山陽道(西国)第55回目(吉備真備~総社)
2016.10.19(水曜日)曇り
宿泊した「ホテルサンプラザ倉敷」で思いがけず豪華な朝食をいただき、9時に出発。 「倉敷駅」9:36発「新見」行きに乗車し、「清音駅」で井原鉄道に乗り換え、「吉備真備(きびのまきび)駅」まで戻る。吉備真備がすんなり読めず仲間内で何度も言い合うが、結局うろ覚えのまま。明日になるときっと読み方忘れているんだろうなあ~。 このあたりに限ったことではないが、地名の読み方は難しいし、おもしろい。
豪華な朝食 ホテル前で 清音駅で乗り換え
駅前を北進し、10時過ぎに前日の終点「倉敷市真備支所北交差点」に着く。交差点を右折し、旧山陽道に入ると、ほどなく左手に「第58番地蔵堂」がある。
吉備真備駅 本日の出発点 地蔵堂
県道278号を歩いて行くと「倉敷市真備町箭田(やた)」に入る。数分後、県道から離れ左の脇道に入ると、紅い鳥居と社があり、「大曲」になる。無人の野菜売り場があり魅力的だったが、まだまだ先が長いので断念。大曲を右折して「二万口(にまぐち)」交差点へ出て左折する。
県道から離れ脇道へ 大曲 無人の野菜売り場
超モダンな「マービーふれあいセンター」を左手に見て10分ほど進む。ホームセンターで20分休憩し、再び歩く。「有井」の交差点を過ぎ、「川辺宿駅口交差点」から川辺宿駅を臨む。
マービーふれあいセンター 休憩 有井の交差点 遠くに川辺宿駅を臨む
川辺バイパス西交差点から右の脇道へ入る。右手にスーパーを見て「川辺交番南西」交差点を過ぎると右手に源福寺がある。
右手の脇道へ 右手にスーパー 川辺交番南西交差点
源福寺:延徳2年(1490年)開基。一日一石といわれる石垣は、蟻の入る隙間もないほど精巧である。
源福寺 精巧な石垣
左手に艮御崎神社(宮)の参道があり、奥に恵比須宮、疫神社、地神などが祀られている。
艮御崎神社 恵比須宮 疫神社 地神
艮御崎神社(宮)(うしとらおんざき):字市後にあり、十余社を合祀した村社。定かでないが棟札には慶長15年(1610年)とある。神社入り口の門柱にある「八雲絶唱・・・」の文字は犬養毅元首相揮毫によるものである。
過ぎると左手に「川辺脇本陣跡」の石柱があり、続いて右手に「川辺本陣跡」の石柱がある。
川辺脇本陣跡 川辺本陣跡
川辺本陣跡:川辺本陣は醤油屋を生業とする難波氏であった。旧山陽道上りの本陣は岡山市板倉、下りは小田郡矢掛町矢掛にあるが、川辺本陣宿泊の次の宿泊地は、上りでは岡山市藤井又は和気郡三石、下りでは広島県神辺である。
虫かご窓の旧家を見て過ぎると高梁川の土手に当たる。「史蹟山陽街道一里塚 江戸より百八十里」の石標がある。ここを左折し、川沿いを歩き高梁川の歩行者専用橋を渡る。
虫かご窓 一里塚 歩行者専用橋
川辺一里塚跡:一里塚とは一里(約4km)毎に道の両側に設け道標とした塚(大きさ9m四方)である。一里塚を最初に設けたのは織田信長であるが、全国的には徳川家康が慶長9年(1604年)、東海道、中山道などを修理し、江戸日本橋を起点として一里塚を設けた。川辺一里塚は江戸日本橋より180里(約707km)である。旧山陽道で当時の面影を留めているものには備前市香登や、岡山市真金の一里塚がある。川辺より上りの一里塚は山手村西郡三軒屋、下りは真備町箭田山根天神端にある。
道路を渡り脇道に入り、高架横を並行に歩いて、清音駅に至る。
脇道 高架横 清音駅
駅前を北に進み「レストラン五感」で昼食。リーズナブルなランチをいただき、13:30出発。このお店、近くならまた行きたいと思ったけれど遠過ぎるな~
レストラン ランチ 清音のマンホール
北へ向って歩き、右折して伯備線の「旧国道踏切り」を渡り直進する。途中、左手に大津保神社と小津保神社を臨む。
踏切り 大津保神社 小津保神社
ほどなく「市指定石造美術 藤原為貞宝篋印塔」がある。
藤原為貞宝篋印塔
清音小学校を右手に見て進み、総社南高入口交差点を渡り、次の信号で今回の歩きは終了。タクシーで清音駅に戻る。
清音小学校 交差点 終了地点
清音駅 横溝正史作品マップ
岡山県の備中エリアは、作家横溝正史が生んだ探偵金田一耕助シリーズ所縁の地。 若いころ、このシリーズにはまった私としては、またの機会にゆっくり散策してみたいところである。
今日のコースは 6.5km (岡山県の計 36.5km、 総計 369.5km)
参加者 M夫婦、S夫婦の4人