花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

オウムの恩返しと動物たちの優しさ。物語前段 再掲載

2018年10月15日 11時14分31秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。昨日は,仏教に伝わる経典である雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)の中に書かれているオウムの恩返しと云う物語を書かせて頂きました。こちらです「雑宝蔵経 天はすべてを観ています。」実は,このオウムの恩返と云う物語は,奈良県の薬師寺さんの管長が修学旅行で参拝に来られる中学生や高校生の子供たちに話す法話なのです。私も中学校での修学旅行で薬師寺さんに行ってお坊さんの話を聞いた記憶があります。話の内容までは憶えてはおりませんが,当時の様子が今でも映像として浮かんできます。

薬師寺さんの管長さんは,オウムの恩返しを子供たちに話し終えても人間としてこうあるべきだと云う正解や不正解や答えを教えることはしないらしいです。あとはすべて子供たち自身に考えさせるようです。近年は,子供たちが被害に遭遇してしまう事件事故や子供たちが加害者になってしまうことも多い社会です。今の子供たちには危険を察知する能力や自分で考える能力が低下して来ていると考えられてのことだろうと自分たちで考える種を蒔かれたのではないかと想像しています。現代はパソコンなどで簡単に正解や不正解など答えを探すことが出来ます。これを繰り返し警告していた人物に同じ奈良県に御鎮座される春日大社の前宮司でいらした葉室頼昭先生がおられました。物語の中に登場してくる鎮守の森の動物たちの親切さ,困っているオウムに対する優しさ,なんら見返りを求めず,自らオウムに積極的に話し掛けてくる動物たちなど沢山この物語から学ぶことが子供たちだけではなく,私たち大人も学ぶことが出来ることだろうと思います。私がやりますと云う謙虚さと私にやらしてくださいと自らの意思で手を挙げる勇気は企業社会でも必須の条件です。もちろん,私たちの魂「霊性」を高めて行く上で欠かすことの出来ないものです。原因と結果です。

今日は仕事の関係でこれにて失礼します。続きはまた明日。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


雑宝蔵経 天はすべてを観ています。再掲載

2018年10月14日 09時34分07秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。さて,今日は,仏教の経典に雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)と云うお釈迦様と弟子たちの時代から西暦2世紀カニシカ王が終る頃までの物語121話が書かれた経典の中に伝わるお話を書かせて頂きたいと思います。その雑宝蔵経の中のひとつにオウムの恩返しと呼ばれている物語があります。混沌とした現代の社会でも,私たちが日常で暮らす中でも大変参考になる物語であります。そして,私なりに感じたことも後日,書きたいと思います。

とある場所に,神様の御神体でもあります山の中腹に大きな鎮守の森がありました。その鎮守の森には,たくさんの動物たちが仲よく平和に暮らしておりました。そこに,ある日,一羽のオウムがエサを探し求め道に迷い,鎮守の森に紛れ込んでしまいました。つまり,迷子になってしまったのです。オウムはなんとか鎮守の森から外に出ようと飛び回りましたが,自分がどこにいるのかもさっぱり解りません。そうしている内に,とうとう日が暮れてあたりが暗くなってきてしまいました。オウムはとても心配で不安に思いながら,自分の家の方向さえも解らず途方にくれていたのです。日がどんどん沈み,あたりも暗くなるにつれオウムの気持ちも寂しく,しょんぼりしていた時,鎮守の森のさらに奥深くから鳥や獣などの動物がさくさん出て来ました。

すると,その動物たちは,「ねぇねぇオウム君,君は道を間違えてしまったのだよ。オウム君の家までは,ここからずっと遠いところだから今からでは帰れないよ。明日僕たちが送って行ってあげるから,今夜は僕たちの家にとまりなよ」ととても親切にしてくれました。 オウムも優しい動物たちの言葉と不安な気持ちでいたことから,動物たちの家に泊めてもらうことにしました。

動物たちは「きっと,オウム君は道に迷い,不安で寂しい気持ちになっているに違いない」「だから今夜は,オウム君がちゃんと寝るまでは皆で順番にオウム君の側にいてあげよう」と動物たち皆で話し合い決まりました。「ここに木の実があるから,お腹いっぱい食べてね。あそこにはとても美味しい水があるよ」「何も心配いらないから安心してね」と動物たちはオウムにたくさん声を掛けあっていました。オウムもすっかり動物たちの優しさに慣れて,とうとうくたびれて寝てしまいました。その様子を観ていた動物たちも夜中にオウムが起きて悲しまないようにと皆でオウムの回りをぐるりと囲むように一緒に寝てくれました。

翌朝,空は晴天です。朝日に照らされながら,オウムは鎮守の森の動物たちに賑やかに送り出され,オウムが家に帰れるところまで一緒に付き添ってくれました。そうして,無事に自分の家に着くことが出来ました。家に着いたオウムは,あの山にいる動物たちの優しさが嬉しくてたまりません。仲間の動物たちにも昨夜の話を自慢げにたくさんしていました。

そんなある日,優しくしてくれた動物たちの山の方を見ると,親切に優しくしてくれた動物たちの山からたくさんの煙が立ち上っています。オウムは驚いて,急いで動物たちが暮らしている山の方へ飛んで行くと,なんと!山が大火事になっているのです。オウムはいてもたってもいられません。そこでオウムは,すぐさま川に飛び込み,自分の全身を濡らしては飛び立ちました。しかし,川から山火事の場所に着く手前で,ほとんど体から水が落ちてしまい山の上空で体を振っても2.3滴しか水が落ちません。でも,オウムは諦めようともしません。なんども何度もオウムは川に飛び込んでは自分の身体を濡らし,燃えさかる山に飛び立ち火事の上空で体を振って2.3滴の水を落としています。

その時,近くの木立でオウムの様子を見ていた他の鳥たちが,オウムを嘲笑います。

オウム君,君が運んでいる水であの山火事を本当に消せると思っているのか?」「無駄なことは止めな」「そんなことをしたってくたびれるだけだよ」などと言いながらオウムを皆で笑っています。

この時オウムは,自分を嘲笑う鳥たちに言い放ちます。「確かに,僕の運んでいる水は僅かです」「あの山の火事は消えないかもしれない」「だけど,僕が鎮守の森で迷って,困っている時に,僕に親切にしてくれた友達が,あの山にいるんです」「僕を助けてくれた友達が苦しんでいると思うと,僕はいてもたってもいられない」「だから,僕は絶対に止めない。僕は水を運び続ける!」と言って一生懸命に水を運んでいます。

すると突然,さっきまで晴天だった空が曇りだし,大粒の雨が降って来ました。

もの凄い大雨です。オウムもビックリして茫然としていると,その大雨のおかげで山火事はたちまち消えていました。

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


公共を忘れた政治家たち。再掲載

2018年10月09日 10時27分47秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

日本は和の国です。つまり,私たち日本人は,和の国の住人と云うことになります。

その和の国には公共と云う概念が存在しますが,太古の昔と現代とを比較するとどうなのでしょう。

わたしが思うに,日本人と云うのは,公共の福祉や公共の利益を考え,行動に移せる民族だと思っています。つまり,和の民。大和民族です。しかし,公共と云うとお役所が先導して行うものだと云う想いも少なからず抱いているのも事実です。中には,公共なんて興味がないと言う人も居るかも知れません。公共とは「自分を含む自分以外」と云う意味ですから,自分も他の人も云うことになります。他の人の福祉,利益「ここで言う利益とは経済だけではありません」と分かり易く行ってしまえばそう言える訳です。

ですが,言葉では何となく解かりますが,具体的にとても解かりにくいもの「公共」と云う概念でありますが,いま現在,私たちが課せられる待ったなしの公共の福祉が存在します。それが,超高齢化社会であります。既に,超高齢化社会に日本は突入していますが,国家の政策として具体的にどうやって乗り越えて行くかまでを国民目線で理解できているかと云うとそうとは言えない気がします。現在の税収で,これからの超高齢化社会で必要になる「社会福祉費」を賄って行けるのかどうか?当然,税収で賄って行けないとなると国家もさらに借金を繰り返して行かなければなりません。増税も新種税も避けては通れないでしょう。

宗教法人への課税もされて行くでしょう。本当はしたくても与党内にいる宗教団体の存在を気にしているのではないでしょうか?そもそも論としても与党にしがみ付く姿はみっともないです。それと,神社本庁や日本会議の存在もあるのかも知れません。宗教家は祭祀に主体性を見出すことが本分であるのに,何故,政体「統治」に口を出して行くのか?私は,宗教家が政治に口を出すことに凄く違和感があります。つまり,宗教家が権力者と結託したり,権力そのものを手に入れようとすることにです。

選挙が近くなると良い話ばかりを言い続ける政治家はもう一般人になってもらった方が国家国民の為ではないでしょうか?たとえば,国会議員一人あたりに支払われる年間のお金はいくらでしょう?大よそ1億円です。毎年1億円を私たちの税金で払っているわけです。本当にそんな価値がひとり一人の政治家にあるのか?国会議員の本当の仕事は議員立法にあるはずなのです。

しかし,議員立法をしている国会議員は全体の何パーセントくらい存在するのか?ほとんどいないでしょう。地元に国家予算を持って来ることだけが国会議員の仕事だとは思えません。前回の衆議院選挙で与党の女性議員さんが,自身のホームページで「私の実績」と題して〇〇費〇〇円などと地元の有権者にアピールしていましたが,残念なことに議員立法のことは何も書かれてはいませんでした。その与党の女性議員さんは落選してしまいました。国民を舐めていたのかも知れません。反省が必要なようです。

お金だけで有権者を引き付ける時代ではないのであります。もうそう言った悠長なことは言ってられないギリギリの時代であるのですから,国会議員としての本分を思い起こして頂きたいと願います。モリやカケの話しもよいのですが,もっとこの国家にはやるべきことが山積ています。その山積している様々な問題の中でも少子高齢化対策や食料自給率等の農業問題は凄く重要政策であります。原発問題もそうですし,経済格差も貧困問題も同様に重要な政策課題です。今の政治は本当に解かり難いと感じています。

公共とは何か?公共の福祉とは何か?公共の利益と個人の利益の違いは何か?

それを国民に説明できる政治家もいません。どこかの官僚に教えてもらった知識を無理やり詰め込んで,自分で理解もせずに国民へ説明しても国民を説得することは出来ない訳です。政治家の言葉に魂が宿っていません。仏つくって何とやらの状態です。 

公共とは自分を含む自分以外,つまり,自分が嫌いな人や会ったこともない人の福祉や利益を優先して考えて行きましょうと云うとても厳しいで考え方でもあります。人のことなどどうでも良い,自分が社会の中心なんだと云う考え方とは違うのであります。自動車を運転しているとき,自分が右折しようと停車していると直進車が車を停止させ優先させてくれる場面を想像してみて下さい。それが公共です。とても小さな公共的行為ですが,立派な公共的行為なのです。政治家の方は本当に公共を理解していますか?

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

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龍泉洞 そこは龍神が棲息する聖域です。再掲載

2018年10月01日 08時35分01秒 | 美しき水の国

上の画像は被災前の龍泉洞内の(御神水)です。ドラゴンブルーと呼ぶ人もいるようです。

こんにちは。今般の台風10号の影響で岩手県岩泉町に御鎮座されております龍神が棲息する「龍泉洞」が水没してしまいました。昨日の夕方,インターネットのニュースで知りましたが,とてもショックです。この龍泉洞は日本三大鍾乳洞ともされていて,東北地方では有数の名水とも知られています。私も龍泉洞の御神水は自宅の神様へ捧げておりましただけに何とも云えない気持ちであります。水は正に私たちの生活に欠かすことの出来ないものですし,縄文神道にとっては神様そのものなのであります。現代の神社神道においても水つまり,御神水は禊やお祓いの際には,神前に捧げられています。その龍泉洞が水没した意味はとても大きなことでもあり,日本でも水の有難さを思い知らされる前兆かもしれません。日本の御水は金の10倍の価値が本当はあります。

これをただの台風の災害や被害と受け止めては絶対にいけないと私は考えています。まさかと思いましたが,龍泉洞の公式ホームページを確認しても「復旧の見通しはたっていない」とされていました。今日からしばらく,御神前の水祀りは龍泉洞の御神水を捧げさせて頂きます。このニュースを拝見した時に,私の頭の中で先日記事にさせて頂いた龍神雲のことを思い出しました。こちらです「龍神と麒麟に歌姫。今日は独り言です。」もし宜しければ読んでみて下さい。あの時の龍神さんかもしれない。事前に避難したのかもしれません。仮にそうだと良いのですが,万が一,未だ龍泉洞の洞窟内にいるかもしれません。龍神は清らかな水に棲息しています。汚れた水では棲息できませんからちょっと心配です。怪我などしていなければ良いのですが・・・。

私にとって龍神さんはとても身近な存在で,過去にもたくさん出会いがありました。「氷川神社の龍神さん」「室生龍穴神社と室生寺の龍神さん」「富士山へ帰還した龍神雲」「とあるお寺の龍神池」などなど。以前には,私の自宅の神棚に御水を飲みに来た時もありました。今日もいつもの様に意味不明で変なことを申し上げておりますが,それで良いのです。この日本には超太古の昔から自然すべてに神が宿り,人間は自然に生かされ,自然と共に共存共栄して来た自然崇拝と云う信仰がありました。その子孫が私たちですから本当は判らないはずがないのであります。もし,判らなければ私たちの方に問題があると思っています。

よく,龍神伝説とか言われる方々がいますが,伝説でもなんでもありません。本当のことです。

私たちの遠い祖先である縄文人はもっとリアルに正確に観えていたに違いありません。現代に生きる私たちが感じない様にしているだけです。今朝は,太陽神に龍泉洞の龍神さんを助けて下さいとお願いしました。一之宮の神様へも報告に行き,池の畔に御鎮座されています弁財天「宗像大社」へ龍泉洞の御神水を奉納されて頂きました。ここの神池にも龍神さんが棲息していますから地下深くで龍泉洞と繋がっていたら良いなと思っています。おとぎ話のようかもしれませんが可能性はあります。

一日も早く,綺麗な御神水に戻られることを祈っております。私たち人間が,龍神や精霊の居場所さえも奪い,身勝手に自分たちの利益だけの為に自然を汚し,破壊する行為は直ちに止めなければなりません。今回の龍泉洞の出来事がそれを教えてくれているように思えます。あの東日本大震災で起きた巨大津波と古から伝わる神社の配置,先祖からの伝承話を興味深くインターネットの動画サイトで拝見させて頂きました。御見事としか云いようがない程の正確性でした。また台風がやって来ています。今度は,九州地方です。くれぐれも事前の備えをお忘れなく用心されて下さい。もう人が亡くなるニュースは勘弁願いたい。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝