花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

平成30年度 春の祖霊感謝祭

2018年03月18日 08時34分26秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。毎月18日は,観音さまの縁日であります。

そして,今年も本日18日から無事に,春の祖霊感謝祭を迎えることが出来ました。

先ず,地域の氏神さまに祖霊感謝祭の報告をしてお供えものの買い出しに出かけてからになるので,毎年初日は午後からになることがほとんどであります。私ぐらいの年代の若い世代は,自分の自宅に仏壇がある人もとても少なく,お墓詣りにもいかない人が多いのです。したがいまして,ほとんど祖霊祭祀「先祖供養」をしている人もあまりいないようです。祖霊祭祀は,超太古の昔から私たちの先祖が続けて来た,日本独特の祭祀文化の一つです。何万年も前から祖霊祭祀「先祖供養」がされて来たのであります。

亡くなった祖霊の御霊を供養する行為と云うのは損得感情でするものでもなく,自発的に自分からして行くものですから,私がこのブログでああだこうだと言うのも変なことであります。しかしながら,祖霊の御霊を供養すると云うことが,どれ程のことなのか?誤解を招く言い方かも知れませんが,生きている我々子孫にどう云った影響を与えるのか?は拙いブログで恐縮ですが過去記事にもたくさんありますので宜しければ読んで頂きたいと思っています。祖霊祭祀は,わたし達が考えている以上に影響しています。

我々と共に生き。我々ひとり一人の御先祖さま。

過去,日本の歴史をちょっとだけ辿っても解かる様に,現代よりも,ただ生きて行くだけでも厳しい激動の時代がありました。飢餓などの苦しみを伴う苦難の時もありました。戦いの連続の時代もありました。過去さまざまな時代をひたすらに生き抜いた我々の先祖を誇りに想い,祖霊を尊び祖霊に感謝の祈りを素直に捧げる。その幾多の祖先を代表して生きる現代の我々子孫たちです。

我々ひとり一人に微笑み,寂しい時には,我が子を包み込むようにそっと抱きしめ,時には叱咤し,楽しい時にはともに喜び,片時も離れず天国で我々子孫を守護して下さっています。そこにあるのは,ありとあらゆる物質を遙かに超越した慈悲即ち,愛のみで御座います。祖霊祭祀に代理人は必要ありません。大自然と祖霊と直接,自分自身が繋がることこそ真の祭祀継承者であります。

この一週間,いろいろな人が,さまざまな形で祖霊の御霊を供養されて行くと思います。人によっては,自宅に仏壇や供養するような仏具も位牌もない人も結構多いと思います。しかしながら,モノがなければ供養は出来ないと云う心意気でも少し変なことであります。そういった祭祀としてのモノがなくても,自分自身の心の中で先祖に感謝することは,いつでもどこでも出来る供養ではないでしょうか。自宅の近くの神社に参拝して,神さまに感謝を奉げることも祖霊の安寧を祈ることも立派な祖霊祭祀であります。

先祖供養をすれば何か良いことがあるとか何かの願いが叶うとか,先祖供養を霊的現象の道具に使い,自分だけ生き延び様とすることだけは慎みを以て行かなければなりません。それを祈ってしまうと祖霊の御霊は嘆き悲しみを伴い真逆の行為「供養」となってしまいます。その祖霊の負の念(波動)は,子孫に伝わり生きて行く上で,必要のないものへと変化してしまうものであります。

祖霊の為に,何か自分に出来ることを探す行為も考えも立派な祭祀であり,尊い継承者です。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝