花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

立ち上がれ,日本人!

2019年10月31日 04時40分15秒 | 怒りの心柱

撮影先は,麻賀多神社です。

 

こんにちは。

何度かタイトルを変えて再掲載させて頂いています。最初の投稿から3年になります。

今日は,とても厳しい社会の現実的なお話を書かせて戴きたいと思います。

これは,決して他人事ではなく,国家として取り組んで行かなくてはならない重要な課題でもあると想っています。決して自己責任論だけで終わらせて良い問題ではありません。明日は我が身であります。政治家や公務員には是非とも何度も読み返して頂きたいと思います。わたし達の国家には,やらなければならないことが山積しているのです。政治家ひとり一人には,その現実を直視して政務活動をして戴きたいです。もう待ったなしのところまで来ていると云うのに・・・。厚生労働省によると要介護(要支援)認定者数は620万人と推計されているのです。この現実を日本人は少子化の中で乗り越えて行かなければならないのであります。

こちらも見て下さい。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8B%E8%AD%B7%E6%AE%BA%E4%BA%BA

本当に自己責任論と云う抽象的な言葉だけで良いのでしょうか?

下記記載の引用元は「デイリー新潮」2016年11月16日掲載分(全文)からです。

https://www.dailyshincho.jp/article/2016/11161130/?all=1

地裁が泣いた介護殺人 10年後に判明した「母を殺した長男」の悲しい結末

2006年2月1日、京都市伏見区の桂川の遊歩道で、区内の無職の長男(事件当時54歳)が、認知症の母親(86歳)の首を絞めて殺害、自身も死のうとしたが未遂に終わった「京都・伏見認知症母殺害心中未遂事件」をご存じだろうか。

一家は両親と息子の3人家族だった。1995年、父親が病死後、母親が認知症を発症。症状は徐々に進み、10年後には週の3~4日は夜間に寝付かなくなり、徘徊して警察に保護されるようにもなった。長男はどうにか続けていた仕事も休職して介護にあたり、収入が無くなったことから生活保護を申請したが「休職」を理由に認められなかった。

母親の症状がさらに進み、止む無く退職。再度の生活保護の相談も失業保険を理由に受け入れられなかった。

母親の介護サービスの利用料や生活費も切り詰めたが、カードローンを利用してもアパートの家賃などが払えなくなった。

長男は母親との心中を考えるようになる。

そして2006年真冬のその日、手元のわずかな小銭を使ってコンビニでいつものパンとジュースを購入。

母親との最後の食事を済ませ、思い出のある場所を見せておこうと母親の車椅子を押しながら河原町界隈を歩く。

やがて死に場所を探して河川敷へと向かった。

「もう生きられへんのやで。ここで終わりや」という息子の力ない声に、母親は「そうか、あかんのか」とつぶやく。

そして「一緒やで。お前と一緒や」と言うと、傍ですすり泣く息子にさらに続けて語った。

「こっちに来い。お前はわしの子や。わしがやったる」。

その言葉で心を決めた長男は、母親の首を絞めるなどで殺害。

自分も包丁で自らを切りつけて、さらに近くの木で首を吊ろうと、巻きつけたロープがほどけてしまったところで意識を失った。それから約2時間後の午前2時ごろ、通行人が2人を発見し、長男だけが命を取り留めた。

 京都地裁は2006年7月、長男に懲役2年6月、執行猶予3年(求刑は懲役3年)を言い渡した。

裁判では検察官が、長男が献身的な介護を続けながら、金銭的に追い詰められていった過程を述べた。

殺害時の2人のやりとりや「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介すると、目を赤くした裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。

判決を言い渡した後、裁判官は「裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のあり方も問われている」と長男に同情した。そして「お母さんのためにも、幸せに生きていくように努力してください」との言葉には、長男が「ありがとうございます」と応え、涙をぬぐった。

この事件が一地方ニュースに留まらず、ネットなども通じて「地裁が泣いた悲しい事件」として日本中に知られることになる。

親子の境遇や長男に同情する声や温情判決に賛同する声などが広がった。

それから約10年後の2015年。毎日新聞大阪社会部の記者が、介護殺人に関するシリーズ記事の一環としてこの長男への取材を試みた。しかし弁護にあたった弁護士も行方を知らず、数少ない親族を探し出して訪ねると、彼はすでに亡き人になっていた。

事件の後の足跡について親族は口が重く、なぜ亡くなったのかも不明のまま。行き詰った末に探し当てた長男の知人という人に彼の死を告げると、絶句して、判決後に長男が落ち着いた先の住所を告げた。

やがて判明した死因は自殺だった。

琵琶湖大橋から身を投げたという。所持金は数百円。「一緒に焼いて欲しい」というメモを添えた母親と自分のへその緒が、身につけていた小さなポーチから見つかった。地獄を味わった彼の言葉やその後の人生が、在宅介護に限界を感じ、絶望している人への何らかの助けになるのではないか。そう考えて必死に動いた記者を待っていた、悲しすぎる結末だった。

厚労省によると、要介護(要支援)認定者数は620万人。要介護者を抱える家族が増える一方、後を絶たない介護苦による悲しい殺人事件。なぜ悲劇は繰り返されるのか。どうすれば食い止めることができるのだろうか……。

引用記載「全文」は,以上です。

自己責任と云う言葉に分霊は宿りません。

古神道の言霊に自己責任と云う言葉はありません。

祝語である日本語でもありません。

 

花咲 あさひ 拝


家族を養う尊さ。夫婦とは家族なのか?

2019年10月30日 05時12分46秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

以下の記事は,2018年3月28日に書いた過去記事です。

こんにちは。上の画像は,第42回:賀茂別雷神社「上賀茂神社」式年遷宮の翌早朝に撮影させて頂いた太陽神で御座います。右側に観える鉄塔は京都府警本部の通信指令塔です。ちょうど,宿泊していた部屋の窓から撮った写真ですが,朝の太陽が昇る時間帯はとても静かで,京都の町が穢れのない清純として様子でした。ここ上賀茂神社は,これまで数えられないほど参拝させて頂いております。わたしの神棚でもお祀りさせて戴いている神さまで御座います。神域に流れる小川は「ならの小川」と云い御神体の神山から水が来ています。その「ならの小川」沿いのベンチで休息するのが楽しみでもあるのです。日頃の罪・穢れを祓ってくれます。

さて,今日の記事ですが。

そもそも「夫婦」とは「家族」なのか?いつも私が疑問に感じている1つのテーマです。皆さまは,率直に言ってどうでしょうか?正直,私は未だ答えが出せておりません。目には見えない縁で結ばれ夫婦となっても離れてしまえば家族ではなくなってしまうのか?いえ,そうではなく一度結ばれた夫婦は永遠に家族であるのか?そうであれば離婚や再婚をどう考えるのか?考えれば考えるほど難しい事柄ように思います。たとえば,法律上の問題では決着はついていますが法哲学や道徳的に考察すると答えが出ません。

答えがない,又は,答えが出せない事柄を考え思考して行くことが,もしかすると自分の理性を育て上げ,眠っている遺伝子DNAを呼び起こすことなのかも知れません。不知の知は,自分が不知であることを知らないことが不知であると云う前提とした言葉です。つまり,自分を不知であることを知っている人は不知ではないと云うことです。人は誰であっても最初は不知の塊のようなものです。しかし,自分が不知であることを知ったときからさまざまな事柄を学ぼうとします。そして成長して行くのだと思います。

最近,芸能人の不倫告白を自らの意思で発表するタレントもいますが,相手の家族からするとどう云った気持ちになるのか考えたりはしないのでしょうか。相手の家族に子供がいたり,奥さんや旦那さんの身体の体調が良くなかった場合などを想像したりはしないのでしょうか?自分は堂々と周囲の人の迷惑も省みずスッキリした気持ちになると思いますが,態々,知らせる必要はないと思います。歴史でもそうですが,知らなくても良いことは知らずにいた方が幸せな感じもします。これにも答えはありません。

ただ言えることは,相手の立場や相手の心を思いやる気持ちは大切であり,相手の気持ちを踏み躙るようなことはすべきではないと云うことは一般社会で共通した常識でもあり,普通に考えても何ら不思議なことではありません。変えてはならない不変的なことでもあります。はじめをはじめとし,もとをもととする。この言葉が示すように,元々本々は変えても良いことと変えてはいけないことがあることを教えてくれています。この言葉は,伊勢神宮を創建された「倭姫命」が後世のわたし達に残してくれた御言葉です。

自分の事など形振り構わず,家族を養うために働いてくれる家族はかけがえのない存在で在ります。こう云った人こそ,最も古神道に沿った生き方ですし,神さまに一番近い存在でも在ります。このような人を神さまがほって置くはずがありませんし,先祖もここぞとばかりに必ず守護します。それとは真逆に,相手の事など形振り構わず,自分の為だけ考えているような人こそ地獄道に沿った生き方ですし,神さまから一番遠い存在でも在ります。この様な人が神さまと繋がることはありません。自分の先祖もあの世で嘆き苦しみます。子孫の行いがあの世で評価される世界ですから。この世限定の社会的地位や身分,職種は何の自慢にもなりません。

家族を養うこと。それは尊いことだと思っています。

まさに,そう云った人こそ観世音菩薩の化身であります。合 掌


刀折れ矢も尽きた・・・。本当の闘いはそこから。

2019年10月29日 04時04分04秒 | 祭祀と和の国

上流では,水の透明度が戻ってきました。

凄い勢いで下流の浄化に向かっている様子をじっと眺めていると本当に水の力は凄いなと感じてしまいます。

台風19号とその後の豪雨の影響で,下流地域の山道は一部通行止めになっていたり,川の水は濁水となっています。

清らかさを取り戻した大量の水霊が,下流の水を海に押し流すため浄化を始めています。

水の恵みに感謝。

 

こんにちは。

今日の記事表題。きっと,そんなことを考えながら感じながら日々,生活されている人も多いのではないでしょうか。自分の周りを見渡せば自分よりもすべての人々が幸せそうに思ってしまうことをあると思います。確かに,一見すれば恵まれた環境の中で暮らしている人は結構多いようにも感じます。しかし,その一見すればと云う一側面だけで自分の周りの人の人生までを幸せだと判断してしまうことにも一度,自分の眼を向けることにも意義があるように感じます。つまり,自分自身の内面・内観をよく見つめると云うことであります。こんな偉そうに書いている私自身もつい自分の周囲の人との違いに羨ましさを感じることは確かにあります。

しかも,厳しい世の中ですから尚更です。

わたしの仕事柄,今の物質社会において地位が高いと言われている人がとても多いのです。たとえば名家であったり,資産家であったり,職業上であったりとだから特にそう感じてしまうのかも知れません。貧乏人の私が何でお金持ちの面倒を見なきゃいけないんだとふてくされて居たこともたくさんありました(笑)。あんなボンボン真面目に働け!なんて考えたことも正直のところありました。その額たるや凄まじい資産でしたからその様にやっかんでいたのだと思います。修行が足りずお恥ずかしい限りで御座います。

お金が無くてご飯が食べられない時の苦しさと虚しさ,悲しさは真に耐え難いことであります。このように餓死して行くんだと感じていたこともありました。地獄と云うものは,あの世にではなくて,この世にあるのだと確信したのです。今思うと,当時の様子が懐かしく思います。きっと,私の膨大な祖先の中にもご飯が食べたくても貧困や食糧難・病気などでご飯が満足に食べることが出来ずに亡くなった御霊もたくさん居た筈だと云うことが判りました。出来れば,体験をしないで判るようになりたいですね(笑)。

家系の祭祀継承者には,このような事があるようです。

餓死などで亡くなった御霊は,あの世でもお腹を空かしているのではないかと思うと何だか悔しさが自分の身体の中から湧き上がってくる感覚がありました。それならば,自分が祖霊の御霊を自分で供養することで,あの世の先祖にご飯を届けることができるのだと想い,子孫の私がやらねばと決意しました。しかし当時は,まだ若かったですから,お金がないのです。供養台が欲しくても高くて若い私には手が出ません。みかん箱にベニヤ板を買ってきて,その上で画用紙に自分の家系の名前を書いたものを位牌代わりにしていました。傍から見れば貧しい祭祀用具一式でしたが,不思議と供養することが楽しくて仕方がなかったのを憶えております。

本当に笑っちゃうようなことを平気でしていたのです。

でも,私自身は真剣そものもでした。いつか必ず豪華な位牌で供養するんだ!と意気込んでいましたから。それから位牌貯金の計画を立案して1年くらいで目標の金額が貯まったので仏具店さんに発注して豪華な位牌で祖霊祭祀が出来るようになったのです。仏具店さんに発注する時もいろいろと位牌の種類などを調べていたりしておりました。あとになって考えて見ると,祖霊祭祀と云うのは自分で供養すると決意した瞬間から祭祀が始まっているのだと想います。現在でもその位牌で祖霊の御霊を毎日供養しています。

私の場合は,そう云った一つひとつの実体験と積み重ねが祖霊祭祀の動機付けになって行ったんだろうと改めて振り返って観るとそのように感じています。なにか霊的に云々とか霊能者に何かを言われたとかそう云うことではなくて,自分から私が祖霊の御霊を供養する!と思い立ったのが始まりです。そして,気が付いたらいつの間にか自分で御経を作成して見たりしていました。動機付けは問題ではなく,実際に自分が供養するかどうかだと感じています。供養するから何か良いことがあるとか,願いが叶うとかではありません。祖霊の御霊を供養していたって厳しい社会の中で生きて行かなければなりませんし,現実は誰でも同じでありますから。

刀折れ矢も尽きた時だからこそ,本当の闘いが始まるのであります。

本当の自分は,心の中に坐します。

仮の姿を見て思い悩んではなりません。悪い状況は必ず好転します。

身を以て体験した,花咲あさひでした。拝


衆生を救済する為,裸足て飛び出した観音さま。

2019年10月28日 05時48分30秒 | 勇気の心柱

 

こんにちは。先日,動画サイトにて宗教団体なのか宗教サークルなのか解りませんが「観音様に呼ばれる人」と云うことをテーマにした勉強会のような動画サイトがありました。動画でしたが映像はなく音声のみでしたが,私の思い考えることと相違があるなと云う意味で興味深いものでした。観音様はどんな存在ですか?と聞かれると,多くの人が困っている人を救ってくれる存在であり,願い事を叶えてくれる存在とお答えになると思います。確かに,仏教寺院の僧侶もその様に観音様の存在を伝えていますし,観音経と云う経典の一部にもその様に書かれております。今日は,私たちにとても身近な観音様の存在を少し書かせて頂きたいと思います。

まず観音様と云っても観音様には○○観音と云うようにたくさんの観音様がいらっしゃいます。たとえば,仏教の六道思想に観るように天界を担当する如意輪観音,人間界を担当する准胝観音,修羅道を担当する十一面観音,畜生道を担当する馬頭観音,餓鬼道を担当する千手観音,そして,地獄道を担当する聖観音を六観音と申します。その六観音の内,今日は,地獄の世界で人々を救済される聖観世音菩薩についてです。私たちが一般的に呼ぶ観音さまとは,この聖観世音菩薩を観音様と呼んでいます。仏教の経典の般若心経や観音経で唱える観音様も聖観世音菩薩です。つまり,仏教界のスーパーヒーローと云ったところでしょうか。

観音様は,困っている人や弱い立場にある人を救済することを唯一の任務とされております。つまり,困っている人や弱い立場にある人を救済できるだけ強いとも言い換えることが出来ます。さらに,地獄の淵まで降りて行くことが出来る存在です。したがいまして,本当の観音様と云うのは,観音様自ら地獄まで降りて行って困っている人や弱い立場にある人の元へ行き救済するのです。決して高い場所から声を掛けて叫び続けることではありません。まさに,着の身着のまま裸足で飛び出して行くのが,私たちが祈りを捧げる観世音菩薩の真の御姿です。いろいろと諸説ありますが,私個人的には,聖観世音菩薩は,神界のスーパーヒーローが人々を救済する際に用いる御姿だと思っています。蒼き神の素戔嗚大神様で御座います。黄泉の国を統治する神は,素戔嗚大神様です。

その動画サイトで話されていた内容は「普通の人は観音様のところで厄を落としに行くんだ」しかしながら「私たちは役を貰いに行くんだ」と云う内容でした。つまり,自分たちが観世音菩薩のように菩薩行をする人になるのだと云う趣旨の話でした。ここまでの話は,私たちもいろいろなところでよく聞く話です。新興宗教でも何かと多く引き合いに出されるのが観音様です。しかし,私が思い感じたことは,何故,そこで話を止めるのか?その奥の話をされないのか?が疑問でした。なぜならば,ここまでの話を聴いて実際に人の厄を貰い,人の役に立てると信じて菩薩行を実践しても実感が感じられないどころかこの世では厳しい立場つまり,環境に立たされることが多いのです。その主な理由は2つあります。1つ目は,物質世界に人の価値観を見出すことではなく,生き方や道徳,精神世界に真の価値を見出すからです。2つ目は,私たちは常に見返りを期待してしまう様になってしまっているからです。

先にも申したように,観音様は困っている人や立場の弱い人を救う尊い存在です。しかし,ここだけに着目してもその先にある本当の姿を観ることは出来ません。たとえば,細かい日常的な事柄ですが,自分から人に挨拶をして,相手から挨拶がなければ嫌な気持ちになります。何か人に良い事をして,相手から何も感謝もされない。ありがとうも言ってもらえないと寂しい気持ちになります。中には,人に良くしてもらったら感謝するのは当たり前だ。こんなに自分はしてあげてるのにと怒り出す人も居るかも知れません。

それは何故か?です。日常生活によく在りがちな話でもあります。どうして,私たちは,その様に感じてしまうのでしょうか。もし,その様な不平や不満を抱くのであれば,それは菩薩行とはかけ離れたものです。その様な気持ちはやがて,人を恨み心を穢すことになってしまいます。菩薩行には,感謝されること。ありがとうと言ってもらえることは,はじめから予定されていないことです。つまり,一方的な行為が観音様の菩薩行ですから,相手に感謝されるとか有難うと云ってもらうとか言う話にはならないのであります。物質的な見返りがないのが菩薩行であると考えていた方が,逆に,何ら見返りを期待せず,執着することなく済みます。


真我と自我。無から有を産み出します。

2019年10月27日 05時13分58秒 | あさひの科学神書

こんにちは。

人は,誰であってもどんな人でも自分と云う存在を救えるのは自分自身でしかありません。親子であっても,兄弟や姉妹であっても自分を救ってくれることは出来ないのです。自分を救えるのは自分自身です。(これを大前提として見ます)ですから,この世は厳しいものであると云うことなのだと思ってもいます。こんなことを書くと暗く冷たいように感じられるかも知れませんが,希望を失ったり,絶望したりするにはまだ早いのです。なぜならば,わたしたちには,無から有を産みだす知恵が神さまから唯一,授けられています。外観から入ってくる知識ではなく内観から湧き上がってくる知恵であります。(これを小前提とします)その知恵を十分に働かせて活用していくことで自分も他人も救われて行くことになるのです。それが「和の仕組」です。(これを結論とします

大前提に小前提を当てはめて結論を導き出して行く。これは,リスクマネジメントの基礎基本でもありますが,たとえば,固体・液体・気体の3種類を想像してみて下さい。解かりやすくするために固体を氷とします。液体を水とします。気体は空です。無ですね。目には見えないものです。無から有を産みだすと云うことはことなのであります。つまり,固体である氷も液体である水もすべて目には見えない気体から産みだされたものであります。原点は「無」「空」であります。物質は「有」「色」であります。

この世の中のものは,すべて無や空から産まれているのです。色が存在する為には空がなければ色は存在できません。私たち人間も同じことなのであります。そしてやがて有は無に帰ることになるのです。これを原点回帰と申します。天ではなく,点に帰るのです。中心へと帰るわけです。古神道に云う,真我「無」と自我「有」の融合が神人合一であります。真我「無」は,神ですから自我「有」が,私たち人になります。つまり,私たち人は誰であっても神さまの御子なのであります。人間は神さまが創造したのです。

ですから,自分の心を痛めつけるようなことはしてはなりません。

時間説と空間説と云う言葉を聞かれたこともあると思います。

先程の固体である氷は時間を掛けて液体である水になります。そして,液体である水は,時間を掛けて気体になって行きます。つまり,人の悩み「空間」も同じようにやがて時間を掛けて無に帰って行くことになっているのであります。固体である氷が永遠に氷であり続けることは出来ません。時が来れば液体である水に為らなければなりません。これを宇宙の摂理と私は考えております。どんなことでも同じであり続けることなど不可能なのであります。よって,どんな悩みや心配事であっても限定的な現象に過ぎません。

そのように考えて行きますと,私たち人の心には神さまの分魂が内在していることがよく解かると思います。私たちの身体つまり,肉体は仮の姿なのです。霊性を包む衣のようなものです。肉体は,この3次元でしか保つことが出来ず誰でもあの世に帰るときには置いて行かなければなりません。この霊性をいつも大切に包み込んでいてくれる肉体,身体を大事にすることは当然なのであります。そして,共に生きていてくれることに感謝することが予防医学にも繋がって行きます。言葉においても同様なことが言えます。

言葉にも霊が宿ります。言霊信仰と云う日本古来のひとつの信仰です。

ちなみに,自己責任と云う言葉には,言霊も音霊も何も宿りません。そもそも日本語に自己責任と云う言葉は存在しません。日本語は祝語でありますから,自己責任と云う切り捨てや排除論と云うものはないのであります。なんでもかんでも自己責任。自己責任と云う言葉が独り歩きして行く世の中を想像してみて下さい。明日は我が身であることにも気が付けない知恵無き者がこの自己責任と云う言葉を使いたがるのです。自己責任と云う言葉が日本で認知されて行くならば,私は対義語であろう全体責任と云う言葉の方が真の日本人らしさと潔さを感じます。私は自己責任と云う言葉とボランティアと云う言葉は不言・不音・不要な言葉だと感じます。

世界でたったひとつしか和の国はないと云うのに。

外国のマネばかり。挙句の果てにマネすら出来ず笑いもの。

身を立て 名をあげ やよ励めよ。by 心神。

伊勢の神宮では心の神さま(真我)を心神「しんしん」と呼びます。拝


祖先を祀ることの大切さ。

2019年10月26日 05時30分50秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

今日は,私の好きな神道家でもあった春日大社の前宮司「葉室頼昭」先生が生前に書かれた「御力」と云う本の中から一部抜粋し,ご紹介させて頂きたいと思います。これまでもブログで葉室先生の著書や内容の一部についてはご紹介をさせて頂いて来ましたが,神道の奥義は日常生活の中にこそ存在し,且つ与えられた環境の中で努力することで誰でも神様との縁を結ぶことが出来ると私は感じております。さらに,互いに足りないところを補い,支え合い,助け合うことが神様の御心そのものだと想っています。

神恩感謝に心音感謝。毎朝毎夕祖霊に感謝。

以下,葉室頼昭先生の著書「御力」より一部抜粋です。

第5章 神を敬い祖先を尊ぶ。祖先を祀ることの大切さ。

今,我々が言うところの祖先というのは,何代か前に初めて今の商売を始めた人だとか,

今住んでいるこの地方に住みついた人とか,何かを始めた人を指しています。

もとろんそれより先に続いている祖先がいるはずなのですが,

祖先というと何か現代につながる生活というか,生き方をしてきた人を祖先と感じているのではないでしょうか。

例えば日本人の祖先と言ったら,日本人の共生という,自然と一つになるという生き方を始めた人たち。そして,いわゆる我々が喋っている日本語という言葉を通して,お互い心が通じ合うようになった人たち。だから祖先というのは物質的なものではなくて,我々と共通の生活習慣というか,そういうことを始めた人を日本人の祖先というのではないかと思います。

遺伝子学的に言うと,そういう祖先の記憶が我々の遺伝子にも入っているのですから,

それをフルに活用していくということが「いのち」を伝えるということであって,

これが民族が栄えていく本当の道ではないかと思います。世界には,いろいろな民族が暮らしていますが,日本人のように祖先の祀りを常に行う民族というのは,数少ないのではないかと思います。

それにはさまざまな理由があると思いますが,一つには,やはりこの日本列島というところに長年住んでいるうちに生まれた自然と共生するという生き方があります。この共生というのは一緒に生きようというのではなくて,一つになろうという,そういう世界でも稀なる生き方です。

これが原点になって,そこから神様や祖先に生かされていることに感謝するという生活が育まれてきたと思うのです。

外国の宗教,例えばキリスト教であれば,天に神様がいらっしゃって,その神様が天地のすべてのものを造られたという考えで,神様は人間とはまったく別の世界におられ,その神様に人間はいろいろなことを願うというのが一般的な宗教の形だと人々は思っています。

しかし日本人はそういう考え方ではなく,この章の初めにも申したように「古事記」の一番最初「神代編」に,神様が生って生まれると記されているように,神様もある実在の世界から生まれていらっしゃる。最初に,天御中主神様の御心というか,知恵というものがまず現れてきて,そこにムスビの神様が現れ,その知恵が結ばれて次から次へといろいろな神様が現れ,そしてイザナギ・イザナミの命ご夫妻の神様が誕生され,そしてたくさんの神様をお産みになった。

この考えは,神様の御心からすべてのものが生まれ,そして神様と人間は全部つながっているということです。

こういうところから神様とも祖先ともつながっているという考えが生まれてきたと思うのです。

すべてがつながっているのですから,あの世で祖先が幸せになってくれなければ,我々もまた幸せにはならない。当たり前のことですが,そういう考えで昔から日本人というのは祖先の祀りを行って来たのです。

神社で行われているお祭りについても,祖先のお祭りに関わるものが数多く行われています。

神社にはいろいろな神様がお祀りされています。過去に実在していた方もおられるし,また高天原におられた天の神様もいらっしゃる。こういう神々もすべてつながっている。要するに神様と人間は別個のものではないという考えで,そして常に神様をお悦ばせすることを行い,神様と一つになろうということでずっとやっているのが神社の祭りなのです。

これを医学的に見るならば,祖先からの遺伝子というものが我々の体の中に入っている。

お父さん,お母さんと同じ遺伝子がこの体の中に伝わってきているわけです。

考えたらこれは非常に不思議なことで,この遺伝子というものの中には,何もしなくても働く遺伝子もありますが,中にはこちらから働きかけなければ活動しない遺伝子もあります。

ですから,こちらから祖先に感謝するとか,そういうことをしないと働かない遺伝子もあるわけです。

つまり,常に祖先の祀りをする。

そうすれば医学的に祖先から受け継いだ遺伝子が目覚め,その働きによって我々も健康で幸せな生活を送ることができる。

こういう遺伝子という観点から見れば,祖先のお蔭で生かされているということは事実であり,

その恩に感謝するということは当たり前のことです。

以 上


あの日。志摩で誓った想い,今も忘れず。

2019年10月25日 04時44分30秒 | 勇気の心柱

こんにちは。

以下の記事は,4月26日に掲載した過去記事です。

ちょうど,8年くらい前に,神社の氏子さんや崇敬者さんとお寺の檀家さんを対象に孤独死や孤立死,幼児虐待を何とか防止出来ないかの起案(立案)していた時期がありました。8年を経過した現在も立案作業は進めていますが,もしかすると応用として昨日の記事のような事柄でも効果が期待できるのではないかと想い,そのことを今日は書かせて戴きたいと思います。日本人であれば,政治家であろうと政策の立案を担当する官僚であろうと公務員であろうと又,私たち国民であろうと社会のさまざまな問題点を何とかしたいと考えていることがあると思います。これは,理屈ではなく心情として誰でも理解できるのではないでしょうか?

しかしながら,一昨日も記事に書かせて戴いたように人それぞれが置かれている様々な現在の状況と真実「真理」と事実「現実」を踏まえて考えて見ると様々な問題を各人がそれぞれ承知で来ていても具体的に何か手段や方法を用いて出来るかと云うとなかなか難しいのが事実つまり,現実ではないでしょうか?あったらいいな。やれたらいいな。それは誰でも心中では同じであると私は考えております。よく,宗教家の方々と議論や協議をしているとやはり同じように「このままでは神社やお寺はなくなってしまう」と言われることがあります。私もその気持ちは理解できる面もあることは確かです。ただそう言った危機感を感じているのであれば,先ずは,宗教家自身が自分から自ら手を挙げ率先して行動に移さなければなにも変わらないのではないかといつも感じております。

危機に直面したら神仏に願いを掛ける。神仏に手を合わせればこの世の幸せをたくさん享受できる。祈れば大丈夫。おそらく,多くの宗教家がこのように考えていると思います。そう言った意味においては,宗教家だけではなく,わたしたち一般の人々も同じかも知れません。神仏に祈れば,神仏が助けてくれる。だから日本全国のパワースポットと呼ばれる場所に出掛けに行く。そこが,祭祀場であろうが,御神体であろうが,鎮守の森であろうが,磐座であろうが何ら躊躇することもなく集団で御神業だと言っては神域に入って行く。実際に,私もこれまで宗教家の方々に神仏に祈れば神仏の加護が得られるのだと聞かされることが多々あります。

これまでもブログの記事を通して,神さまから授かったリスクマネジメントと云う最強の手段と手法を書かせて戴いて参りました。わたし個人的には,この縄文時代から続くリスクマネジメントに勝る論法もないと考えています。そもそもリスクマネジメントと云う手法は,西洋諸国の考え方と思われている方も多いのですが,実はリスクマネジメントは日本が本家本元なのです。既に,縄文時代には高度なリスクマネジメントが確立していました。カタカナ文字にカタカナ言葉に日本人は弱いですから,きっと,リスクマネジメントは西洋の考え方であると据えられてしまったのだと思います。それでは,リスクマネジメントを一言で云うと何かと申しますとそれは「和の仕組」です。この和の仕組みを創り上げる事が出来る方法と手段はリスクマネジメント以外にはありません。

どれくらいのことが出来るのかは解かりませんが,神さまから授かったリスクマネジメントを駆使して,神社やお寺の護持を通じ,既計画案に応用させて見て行きたいと思います。リスクマネジメントは,どんな事にでも応用が利くところに凄さを感じてしまいます。少し,リスクマネジメントの基礎基本を書かせて戴きます。リスクマネジメントの起案作業における骨子は3つだけです。先ず,リスクマネジメントの基礎基本は①何の為にするのか?「目的と趣旨」が大前提となります。②次に,誰が何をするのか?「手段と役割」が小前提となります。③そして最後に,その事で誰が又は何がどうなるのか?「結果や効果」が結論になります。要は,大前提に小前提を当てはめて結論を導きだすのです。誰にでも簡単に出来ますので,身近なことに当てはめて見て下さい。

理想と現実の狭間にて 志摩で誓った想い忘れず。

い(伊)さ(雑)のはじまり(宮)ありがとう(感謝)

花咲あさひ 拝


い(伊)さ(雑)のはじまり(宮)ありがとう(感謝)

2019年10月24日 05時39分01秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

今日は,神主さんでもあり,古神道家でもあった小林美元先生が生前に書かれた著書「古神道入門 神ながらの伝統」の4を同書から一部を抜粋して前回同様,書かせて戴きたいと思います。

昔の人々は,伊勢詣と云えば,二見が浦の海で禊を済ませてから伊勢の神宮へ詣でると云うことが習わしでしたが,時代の移り変わりで参拝の習わしも徐々に変わって来ています。古神道の世界観や古神道家の間では,夫婦岩は「イザナギの神:男神」と「イザナミの神:女神」としています。そのイザナギの神とイザナミの神の間から太陽神「天照太御神」が誕生すると言われているのです。5月から7月の間にちょうど夫婦岩「夫婦神」の間から日の出の太陽「天照太御神」が昇るようすを観ることが出来ます。

それでは,以下,古神道入門 神ながらの伝統より。小林美元 著

第5章 弥栄(いやさか)の思想と信仰

なぜ,政治を「マツリゴト」というのか。

何度も申しますように,日本語というのは非常に古くから天体の動きを四十八の文字に写していました。あおうえい・かこくけきという一音,一音の声音が,宇宙を象徴的にあらわす符号として整序しておりました。

現代人が想像する以上に,宇宙の原理には精通していたのです。

ですから,

伊勢神宮の恒例のお祭り,二十年に一度行われる御遷宮のようなお祭りにしても,天体の動きに合わせて行われる。祭りを行う月と日と時を非常に大事にして,神代ながらに古代からのしきたりを厳重に伝承して行われてきております。

例えば,御遷宮の祭りは,北斗七星の運行と関係があります。

夕方七時頃,北極星の右上にあった北斗七星が時刻がたつとともに北極星の真上になり,それからだんだん時計の針と逆方向の左へと回っていきます。そして北極星の位置が,ちょうど北斗七星の柄の先の勺のところにくる時間に,神さまに勺で食事を捧げるということで,祭りが進められる。

この一例を見ても,天体の動きと祭りというものが,いかに密接にかかわっているかということが伺われるわけです。そういうことですから,村人の生活がまた社会的な発展に伴って段々と大きくなって,国として発展していく段階になっても同様に,その組織体を統御するために祭り事を行う。

そして国の祭り事が,そのまま村々を統治することになり,いわゆる政治にもつながっていく。

宇宙のカムとの深い関係,交流の中で,村人を一つに束ね結わうことが,祭り事でした。カムの意思に基づいて正しい統治を行なうという,政治の思想の姿があったわけです。だから政治を司る者は,少なくとも宇宙の運行とか自然生命に対する畏敬の念をもった人でないと尊敬もされず,その長たる資格がなかった。

明治の頃までは政治のことを政り事(まつりごと)とも称していましたが,しかし実際歴史的にみると,聖徳太子のように本来の意味での「祭り事」を意識した政治家は少ない。まして今日,政治というと,何やらどろどろとした権力闘争や駆け引きなどをイメージします。政治とは,「マツリゴト」であるということを忘却の彼方に押しやったかのようです。

以上

現代の政治家のみなさんにも読んで頂きたい内容であります。今では,魑魅魍魎の世界となり,ほとんど貴族化している政治家の人たちの頭の中に政治とは「祭り事」であると考えている人がいるのでしょうか?言葉では選挙が近くなったりすると綺麗な言葉を並べますが,日々の政治活動との差は激しいものであるようです。おくそくですが,国体と政体との区別すら理解していない政治家がいても不思議ではなくなってしまっています。これは国家存亡にかかわる重大な事柄でもあるのです。国体とは「祭祀」です。政体とは「統治」です。即ち,祭祀の中心の座に座ることが出来るのは天皇陛下だけであります。そして,統治を司る頂点に存在するのが内閣総理大臣であります。自分は政治家であると言うのであれば,最低これくらいは深く理解して戴きたいと願うばかりです。

 ※ 天皇陛下を祭祀の頂点と表現する人もおりますが,これは違います。頂点ではなく中心です。

   天皇陛下を祭祀の頂点とした明治・大正・昭和の歴史を想い出してください。

    結果,天皇に剣を持たせ軍服を着せたのです。これは,大きな罪です。天皇が持てる剣は,草薙の剣だけです。

ところで,記事本文中に伊勢神宮の祀り事について記載されているように,式年遷宮や恒例祭事の際には,天体の動きに合わせながら執り行うと云うことが書かれております。つまり,北極星や北斗七星をお祀りしているのが伊勢神宮でもあるのです。ここでもう1つ古神道家の間で語られている大切なことを書かせて戴きます。伊勢の神宮は「内宮」と「外宮」の2つの御正宮が御座います。

その2つの御正宮の内,外宮にお祀りされている神さまを豊受大神と一般的に称されますが,その際に,内宮にお祀りされております天照太御神の食事を司る神さまであると云う語り(現在の定説)がありますが,この意味を取り違いされている方が結構,多いのであります。外宮にお祀りされている神さまは「地球神:国常立大神」で御座います。国常立大神をお祀りしていると云うことは地球上に存在するすべては,国常立大神さまのもので御座います。そのことが取り違いされてしまい,外宮の神さまは,内宮の神さまの食事を司る神さまだと解釈されてしまったのです。きっと,過去の文献などに基づいてそのような解釈が通説となって行ったのだと思いますが,外宮は,内宮よりも遙か昔に祭祀場として存在しておりました。つまり,内宮よりも外宮の方が古いのです。

またいつか,機会があればゆっくりと書きたいと思います。

毎晩,北斗七星に祈りを奉げていると「和する事」と声なき声が聴こえて来ます。

北斗七星が大好きな花咲でした。拝


伊勢神宮と出雲大社 天津神と国津神

2019年10月23日 04時32分44秒 | 祭祀と和の国

 

おほみたからにいたるまで かしこみ かしこみ もうす。この「おほみたから」とは,私たち国民のことをさします。天皇陛下が日々,神様への祈りとして捧げる御言葉です。すべての国民一人ひとりが日々の生活が平穏で,そして豊かに安寧に暮らせますようにと云う祈りの言霊です。なぜ,天皇陛下は,これほどまでに国民の幸せを祈り,願うのでしょうか?

昨日の記事「伊勢神宮1300年続く 永遠なる祈り」で,伊勢神宮について書かせて頂きました。やはり,天皇陛下の祈りのもとは日本神話の国譲りの中にあるようです。昨日の記事でも若干,その国譲り「日本神話」を引き合いにしましたので,今日は,この日本神話にある国譲りテーマに書きたいと思います。

1.私たちの国の神話に「国譲り」があります。

いま私たちが暮らすこの国は豊葦原瑞穂國(とよあしはらのみずほのくに)と云い,元々,この日本には先に暮らしていた所謂,先住民族がおりました。この先住民族は国津神の子孫で,仲よく平和な暮らしを営んでおりました。そして何よりも祈りを大切にする民族でした。その祈りの根底には,この世のありとあらゆるものには神様が宿ると云う思想を持ち合わせ,同時に,自然そのものを神様だと判っていました。そこに,天から天津神が降りて来て,国津神の神様へこの国と国民を天津神に譲るように説得をしました。その後,国津神は天津神に幾つかの条件を提示して豊葦原瑞穂國と国民を天津神へ譲ることに決めました。

私個人的には,この国津神の子孫とは縄文人を指しているのではないかと考えています。つまり,我々の遠い遠い祖先です。世界で最も永く,平和で,豊かな文明を築いていたのが縄文文明です。世界で一番古い文明でもあります。私たちは子供のころに学校でお米は弥生時代にもたらされたものだと教えてもらいましたが,実は,縄文時代には既に,お米はありました。御酒もありました。縄文土器から検出されています。

2.国津神の条件提示。国を譲った国津神と祈りを約した天津神

国津神の提示した幾つかの条件の中に①国津神をお祀りする立派な神殿を建築すること②天津神の子孫が未来永劫,丁寧に丁重に国津神をお祀りすること。ここまでが,一般的に国譲り神話に登場する内容です。しかし,あともう一つ昨日の記事にも書いたように3つ目があったのではないかと私は考えております。それは,次の3項.国津神の子孫の想い引き継ぐです。

3.国津神の子孫の想いを引き継ぐ。

①国津神の国民(子孫)が最も大事にしている精神「御蔵」を尊重し,お祀りすること。これが今の伊勢神宮に建つ御社殿です。ちなみに①は出雲大社です。②は天皇家を中心に,伊勢神宮の祭主(現在は,黒田清子様)や出雲大社の社家(出雲国造家)です。

4.いまなお続く聖なる祈り。

昨日の記事の通り,伊勢神宮の御社殿を現在の茅葺屋根に掘立て柱に造り替えたのは,天武天皇,持統天皇です。その天武天皇,持統天皇が縄文人の最も大切にしていた五穀豊穣の精神を又,収穫できた穀物を納める御蔵(高床式倉庫)を中心に置くことによって永遠に守り続けると云う決意を建築物を通して後世に示し,残しているのではないかと思います。その構想を誰が考えたのかは分かりません。しかしながら,我々,現代の子孫も伊勢神宮の御正宮で知らず知らずに,そして無意識に永遠なる祈りを捧げていることになるのです。その精神は歴代の天皇陛下にも承継され,近代では,昭和天皇の終戦の詔勅の一文にも見て取れます。そして,平成の世でも今上陛下の精神もまた同じであると私はそのように考えます。被災者とともに。被災者に寄り添いたい。一日でも早く被災地へ出向き被災者と言葉を交わしたいと思っておられると考えます。

5.むすび。

国津神の子孫である縄文人の最も特徴的な考え方は「平和」です。これに尽きるかもしれません。つまり,争いをしないと云う考え方であるのです。前にも「祖霊祭祀の日本人 祈りの民族」の記事でご紹介させて頂きましたが,とにかく争いを嫌います。それは縄文人の死生観に基づくものですが,その証拠に,全国の縄文遺跡から見つかっていないものが1つだけあります。

それは,武器です。つまり,人を殺傷するために使われる武器は発見されていません。ところが弥生時代を境に戦闘が始まります。戦い方を知らない民族(縄文人)は北へ北へと逃げるように移動したのです。それが現在の東北地方です。そう,鬼門です。

それ以降,現在に至るまで,日本人の宗教観は鬼門を最も畏れ,神聖なる方位として厚くお祀りしているのです。

その後,数千年の歴史を経て現代があるのであります。

記事本文掲載 終わり。

近年,地球温暖化などの影響からか「エコ」環境保護が世界的に注目されています。ここにも縄文人の考えと云うか知恵が伝えれて来ています。縄文人は,必要なものを,必要なとき,必要な分だけ頂くという考え方で暮らして下りました。つまり,根こそぎ採取するということはしないのです。エコの生活は,縄文人からの重要なメッセージかもしれません。

現在の学校教育では,日本神話を授業で教えることはありませんので,興味を持った生徒は自学自習で勉強しなくてはなりません。これは,この国にとっても不幸なことであります。世界的に観ても自分の国の神話を知らない国民はほとんどいません。日本人が外国人に馬鹿にされるひとつの話題として,よく言われるのが日本人は日本の文化や伝統を知らない。それで,他国の文化や伝統,歴史を勉強しようとしている。そんなんで恥ずかしくないのか?と言われています。これは,学ぶ側の責任よりも,伝える側の責任だと思います。伝える側が,もっと謙虚に,歴史に学び,子孫へ命の尊さを伝えることが大切なことではないでしょうか。

尚,本文中にある「国譲り」の一部を除き,他は,私個人の解釈であって,何ら文献等の学術的根拠を有するものではありません。したがいまして,個人の解釈によるものだとご覧頂ければ,真に幸いで御座います。拝

記事作成にあたって参考にさせて頂いた資料は,以下の通りです。

1.出雲大社と大国主大神「出雲大社公式ホームページ

http://www.izumooyashiro.or.jp/kamigami/izumo/index.html

2.出雲観光ガイド 国譲り「出雲観光協会公式ホームページ内」

https://www.izumo-kankou.gr.jp/1033

 

いさ(伊雑)のはじまり(宮)ありがとう(感謝)

花咲あさひ 拝


伊勢神宮1300年続く 永遠なる祈り

2019年10月22日 04時48分16秒 | 祭祀と和の国

災害時要援護者の概要を是非,御自身が住む自治体で確認して頂きたいと思います。

※地方自治体によっては,要援護者の資格要件が若干,違う場合もありますが,概ね同じようなものだと思います。

備えは,出来る時に,出来る事を,丁寧に。

 

 

令和元年十月二十二日 

いさ(伊雑)のはじまり(宮)ありがとう(感謝)

今日は,伊勢神宮について記事にしたいと思います。私も年に5.6度は参拝させて頂いております。

我が国,日本は太古の昔から神様へ五穀豊穣を祈る(感謝)国であります。その祈りは,今日の現代でも今上天皇を中心に伊勢神宮を頂点として全国の神社で御祭(祭事)されております。私は,経済の原点つまり,経済の本質とはこの五穀豊穣にあるのだと考えています。歴代の総理大臣も1年の仕事始めは,伊勢神宮からです。機会があれば神道と五穀豊穣として記事にしたいと思います。                                                                 

さて,伊勢神宮の外宮・内宮の両御正宮ともに御社殿は唯一神明造でお馴染みの茅葺屋根に堀立柱で構成されたシンプルでベストな建築様式です。世界的に観ても建築物として,とても評価の高い建築物と云われています。しかし私は,この質素にして美しい御社殿が疑問でありました。皆さんも伊勢神宮の御社殿は何かに似ていると思いませんか?

そもそもなぜ,このシンプルな建築様式が用いられたのでしょうか?そして,20年ごとに式年遷宮を斎行するのでしょうか?                                                                        式年遷宮を定められたのは今から1300年前の飛鳥時代に天武天皇が御制定され,第1回式年遷宮は後の持統天皇が最初に斎行されました。御存知の通り,我が国,最大の御祀事(神事)であります。

1300年前の日本には,既に法隆寺などに見られる建築様式が確立されていたのに何故,あの唯一神明造であるのか?

その理由は,私の個人的な考えですが,あの茅葺屋根に掘立柱の唯一神明造でなければならなかったのです。

そこには,壮大で永遠なる祈りの意味が込められているのです。   

参拝するとだれでも感じて頂けると思いますが,あの親しみやすさ,馴染みやすさを感じられるその訳は,我々,日本人ひとり一人に受け継がれている遺伝子(DNA)に記憶として記録され組み込まれているからではないかと考えています。なぜか,懐かしく,親しみやすく,馴染みやすい。それは,我々の遠い縄文時代の祖先の想いにまで行き着きます。

伊勢神宮の御社殿の原形は,縄文時代の高床式倉庫がもとです。つまり,この高床式倉庫を改良したのが伊勢神宮の御社殿です。                                                                    国譲りで国津神が天津神に豊葦原瑞穂国を譲りました。そして,天津神の子孫が,國津神の子孫が最も大事に,大切にしていた高床式倉庫を最も格式の高い唯一神明造に変え,永遠に祈り続けることを約束したのです。その壮大な物語が,伊勢神宮にはあります。そして,現代でもその永遠なる祈りが毎日,お祀りされております。正に聖地中の聖地だと思います。

きっと,天武天皇・持統天皇は,敗者を祀ることの大切さ,重要さを知っていて意図的に唯一神明造にされたのではないでしょうか。それと同時に,霊的な影響も知っていたと思います。これは,もの凄いことです。国を譲った国津神の子孫である縄文人が大切にしていた高床式倉庫に装飾品を設けて造り替え,神様の御宮として大事に,大切に,お祀りをする。それだけではなく,20年ごとに御社殿を丸ごと新しくし,常に若々しく保つ。現に伊勢神宮では常若と云う精神が伝わっています・

国譲りの決断をされた国津神の神様に。決して,忘れていません。国譲りの時にお互いで取り決めた約束ごとは天津神の子孫がちゃんと丁寧に,丁重に御守り続けております。と語りかけているように感じます。1300年も続く式年遷宮は,単なる御宮を新しくするだけではないのです。敗者や負けた相手を永遠に労り,その功績を讃え,称賛する。そのことで,争うことがなく国民一体となることを何よりも望んだのだと思います。そのことは,過去様々な文献でも照見されます。聖徳太子の和を以て,貴しと為す。などもそうです。もちろん,神道の大祓詞にもあります。

私は,ここに日本人特有の精神が見て取れると感じています。敗者を先ず祀ると云う思想です。これは,その後の武士道精神の根本としても残り,現代の日本人の精神でもあると思っています。負けた者を哀れみ,負けた者に対する情けや称賛,その功績を称える。そして,それができる民族が日本人だと思うのです。

伊勢神宮へ参拝を計画されている方は,そのような考えもあるのだなと思って御社殿に参拝してみて下さい。武力によって,相手を滅ぼしたり,制圧したり支配したりする考えは日本古来の考え方ではありません。拝


自我は真我に付き従う。大自然の摂理です。

2019年10月21日 07時20分05秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

 

令和元年十月二十二日 いさのはじまりありがとう

こんにちは。

大自然の摂理によって,もたらされることに不必要在庫の調整と云うものがあるのではないかと想像しております。

それはどういうことかと申しますと人は多くのものを持ち過ぎると一定のところで手放さなくてはならないものが出来てくると云うことであります。たとえばよく,運気の良い人が一転して置かれている状況が悪くなってしまった。こんな話を世間では聞くことがあります。実際に,私もそう云った御方が知り合いにおります。そのような状況に陥ってしまうと経済的にも精神的にも大変厳しい状態になってしまいます。しかしながら,そう言った厳しい不遇の時に去るものは,本来,その人にとって必要ではなかったものであり,又,与えられた役割を終えたが故に去るものであると云うことです。それは人でもモノでも言えるのかも知れません。

社会での成功者が一転して貧困になってしまうことがありますが,そのような不遇な状況に陥ったときに一番先に去るものはこれまで仲良く親しくしていた「人」であると聞くことがよくあります。それまで自分を慕ってくれていた人々が次から次へと自分のまわりから去って行ってしまったり,急に掌を返すような人も社会には現実に存在します。そう云った時の辛さや悔しさは言葉では言い表すことのできないことであると思います。金の切れ目が縁の切れ目と云う言葉も残っているくらいですから真理であります。

日本の言い伝えは本当に直球ど真ん中の言葉が多いですね。

そう云った厳しい環境に立たされた時にこそ自分自身を省みることが出来るように思います。これまでの自分の人生を振り返り,原点(中心)に回帰することで,さらなる飛躍が待っているのではないでしょうか?刀折れ矢も尽きた状態からの自分こそ本当の自分であると言い換えることもできるようです。何をやっても上手く行き,調子も良く絶好調のときに人は誰であっても傲慢になり過ぎてしまいます。これは人間の性(サガ)でもあるようです。そのような観点で観て見ると誰であっても例外なく同じであります。

人は多くのものを欲しがります。人よりも多くの財「お金やモノ」を持つことで安心すると錯覚を起こしてしまいます。しかしながら,本当に人よりも多くの財を得ることで安心することが出来るのか?と云うと決してそんなことはないようです。財を得れば,次は得た財を失うことへの恐怖心が芽生えてしまうからです。恐怖心は,さらに財を得ることへの執着心を産み出し,自分の我欲を強めて行きます。したがいまして,私たちが考えている財を得ると云う概念と安心感とは全く別なものであると云うことが言えます。

誰であってもそんなに大差はないのではないかと思いますが,やはり持ち過ぎると云うことには注意が必要な気もします。何かを得れば,何かを失うという言葉は個人的に好きな言葉ではありませんが,もしかすると,私自身がこの言葉に込められている奥を観れていないだけかもしれません。本当の幸福感や安心感は,手放すことからはじまり,手放す勇気と固執しない大切さを知ったときなのかも知れないと感じています。自我は真我に付き従うと云うことが大自然の摂理であるのです。摂理に反すれば滅びる訳です。

心柱(みはしら)神社を穢し,心神(しんしん)を傷つけることのないようにしましょう。拝


神様からの宿題と生きるための自由研究

2019年10月20日 04時28分06秒 | 勇気の心柱

 

令和元年十月二十二日 外在性神仏論から内在性神仏論への始まり。

いさのはじまりありがとう 

こんにちは。人はそれぞれ違った考えや思いを持っています。その違いを互いに尊重し合い,認め合うことが相手を思いやることに繋がるのだと私はそう感じています。特に,自分と意見や考え方が違うと云う理由で人をイジメるのは絶対に良くありません。私もよくイジメの相談や現場に遭遇することがあります。今の弱い者イジメは自分の立場を利用したものも多くありますが,イジメる人の特徴は決して自分よりも強い者と戦うことをせず,自分よりも弱い立場にある人をイジメるのです。要は,ただの卑怯者です。

よくイジメを正当化したいのか何なのか解りませんが,イジメられる人にも原因があるだの訳の分からない理屈にもなっていない屁理屈を言う人を偶に見掛けますが,イジメられる側にも問題があると云う言葉は,イジメを体験している人が自分の行動や行為,言葉や過去の行いを省みたときに,自分自身への戒めの言葉として使うものであって,人に言われる言葉ではありません。イジメる人とイジメられる人とではイジメる人の方に問題があるに決まっている訳です。コンプレックスなのか?選民意識なのか?

又,イジメられる人間にも問題があると云う言葉に似たような言葉で,人を外見で判断してはいけないと云う言葉があります。これも同じで,人は外見で判断するのだから身なりや身支度はちゃんとしないといけないと自分自身へ言い聞かすときに使うのです。明らかに自分よりも弱い立場にある人を言葉や力によってイジメをする人は,あの世で人間としての扱いをされません。自分の霊性も己の御霊も自分の先祖をも苦しめ,傷つけることになっています。イジメをする本人が不知故に犯す罪とも言えます。仏教の世界観に不知は罪と云う言葉がありますが,本当にそのとおりだと思います。暴力などの力で相手を征服したり,支配する根性は動物以下の霊性ですし,自分の優位な立場を利用するのはもっと最悪です。その様な人は,運気もどんどん低下し惨めな老後が待っています。うつ病や孤独になる傾向が強いように思います。観音経にも還著於本人 (げんじゃくお ほんにん)と明記されていますね。

私が意識的にしていることで参考になるかどうかは個人によりますが,自分にとって困難な事柄に遭遇した場合は,これは神様からの宿題なんだと意識して考えたり,積極的に取り組むように私はしています。禊ぎや試練と聞くと,ちょっと近寄りがたく,避けて通りたくなってしまいますし,私にはちょっとキツイです。しかし,考え方や想い,少しの視点の違いで人は困難に直面しても乗り越えて行けるだけのものを既に以ているとも思っています。それに本人が気が付いていないだけで,神様はすべてを観て知っていますから心配したり,不安になったりする必要は本当はないのです。たとえば,神様から「お前(私)は,この人に対し,どんな言葉を掛け,どんな行いで臨むのか?」「さぁ,今の自分と己の力で対峙せよ。こんな感じです。この宿題が溜まりに溜まるとパニックになります。訳が解らなく,収集も付かず,どんどん深みに嵌って行ってしまうのです。子供でも夏休みの宿題を8月の終わり頃にすると大変な思いをしてしまいます。私たちがちゃんと宿題や課題に取り組んでいるかどうか,神様は片時も離れず,じっと観ています。逆に言えば,自分よりも弱い立場にある人や動物をイジメている様子もすべて観ていることになる訳です。拝


祈りを忘れた宗教家 ~剣を箒にかえて~ 2

2019年10月19日 04時38分40秒 | 怒りの心柱

 

令和元年十月二十二日 外在性神仏論から内在性神仏論への始まり。

いさのはじまりありがとう 

こんにちは。

先日「祈りを忘れた宗教家 ~剣を箒にかえて~ 1」を書かせて頂きましたので,今日はその2を書きたいと思います。東京深川の神社にて悲惨な事件があり,神社の護持はちゃんと機能しているのか?素朴にそう感じたものですから,私の仕事上の解釈も若干踏まえ,少しだけ神社や寺院の護持についても書かせて頂きました。そして,宗教家には権力は必要ないとも書きました。何故なら,宗教家にとって必要なものは権力ではなく,権威であるからです。この私の考え方は,実際に現場で体験した事に基づくものです。

神社や寺院を私物化(自己の所有物)し,権力に終始し,執着する宗教家はどこかでほぼ落ちて行きます。

その理由は,いくつかありますが最も大きいというか宗教家が最も恐れることは,それは穢れです。穢れはつまり気が枯れるという意味です。そもそも神社寺院の護持と云うものは宮司さんや住職さんがするものではなく,地元の氏子,不特定多数の崇敬者,縁ある檀家と信徒の役割であるからなのですが,ここを勘違いし間違えてはならないのであります。気の毒が出て来てしまいます。

何故かと言うと,先ほども申し上げました通り,宮司さんや住職さんと云うのは「権力」ではなく「権威」であるからです。では,権威としての宮司さんや住職さんの役割とは何かと云うとそれは「」です。これに尽きます。祈ると云うと祈願や祈祷と据える宗教家が多いのですが,祈るとは「することです。聖徳太子のを以て貴しと為すです。和と云う言葉は神と云う意味ですから,和することが出来るその事,そのものに感謝するのであります。つまり,と云うものは神の御心そのものなのです。

神さま,仏さまと聞くと如何わしい新興宗教の勧誘と想像したり,神仏の存在を否定的に感じる人もいます。

でも何故か?和と云う言葉に違和感を感じる人はいないのではないでしょうか。 

つまり,和の国とは神の国であり,和の国に住む私たちは和の民「神の御子」となります。

これが大和民族と呼ばれる所以です。(わたし個人の解釈です。)

ですから,和の国に住む日本人としての誇りを持たねばなりません。

宮司さんや住職さんが護持そのものを支配するとそこには権力が生じてしまいます。つまり,実質的に自己の所有物として支配できてしまうのです。たとえば,護持会や奉賛会の人事権や意思決定の重要な機関の会長や会計監査の任命権であったり,又,工事などを行う業者を選ぶ選任権であったり,金銭などの財産権や処分権です。そのような物質的な支配権を握ってしまうと当然,自己の身を権力構造の中に置くことになってしまいます。しかしながら,権威は違います。権威とは多数の人(大衆)が権威者に自ら付き随うと言う意味合いですから,目先の損得や感情,金銭に躍らさせれることはないのです。逆に,それでは権威ではありません。

いつものように話は変わりますが,天皇は日本国の象徴であると云う大前提があります。それでは,外国人に天皇とは何ですか?と尋ねられたら,私たちは何と答えるのか?です。私は胸を張って「祈」祭祀と答えます。自然をも支配する思想を持った外国人には解かりにくいかもしれませんが,天皇霊を宿すと云う意味は祭祀の最高位に就く訳です。最高祭主です。過去の日本の歴史を見ると,天皇陛下が祈り「祭祀」を蔑ろにすると災いが起きて来ました。それが私たちが暮らすこの「和の国」日本であります。

この様な話をすると毎度の如く,左派の人々(特に,某討論番組に出演している論客のみなさん)が「それでは天皇は祈っていれば良いのか!」と言われますが,もっと政体と国体を勉強してほしいと思います。和「神」の国は,祭祀に基づいて政治を行うのであります。朝廷と幕府の関係でも分かる様にです。その証拠に,どんな権力者であっても天皇にはなれなかったのです。せめて自分の娘を天皇家に嫁がせるとか,南北朝時代のように南朝と北朝とに分けるぐらいでしか当時の権力者も出来ませんでした。

話を戻して次回に続きを書かせて頂きます。拝


祈りを忘れた宗教家 ~剣を箒にかえて~ 1

2019年10月18日 05時05分51秒 | 勇気の心柱

 

こんにちは。以下の記事は,過去記事です。

さて,先日は,東京の下町に御鎮座されます神社で,悲惨な事件が起きてしまいました。あの神社地域は,深川と云って東京大空襲の爆心地(中心地)であった場所です。焼け野原となった東京下町の復興を象徴する神社として戦後の下町を支え続けて来たのです。又,大相撲の発祥の地ともされ,地元や東京下町の人々で大いに賑わう御神輿「深川祭」でもとても有名な神社なのです。

先ずは,亡くなった方々の御冥福をお祈り致します。

神社や寺院は,宮司や住職の個別の所有物ではありません。私は神社や寺院の護持やマネジメントをさせて頂く仕事をしていますので「個別の所有物」と考えている宗教家がいることは真に残念なことであります。その様な基本的な事を忘れ,私利私欲に走り,氏子や崇敬者,檀家や信徒のことよりも自分のことを先ず優先させる身勝手さに言葉もありません。

今回の悲惨な事件となった神社を篤く崇敬し,信仰の対象とされて来た参詣者の気持ちを考えると虚しい気持ちにもなってしまいます。もしも,自分が同じように崇敬する神社であのような事件が起きてしまったら凄く悲しいことです。ただ,当該宗教法人の責任役員や総代会のメンバーは別です。神社や寺院の責任役員や総代会のメンバーになるということをこれを機に学ぶべきです。

とにかく神社や寺院の「護持」とは何か?を考えて頂きたいと思います。護持が機能していればと思うばかりです。

護持と云う言葉もあまり聞いたことがないかも知れませんが,護持には主に3つあり,氏子や崇敬者,参拝者における護持。これが1つ目。神社や寺院に建つ礼拝施設などの護持。これが2つ目。そして神社や寺院の運営「経営」の護持の3つです。この3つの護持を総称して「祭祀」と云います。たとえば,神社の境内に落ちているゴミを拾う。これも立派な祭祀ですし,護持であります。

したがいまして,護持と云うのは過去何千年と私たちの祖先が続けて来たものです。

私も業務で神社や寺院のさまざまな起案をしますし,計画の立案もします。そして,責任役員会や総代会へ出席して先の3つの護持について議論をします。中には1つの事柄で200回以上のカンファレンスを積んだものもありました。実際にある話ですが,何十年に一度の観音開帳というような記念事業は,その準備期間も相当なもので10年以上も前から計画の立案作業に着手しています。

しかし,ここでの主体は神社や寺院の神職や僧侶ではありません。あくまでも護持の主体とるのは氏子と崇敬者,寺院であれば檀家と信徒の皆さんです。つまり,神社の宮司や寺院の住職がするものではないのです。私のこれまでの経験上,宮司や住職が護持の主体となるとそこには権力が生じて来ました。この権力こそが宮司や住職には不要なものです。

その理由については,また書かせて頂きます。


神社とお寺で出来る公益活動 人の護持編

2019年10月17日 04時34分41秒 | 祭祀と和の国

 

こんにちは。神社とお寺の総代を動かせ!と自分の身体の中から声なき声が聞こえた日がありました。

突然,大きなわけの解からないフロー図を貼らせて頂きましたが,これ,約8年程前に埼玉県にある寺院で実際に「お寺で出来る公益活動PJ」の第1弾として起案「計画立案」したものなのです。いらっしゃらないとは思いますが,万が一,神社や寺院の関係者の方がこのブログをご覧になっているようであれば,是非とも氏子崇敬会や檀家総代会などで議案の提出を考えて見て下さい。

実際の波及性効果は抜群です。

フロー図の設置後の二次効果で茨城県の寺院では高齢者のリフォーム詐欺を事前に防止出来ました。

これ以外にも神社の氏子崇敬者さんや寺院の檀家さんの特性に応じて様々な起案が総代会や世話人会で出来ると思います。神社やお寺の中に「和の仕組み」を作って戴きたいと願っております。起案作業であれば,各方面の専門家を交えなくても自由に氏子さんや崇敬者さん,檀家さんたちとカンファレンス「会議・検討・協議」ができると思います。一般の参拝者にも自由意見として拝聴するのも良いかも知れません。いろいろな考えや意見が出て来ると云うことはとても良いことではないかと私は感じています。

そもそも今日はなぜ,このような大きな貼り紙をさせて戴いたかと云うと,前日,天川村と天河大弁財天社の連載記事で神社の護持について書かせて戴きました。その際に,現在の総代会を改革し天川村在中の氏子さんや全国に居る崇敬者さんの無料法律相談会等を提案させて頂いたと思います。つまり,総代会が主体となり,公益目的の一環として活動することを趣旨とした計画です。

そう云ったことから,実際に総代会で議案提出となった資料を載せております。上に貼ってあるフロー図では「買い物弱者支援及び御用聞き部門」と表記していますが,どんな事柄でも応用が利きます。たとえば,犯罪防止でも良いですし,災害弱者支援と云う計画案も素晴らしいと思います。助けに来てくれるかどうか解からない状態での被災は精神的にとても辛いものがあります。

それにしても,なぜ御用聞きなのか?と思われるかも知れませんが,この御用聞きを計画案に盛り込んだのにはそれなりの理由が御座いました。その理由とは,埼玉県が県民に対し買い物困難者に関する意識調査なる名目で自由意見を求めたときがあったのです。その際に,埼玉県民の方たちの意見の中でもっとも多かったのが御用聞きであったのです。どこの都道府県でも意識調査はされていますので情報の収集と情報の分析にはとても役に立つことが出来ました。社会福祉関連であれば厚生労働省でも教えてくれます。

社会の様々な問題を地域の特性に応じ,又,地域の弱みと強みを上手く活かせることが出来れば一つのモデルケースになると考えます。過疎地域にある神社やお寺の場合の地域として特性。逆に都会にある神社やお寺の地域の特性などはぜんぜん違います。経済状況も人口の構成も違います。過疎地域では人が少ないですが,逆に都会では食料生産能力がなかったりと地域によってバラバラなのが日本の1つの特性のようです。そう云った違った様々な環境の地域の中に神社やお寺はあるのですから,地域と共に共存共栄する神社と寺院であります。それを後方から支援するもの全国に存在する崇敬者さんたちの声や力でもあると私は考えています。

今日は,前回の天川村と天河神社の記事の補足として書かせて戴きました。

たとえば,上のフロー図で言えば「買い物弱者支援及び御用聞き部門」を運営する母体が総代会となります。

今日も明日も明後日も。日本弥栄!拝