ぼちぼち歩く旧山陽道

旧山陽道を歩いて制覇する記録です。

山陽道(西国)第35回目(中野東~中大山)

2014-04-16 | 日記

山陽道(西国)第35回目(中野東~中大山)

2014.4.1(火曜日) 晴れ

ホームの向うの山にポツポツ桜が咲いている、春だなーと想いつつ電車を待つ。11年の秋に歩き始めて3回目の春だ。先日梶さんの本を見ていたら、下関から私たちが目指す兵庫県の西宮宿までには50宿場もあるそうで、前回の広島県の海田宿が25番目(下関から)になる。まさしくぼちぼちと、2年半で半分歩いたことになる。11時8分中野東駅に着く。駅前からなだらかな登り坂を行くと、左手に広島国際学院大学があり、門の前に小さな道祖神がある。

         

中野東駅   延々と続く坂道     島国際学院大&入口の道祖神 

道なりに歩いていると左手に白壁の家があり、その反対側は満開の桜だ。「安芸山陽道」の標識は駅前のマンションの前にもあり、「中野六丁目」の町名標識の前にもある。この標識は海田の手前、船越峠付近からよく目に着き始めたが、「もっと前でも見ました」といわれたので、広島県に入ってあったのかもしれない。その先、右側の民家の塀の中に「広島市保存樹 タラヨウ イチョウ」の立て看板がある。イチョウは家の裏にあってよく見えなかったが、タラヨウとは始めて聞く名前だ。

            

白壁の家   満開の桜   安芸山陽道の標識   タラヨウの樹

そこからすぐ先、左側に祇園神社の常夜燈がある。常夜燈の横に石柱があり、その前に地元の人がおられたので、「祇園神社は何処にありますか?」と尋ねると「真直ぐ行って左側にあります」といわれたが、時間の都合でパスをした。祇園神社を過ぎると左にお好み焼き店があり、道はその前から二股にわかれる。そこを大きく右折し、JR山陽本線の高架をくぐり国道2号「瀬野大橋東詰」の信号を渡ると瀬野の町になる。この町も白壁の鏝絵のある蔵があり、静かな所でいかにも街道らしい。左側にJR瀬野駅が見えて来た。いつもより早いが12時25分駅前で昼食にする。

            

祇園神社の常夜燈   道は二股になる      瀬野の町並み

昼食後(13時20分)、私たちの足では今日中に大山峠を越えるのは無理なので、行けるところまで歩いて国道2号からバスかタクシーに乗り、再び瀬野駅に帰るので、バスの時刻表やタクシーの電話番号を調べるため、JR瀬野駅に立ち寄る。駅構内の掲示板に「山陽鉄道の瀬野~八本松間は、急な坂や急カーブが続く難所のため後押し専用の機関車区が設置され、前引き後押しして上がっていった」とある。駅前の国道の標識に「下関218Km 岩国59Km 広島18Km」と書かれてある。私たちが歩いた距離の合計は下関まで226Km 岩国61Kmで ほぼ一致していたので納得。

             

JR瀬野駅      駅構内の掲示物      国道の標識

街道に戻り歩いて行くと小さな橋がある。それを渡ると右手のゴミステーション左傍に「旧山陽道落合の一里塚跡」の石柱がある。反対側には「右ハ四日市 左ハ志わ」と刻まれた趣のある古い道標があった。瀬野の町は白壁の蔵がやたら目につく。道は国道2号とぶつかり、その向うに山陽本線の中田踏切がある。梶さんの本には「辰の口第一踏切」を渡るように書かれてあったが、街道に抜けられそうな気がしたので、中田踏切を渡り進んで行くと山道になり行き止まり。  地元の人が「ここは行き止まりですよ。街道なら」と下まで降りて道を教えて下さった。

       

落合の一里塚跡  蔵の町瀬野  道を間違えこの前を行く(綺麗な花・・)

教わった通り戻り中田踏切と国道を横切り瀬野川沿いの国道の歩道を東に歩く。右側川向うに瀬野小学校が見える。50mばかり行き、国道と「辰の口第一踏切」を渡る。線路沿いを10分程度歩いて行くと「中原第一踏切」がある。その踏切と国道「下一貫田」信号を渡る。 国道を渡ると、その先民家の並ぶ町並みが一貫田だ。間(あい)の宿として栄えた所らしい。梶さんの本には「江戸時代、街道には宿駅制度によって、正規の宿場が決められていた。宿場と宿場との間の長いところや、渡船場、あるいは険しい山道にさしかかる交通の難所などに人足場などができ、旅人の休憩などのために茶屋が立ち並ぶようになった。これを(間の宿)とよんだ」とある。

            

対岸は瀬野小学校  辰の口第一踏切   線路沿いの道   中原第一踏切

一貫田の宿を歩いていると蔵もさることながら、屋根瓦の先は鬼瓦が普通だがここでは鯱だったり、鷹であったり、鳩があったりなかなかユニークで立派だ。それと、何処の家の玄関先にもいろんな山頭火の句が掛けられている。「一歩づつ あらはれてくる 朝の山」と刻まれた山頭火の石碑の後ろに説明板がある。それによると「山頭火は広島の俳友の家に逗留後、雨のふるなかを出立した。雨が激しくなったので、一貫田といふ片田舎に泊まった」とあった。街道は県道174号とぶつかり、横切る手前右に道標がある。「右ハ熊野跡村 呉 左ハ八本松西条 方面」と書かれてあった。

           

一貫田の宿   屋根の上に鯱が  山頭火の句碑と説明板   道標

広島上瀬野郵便局前の国道を横切る。信号機がないし交通量が多いので渡るのが大変。国道を渡ると、国道の傍に龍善寺があり、その右側に「土方大作先生碑」がある。その先の白壁の美しい旧家が土方先生の家で、かつては村では唯一のお医者だったらしい。街道は「清水第七踏切」を渡り、そのまま東へと歩く。しばらく行くと左手に、二代目以降の刀鍛冶「大山刀鍛冶市左衛門之碑」がある。

            

龍善寺    土方先生の碑と旧家   清水第七踏切   市左衛門碑

その先「清水第五踏切」を渡ると角に小さな祠があった。国道を横切り、中大山のバス停で今日は終了。(15時30分)

          

清水第五踏切    国道傍の祠    今日の終点

バス停でタクシーに乗り瀬野駅に帰る。瀬野駅から北の高台の住宅団地に向けてスカイレールというケーブルカーが走っているのが見える。ローレル賞という鉄道関係の賞を受賞したそうだ。

                 

瀬野のスカイレール       JR瀬野駅

今日のコースは7Km            (広島県の計65.1Km 総計230.2Km)

参加者   S夫婦とM夫婦の4人

瀬野駅を16時25分の電車に乗る。

 

 

 

 

 

 

 


山陽道(西国)第34回目(海田市~中野東)

2014-04-02 | 日記

山陽道(西国)第34回目(海田市~中野東)

2014.3.4(火曜日) 晴れ

久し振りに、岩国駅で今まで見たことのない清流線の客車に出会った。黄緑色のバックに鳥が描かれている。11時、JR海田市駅に到着。駅前にある狭い路地が「塚の小路」と思い写真を撮ったが、塚の小路は一本東側の道路であった。角の花屋では桜の蕾の小枝を売っていた。梶さん資料によると、平安時代は「開田」で室町時代になってから「海田」となる。当時は港もありカキ養殖もさかんだった。海と陸の交通の要衝として重要な役割を担った海田は、江戸時代に入ると西国街道の宿駅として、さらにその賑わいをましたとある。街道に出ると左山手に赤い建物が見えたが、稲荷神社か大師寺なのか不明。しかし、感じからして赤があるのでお稲荷さんと思われる?

          

清流線の客車    海田市駅前の路地     稲荷神社? 大師寺?

その先、左手に明顕寺があり、寺の前が三宅家。道を隔てた東側が千葉家である。明顕寺の梵鐘はその銘文によると、享保年間(徳川8代将軍吉宗の頃)海田の鋳物師金屋(植木)源兵衛・親兵衛によって作られたとある。また、千葉家は江戸時代を通して天下送り、宿送り役をはじめ、年寄、組頭などの役職を勤めている。天下送り役とは、幕府の公用文章や荷物などを継送する役のこと。その屋敷建物は数少ない江戸時代中期の建築様式を伝えている。(説明板による)

        

明顕寺と梵鐘      三宅家    千葉家

真宗寺を過ぎると、右側に海田公民館がある。その敷地に脇本陣跡の説明板があり、それによると、「1814年にこの付近にあった庄屋の猫屋新太郎宅が当時の脇本陣と呼ばれていたという記録が残っている」とある。対面に恵比須神社がある。「海田恵比須神社由来記」という案内板に、「海田は、包浦、開田、を経て海田と呼ばれるようになった。古くから交通の要衝で、市が開かれ海田市と呼ばれ発展した。市と海に面していることから恵比寿信仰が生じてきた。参勤交代制が確立された時、海田市は西条四日市と広島城下を結ぶ宿駅人馬継立所となった。」とあった。その先に「御茶屋跡(本陣)」の道標。左に少し入ると「本来は藩主の宿泊設備(御茶屋)であったが、宿駅の整備・拡充で本陣の役割をはたす」と書かれた説明板のみがあった。

            

「脇本陣」立札   海田恵比須神社      海田宿と御茶屋の道標

少し歩くと右側に海田町役場があり、「旧山陽道(西国街道)」の案内板がある。「中世以前の山陽道は畑賀(はたか)から日浦山の北側甲越えを府中に抜けるのが通常の道筋で、海岸沿いに海田市を経由する道路は整備されていなかった。江戸時代に入り、幕府巡検使の巡察が行われたのに伴い、広島藩内の道路制度は、画期的に整備され、宿駅としての海田市の発展が始まった。」と書かれている。海田町役場の向かい側に熊野神社がある。平安時代(1026年)紀州熊野大社から海田の熊野神社に勧請されたと伝えられている。その先、左奥の山側に金色に輝く大きな仏像が見える。梶さんの資料には「お薬師さまはお釈迦さまと同じ印相をしていますが、左手に薬の入った壺、薬壺を持っておられるので、この仏さまお薬師さまとわかります。お薬師さまのご本名は薬師瑠璃光如来と言います。」とある。近くの薬師禅寺のものか。

         

役場前の案内板    熊野神社    薬師瑠璃光如来像

上市バス停近くで、古い土蔵の家を写真に撮っていると「何処から来られましたか。」と地元の人に声をかけられた。「この家は最近引越しをされて、いま修理中です。」「ここは、斜めの土地割りで(ジグザグになっている)大名行列の時、行列がすぐ見えなくなるので長く土下座をしないで済んだ。」「この家は庄屋さんで、二階から鉄砲が打てるようになっています。」など詳しくていろいろと教えてもらう。成本に入り、郵便局前の小さな路地を左に行くと、二つの小社が並んでいる。恵比寿神社が東向き、荒神社が西を向いて背中合わせとなっている。恵比須さまというと、左に鯛をかかえて、右手に釣竿を持ち、えびす顔が目に浮かぶ。この釣竿に鯛は「釣りして網せず」ということで、商売でいえば、暴利を貪らず商いをすれば、繁昌するという意味だそうです。(納得) 荒神さまは「かまど」と結びつけて信仰するが、それとは別に瀬戸内海沿岸から中国地方一帯にかけては、大きな木やその下の塚を荒神とよんで祀っている。農業の神さまとして荒神さまを信仰する土地もある。(梶さんの資料より)

         

古風な家(修理中)   斜めの土地割り   背中合わせ荒神社と恵比須神社

成本と石原の境目あたり、道路の左側に「左に永山信楽道」「右に堂本天神道」と刻まれた二本の標柱がある。畝に入ると鏝絵の蔵を発見。この辺りは大きな石を使った立派な家が多い。左に「海田町ふるさと館」があり、その裏が古墳公園になっている。畝観音免第一号古墳・第二号古墳がある。正面にそびえる楠木は広島県天然記念物に指定されている。館内から一人の男性が出て来られボランティアで子供の縄跳び用にパネルを作っていると自己紹介をされた。竪穴式住居の事や、公園の説明をして頂く。横穴式の古墳は館内からだと良く見えると言われたが時間もあるので外からの見学だけにした。

              

二本の標柱     鏝絵のある蔵     クスノキの巨木と古墳

その先、右手民家の玄関先に文政八年(1825)の常夜燈、左手に参道があり、その奥に春日神社がある。参道の入り口からご挨拶だけをして失礼する。春日神社の前の道を東に歩いて行くと、右側国道二号線の北側に明治乳業広島工場が見えてきた。JR大力(だいりき)第一踏切を渡り、山陽新幹線の高架下をくぐって進んで行くと砂走橋がある。親柱の横に「旧山陽道蓮華寺登山口跡」の石柱がある。 

           

春日神社参道と民家玄関前の常夜燈   大力第一踏切  砂走橋と石柱

畑賀川に架かる砂走橋を渡って歩いて行くと、瀬野川にぶつかる。瀬野川沿い右側に「旧山陽道中野砂走り出迎えの松跡」と刻まれた石柱がある。出迎えの松の案内板を読むと「芸備地域では1633年の幕府巡見使の視察を契機として急速に領内の交通網の整備が進められた。西国街道についても道幅が二間半(4.55m)に定められ、その沿道には一里塚や杉、松などの並木が植えられた。出迎えの松の名は、当時参勤交代の責を終えた安芸国の藩主を、家来や村の有志たちがこの松のあたりまで出迎えたという言い伝えに由来している。」とある。13時20分になったので、貫道橋を渡り国道2号線沿いの中華のお店で昼食。(やっとお好み焼きから解放される)

           

中野砂走り出迎えの松と石柱    貫道橋   国道を渡り昼食

14時10分再出発。街道に戻り京田第三踏切を渡っていると、自転車に乗った地元の人から「出迎えの松を見られましたか?」「むかしは50~60本有りましたが、今では6本になりました。ボランティアであすこに松を植えていますが、松は10本植えても1本位しか育ちません」と声を掛けられる。川沿いの松はこんな人達の手で守られているのだと思った。右手JR安芸中野駅がある。街道はその前を通り東に進む。

         

京田第三踏切   地元の人から松の話を聞く   JR安芸中野駅

少し行くと左手に専念寺がある。境内には、大正15年に畑賀村が大水害に遭い優等列車が転覆、多くの人命が失われた事故の鉄道遭難者追悼塔があったらしいが、探し忘れてパスしてしまった。 専念寺の先に懐かしいレトロな感じのパーマ屋を発見。その先の民家のブロック塀の横に「旧山陽道鳥上の一里塚跡」の石柱があった。

           

屋根の立派な本堂と専念寺山門  レトロなパーマ屋さん  鳥上の一里塚

中野公民館を過ぎると、街道は緩やかな長い上り坂になる。坂の途中左側に愛宕神社があり、鳥居は天保十三年(1842)建立とある。15時15分JR中野東駅に到着。

        

愛宕神社    中野東駅周辺の風景    JR中野東駅

今日のコースは6.5Km          (広島県の計58.1Km 総計223.2Km)

参加者   S夫婦とM夫婦の4人

中野東駅を15時28分の電車に乗り帰る。

今回は安芸中野駅をショートパス