ぼちぼち歩く旧山陽道

旧山陽道を歩いて制覇する記録です。

山陽道(西国)第61回目(西片上~三石)

2018-09-22 | 日記

山陽道(西国)第61回目(西片上~三石)

                                                                                                                                                      2018.4.23(月曜日)曇

宿泊したホテルを8時半に出発。  このホテルはほぼ街道沿いにあり、旧山陽道を歩くには便利な立地。  川に渡したこいのぼりを見ながら川に沿って歩く。  左手に「ほうえい橋」手前にある「前海屋跡」の標識を見て右折し、旧山陽道に入る。  標識には、「宝永橋が落ちても、前海屋は倒れぬと謂われた片上の富豪である。  宝永橋 宝永1704年木橋、宝暦1750年石橋」とある。  我々庶民にはとても想像がつかぬほどの金持ちだったのだろう。

           

ホテルを出発       川を泳ぐこいのぼり     「前海屋跡」の標識

すぐ左手に「往還名主跡(木屋岡島氏)」の標識がある。「山陽道の宿場であって大名が宿泊する本陣、脇本陣、三の陣等があって人の出入りが極めて頻繁で馬継所が設営されていた」とある。当時のにぎわいが想像される。  正覚寺を左手に見て行くと、右手に京都の五番鍛冶として御所御用鍛冶となった「刀工備州祐高造之宅跡」の標識がある。

           

「往還名主跡」の標識    「正覚寺」    「刀工備州祐高造之宅跡」の標識

道なりに行くと、左手に片上から津山を経由し山陰へ行く街道「津山街道(かたかみ往来)」の標識があり、右手に女流作家「したゆく水」「移民学園」などを著した「清水紫琴(豊子)生誕の地」の標識がある。  ほどなく左手に、胴回り約2.5m、高さ約1.4mの備前焼の狛犬が据えられた「宇佐八幡宮」がある。  入口に「旧山陽道片上宿(方上津)」の標識があり、藤井宿四里半(約18k)、今日の終点である三石宿二里半(約10k)と書いてあった。

         

「宇佐八幡宮」      狛犬           「旧山陽道片上宿」の標識

5分程歩くと、壁が備前焼陶板でできた備前市役所分庁舎があり、その先の別れ道を左に行く。  「法鏡寺」、「最上位稲荷宮」、「藤原審爾旧宅跡」を過ぎて5分程行くと赤穂線の「塩谷踏切」に出る。

           

「備前市役所分庁舎」       「法鏡寺」        「藤原審爾旧宅跡」

踏切りを渡って、2号線を横切り、天神宮の前を5分程歩いて行くと、左手に題目石があり、橋がある。橋を渡り10分程歩くと、片上分団の鉄塔が左手にある。さらに30分程行くと左手に地蔵堂がある。

           

「塩谷踏切」          2号線          橋を渡る

           

鉄塔            地蔵堂             高架下

10分程で新幹線の高架下をくぐり、国道2号線に出る。  国道を備前焼ギャラリーを左手に、反対車線側に「片上一里塚」を見て、15分程歩く。  左の脇道へ入り、5分程行くと「藤ケ棚茶屋跡」の標識がある。

           

「片上一里塚」         左の脇道へ        「藤ヶ棚茶屋跡」

一本松公会堂前の祠を左手に見て直進する。西の池を右手に見て20分程行くと左手に祠がある。  閑谷神社の石柱を左手に見て、伊里川を渡り、交差点を直進する。

           

西の池         閑谷神社の石柱        伊里川

往環橋まで30分程歩く。2号線に合流して国道沿いをさらに30分程歩く。「八木山一里塚跡」を見て山陽自動車道高架下をくぐり、10分程歩く。  適当な食事処がなく、身も心もヘタリぎみ。トイレを借りようと寄ったガソリンスタンドにちょっとしたカフェスペースがあり、大助かり。40分程おじゃましました。

     

「往環橋」   「八木山一里塚跡」    山陽自動車道高架    ガソリンスタンド

13時前に出発。すぐ別れ道を左に入り、10分程歩くと左側に薬師如来霊場参道入口の標識がある。  備前インターの高架下をくぐり2号線に出る。30分程国道を歩いて北上すると兄坂峠、数分で弟坂峠にかかる。峠の終わりに清水地蔵がある。

     

薬師如来霊場参道入口    備前インター高架    兄坂峠    清水地蔵        

トンネル前を左折して三石駅へ向かう。10分程行くとレンガ造りのトンネルがある。  トンネルを出ると左手に「光明寺」がある。少し行くと関川の交差点に出る。

           

三石駅へ      レンガ造りのトンネル      「光明寺」

直進し、金剛川の大橋を渡ると、左手に古い丸石壁が残っている。三石城址登山口を過ぎて、右手に本陣跡を見て歩く。三石明神社前を通って行くとノスタルジックな三石耐火煉瓦工場がある。三石明神社は孕岩(はらみいわ)神社とも言われ、子宝に恵まれたいという人々がよく参詣するという。

丸石壁

             

金剛川の大橋       三石明神社      耐火煉瓦工場

少し行くと左手に「三石一里塚跡」の石柱がある。直進すると、ほどなく今日の終点「JR三石駅」に着く。まわりに煉瓦工場の煙突が建ち並び、昭和の雰囲気がして懐かしい。  「三石駅」から「岡山駅」へ行き、新幹線、山陽本線を乗り継ぎ、帰宅。

            

「三石一里塚跡」        三石駅          煉瓦工場

今日のコースは  12.5km  (岡山県の計 91.1km、総計 433.1km)

 参加者  M夫婦、S夫婦の4人


山陽道(西国)第60回目(楢原の歩道橋~西片上)

2018-09-20 | 日記

山陽道(西国)第60回目(楢原の歩道橋~西片上)

2018.4.22(日曜日)晴れ

7時45分の新幹線に乗り、岡山駅で山陽本線に乗り換え、9時32分上道(じょうどう)駅に到着。上道駅から楢原の歩道橋までタクシーで行くつもりが、駅前にタクシーがいない!掲示してあったタクシー会社に電話をすると「20分待ってください。」   駅前のコンビニで時間を潰し、10時10分にやっと楢原の歩道橋に到着。

             

    上道駅          上道駅前の店       楢原の歩道橋

山陽道は県道を横切り、倉安川の右側に沿う道路だが、川の左側に整備された立派な遊歩道を歩く。この辺りは浅川の集落。400m程行くと左手に岡山不動寺がある。そこから5分程度歩くと、左手に御休(みやす)小学校、その手前の道を左に少し入った所に福岡神社の鳥居と文政七年(1824)の常夜燈がある。

                  

遊歩道と倉安川、右が山陽道   岡山不動寺   福岡神社の鳥居と常夜燈     

小学校の先で、遊歩道と倉安川は大きく左に曲がる。ここで倉安川を渡り右の山陽道に戻る。川のほとりに「山陽道」の標識がある。 この付近は西祖(せいそ)という集落だ。橋を渡って約10分。ふと右向うの2号線を眺めると奥に「両備乗馬クラブ」があった。遠くからだが乗馬姿を初めて見て、皆ですっかり盛り上がってしてしまった。

           

小学校前のマンホール   「山陽道」の標識と倉安川   両備乗馬クラブ      

その先、ホテルの横・三叉路の茂った木の間に題目石がある。4~5分行くと右手に街道と直角に3つの祠が並んでいる。一歩さんによると、その奥に「嵐渓の句碑」があるそうだが、いくら探しても見つからない。また、「その先、左手に一日市(ひといち)宿場跡の標柱もある。」と書いてあるが、これも発見することが出来なかった。(10年経つと新しい家も建ち、後ろも見えず分かり辛らい)  2分程行くと、右手の国道2号線の土手に、文政四年(1821)の常夜燈がある。

           

木陰の題目石   3つの祠(右の祠は小さくて可愛い)  文政四年の常夜燈     

国道2号の一日市信号に出た。国道の反対側の土手付近に一日市一里塚跡があるそうだが、見つけ出す自信がないし車も多いので諦め、そのまま国道の左を行く。  国道は歩道がなく交通量が多いので怖い。吉井信号機の手前から歩道があったのでホッとする。吉井の信号機で国道を横切り、吉井川に架かる備前大橋の歩道を行く。  「中央にあるバルコニーの備前焼き陶板は、備前焼作家の高原敏先生により制作されたものです。」と案内板に書かれていた。  橋を渡り終え、備前大橋東の信号で再び国道を横切り、川沿いの道を行く。左の吉井川の中に橋桁台が残っている。これは現在の備前大橋が完成するまであった蘆田橋のものだ。

              

一日市の信号機    備前大橋の岡山側(渡り初め)と備前側(渡り終え)

            

陶板は高原敏作   吉井川(川の真中が市境)   蘆田橋の橋桁台

吉井川沿いの道の側に「明治天皇巡幸記念之碑」と彫られた大きな石碑がある。  約1時間程歩いたのでバス停の待合所で休憩する。ところが乗客と思ったのか、バスが止まって動かない。あわてて「違いますよ」と横に手を振るとようやく動き出した。  10分程休んで出発。少し先で国道と合流する。横切って、歩道のある右側を歩く。  かつては賑わったであろう国道沿いのボーリング場も食堂も、すべて閉まっていた。

             

明治天皇巡幸之記念碑    バス停で一休み    閉店していた国道沿いの店

ボーリング場を過ぎて、近くの「天王」バス停から右に降りて行くと、長船(おさふね)の集落に行ける。長船は刀剣で有名な所らしいが、そのまま国道を歩く。  少し先で国道は大きく右にカーブをするが、その左側に「おさふねサービスエリア」があり、「古跡 備前長船造刀之跡」と書かれた看板がある。ここで再び国道を横切る。  山陽道はすぐ先で国道と分かれ左に入る。新幹線の高架下をくぐり、右に曲がる。「備前市坂根分庁舎」を左手に見ながら5分程歩くと、右手に用水路がある。橋を渡ると二之樋集落に入る。渡ってすぐ左に「従是熊山道」と書かれた元文二年(1737)の道標があった。

            

備前長船造刀之跡」   新幹線の高架をくぐり右折  「熊山道」の道標

すぐ先左側に、最上稲荷の赤い鳥居が見える。  道なりに12,3分程行くと小川がある。その左手先に天保十年(1839)の常夜燈、その足元に「森の木橋」と書かれた小さな石碑がある。「森の木橋」とはいい名前だ。  そこから4~5分行くと、道の左側に塀の角に埋め込まれるようにして「城山稲荷神社道」の道標があった。前の3人は見過ごして行ったらしい。「お手柄、お手柄!」  そこから200~300m先、左手に石長姫神社がある。鳥居と嘉永二年(1849)自然石の常夜燈がある。この石長姫神社の手前の三叉路を南に下がると赤穂線香登駅がある。  石長姫神社の前、右側の戸袋に時計をつけている古い家を発見。  その先、道は2つに分かれ左を行くが、すぐ先で再び合流する。  12時20分、昼食を予定していた店に到着する。

           

最上稲荷鳥居                 常夜燈        「城山稲荷神社道」の道標

           

石長姫神社の鳥居と常夜燈    戸袋に時計が・・   迷路?左側の道を行く

13時20分再出発。  この辺りは香登(かがと)の集落だ。香登は、間(あい)の宿で、吉井川の増水による川止めにあったとき重要な意味をもったようだ。  右手に白い教会があり、左側民家の庭先に明治天皇が香登で小休止された時の記念碑があった。(なぜ民家の庭先?・・) 

           

昼食を摂った店と香登の町並み  白い教会  明治天皇が休憩された時の碑 


左手に香登郵便局があり、その先右側に地蔵堂がある。敷地の中に寛延二年(1749)の観音像が東向きに立っている。左手の醤油屋さんはうだつのある古い情緒ある家だ。店の幟に「しょうゆアイス」とある。食事をしたばかりだが、思わず寄り道!

           

香登郵便局     地蔵堂(塀の上に観音像)    醤油屋さん

醤油屋さんの辺りは、二階に漆喰の幾何学模様のある家など、街道情緒がある。  100mばかりで弓場川、少し行くと左に木立に囲まれた黒住教があり、その先に大内神社(境内に香登一里塚北塚がある)と、向かい右側に南塚の塚石を利用した用心井戸(宅急便のコンテナの東側)がある。この井戸は現在資源ゴミ回収ステーションになっている。  大内神社の案内板によると「一里塚は江戸時代に街道の一里ごとに造られた塚で、香登一里塚は山陽道の道沿いに南北一対造られた。北塚は当神社の境内に往時の姿をしのばせている。南塚は明治になって塚石を使用して用心井戸にしてしまった。」と書かれている。

          

弓場川          香登の宿場町         黒住教会所  

              

   大内神社      往時をしのぶ境内の北塚と用心井戸にされた南塚                  

道なりに200m位行くと左に十番札所の観音堂がある。  10分位歩くと、北側の用水路の向う角に石塔がある。五角柱の石塔だ。これは岡山から広島東部によく見られる石塔で、社日塔と呼ばれている。田の神様で、一面ずつ「天照大神」「小安彦命」「大己貴命」「埴安媛命」と書かれているそうだ。(一歩さんより)  そのすぐ先の三叉路に大きな標識があり、その下に「従是大瀧山道」「本堂まで十八丁」と刻まれた道標がある。  2分程歩くと、右手角に文化三年(1806)の枯木之地蔵がある。

            

五角柱の社日塔      「大瀧山道」の道標       枯木之地蔵     

枯木之地蔵から5分、右手に山陽新聞販売所がある所、左手の用水溝の横に「臥龍松之道」の道標がある。  最近珍しいれんげ畑を右手に眺めながら歩いて行くと大ヶ池の土手が見えてきた。  池の西土手に大ヶ池竣工の碑がある。その前に地蔵尊があり、まるで大ヶ池を守っているように東向きに据えられている。

           

「臥龍松之道」の道標      れんげ畑            大ヶ池竣工の碑

大ヶ池を眺めていると、池の上を新幹線が走る。「あっ新幹線だ!今度大阪に行く時、新幹線の中から池を見てみたい。」  この辺りは伊部(いんべ)の集落らしいが、何処から何処までが伊部なのかわからない。池に沿って歩いて行くと、ペルシャ原産の「フクツルビンソウ」があちこちに咲いていた。  池は端から端まで1㎞あるが、池の先の新幹線の高架下まで30分以上費やしてしまった。

           

池の上を新幹線が      フクツルビンソウ       備前焼の里

道筋に窯元が沢山ある。新幹線の高架下の手前、左側に備前焼のお地蔵さんを発見。  高架をくぐり100m高架沿いに歩く。二股の道を右に行く。6分程で不老川に着く。  架かる伊部橋の親柱は備前焼、橋のたもとのお地蔵さんもまた備前焼だ。  不老川から約10分歩くと右向うに赤穂線の伊部駅が見える。駅近くの登り窯は写真スポットらしいので行ってみた。

            

備前焼のお地蔵さん     親柱と地蔵も備前焼    伊部駅前の登り窯

街道に戻り200m程行くと、左手に天津(あまつ)神社がある。鳥居の左右には備前焼の狛犬がおり、万延二年(1861)と刻まれている。  左右の備前焼の店や工房・レンガ造りの煙突が並ぶ町並みを15分程歩くと、国道2号の伊部東信号に出た。信号機の少し先に伊部一里塚跡があるはずだが・・またまた発見できず。信号の手前で左に折れ、国道の左側に沿う旧道を行く。約10分で再び国道と合流する。  ここで国道を横切り、右の歩道を行く。前方に片上(かたがみ)隧道が見えてきた。

            

天津神社        伊部の町並み     前方に片上隧道が

片上隧道の右側の坂道を上がって行く。4~5分行くとお夏茶屋跡が見えてきた。その手前に「御地蔵様参道」の道標がある。後で調べたら、この「御地蔵様参道」が従来の山陽道で、お夏茶屋跡の前の大きな道は新しい道らしい。この峠は葛坂峠(くずさかとうげ)と呼ばれている。峠を下っていると左手に「茶臼山公園」の道標がある。

            

右側の道が山陽道       お夏茶屋跡          葛坂峠の下り道

峠を300m程下ると左手に「お夏の墓」の矢印がある。小さな墓のすぐ傍に「情熱の炎となりて恤えつくすお夏のみたまここに鎮まる」と書かれた追悼碑がある。  そのまま下り、6分程で道はT字に分かれる。その少し手前左側に「観音道」と書かれた指差し道標がある。少しややこしいが、道はT字路を右に行き、その先をすぐ左に曲がる。その右手角に明神社の祠がある。

           

お夏の墓と追悼碑       観音道の道標        明神社の祠

祠を左折後、すぐ先を又左に曲がる。その角に「右恵美須 左大阪」の道標がある。  アルファ備前の大きな建物の右側を行くと、「片上脇本陣」の標柱がある。「片上脇本陣は京屋中村氏だったが、現在はアルファ備前の敷地内である。」と書かれている。  すぐ先にも「恵美須屋跡」と書かれた標柱があり、その標柱に「恵比寿宮がこの地にあり、遠く大阪より参拝する商人もいた。」と書かれている。  16時10分、前方に本日宿泊するホテルがあるので、今日はここで終る。  ホテルの窓から片上湾が見えた。その向こうに城山が見える。ホテルの人に聞くと「あれは茶臼山です。」と言う。茶臼山はお夏の墓の所にあった山ではないのか?  納得がいかないので次の朝、町の人聞くと「城山です。」とのこと。

            

「右恵美須 左大阪」の道標    片上脇本陣跡     恵美須屋跡    

 

片上湾と城山

今日のコースは13.5 km   (岡山県の計78.6 km  総計420.6 km)