ぼちぼち歩く旧山陽道

旧山陽道を歩いて制覇する記録です。

山陽道(西国)第38回目(西条~松子山峠)

2014-06-11 | 日記

山陽道(西国)第38回目(西条~松子山峠)

2014.5.22(木曜日) 晴れ

10時37分西条駅に到着。西条の町は、いままで歩いた中でも美しい町の一つだ。酒蔵通りを東に歩いて行くと左に亀齢(きれい)酒造がある。ここの伏流水は、「万年亀(まえねき)井戸」と呼ばれる名水で、店は江戸時代から続き江戸時代の名前は「吉田屋」だったそうだ。前回味見して美味しかったので、持ってきた空のペットボトルにお水を貰う。他にも江戸時代から続くものとしては賀茂鶴(1623)、白牡丹(1675)、西条鶴(天保年間発祥)がある。なかでも賀茂鶴は、江戸時代が始まって間もなくの古い創業だそうだ。亀齢酒造の前に「くぐり門」がある。お店の人が出てきて「くぐり門」の説明をしてくださったが、その先の道標のことと、旧県立醸造支場の方が頭に残り、くぐり門の事はすっかり失念してしまった。

         

西条駅   酒蔵通り   亀齢酒造   くぐり門の説明を

「醸造支場は、隣の賀茂泉さんが買い取られ、今は酒泉館になっています。」とのこと。少し行くと右奥に「左竹原、右四日市」と刻まれた石碑が、「酒泉館」(今はレストランになっている)の玄関前にある。その横には賀茂泉の「次郎丸井戸」があり、裏には賀茂泉の白い煙突があった。(西条で白い煙突を見たのは初めて)

        

酒泉館  「左竹原  右四日市」の道標  賀茂泉の「次郎丸井戸」と白い煙突

今日は松子山峠を越えるので、「you meタウン」に寄ってパンを買い、再び街道に戻るが、「岩清水八幡神社」の参道入口の常夜燈を見落とした。その先、左手に赤レンガの煙突がある「賀茂鶴吉富蔵」があるはず、と思いながら歩いていると、鉄の扉で閉ざされた賀茂鶴吉富蔵を発見。周りはブッロク塀で囲ってあり、赤レンガの煙突も撤去したのか何もなくなっていた。このところの焼酎ブームの影響がここ西条でもあるのだろうか?

ブッロク塀の横に、元総理大臣の池田勇人の揮毫による石碑があった。道なりに歩き土与丸(どよまる)信号を渡る。

         

昼のパンを   閉鎖された吉富蔵   武田先生之碑   土与丸信号

橋を渡りサムエル西条保育園の左の道を歩いて行くと吉士実信号にぶつかる。原比川(わらび)に架かる原比橋を渡りすぐ左折して、川土手を歩いて行くが道路工事が行われている。この土手筋に「歌謡坂一里塚跡」の碑があるはずだが、工事に気を取られて見落としたのか、それとも他に移設されたのか、ついに発見する事が出来なかった。

         

サムエル保育園   吉士実信号   原比橋から西条の町が   一里塚跡がない

 しばらく行くと緩やかな長い上り坂になる。牛万長者の田植えは、ここから田植唄を歌いながら一日かけて続き、夕方ようやく飢坂にたどり着いたという。その出発地点を、田植唄にちなんで「歌謡坂」と呼ぶようになったとのこと。上り坂を1Km程歩いて行くと、右手に今宮神社(牛宮神社)がある。そこの石碑に牛満長者がどうして大金持ちになったのかが刻まれている。それによると「昔陶器の行商をしていた老人が、毎日今宮原を通る時、一匹の老牛にえさをやっていた。その牛が病死したので、哀れに思い体をなでたら小判に化し、牛満長者になった」という。今宮神社に着いたのが12時15分。 ここで、難所松子山峠に備えて腹ごしらえをしようと、先ほど調達したパンを食べる。12時30分再出発。上り坂は続く。しばらく行くと左側に松子山浄水場が見えて来た。  

          

歌謡坂    牛宮神社    松子山浄水場   「かご松」の碑

その先400~500m行くと、右に「カゴ松 の碑」がある。(柵の中にある大きな記念碑)江戸時代から大きな松があり、幹回り四人抱えもある巨木だった。参勤交代のお殿様も駕籠を止めさせて休んだので「かご松」と呼ぶようになったと言われている。(昭和18年松は枯死して切り倒された)中国行程記には「近辺に人家なし、かご立て場なり、諸大名上下の節は、四日市辺りよりモチ、酒、茶果物たくさん持ち来る、景色よき所なり」と記されているそうです。松子山峠への上り道はまだまだ続く。今日は気温も上がり、舗装された山道で少し足を止めるとすぐ藪蚊に襲われる。「かご松の碑」から1Kmぐらい上って、13時過ぎ松子山峠の入口に到着。今回男性は松子山峠を行き、女性はこのまま山陽道を歩き(地図では舗装されたこの道が山陽道と記されている)松子山峠の出口付近で出会う事にした。「この程度の山道なら行けそうよ」という声を無視して松子山峠へ。(一歩さんの資料を読むと松子山峠は難所であり、何より道に迷いそうだ。それに女性の一人が脚を痛めているので無理と判断した。)峠道は今までの舗装された道ではなく、足に優しい落ち葉の道で木陰が続いて涼しく、藪蚊に襲われることもない。「こんな道なら連れて来るのだった。」と余裕。松子山峠は右側に三つの池を見ながら進み、東広島呉自動車道路の地下通路を抜けて、国道2号線を二回(上下が一方通行)横断して山陽道に合流する。全長3.5km、順調に歩くと一時間強のコースである。

         

長い坂道   松子山峠の入口   松子山峠   最初の池

最初の池を過ぎると道が二股になっている。梶さんの本に「右側の道を!」と書かれていたので(どう見ても左側が本道と思われたが)右側の道を行く。そうすると、道は細く急な登りになり頂上付近でなくなった。「一歩さんの資料に迷ったら元に戻りなさい!」とあったので、元の道に戻る。最初本道と思われた左の道に行くと「旧山陽道松子山峠」の石碑を発見する。道なりに歩いて行くと二番目の池がある。その先、道は再び二股になる。(池を過ぎると道は全て二股になっていた)梶さんの言葉を信じて右の道を行く。少し行くと三つ目の池があった。この池の先の二股を右に行くと道は途中で途絶えている。そこで再び別れ道まで戻り、左側を行く。梶さんが書かれておられたように「ぬかるみの道」もあり本道と確信して歩いていると、目の前に四つ目の池が現れた。松子山峠道に四番目の池はない。何処で間違えたのか不思議でならないがまた元の二股道に戻る。道は右か左か二つに一つ。左がダメなら右しかない。しかし、右の道は途中が途絶えている。松子山峠越えをあきらめて元の舗装道路に戻る手もあるが、ダメモトで右側の道を途絶えた所まで行って見ると、足元に「田万里へ西条へ」と書かれた道標が落ちていた。途絶えた部分は一歩さんの写真で見たのと同じではないか。一歩さんが歩かれた時はここに木の梯子があったが、今は何もない。

        

最初に間違えた二股道 松子山峠の石碑  落ちていた道標  陥没している道

 <同じ頃>

男性陣と別れ、舗装された道を15分ばかり行くと白と煉瓦色の2本の煙突が見えて来た。賀茂環境衛生センターだ。併設された体育館があり、外の広場ではゲートボール?をされていた。衛生車やゴミ収集車はもちろんだが、一般車両も結構通る。ゆっくり下るとセンター下の広い斜面が造成中だった。細長いコンクリートの基礎?が沢山平行に並んでいる。「住宅用では無さそうだし・・・」と交通整理の人に尋ねた。「ソーラー基地が出来ます」とのこと。今まで話には聞いていたが、こんなに大がかりに造成して造るとは思って無かったので、感心してしまった。5分ばかり歩くと国道2号線に出た。約束通り男性陣に電話を入れる。電波の状態が悪く、「道に迷って・・」で切れてしまった。仕方ないので合流点を目指し少し歩く事にした。

         

賀茂環境センター   ソーラー基地   2号線前の紺色瓦の家   2号線との合流点

国道から少し戻り、並行する山陽道を東に歩きだす。途中古い石碑、「維新・・云々」とあったが字がはっきり読めない。10分ばかり行くと左手上にしめ縄で飾られた岩とお社があった。祭りにでも使ったのか太く長い竹が二本置いてある。道なりに歩くと、前方に東広島呉自動車道路の高架が見えた。その手前にお寺、極楽山超専寺とある。2時5分休憩し、男性陣に電話を入れると「迷っている。喫茶店でも行ってて」と切れた。(あるはずの無い4番目の池に出て道に迷ったのに気が付いた時だったらしい)

         

石碑    しめ縄の岩とお社   超専寺    標識

喫茶店などあるはずもなく、少しずつ歩く事にした。高架下を通り側道の横を行く。左前方に赤・黄・緑・紫と派手な幟が沢山立っている。大きな交通安全祈願の看板もある。いやに大きなお寺だ。「真言宗 国際平和寺院・蓮臺山龍玄院 龍玄精舎」とあった。その先、国道との間の緑地にきれいな石造りのアーチ型の門があり、「名所・三永の石門」と書かれた柱と説明板が設置されていた。明治10年に国道(旧々)を作る時、用水路が分断されるので国道上に石橋を渡し用水路を確保したが、石橋を造るのが困難で5年もかかったらしい。今の国道が作られた時、ここに移設し保存されたとの事。

         

国際平和寺院   移設された石橋   説明板 

さて、男性陣が松子山峠から出てくる地点を目指し、国道を横断することにする。この辺りは国道2号の上り線と下り線の高低差が随分あり、下り線は側道から階段で登って行くが、上り線はそこからさらに一段下の底を走り、下り線の下を通って一本となり、東広島呉自動車道とインターで出会う。下り線の下をくぐり横切ったが、上り線を横切る道を探さなければならない。しかし、西条駅行きの国道の下りバス停はすぐ上だ。男性陣に電話を入れ、15時過ぎバス停で待つ。40分ばかり辺りをウロウロしていたら「もう動けないから、来てくれ。前田道路の前」と電話が入る。16時にバスがあるのにと思いながら出発する。丘裾をぐるっと廻って上り線の上の側道へ出ると、道路向うに目印の前田道路の看板を見つける。歩きだして4~5分、側道の曲がり角の木陰で休む男性陣と合流する。

<峠は越えたが>陥没した所は1m以上の落差があり、コンクリートにしがみついて降りる。(本当に女性を連れて来なくて正解だった)その道を少し行くと、先ほど発見した道標と同じものが、木にくぐり付けられている。松子山峠の本道と確信する。その先、梶さんが「ビニール袋を3枚用意して下さい。湿地帯が約100mほど続きますので靴のカバーとして使います。残りの1枚は使用後の袋を入れます」と書かれている「ぬかるみの道」である。しかし、今はビニール袋を使用する程ぬかるんではいない。峠を下って行くと、自動車の騒音が聞こえてくる。そして前方に東広島呉自動車道路が見える。

           

コンクリート崖を降りて道標を発見する   ぬかるみの道   東広島呉自動車道

東広島呉自動車道路の手前に小高い公園がある。そこに「日向の一里塚」があるはずだが発見出来ない。そのような塚や石碑を見つけるのは女性が得意なのだが、今日はいないのであきらめて自動車道の地下通路をくぐる。右手に上池があり、その先に田尾池がある。田尾池の所が二股になっており、東から松子山峠を越える人は迷いポイントらしい。(一歩さんも間違えたと書かれている)そこから少し行くと道はまたまた二股になる。右に行けば彼女たち居るバス停だが、梶さんの地図では左側の大明神社の方になっている。

            

自動車道の下を   田尾池      大 明 神 社

大明神社を過ぎ上三永第一会館の前を通り国道2号線の下り専用車線とぶつかったのが15時12分で、彼女たちがバス停に着いたのが15時5分だった。今日はここからがまた大変だった。下りの国道を横断したが、上りの国道に降りる道がない。国道は眼下に見えるのでウロウロしたが結局見付からないので、10mくらいある崖道を急降下。今度は上り専用車線に出たものの山陽道に降りる道がない。比較的に降りやすい所を探して民家の裏庭に降りてきた。(後で地図を見るとそこの民家から東に少し行った所が降口らしい)山陽道に出たのが15時40分だった。松子山峠に入ったのが13時で、出たのが15時40分。2時間40分道に迷いながら山道を歩いた事となる。山陽道に出て、急坂を上り「前田道路」と書かれた看板の所で彼女たちと合流、タクシーを呼んで16時15分に西条駅に着く。疲労困憊。本当にお疲れさま。

           

上三永第一会館   国道2号線と合流   降口を探して   彼女達のいたバス停

今日のコースは8.5Km          (広島県の計87.1Km 総計252.2Km)

参加者   S夫婦とM夫婦の4人

西条駅を16時39分の電車に乗り帰宅。