かめしーたのアパートの震災の傷跡です。
今だに避難所で暮らす人々・・・。
先行きの見えない原発事故・・・。
日々は涙と不安とため息にあふれているけれど・・・。
それでも、昨日東北高校ナインは全力疾走で甲子園を駆け、
東京では桜が咲きました。
新しい春が来ます。
yashikirinさんや凧男さんのブログを訪ねてください。
きれいなきれいな白い花が咲いています。
こぶしか白モクレンか・・・。
♪こぶし咲くあの丘北国のああ北国の春♪
帰りたい故郷は今は目を覆うばかりでも、
待っていてくれるはずの人もまだみつからなくても、
春はやってきてしまいます。
自然は時間はかくも残酷かと以前も思ったことがあります。
神戸の震災の翌日のTV。
焼け野原に朝陽が昇る映像。
アナウンサーの「朝です。陽が昇ってきます。」の声は悲痛でした。
いつもなら、希望の印であるような朝陽が、初めて残酷な笑顔に見えた日。
夢であってほしいと願っても、
昨日の夜に戻りたいと願っても、
時間はそんな想いなどいかほどかといわんばかりに、たんたんと流れ、
自然はかわらず営み続ける。
なんて残酷なんだろう・・・。
それでも、人々はいつか前を向き、
神戸は復興した。
今度だって大丈夫。
きっと、また、朝陽が、白い花が希望に見える時が来る。
春を喜べる日が来る。
♪あの故郷に帰ろかな、帰ろかな♪
かめしーたにはなにもできないけれど、せめて、いつも心を寄せることだけは。
できたら1月21日のブログ「春を待つ」を見てください。
あの頃はこんな春を迎えるとは思っていなかったけれど・・・。
あの時堅い蕾だったこぶし?も。
そして、芽をだしたばかりだったチューリップも
ノースポールも
あのあとずっと姿を見せず心配していた猫のみーも
帰ってきたと思ったら・・なんと!
このストラップを獲物と思ったらしく、
かめしーたが気を抜いているうちに携帯ごと捕獲し、
車の下に持ち込んでしまい・・・
さんざんいたぶったあげく、生物でないことを確認、放置・・・。
傘の柄でようやく取り返しました・・・傷だらけだよ・・・まったく
狩猟本能は健在だったか・・・。
(ちなみに写真のバックにある新聞には、
市川考古博物館のR塚さんが子供記者のインタービューを受けた記事が。)
去年、したのや遺跡公園で育て、収穫したエゴマ
(縄文時代にも栽培されていたかもしれないといわれています。)
から種がこぼれたのか、ちいさな二葉があちこちに・・・。
金曜日の新聞には、石巻のある病院では、
震災後61人目の赤ちゃんが生まれたとの記事。
今、たまたま震災から逃れた私たちにできるのは、
日々の日常をしっかり、元気に過ごしていくことしかないと思うのです。
心だけは寄せながら。
朝には開いていなかったピンク色のモクレン?こぶし?なに?が
夕方にはこんなに。
時間や自然は残酷かもしれないけれど、決して変わらず進む。
私たちも一歩一歩・・・。
そうして、ヒトは歩いてきたんだから、
ラエトリから、日本列島へ、したのやムラへ、そして今日へ。
また一歩一歩・・・。