ぼちぼち歩く旧山陽道

旧山陽道を歩いて制覇する記録です。

山陽道(西国)第69回目(大久保~舞子)

2020-03-16 | 日記

山陽道(西国)第69回目(大久保~舞子)

2019.11.30(土曜日)晴れ

今日の出発地点「大久保駅北」交差点を9時30分にスタート。途中、地元の高校生達が清掃ボランティアをしていた。道なりに5分程度歩くと右手に古びた洋館があり、門前に「明治天皇大久保御小休所建物」と書かれた石碑がある。東川を渡ると右手に「西」と書かれた屋台蔵。これはその先にある、住吉神社の10月の祭りに使う屋台を収める蔵で、東西二基あるという。その すぐ先の谷八木川を渡ると、左手に長い塀がある。これが「本陣 安藤家」だ。

                

古びた洋館と天皇碑    「西」屋台蔵     本陣 安藤家  

本陣・安藤家の先、左手に常徳寺があり、その道路を挟んで向かいの民家の前に小さな地蔵尊が安置されている。すぐ先に「東」と書かれた屋台蔵がある。

                  

                          常徳寺と反対側にある地蔵尊       「東」の屋台蔵       

「本陣 安藤家」から10分ちょっと歩くと左側に住吉神社がある。街道は住吉神社を過ぎると、国道とその向う側にある雲楽池の土手に沿って歩き、池の終り辺りで国道を斜めに横切る。旧道に入るとすぐ右手に小公園があり、公園の西に地蔵尊が安置されている。そこに沢地小学校六年生が書いた西国街道についての案内板がある。

                  

            住吉神社      雲楽池の土手にある記念碑     地蔵尊と西国街道の案内板 


街道はその先の交差点で右折し、「中谷東」の信号で国道と合流する。国道を200m弱歩き右手の「サバービアシティ21」マンションの方へ右折する。マンションの前を歩いて行くと三叉路にぶつかる。その左手下に栽松寺と三井神社参道入口がある。街道はここで一旦途絶える。三叉路を右折し新幹線高架下のガードを通ってJR西明石駅前に出る。

                 

         マンション群            三井神社         JR西明石駅     

西明石駅前からの旧道を東に行く。「松の内」信号の所で国道に合流するが、次の信号「西明石町5」で、また左の旧道に入る。100mちょっと歩くと左側に「春の歳時記園」という公園がある。その先三叉路になっている。街道は右に行くのだが左に行ってしまった。和坂(わさか)小学校の校門の前で気づき、小学校の側を通り街道に戻る。街道に戻って15分位行くと、左手に「かにがさかのお大師さん」こと坂上寺がある。

                 

   和坂(かにがさか)          坂上寺       門前の大師と石標 

坂上寺から2~3分、和坂1の信号で国道175を横切る。広い道を10数分東進すると左手に十輪寺がある。この寺は歴代明石城主の信仰が篤かったらしい。寺に入ってすぐ左に「太閤さん縁(ゆかり)の木」という焼けた杉の幹がある。街道は十輪寺を出た所の信号を右折し西新町駅(山陽電鉄)の方に行くのだが、明石城址に向いたいので直進し、明石川を嘉永橋で渡る。渡ってすぐの信号を右折し、川沿いに行く。土手下の河川敷に歌碑(?)が何個かあった。

                 

十輪寺の「太閤さん縁の木」       明石川を嘉永橋で渡る     河川敷の歌碑?  


8分ばかり道なりに行くと山陽本線の手前にでる。直進し4分程歩くと右手に「明石市指定文化財 織田家長屋門」がある。案内板には「この辺りは藩の重臣の屋敷が多くあった」と書かれている。道路の左側は「明石公園」で、城跡の堀に白鳥が泳いでいた。ここから東の方向を見ると天文台の塔が見える。

                 

織田家長屋門         お堀の白鳥         明石の天文台

外堀に架かる橋を渡って公園の中に入ると、前方に二つの櫓が見える。ここで、12時を過ぎたので、公園の前にある明石駅で名物の「明石焼き」を食べる。13時過ぎ再スタート。駅の南に出て直進、国道の「明石駅前」の信号を渡り、次の信号で左折し街道に戻る。交差点の左手に「柿本神社」「従是丸山三丁」と書かれた大きな石碑がある。

                 

   明石城回り          名物の明石焼き        「柿本神社」の石碑

交差点から4分、明石区検察庁の壁に東経135度の子午線の標示がある。隣の 裁判所の所から人丸教会が見える。その先、明石らしい「子午線交番」を左折すると慶応元年の道標がある。「右 か古川 ひ免ぢ 道」「左 ひゃうご 大坂 道」と刻む。ここに、明治43年明石郡小学校教員一同が建てた「第日本中央標準時子午線通過地標準」がある。

                 

東経135度の子午線       人丸教会        子午線の記念碑と道標

街道は人丸教会の所で、左折してすぐ右折するいわゆる枡形になっているが、右に行かず北に行くと「左 ただのり道」という小さな道標がある。道標に従って左に行くと「忠度塚」(平家の落武者の?)があるらしいが、先を急ぐので寄らなかった。街道に戻り、枡形の道を右折して5分程度歩くと右手に大蔵院がある。案内板に「嘉吉元年(1441)、赤松円心の孫祐尚(すけなお)が大蔵谷に陣を構えた。居城を三木城に移す時に陣屋のあとを寺院にしたといわれる。墓地に赤松祐尚夫婦の墓もある。・・」とある。その先、左手奥に稲爪神社が見える。秋祭りには異国から黒牛に乗って攻めてきた鉄人をほろぼした故事を伝える「大蔵谷の牛乗り」という民俗芸能が行われるそうだ。

                 

  「左ただのり道」の道標      大蔵院            稲爪神社           

そのすぐ先、左手に大蔵会館がある。その前に「大蔵地域約千年の史跡」と書かれた案内板があり、その東側に受持姫大明神がある。不確実な情報だが、「大蔵会館の所が本陣の場所だ」という地元の人もいるそうだ。また、この附近は「明石宿」か「大蔵谷宿」かが不明らしい。(案内板にも宿場として栄えたとあるが、宿場名は無い)  その先、大きな家の西側に地蔵尊があり、少し行くと右手に西林寺がある。

                 

大蔵会館・本陣跡?      大蔵谷宿?(地蔵尊が・・)    西林寺      

西林寺から3分行くと、左手に八幡神社があり、道を挟んだ向かいに「明石市都市景観形成重要建築物」と書かれた民家がある。旧道が国道と合流する手前の左側に大きな題目石がある。(朝霧川を渡る手前)

                 

八幡神社       「明石市重要建築物」          大きな題目石

旧道は国道2号とぶつかる。右折して国道を歩く。歩くこと約10分、左、道路の向うにJR朝霧駅が見える。その先、「狩口」信号機付近から国道2号の歩道がなくなり、分岐する国道28を斜めに横切るしか方法がない。しばらく行くと右手に明石大橋が見えてくる。14時23分、珈琲でもと「スタバ」で小休止(お客さん多い)。14時55分再出発。山陽電鉄・西舞子駅地下道入口の手前、Y字の右側が旧道だ。そこを5分ほど行くと左手に六つの神様が祀ってある舞子六神社がある。

                 

JR朝霧駅            明石大橋         舞子六神社

旧道はやがて国道と合流する。その分岐点に昭和9年の皇太子誕生を記念した碑がある。合流して2~3分行くと、国道の反対側に「たたき地蔵尊」と呼ばれる大きな「舞子延命地蔵」がある。木槌まで奉納されていて、叩きつつ願掛けすると願いがかなうという話だが、「無責任な俗説なので、叩かないでください」と注意を呼びかける掲示があるそうだ。そこから5分。14時20分今日の終点JR舞子駅に到着。明石大橋がこの舞子駅から始まっているのを知り勉強になりました。

                 

 皇太子誕生の碑        舞子延命地蔵        舞子駅から明石大橋が


今日のコースは   13.5km(兵庫県90.7km  総計513.8km)

参加者    M夫婦  S夫婦 4名


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