山陽道(西国)第70回目(舞子~新長田)
2019.12.12(木曜日)晴
2011.11.21下関の亀山八幡宮を歩き始め8年。今回の2泊3日の歩きで、いよいよ最終目的地に着きそうです。 わくわくします。そして少し寂しくもあります。 10:45 前回の終点 舞子駅から歩き始める。明石海峡大橋の真下を抜け、舞子公園内の「移情閣(孫文記念館)」、「旧武藤山治邸(旧鐘紡舞子倶楽部)」を右手に見て、2号線を45分程歩き、11:30 JR垂水駅に着く。
舞子駅 明石海峡大橋 舞子公園
2号線を歩く JR垂水駅
5分程行くと右手に赤い鳥居が、左手に「海神社」がある。少し行くと「玉林禅寺」がある。5分程行き「福田橋」を渡る。
赤い鳥居 海神社
玉林禅寺 福田橋
2号線を歩いて行くと左手に「地蔵尊」が見える。「垂水海浜センター」沿いを歩き 左上に山陽「滝の茶屋駅」を見て 昼食をとったうどん茶房に着く。小一時間程休憩し 13:00に出発する。
地蔵尊 垂水海浜センター うどん茶房
左手民家の奥に祠を見て、5分程行くと左手に「JR塩屋駅」がある。海沿いを15分程行くと摂津から須磨区へ入る。
祠 塩屋駅 海沿い 摂津から須磨へ
須磨区へ入って15分程歩くと須磨浦公園に着く。公園内手前には「史跡 敦盛塚」や「石標」がある。この付近は源平一ノ谷合戦場として知られ、寿永3年(1184)2月7日に当時16歳の平敦盛が熊谷次郎直実によって首を討たれ、それを供養するために この塔を建立したという伝承から「敦盛塚」と呼ばれるようになった。また、鎌倉幕府の執権 北条貞時が平家一門の冥福を祈って、弘安年間(1278~1288)に造立したなどの諸説がある塚である。
須磨浦公園 敦盛塚石造五輪塔 旧西国街道の石標
10分程行くと「みどりの塔」がある。1995年1月17日午前5時46分、阪神地域を襲った直下型地震の際、この直径1.2m、重さ2.4tの「地球儀」が落下したそうです。「薫風」像本体には幸い被害がなかったそうですが、自然の猛威には謙虚に立ち向かわなければいけないと思いました。「源平史跡 戦の濱」石碑、「長田神社須磨御旅所」を見て20分程歩くと南北に「山陽須磨駅」「JR須磨駅」がある。
みどりの塔 戦の濱 長田神社須磨御旅所
5分程行くと「村上帝社」がある。千守で2号線から外れ左に入り、10分程行くと左手に「旧西国街道」の石標と、901(延 喜元)年、菅原道真が九州太宰府に流される途中、風波を避けて須磨に一時上陸した際、旧家である前田家の人が水をくんで差し上げたと言われている井戸「菅の井」がある。
村上帝社 左へ 石標と菅の井
「行幸町4丁目」を通り、「厄除八幡神社」、「月見山妙興寺参道」、「月見山浄徳寺」を過ぎて「三の井橋」に出る。
厄除八幡神社 月見山妙興寺参道 月見山浄徳寺 三の井橋
道なりに15分程歩いて行くと、大田町交差点に「旧西国街道」の石柱がある。西代通3丁目を通り、左手に「楠大神(稲荷)」を見て、今日の終点 西代通1丁目交差点に着く。宿泊のため25分程南下して「JR新長田駅」近くのホテルへ。16:40 到着。
旧西国街道 石標 楠大神 西代通1丁目交差点
JR長田駅 ホテル
今日のコース 12.0km (兵庫県の計 102.7km、総計 525.8km)
参加者 M夫婦、S夫婦の4人
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