菅総理は何者か?に迫ったドキュメンタリー。
一つひとつの案件につき問われれば、同じ回答を繰り返し、もしくは答えようとない。答えに窮すと、背後に控える秘書官がリアルタイムで作成した答弁を棒読みする。
そんな映像に挟まれて、11年前の民主党政権時代、時の総理を舌鋒鋭く追及する菅さんの姿が映し出される。別人。

そんな映像に挟まれて、11年前の民主党政権時代、時の総理を舌鋒鋭く追及する菅さんの姿が映し出される。別人。
そもそもの出自は、秋田の名家だったようだ。中学卒業時、同学年120人のうち半分が集団就職、残り60名の半分は家業に入る。つまり同級生の4分の1の進学組だったことを、自ら述べている。家業(農家)は嫌いだったとも。
横浜市議の時は影の市長とも呼ばれ、横浜名所建設の利権に関わった。つまりそこで財を築いたことに、ドキュメンタリーでは言及している。そのため1年生議員の頃から、懐は温かかった由。
唐突に見えた総理就任にも、永年のシナリオがあり?
身体も壊さず日本のトップに登り詰めたのには、相当な人たらしの側面も。強硬なアンチ菅であろうが、実際に面会すると、日和ってしまう人多出するそうだ。
代議士秘書からスタートした際、気配りの術を身につけたかららしい。
新聞各社の番記者を、パンケーキミーティングに招いた時、菅氏の本意が掴めないのと、出席しても大したハナシが聞けないだろうと、各社出席を逡巡したらしい。