鹿能リコのおしらせ

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愛というのは、難しい

2017年01月21日 19時19分06秒 | Weblog

はい、どーも!

 

今、遠隔気功してる人の話。

他の人の参考になるかなーと思って、ちょと、書いてみる。

 

この方ね、幼い頃、すごい病弱で入退院をくり返していたんですと。

で、ご両親はすごく気にかけていたんですね。

その結果、ご両親と依頼者の間には、通常では考えられないレベルで太い、ぶっとい、極太な気のパイプでつながってました。

(まあ、たいてい、血縁の肉親や配偶者、親友とかの間には、そういう「つながり=絆」がある。絆されるが絆……気がつながっちゃってる状態、と思うと、こう感慨深い)

 

まあ、ここだけ聞くと、いい話。

ところがどっこい。

父親は、ものすごく劣等感由来の怒り、攻撃性が強いので、いつ、いかなる状態でも、攻撃的なエネルギーが30%以上含まれている。

心配している時ですら、攻撃的。

 

母親は、エネルギーが余ってて、母性過剰で「こどもはいつまでもこども=手がかかっていてほしい=必要とされたい=必要とされるように支配する」タイプでね。

心配してても、励ましているその瞬間であっても30%以上、そこに「いつまでも病弱なこどもでいろ!」というオーダーが入ってるんですよ。

 

まあなんですかね。

毒含みの愛情です。

これも愛っていえば愛なんですけど、これを本人がちっちゃい頃からやっちまった結果、本人の丹田がない、本人のフィールドに、本人そのもののエネルギーがない。

つねに攻撃や支配という領空侵犯をおかされている状態が恒常化しちゃってたんですよ。

 

そりゃ、病むわ。って思った。エネルギー的に毒浸しなんだもん。

なので、対処療法として、親とのパイプをぶったぎって、攻撃もしない、支配もしない、徹底的に肯定的で受容そのものなエネルギーを、全力で注いだわけです。

 

でね、なにが言いたいかと言うと、「人は、他人を愛していたり、心配していたりするその瞬間でさえ、それ以外の感情が入ってしまう」ってことですかね。

そうすると、受け手……こどもは、成長しても、それが愛と思うしかないわけですよ。

疑問に、思いつつ。抵抗なんかできない。だって、「そのためのエネルギーがそもそも存在しないように、気のレベルで改造されちゃってる」のですから。

だもんで、なんですかね。

自分が他人にどういうエネルギーを与えているか、向けているか、どんな感情がそのエネルギーの基底にあるかってことを、ちょっと、考えてみるのもいいかもねーって思いました。

 

 

あなたが、愛と思っている、向けているその感情。

そのうち、純粋な愛はどれくらいでしょうか?

 

けっこうね「寄越せ(これは、共依存タイプに多い。一見、すごく弱々しいけど、貪欲さん)」とか「劣等感」「攻撃性」「支配欲」「卑屈(これね、以外と攻撃性というか毒性の強い邪気なのよ)」「マウンティングしたい(劣等感と支配欲の合体。個人的には、相当病んでると思う)」が含まれているのかも、しれないです。

まー、私も愛情100%なんて、死んだ弟と飼い猫以外には、向けちゃいないですが(ちなみに、うちの両親も愛情に色んなものが混ざってるので、実家の飼い猫は、ちょっとかわいそうなくらいびくびくしてる。過去の自分を見るようで、胸が痛かった。うちの猫=かまたんは、人なつっこくて、人間大好きで今年の冬の帰省では、母と姉をメロメロにしていた。うちに来た緒田先生にも、おとなしく抱っこされていたよ!)。

これ、5%以下なら問題ないけど、10%以上だとトラブルの原因になるんだよねぇ。

30%以上だと、本人が病むか、周囲に病む人が頻発するのよ。

 

そんな感じで。

ということで、自分がどういうエネルギーかってことに気づいて修正すれば、リカバリ、ききますので。

本当の意味で純粋なんて、瞑想等で人工的にその状態に持っていかないと無理なので、その辺は「完璧」じゃなくても、かまわないんですよ。

つーか、自然にそんな状態になれる人は、人間でいる必要が無い(とはいえ、たまに……ゼロに限りなく近く純粋なそれ、を持っている人もいる)。

トラブルが起こらない範囲に、おさめる。それだけが、重要だと思います。


エポックポイント

2017年01月21日 07時59分28秒 | Weblog

はい、どーも!

昨日の20日は、アレですよ、アレ。

 

 

「万華鏡の花嫁」発売日でした~!!

トランプ氏の就任式と同じ日~(日本時間ではずれてるけど)。

買ってくださった方々が、楽しめますように!!

 

んで、仕事的には、プロット入力中。

小ネタが浮かんで嬉しいんですけど、私、小ネタが浮かぶ時って、大筋がいまいちな時が多くてね…………。

いやでも、コメディだから!! 会話主体だから、逆に骨太のメインがあると、枚数大幅オーバーだから!!

と、自分に言い聞かせています。

 

泣かせるのって、結局、「自分は、世界に(親でも恋人でも可)、愛されていた!」と、気づくことだと思うんだよねぇ。

孤独ではなかったと、実感する瞬間。愛は、常に「そこ」にある。

その瞬間を書くために、キャラクターの設定を決め、キャラクターが決まれば大筋って決まるので、いかにその瞬間に収束させる構成にし、効果的に演出にするか、かなぁと思います。

 

 

……私は気功で無条件の愛(か、それに似たナニカ)を呼び出して、がーっと注いでしまうから、現実的な世界では、味もそっけもないんですけど。

(純粋にテクニックの問題だろうと思っている。サーセン)

気功より、小説で出来た方がいいねーと思います。

 

別PNの編集さんに「呼吸できるってだけで、愛を実感できるよ!」って言ったら「それは、鹿能さんくらいです」と切り返されましたが……。

あー。

他者からの完璧な愛を求めるのって、劣等感由来なんですよね。

「完璧」ってのは、劣等感とコインの裏表の部分があるので。

それとは別の意味で、人間には成長とか向上したい欲求があるので、「もっともっと上に!」っていうのは、あると思いますけど、それって「完璧」を求めているのかといえば、ちょと違う気もする。

そんでまた、トライアンドエラー……過程を楽しめるのは、いい欲求。

ただただもっと欲しいってのは、やっぱり劣等感かそれに近い、欠乏、飢えが原因だろうなぁと思います。

 

まあ、こういう風にロジックに考えるあたり、才能ないねーって思いますけど。

才能ある人って、こういうことが本能に設置されてると思います。

 

とまあ、そんなかんじで。

これから遠隔気功なんですけど、今日は何やるかなー。

とりあえず、愛をどぼどぼ注ぎます。貴継が馨に注ぐような愛かなー。無条件かつ全肯定。あなたは存在しているだけで、あなたは愛に、値する。そういう愛ですな。

でも、それは、その辺にあるのですよ。ちょっとこう、意識を上に持ってって、引っ張り込むだけ。

地球そのものとかねー。愛がいっぱいよ。

いじめの加害者とか、神様が加害者であることを許しているのも、愛かな、と思った。

失敗することを許すっていうか、失敗しないとわかんないこともあるねーというか。いじめ、イクない! って理解するために。

私は、ぶっちゃけ、いじめの加害者とかぜーーーーったいにヒーリングしたくないけど、加害者を優先的にヒーリングしないと、被害者が量産されるのかぁと思うと、嫌でもやんなきゃいけないんだなーと思ってね。

それで、「神様が存在を許してるんだから、私も許さないといかんのかなー」とか、ぶつくさ考えてます。

 

そういえば、加害者タイプの人って、まず、ハイヤーセルフ=高級神霊?とつながってないんだよねぇ。

つながってないというか、見えない。見えるのは、へろへろに疲労してる守護霊なのね。

これは、けっこうしんどい状況だと思う。

なんでしょうねぇ。どこかで、盛大にボタンをかけ間違ったんだろうなぁと思うのね。

魂が疲弊すればするほど、加害者になる。

そこに憐れを感じられるか、でしょうか。それが慈悲なんだろうなぁ。かわいそうって方を、クローズアップさせる。

 

越えなきゃいけない、壁が高いなぁ。と、ぼんやりしつつ、絶好調と感謝と叫びつつ、失礼します。

あ、仕事は起承転結の、転の最後、あとちょっとで結です。

 

……結って、結ぶってことか。人と人(愛でも、世界でも)の絆を結ぶ……オチじゃないと、物語ではないのかもしれないなぁ…………。