ぼちぼち歩く旧山陽道

旧山陽道を歩いて制覇する記録です。

山陽道(西国)第46回目(尾道~東尾道)

2015-07-05 | 日記

山陽道(西国)第46回目(尾道~東尾道)

2015.5.19(火曜日)曇りのち晴れ

昨夜は大雨で歩けるかどうか心配していたが、朝起きると曇り空。天気予報は曇りのち晴れなので行く事に決定。三原駅に9時26分に到着。新幹線のホームに降り立つと窓から三原城天守台跡地の公園がすぐ横に見える。公園はつつじが咲き良く整備され綺麗だ。1階降りて在来線に乗り、10時1分尾道駅に着く。街道は駅北口に出て歩くが、南口の方が賑やかなので観光もかねて南に出る。駅前で写真を撮り、左山手の尾道城を見ながら港沿いの道へ。商店街に行くつもりが道に迷い、地元の人に教えてもらいようやく商店街へ出る。東第一踏切が左手に見えたので、「北口から歩いたら迷わなかったね」と話す。

       

三原城天守台跡の公園    尾道城    尾道商店街   

商店街の入口に林芙美子の銅像がある。「海が見えた 海が見える 五年振りに見る 尾道の海はなつかしい」という「放浪記」の一節が刻まれている。銅像のすぐ先、商店街に入ると右手に「林芙美子記念館」がある。記念館の奥に林芙美子が少女期を過ごした部屋がある。一歩さんが歩かれた10年前は喫茶店だったのでコーヒーを飲もうとしたら、「喫茶は止めました。」とボランティアの人に云われた。

    

林芙美子の銅像 林芙美子記念館 芙美子が少女期を過ごした部屋

「西国街道を行く」の資料によると「現在の中央商店街が昔の西国街道で、その土堂一丁目に一里塚があった。この辺りは奉行所通りとも呼ばれていて、文化9年に描かれた尾道町の絵図には、現在の旧商工会議所の建物のあたりに御屋敷 御倉と奉行所の建物が並び、その西側の海側に抜ける小路あたりに小川と道路を挟んで大きな松が描かれ一里塚の位置を示している。広島から19里、備後高須から1里の位置である。」と書かれてある。商店街を歩いて行くと左手に「旧所名 一里塚」と書かれた看板があり、右側には「石畳小路」の路地がある。(海に抜ける小路なのか?)そのすぐ先に、旧商工会議所の建物があり、その右に奉行所跡の石標がある。

     

土堂一丁目の尾道一里塚跡付近 石畳小路 商工会議所と奉行所跡の石標

旧商工会議所の前に「大和湯」と書かれたお店がある。中を覗くと、以前はお風呂屋さんだがそのまま利用したというのがよくわかる。御旅所が商店街の中にあり、神輿が飾られていた。「この商店街はおばさま達とゆっくり来たいね。きっと楽しいよね。」と女姓達はこのまま商店街を歩きたかったらしいが、住吉神社と浄土寺に行く予定なので、街道からそれるが尾道郵便局を右折して、海側の道を歩く。

    

大和湯      真実の口      御旅所 

尾道は大きな通りや小路に名前が付いている。例えば、この海岸沿いの通りは「渡し場通り」で少し行った小路が「築出小路」と道標がある。尾道商工会議所前広場の東の堤防に、尾道の歴史の要点が書かれている。内容を要約すると「・武家の人口は、江戸は5割、大阪は1割で尾道は百分の一、尾道は町人の町である。・足利尊氏は、九州から兵庫へ行く途中、浄土寺に寄り必勝祈願の和歌を奉納した。江戸時代、奉行平山角左衛門が住吉浜を修築し、西回り航路が開発された。・平成11年にしまなみ海道開通。」などと書かれてある。

  

渡し場通り     築出小路 堤防に尾道の歴史が

商工会議所の東側に住吉神社がある。この神社は、もともと浄土寺にあったが、尾道の町奉行に着任した平山角左衛門が、住吉港を修築した際、ここに移設したといわれている。住吉神社の花火大会は、昔から「西の両国花火」と呼ばれ有名らしい。信号機の所を右に進んで行くと右手に尾道市役所がある。その斜め前道路の向うに「尾道映画資料館」がある。残念ながら火曜日はお休みだった。(本当に見たかったのに・・!) 道なりに10分程度歩いて行くと、右手に胡神社があった。

   

住吉神社    尾道映画資料館    胡神社   

11時10分、胡神社の先の道路を左折すると浄土寺が正面に見える。国道2号線を渡り、山陽本線のガードをくぐり、階段を登って行かなければならない。「結構歩いたので、休憩したいね。」「あの階段は無理かもしれない。」という声があったので、休憩する組と浄土寺に行く組に分かれる。(防地口の信号機付近で出会う事にする。最近は携帯電話があるので助かる。) 浄土寺は、聖徳太子の創建の寺として知られている。本堂は国宝で山門は重文である。

    

正面に浄土寺が    山門(重文)    本堂(国宝)

一方の組は旧道を歩く。右手に筒湯地蔵尊があり、10分程度で防地口信号機に着く。そこに「純喫茶」の看板を発見。「純喫茶なんて懐かしい。」とここで休憩することにする。

    

筒湯地蔵尊    純喫茶で休憩    浄泉寺の大屋根

11時50分再出発。国道2号線を渡ると、左手に正念寺がある。この寺は遊行上人にて開かれた念仏寺。境内には延命水があり尾道一の名水といわれている。寺に隣接して亀山八幡宮があるが、再び国道2号に出て、山陽本線を越えなければならない。更に大屋根の見事な浄泉寺に行くには、ひと苦労するらしいのでパス。 緩やかな上り坂を歩いて行くと、右の山手に林芙美子の母校・尾道東高校がある。その先、左へカーブする正面に祠がある。中には道祖神と見られる石塔が2基。

    

正念寺の山門  林芙美子の母校・尾道東高校  道祖神   

道祖神を過ぎると坂道は急になり、この付近から防地峠と呼ばれる坂になる。地蔵堂を左に見ながら、さらに坂を上がって行くと尾道バイパスの高架下(防士トンネル1号・2号)に出る。トンネルを抜けると左手に「南無妙法蓮華経」の自然石に刻んだ題目石がある。

   

地蔵堂      防士トンネル1号     題目石 

右に左に曲がりながら坂道を上がって行くと、尾道の町並みが眼下に見える。(防地峠から尾道バイパスや海や町並みが見えて美しい)その先、右に大きく曲がる左手の角にも南無妙法蓮華経の題目石があり、右手に地蔵堂がある。地蔵堂の扁額に「大慈悲」と書かれてある。

    

防地峠から尾道が・・   題目石     地蔵堂

くねくねした道を右に曲がり、左に曲がりさらに右に行ったりして、すっかり方向感覚が狂ってしまった。プレス工業の横の道を上がって行くと十字路に出た。この舗装道路の手前左に、「従是西 芸州領」と刻まれた広島藩の領界石を発見したが、福山藩の領界石が見つからない。うろうろしていると地元の人が家から出て来られ、「福山藩の石柱は道路の向うですよ。」と教えてもらう。道路を渡ったところ同じく左側に「従是東 福山領」の石柱が立っていた。坂を上がりきった峠は江戸時代、広島藩と福山藩の藩境で、かつては両藩の番所があった。広島藩側を「西の番所」、福山藩側を「東の番所」とよんでいたという。 「西の番所」は跡形もないが、「東の番所」の建物は残っている。少し歩いて行くと左側の山手に福山藩の番所(と思われる)が見える。屋根はシートで覆われていた。

    

広島藩の領界石  福山藩の領界石  福山藩の番所跡

防地峠を下ると尾道バイパスがある。この2本のトンネルを抜けると二つの溜池(坊地池―ぼうじいけ)がある。二つの池の間の堤防には、知る人ぞ知る独特の字体「南無阿弥陀仏」の六文字、徳本上人の六字名号石の石碑と左右に二つの石仏(左が勢至菩薩・右観音菩薩)が建っている。この場所は蓮如上人が母を訪ねて浄土寺を訪れ、帰りにここまで送ってきた住職と名残を惜しんだ場所とされている。 13時になったので道路沿いのコンビニで弁当を買い、木陰で昼食を摂る。

   

坊地池  本上人の六字名号石の石碑  コンビニで弁当を・・ 

13時45分にコンビニを出発する。この辺りは、しまなみ海道高須インター入口や国道2号線、尾道バイパスの道路が上に走り、旧道も一部遮断され込み入って間違いやすい。高須インター南信号の所から尾道バイパスを歩き右側の旧道を行く。旧道に入ると右手に浄土寺の看板のある地蔵堂があり、その先にも祠があった。祠の横に建物があるので休憩所かと思ったら、中の上の棚に沢山のお地蔵さんが祀られていた。

    

しまなみ海道高須インター付近  祠  上の棚にお地蔵さん

街道は再び尾道バイパスと合流する。「阿草(あぐさ)入口」信号で道路を渡り、そのままバイパスを歩く。さすが観光の町尾道というか、バス停の形が可愛い。その先、バイパスとわかれて左に曲がって行くと「高須一里塚跡」の案内板がある。ガードレールの下に小さな石碑が見える。石碑の方は見落としそうだが、「高須一里塚跡」としっかり刻まれている。この地域の宇名は「一里塚」と名付けられている。備後尾道から一里、備後板倉より十六里あるそうだ。「これってロケーションが悪いよね。石碑が見えるように工夫がいるね。」

   

阿草のバス停   高須一里塚跡の案内板とガードレール下の石碑

左の急傾斜地の上に「関の地蔵尊」が見える。ひげの梶さんによると「関とは三重県鈴鹿、旧東海道の宿場町。その関の地蔵院には我国最古の地蔵菩薩が安置されている。桂昌院が信仰して五代将軍綱吉が生まれたとか、一休さんの褌伝説で全国的に有名で、この地蔵尊もそこからきているのでは。」と書かれてある。どうやって上がるのかと思っていたら、U字の曲がる街道の角に「関の地蔵尊 すぐそこの上」の案内板があり、その前に「右 ちかみち」と刻まれた碑がたっている。その先、左手山裾に「讃大松」の漢詩で刻まれた石碑がある。

    

関の地蔵尊   「右 ちかみち」の石碑   「讃大松」の石碑

左手に「掘出地蔵尊」の祠がある。そのまま道なりに歩くが、今日の予定は東尾道なので高須郵便局の所の道を右折して、国道2号を渡り東尾道駅に直行する。途中駅の北側に金比羅宮がある。広島を歩いて「金比羅宮」は初めて出会う。ここは四国に近いから金比羅さまなのか? 東尾道駅に14時50分に到着。

    

掘出地蔵尊     金比羅宮     東尾道駅

今日のコースは7.7Km          (広島県の計131.9Km 総計305.5Km)

参加者        S夫婦とM夫婦の4人