山陽道(西国)第20回目(米川~高森)
2012.12.18(火曜日) 曇り
10時30分米川に到着。駅前では年末が近いせいか地元の人が沢山集まって剪定など大掃除をされていた。県道を東に10分歩くと、「蛍橋」バス停の近くに「小瀬川から6里、赤間関まで30里」と刻まれた差川一里塚があるはずだが、発見出来なかった。それにしても、下関から120~130Kmとはよく歩いたものだ。
米川駅前の大掃除 「蛍橋」のバス停 蛍橋
江戸時代に「のろし場」があったという徳王山を右手に見ながら、20分歩いて行くと孝行塚がある「一意専心に働いて主家の没落を救った六松の碑」と書かれてある。孝行塚を過ぎると、道が大きなS字カーブになる。昔はこの付近を「掛ノ坂」と呼んでいて交通の難所と言われていたが、今は舗装されその面影はない。
のろし場があった徳王山 孝行塚 掛ノ坂」と言われた付近
出発から45分、左側に米川小学校が見えて来た。その手前に末法川があり、そこに架かる橋の袂に半里塚があったらしい。そこから少し行った辺りで女性達が100円均一の自販機を見つけて大興奮!(でも買わなかったけど)
末法川に架かる橋 100円均一の自販機 米川橋
道なりに東に歩いて行くと米川橋があった。その下を流れる川が島田川という。島田川は光市の中心部を流れ瀬戸内海にそそぐ川なのだ。いまは東西に流れているが、しばらくすると南下するはずだ。
米川橋の袂で 島田川を飛ぶ水鳥 島田川の川土手を歩く
川土手を歩いて行くと、左側に道の両側に建てられた石碑を発見。その奥に鳥居と神社が見える。「神社は斎宮(いつきみや)神社」と言うらしい。その石碑の横に白壁の立派な家があった。もうこの辺は高森宿の入口かもしれない。
斎宮神社の前にある石碑 斎宮神社 立派な白壁の家
まだまだ川土手は続く。土手には沢山の桜の木が植えられている「シーズンには花見客で賑わう事だろう」と話しながら歩く。土手の終点近くに「島田川通船発着場跡」があり、光の浅江まで荷物を運んだらしい。
土手には沢山の桜の木 島田川通船発着場付近
川土手の終点に欄干を赤く塗った橋があり、橋の向う側に石碑が見えたので橋を渡る事にした。「なにやら牛若丸が欄干に乗っていたら絵になるネ」と言いながら橋を渡る。橋の向うは城山公園だった。案内板を見ると「城山は源平合戦の時、源範頼が一夜宿陣をした」と書かれてあり、石碑は「力なき蛙に力見出しは 人の誠の力なりけり」と刻まれ、名誉町民の杉敏介先生の蛙の歌碑文との解説があった。
杉先生の蛙の歌碑文 天 神 橋
「天神橋」の前が高森天満宮である。高森天満宮は周防三大天満宮の一つ(残りは防府と柳井の天満宮)だ。高森天満宮には「ほととぎす一聲の江に横たふや ばせを翁」と刻まれた芭蕉の句碑があり、また「あの高森の 広い往還を 思い出すたびに なぜあの山奥に ふいにあんな美しい町並みが あったのか 不思議に想う」(ある一人の女の話 宇野千代)と高森にあった父の実家で過ごした宇野千代の紹介があった。
高森天満宮の鳥居 芭蕉の句碑 宇野千代の解説板
今回はこの時点まで、高森で止めるか玖珂まで行くか決めていなかった。何故なら高森~玖珂間が3.5Km、玖珂~欽明路が1.5Km、欽明路~桂野が9.3Kmなので玖珂まで行けば、残りが中途半端になる。しかし、気分的には少しでも先に行きたい!「12時20分になったので、昼食をしながら考えよう」という事になった。高森は高森牛で有名な所だが町の人に聞いた店は定休日だった。食堂を探し駅前のカフェに入る。
高森宿を歩く カフェ セ・アッシュ
「カフェ セ・アッシュ」ではステーキ、ハンバーグ、オムライスのセットを注文したが、高森牛が旨くてみんな至福のひと時を過ごす。店でステーキとワインを飲んだら玖珂に行く勇気がなくなった。14時になったので、「カフェ」を出て高森駅に行く。14時35分の電車に乗った。 (どちらでもいいことだが、岩徳線は一両だけかと思っていたら徳山に着いた後二両になった。朝夕は二両編成になるのかなと話した)
周防高森駅前 二両編成の岩徳線
今日のコースは4.1km (合計139.6Km)
参加者は S夫婦とM夫婦の4人