ぼちぼち歩く旧山陽道

旧山陽道を歩いて制覇する記録です。

山陽道(西国)第33回目(広島~海田市)

2014-03-14 | 日記

山陽道(西国)第33回目(広島~海田市)

2014.2.25(火曜日) 曇り

10時48分広島駅に到着。広島駅の地下ビルで少しウロウロした為、出発したのが11時15分。地下街を通り地上に上がると駅前大橋に出る。左側に猿猴川に架かる猿猴橋が見える。橋の袂の説明板によると(猿猴)とは、広島地方では、サルに似た河童のような想像上の怪物のことを言う。現在の橋は大正15年(1926年)2月に完成した。原爆の時も被害は軽微にとどまり、被害者の避難や救済活動に使われ、多くの命を救いましたとある。

      

広島駅前    駅前大橋から見る猿猴橋    猿猴橋

猿猴橋を渡り東に行くと愛宕踏切がある。ここは「開かずの踏切」で遮断機が当然のように下りている。ようやく上がって渡り始めると、半分も渡らないうちにもう警報がなって、前方の遮断機が下り始めた。慌てたが遮断機は途中で止まって待っている。その先、左側に愛宕神社がある。入口の石柱に犬養毅の揮毫がある。愛宕町交番前信号機を過ぎると、我羅我羅橋(がらがらばし)跡がある。案内板によると古川という川に架けられた橋で、名前の由来は、がら竹という小竹を束にして作った竹橋だったので、橋を渡るとガラガラと音がしたためといわれている。享保2年(1717)ごろ橋のたもとに茶屋が建ち、参勤交代の途中諸大名が立ち寄って賑わったと書かれている。

     

愛宕踏切   愛宕神社(入口の石柱)   我羅我羅橋の石柱と案内板

尾長西という地名(信号機を2つ過ぎる)の所、右側に三本松がある。説明碑によると秀吉が九州から大阪に戻る途中広島に立ち寄った。そのとき、この道筋の左右に松を植えさせたという言い伝えが残っている。「古株が3本残っていたので、いつ頃ともなく三本松と呼ばれるようになった」とある。街道は突き当りを右折するが、その角、左山手に赤い屋根が見えた。ここはミソ地蔵で有名な才蔵寺だと思われるが、時間の都合でパスをした。 長尾町を北から南へ歩いて行くと、左に法明寺がある。その前に被爆当時の写真が掲示されていた。(爆心地から3.3キロも離れているというのに屋根瓦が飛び木組みがむき出しになっている。)

    

太閤伝説の三本松     街道は右折(山手に才蔵寺)    

         

       法明寺と写真の掲示板

道なりに歩いて行くと県道(あけぼの通り)にぶつかる。ここは梶さんの資料にある迷いポイントで「地下にくぐる高架下の方向へ進みましょう!芸備線と車庫に入る新幹線が頭上を通るので勘違いしやすい」とある。また道の角に「文明堂」があるとも書かれてあった。「文明堂」というので文具屋と思っていたら、看板には「長崎 文明堂のカステラ」とあり「文明堂総本店」とあった。長崎カステラなのに何故広島が総本店?県道を東に進んで行くと左にキリンビアパークが見える。昔は麒麟麦酒の工場であったが、今は大きなショピングセンターになっている。

    

カステラの文明堂と高架橋   庭に綺麗な梅の花?   キリンビアパーク

真直ぐ歩いていると、県道が70号から84号になる。「西国街道めぐり」によると、「矢賀一里塚」というのが「東区矢賀新町三丁目の県道84号沿い」にあったそうだが、今は何もない。その右側に広隆寺の屋根が見えてくる。広島高速2号線の高架橋をくぐると府中大橋がある。右側にJR天神川駅があるはずだがビルがあるので見えない。橋を渡るとここがまた迷いポイントである。「武田商店の前を通るのが目印」と梶さんの資料に書かれている。武田商店の前を通り過ぎると道は二股に別れる。街道は左の道を行くのだが、右側のコンビニで小休止。(12時40分)

            

広隆寺   高架橋を通ると府中大橋   武田商店   街道は左の道を

12時55分再出発。その先、左の少し小高い所に恵比須神社がある。資料にはこの近くの民家の塀に小さな可愛いお地蔵さんがはめ込まれていると書かれているので、探してみたが結局発見できなかった。実は昼食をこの付近で摂る予定だったが、お地蔵さん騒動ですっかり忘れてしまった。街道は恵比須神社を右折して真直ぐ行くと、県道84号にぶつかる。ここの永田信号を渡り県道沿いのスパーク(スーパー)を通り過ぎると旧道がある。県道を離れその道を行くが、200mも行かないうちにすぐ元の県道に出る。そのまま県道を歩き、柳ヶ丘西口信号機の前で昼食の事を思い出す。どう見てもその少し先が船越峠である。峠にかかると食堂がないかも?地元の人に食事をする処を聞いたら、県道を離れ右側の街道筋に昔ながらのお好み焼き屋と、峠を越えたら佐世保ハンバーガがあるとのこと(よく知らないからとコンビニで聞いて教えてくれた。感謝!)どんな峠か分からない為、広島に入り三度目のお好み焼きにする。

            

恵比須神社   新幹線の下が県道   安芸山陽道   お好み焼きや

お好み焼き屋を出たのが14時25分。店の前の道が安芸山陽道で右側に船越地蔵がある。そこを道なりに歩いて行くと、さっきの県道に合流するが、県道は84号から151号線に変わり、車線も二車線から一車線で道幅も狭くなる。ここが船越峠である。峠というと山道を思うが幹線道路が通り、坂もたいした事もないので峠らしくない。やがて道は長い緩やかな下り坂になるが、道幅が狭く前と後ろから車が頻繁に通るので、その度に道の端に寄ったり、家の壁にへばり付いたりして歩かなくてはならない。やがて先ほど教えてもらった佐世保ハンバーガーの店があった。この程度の峠ならハンバーガーでも良かったかも? その先正面に目立つ格子の家がある。そこを左に曲がると正専寺の屋根が見える。

            

船越地蔵    船越峠    格子の家    正専寺

少し行くと左手に明治五年の常夜燈があり道が分かれる。左が旧西国街道で、直進が新西国街道である。ここで、新街道に行くか旧街道を歩くか迷ったが、そのまま新街道に行ったのが失敗。道は狭いのに車の通行量が多く、そのことばかり気にしてると恵比須神社と荒神社を見落としてしまった。綺麗な蝋梅の家を過ぎると、光明寺があった。

            

常夜燈    左旧街道 右新街道   蝋梅の香りが漂う   光明寺

道なりに歩いて行くと新町に入る。十字路の左に「旧山陽道海田市の一里塚跡」と「日蓮宗清正寺」の石柱があり、左に真直ぐ行くと日蓮宗清正寺がある。浄土真宗が多い広島県で日蓮宗は珍しいそうだ。

           

日蓮宗清正寺      一里塚碑   塚の小路

海田市駅に行くため右折して反対の「塚の小路」と呼ばれている路地を抜ける。新町の旧道に出会うと道の向うに胡子神社と荒神社が向かい合って祀ってあった。道を横断して直進する。15時30分JR海田市駅に到着。

          

左が胡子神社       右が荒神社(海田市新町)

         

JR海田市駅前で撮影

今日のコースは7.5Km          (広島県の計51.6Km 総計216.7Km)

参加者   S夫婦とM夫婦の4人

海田市駅を15時35分の電車に乗り帰る。

今回は天神川駅と向洋駅をショートパス

 タイガーマスクに出会う。帰りの電車。南岩国駅か藤生駅あたりと思うが、タイガーマスクをした恰幅のいい凄味のある男性が電車に乗り込んできた。乗客は唖然!目がテン!とても会話などする気分にならない。彼はゆっくりと我々の車輛から前の車輛へ行った。その後、女性の車掌さんがやって来た。私たちの車輛から隣の車輛に行こうとしたがタイガーマスクを見て?そのままUターンしてしまった。タイガーマスクは大畠駅で降りた。そして、車窓に向かってバイバイをする。案外優しい人なのかも。今度出会ったら写真を一緒に撮ろうか。(後日調べると、関係あるのか解らないが大畠にプロレスの道場があるらしい。)

 


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