる環境の整備と水資源を確保できる法整備を国家は,今の内に着々と進めて行かなければならないとブログでもこれまで何度も書かせて戴いて来ました。そう言った大切なことを神道を通じ,難しい言葉ではなく,誰にでも理解できる言葉で一般の人々にも伝えてくれることを祈っています。又,食を通じて八百万神倶楽部さんには頑張って頂きたいと思います。

祭祀司と護持司が共に古神道の精神「自然崇拝と祖霊祭祀」を後世に伝え続けて行くことが日本の復興に必ずや繋がると考えます。これからも皆見宮司に続く神社の宮司さん,神職さん,そして巫女さんが現れて来ることを願っています。思い切って,神社での祈祷受付の種類を神恩感謝と祖霊感謝だけにして見ては如何でしょう。神社の宮司や神職が率先してその気になり,積極的に発信して能動的に行動しならなければ一般の参拝者にも届かないと感じています。そこから創めなければならないくらいまで来ています。

わたしも大変,勉強させて頂けたことに感謝です。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

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菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

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ありがとう。これが森羅万象の中心です。2 再掲載

2018年07月19日 04時27分55秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

以下の記事は,今年3月14日に書かせて戴いた過去記事です。

昨日の記事「ありがとう。これが森羅万象の中心です。」の続きを書かせて頂きます。

わたしたち日本人が,普段何気なく使っている日本語には,古から言霊と云われひとつの信仰の対象とされて来ました。又,ありがとうと云う現代の日常でよく耳にする言葉にも,たとえ私たちが意識せずとも言霊を宿しています。感謝の意を言葉で表現した「ありがとう」は,単なる50音の繋ぎ合わせではないのであります。自分の心の中に存在する根源的な存在と大自然に,そして祖霊に「ありがとう」と素直に言えることは素晴らしいことだと思います。神と人が合一する訳であります。それが,ありがとうです。

もしかすると,仏教の宗派によっても主題は違いますが「南無阿弥陀仏」も「南無妙法蓮華経」もその文字に隠された本当の意味と真理は「ありがとう」なのかも知れません。自己に内在する仏性に気が付く為には「ありがとう」の方が,私には肚に落ちます。

又,日本人は,人に会ったときに頭をさげます。こんにちはと軽く頭をさげたり,深く頭をさげたりしています。時と場合によって挨拶やお辞儀の仕方を変えたりしていますが,この日本人の挨拶もちゃんと意味があるのです。たとえば,深く頭をさげてお辞儀する意味は,相手の過去・現在・未来に感謝すると云う意味も含まれているのです。さらに,相手の先祖にも両親にも出会いを与えて下さり「ありがとう」御座いますと云う意味も包含しているのです。つまり,相手の人生すべてにありがとうと感謝の意を自分の身体で表現しているわけであります。世界の国々でも他の民族でも,ここまで挨拶一つに大きな意味のある国も民族もいません。

何年か前,今上天皇にアメリカのオバマ前大統領が謁見し,頭を深く下げて挨拶したことがアメリカの国内で「頭を深く下げ過ぎだ」とブーイングになっていたようです。国際社会の常識からすると正しいのですが,それぞれ国の挨拶の仕方は違う訳ですし,そんなに言わなくても良いのではないかと思ってしまいます。アメリカでは要人であっても他国の人に頭を深く下げることに抵抗感でもあるのでしょうか。あるとすれば日本と日本人の性質を知らない証拠です。謙虚で,人格者ほど腰が低くて偉ぶらない方が,日本人に与えるイメージが良いはずなのに少し残念であります。外国の人に比べ,日本人ほど挨拶に気を使う民族はいないと思います。

実るほど首を垂れる稲穂かな。こんなことわざもあるのですから。

外国の人からすると日本人は直ぐに頭をさげると不思議に思われるようですが,わたしたちの国,日本には日本の文化や伝統が遙か何万年も前から脈々と続いて来ているのです。数百年,数千年ではなく数万年も前から続いて来ているのです。どちらが良いとか悪いとか言いたいのではなくて,私たち日本人は,自分の国の文化や伝統を知らな過ぎているのではないかと私自身が不知であることも含め反省の意味も込めて書かせて頂いております。縄文時代以前に栄えたカタカムナと云う言霊信仰を主軸にしていた高度な文明も世界で最も平和であった縄文文明も知れば知るほど日本と云う国柄と日本人と云う不思議な民族の素晴らしさが判ります。

そして,今年もいよいよ春の祖霊感謝祭が始まります。

日常生活でも仕事でも,神恩感謝に心音感謝。毎朝毎夕祖霊に感謝であります。拝

  

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ありがとう。これが森羅万象の中心です。 再掲載

2018年07月18日 13時21分22秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

以下の記事は,今年の3月13日に掲載した記事です。

こんにちは。今日は,一之宮に御酒を奉納して,神札を新しい神札に交換して参ります。私は一年間の間に3回くらいは神札を新しい神札に交換しています。最近,昔に比べると神社に参拝される人が何だか増えているように感じています。それも比較的,若い人たちが多くなって来ているようです。若い人たちが,自分の住む地域の氏神さまに素直に感謝を捧げることが出来ると云うことは,とても良いことです。何か自分の願いを叶えて貰おうとする参拝ではなく,日々の生活に感謝できる心と云うものは尊いことです。

できますれば,多くの人々が,大自然に感謝の気持ちを誰も介在させることなく出来れば良いなと思っています。純粋無垢な感謝の気持ちは必ず大自然に届いています。そしてその素直な想念は,自分自身に反射されて来ることなります。特別,何か呪文のような言葉を捧げるのではなく「ありがとう」これだけで良いのであります。なぜならば,この「ありがとう」と云う言葉は感謝を表す言葉として私たちは何気なく使っていますが,これは言霊信仰の中心でもあり,最強の祝詞でもあるからです。理屈を超越します。

わたしたちの国「日本」には,一つひとつの言葉,つまり一音一音に神さまの分霊が宿ると云われています。言霊信仰と云われて来た古の信仰形態です。たとえば,ひらがなの50音の一つひとつに神さまの分霊が宿っているのです。一音一音を組み合わせ,それを繋げて私たちは普段何気なく会話をしています。その一音一音の組み合わせの中でも森羅万象を顕す言葉「言霊」があるのです。

それが「ありがとう」と云う5音であります。ありがとうと云う5音の言葉「言霊」の組み合わせと繋がりは,実は,宇宙の根源的存在「根源神」は,自分の心の中に坐します云う意味があるのです。これが世界すべての宗教や信仰の元の本であると私は感じています。万物・物事の始まりであり,物事の中心でもあり,和の中心でもあるのが「ありがとう」と云う言葉の意味であるのです。

つまり,森羅万象,万物の中心なのです。私たちに馴染の深い現代の神社神道も仏教も「ありがとう」が起点となっています。人間の心は宇宙と繋がっていると言われる所以でもあります。大自然に感謝を捧げること氏神神社で感謝を捧げることの意味もここにあるのです。したがいまして,神社や寺院に行って自分のお願い事を金銭を払ってするような祈願信仰とは全く違うのです。

素直に感謝のありがとうだけで十分です。こんな事を書くと,神社やお寺の宗教家のみなさんに怒られると思いますが,ちゃんと護持や国体・政体を勉強して頂きたいと思いますし,それこそ神さまを商売に利用しているよなものです。そもそも発想が貧困ではないでしょうか。神社やお寺で交通安全の祈願をすると本当に事故を起こさないのですか?身体健康の祈願をすると本当に健康でいられるのですか?そんなことは小学生でも判ることです。それは,私たちの国「日本」にあるべき本来の信仰ではありません。

また明日,続きを書かせて頂きたいと思います。拝

  

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それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

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心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


吉野と云えば金峯山寺 金剛蔵王大権現 再掲載

2018年07月17日 05時00分18秒 | 奉仕の心柱

 

以下の記事は,今年4月19日に掲載した過去記事です。

こんにちは。

南朝の本拠地である吉野。そして,ちょっと季節が外れてしまいましたが,吉野と言えばやはり,千本桜で有名な吉野さくらを連想されると思いますが,吉野の桜は信仰の力によって産み出されて行ったでのあります。その吉野山には修験道の総本山が御座います。その名は金峯山寺と云う神道と仏教を今も伝える神仏習合の寺院で御座います。上の動画は,吉野山旅館組合さんの動画サイトからお借りした動画ですが,おそらく早朝の御勤め中だと思いますが,声明真言と云うわたしも大好きな独特な節回しが聴けます。

この金峯山寺と云えば,金剛蔵王大権現さまでも有名な寺院で,現在,国宝仁王門の大修復工事祈念として特別御開帳が時に一定期間,開催されていたりしております。今年の春の特別御開帳は平成30年3月31日(土)5月6日(日)までと云うことです。私もこれまで何度か金峯山寺さんへ参拝させて頂いたり,少ないですが毎月仕送りをさせて戴いて参りました。国宝仁王門の修理に掛かる費用「総工費」は20億円と云うことですから,何年も前からその準備で大変であったのではないかと感じております。

金峯山寺さんのホームページで公開されている仁王門修理に関する趣意書を拝見しますと工事に着手するのは,今年2018年の秋頃となっており,その後10年間の工事期間を経て2028年の完成を予定されております。したがいまして,護持と云う観点から云えば,国宝仁王門の修復の起案から工事完成までの期間は15年から20年間ではないでしょうか。段取(準備)に5年から10年,そして工事に10年と云う一般的な復興よりも長い中長期計画です。もしかすると,国宝級ですからもう少し起案に時間が掛っていたかも知れません。国宝や重要文化財級になると神社や寺院の考えだけでは修理も修復も好き勝手には出来ないのです。

たとえば,通常の(自然災害などの被災した場合を除く)祭祀施設の護持(建築工事開始まで)を起案する場合,ざっくりと①起案を開始(計画の立案)②総代会にて議案提出。③実行委員会や建設委員会の創設。④趣意書の作成。⑤寄付金募集の開始。⑥建設業者の選定。⑦工事着手です。とても大まかに書きましたが,ざっくり言うとこんな感じです。わたしも護持司ですから,その係わる大変さは身に染みてよく解かっております。計画を立案しても計画通りに上手く物事が運ぶなんてことはほとんどありません。祭祀施設の護持には多額の資金も必要になりますし,資金の集め方にもさまざまな方法が御座います。地道にコツコツと起案して来たものなのか?突発的に計画したものなのか?それともただのお金集めなのか?計画の趣意書(主文)を観ればよく解かるのです。

ちなみに,一番長い長期計画で言いますと200年と云う超長期計画も御座います。それは伊勢神宮の神宮再生200年プロジェクトと云う計画であります。この計画は,伊勢神宮の式年遷宮で使用される木材を神宮の森からいただくと云う趣旨であります。

天河神社の記事でも書かせて戴いた通り,神社や寺院の護持の中でもっとも資金が必要となるのが祭祀施設の建築物であります。資金調達と言っても何年も前から積み立てなどをしながら計画して実行して行きますが,今の時代は本当に厳しい経済環境ですからなかなか計画通りに資金が調達できると云うことはありません。ほとんど目標金額に達することが出来ないのが現状なのであります。

又,古神道(自然崇拝と祖霊祭祀)の観点から言っても,先日から書かせて戴いて参りました天河神社も丹生川上神社下社も御水から教えられることが多いのですが,ここ金峯山寺では,修験道の総本山でもありますから,何と言っても山であります。その吉野の山から金峯山寺は,山岳信仰を通じて,わたしたち人は自然と共に生きることの大切さを伝え続けている神仏習合の寺院です。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


誇り高き優しい民族 日本人 再掲載

2018年07月16日 05時01分55秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

以下の記事は,今年の3月8日に掲載した過去記事です。

こんにちは。日本人は礼儀正しい民族と他国の人たちから想われていることが多いようです。決められたルールやマナーを守り行動する不思議な民族として。これは,日本の古き良き文化の一つでもある幼少期の頃からの教育のおかげでもあるわけです。普段の日本人は自分たちが礼儀正しく,ルールやマナーを守り行動している民族だとあまり考えているわけではなく幼少の頃から身体が覚えていますので特別意識もないのであります。自然とそのように思考し,行動するのが日本人であります。普段,一見まとまりがないように見えても何か国家に危難や困難がおよぶと日本人はとてつもない力を発揮します。所謂,日本人の底力であります。

この秘められた日本人の底力は一体,どこから来るのか?自分の国の国民もどうすれば日本人のように行動できるのか?きっと,外国の人も羨ましく,不思議に感じていると思いますが,日本人の底力は祖先から受け継いで来た記憶と記録の遺伝子「DNA」にあるのです。親から子へ,そして子から孫へと繰り返して行く上で形成されて来た証であります。特殊遺伝子を持つ民族です。

それを目の当たりにしたのが,あの未曾有の大災害ではなかったのではないでしょうか。地震に水害,竜巻に風災,さらには火山の噴火とこの10年は特に自然の猛威と脅威を感じた時期はなかったと思います。そう言った自分だけの力ではどうすることも出来ない事に遭遇してしまった時の行動が世界中にテレビ中継され,マスメディアを通じて全世界で大きく取り上げられていました。

わたしたちの国において,世界に誇れるものがあるとしたら,それは国民です。

よく,日本の経済は一流。政治は二流と云われていますが,国民性は超一流です。困っている人がいれば黙って見ていられないのが日本人。弱い人がいればそっと寄り添う日本人。相手が日本人であろうが外国人であろうが自分の出来る範囲で助け合う民族が和の民である日本人であります。自分の眼の前で外国の人が困っているときのことを想像してみて下さい。お前は日本人でないから助けないなんて言えるのか?あの東日本大震災のときに外国人だから助けないなんて言った日本人がはたしていたのでしょうか?

そんなことするような輩は日本人ではないのです。

ニュースでもテレビでもマスメディアが直ぐに,このままでは日本は,世界に後れを取るとか世界水準に反するとか言われるコメンテーターがおりますが,これはぜんぜん違います。はっきり申し上げると不知で御座います。世界の指導者も企業経営者も一般の国民も日本人みたいになりたいのですよ。環境に優しく自然と共に共生し,強靱で且つ一流の経済を持つ為にどうすれば良いのか?自分たちの国家が危難や困難に遭遇した場合,略奪や強盗などせず,互いに支え,助け合い,少ない物資も皆で分け合うように行動に移せるにはどう云った教育が幼少のときから必要なのか?そう言ったことを真剣に世界中の要人が考えているわけであります。

これ全部,日本にあるではないですか。それなのに何故,世界世界と言い続けるのか?

これからもよく観て行きたいと思います。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝