したのやムラ便りG

東京の片隅に眠る下野谷遺跡。「したのやムラ」と呼ばれる縄文のムラがありました… (non official site)

日本最大級の環状集落

2013年02月17日 04時04分54秒 | 下野谷遺跡

富山ですごい遺跡が発掘されたそうです!

直径280mの日本最大級の縄文時代中期の環状集落だそうです。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG13066_T10C13A2CR8000/

                                                               

「しーた」と「のーや」の住む「したのやムラ」の跡の「下野谷遺跡」

まったく同じ墓域を含む中央の広場を住居が囲み、

その内縁部に倉庫と考えられるの掘立柱建物がある「重帯構造」をもつ

今から5000年~4000年前の縄文時代中期の環状集落

                                                            

下野谷遺跡は、その環状集落が2つ以上あると考えられる「双環状集落」で、

台地の西側に200×170m、東側に300m×180mの規模の集落が見つかっています。

いままで遺跡の約10分の1が発掘されていて、

400軒をゆうに超える住居跡が見つかっています。

                                                             

出土した土器や石器の数は膨大で、

その一部は西原にある西東京市郷土資料室でみることができます。

また、西側集落域には下野谷遺跡公園もあり、大きなマンションなどがないため、

そのほとんどが地下に保存されているものと考えられます。

                                                          

富山でみつかった遺跡と比べていただいても、

下野谷遺跡の規模がいかに大きいかわかりますね。

関東では、こういった規模の大きな集落が拠点的なムラとしてあったようですが、

下野谷遺跡の大きさはその中でも屈指です。

まちがいなく日本最大級の環状集落です。

                                                          

西東京市には、こんなに素晴らしい宝が眠っています!

「しーた」と「のーや」たちの「したのやムラ」ですよ。

ぜひ、一度、遺跡を訪ねてみてくださいね。

遺跡公園の詳細はこちらです。

                                                     

http://www.city.nishitokyo.lg.jp/sisetu/itiran/koen_ryokuti/sitanoyaisekikouen.html

Photo

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下野谷遺跡のこと①

2010年10月03日 06時28分58秒 | 下野谷遺跡

Imgp6223 西東京市教育委員会発行のパンフレット

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 

「したのやムラ」があった下野谷(したのや)遺跡は、東京都西東京市東伏見にある。

西武新宿線東伏見駅南口をでて徒歩7分。

武蔵野台地を東西に流れる石神井川の南岸の台地の上を中心に広がっている。

                                                                    

遺跡には、旧石器時代・縄文時代・近世・近代を中心に、人々の活動の跡が埋まっている。

旧石器時代には、3万年ほど前には、もう、人が訪れていることがわかっているし、

2万5千年ぐらい前には、石神井川沿いに何度も人々が訪れたあと(石器を作った跡や、石蒸し料理を作ったと思わる跡)が残っている。

縄文時代になると、9千年ぐらい前には、たくさんの炉(火をたいた場所)が残っているし、

4~5千年前には、石神井川沿いでは中心となるようなムラがあったことがわかっている。

江戸時代になると、畑や道路(青梅街道?)の跡がみつかる。

そして、戦争前、戦争中には、中島飛行機製作所という、ゼロ戦の部品を作っていた工場の関連施設や防空壕の跡が残る。

                                                                   

下野谷遺跡は、このように、歴史を語る宝の場所だ。

今は一画に、「下野谷遺跡公園」ができ、遺跡の一部が公園の地下に保存されている。

出土した土器や石器などは、ちょっと離れてはいるが、西原総合教育施設にある、西東京市郷土資料室に展示されている。

ぜひ、みなさんも、一度訪ねてみてください。

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