花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

今日の一言

2019年03月06日 08時02分15秒 | 反省の心柱

咲いた花見て喜ぶよりも

 根元で咲かせた恩を知れ

           大地に感謝

 

  

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

これからも,世界への発信ボタン3つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊3 再掲載

2018年08月15日 08時46分22秒 | 反省の心柱

上の写真は,ひめゆり学徒隊の遺族によって建立された,ひめゆりの塔です。

こんにちは。昨日,一昨日と続けて書かせて頂いてきた「予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 」ですが,本日その3で終わりにしたいと思います。一昨日は「予科練」について,昨日は「特攻隊」について書かせて頂き,今日の最終日では,日本本土上陸で激戦地となった沖縄「ひめゆり学徒隊」を書かせて頂きます。若い世代の人たちには「ひめゆり」や「ひめゆり学徒隊」と言っても聞いたこともない人も多いのではないではないかと思います。私も自分で勉強するまで知りませんでした。ちょうど今の高校生と同じ頃の若い女子学生をひめゆり学徒と呼んでいます。なぜ,そんな若い乙女までも戦争の被害にならなければならないのか?そして,学徒隊なんて言う軍隊みたいなものに入隊しないとならないのか?戦争は男の軍人さんたちが戦うものではないのか?そのような素朴な疑問が勉強をする上でも生命の尊さを知る上でも大切な事ではないかと私はそのように考えています。

さて,それでは先ず,ひめゆり学徒とは具体的にどのような人たちで,何を任務としていたのでしょうか。昭和20年3月23日,いよいよアメリカ軍が日本の沖縄県に上陸を開始しました。よく本土上陸などと言われていたりしますね。当時の沖縄県から21の中等学校の生徒たちが動員されました。これを学徒と云います。その内,女子学徒は15歳から19歳です。主に陸軍の病院等で負傷した兵隊さんたちの看護が任務でありました。一方,男子学徒は14歳から19歳で上級生になると「鉄血勤皇隊」へ入隊を命じられ,下級生は「逓信隊」に編成されて行きました。現在の沖縄県那覇市安里にあった沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校から,生徒222名と教職員18名が沖縄陸軍病院へ動員されて看護任務を遂行することになったのです。

これを戦後になって,ひめゆり学徒隊と呼ぶようになりました。元々は,沖縄師範学校女子部を「乙姫」と呼び。沖縄県立第一高等女学校を「白百合」と呼称していて,併設された両校を漢字で「姫百合」と呼ばれていたのです。したがいまして,ひらがねで「ひめゆり」と呼ぶようになったのが戦後と云うことになります。

沖縄師範学校女子部は主に教員を養成することを目的とした学校で,沖縄県立第一高等女学校は「知性あふれる教養豊かな女性を育成」するために設立された学校でした。沖縄県で唯一,プールがあった学校でも有名で,勉強熱心で,沖縄県内から難関を突破し集まった生徒たちは恵まれた環境下で学校生活を送っておりました。しかしながら,激しい沖縄戦でアメリカ軍の猛攻撃を受け続け全てが焼失し廃校となってしまったのです。最終的に,実に136名の尊い生命が戦場で亡くなることになってしまいました。

太平洋戦争末期,日本の大本営(最高統帥機関)は,次々と特攻をありとあらゆる部隊に命じて行きます「神風」「桜花」「回天」「舟艇」「兵士」そして,あの巨大戦艦「大和」ですら特攻を命ぜられます。それほど,日本軍は連合国軍に追い詰められている状況で,沖縄県でも多くの民間人が犠牲となり,地上戦を繰り広げて行くことになりました。日本軍は,本土決戦の準備期間を何とか稼ごうとアメリカ軍を沖縄に張り付けさせ持久戦をとり,地下壕にもぐって対抗しました。しかし,アメリカ軍の容赦ない艦砲射撃,砲爆撃は3ヶ月続き,実に軍民合わせて20万人以上の尊い生命を奪い去りました。沖縄の男子,女子合わせた全学徒のうち,2000名余りが沖縄戦の激戦地で亡くなったのです。ここでもまた若い命が奪われることになってしまいました。

そうしていよいよ撤退と姫百合学徒の解散命令です。これを南部撤退と呼んでいます。

既に窮地に追い込まれていた沖縄で,アメリカ軍は日本軍司令部のある首里に迫っておりました。日本軍は,何とかアメリカ軍の本土上陸に徹底交戦するため持久作戦を決断します。沖縄本島南部へ撤退を開始したのであります。当然,ひめゆり学徒隊が任務を遂行している陸軍病院にも撤退命令が発令され,ひめゆり学徒たちは歩ける患者たちを連れて,傷ついた友人を担架で運び,薬品や書類を背負い砲弾が飛び交う中を本島南部に急ぐことになりました。しかし,連日の爆撃と降り続く雨で道路は泥沼化して行き,本島南部への道は撤退する住民や兵士であふれ,無数の死体が転がり,手足のない重傷者たちが泥の中を這いずり回っている惨状であります。各病院では,自力歩行できない重傷患者には毒物を与え,2人の学友は動くことすら出来ず,南風原に残さざるをえませんでした。その時の学徒さんたちの気持ちとはどんな思いだったでしょうか。これこそまさに地獄絵図そのものです。

6月18日の夜半に,陸軍病院において「ひめゆり学徒」に解散命令が出せれました。しかし,ここからが語り継がれる「ひめゆり学徒」そのものでした。アメリカ軍が自分たちの目の前まで迫って来ており,砲弾が飛び交う中,学徒たちは自分たちで地下壕などから脱出し,自分たちの考えで行動しなくてはなりません。つまり,指揮官が戦場でいないことになります。情報もなにもありません。そして6月下旬,激戦地では,沖縄守備が壊滅し,牛島司令官は生き残った全兵士に対して降伏することは許さず,最後の最後まで戦うことを命じて自らも自決することになります。牛島司令官は,とても教育熱心な御方であったようです。

牛島司令官の自決後も兵士たちはアメリカ軍の凄まじい攻撃から逃れることも出来ず,ここでもまた多くの地元住民と兵士が亡くなりました。3月の学徒動員から解散命令が発令されるまでの90日間,ひめゆり学徒の犠牲者は19名であるのに対し,解散命令後のわずか数日間で100名あまりが亡くなることになったのです。指揮官を失い,自分たちの周囲はすべてアメリカ軍の兵士たちです。そして,行き場の無くなった学徒たちは父親と母親の名前を叫び続けて自ら命を絶つ学徒が続出し,学徒たちはアメリカ軍に捕まることを最も恐れ,手りゅう弾で自決した学徒さんもおりました。

戦争は,軍人だけが戦う訳ではありません。それを沖縄戦が後世の私たちに教えてくれています。このひめゆり学徒隊の悲劇から私たちは何を学ぶことが出来るのか,そしてその想いを後世の人へ伝え残す役割があるのだと考えています。

そして,本日,正午より天皇陛下,皇后陛下の見守る中,日本武道館にて全国戦没者追悼式が斎行されました。

激しい沖縄の激戦地で犠牲になられてしまった御霊に心より供養させて頂きたいと思います。

大 々 合 掌

  

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わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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母の温もりを求め続ける水子の御霊。再掲載

2018年07月28日 05時14分52秒 | 反省の心柱

こんにちは。

以下の記事は,2017年1月13日に掲載した過去記事です。

今週末にかけて大雪が降る地域があるそうなので,除雪や屋根の雪下ろしの際は十分気を付けて下さい。毎年毎年,この時期になるとニュースなどで雪掻きの作業中に怪我をした等の話がされています。高齢化が進み,限界集落や若い人が少ない地域は大変な重労働です。毎年の事ですので,産学官連携して何か良い施策があればといつも思います。

最近は,神様から授かった子供(御霊)を中絶する人が多いような気がしています。私が毎日仕事で会う方の中にも数霊の水子をもつ方がおります。人それぞれに異なった事情があるとは思います。たとえば,未成年で就学中の子であったり,経済的理由であったり,婚姻関係以外の人との間に出来た子供であったりと様々であろうとは想いますが,せめて生まれて来ることの出来なかった子供の為に供養だけは欠かさずして頂きたいと思います。所謂,水子供養ですが,この水子供養をしている人は実に少数です。

肉体を持てなかった霊魂は関係ないと考えているのか何なのか理解できませんが,中絶を繰り返す女性,そして中絶を繰り返させる男性の人に共通しているのが水子の供養をしていない人です。関心すらない人も多くいます。そう云った方に,私がよく話すのが霊的なことよりも子供が母親の子宮(御宮)に受胎するまでには壮絶な競争があり,奇跡の連続であると云うことです。それは正に神秘の世界です。今は便利なインターネットが存在しますから,簡単に生命の誕生までを学ぶことが出来ます。

又,神道には神社と言うものが存在します。どこの神社でも鳥居をくぐり,参道を歩いて,最後に御宮で神様に参拝するように配置されています。神道では無言の教えと云うものが存在していて,この鳥居,参道,御宮と云う配置にもちゃんと意味があるのです。

それは何かと申しますと,つまり,母親の身体を具現化したものです。

子供が受胎する子宮は「御宮」です。子供が生まれる膣は「参道」です。そして,母親の股が「鳥居」になります。

水子の供養もしなければ,御宮を穢すことに繋がり,もっと最悪なのは穢すことを繰り返したまま放置することです。この報いは生きている子孫が背負い続けることになります。なぜなら,人の肉体はなくなってしまっても霊魂は一定のあいだ家族や子孫と生き続けるからです。どんな有名な僧侶に供養を頼んでも,どんな立派なお墓を建立するだけでは殆ど意味がありません。

なんと言っても生まれて来ることが出来なかった水子の御霊が一番喜ぶのは,母親と父親の愛情です。気を向けられることで安心して行きます。些細なことでも良いのです。ご飯を家族で食べるとき,お風呂に入るとき,夜寝るときなど一緒に食べよう,一緒に入ろう,一緒に寝ようと気を向けてあげるだけでも供養になります。そして,その母親や父親の愛情の想いは必ず水子に届きます。

母の宮に宿りし幼き御霊 無念の一心何処に逝かずや 

合 掌

  

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この世で償える罪ばかりではない。再掲載

2018年07月26日 05時28分33秒 | 反省の心柱

以下の記事は,2016年11月15日に書かさせて戴いた記事です。

こんにちは。今日は,何だかとても暖かい日でありました。気温の寒暖差から体調を崩されてしまう方もいらっしゃると思いますので,どうぞ,御身体を御自愛下さい。昨夜は,ちょうど前回からの記事の続きを書こうとパソコンに向かっている途中に,自称霊能者に何年にもわたり,数千万円と云う多額の金銭や土地などの物を採取され続けていた事案の相談者から連絡が入りました。

先日から続けて書かせて頂いている神様との約束事 仕事とは祭事であるぞ。 4の続きは,明日からまた記事にさせて頂きます。したがいまして,今日は,霊感商法絡みに対する注意喚起としても書き置きたいと思っています。先ず,金銭の要求や身体への接触などのことを要求されたら,何ら躊躇せず,直ちに110番通報か最寄りの警察署へ行って話をして下さい。そして相手には,自宅の住所,実家の住所,自分の携帯電話や家族の情報は一切,話してはダメです。なぜならば,彼らの手口は,携帯電話の個人のメールを使って連絡手段にしたり,家族の問題と霊的なことを結び付け恐怖心を煽りたてたり,先祖供養が必要だとか,昔の第三者「知人」「友人」「会社の同僚」「旦那さんの場合,昔の女性関係」などなど生霊が悪さをしているなどと云った話から供養の必要性や金銭の要求して来ます。つまり,お金を出させる方法の為に話を持ち出すのです。この話を読んで,そんな馬鹿な。そんなので引っかかるの?と思われた方は,ほとんど引っかかります。彼らは,日常の会話の中で,その人がどう云う性格で,どう言った事に興味があるのかを瞬時に見抜くのです。おまけに日本人は神様,仏様,先祖の供養に関しては子供の頃から生活の中にあり馴染みやすく,信仰心が無意識の内に存在しています。又,家族の事を言われてしまうと心配したり,不安になったりと感じてしまうのです。これだけ社会で霊感商法で騙されている人が後を絶たないのは何故か?それを考えて見て下さい。騙された人が必ず口にする言葉があります。それは「まさか自分が」です。騙された皆さんがそうの様に話されます。つまり誰であっても同じ,例外はありません。

私も事件解決の為,2年前から取り組んでいたのですが,その自称霊能者に数千万円と云うお金を採取された挙句,先祖代々から守り続けてきた土地まで売却することになってしまった極めて悪質な事案でした。事件そのものは半年くらい前に既に終結していたのですが,相談者本人の気持ちの整理がなかなか出来ずにいましたが,昨夜の話では気持ちに少し余裕が出て来て前向きに生きて行けるように頑張りますとの言葉を聞けて私も嬉しかったです。思い返せば,相談者と何度も何度も面談や協議を重ね,警察(刑事課)へ告訴しに出向いたり,私もとても勉強になった事件でした。弱い者の心の隙を狙って多額の金銭を採取したり,身体に悪戯をする様な自称霊能者自身も最近は,取締りや捜査方法,民法や刑法の法律を勉強しているようで実に巧妙な手口になって来ています。

ひと昔前のような,高額な仏像や壺などを売りつける部類ではなくなっています。くれぐれもご注意ください。

相談者には,また明日も生きて見ようと思って頂ければ,私の任務は一先ず終了です。何かあった時にだけ,私のことを思い出してくれれば,それだけで十分です。生きていると本当に様々な事が起きてしまいます。私もそうです。本当に毎日いろいろなことが日替わりで起きます。その原因や要因を外観的な視点で見ようとすればするほど深みに嵌って行くことも今の社会には多くあります。

そんな時,自分の力だけではどうすることも出来ないことに遭遇してしまったら,一緒に困難なことに立ち向かい,何年も闘って来た仲間たちが居たんだと云う事実と自分の行いを省みて頂ければ同じようなことは繰り返されないと思います。勇気も持って,自分自身が反省すべきことはきちんと反省し,二度と同じ過ちは繰り返さないと心に誓いを立て家族の為にも頑張って頂きたいです。

しかし,私とその自称霊能者との本当の闘いはこれからです。引っ張ってでも閻魔大王のもとへ連れて行きます。この世で償える罪ばかりではないことをあの世で思い知ることになるでしょう。そういえば,過去にも記事にさせて頂いたことがありました。不動明王の羂索の小話。もし宜しければ読んでみて下さい。閻魔大王と不動明王が手にする五色の紐は?こちらです。拝

  

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それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

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自我は真我に付き従う。大自然の摂理です。

2018年05月19日 12時12分34秒 | 反省の心柱

こんにちは。

大自然の摂理によって,もたらされることに不必要在庫の調整と云うものがあるのではないかと想像しております。

それはどういうことかと申しますと人は多くのものを持ち過ぎると一定のところで手放さなくてはならないものが出来てくると云うことであります。たとえばよく,運気の良い人が一転して置かれている状況が悪くなってしまった。こんな話を世間では聞くことがあります。実際に,私もそう云った御方が知り合いにおります。そのような状況に陥ってしまうと経済的にも精神的にも大変厳しい状態になってしまいます。しかしながら,そう言った厳しい不遇の時に去るものは,本来,その人にとって必要ではなかったものであり,又,与えられた役割を終えたが故に去るものであると云うことです。それは人でもモノでも言えるのかも知れません。

社会での成功者が一転して貧困になってしまうことがありますが,そのような不遇な状況に陥ったときに一番先に去るものはこれまで仲良く親しくしていた「人」であると聞くことがよくあります。それまで自分を慕ってくれていた人々が次から次へと自分のまわりから去って行ってしまったり,急に掌を返すような人も社会には現実に存在します。そう云った時の辛さや悔しさは言葉では言い表すことのできないことであると思います。金の切れ目が縁の切れ目と云う言葉も残っているくらいですから真理であります。

日本の言い伝えは本当に直球ど真ん中の言葉が多いですね。

そう云った厳しい環境に立たされた時にこそ自分自身を省みることが出来るように思います。これまでの自分の人生を振り返り,原点(中心)に回帰することで,さらなる飛躍が待っているのではないでしょうか?刀折れ矢も尽きた状態からの自分こそ本当の自分であると言い換えることもできるようです。何をやっても上手く行き,調子も良く絶好調のときに人は誰であっても傲慢になり過ぎてしまいます。これは人間の性(サガ)でもあるようです。そのような観点で観て見ると誰であっても例外なく同じであります。

人は多くのものを欲しがります。人よりも多くの財「お金やモノ」を持つことで安心すると錯覚を起こしてしまいます。しかしながら,本当に人よりも多くの財を得ることで安心することが出来るのか?と云うと決してそんなことはないようです。財を得れば,次は得た財を失うことへの恐怖心が芽生えてしまうからです。恐怖心は,さらに財を得ることへの執着心を産み出し,自分の我欲を強めて行きます。したがいまして,私たちが考えている財を得ると云う概念と安心感とは全く別なものであると云うことが言えます。

誰であってもそんなに大差はないのではないかと思いますが,やはり持ち過ぎると云うことには注意が必要な気もします。何かを得れば,何かを失うという言葉は個人的に好きな言葉ではありませんが,もしかすると,私自身がこの言葉に込められている奥を観れていないだけかもしれません。本当の幸福感や安心感は,手放すことからはじまり,手放す勇気と固執しない大切さを知ったときなのかも知れないと感じています。自我は真我に付き従うと云うことが大自然の摂理であるのです。摂理に反すれば滅びる訳です。

心柱(みはしら)神社を穢し,心神(しんしん)を傷つけることのないようにしましょう。

 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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昭和天皇 終戦の詔勅に秘められた祈り 2 「再掲載」

2018年01月14日 00時00分00秒 | 反省の心柱

          

こんにちは。昨日の記事「昭和天皇 終戦の詔勅に秘められた祈り 1」の続きを書かせて頂きたいと思います。

その昨日の記事で,東京大空襲に纏わる内容とその作戦を計画立案した起案者についてご紹介させて頂きました。広島と長崎への原爆投下並びに東京大空襲のことについては,さらに別の機会で記事にして行きたいと思います。何ら罪もない私たちの先祖がたくさん犠牲者となった歴史の事実は伝えて行かなければならないことであります。私たちの先祖の犠牲の上に,私たちの今の日常があり,生活が存在できることに想いを寄せることは日本人であれば当然のことであります。神風特攻隊の史実もしかり,沖縄のひめゆり隊の史実も同様に後世に伝えなければならない歴史がたくさんこの国にはあります。靖國神社においてもそうです。

そこで今日は,いよいよ日本が終戦を迎えたとき,天皇陛下御自ら国民へ終結宣言がされた終戦の詔勅「通称:玉音放送,以下同様」について記事にしたいと思います。きっと,私たちくらいの若い年代の人は,玉音放送と云ってもおじいちゃんやおばあちゃんから聞いたことがあるくらいの話だと思います。しかし,この玉音放送には,昭和天皇の祈りのメッセージが込められていて,さらに,天皇家の御祖神である天照太御神そして,歴代の天皇への謝罪の意も込められている御言葉だと私は思っています。あの玉音放送を昭和天皇はどのような御気持ちで国民に向けて語られたのかを想像すると胸が痛くなります。それぞれの各人が素直な心柱で感じ取って頂ければと思っています。

その玉音放送で読まれた文書の中に「耐えがたきを耐え 忍びがたきを忍び」と云う日本の復興についての御言葉はあまりにも有名でありますが,それよりも私は「皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ」と云う御言葉がその意を表しているように考えています。つまりそれは,天津神からもっと言えば,さらに国津神からお預かりし国民「おほみたから」と歴代天皇が守り続けてきた祈りを戦争と云う形で失ってしまった。そのことを私はどのように天照太御神と歴代天皇に謝罪すればよいのでしょうかと云った,我が国の最高祭主としての悲痛な言霊でもあると感じています。そのことを想像するだけでも昭和天皇の苦悩とは想像を絶するものであったと思います。天皇はありとあらゆる祭祀を司る最高祭主であります。

以前にも記事にさせて頂きましたが数千もの間,歴代天皇は,なぜ我々国民の平穏と幸せを天照太御神へ毎日祈り続けるのでしょうか。

もし宜しければ読んでみて下さい「伊勢神宮1300年続く 永遠なる祈り」と「伊勢神宮と出雲大社 国津神と天津神 」です。

すべての祀り事,祭祀を司る立場にある最高祭主の天皇陛下が天照太御神から預かった国民「おほみたから」を戦争と云う最も神から遠く,神の神意に叶わない方法で失うことへの想いは,玉音放送にも「五内爲ニ裂ク」とありますように我が身を引き裂かれる思いであったに違いないと私も考えております。政治と云う祭り事の最高責任者と国家国民の安寧を祈り続けることを使命とする最高祭主として戦争へと突き進んでいった史実は隠された秘め事もたくさんあるのであろうとも想像しています。又,玉音放送に至るまでの過程においても様々な人の思惑や思想,信条が入り交わり終戦の詔勅が作成されたのだと考えますが,決して昭和天皇の意思のみで戦争へ突き進んだのではありません。

神道が戦争を誘起させたと云う所謂,左派の皆さんはもっと勉強して頂きたいと思います。左派の論客が主張している国家神道が戦争をさせたと言わんばかりですが,それはぜんぜん違います。一部の軍人が,天皇と神道を利用して「戦争」国家神道を確立させたのです。

そして最後の箇所に「國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ」と語りかけられております。国とそれぞれの一家の子孫にも絶えなく伝え,語り続けて行き,確固たる神の国は不滅であることを信じ,これからの復興がとても遠い道のりであることを皆が覚悟し,国家国民が総力を挙げて将来の建設に傾けて常に正しい道を歩み忘れず,世界の流れに遅れることがないように固く決意しなければなりません。ひとり一人の国民は,私の意をよく理解して行動に移しなさいと語られております。つまり,この戦争でのさまざまな出来事や事柄を将来の子供たちへ絶えなく伝え,語りかけて行くこと。そして,日本は神の国であり不滅であることを信じて,国と国民の復興を国家国民が総力をを挙げ,叡智を結集し新しい日本の建設を道徳と努力を忘れずに歩んで行くことが天皇の意であると私は解釈しています。

玉音放送「終戦の詔勅」から今年で,71年目の終戦祈念日を迎えます。戦争を経験された人もだんだんと少なくなって行き,伝え語り継ぐ人たちも少なくなっています。そんな時代だからこそ今一度,戦争の残虐性と恐ろしさをいま生きている私たちが後世へ伝えることが大切であると思っています。ちょうど現在,憲法改正の議論と集団的自衛権の議論が盛んになっています。これは,昭和天皇と先の大戦で犠牲になられた御霊からの伝え,語り続けるを忘れてはならないと云う重要なメッセージであるとも私は考えております。この国は,五穀豊穣を祈る国なのです。太古の昔から和と相互扶助が生き残る唯一の道だと云うことは過去の歴史が証明してくれています。理屈に騙されてはいけません。

学歴と偏差値,相続によって仕掛けられ来たのです。そんな仕掛けに騙されないで下さい。平和ボケだの右翼だ左翼だと云う無責任で破綻した理屈(理論)はどうでもよいことです。そう言った決めつけこそが戦争を仕掛けたい人や国民を分断したい人たちの想いや仕掛けであります。その仕組みにまんまと嵌められて行った歴史に学ぶことこそ昭和天皇の意に沿うものであると思います。それを論じる前に,私たちの先祖が尊い命を掛けて引き継いでくれた御恩は何としても忘れてはならぬことであります。

花咲 あさひ 拝

2018.1.13 追記

昨年10月頃,靖國神社にて「桜」「楠」「榊」の苗木を授与させて頂きました。

各苗木各500円で参拝者の誰でも授与することが出来ます。

この苗木の正式名称は「靖國神社神木之苗」と申します。

わたしは,ある程度,大きく成るまで自宅で育た後,どこかの神社へ奉納します。

苗木の種は,元戦車隊長が戦没者の御霊を弔う為,靖國神社境内にて発芽育成された苗木です。


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝  


昭和天皇 終戦の詔勅に秘められた祈り 1 「再掲載」

2018年01月13日 00時00分00秒 | 反省の心柱

  

こんにちは。

毎年,この時期になるとお中元のお届けも一段落し,8月のお盆に備えて今年の神様への御酒の銘柄選びや御先祖様への御供物の献立を考え始めます。又,他にも71年前に迎えた終戦を祈念し始める頃でもあります。日本は,世界で唯一,原子爆弾を落とされた被爆国であります。いくら戦争と言っても罪もない人たちを無差別に殺傷する残虐性にただ茫然と祈りを捧げることしか出来ない自分にもこんなので良いのでしょうかと不甲斐無さを感じてしまいます。先の大戦でお亡くなりになった御霊は天国で今の日本をどのようにご覧になっているのでしょうか。サミット後のオバマさんが被爆者と抱擁されている様子を拝見し複雑な思いが致しました。

その複雑な思いとは,こんなにも時間を必要とするものなのかと云う思いでありました。国としての姿勢や大統領としての立場,国益も考えて行かなければならないことはあるのかもしれませんが,そっと,献花と礼拝くらいは70年を待たずに出来たのではないかと思っています。戦後70年ですから原爆を体験された被爆者もどんどん亡くなってしまっています。一度でもいいからアメリカの大統領が祈りを捧げてくれる姿を観たいと感じていた方も多かったのではないでしょうか。それと,もうひとつ,東京大空襲を計画立案したカーチス・ルメイさん対し,日本国政府は戦後,勲章を授与しています。正直言って,返して頂きたい。

戦争は人が人を殺し合うものです。そこには,兵士個人の一切の感情や人間心を持つことは出来ませんし許されないことであります。しかしながら,勲章は必要ないと私は考えます。東京大空襲の当日,東京の下町一帯にB29爆撃機が最初に決行した作戦は,下町全域を囲むように高さ数十メートルの巨大な炎の壁をつくり,住民をその炎の壁の中に封じ込める作戦を実行しました。当然,住民は逃げることなど出来ません。炎の壁の中に封じ込められた住民を次に,B29爆撃機は超低空飛行で接近し機銃掃射で目視できる住民を徹底的に射殺しました。お年寄りであろうと,女性であろうと,子供であろうと関係なしに射殺して行きました。

逃げ遅れた人々は,学校などの丈夫な建物へ避難しましたが,大空襲当日は,千葉県房総半島から入り込む強風の影響で巨大な炎の壁は猛烈な火災旋風と炎の竜巻を発生させありとあらゆる建物を焼き尽くして行きました。そうしたことも事前にカーチス・ルメイさんは本国の実験場で計算しており,下町の建物を破壊するにはどのような作戦が最も効果的で効率的であるかを繰り返し実験していました。その実験の成果は的中しました。計算通りに作戦は実行され作戦成功が本国へ届けられます。大空襲の翌日,日本の大本営はあまりの悲惨さに昭和天皇の現地視察を拒みましたが,昭和天皇は自分の眼で現地の戦場を確認すべきとし,視察を実施されましたが焼き尽くされた人々を軍関係者の手によって大きな穴を掘り,その穴に無雑作に放り込みしたのです。その遺骨が未だに道路工事で重機を使い穴を掘ると発見されています。戦後71年を経過した今でもです。

戦後しばらくした頃だったと思いますが,新聞記者がカーチス・ルメイさんへインタビューした際に,東京大空襲をなぜ計画したのか訊くとカーチス・ルメイさんは「我々は,日本の軍事工場を破壊しただけだ」「日本は女子供でも工場で働いている」「その軍事工場とは下町の民家の中に多数ある」と話していたようです。いずれにしても罪もない人々をたった数時間の間に数十万人と云う大量殺戮を計画立案した元敵国兵に,我が国の政府が勲章を授与するなんてとんでもない話であります。戦争と云うものは,そういうものなのだと言われてしまえば返す言葉もありません。確かにその通りかもしれません。兵士同士が憎み合っている訳でもありませんし,恨みもありません。相手の兵士に待っている家族がいるんだなんて道徳的に考えていたら自分が殺されてしまいます。

過去の歴史に学ぶことは誰であろうと大切な事であると思っています。政治家だけではなく,私たちも含めて先の大戦を後世へと語り続けて行かなくてはなりません。決して忘れることなく,きちんと御伝えできるように私もたくさん勉強して次の世代へと伝える御役ができたらと思っています。今日は本題のテーマと記事の内容が違いますが,明日にまた本題を書きたいと思います。

先の大戦でお亡くなりになられてしまった御霊へ心よりお祈り致します。

合 掌

2018.1.12 追記

戦争を一言で云うと「悲」これに尽きる氣がします。

こころのみはしら「心柱」祝詞 前段

互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,

共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合い,

如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気素直

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 1「再掲載」

2018年01月08日 00時00分59秒 | 反省の心柱

    

こんにちは。先日,千葉県の成田市に御鎮座されます麻賀多神社へ参拝させて頂きました。御存知の方も多いと思います。麻賀多神社は,あの日月神示「ひふみ神示」が降ろされた天日津久神社があるところです。その帰り,隣の茨城県に仕事の用事があったので自動車で向かっている途中,阿見町と云うところを通過したときにあることを思い出していました。それは,2008年頃から研究していた神風特別攻撃隊「特攻隊」についてでした。この茨城県にある阿見町には,特攻隊への入隊を前提とされていた14歳から17歳までの若い人たちで構成された予科練があった場所です。私の大叔父も予科練から特攻隊へ入隊し,出撃の数日前に終戦を迎えました。今日と明日と明後日の3日間は,ただ純粋に国の為に朝夕と厳しい訓練に励んでいた予科練習生,愛する国と故郷,家族の為に尊い命を捧げた特攻隊員,そして,本土決戦で激戦地となった沖縄ひめゆり学徒隊を記事にさせて頂きます。いよいよ明後日,8月15日は71回目の終戦祈念日を迎えます。いま私たちに出来ることは,後世に伝え残すことだと考えます。

過去の関連記事です。「あなたは神風特別攻撃隊を知っていますか?」宜しければ,お読みください。

先ずは,下記の予科練から神風特攻隊として出撃される前にお母さんへ向けた遺言書をご覧ください。

僕はもう,お母さんの顔を見られなくなるかもしれない。
お母さん,良く顔を見せて下さい。
しかし,僕は何んにも「カタミ」を残したくないんです。
十年も二十年も過ぎてから「カタミ」を見てお母さんを
泣かせるからです。
お母さん,僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。
それが僕のあいさつです。母上様。

(資料出処:予科練平和記念館)

この遺言は,予科練から特攻隊へ入隊し,昭和25年5月4日に弱冠19歳と云う若さで,特攻作戦のため出撃され沖縄で特攻戦死された福島県出身の茂木少尉が大好きな母上様に宛てた最後の御手紙であります。

上の画像は,知覧特攻平和会館に所蔵されている,燃えさかる特攻機から6体の天女が特攻隊員を救い出し,昇天の様子を描写させた画です。目で見ると確かにこの画像は,作者の鎮魂の祈りが描写させて描かせたものですが,この画のとおりのことが実際に起こっておりました。日本神界の神々様から仏界におられる菩薩様も総出で戦禍に赴いた御霊の救出と昇天をさせておりました。きっと,この画を描写した作者には,後世に伝えるために神懸りにより筆を取らせて描かせたものです。

それでは,予科練について記事にさせて頂きますが,予科練を語る前に,特攻について少し書かせて頂きます。特攻隊には幾つかの部隊が存在しておりました。陸軍や海軍に所属し,予科練はその内,海軍に所属する「海軍飛行予科練習生」のことを通称:予科練と呼んでいます。特攻隊員の多くは予科練の所謂,卒業生で卒業後はほとんどの少年が特攻隊へ入隊しています。14歳から17歳ですから中学2年生から高校2年生の未だ未成年の子供たちであります。これが少年特攻と言われる所以です。今とは想像もつかないと思いますが,これが現実でありました。特攻隊員は18歳以上の若者が出撃されたと云う風習になっていますが,私が研究している課程で元特攻隊員の方とメールですがやり取りさせて頂いた際に,17歳未満の特攻隊員も存在していたと話されていました。

いまの若い世代の人は,特攻や特攻隊と云う言葉すら聞いたことがないかも知れませんが,私たちのすぐ近くの御先祖様です。この特攻と言う言葉は,特別攻撃の略称で,航空機や水上・水中兵器に爆弾を搭載して,当初から死を持って敵戦艦に体当たりして撃破するという攻撃です。つまり,はじめから死を覚悟して出撃するのです。本格的に特攻隊が部隊として編成されたのは,昭和19年(1944年)の10月です。特攻隊員13名が志願により選出され,第一次神風特別攻撃隊としてそれぞれ4部隊が結成されました。最初の特攻攻撃の戦果が確認されたのが10月25日でした。

しかしながら,私も研究をしていて実は,特攻一番機の前に伝説となった「特攻ゼロ号」が存在していたことが判りました。敵がいなければレイテへ行きますと言って飛び立った伝説の英霊です。正式に大本営にて特攻したのかどうかの確認が出来ていないために,伝説の特攻ゼロ号と呼ばれるようになったのです。また次の機会で記事にさせて頂きたいと思います。

毎度のように話が少し逸れますが,アメリカの9.11の悲惨な出来事をまるで日本の特攻隊のようだとマスコミがニュースなどでコメントしていたり,第2の真珠湾などと言っていたりしていましたが,これはとんでもないことです。9.11のテロリストと我が国の特攻隊の御魂を一緒にするような発言は無礼にもほどがあると思います。私たちの御先祖様と一緒にしないで下さい。おじいちゃんたちの悪口を言わないで下さい。今度,悪口を言っているのを聞いたら閻魔大王と不動明王に言いつけます。

話を戻しますが,予科練は,海軍飛行予科練習生で年齢は14歳から17歳の即ち,少年航空兵のことであります。この制度が出来たのが,昭和5年6月1日で,第1期生79名でした。当初は,横須賀海軍航空隊に予科練習部を設置し,その後,全国から5,800名の志願者から厳選され昭和14年3月には霞ヶ浦湖畔に移り,大東亜戦争が開戦すると航空兵の増員が急務となったのです。そして,予科練習生は優れた搭乗員としての人間形成と,厳しい訓練をものともせず,航空兵としての実力を身につけて行きました。さらにエピソードの1つとして,昭和12年8月14日,中国本土に孤立する居留民団(日本人)を救助するため,暗夜の荒天を衝いて敢行した渡洋爆撃にその初陣を飾って以来,予科練を巣立った若人たちは多くの偉勲を重ね,大東亜戦争では名実ともに日本の航空戦力の中核となり戦ってきました。

しかし戦局は悪化の一途を辿り,敵が本土に迫った時,そのほとんどが神風特別攻撃隊員となって,一機一艦必殺の体当りを決行したのです。名も命をも惜しまず何のためらいもなく,ただ国を救うことのみに無限の未来を秘め祖国と家族を守るために尊い命を捧げたのであります。創設以来終戦までの予科練の歴史は僅か15年3ヶ月に過ぎません。しかしながら,祖国の繁栄と同胞の安泰を願い,たくさんの少年たちが全国から志願し,その予科練卒業生の8割が未曾有の国難に殉じ特攻による戦死をしたのです。私たちの今の生活があるのは,先の大戦で決死の覚悟で戦った英霊の御蔭であることは言うまでもありません。拝

予科練平和記念館公式ページ:http://www.yokaren-heiwa.jp/index.html

知覧特攻平和会館公式ページ:http://www.chiran-tokkou.jp/


 

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こころのみはしら「心柱」祝詞 (作)花咲 あさひ

互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,

共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合い,

如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気素直

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。

高天原(自分の心)にそびえる柱に,降ろせよ しかと神の音(波動)を。

神の音を柱に降ろし,言葉に変えて,実地に移し,日々の努力を忘れずに,人を活せど手柄になし。

たとえ独りになろうとも,神に仕えし喜びと,己を尊び誇りをもちて,こころのみはしら種を蒔き。

たとえ困難苦難に出会えども,ただ只管に自分を信じ,こころのみはしら(心柱)成長させん。

この御霊の奥の奥,神を宿す人の努めよ。

2017.12.31 前段部 完成

補足:前々日に富士山へ行った際に富士山の神さまの御心を自分の心にそびえる九つの柱に音(波動)を降ろして観ました。

そして,富士山の神さまの御心をブログのテーマに沿って未だ前段部ですが,祝詞を作成してみました。

後段部は,虹色「七色」の輝きを放つ白山の神さまのところで作成したいと思っています。いつになるか・・・。

大自然と観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 2「再掲載」

2018年01月07日 00時00分00秒 | 反省の心柱

 

上の写真2枚は,連合国軍が撮影した神風特攻隊が突撃する瞬間と突撃後の写真です。 

こんにちは。昨日は「予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 1」を書かせて頂きましたので,今日は続きを書かせて頂きたいと思います。以下の黒文字は昨日の記事の一部です。

>しかし戦局は悪化の一途を辿り,敵が本土に迫った時,そのほとんどが神風特別攻撃隊員となって,一機一艦必殺の体当りを決行したのです。名も命をも惜しまず何のためらいもなく,ただ国を救うことのみに無限の未来を秘め祖国と家族を守るために尊い命を捧げたのであります。創設以来終戦までの予科練の歴史は僅か15年3ヶ月に過ぎません。しかしながら,祖国の繁栄と同胞の安泰を願い,たくさんの少年たちが全国から志願し,その予科練卒業生の8割が未曾有の国難に殉じ特攻による戦死をしたのです。私たちの今の生活があるのは,先の大戦で決死の覚悟で戦った英霊の御蔭であることは言うまでもありません。拝

昨日の記事では,予科練と云う神風特攻隊に入隊することをほぼ前提とした若い14歳から17歳の少年兵について書きましたので,今日は主に予科練を卒業し,特攻隊へ入隊してから出撃するまでの内容を書かせて頂きます。予科練を卒業した予科練習生の多くは特攻隊へと入隊することになりましたが,特攻隊が本格的に部隊として編成されたのは昭和19年10月でした。アメリカ軍のレイテ島上陸作戦により,日本軍の最高統帥機関であった大本営は「捷一号作戦」を発令しましたが,フィリピンのマバラカット飛行場では第10期生を主軸とした特攻隊員13名が自ら志願し,第一次神風特別攻撃隊として4つの隊が編成されました。その4つの隊とは「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」であります。特攻一番機は第一次神風特別攻撃隊の総指揮官で且つ,敷島隊の隊長でもあった関行男大尉でありました。その戦果はアメリカ海軍の護衛空母であるセント・ローを特攻により撃沈しました。

今現在でもフィリピンでは,日本の神風特攻隊は英雄とされお祀りされていて祭祀施設も建設されております。

第一次神風特別攻撃以後,終戦に至るまで,航空機による敵艦船に対する攻撃は,主として20才に満たない予科練出身の少年たちの特別攻撃に依存せざるを得ない状況になっていました。また,日本軍はありとあらゆる特攻兵器を開発して行きます。たとえば「人間ロケット:桜花」「人間魚雷:回天」などは御存知の方も多いことだろうと思います。そして,この特攻兵器を操るのは未だ少年の域から抜け出ない若い10代の特攻隊員でした。当時,大本営は昭和天皇に特攻隊の戦果を報告すると,昭和天皇は「そこまでせねばならぬか」と大本営参謀に話されていたようです。一方,アメリカ海軍などの連合国軍は,日本の特攻隊と特攻兵器について正気の沙汰ではない。日本軍の上層部は何を考えているのか?まだ子供で若い兵士をしかも特攻させるなんて信じられないと驚愕していました。この特攻はアメリカ海軍にもの凄い恐怖を与えていたようです。特攻が決行された後の艦上は火だるまとなり,搭載されている爆弾や弾薬が四方八方に飛び散り,死傷したアメリカ兵の損傷状況があまりにも酷い状態であったようです。

以上,特攻隊のほんのごく一部を書かせて頂きました。現代は,インターネットなどでも予科練や神風特攻隊のことはたくさん勉強できますので是非,若い人たちは少しでも学んでほしいと思います。史実や歴史に学ぶことはとても素晴らしいことでありますし,社会に出ても必ず役に立つ時が来ると感じております。そして,自分の頭で考え,自分の心で感じ取り歴史から何を学ぶかでその後の生き方に良い意味で影響することであろうとも考えています。特に,先の大戦から学ぶことはとても多いはずです。

私も特攻隊や予科練について詳細に記事にすると3日間では到底,書き切ることが出来ないのでこの辺りで次回へ譲りたいと思います。特攻隊の多くの隊員が出撃の前に愛する家族に宛てた手紙や遺言があります。又,出撃する直前には七生報国と書かれた鉢巻をされておりました。この七生報国の意味は多くの方がご存知であると思いますが,特攻隊員がしていた七生報国の真の意味は「七たび生まれ変わっても祖国と家族を守るためならば,あと七回来てやる」と云う意味だと私はそのように思います。毎年,この8月15日前に政治家の靖国神社の参拝がテレビなどのニュースで騒がれます。毎年です。先般,防衛大臣に着任された稲田防衛大臣も靖国参拝はされないようですが,いつになったら近隣諸国の顔色を窺わなくても政治家が堂々と参拝できる日が来るのでしょうか。

最後に先の大戦後に各国の要人や著名人が日本と日本人のことについて述べているものをいくつかご紹介させて頂きます。

●ハーバート・フーバー(元米国大統領、ルーズベルトの前任者)
もし我々が日本人を挑発しなかったら、日本人から攻撃を受ける事は決して無かったであろう。

スカルノ大統領
我々が(オランダから)独立を勝ち得たのは,日本があれだけ戦ったのに,同じ有色人種の我々に同じことが出来ない 
訳はないと発憤したからである。

朴鉄柱(韓国 韓日文化研究所)
大東亜戦争で日本は敗れたというが,敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは,戦争目的を達成したかどうかによって決まる,というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり,日本の戦争こそ”聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが,こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが,しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて,国民尊崇対象となるのである。

以下は,特攻隊員の遺言です。

大日本帝国海軍 林 市造少尉(大正10年生まれ 昭和20年4月12日 沖縄方面にて特攻戦死 24歳)

母への便り
その後元気の事と思ひます。
私達の名前は神風七生隊です。本日その半ばが沖縄沖の決戦に敵船団に突入しました。私達の出撃も二,三日中に決まっています。
お母さん,私が死んでも淋しがらないで下さい。名誉の戦死,それも皇国の興廃をかけた戦いに出て征くのですから有難いです。
飛行機で九州に入ってから博多の上は通りませんでしたが,腹一杯歌を唱ってなごりを惜しみましたよ。

もう余り思いのこすことはありません。

出撃の服装は飛行帽に日の丸の鉢巻をしめて,純白のマフラーをして,義士の討入りのようです。
お母さんの千人針は右に万人は左に,たおるとも・・・の書いてある国旗も身につけてゆきます。
お母さん達の写真をしっかりと胸にはさんで征こうと思っています。お母さんが見て居られるに違いない。祈って居られるに違いないのですから,安心して突入しますよ。
お別れには,いなりずしと羊かんがつきますよ。弁当をもって征くのもなかなかよいですね。立石さんからもらったかつおぶしもお守りと一緒に持ってゆきましょう。お母さんのとこにゆくのに一寸海の中をほってゆかねばならないのですから。

何だか夢のようです。明日はいないのですからね。

お母さん,ぐちをもうこぼしませんから、お母さんも私についてこぼさないで下さいね。泣かれたとてかまいませんが、泣いて下さいね。やっぱりあんまりかなしまないで下さい。
私はよく人に可愛がられましたね。私のどこがよかったのでしょうか。こんな私でも少しはとり得があったんだなぁと安心します。ぐうたらのまま死ぬのは、やはり一寸つらいですからね。
私は甘やかされましたね。今から考えると勿体ないです。境遇のよかったことは私の誇りです。この誇りを最後まで保持しようと思います。私から境遇を引いたら零です。随分ぐうたらですが、一人前で人の前に出られたのが有難いです。なにか変な話になりましたが、今日は一寸ねむいです。又時間があったら書き加えましょう。
もう余りなごり惜しまなくてもよいですね。ここらでお別れ致しましょう。なごりはつきませんね。お別れ致しましょう。

市造は一足先に天国に参ります。天国に入れてもらえますかしら,お母さん祈って下さい。

お母さんが来られるところへ行かなくてはたまらないですから。

お母さん さようなら。

英霊の御魂が天国で安らかでありますよう心より御祈念申し上げ,私たち子孫を見守り続けて頂けるよう励んで参ります。

花咲 あさひ 拝


  

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こころのみはしら「心柱」祝詞 (作)花咲 あさひ

互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,

共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合い,

如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気素直

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。

高天原(自分の心)にそびえる柱に,降ろせよ しかと神の音(波動)を。

神の音を柱に降ろし,言葉に変えて,実地に移し,日々の努力を忘れずに,人を活せど手柄になし。

たとえ独りになろうとも,神に仕えし喜びと,己を尊び誇りをもちて,こころのみはしら種を蒔き。

たとえ困難苦難に出会えども,ただ只管に自分を信じ,こころのみはしら(心柱)成長させん。

この御霊の奥の奥,神を宿す人の努めよ。

2017.12.31 前段部 完成

補足:前々日に富士山へ行った際に富士山の神さまの御心を自分の心にそびえる九つの柱に音(波動)を降ろして観ました。

そして,富士山の神さまの御心をブログのテーマに沿って未だ前段部ですが,祝詞を作成してみました。

後段部は,虹色「七色」の輝きを放つ白山の神さまのところで作成したいと思っています。いつになるか・・・。

大自然と観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 3「再掲載」

2018年01月06日 08時19分33秒 | 反省の心柱

上の写真は,ひめゆり学徒隊の遺族によって建立された,ひめゆりの塔です。


こんにちは。昨日,一昨日と続けて書かせて頂いてきた「予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 」ですが,本日その3で終わりにしたいと思います。一昨日は「予科練」について,昨日は「特攻隊」について書かせて頂き,今日の最終日では,日本本土上陸で激戦地となった沖縄「ひめゆり学徒隊」を書かせて頂きます。若い世代の人たちには「ひめゆり」や「ひめゆり学徒隊」と言っても聞いたこともない人も多いのではないではないかと思います。私も自分で勉強するまで知りませんでした。ちょうど今の高校生と同じ頃の若い女子学生をひめゆり学徒と呼んでいます。なぜ,そんな若い乙女までも戦争の被害にならなければならないのか?そして,学徒隊なんて言う軍隊みたいなものに入隊しないとならないのか?戦争は男の軍人さんたちが戦うものではないのか?そのような素朴な疑問が勉強をする上でも生命の尊さを知る上でも大切な事ではないかと私はそのように考えています。

さて,それでは先ず,ひめゆり学徒とは具体的にどのような人たちで,何を任務としていたのでしょうか。昭和20年3月23日,いよいよアメリカ軍が日本の沖縄県に上陸を開始しました。よく本土上陸などと言われていたりしますね。当時の沖縄県から21の中等学校の生徒たちが動員されました。これを学徒と云います。その内,女子学徒は15歳から19歳です。主に陸軍の病院等で負傷した兵隊さんたちの看護が任務でありました。一方,男子学徒は14歳から19歳で上級生になると「鉄血勤皇隊」へ入隊を命じられ,下級生は「逓信隊」に編成されて行きました。現在の沖縄県那覇市安里にあった沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校から,生徒222名と教職員18名が沖縄陸軍病院へ動員されて看護任務を遂行することになったのです。

これを戦後になって,ひめゆり学徒隊と呼ぶようになりました。元々は,沖縄師範学校女子部を「乙姫」と呼び。沖縄県立第一高等女学校を「白百合」と呼称していて,併設された両校を漢字で「姫百合」と呼ばれていたのです。したがいまして,ひらがねで「ひめゆり」と呼ぶようになったのが戦後と云うことになります。

沖縄師範学校女子部は主に教員を養成することを目的とした学校で,沖縄県立第一高等女学校は「知性あふれる教養豊かな女性を育成」するために設立された学校でした。沖縄県で唯一,プールがあった学校でも有名で,勉強熱心で,沖縄県内から難関を突破し集まった生徒たちは恵まれた環境下で学校生活を送っておりました。しかしながら,激しい沖縄戦でアメリカ軍の猛攻撃を受け続け全てが焼失し廃校となってしまったのです。最終的に,実に136名の尊い生命が戦場で亡くなることになってしまいました。

太平洋戦争末期,日本の大本営(最高統帥機関)は,次々と特攻をありとあらゆる部隊に命じて行きます「神風」「桜花」「回天」「舟艇」「兵士」そして,あの巨大戦艦「大和」ですら特攻を命ぜられます。それほど,日本軍は連合国軍に追い詰められている状況で,沖縄県でも多くの民間人が犠牲となり,地上戦を繰り広げて行くことになりました。日本軍は,本土決戦の準備期間を何とか稼ごうとアメリカ軍を沖縄に張り付けさせ持久戦をとり,地下壕にもぐって対抗しました。しかし,アメリカ軍の容赦ない艦砲射撃,砲爆撃は3ヶ月続き,実に軍民合わせて20万人以上の尊い生命を奪い去りました。沖縄の男子,女子合わせた全学徒のうち,2000名余りが沖縄戦の激戦地で亡くなったのです。ここでもまた若い命が奪われることになってしまいました。

そうしていよいよ撤退と姫百合学徒の解散命令です。これを南部撤退と呼んでいます。

既に窮地に追い込まれていた沖縄で,アメリカ軍は日本軍司令部のある首里に迫っておりました。日本軍は,何とかアメリカ軍の本土上陸に徹底交戦するため持久作戦を決断します。沖縄本島南部へ撤退を開始したのであります。当然,ひめゆり学徒隊が任務を遂行している陸軍病院にも撤退命令が発令され,ひめゆり学徒たちは歩ける患者たちを連れて,傷ついた友人を担架で運び,薬品や書類を背負い砲弾が飛び交う中を本島南部に急ぐことになりました。しかし,連日の爆撃と降り続く雨で道路は泥沼化して行き,本島南部への道は撤退する住民や兵士であふれ,無数の死体が転がり,手足のない重傷者たちが泥の中を這いずり回っている惨状であります。各病院では,自力歩行できない重傷患者には毒物を与え,2人の学友は動くことすら出来ず,南風原に残さざるをえませんでした。その時の学徒さんたちの気持ちとはどんな思いだったでしょうか。これこそまさに地獄絵図そのものです。

6月18日の夜半に,陸軍病院において「ひめゆり学徒」に解散命令が出せれました。しかし,ここからが語り継がれる「ひめゆり学徒」そのものでした。アメリカ軍が自分たちの目の前まで迫って来ており,砲弾が飛び交う中,学徒たちは自分たちで地下壕などから脱出し,自分たちの考えで行動しなくてはなりません。つまり,指揮官が戦場でいないことになります。情報もなにもありません。そして6月下旬,激戦地では,沖縄守備が壊滅し,牛島司令官は生き残った全兵士に対して降伏することは許さず,最後の最後まで戦うことを命じて自らも自決することになります。牛島司令官は,とても教育熱心な御方であったようです。

牛島司令官の自決後も兵士たちはアメリカ軍の凄まじい攻撃から逃れることも出来ず,ここでもまた多くの地元住民と兵士が亡くなりました。3月の学徒動員から解散命令が発令されるまでの90日間,ひめゆり学徒の犠牲者は19名であるのに対し,解散命令後のわずか数日間で100名あまりが亡くなることになったのです。指揮官を失い,自分たちの周囲はすべてアメリカ軍の兵士たちです。そして,行き場の無くなった学徒たちは父親と母親の名前を叫び続けて自ら命を絶つ学徒が続出し,学徒たちはアメリカ軍に捕まることを最も恐れ,手りゅう弾で自決した学徒さんもおりました。

戦争は,軍人だけが戦う訳ではありません。それを沖縄戦が後世の私たちに教えてくれています。このひめゆり学徒隊の悲劇から私たちは何を学ぶことが出来るのか,そしてその想いを後世の人へ伝え残す役割があるのだと考えています。

そして,本日,正午より天皇陛下,皇后陛下の見守る中,日本武道館にて全国戦没者追悼式が斎行されました。

激しい沖縄の激戦地で犠牲になられてしまった御霊に心より供養させて頂きたいと思います。

大 々 合 掌

届け!この祈り。音矢と鳴りて 今 放たれよ! 花咲 あさひ 拝

ひめゆり平和祈念資料館 公式ホームページ:http://www.himeyuri.or.jp/JP/top.html


 

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互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,

共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合い,

如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気素直

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。

高天原(自分の心)にそびえる柱に,降ろせよ しかと神の音(波動)を。

神の音を柱に降ろし,言葉に変えて,実地に移し,日々の努力を忘れずに,人を活せど手柄になし。

たとえ独りになろうとも,神に仕えし喜びと,己を尊び誇りをもちて,こころのみはしら種を蒔き。

たとえ困難苦難に出会えども,ただ只管に自分を信じ,こころのみはしら(心柱)成長させん。

この御霊の奥の奥,神を宿す人の努めよ。

2017.12.31 前段部 完成

補足:前々日に富士山へ行った際に富士山の神さまの御心を自分の心にそびえる九つの柱に音(波動)を降ろして観ました。

そして,富士山の神さまの御心をブログのテーマに沿って未だ前段部ですが,祝詞を作成してみました。

後段部は,虹色「七色」の輝きを放つ白山の神さまのところで作成したいと思っています。いつになるか・・・。

大自然と観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


自分の良心こそ祈りの対象です。2

2018年01月03日 00時00分00秒 | 反省の心柱

動画は「伏見稲荷大社の不思議な世界」です。御神体のお話も出て来ます。

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こんにちは。早速,昨日の続きを。自分の良心こそ祈りの対象です。1

その昨日の記事後半で,富士山やその周辺に心ない登山者や不法投棄をする輩について書きました。

そして,近年のパワースポット現象(ブーム)による御神体への入山に対しても書かせて頂きました。今日も過去記事から一部を抜粋してあるお父さんのことを紹介させて頂きます。そのお父さんは,娘さんが中学の修学旅行で京都と奈良に行った時のお話です。

~一部抜粋~

娘さんが修学旅行から帰宅し,父親のお父さんと修学旅行の思い出しを話している際,お父さんが娘さんに一番思い出に残った場所はどこだった?と聴いたらしいです。すると娘さんは,京都にある伏見稲荷大社が一番印象に残ったとお父さんに話します。

すると,そのお父さんは「きっと,子供たちは普段の生活からの解放感と想いで作りで夢中になり,伏見の神様の神域でワイワイガヤガヤとハシャギ無礼を働いていたに違いない」大変申し訳ないことだから伏見の神様の下へ謝罪しに行こう」と云って後日,伏見稲荷大社へ謝罪の為に参拝し,先ず,拝殿にて「私の子供が修学旅行で,こちらに参拝させて頂いたようです。」「しかし,その際に,ワイワイガヤガヤと騒いでいて神様の神域を穢すようなことがあったのではないかと想い,親の私が謝罪の参拝に参りました。」「子供たちの無礼をお許しください」と無礼があったかもしれないことをお詫びし,一つひとつの御宮にも参拝されていたようです。しかし,後方に位置する稲荷山には入山されなかったようです。鳥居からの遥拝で終えたと話しておりました。それはなぜかと申しますと「初めて参拝させて頂く神社で,最も重要で大切な御神体に入山することはあってはならないこと」であるからと云う理由でした。ここまでするか?と思える行動ですが,お父さんにとっては真剣な事と捉えていた様子でありました。

これはちょっと余談ですが,そのお父さんの謝罪の参拝後,数か月が経過した頃,お父さん方の住む地域で竜巻が発生し,テレビニュースでも大きく取り上げられました。しかし,お父さんたちが暮らす家だけは窓ガラスが1枚割れた程度で無事に済んだようですが,目の前の工場も隣の住宅も後ろの家も大変な災害に遭われたようです。私も実際に,お父さんに竜巻の状況についてお話を伺いましたが,お父さん曰く「自分の家の前で竜巻がジャンプして通り過ぎて行った」と話していて,あんなことが本当にあるんだと不思議そうな顔をされ,近所のみなさんに何だか申し訳ない気持ちになると話していたのが印象的でありました。

~一部抜粋~ 終わり

伏見稲荷大社へ謝罪の参拝をしたから竜巻の災害から救ってもらえたのだと無理やり結び付けたいのではありません。やはり,普段から感謝の気持ちで暮らし,素直に反省できる行為は,とても共感が出来ますし,清々しい気持ちにもさせて下さいます。それと同時に,その純粋で無垢なる気持ちは必ずや自然は受け取ってくれると私は思っています。信じるべきは自分自身の良心であります。

さらに明日に続きます。拝


 

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こころのみはしら「心柱」祝詞 (作)花咲 あさひ

互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,

共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合い,

如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気素直

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。

高天原(自分の心)にそびえる柱に,降ろせよ しかと神の音(波動)を。

神の音を柱に降ろし,言葉に変えて,実地に移し,日々の努力を忘れずに,人を活せど手柄になし。

たとえ独りになろうとも,神に仕えし喜びと,己を尊び誇りをもちて,こころのみはしら種を蒔き。

たとえ困難苦難に出会えども,ただ只管に自分を信じ,こころのみはしら(心柱)成長させん。

この御霊の奥の奥,神を宿す人の努めよ。

2017.12.31 前段部 完成

補足:前々日に富士山へ行った際に富士山の神さまの御心を自分の心にそびえる九つの柱に音(波動)を降ろして観ました。

そして,富士山の神さまの御心をブログのテーマに沿って未だ前段部ですが,祝詞を作成してみました。

後段部は,虹色「七色」の輝きを放つ白山の神さまのところで作成したいと思っています。いつになるか・・・。

大自然と観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


若者が活躍できない社会に未来はない。

2017年12月12日 00時00分00秒 | 反省の心柱

こんにちは。昨日の記事の冒頭で,郵便局でのアルバイト先のお客さまが九鬼家出身と書かせて頂きました。

その九鬼家とは?もし宜しければ「ウィキペディア」を参照してみて下さい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E9%AC%BC%E6%B0%8F

 

以下は「2016.11.20」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/ec02d1af481c4463e79dc4f15d815af7記事です。

こんにちは。きっと,これから社会は大きく変貌して行くことになることは誰にでも解っていると思います。しかし,どのように社会が変貌して行くのか,その形成過程を知る人は誰もいません。ひとつの文明が終わろうとしていて,新たな文明を受け入れることの出来る人とそれに抵抗する人たちで一時,混乱する時期に差し掛かってくるかも知れません。もしかすると既にその中に居るのかも知れませんし,その大きな渦の中に居るから判らないのかも知れません。だとしても,自分を信じ,己と共に生きて生きて行かなければなりません。そんなことを感じていると困難な立場に立たされている人にとっては生きにくい社会であることが解ります。

これまで常識とされて来たものが非常識となり,経済を成長させることが何故必要なのか。法律を整備すれば人は豊かに平穏に暮らして行けるのか。医学で健康な体を手に入れ,病を治すことが出来るのか。科学で宇宙の仕組みを知ることが出来るのか。今現代に起きている様々な事象を説明することは困難なことであろうと思います。天変地異はその最たる現象でしょう。何かあれば想定外。

インターネットの普及で知りたい情報を直ぐに入手できる便利な時代ですが,その入手した情報の信憑性は信頼できる情報なのかどうかまでを入手する人はほとんどいません。これをやるとキリがなくなってしまうからです。情報操作に,情報封鎖。これで幾多の犠牲が生まれたか。日本の歴史を勉強すると犠牲になるのは,いつも若者。近現代史は特にそうでした。与えられた情報を疑うことも知れず,最後の最後まで信じ続けていたのは疑うことを知らない若者です。若者が活躍できない社会に未来はない。以前,アジア諸国のどこの国か忘れましたが「一年の計は穀を樹うるに如くはなし,十年の計は木を樹うるに如くはなし,終身の計は人を樹うるに如くはなし」と云う言葉がありました。これをいろいろな例えで説明される人も多くいらっしゃいますが,自国の将来を憂う気持ちがあるのなら人を育てることだと思います。相手の国と戦うことを決める前に,その国の若者の顔をよく観なさいと云う事なのかも知れません。一番信用のおける情報と一番信憑性のある情報は,自分の心「良心」だと云うことが判って来ました。拝


  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


言葉の乱れは心を汚し精神を穢す元の本。

2017年12月03日 00時00分00秒 | 反省の心柱

上の写真は観音信仰の根本道場である総本山 長谷寺です。

日本には太古より言霊信仰と云う信仰形態が存在します。つまり,言葉の一つひとつには精霊が宿ると云うものです。そして,その言霊を畏れ,とても大事にしている宗門宗派があります。

それは,曹洞宗と云う禅宗です。福井県の永平寺町にある禅の根本道場でもある大本山 永平寺に拝観に行きますと,若い雲水(修行僧)さんが拝観者の為に,伽藍「禅宗特有の七伽藍」を一つひとつ丁寧に説明して下さいます。

この説明も雲水さんにとっては大事な修行の一つです。つまり,禅の根本でもある作務です。それは,雲水さん自身が,拝観者の人と呼吸を合わせること修行しているのです。同化思想や同体思想とも云われます。たとえば大木の前で坐禅をすれば大木の呼吸に合わせ大木と一体となるという感じです。これには対象となる音(波動)を観れなければ一体となることは出来ません。

その案内で「雲水は便所や欲場では絶対に言葉をしゃべりません」と言われます。何故か?水を穢すことを畏れているからです。古神道でも水を汚すことは絶対禁止行為なのです。理由は以前,ブログでもたくさん説明して参りましたので,ご自身が感じ,思うキーワード「言葉」で検索されてみて下さい。人によって調べ方が違うというのも大変興味深いことでもあります。

大本山 永平寺。大変素晴らしい禅の根本道場です。一度,参拝されて見て下さい。永平寺そばもおすすめです。拝

それでは過去記事をご紹介させて頂きます。

以下は「2016.12.1」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/6a3615ad5f6bea0d395c3f53f445dced記事です。

こんにちは。いよいよ今日から12月が始まりました。今年も残すところ1ヶ月のみとなり,時間(感覚)の短縮に伴い本当に時の経つのが早くなりました。あっと云う間に今年も終わることでしょう。又,15日を過ぎればお歳暮や御世話になった方への挨拶,カレンダー配りとほとんど仕事と云う仕事が出来ない時期でもあります。何とか15日前までにある程度の仕事は終えておき,残りの年末までの期間はお客さん回りと年始の準備に専念したいのですが,これもまた急な用事が突発的に入り難しいようです。

今日は,朝の祓い「掃除」をしている最中に,自分の日々の態度,どう云った生き方「姿勢」なのかを省みて観ました。ちなみに,私は掃除することを祓いと呼んでいます。御風呂に入ることは禊と呼びます。まぁ。それは良いとして,だいたい考え事をしている時は,祓いや禊の時が多いです。同時に,何か良い解決策や新しい妙案が浮かぶ時も祓いや禊をしている時です。そして今日もその祓いの時間帯に日々の態度や生き方の姿勢を自分自身に問うて観ました。すると,意外なことに不足するものを感じ,不足するものは何かを考えていましたら音霊が言霊に変換できました。内容は「祈り」「行じて」「省みる」と云う三つのキーワードでした。

いつもの如く,音霊はとても抽象的なのです。大は小を兼ねると云う言葉がありますが,まさにその通りで具体性に欠ける為,何に対してなのかが解らないのです。さっそく,音霊のキーワードを自分自身の心「高天原」の宮柱「心柱」に落としてみると,物事は三つ揃い,合わさることが重要だと云うことでした。つまり,祈りだけでも駄目。行ずるだけでも駄目。省みるだけでも駄目だと云うことです。三つ揃って一つに成るようです。祈りだけすれば豊かに平穏に暮らせるなんてことはあり得ませんし,行ずるとは仕事ですから仕事だけしていても心労や疲労だけが溜まり続けてしまいます。要は,心にゆとりもなくなり,視野も狭くなる訳です。また省みるだけでも何時も弱々しい感じもしますし,遠慮ばかりする様になってかえって自分の周りの人に気を遣わせてしまいます。

やはり,どんな物事にも「始め為り 終わり成りがあると云うように順序や順番,序列や段階が必要なのだと理解しました。

以前,第十一代垂仁天皇の皇女である倭姫命とは,どのような人物だったのか勉強していた時がありました。勉強と云っても御宮に参拝させて頂いたり,倭姫命の生涯を簡単に勉強した程度です。その倭姫命が残したと云われる御言葉が「倭姫命世記」に記載されています。そこには下記のように読むことが出来ます。今を生きる私たちにも大変,為に成ることが書かれています。

人は天下の神物なり。心神を傷ましむことなかれ。
神は垂るるに祈祷をもって先となし,冥は加うるに正直をもって本となせり。
神を祭るの礼は,清浄をもって先となし,真信をもって宗となす。

黒心なくして,丹心をもちて,清く潔く斎り慎しみ,左の物を右に移さず,右の物を左に移さずして,左を左とし右を右とし,左に帰り右に回る事も,万事違う事なくして,大神に仕え奉る。元を元とし,本を本とする故なり。

上記のような御言葉を残されております。倭姫命をお祀りされている御宮は三重県伊勢市楠部町5に御鎮座されております。

日本には,元々,御互い様と云う言葉があります。人生において自分の力だけでは困難なことがあるのだから,困った時はお互い様ですと云う意味です。最近は,意味不明な言葉に自己責任と云う言葉が流行り出し,なんでもかんでも自己責任だと云われています。今日も意味不明な終わり方ですが,祈りを以て行を成し,終わりを以て省みる。これを繰り返し,繰り返し日々の生活面で実践することで意義のある人生を送れるように感じています。幾千年時代が経過しようとも真理の言葉は変わらないようです。


 

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


母の宮に宿りし幼き御霊 無念の一心何処に逝かずや 

2017年11月30日 00時00分00秒 | 反省の心柱

女人高野 室生寺の十一面観世音菩薩さまです。

以下は「2017.1.13」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/0d2a44c8200788739326a17c34a48e2d記事です。

こんにちは。

今週末にかけて大雪が降る地域があるそうなので,除雪や屋根の雪下ろしの際は十分気を付けて下さい。毎年毎年,この時期になるとニュースなどで雪掻きの作業中に怪我をした等の話がされています。高齢化が進み,限界集落や若い人が少ない地域は大変な重労働です。毎年の事ですので,産学官連携して何か良い施策があればといつも思います。

最近は,神様から授かった子供(御霊)を中絶する人が多いような気がしています。私が毎日仕事で会う方の中にも数霊の水子をもつ方がおります。人それぞれに異なった事情があるとは思います。たとえば,未成年で就学中の子であったり,経済的理由であったり,婚姻関係以外の人との間に出来た子供であったりと様々であろうとは想いますが,せめて生まれて来ることの出来なかった子供の為に供養だけは欠かさずして頂きたいと思います。所謂,水子供養ですが,この水子供養をしている人は実に少数です。

肉体を持てなかった霊魂は関係ないと考えているのか何なのか理解できませんが,中絶を繰り返す女性,そして中絶を繰り返させる男性の人に共通しているのが水子の供養をしていない人です。関心すらない人も多くいます。そう云った方に,私がよく話すのが霊的なことよりも子供が母親の子宮(御宮)に受胎するまでには壮絶な競争があり,奇跡の連続であると云うことです。それは正に神秘の世界です。今は便利なインターネットが存在しますから,簡単に生命の誕生までを学ぶことが出来ます。

又,神道には神社と言うものが存在します。どこの神社でも鳥居をくぐり,参道を歩いて,最後に御宮で神様に参拝するように配置されています。神道では無言の教えと云うものが存在していて,この鳥居,参道,御宮と云う配置にもちゃんと意味があるのです。

それは何かと申しますと,つまり,母親の身体を具現化したものです。

子供が受胎する子宮は「御宮」です。子供が生まれる膣は「参道」です。そして,母親の股が「鳥居」になります。

水子の供養もしなければ,御宮を穢すことに繋がり,もっと最悪なのは穢すことを繰り返したまま放置することです。この報いは生きている子孫が背負い続けることになります。なぜなら,人の肉体はなくなってしまっても霊魂は一定のあいだ家族や子孫と生き続けるからです。どんな有名な僧侶に供養を頼んでも,どんな立派なお墓を建立するだけでは殆ど意味がありません。

なんと言っても生まれて来ることが出来なかった水子の御霊が一番喜ぶのは,母親と父親の愛情です。気を向けられることで安心して行きます。些細なことでも良いのです。ご飯を家族で食べるとき,お風呂に入るとき,夜寝るときなど一緒に食べよう,一緒に入ろう,一緒に寝ようと気を向けてあげるだけでも供養になります。そして,その母親や父親の愛情の想いは必ず水子に届きます。

母の宮に宿りし幼き御霊 無念の一心何処に逝かずや 

合 掌


   

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


我を捨てなければはじまらない。

2017年03月21日 10時10分10秒 | 反省の心柱

こんにちは。

本日も葉室頼昭先生の著書「神道 感謝のこころの中から,一部をご紹介させて頂きたいと思います。

以下,神道 感謝のこころ 「我」を捨てなければはじまらない。より

神さまからのお恵みをいただきたい,神さまを知りたい,神さまを見たいと願ったとします。

それでは,いったいどうすれば神さまを知ることができるのでしょうか。

神さまの世界は理屈の世界ではありませんので,どれほど説明しても,言葉では神さまを表現したり説明することはできません。

つまり,神さまを知るには自分で体験するほかないのです。

その第一は,神社でよく行われる祓(はら)いです。罪(つみ)や穢(けが)れを祓うことです。

罪とは悪いことをした罪ではなく,神さまからいただいた素晴らしい人間の姿を,包み隠してしまうことを指します。

穢れとは,汚いということではなく,人間を生かしてくださる神さまの気を枯らしてしまうもののことです。

まずこれを祓うことです。

昔から人間は,自分たちが知らない間にいろんな罪穢れを身につけてしまい,それによって病気になったり,いろいろな不幸事が起こることをよく知っていました。

それを祓うために6月と12月の晦日(みそか)に大祓をして,半年の間に身についた罪穢れを祓って清い体になり,健康で幸せな人生を送ろうとして,ずっと昔から神社でお祓いの行事が行われているのです。

この罪穢れのなかでいちばん大きなものが「我」(が)だと私は思っております。

神さまのお恵みをいただきたい,神さまを知りたいという人はよくいらっしゃいますが,

こうした場合,まず自分の「我」をなくしなさいと申しあげております。

神道的生活の基本は「神さまの恵みと祖先の恩とに感謝」ということです。

自分の力で生きているんだと思うと,そこに必ず「我」が出てきます。

この「我」をなくすためには,なにごとも神さまのお恵み,祖先の恩によって生かされているということを実感することが非常に大切なのです。また,こういう生活をしないことには,本当に神さまを知ることはできないのです。

祓いの力と自身の精進によって「我」がなくなったとき,実感としてすべてに感謝の気持ちを抱くことができます。

ただただありがたくて,生かされていること自体がありがたいと思うようになります。

何々なんだからありがたいということではありません。理屈ではないのです。

子供の入試合格を神さまにお願いして希望の学校に入学できた,健康をお願いしたら病気が治った,お金が儲かった・・・。

だからありがとうございますというのではないのです。

こういうときに「ありがたい」というのは,本当の感謝ではありません。

入学祈願して希望の学校に入れなかったとしてごらんなさい。「なんだ,お願いしたけどさっぱりだ,聞いてくれなかった」となって感謝しないでしょう。

これは,感謝ではなくて取引です。

お願いしてご利益(りやく)があったらありがとうと言うけれど,そうでなかったら感謝しないというのではないのです。

感謝というのは理屈のない感謝です。

ありがたい,ただありがたいという気持ちが,本当の感謝なのです。

以 上 


宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 祈り行じて省みる。                                                             感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えています。                                            一隅を照らす人であれ。その命ある限り。花咲 あさひ 拝                   ブログ開設282日目 記事数第217記 反省の心柱