先生のスケッチを印刷した絵葉書。
東北、アリューシャン、タクラマカン、
ベトナム、エジプト・・・。行く先々をサラサラと描かれた。
昨日は、9月に亡くなられた大学時代の恩師、
桜井清彦先生を偲ぶ会に出席させていただいた。
大学のカフェテリアで、教えを受けた大学の教え子やら関係者を中心にした会。
案内のハガキをもらった当初は、大学のカフェテリアでの会なんて、
もっと気のきいた会場はないのかと、世話人には失礼ながら思ってしまったのだけれど、
思えば、この場所にこそ、かつては考古学の研究室があったのだった。
そう、世話人代表の先生の挨拶にもあったように、
こここそ、先生の世界に向けた出航の港だったのだ。
桜井清彦先生は、若い時代、北方考古学を志され、
その後エジプト、ベトナムなど幅広い地域の研究をすすめられ、
また、考古学協会の会長を努めるなど、国内外の考古学の発展に尽力された。
世界中を飛び回るお姿は本当にエネルギッシュで、
小さなお体は、いつも飛び跳ねるように動かれ、
驚くような好奇心にあふれていらっしゃった。
お酒と同じように、甘いものもお好きで、
エジプト調査団の荷物には「ゆであずき」が必須だったそうである。
そういえば、学生時代、一日かけて、宴会のつまみ(!)にと、
考古学実習室のガス台で、お汁粉を作るよう言いつかったことも懐かしい。
教えを頂いたころと変わらぬ、和やかな笑顔のお写真に、
ありし日に受けた御恩にたいする御礼と、ご冥福をお祈りした。
そんな先生がめぐり合わせてくださったのだろう、
昨日は、なつかしい、なつかしい顔顔に出会うことができた。
同期のNちゃんは、たった一人でラオスで研究をすすめていた。
後輩のIちゃんは、2人のお母さんになりながら、ご主人と独立した会社を作っていた。
昔、一緒に北極に調査に行った後輩のOくんは、今もその村をフィールドに活躍、
当時、はにかみながらくっついてきた、幼いイヌイットのロイ少年は、
立派なハンターに成長したそうだ。
また、先生の活躍する姿を映すパワーポイントの映像には、懐かしい写真がずらり。
研究室で調査に3年間通った、青森の蓬田大舘。
あんなこともこんなことも・・・話の尽きない夜だった。
みかけはみんな少し大人?になったけれど、
中身は変わらないな。
同期のKくんが言った。
そのとおり!
けれど、まったく同じじゃない。
忘れてしまっていたことがあったことを思いだした。
先生と一緒に見ていた広い広い世界。考古学研究の境なくはてない面白さ。
ちょっと、いや、だいぶ、心が縮こまってしまったかなぁ。
今、多くの人に支えられて働いている毎日は、一つの芯なのだけれども、
他に、もう一つ芯にしなきゃいけないものがあるんだった。
もう一つの芯を、きちんと磨けるよう、また、がんばります。
先生、ご存知、なまけもののかめしーたに、
天上界からも、どうぞ、叱咤叱咤(ちょっと)激励をお願いいたします。