山陽道(西国)第32回目(西広島~広島)
2014.2.13(木曜日) 曇り
10時41分西広島駅に到着。駅前に「花山駅 ズッコケ三人組」の像がある。その説明文によると<この像は戦後の日本児童文学でベストセラー「ズッコケ三人組」に登場する主人公です。「花山駅」は西広島駅をモデルにしています>とある。駅前商店街を歩いていると、「佐伯郡己斐村一〇〇‐一」と刻まれた道標があった。竣工が平成25年6月とある。ここが整地された時に作り直されたものか?神功(じんぐう)皇后がこの己斐に船を止められた時、地元の長が鯉を差し上げたので、この村を鯉村と呼ぶようになったが、1199年の文章に「己斐」とあるので、その頃から己斐になったらしい。(梶さんの資料から)
西広島駅と駅前の「ズッコケ三人組」の像 駅前商店街と昨年造られた道標
商店街を抜けて信号機を右折すると、太田川の放水路に架かる橋・己斐橋が見えてくる己斐橋を渡ると福島町に入る。福島といえば、洪水で崩れた広島城の石垣を許可なく修復したとして改易され、「戦のない時代になっては、役立たずの古物として土蔵の中に入れてしまわれることよ」と言って表舞台から消えた広島城主の福島正則を思い出す。広島西郵便局のある交差点右角に「林の餅」があるので、餅を買って頂くことにした。
太田川に架かる己斐橋 福島町一丁目 広島西郵便局前の「林の餅」
「林の餅」を過ぎて行くと、天満町に入り左に赤い鳥居が見えてきた。鳥居の脇には、旧山陽道と刻まれた石柱が立っている。天満宮のご祭神は、もちろん天神さま・菅原道真公。学問の神様として信仰されているが、ここ天満町の天神さまは、火災からの災難よけとして祀られたのがはじまりだ。たびたび火災が起きたので、当時の町役人が天神さまのご霊徳をいただこうと、それまでの元小屋新町を天神町と改め、天満宮を鎮座の神さまとして祀ったことが、境内の由緒を記した石碑に刻まれている。その天満宮で、参拝していると神主さんが飛んでこられお祓いをして下さったのにはビックリした。参拝の仕方や意味など丁寧に説明して頂いた。その先、天満川に架かるみどり色の橋・天満橋を渡る。
赤い鳥居と石碑 お祓いを受ける 天満川に架かる天満橋
天満橋を渡って東に行くと、土橋信号機の手前右側に頼山陽煎餅藝陽堂がある。明治44年創業、今でも店の奥で手焼きをしている。手焼き煎餅もさることながら、頼山陽(頼山陽は江戸後期の思想家で「日本外史」が有名。幕末の尊王攘夷運動に影響を与えた人物)の名前につられて煎餅を買う。その先の浄国寺には、宮島のおしゃもじの創始者誓真の墓がある。誓真は宮島にこれといったみやげ物がないことに気付いて、弁財天の持ち物である楽器の琵琶の形をまねて、「おしゃもじ」を作ったと伝えられている。(1789~1800)本川橋から中国新聞社ビルが見える。その前に本川浜恵美須神社がある。
頼山陽煎餅 誓真さんの墓 本川浜恵美須神社 本川橋
本川橋を渡ると平和公園である。歩道に「西國街道 中島本町」の表示があった。道を挟んで右に原爆資料館があり、左に原爆の子の像と原爆死没者慰霊碑がある。10数年前にこの折鶴が放火され、14万羽の折鶴が焼失したことを思い出した。
西國街道の表示 原爆資料館 死没者慰霊碑 原爆の子の像
平和公園のはずれ、元安橋の手前右側に「広島レストハウス」がある。これは旧大正屋呉服店で、原爆投下でも全壊を免れて残存している建物ということ。元安橋から左側に原爆ドームが見える。
広島レストハウス 元安橋から原爆ドームを 元安橋
元安橋を渡ると左手茂みの陰に「広島市道路元標」がある。案内板によると、この地は、主要街道が交差し太田川の水運の利もあって広島城下の中心地だった。当時この地に高札場があり、付近には馬継場や藩の公式の宿舎、御茶屋などがあった。広島からの里程(みちのり)はすべてこの地点から起算されていたとある。その反対側に喫茶店があり、店の前に「昭和二十年八月の地形」の石碑がある。
広島市道路元標と案内板 元安橋の袂・喫茶店前の石碑
元安橋から少し歩くと電車通り出る。それを横切ると本通りである。ここは広島の中心街で木曜日というのに大変な賑わい。その商店街のアーケドを抜けると、夜はネオン街で賑わう堀川町。12時30分を過ぎたので、お好み村を探してウロウロ。結局地元の人にそこまで案内をして頂いた。(お目当てのお店が定休日なのでガッカリ!)
電車通り 本通り商店街 広島風お好み焼き
13時40分再出発。ライオンビルを左折し電車通りを横切って行くと幟町交番前信号機にぶつかる。そこを右折すると橋本町に入る。広島駅に向けて歩いて行くと京橋がある。後で梶さんの資料を読み返してみると、ちょっと面白い事が書かれているので、そのまま引用させてもらう。<元安橋から本通り、堀川町から銀山町。そして京橋を渡って、猿猴橋へと向かいました。橋の親柱は、京へ向かう人たちの側、すなわち京都と反対側は「ひらがな」。京都側は「漢字」で橋の名前が書かれています。これは、「学問をするために京に上り、力をつけて帰郷する」つまり、京に向かうときはひらがなでも、帰郷するときは漢字が使えるようになって帰ってくる。ところが、猿猴橋はきちんと京都側が漢字ですが、京橋は反対です。橋の復旧工事のとき間違えたのか。> いままでの橋、確認してなくて残念。京橋を渡り駅前大橋を渡ると今日の終点広島駅に到着。到着時刻は14時15分でした。
ライオンビル 京橋 親柱の字が反対(漢字は東側なのに・・) 駅前大橋
広島駅前で撮影
今日のコースは5.0Km (広島県の計44.1Km 総計209.2Km)
参加者 S夫婦とM夫婦の4人
広島駅を15時13分の電車に乗り帰る。
今回は横川駅をショートパス
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