ぼちぼち歩く旧山陽道

旧山陽道を歩いて制覇する記録です。

山陽道(西国)第37回目(八本松~西条)

2014-05-23 | 日記

山陽道(西国)第37回目(八本松~西条)

2014.5.8(木曜日) 晴れ

前回歩いたのは4月8日桜の時期だったが、今は、山の藤の花の紫色も少なくなり、駅構内にはピンクのツツジがとても綺麗に咲いている。一か月ぶりである。定刻の電車に乗り、2つ乗り継いで10時32分八本松駅に到着。街道は八本松駅前の陸橋を右に下り、広銀の左側の道路を行く。以前は駅前からの道を横断して直進し、線路の向う側(大山峠方面)に通じていたらしいが、今はその道が途絶えているので、陸橋を通る以外方法はない。

            

構内のツツジ    八本松駅    駅前の陸橋    広銀前を左に  

少し歩くと右手に見事な茅葺の家がある。庭木も剪定されて手入れが行き届いている。その先、通称弾丸道路(昔、弾薬の運搬に使われていたという)を横断して行くと、右側の八本松中学校前の道沿いに「五十六番 地蔵菩薩」と書かれた石仏がある。

           

茅葺の見事な家   通称弾丸道路    中学校前の「五十六番 地蔵菩薩」    

左手の「広島県教育センター」のツツジを眺めながら歩いて行くが、この先、八本松「八十八箇所めぐりの石仏」を道沿いに目にするようになる。この街道筋には五十六番~六十二番の石仏があり、五十七番が阿弥陀如来、五十八番が千手観世音菩薩、五十九番が薬師如来、六十と六十一番が大日如来、そして妙福寺参道にある六十二番が十一面観世音菩薩の計7つ。お寺の向うへ続く道には、まだ石仏が沢山あると地元の人に説明された。立札には、仏様を念ずるときに唱える文句も書かれている。お薬師様には「おんころころ、せんだり、まとっぎ、そわか」と唱えて痛むところをさするらしい。この仏様たちは、そう古いものではなく、大正時代の終わりごろ「人の集えるものを」と地元の資産家によって寄進されたものだそうだ。また、妙福寺は旧賀茂郡唯一の日蓮宗の古刹寺院で、創建は南北朝といわれる。

      

広島県教育センター     旧賀茂郡唯一の日蓮宗・妙福寺

 

         

         

「八本松の八十八石仏めぐり」の石仏  街道筋には五十六番~六十二番まである

その先、右手に清水川神社の参道入口が見えて来た。地元の人がおられたので「清水川神社はこの道ですか?」と尋ねると「はあ!そうですが。階段が多くて、きつーて、きつーて大変ですよ。」と言われた。自信を無くし、山頂の清水川神社は行かないで迂回した。清水川神社は、江戸時代に、北向きの社殿の前の街道を馬に乗ったまま通ると、どんな偉い人でも必ず落馬した。そこで社殿を西の方向に向けなおしたら、そのようなことが無くなったと言われている。参道入口左手には、嘉永元年(1848)建立の自然石の石燈籠がある。迂回して道なりに歩いて行くと、左に池があり前方にシャープの工場が見えてくる。山陽道はこのシャープの工場によって寸断されてしまう。池の袂に「須久茂池移築記念碑」がある。説明板を読むと、以前は農業用のため池として須久茂池があり、堤防上を西国街道が通っていたが、後に埋め立てられ、西隣に移設されたとある。

            

嘉永元年の燈籠   清水川神社の参道  左池&シャープ株  須久茂池移築記念碑

シャープ工場の周りを囲む道沿いを行き、右折すると左手に公園が見えて来る。公園の周辺は道路工事中で歩きにくい。公園の角に「旧国鉄材修場跡」碑がある。その説明板には明治中期に山陽鉄道(後の日本国有鉄道)が広島へと延び、大正後期には機関車の修理やレールの溶接のために材修場が設置されたとある。この先、飢坂(かつえざか)に到るはずだが、新しい団地で標識も何もない。地元の人に聞きながら、住宅街の坂を上りようやく飢坂の入口に到着。坂を上りはじめて5分。左に「旧山陽道飢坂」の石碑を発見。

            

材修場跡碑   住宅街を通り   飢坂の入口   石碑   坂はすぐ終わる

「飢坂(かつえざか)」というので、大変な所と思っていたが、10分程度坂道を上るとほとんど平坦な道となる。道は整備されていて、天気も良く気持ちが良い。しばらく行くと、のどかな水辺の景色が開けてきた。満々と水をたたえた上池・中池・下池、3つの池があるというが、下池は見えなかった。以前はこの池で釣りをする人もあったのか、「釣り禁止」という看板がある。 その先に飢坂の案内板が2つ。それを要約すると、一枚には「飢坂 由来 この峠の西側(八本松側)を飢坂と言います。江戸時代、飢饉の時に、ここで多くの人が飢えで力尽き亡くなったことからこの地名になったと伝えられています。」と「ここの溜池は中の峠池と呼ばれサイジョウコウホネという絶滅危惧種の群生地です」と書かれてある。もう一つには「飢坂の由来: 大昔、土与丸(ドヨマル)西条の町に牛万匹という長者がいた。西条一万6千石の収穫物は全部自分のものであった。長者の田植えはにぎやかで一番東の歌謡坂から歌を歌いながらはじまり、浜田で中食をたべ、さらに植えていき、夕方この峠にたどりつくが腹が減ってたおれそうになったので飢坂というようになった。」とある。どちらにしても、そばにある小さな祠はその人たちの霊を慰めるものだとのこと。

         

中の峠池    飢坂の二つの案内板    小さな祠

中の峠池(塚の峠池ともいう)を下って行くと住宅街があり、その向うに西条の町が見える。つきあたりの道を右折する。西条駅まであと3km。道なりに行くと田園風景になり、田圃のそばに祠がある。その先、黒瀬川に架かる時友橋付近に「時友一里塚跡」の案内板があるらしいので橋の周りを4人で探すが見つからない。仕方がないのでそのまま歩いて行くと、国道486号の手前、ごみ集積場のそばに案内板を発見する。案内板によると「広島藩内の西国街道は、道幅二間半(約4.5m)、現在、寺家陸橋たもとから酒蔵通りに至る道幅が西国街道(旧山陽道)の道幅のまま遺っています。」とある。

      

西条の町が見える    田園風景と田圃そばの祠    時友一里塚跡

「先ほどの橋と一里塚跡の名が時友で、この信号機が友待橋とは紛らわしいネ」と陰口を叩きながら信号を渡る。国道を離れ右斜めの道に進むが、再び国道と接する。そして、再び弧を描くように国道から離れる。この付近は「ひげの梶さん」の本には、「江戸時代から昭和37年まで使われていた道。小川の側面が石積み残されてある・・が歩行に危険な為この上にフタをしてしまうとの事」と書かれてあった通り整備され、いまはその面影はない。その先、再度国道に接する。右手に時友一里塚の案内板に書いてあった「東広島市西条町寺家」と表示された陸橋があり、正面に見えるのが四日市宿(西条)で、道幅が二間半(4.5m)の山陽道だ。

           

友待橋信号機  石積みの小川だった所  寺家陸橋と山陽道  道幅二間半(4.5m

 しばらく歩くと、右側に赤レンガの煙突が見えてきた。加茂輝(かもき)酒造だ。元禄年間に湧出した「立身の井戸」があるという。それより女性は「創作和菓子」と書かれた看板に惹かれていた様だが、今日の昼食は名物「美酒鍋」を食べる(レストランを13時に予約)ので、我慢、がまん! 加茂輝の向かい側に浄土真宗の寺院「真光寺」があり、その先に「賀茂郡御役所跡」の石碑がある。広島藩の代官所が置かれていた跡だ。

   

加茂輝酒造(創作和菓子も)     真光寺   役所跡の碑

その先、半尾川を渡る。条里制(古代の土地区画制度)が敷かれていたころ、この川を境に東条と西条に分かれていた。その後西条が発展し、東条の名は自然消滅したそうだ。この川を渡ったのが13時10分。レストランの最終オーダーが14時なので、急いで歩いたせいか、石井家、大田邸、社倉蔵跡を見落としてしまった。左手に西条駅がある。駅前交差点の歩道に「酒都西条 酒蔵通り」と描かれたマンホールの蓋を発見。丁寧に(おすい)と書いてある。そこから、ハクボタンと書かれた赤レンガの煙突が見える。天気が良いせいか、赤のバックに白字が浮いて見えた。

           

半尾川   JR西条駅   マンホールの蓋   ハクボタン酒造

酒蔵通りに入ると町の景色が一変する。梶さんは「西条(四日市)は今もなお、古い民家が保存されタイムトリップしたかのように・・細かい路地にも江戸時代の暮らしが身近にうかがえる」と書かれているが、まさにその通り。酒造屋ごとに、井戸水には名前が付いているようだ。白牡丹は「冥加の水」、西条鶴は「江戸 天保井水」というように。どちらも町の人が水を汲んでいた。13時25分ようやくレストランに到着。待望の美酒鍋を食べることになる。

       

白牡丹冥水の水    西条鶴天保井水    名物「美酒鍋定食」

アメリカ大統領オバマさんが寿司屋で飲んだお酒の醸造元で、180mlが2500円の酒を一口ずつ頂いたが・・。正直、我々には「猫に小判」でよく解らない・・・。レストランを出たのが14時30分、帰りの電車(16時9分)まで少し時間があるので西条の町を散策することにした。 店を出た左奥に「旧山陽道 西条四日市宿 本陣(御茶屋)跡」と復元された正門。そこから加茂鶴の販売店に向う。途中のフェンスに、昭和38年から平成9年までの雑誌「酒」の扉を飾った著名人の揮毫が掲示されていた。この「酒」字集は、大そう人気があったそうだ。それぞれに味わい深い字と文章だ。

               

加茂鶴酒造  四日市本陣跡  「酒」の字集 (オバマさんが飲んだお酒の酒造元)

酒造庫の小路を歩いて行くと、フクビジンと書かれた煙突が見える。その先、「福神井」と刻まれた石柱の傍に井戸がある。その井戸の入口には、左が「長春」右が「酒郷」と刻まれた石柱がある。鎖がしてあって入れないが、福美人の水は「福神井戸」なので、福美人の古い使わなくなった井戸と思われる。そこから少し行くと、山門左側に「健康祈願の寺」と看板がかかった円通寺がある。その北側、山陽本線を越えた所に安芸国分寺があるが、電車に乗り遅れるといけないのでパスをした。

            

酒造庫の小路   福美人の煙突   福神井の石碑と井戸   円通寺

電車の時間が迫ったので、西条駅に向かっていたら「you meタウン」の看板の横にカモイズミ煙突が見える。いったい西条には何軒酒造所があるのだろうか?西条鶴で酒粕のジェラートを買って食べたが「アイスクリームみたいだ。」と嬉しいのか不満なのか。女性陣は、修学旅行に行った気分で、お店を覗いたりお土産を買ったり。白牡丹で「延宝蔵」(1673-1681)と呼ばれる日本最古の酒蔵の海鼠壁を見た。(一歩さんによると、神戸の震災以来、ここが日本で最古になったそうだ。)駅に着いたのが15時45分。ふと駅前ビルの看板を見ると、西条の酒造メーカーの看板があった。西条の酒造メーカーは全部で10社。今日見たのは半分の5社だった。それにしても、西条は酒蔵など古い建物がよく残され、新しい建物も雰囲気を壊さないよう作られてあって、よく努力されているなと思った。

            

カモイズミ   お土産店で  白牡丹の延宝蔵(日本最古)  西条の酒造所

今日のコースは6.5Km          (広島県の計78.6Km 総計243.7Km)

参加者   S夫婦とM夫婦の4人

西条駅を16時09分の電車に乗り帰宅。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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