花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

戸隠神社に善光寺。それと御線香のお母さん。

2018年03月15日 10時10分10秒 | 歓びの心柱

こんにちは。上の写真は,戸隠神社さんのHPからお借り致しました。戸隠神社「奥宮」に続く参道です。

昨日は,仕事の出張で長野県に行って来ました。本来であれば,現地で1泊するような内容でしたが強行に日帰りで夜中に帰って来ました。当日0時頃に自宅を出発して長野県に向かい,高速道路のサービスエリアで少し仮眠をとって長野県に到着したのは朝の8時ごろでありました。しかし,お客さんと会うのにまだ2時間前後,時間があったので戸隠神社(中社)へ参拝をさせていただくことにしました。朝の長野市街の渋滞を抜け,長野市内から善光寺を通り過ぎて山道を自動車で走りながら上って行ったのですが,ちょうど飯縄高原を過ぎたあたりから周辺の山や路肩には雪がまだ相当残っておりました。戸隠神社へ参拝させていただいたのは,これで2度目です。日本神話「岩戸開き」にも登場する戸隠であります。戸隠山を御神体とする古神道系の神社であります。

又,戸隠と云えば「戸隠そば」でも有名です。私もお客さんに贈る御中元や御歳暮は戸隠そばと永平寺そばに決めております。これがなかなかお客さんに好評で,戸隠そばをはじめて食べる方には凄く喜んでいただけます。美味しいお蕎麦を打つのに欠かせないのが,何と云っても良質なお水です。ここ戸隠一帯も湧水が豊富で良質な御水に恵まれていることでも有名なところであります。

戸隠神社(中社)に到着し,西口参道に整備された駐車場に自動車を止めて,神域内に入って見ると神域内は雪が多く残っておりました。参道の一部以外は,路面もほとんど雪が積もっています。朝の早い時間でしたので,参拝に来られる人も数人の方のみで静かで落ち着いた清々しい神域です。さっそく,御社殿で参拝をさせていただき,御社殿の前にそびえ立つ御神木にも挨拶をさせていただきました。それと,毎朝の日課でもある太陽拝(日拝)もしていなかったので,朝の光り輝く太陽神に御社殿の前で日拝をさせていただくことにしました。神社に到着してから帰るまでの参拝の時間は20分くらいしたがとても清々しく気持ちが良かったです。

その後,お客さんの自宅へ伺い,お客さんと共に前半の打ち合わせを行いました。いくつも協議する内容があり,又,見学や訪問や調査に行く場所もあったので協議は節目の良いところで一旦中止し,あちこち長野市内をチョロチョロとまわり何とか14時頃に前半を終えました。後半の協議は最終的に夜の8時30分頃までかかり,それから急いで自動車で高速道路に乗り,自宅に到着したのは夜中0時を過ぎていました。そんな強行スケジュールでしたが,とても興味深いと申しますか一期一会の出会いもありました。

それは,仕事の関係で善光寺さんへ行った時のことであります。いまいろいろと話題になっている善光寺さんです。良い話で話題になるのならまだ良いのですが,紛争に纏わる話題は参拝者にとっても良いものではありません。詳しい事情は,お寺の内部の人だけにしか解りませんが善光寺の責任役員と檀信徒さんには,護持の精神を以てこれからも寺院の運営をお願いしたいと思います。

それはそれとして,その興味深い一期一会の出会いとは,仕事以外に善光寺さんへ行ったもう1つの理由がもたらしてくれた話であります。その理由は,今月18日から始まる春の祖霊感謝祭用の御線香を買う為(品を定める)でした。はじめは,善光寺さんの売店で御線香をと思いましたが,売店に入ってみると私が予定している長寸(長い御線香)は販売されておりませんでした。今は祖霊感謝祭「先祖供養」を日々されている人も少なくなっているせいか,お寺の売店であっても置いて並んでいる御線香の種類も数もあまり多くありません。どこの寺院さんでも,ほとんどが御守りや記念品のようなものであります。善光寺さんでも同じであります。残念に思いながら,善光寺さんの門前にあるお店を数軒回りましたが,やはりお目当ての長寸線香がどこにも置いてありません。

後半の打ち合わせも控えていたので,これも縁だから仕方がないかと諦めていたのですが,なんと,最後に入った仏具店さんにお目当ての長寸御線香がズラリと並んでおります!しかも,普段わたしが使用している御線香も置いてあり,憧れの伽羅も置いてあります!それ以外にも長寸御線香が豊富にたくさん並んで置いてあるのです。線香界のスーパースターが勢ぞろいです。御線香マニアの私にとっては,御線香の箱を見ただけでもワクワクしてしまい,思わず嬉しくなって感動してしまいました(笑)。

さっそく,いろいろと御線香を眺めていると店の奥からお母さんが「いらっしゃい」と声を掛けて出て来てくださいました。とても優しそうなお母さんです。そのお母さん曰く「御線香は,値段の高い香木とかでなくても,手ごろな値段の御線香もとても良いよ」といろいろな御線香を紹介してくれて「その中でも,私が良いと思うのはこれ」と言って薦めて下さいました。きっと,無理に高いものではなくても,自分の身の丈にあった出来る範囲のもので御先祖さまは十分喜んでくれるよと言っているのだと思いました。もっと言えば,私の先祖か善光寺の観音さまが仏具店のお母さんの口を使い語りかけてくれたのだと帰宅してから感じています。

一期一会に感謝。仏具店のお母さん。ありがとう。

これで春の祖霊感謝祭の御線香が決まりました。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


ありがとう。これが森羅万象の中心です。2

2018年03月14日 00時00分34秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

昨日の記事「ありがとう。これが森羅万象の中心です。」の続きを書かせて頂きます。

わたしたち日本人が,普段何気なく使っている日本語には,古から言霊と云われひとつの信仰の対象とされて来ました。又,ありがとうと云う現代の日常でよく耳にする言葉にも,たとえ私たちが意識せずとも言霊を宿しています。感謝の意を言葉で表現した「ありがとう」は,単なる50音の繋ぎ合わせではないのであります。自分の心の中に存在する根源的な存在と大自然に,そして祖霊に「ありがとう」と素直に言えることは素晴らしいことだと思います。神と人が合一する訳であります。それが,ありがとうです。

もしかすると,仏教の宗派によっても主題は違いますが「南無阿弥陀仏」も「南無妙法蓮華経」もその文字に隠された本当の意味と真理は「ありがとう」なのかも知れません。自己に内在する仏性に気が付く為には「ありがとう」の方が,私には肚に落ちます。

又,日本人は,人に会ったときに頭をさげます。こんにちはと軽く頭をさげたり,深く頭をさげたりしています。時と場合によって挨拶やお辞儀の仕方を変えたりしていますが,この日本人の挨拶もちゃんと意味があるのです。たとえば,深く頭をさげてお辞儀する意味は,相手の過去・現在・未来に感謝すると云う意味も含まれているのです。さらに,相手の先祖にも両親にも出会いを与えて下さり「ありがとう」御座いますと云う意味も包含しているのです。つまり,相手の人生すべてにありがとうと感謝の意を自分の身体で表現しているわけであります。世界の国々でも他の民族でも,ここまで挨拶一つに大きな意味のある国も民族もいません。

何年か前,今上天皇にアメリカのオバマ前大統領が謁見し,頭を深く下げて挨拶したことがアメリカの国内で「頭を深く下げ過ぎだ」とブーイングになっていたようです。国際社会の常識からすると正しいのですが,それぞれ国の挨拶の仕方は違う訳ですし,そんなに言わなくても良いのではないかと思ってしまいます。アメリカでは要人であっても他国の人に頭を深く下げることに抵抗感でもあるのでしょうか。あるとすれば日本と日本人の性質を知らない証拠です。謙虚で,人格者ほど腰が低くて偉ぶらない方が,日本人に与えるイメージが良いはずなのに少し残念であります。外国の人に比べ,日本人ほど挨拶に気を使う民族はいないと思います。

実るほど首を垂れる稲穂かな。こんなことわざもあるのですから。

外国の人からすると日本人は直ぐに頭をさげると不思議に思われるようですが,わたしたちの国,日本には日本の文化や伝統が遙か何万年も前から脈々と続いて来ているのです。数百年,数千年ではなく数万年も前から続いて来ているのです。どちらが良いとか悪いとか言いたいのではなくて,私たち日本人は,自分の国の文化や伝統を知らな過ぎているのではないかと私自身が不知であることも含め反省の意味も込めて書かせて頂いております。縄文時代以前に栄えたカタカムナと云う言霊信仰を主軸にしていた高度な文明も世界で最も平和であった縄文文明も知れば知るほど日本と云う国柄と日本人と云う不思議な民族の素晴らしさが判ります。

そして,今年もいよいよ春の祖霊感謝祭が始まります。

日常生活でも仕事でも,神恩感謝に心音感謝。毎朝毎夕祖霊に感謝であります。拝


 

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又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

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ありがとう。これが森羅万象の中心です。

2018年03月13日 07時22分55秒 | 感謝の心柱

こんにちは。今日は,一之宮に御酒を奉納して,神札を新しい神札に交換して参ります。私は一年間の間に3回くらいは神札を新しい神札に交換しています。最近,昔に比べると神社に参拝される人が何だか増えているように感じています。それも比較的,若い人たちが多くなって来ているようです。若い人たちが,自分の住む地域の氏神さまに素直に感謝を捧げることが出来ると云うことは,とても良いことです。何か自分の願いを叶えて貰おうとする参拝ではなく,日々の生活に感謝できる心と云うものは尊いことです。

できますれば,多くの人々が,大自然に感謝の気持ちを誰も介在させることなく出来れば良いなと思っています。純粋無垢な感謝の気持ちは必ず大自然に届いています。そしてその素直な想念は,自分自身に反射されて来ることなります。特別,何か呪文のような言葉を捧げるのではなく「ありがとう」これだけで良いのであります。なぜならば,この「ありがとう」と云う言葉は感謝を表す言葉として私たちは何気なく使っていますが,これは言霊信仰の中心でもあり,最強の祝詞でもあるからです。理屈を超越します。

わたしたちの国「日本」には,一つひとつの言葉,つまり一音一音に神さまの分霊が宿ると云われています。言霊信仰と云われて来た古の信仰形態です。たとえば,ひらがなの50音の一つひとつに神さまの分霊が宿っているのです。一音一音を組み合わせ,それを繋げて私たちは普段何気なく会話をしています。その一音一音の組み合わせの中でも森羅万象を顕す言葉「言霊」があるのです。

それが「ありがとう」と云う5音であります。ありがとうと云う5音の言葉「言霊」の組み合わせと繋がりは,実は,宇宙の根源的存在「根源神」は,自分の心の中に坐します云う意味があるのです。これが世界すべての宗教や信仰の元の本であると私は感じています。万物・物事の始まりであり,物事の中心でもあり,和の中心でもあるのが「ありがとう」と云う言葉の意味であるのです。

つまり,森羅万象,万物の中心なのです。私たちに馴染の深い現代の神社神道も仏教も「ありがとう」が起点となっています。人間の心は宇宙と繋がっていると言われる所以でもあります。大自然に感謝を捧げること氏神神社で感謝を捧げることの意味もここにあるのです。したがいまして,神社や寺院に行って自分のお願い事を金銭を払ってするような祈願信仰とは全く違うのです。

素直に感謝のありがとうだけで十分です。こんな事を書くと,神社やお寺の宗教家のみなさんに怒られると思いますが,ちゃんと護持や国体・政体を勉強して頂きたいと思いますし,それこそ神さまを商売に利用しているよなものです。そもそも発想が貧困ではないでしょうか。神社やお寺で交通安全の祈願をすると本当に事故を起こさないのですか?身体健康の祈願をすると本当に健康でいられるのですか?そんなことは小学生でも判ることです。それは,私たちの国「日本」にあるべき本来の信仰ではありません。

また明日,続きを書かせて頂きたいと思います。拝


 

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又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

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お地蔵さまの鎮魂の祈り。

2018年03月11日 14時46分18秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。がんばろう!日本の旗は,わたしの事務所に7年前からある狼煙です。その直ぐ右側には,縁のある神さまを神棚でお祀りさせて頂いております。

昨日は,東京大空襲から73年目を迎えた日でありました。そして,今日は,あの未曾有の巨大地震「東日本大震災」から7年を迎えた日であります。人によって個人差があると思いますが,私にとっての7年と云う歳月は,そんなに経つのかと思いたくなるほど月日た経つのが早いと感じております。毎日のようにブログで自然の脅威と猛威を書かせて頂き,何よりも大自然へ感謝して過ごすことの大切さを未熟ながらお伝えさせていただいて参りました。地震に噴火,洪水に竜巻と日本のどこに住んでも安全だなんて言える場所はもはやありません。

これまで私たち人間は,自然の生態系を狂わせ,壊してきました。そのことで起こる自然災害は,むしろ私たちが招き入れた人災でもあるわけであります。自然と共に共生することの大切さは,私たちの遠い祖先から子孫へ言い伝えられてきたことでもあります。それは何故なのか?私たち人間が,自然や環境を破壊するとその報いは必ずや自分たちの子孫が受けてしまうからに他なりません。

東北の被災地でも,先祖が子孫へ石碑を用いて「これより先に住居つくるべからず」と警告碑を建てています。数千年の歴史のある神社の配置も見事に津波が到達するギリギリの場所に意図的に建立し,当時の人々が後世の子孫たちの身を案じていたことの証であります。そこに,自然と共に暮らし,自然によって生かされていることへの感謝を捧げ,海の神さま,大地の神さまをお祀りして来たのです。地震があったら神社へ逃げろ!と最後には神さまのもとへ集まり,互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,ともに手を取り,手を握り,過去幾多の大災害を私たちの先祖は見事に乗り越えて来たのであります。そう言ったことの上に,私たちは生きていられるのです。これが和の民である日本人です。

自分たちの世代だけではなく,次の世代もその次の世代にも,どうか無事で暮らして行けますようにと云う祈りなのであります。そうした先祖の想いは,今でも言い伝えや口伝,石碑や文献「文書」として私たち子孫の身を案じ,知らせてくれています。日本全国各地に先祖が子孫へ残した言い伝えがどれぐらいあるのかは存じませんが,きっと膨大な数だと思います。その子孫たちへの先祖の想いと云うのは,生きている間だけではないのであります。あの世に帰っても私たち子孫の身を案じて下さっています。

しかも,その祈りは,私たちの先祖だけではありませんでした。

私が体感したことで大変恐縮でありますが,東日本大震災によって被災してしまった寺院を復旧する目的で,関東地方のとある寺院へ伺い参道を歩いている途中に,フッと何気なく無縁仏さんの合祀塔を観てみると普段は正面を向いているはずのお地蔵さまが斜めの方向を向いたままになっておりました。既に,地震から数日が経過していた頃だった思います。きっと,地震の影響で,お地蔵さまの向きがズレてしまったのかと一瞬思いましたが,その時,お地蔵さまの音霊「波動」が,私の心柱に降りて来ました。実は,お地蔵さまが向いていた方向が東北の被災地方向だったのです。その光景は,今でもよく覚えています。同時にもの凄い慈悲の波動を感じるのです。じっと被災地を合掌しながら見つめる御姿は言葉には変えられない光景でした。被災地の様子を何百キロと離れた寺院からも見守り続け,被災者の避難所での様子と被災者の人命救助のようすを千里眼で観ていたのだと思います。

このようなお地蔵さまの祈りは,被災地以外の全国の寺院でもあったようです。長野県の六地蔵尊もすべての地蔵尊が被災地の方向に向きを変えていたと報道されていたようです。お地蔵さまは,観音さまと共に,私たちにとても身近な存在であります。ある時は,道端で行きかう人々の安全を見守り,ある時は,田んぼや畑の豊作を祈り,そしてまたある時は,子供たちの童話にも登場して参ります。それだけではなく,水子地蔵とも云われるように,水子さんの霊がすがる御仏さまとしても信仰され続けています。

お地蔵さまは,立場の弱い人や御霊の側を決して離れません。

東日本大震災によって犠牲になってしまった御霊に心よりお祈りいたします。

合 掌


 

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風化させてはならない出来事。

2018年03月10日 18時33分41秒 | 怒りの心柱

大空襲によって,焼け野原となってしまった東京下町一帯です。

こんにちは。73年前の今日は,東京大空襲があった日であります。以下に掲載の文は,過去に記事にさせていただいたものですが,あらためて当時の様子を想像しただけでも凄まじい惨状であったと思います。当時の住宅家屋は,ほとんどが木造住宅ですからあっという間に火の海になってしまったようです。何処に逃げてよいのか判断も出来ずに居たことだろうと思います。

東京大空襲の当日,東京の下町一帯にB29爆撃機が最初に決行した作戦は,下町全域を囲むように高さ数十メートルの巨大な炎の壁をつくり,住民をその炎の壁の中に封じ込める作戦を実行しました。当然,住民は逃げることなど出来ません。炎の壁の中に封じ込められた住民を次に,B29爆撃機は超低空飛行で接近し機銃掃射で目視できる住民を徹底的に銃殺しました。

お年寄りであろうと,女性であろうと,子供であろうと関係なしに銃殺して行きました。

逃げ遅れた人々は,学校などの丈夫な建物へ避難しましたが,大空襲当日は,千葉県房総半島から入り込む強風の影響で巨大な炎の壁は猛烈な火災旋風と炎の竜巻を発生させありとあらゆる建物を焼き尽くして行きました。そうしたことも事前にカーチス・ルメイさんは本国の実験場で計算しており,下町の建物を破壊するにはどのような作戦が最も効果的で効率的であるかを繰り返し実験していました。その実験の成果は的中しました。計算通りに作戦は実行され作戦成功が本国へ届けられます。

大空襲の翌日,日本の大本営はあまりの悲惨さに昭和天皇の現地視察を拒みましたが,昭和天皇は自分の眼で現地の戦場を確認すべきとし,視察を実施されましたが焼き尽くされた人々を軍関係者の手によって大きな穴を掘り,その穴に無雑作に放り込みしたのです。その遺骨が未だに道路工事で重機を使い穴を掘ると発見されています。戦後71年(今年で73年目)を経過した今でもです。

戦後しばらくした頃だったと思いますが,新聞記者がカーチス・ルメイさんへインタビューした際に,東京大空襲をなぜ計画したのか訊くとカーチス・ルメイさんは「我々は,日本の軍事工場を破壊しただけだ」「日本は女子供でも工場で働いている」「その軍事工場とは下町の民家の中に多数ある」と話していたようです。いずれにしても罪もない人々をたった数時間の間に数十万人と云う大量殺戮を計画立案した元敵国兵に,我が国の政府が勲章を授与するなんてとんでもない話であります。戦争と云うものは,そういうものなのだと言われてしまえば返す言葉もありません。確かにその通りかもしれません。兵士同士が憎み合っている訳でもありませんし,恨みもありません。相手の兵士に待っている家族がいるんだなんて道徳的に考えていたら自分が殺されてしまいます。

以上が,過去ブログで2回程だったと思いますが掲載させていただいて来た記事であります。戦争と云うものは兵士だけが戦い合うものではありません。そのことを私たちは積極的に過去の歴史から学ばなければいないのであります。マスメディアの情報だけを信じることが,どれ程,危険なものであるのかを含めて見て行かなければならないのです。先の大戦でも新聞などの情報を信じ込み悲惨な戦争へと突き進んで行った過去があったことを忘れては行けないと考えています。決して風化させてはいけない出来事が,私たちの国にはたくさんあります。そして,日本人として,私たちの役割があるとすれば,次の世代へ伝え続けることであります。

東京大空襲において犠牲になってしまった御霊に心からお祈り致します。

 

合 掌


 

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覚悟なされませ。御覚悟を。

2018年03月09日 21時15分22秒 | 怒りの心柱

政体を司るはずの政治家の人々が毎度の如く騒がしいですね。

仏さまを出してしまったのですから御覚悟を。知らぬ存ぜぬは通用せぬ。

こんにちは。昨日の記事中で,日本人の底力について書かせて頂きましたが,日本人と云う心優しき不思議な民族は,別の一面をも合わせ持っています。日本人独特の優しさや思いやりを温かい心つまり,陽とすれば,それとは全く正反対の自己犠牲と云うものであります。これが陰に相当します。陰陽の陰です。誰かの為や組織の為に自分が犠牲になり,黙って自分が他人の罪も穢れも理不尽の一切のすべてを背負い込み,黙って独り責任を取るのです。これは昔も今もあまり変わりはないようです。良いか悪いかは別として,政治「政体」の世界でも企業社会でも同じのようです。人権尊重の外国の人には信じられない思考と行動であると思います。

日本には民族の根底に武士道精神があるのです。

日本固有の武士道精神とは楠正成精神とも云われ,七たび生まれ変わって国家の為に尽くす。所謂「七生報国」から来ているとも云われています。鎌倉時代末期から南北朝時代に生きた武将ですから,私たちの少し前の先祖です。近現代において,この武士道精神を世界が目の当りにした出来事と云えば,やはり,先の大戦時において外国人に強烈な印象を与えた特攻ではないでしょうか。

又,先の大戦から73年目の明日3月10日は東京大空襲があった日であります。

参照記事:昭和天皇 終戦の詔勅に秘められた祈り 1 「再掲載」

昔から私たちの国「日本」は国体と政体に峻別されています。国体である天皇陛下は,神さまから,私たち国民「おほみたから」をお預かりしています。そして,政体も同様に国民「おほみたから」の豊かで平穏な暮らしを祭ることを使命としているはずであります。その最も基本であり基礎的なことも忘れ,こともあろうに政治を私利私欲の為に使い,そればかりか国民「おほみたから」の血と汗と涙の結晶である税金をまるで私物化し,挙句の果てに嘘偽りばかり。あいつが悪い,こいつが悪いと罪と汚れの擦り合い。

政治家や公務員は「全体の奉仕者」であって一部の奉仕者ではありません。

政治家と官僚の諸君,山形に伝わる花笠音頭と云う民謡を御存知か?何故に笠を持って踊るのか?

この花笠音頭の起源は,大正時代に湖の堤防を造ったときの仕事歌であります。土つき唄と云われ「♪あさの6時から弁当箱さげて♪」と労働者みなで唄い合い,励まし合った労働歌である。地固めするのに,大きな石に綱を巻きつけ複数人で地面に叩きつけながら唄っていた。それを回りの人が笠を振り上げ,振り下ろし,重労働者に心地良い風で扇ぎ,ねぎらっていた姿なのであります。

毎日,過酷で厳しい重労働者をねぎらう唄が,時代を経て華やかな祭の歌となりました。その重労働者は,私たちの先祖でもあると同時に,諸君ら政治家の先祖でもあるのです。豊かになりたい,平穏に暮らしたい。こんな労働ぐらいお国のためならなんのその。自分のことなど形振り構わず,親の為に子のために。明日はきっと楽になると信じて朝から晩まで働きっぱなしでした。

そう云った先祖の苦労の上に,胡坐をかいて何を勘違いしているのか?

先祖に謝りなさい。

以 上


 

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誇り高き優しい民族 日本人

2018年03月08日 11時36分36秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。日本人は礼儀正しい民族と他国の人たちから想われていることが多いようです。決められたルールやマナーを守り行動する不思議な民族として。これは,日本の古き良き文化の一つでもある幼少期の頃からの教育のおかげでもあるわけです。普段の日本人は自分たちが礼儀正しく,ルールやマナーを守り行動している民族だとあまり考えているわけではなく幼少の頃から身体が覚えていますので特別意識もないのであります。自然とそのように思考し,行動するのが日本人であります。普段,一見まとまりがないように見えても何か国家に危難や困難がおよぶと日本人はとてつもない力を発揮します。所謂,日本人の底力であります。

この秘められた日本人の底力は一体,どこから来るのか?自分の国の国民もどうすれば日本人のように行動できるのか?きっと,外国の人も羨ましく,不思議に感じていると思いますが,日本人の底力は祖先から受け継いで来た記憶と記録の遺伝子「DNA」にあるのです。親から子へ,そして子から孫へと繰り返して行く上で形成されて来た証であります。特殊遺伝子を持つ民族です。

それを目の当たりにしたのが,あの未曾有の大災害ではなかったのではないでしょうか。地震に水害,竜巻に風災,さらには火山の噴火とこの10年は特に自然の猛威と脅威を感じた時期はなかったと思います。そう言った自分だけの力ではどうすることも出来ない事に遭遇してしまった時の行動が世界中にテレビ中継され,マスメディアを通じて全世界で大きく取り上げられていました。

わたしたちの国において,世界に誇れるものがあるとしたら,それは国民です。

よく,日本の経済は一流。政治は二流と云われていますが,国民性は超一流です。困っている人がいれば黙って見ていられないのが日本人。弱い人がいればそっと寄り添う日本人。相手が日本人であろうが外国人であろうが自分の出来る範囲で助け合う民族が和の民である日本人であります。自分の眼の前で外国の人が困っているときのことを想像してみて下さい。お前は日本人でないから助けないなんて言えるのか?あの東日本大震災のときに外国人だから助けないなんて言った日本人がはたしていたのでしょうか?

そんなことするような輩は日本人ではないのです。

ニュースでもテレビでもマスメディアが直ぐに,このままでは日本は,世界に後れを取るとか世界水準に反するとか言われるコメンテーターがおりますが,これはぜんぜん違います。はっきり申し上げると不知で御座います。世界の指導者も企業経営者も一般の国民も日本人みたいになりたいのですよ。環境に優しく自然と共に共生し,強靱で且つ一流の経済を持つ為にどうすれば良いのか?自分たちの国家が危難や困難に遭遇した場合,略奪や強盗などせず,互いに支え,助け合い,少ない物資も皆で分け合うように行動に移せるにはどう云った教育が幼少のときから必要なのか?そう言ったことを真剣に世界中の要人が考えているわけであります。

これ全部,日本にあるではないですか。それなのに何故,世界世界と言い続けるのか?

これからもよく観て行きたいと思います。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


慌しい3月であります。

2018年03月07日 05時22分22秒 | 素直の心柱

こんにちは。

今週,長野県へ仕事で出張に行きます。本業にアルバイトと偶に今は何の仕事してるんだっけ?とわけが解らなくなる時がありますが,これも仕方がありません。こんなにいろいろと経験させて戴けるなんて幸福です(笑)。折角,長野まで行くのですから少し足を延ばして福井県の平泉寺白山神社へ参拝に行きたいと考えているのですが,多分,この時期ですし雪が積もっていて難しいかも知れません。何年か前に福井県の平泉寺町地域は豪雪地帯であると云うことをすっかり忘れて2月頃に参拝させて頂いたことがありましたが,参道は雪が積もって何も見えず,辺り一面真っ白で,遙か先に見える鳥居を目印にヘトヘトになりながら参拝したことがありました。わたしの暮らしている地域では雪はほとんど降りませんので,あれだけの雪を見たのは初めてのことでした。

それにしても,今回の長野への出張もなかなか内容の濃いものになりそうなのです。お客さまと協議をする内容が山積していていますから日帰りの出張とはいかないようです。宿泊施設の予約もしなければならないですし,何から手をつけて行って良いのやら今から慌しく準備しております。したがいまして,確定申告も未だであります。今年も最終日の夜にポストへ投函することになります。

又,3月と云えば,春の祖霊感謝祭が控えております。日頃,わたしたち子孫を見守ってくれている祖先の御霊が子孫のもとへ一時的に帰還して参ります。その期間中の間は,祖霊と子孫がともに過ごすことが許される大事な期間であります。それぞれの人が,それぞれのかたちを以て祖霊の御霊を供養されると思います。お墓のある方はお墓参りに行かれるでしょうし,お墓は遠方にあって自宅の仏壇で供養される方もいらっしゃると思います。お墓参りも仏壇での供養も出来ない方は,どうぞ心の中で感謝を捧げて見て下さい。代理人を立てる供養よりも生きている子孫からの供養の方が,何よりも先祖と水子にとっては嬉しいものであります。

私事で恐縮ですが,湯船に湯を張ることをされるのもとても喜ばれると思います。私も春の祖霊感謝祭と夏の祖霊大感謝祭と秋の祖霊感謝祭の際には湯船に湯を張るようしております。日本人はお風呂が大好きな民族ですから,きっと,喜んでもらえると感じています。供養を開始する前に,湯船に少し熱めの湯を入れて置いて供養の際に「どうぞお風呂に入って下さい」と言葉に出して言っています。どんな些細な供養であっても子孫からの直接的な供養は,あの世にいる先祖に届いています。そして,その心のこもった行為を先祖はきちんと受け取ってくれます。歓びと安心した祖霊の念が音霊「波動」となって私たちの心柱に降りて来ます。

さらに,歓びの音霊「波動」には歓びとなって,安心の音霊「波動」には安心となって現実的な事柄として転写するのであります。しかし,注意しなければならないのが逆の場合です。嫌々の供養には嫌々な音霊「波動」が心柱に降りて来ます。親子喧嘩や兄弟喧嘩の供養には先祖の悲しい音霊「波動」が心柱に降りてきて参ります。因果応報です。ですので,感謝の供養が現実的にも良いのであります。いちいち細かいことを祖霊に言わなくてもあの世ですべてを観ていますから大丈夫なのであります。あんずるな。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


会話することの大切さ。言霊の秘力

2018年03月06日 19時31分55秒 | 謙虚の心柱

こんにちは。

昨日は,業務大改革を遂行中の企業にて経営会議がありました。経営者と各部署の責任者を集めて行われた会議であります。2月1日から業務改革の担当を任されていましたので,わたしも出席して来ました。会議の冒頭に経営者から一言挨拶をしていただき,2月1日から取り組んでいる一丁目一番地でもある会社で働く人の改革について報告いたしました。働いている人は企業にとって宝そのものであります。人材こそ宝です。最初に着手した改革が末端で何の約束もされず,なんの保障もなく働き続けている従業員のみなさんの給料大アップとその家族が安心できる仕組み作りでした。かなり強引に押し切ってしまった感は否めませんが,なんとか右往左往しながらですが4月か5月には大枠が完成します。業務大改革の期間は10年ですから結構いろんなことが出来そうです。

経営会議を開催するに当たり,事前に経営者と協議を重ねた上で,各責任者へ日時と場所を伝えに数日前から各現場を回りました。その一つの現場では,人員の不足から生じるトラブルが多発していました,もちろん経営者も会社の幹部もその事実を承知してはいたのですが,会社として具体的に人員を補充するような対策を取らず,責任者の個人の能力と現場対応に任せ切っていたことが継続していたのです。そのことから現場責任者の考えは「会社は無責任だ!」「なぜ人員を補充しないんだ!」と怒り心頭でした。

つまり,現場と本社との間に確執的なものが生まれていたのです。

事前に経営陣の主張も現場責任者としての主張も聴いてはいたので,お互いの言い分も良く解っています。現場の責任者からすると限られた人員と予算と時間で最大限の結果を出す為にどうすれば良いかを考えています。朝の早くから夜の遅くまで現場の責任者が奮闘している姿は判っております。一方の経営者の主張も良く解ります。経営者の最大の責任は会社を潰さないことにあることも私も小さな事務所を経営しているので理解も出来ます。しかし,一番大切なことは会社は何の為に存在するのかと云うことです。

したがいまして,今回の経営会議の主たる目的は,経営陣と現場責任者との問題事項の共有と情報の共有化でありました。人員が少ないと云う現実は経営陣も現場責任者からよく聞いているので知っています。ですが,何故?人員が足りないのかを果たして理解しているのかを確認したかったことも事実であります。そこで会議を開催することにしたのであります。きっと,会議が始まり出したら経営陣も責任者も熱が入って激しい議論になるだろうと想像していましたが,約3時間弱の議論も喧嘩にならずに済みました。

会議が終了し,帰りがけに昨日まで激しく怒っていた現場責任者から笑顔でまたやりましょう!と言ってくれました。話をすることで解かること。会話をすることの大切さを改めてわたしも学ばせて頂くことが出来ました。対話の機会を設けて本当に良かったと思いましたし,私も嬉しかったです。わたしたち人が言葉を神さまから授けられているのは紛争する為にではなく,相手を罵倒することでもなく,罵ることでも決してありません。そもそも日本語は祝語ですから自分や相手を卑下する言葉は日本語ではないのです。

会社にとって一番大切なこととは?

それは,そこで働く人にあると心柱に音霊「波動」が降りて来ました。


 

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いまふたたび,南方熊楠 2

2018年03月05日 08時07分18秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。上の写真は南方熊楠さんでありますが,皆さんはこの写真をご覧になって,どのような思い,感じますでしょうか?写真を観た瞬間に感じたことが音霊「波動」であります。この音霊「波動」が人によって違うのです。それは何故なのかであります。肉眼で見るとただの人の写真です。しかしながら,心の目で観ると人それぞれに感じることが違うのであります。実は,心柱「みはしら」の正体がここにあります。誰の心にも柱は立っています。この心柱に音霊「波動」を誰であっても瞬時に降ろしています。心柱に降ろされた音霊「波動」は,思いを感じさせ,言葉を産み出します。心柱の大きさや太さは人それぞれに違うのです。

人それぞれに思いや考え方が違うと云うことは尊いことなのであります。その違いを認め合い,尊重し合いながら人と接することが思いやりに繋がり,和の仕組みを形成する大切な要素になるのだと感じています。たとえば,自分と考え方が違う,自分が思っていることと違う。だから相手を認めない。こんなことを考えながら生きていては,先は判り切っています。自分が孤立するだけです。

わたしは,何とも言えない優しい音霊「波動」を感じるのです。

純朴と申しますか,まるで少年のような眼差しであります。

南方熊楠さん以外でも,海外で同じように音霊「波動」を上手く観ていたと私が思う方が何人かおります。それは日本でもお馴染みの天才物理学者であるアインシュタインさんや369の数字にこだわり続けたニコラ・テスラさんです。私の勉強不足もあって人物に対する知識はほとんどゼロですが,偶に写真なんかを拝見するとその様に感じます。きっと,学問として体系付けするのに苦労したのではないでしょうか。結論は判っていても,それを理論的に体系的に理屈で説明することに苦戦していたと思います。

音霊を観る時,つまり波動を読み取るときによくあることなのです。観えている対象が,抽象的過ぎてなにが何だか解からないのであります。たとえば,わたしは憲法を勉強しているとき,どうも憲法にある精神は神道そのものだと感じていました。一部の人たちの間で言われている日本国憲法は連合国「GHQ」からの押し付けだから改正するのだと云われていることに実は???の部分も多いのです。自然権思想や天賦人権説まで否定するのは如何か?と感じます。どんな学問であっても最後に辿り着くのが生命です。

またいつか憲法と神道に関する記事で書かせて頂きたいと思います。

音霊や波動と云う言葉でも解かり難いと思いますから,音霊や波動とは直感やヒラメキと思っても良いかも知れません。自分が何か「違う」ことに没入していたりすると急にヒラメキがあったり,理屈もなく直感的に判ったりすることが誰でもあると思います。ですが,ヒラメキや直感で判ってもそれを論理的に相手に説明したり,体系的に説明したりすることが出来るでしょうか?

このように結論的に何となく理解できていたり,解かっていたりするのですが,あまりにも対象が大きいと云いますか大は小を兼ねると云いますか抽象的過ぎて解からないことが多いのです。ただ自分が考えていることとの関係性が解からないだけなのであります。自然の景色を眺めている時などはその典型です。自然からの音霊「波動」を読み取れる「観れる」かどうかだけです。

わたしは,これが不思議で不思議で仕方がありませんでした。だって,みなさん同じ自然の景色を見ているのに,何で人それぞれ違う思いや,感じ方をするのだろうと。同じ自然の景色を見れば,誰でも同じように思い,感じ方をするはずなのに人それぞれ違うのです。そう考えていたときに「和すること」と私の心柱に音霊「波動」が降りて来たのです。つまり自然が発している音霊「波動」は和です。人それぞれ違うからこそ和の仕組みが大切なんだと感じたのです。私たちの遠い祖先も南方熊楠さんも和することでしか人は生存することが出来ないと,その大切さを知っていたのであります。自然との共生もこれもまた然りではないでしょうか。

それでは,また明日。拝


 

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いまふたたび,南方熊楠 1

2018年03月04日 05時10分11秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。上の画像は「南方マンダラ」と呼ばれているものです。

今日は,わたしが人物研究をして見たいと感じている1人の南方熊楠さんであります。知り人ぞ知ると云いますか,知っている人は知っている大天才と呼ばれた人物です。私から見た南方熊楠さんは神社や寺院の護持,もっと言えばその奥にある鎮守の森と人間の道徳や生命を人生の後半を掛けて守った御方ではないかと考えているからであります。私も神社や寺院の護持を仕事としていますので,胸に秘めたる想いは同じだと感じてもいます。あの世で南方熊楠さんに会えたなら音についていろいろと話がして見たいのです。音と云ってもいつものように耳に聴こえてくる音ではなく,耳には聞こえてこない音であります。つまり,音霊です。

自然が発する音,人が発する音,モノが発する音などありとあらゆるものが音を発しています。

波動と言い換えた方が解かりやすいかも知れません。南方熊楠さんは,この波動を実に見事に観ておられたのではないでしょうか。たとえば,菌類の研究をされていて新種である菌類の発見をしたタイミングは研究対象物から発する音霊を上手くキャッチ(受信)出来ていたと思います。「ここにいるよ!」「ここにあるよ!」「あそこには新種があるよ!」と言った感じで存在場所を研究対象物が教えてくれるのです。そのことを南方熊楠さんが自分で認識していたかどうかは知りませんが実際にこう言った事はあることなのです。音霊を観ると云うことは対象物と波動が同じになると云うことです。現代科学の最先端分野に量子力学がありますが,その量子力学で引き寄せの法則として証明されているのです。最先端科学である量子力学は,古神道そのものでもあります。

つまり,精霊と一体となり,精霊の誘導によっていたことは確かだと私は感じているのです。

これを古神道では「みちびき」と申します。導きをうけた研究者は精霊と共に研究して行くのですから研究成果も抜群であります。みなさんもご経験があると思いますが,物事が上手く行く時ほど「迷い」はなかったはずです。すんなりと何のトラブルも支障も無く上手く行ったと云う経験はないでしょうか?これがいま科学でも注目されて来ているのです。つまり,人間の想いが先に物事の良し悪し,達成や未達を決めているようです。つまり,自分で発している音霊「波動」が先回りをして決めていると云うことです。

そうなると自分自身の内面を見つめることの大切さも理解できると思います。

人間同士の関係でも同じような事が言えるのかも知れません。相手が変われば自分も変わるのではなく,自分が変われば相手も変わると云うことです。もしかすると,近い将来に量子力学と云う最先端科学を通じて,科学の世界が古神道の復活を提唱し出すかも知れません。科学で研究されていることは,太古の昔に古神道で言われ続けていることがほとんどであるのです。すべての学問も同様に古神道から分派,独立したものに過ぎないのであります。宗教も経済も法律も科学も医学も元の本は古神道から出発しています。

まさに古神道に始まり,古神道に終わるです。

話しを南方熊楠さんに戻しますが,研究対象物との波動が一致し、研究対象物から発せられる音霊を観ることが出来ていたことで,さまざまな研究分野で能力を発揮し,昭和天皇からも絶大な信頼を得るまでになられたのだと感じています。音霊「波動」は観るという言葉がピッタリと当てはまります。聴くという言葉だけでは何か足りないのです。本当にこの音霊「波動」は不思議で素直にならざるを得ない心境にもなります。少し大袈裟かもしれませんが,どんなことでも,どんなものでも音霊を観ることが可能です。

特に,幼い子供や女性は音霊を観ていることが多いのです。

南方熊楠さんは後世,鎮守の森を護持することを通じて,一般世論と政治家や官僚などの権力者に大切なものは何かを問題提起されました。時には激しく,時には優しく分かり易く鎮守の森や神社がなぜ大事であるかを訴え続けていたのです。様々な学問を習得され海外でも非常に高い評価をされた南方熊楠さんと云うことよりも私にとっての南方熊楠さんの印象は古神道の精神を真っ直ぐ伝え続けた人物そのものだと云う印象の方が強いのです。学者と云うより古神道家であります。古神道には自然を崇拝し,祖霊に感謝をする。祖霊祭祀が根本であります。難しい言葉や御経も存在しません。とてもシンプルであるが故に難しく据えられてしまうこともあります。きっと,大自然からの恵みも自然の風景も私たちが生きていることも当たり前になり過ぎているのでありましょう。

これからも南方熊楠さんの生き方を通じて神社と寺院の護持に取り組んで行きたいと思います。拝


 

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最後の宮大工 西岡常一棟梁 5

2018年03月03日 08時34分00秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。

今日の西岡棟梁が著書で語られている3番目の口伝は,私にとっても興味深い内容です。なぜならば,寺院の本堂を復興する際に本堂に使用する御用材をどこの木材にするかを何度も住職さんや檀家総代,そして大工の棟梁と議論を重ねた経緯があったからであります。その中で,たくさんの山林関係者の方々とも知り合い,とても良い経験をさせていただき,高度な技術が要求される社寺建築について学ぶことが出来たことに感謝しております。そんな本堂復興当初の思い出を想い起しながら書かせて頂いております。

ただ,そこで悩んだことがありました。それは,寺院建立の為に山の木をむやみやたらに伐採する事でありました。つまり,古神道的に云うと立木を伐採することは出来ないのであります。木を伐採することは命をいただくことになるのです。その為に,さまざまなお祀りの仕方やお祭り事をして行きますが,倒木など自然からの恵みとは違い,人間の都合だけで立木を伐採することはしてはいけない事です。そう言った事も含めて協議を重ねて議論し,立木の伐採はせずに,間引きなどで既に伐採された木を調達することになりました。既に伐採された木と云っても木は生きていますので木に宿る御霊「精霊」に対し供養をして行きました。

山の神さま,木の精霊にコトワリを何ヶ月も前から述べ,木の御霊を供養する。製材する前の取り扱いも十分注意しながら,柱や梁などに変わったあとも大切に大事にお祀りをさせていただく。これは最低限しなければならないお祀りであります。

それでは,法隆寺歴代棟梁だけに伝わる口伝であります。

引用著書は前回同様:木のいのち 木のこころ 著者:西岡常一棟梁

3.堂塔建立の用材は木を買わず山を買え。

木の質は土の質によって決まりますし,木の癖は木の心と言っても良いかも知れませんが,それは山の環境によって生まれますな。たとえば山の南斜面に生えた木を例に取ってみましょう。この木の日の当たらない北向きの側には枝が少ないんですな。あったとしても細かくて小さいもんです。逆に良く日の当たる南側には大きく太い枝が出ます。この地形が年間平均すると西からの風が強い場所だったとすると,この木の南の枝は風に押されますな。それで東に捻じれます。しかし,この木が風によって無理に東に捻じられているために何とかしてもとに戻ろうとする性質が生まれて来るんです。この元に戻ろうとする性質をこの木の癖と言いますのや。

すべての木には生える場所によってこうした癖ができますな。

口伝に云う「木を買わず山を買え」と云うのは,この木が伐採されて,製材されてから買うのではなく,自分で山に行って地質を見,環境による木の癖を見抜いて買いなさいと云うことです。なぜかと言いましたら,製材されてしまってからでは木の癖は見わけづらいんですな。この西に戻ろうとする木の癖は,切り倒され,乾燥しますと木の本音を出すんです。この口伝は木の癖の見抜き方を教えているわけですな。それとこの口伝のもう1つの意味は,一つの山で生えた木を持ってひとつの塔を造れということです。

あちこちの山の性質の異なる木をバラバラに買わず,自分で山へ行き,木を見てその山の木をうまく使って一つの塔や堂を建てなさいというているんですな。近ごろは実際に山へ行って木を見るということが難しくなって来ています。それでも私は薬師寺の木を買いに台湾の山へ行きましたで。二千年を越す檜を見て心からよかったと思いましたな。山を見て,木を見ておいたので悔いのない仕事ができたと思っています。この口伝は,次の四番目,五番目の口伝と密接な関係があります。

以上

この第3番目の口伝は,現代の企業経営者や社内の上司や責任者の立場にある方にも人を活用する上で,とても参考になる言葉ではないでしょうか。人も木と同様さまざまな癖を持っています。良い癖もあるでしょうし,悪い癖も同然だれでもあると思います。それが人と云うものですから,その人の癖を上手く活用することは企業にとっても個人にとっても良いことだと思います。日本の過去の偉人も人の活用方法を後世の私たちに言葉として残してくれております。織田信長公に徳川家康公。武田信玄公も同じように人が財産だと言われています。他にも宮本武蔵さんに山本五十六さんなど沢山の先人から私たちに向けた言葉があります。

企業社会では限られた人材と時間,そして資金で結果を出して行くことが常に求められています。日々,その要求に何とか応えられる様に努力をしています。特に,中小企業では人材にも資金にも限界がありますので,中小企業の社長さんとっては上手い人の活用術があるのならば是が非でも欲しいと感じているのではないでしょうか。又,切磋琢磨しながら学んでいるとも思います。

これから様々な社会がタテ型からヨコ型に移行していきます。

金融の世界では始まったようであります。法律がどこまで追いつけるのか?

人の活用も,これまでの様な人をモノと同然に扱う時代は,既に終わっております。そのことにいち早く気が付いた企業経営者も社内の上司も決して命令系に会話をしたりしなくなって来ています。たとえば,あなたとわたしは立場の違いであるだけで,どちらが偉いとか上だとか下だとか言った事ではないと考えている責任者が多くなって来ています。つまり,これまでの命令系では部下も協力会社も動いてくれない訳です。労働集約型の産業社会では当たり前になって来ています。昨日お会いした経営者の方も同じようなことを話されていました。企業が人を選ぶ時代は終わり,人が企業を選び選別する時代のようです。新時代の到来です。拝


 

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素直に生きることの大切さ。

2018年03月02日 08時18分03秒 | 素直の心柱

こんにちは。

最後の宮大工である西岡常一棟梁の記事は,明日にまた続きを書かせて頂くとして今日は,違ったことを書きたいと思います。私たちは,これまで続いて来たタテ型社会からヨコ型社会に移り変わる過渡期に存在しています。自然崇拝,祖霊祭祀をしている一般人の私からするとただ太古の昔に帰るだけと感じていますが,タテ型構造の上に存在していた人たちにとっては嫌でしょうね。

でも,いくら嫌がっても無駄であります。もうそうなってしまうのですから無理です。

それはそれとして,今月は,春の祖霊感謝祭があります。

一年間に春と夏と秋の3回の祖霊感謝祭を自宅でひっそりとお祭り致します。御水にお茶に,そして白湯を位牌の正面に置いて,その両脇に御団子や和菓子に煮物に漬け物。さらに玄米に白米,お味噌汁と御赤飯と御酒も忘れずに捧げ先祖と共に過ごしています。毎回,きっと,先祖はこんなものが好物だったのではないかな?水子さんはミルクを欲しがっているのではないかな?などなど想像しながら献立を考えています。普段の祖霊祭祀は,御水と御茶と白湯でけです。何で白湯?と思われる方もいらっしゃると思いますが,白湯は病気で亡くなった先祖の為に捧げます。特別な意味はありませんが,病気には身体を温めることが大切だからです。

古神道には死生観と云うものがあります。あの世に帰った祖先が,私たち子孫を見守り続けていると言った考え方も古神道の死生観のひとつであります。又,人は誰でもあの世に帰ると仕事をしていると言われています。この世で経験した内容に基づいた仕事をあの世でも行うのです。この世で経験した内容と言っても仕事で成功したとか達成したとかいうことは何も関係がありません。

以前にもブログで記事にさせていただきましたが,あの世のどんな階層に自分が進もうが課題となるのは「奉仕」のみであります。奉仕に基づいた仕事をすることになります。ひとつの食べものを皆で分け合う世界です。しかし,この世で自分の思う通りに他人の迷惑も省みず,自分の好き勝手に生きた御霊ですとあの世に帰ったあと他の御霊の為に奉仕するということが出来ず厳しい体験をしているようです。つまり,これが修行です。とても辛抱を伴い,融通もわがままも忖度も損得も通すことが出来ませんので,生きている間にやりたい放題好き放題してきた御霊にとっては非常に苦痛であります。これを地獄と申します。ズルは一切通用しません。

一方,この世で生きている間に,どんな小さなことでも他の為に奉仕していた人は素直に奉仕を実践できるのであります。私たちが考えている素直というものは,あの世では大きな財産「徳」になっているのです。しかしながら,人間と云うものは自我の塊と申しますか,自分中心にどうしても考えてしまいがちです。駄目だと頭で分かっていながらも自分を軸に中心に据えてしまいます。この自我と自分が向き合い,受け入れ,認めて行くことで段々と自我が薄れて行き無理なく無駄なく生き易くなって行くようです。

したがいまして,この世で生きている間に経験している一切は,実は,あの世での自分の位置「御霊の階層」を形成する過程であると考えることも出来るのであります。人間と云うのは,死んでしまえば同じ。あの世なんて言うものはない。だからこの世で生きている間に自分の好きな様に生きる。他の人なんてどうなっても良いということではないのであります。まして,生きているときに体験や経験していない事をあの世に帰って出来るわけありません。この世でどう生きたのか?それ次第であります。

人は生きていることにこそ意味があるのであります。

この世で成功するとかお金持ちになるとかそう言った小さなことではありません。

生きていることに価値がある訳です。拝


 

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最後の宮大工 西岡常一棟梁 4

2018年03月01日 08時31分55秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。

今日から3月で御座います。昨日は,アルバイトが忙しくブログの更新も出来ないでいました。日中の気温も暖かくて過ごしやすかったのではないでしょうか。郵便局でアルバイトをしていると本当に人材不足を毎回感じています。とにかく若い年代の人たちが入って来ません。荷物などの仕分け作業などでは多少,若い人の顔を観ることが出来るのですが,配達員となるとなかなか募集しても人材確保が出来ていません。いまは農業や運輸業,建設業などの労働集約型産業で人材が不足しています。この5年・10年後どう変わるかとても興味があります。日本の伝統と文化を継承してきた業種や職種もさま変わりして行くのだとも思います。

それでは,昨日の続き,法隆寺の歴代棟梁に口伝されて来た秘伝を書かせて頂きます。

引用著書は一昨日と同様:木のいのち 木のこころ 著者:西岡常一棟梁

2.伽藍の造営には四神相応の地を選べ。

四神というのは中国から伝わった四つの方位の神さまですな。伽藍を造営するなら方位に適した場所を選びなさいというているんです。四つの神というのは,青竜・朱雀・白虎・玄武です。青竜は,勾芒(こうぼう)ともいいまして,春,草木の芽がたつ時期もいいますが,方位でいうと東の神さまです。朱雀は季節は夏,方位は南。祝融(しゅくゆう)ともいいまして,火の神さまですな。

白虎は季節は秋で,方位は西です。玄武は季節は冬,方位は北です。これを地形ではどないなものかといいますと,東の青竜には清流がなければならん。南の朱雀は伽藍より一段低く沼や沢でなければならない。西の白虎には白道が走っていなければならない。

北の玄武には山岳が伽藍の背景になっていなければならない。

伽藍を建てるならこんな土地を選び,南に面し北を背にするように造営しなさいというんですな。

この口伝を法隆寺に当てはめてみましょうか。法隆寺のあるところを斑鳩といいますが,ここの東方には富雄川(とみおがわ)があり,青竜に匹敵しています。南の朱雀は伽藍より一段低く大和川に向かって傾斜し,朱雀に匹敵しています。西にはそんな大きな道はありませんが,西大門の西側に大和川に達する道がありますし,北の玄武に当たるものは矢田山脈(やたさんみゃく)が伽藍の背後に迫っています。こんなふうに法隆寺は四神相応の地に造られていますな。

こうした地相のよさが1300年前の創建当時の伽藍を残すことができた理由かもしれません。

こないにいうと迷信のようですが,たいていの都や城はこうした地に建てられています。南側が低いということは見晴らしがよく,日当たりが良いと云うことですな。北に山と云うのは北風を防ぎ,過ごしやすいと云うふうに推測できますが,東に川,西に道と云うのも何かそれなりに意味があったんでしょうな。今では何故そう云うのかわかりません。

これが薬師寺の場合には当てはまらないところがあるんです。

東には秋篠川(あきしのがわ)があり,南は一段低くなっています。西は平城京西の二坊が貫通して口伝と合っているんですが,北には玄武に相当する山がない。欠相しているんですな。このためではないかも知れませんが,法隆寺が創建当時の七伽藍全部残しているのに,薬師寺で残っているのは東塔だけですわ。科学的やないと言われるかも知れませんが,私は口伝を信じています。

それが伝統だと思っています。こうして今まで引き継がれて来たんです。もし私が伽藍を建てろ言われましたら,迷わずに一番先にこの口伝に従った場所を探しますし,そうでない場所には建てませんでしょうな。

以上 

第2の口伝を読んで最初に想像するのが平安京と江戸であります。つまり,現在の京都と東京であります。

所謂,中国から伝わったと言われている風水思想と呼ばれているものですが,実際の日本の風水思想と中国の風水思想では違いがあるようです。日本の風水は独特な風水と云われています。そこで,少し不思議に思うのが,法隆寺は飛鳥時代に建立された寺院であります。そうなると,既に飛鳥時代には風水が和の国「日本」に中国から取り入れられていたことになります。

確か,平城京はシリウス信仰に基づいた設計に都市開発をしていたと思ったのですが,風水が既に日本の都市開発に影響を与えていたというと少し疑問に感じるところもあります。京都や東京は,風水に基づいた都市開発を実施しましたが,私的には奈良飛鳥と云うとどうしてもシリウス信仰の北北西20度構想を思い起こしてしまいます。北北西20度構想とは,つまり,シリウス星を崇拝する信仰形態で神社や寺院の社殿の配置をシリウスを拝む形式にしたものであります。まぁ~,私は,万物同根の古神道ですから風水のことは良く知りません(笑)。風水を意識し過ぎて,風の神さまと水の神さまに祓われないように注意致しましょう。


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

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それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

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