ぼちぼち歩く旧山陽道

旧山陽道を歩いて制覇する記録です。

山陽道(西国)第14回目(戸田~富田政所)  

2012-09-27 | 日記

山陽道(西国)第14回目(戸田~富田政所)  

2012.9.27(木曜日) 晴れ

 


9時50分 「原踏切」を出発。夜市川沿いを福川まで歩く。

        

今日のスタ-ト地点の夜市「原踏切」  夜市川沿いを歩く

踏切から15分位で、夜市川にそそぐ的場川土手に着く。 

        

昇仙峰          若山          山陽本線        山陽自動車道

西に昇仙峰   東に若山、 北に山陽本線  南に高速道、 その真中を流れる的場川が好きだ、 土手で眺める田園風景が好きだ。                 

     

 

 的場川土手

的場川を過ぎたあたり、川の向うの竹藪は野鳥の巣になっている。鴨の親子や白鷺がいた。土手下の田圃では養蜂が行われていた。

      

夜市川の野鳥        養蜂が行われていた

 夜市と福川の境、夜市川に合流する伊賀川の側に「若山観音道標」があると聞いたが結局わからなかった。 福川に入り、今年3月に完成した夜市川の土手を歩く。(このあたりは福川西の端といい、10年位前の台風で水が堤防を越え、この付近一帯が床上浸水の被害に遭う。そこで堤防の嵩上げ工事が行われ、今年完成した。) 出発して1時間、ようやく御姫橋に着く。振り返って、右手に見える山が若山である。(陶氏の居城だった若山城跡)御姫橋の前に祠があった。

        

「西の端」の夜市川土手を歩く   御姫橋前の祠

御姫町という優雅な名前の通りを抜け「西町第二踏切」を渡ると、横の歩道橋に上がる途中に六十六部碑と祠があった。碑には「寛政十二庚申」(1800年)と刻まれてあった。国道347号線を横切って西町に入ると、電柱に「若山城登城」「陶の道」と書かれた道標がくくられていた。

         

御姫町      六十六部碑と祠   電柱にくくられた道標

西町をしばらく行くと、左手に福川の本陣跡がある。「福川の本陣・脇本陣は、ともに御茶屋と称して代々福田家がこれを預かる。西国大名などの宿泊や休憩の場所を提供する重要な宿駅としての役割を担う。」と書かれている。(居住されているので中には入れない)本陣から2~3分で、その名も本陣川という小さな川を渡ると、「醸造元 男自慢 松田本店」があった。 

        

本陣門とモッコクの大木   本陣内の石碑   醸造元 松田本店

 松田本店のすぐ近くに真福寺がある。脇本陣としても使用され、周防三福寺の一つとのこと。(他の二つは、防府市お茶屋町の正福寺と山口市大殿の龍福寺)眞福寺から、道路を左に折れ少し行くと辰尾神社の鳥居があり、その先に脇本陣の門があった。

         

眞福寺       辰尾神社の鳥居   福川脇本陣の門

西光寺の前を通って行くと、駐車場のフェンスに「陶の道若山城登城の道『本陣』西方へ8分」の道標がかけてある。福川は「陶の道・若山城跡」の道標がやたら目についた。交差点の広い道を右に曲がると、347号線を跨いで正面が福川駅である。11時30分福川駅で小休止。

          

西光寺         「陶の道」の道標     正面が福川駅

11時40分 駅前で写真を撮り出発。先ほどの交差点まで戻り右手の山陽道に入る。人麻呂神社を探して路地奥に入り込んでみたが、結局見つける事が出来なかった。しかし、このあたりには地蔵さんや祠が多い。山陽道が再び国道347号線に合流するあたりで、地名が福川から富田に変わる。

         

駅前 「陶の道」の道標    山陽道と国道の合流地点

国道に沿って少し歩き、左側に温田峠を登る。(峠を下って国道を渡り温田に入るのが本来の山陽道だが、国道を創った時山陽道が寸断され、家などが建っている。だから、現在の少し西から国道の南へ入る温田の山陽道は、新しい道と聞いた。)温田峠を下って現在の山陽道には戻らず、国道をそのまま歩いて、12時15分昼食を予定している「日日(にちにち)」に到着。

         

温田峠の入口    峠の頂上にある温田観音

13時10分「日日」から横断して路地を南下すると、山陽道の平野という町に出る。「平野は律令時代の山陽道の駅のうち、周防国の五番目の駅だった。」と聞いた。平野の町を歩いていると、祥雲寺の横に千本格子の蔵造りの家を発見。そこから少し行き細い道を南に下りると、山陽本線のすぐ側に「祇園社」がある。

                                                                        

          

平野の町     千本格子の蔵造りの家   祇園社屋根のハト

平野の町を突き当たって左折すると、国道347号線とぶつかる。そこを横切ると地名が横町となる。このあたりに「横町恵比寿社」があるはずだが、見つける事が出来ない。(後日調べたら、横町のはずれに恵比寿社があった)横町を右に曲がると、新町になる。新町の真中付近に浄眞寺がある。この寺の本堂には、藤原末期に製作されたという、「木造阿弥陀如来立像」がある。また庭内には「原田謙介(南谷)先生碑」があった。浄眞寺の近くに、立派な門構えの旧家があった。この通りも新しい家が増えている。

         

国道を横切ると横町  浄眞寺庭内にある原田先生の碑   新町の旧家

新町と宮の前の境に山崎八幡宮がある。この八幡宮の正面の道で「流鏑馬(やぶさめ)が行われた」と書いてあった。また、神社下の大きな常夜灯には安政五年(1858)と刻まれている。八幡宮のT字路の角に、一等水準点と道標がある。道標には「左かみがたみち 右下のせきみち」と刻まれていた。(江戸時代は下関のことを、馬関と言っていたので、明治以降のものと思われる)宮の前の道を東に行くと政所(まどころ)になる。左に華厳寺を見ながら歩いて行くと、今日の終点政所郵便局に着いた。(14時15分)右手をまっすぐ行くとJR富田駅だ。

          

山崎八幡宮の常夜灯     水準点と道標      政所の華厳寺

 

  14時20分、今日の終点政所の荒神社前

「むかし、この地方を富田保といい、東大寺の油倉がおかれ、その役所を政所(まんどころ)といっていた。やがて、この一帯を政所といい室町時代にはすでに地名として使われていた。この荒神社は、奈良から来た三位中将秋基卿が祀られてある。」

 ―説明版の概略です―

今日のコースは6.7Km   (合計106.4Km)

参加者   S夫婦とM夫婦の4人

 備考 * 今日で下関から合計100Kmを越えました。神戸まで2割強を歩いたと思います。頑張ります!

 


山陽道(西国)第13回目(富海~戸田)  

2012-09-22 | 日記

山陽道(西国)第13回目(富海~戸田)  

2012.9.22(土曜日) 晴れ

電車に乗って9時10分富海に到着。駅前で写真を撮って、駅横の派手な「石鎚大権現」を見て9時15分に出発。    

  ←―― 駅横の派手な「石鎚大権現」

歩き始めるとすぐ恵比寿社があったので写真に収め、5分程度行くと踏切がありその側に小田画伯の碑がある。

        

富海の恵比寿社   小田画伯の碑    富海の踏切

踏切を渡ると「飛船問屋 大和屋政助の船蔵」という立札を発見。山陽道から少し外れるが浜の方におりると「船蔵通り」があり、そこに船蔵と看板がある。看板には「大和屋は屋号で、本名は清水与兵衛と言った。俗論党に追われた高杉晋作を嵐の中飛船を出して馬関に逃がしたり、中山忠光卿(明治天皇の叔父)が「天誅組の変」で幕府に追われ、富海に落ち延びこの船蔵の2階に潜伏させた」と書かれてあった。

      

飛船問屋 大和屋政助の船蔵と案内板       船蔵通り

船蔵通りから山陽道に戻って、少し駅側に行くと富海本陣がある。その看板に「宮市から福川本陣の半宿であり、(宮市から2里 福川へ2里半)、大名行列の休憩所。島津斉彬や天璋院篤姫が休憩した」とある。宮市とは、防府天満宮横の兎屋(蕎麦屋)の前にあった宮市本陣兄部家(みやいちほんじんこうべけ)の事である。本陣から5分歩くと国道2号線に出る。横切って圓通寺の前を通り、進んで行くと川向うに立派な家が見える。庭先に石碑が有り(秩父宮殿下御仮泊之地?)、と刻まれてあった。

       

富海本陣跡      圓通寺     「秩父宮殿下御仮泊之地?」の石碑

今日は絶好の稲刈り日和らしく、あちこちの田圃で稲刈りが行われている。田圃の横には小さなお地蔵さんが祀ってあった。椿峠の坂道を20分程度歩くとトンネルがある。そのトンネルを抜けると国道2号線の下り車線側に出る。そこは防府市と周南市の境でもある。10時45分峠の茶屋「庄屋」で小休止。

       

田圃の横のお地蔵さん    稲刈りの真っ盛り

      

国道2号線これより周南市  峠の茶屋「庄屋」で小休止  庄屋」正面にある「天野屋」

 10時55分国道を横切って再出発。天野屋の裏側が山陽道である。「天野屋は高速道路が出来る前は、観光バスが沢山停まって大繁盛の店であったが、高速が出来てバスが来なくなり、潰れてしまった。」と、話しながら峠を下る。峠から30分近く歩くと戸田の町に入る。柳橋の袂に辻地蔵があり、近くに心光寺がある。このお寺には、十三重の塔や観音堂があり、堂内には三十三観音と不動尊並びに毘沙門天尊がお祀りしてある。心光寺を過ぎて、近くのセブンイレブンで休憩。

      

天野屋の裏の山陽道  柳橋昔はこの橋を渡って湯野へ  柳橋袂の辻地蔵

      

心光寺の十三重の塔  堂内に三十三観音が祀られている  三十三観音

12時になるので、セブンイレブンをスタート。桜田八幡の入口に(14~15年前までは、ここに桜田八幡の鳥居があった。)戊申戦争凱旋記念碑と宮島様がある。「祠に安置されているのは恵比寿様なので、なぜ宮島様といわれるのかさだかではない。水の中に柱を建てて祭られているから宮島様といわれて信仰されている。」と書かれてあった。

       

戊辰戦争凱旋記念碑    宮島様     戸田の町を歩く

光西寺の前を通り少し行くと、船山神社がある。その看板に「往古は舮田と書いていたが、いつの間にか書き違え、今は戸田と書いている」とあった。

       

光西寺     船山神社     1本の木から咲いた紅白の花 

これから赤迫峠になる。峠の頂上あたりで地名が戸田から夜市(やじ)に変わる。峠を下ると、傾きかけた小さな石の塔を発見。その奥の裏山あたりに沢山の小さな祠とお地蔵さんが見えた。土地の人に聞くと、「小さな塔はなんなのか知らないが、山に祀られているのはお大師様です。」との事。そこを南下すると、今日の終点「原踏切」に着く(13時7分)。

       

赤迫峠  石には「人力 市 樽組」とある  お大師様と小さな祠

今日のコースは8.2Km  (合計  99.7Km)

参加者   S夫婦・M夫婦  4名

 

  ←――13時7分 本日の終点「夜市原踏切」で

 

 


山陽道(西国)第12回目(国衙~富海)

2012-09-11 | 日記

山陽道(西国)第12回目(国衙~富海)  

2012.9.11(火曜日) 晴れのち曇り

2ヵ月振りの山陽道である。電車で防府駅まで(S夫婦は富海まで乗用車で行き、富海で合流) 行き、キヨスクで弁当を買い、タクシ-に乗って国衙のユニクロで下車。本日のスタート地点「史跡 周防国衙跡」9時40分出発。10分ほど歩くと旧2号線と山陽道の別れ道になる。観音道標や一里塚跡が有るはずだが発見出来ない。そのまま歩いて牟礼今宿の川を渡ると、立派な公民館が有り大平山の鉄塔が身近に見える。柳川を渡ると、「旧山陽道浮野峠入口」の道標前で撮影。(防府市内の山陽道は、良く整備されている)

   

山陽道との別れ道   牟礼今宿の「三の坪橋」   大平山の鉄塔が望める

 

         

    牟礼今宿 お堂の側の石碑   柳川の橋を渡った所の道標

浮野町に入って10分位歩くと、牟礼郷土誌同好会が立てた看板が有る。それによると「道路の両側に四十五軒の屋敷があり、富海・宮市両宿場の中継地として浮野半宿(はんじゅく)の役目を果した」と書かれてあった。また、近くに春日宮の灯篭と徳地屋跡(大名休息所)があり、少し行くと阿弥陀寺境界石(ここまでが阿弥陀寺の寺領という事になる)があって、この先が浮野峠の登り口になる。

      

牟礼郷土誌同好会の看板    浮野町の道     春日宮の灯篭

      

徳地屋跡と金毘羅社・阿品社の道標  阿弥陀寺境界石  浮野峠登り口と札所

浮野峠入口から10分程度登ると、「又兵衛屋敷(茶屋)跡」の立札がある。皆で「何処の又兵衛さんやら?」と言いながら歩いて行くと、「浮野駕籠立場跡」の看板を発見。そこは、別れ道になっていたが「旧山陽道」の道標を見つけて、再び峠を登り始める。5分位登ると、国道2号線防府第二トンネル(通称 防府江泊トンネル)入口の真上に出た。(トンネル内で反響するトラックの騒音にビックリ) ここは峠の頂上付近らしい。すこし歩くと富海までの名所案内板が立てられている。そこから2~3分で竹林の下り坂になる。

      

又兵衛屋敷(茶屋)跡  浮野駕籠立場跡の看板  別れ道で「旧山陽道」の道標を発見        

      

防府江泊トンネルの入口   富海までの名所案内板   竹林の下り坂

およそ20分歩いて行くと、明治四年に行った浮野峠の改修工事の記念碑があり、そこから5分位で石畳がある。

       

浮野峠改修碑 明治四年十月建之

   

  石  畳

石畳を過ぎると、すぐに砂防ダムがある。そこから10分歩いて行くと「茶臼山古戦場」の看板がある。それを読むと「毛利に敗れた大内氏の末裔に大内輝弘がいる。彼は兵を挙げたが、負けてこの茶臼山で最後の抵抗を試みたが、夢むなしく自害して相果てた」と書かれてあった。この看板から少し歩くと、海が見えてくる。ここは旧2号線のトンネル(通称 富海トンネル)の真上に当たり、案内板に書かれてあるビューポイントの一つである。

       

 砂防ダム     茶臼山古戦場の看板   ビューポイント

ここに看板があり、「手懸岩と橘坂(てかけいわとたちばなさか)山陽道の旅人が眼下の絶景に足をとどめ、この岩に手を懸て休んだ。また、富海側に下る坂を橘坂と言った」と書かれてあったので、岩に手を懸て撮影をする。

     

手懸岩に手を懸て記念撮影   手懸岩と橘坂の看板

橘坂を下ると、今年の6月に出来た看板の前で記念撮影。本日の終わり、JR富海駅までは歩いて5分(今の時刻は12時0分)なので、富海海水浴場で弁当にする。

      

      橘坂を下る   2012・6に出来た「山陽道の看板」

昼食後、S夫婦の車で帰宅。

今日のコースは5.7Km  (合計 91.5Km)

防府駅からユニクロまでのタクシー代  220円 

参加者  S夫婦・M夫婦の4人