ぼちぼち歩く旧山陽道

旧山陽道を歩いて制覇する記録です。

山陽道(西国)第40回目(湯坂温泉口~日名内)

2014-10-23 | 日記

山陽道(西国)第40回目(湯坂温泉口~日名内)

2014.10.9(木曜日)うす曇り

前回歩いたのが梅雨入りして間もない6月10日でしたから、約4カ月振りの山陽道という事になります。夏が終わり秋になりましたが、今年の8月20日の広島安佐南区の土砂災害と9月27日の御嶽山の噴火では甚大な被害が出て忘れられません岩国で乗り換え、始発の9時16分糸崎行に乗って10時59分白市駅に到着する。白市駅は広島空港への在来線の拠点駅で、大きなスーツケースを携えた人が空港行のバスに乗り込んでいた。駅前からタクシーで前回の終点、仁賀東入口(湯坂温泉入口)のコンビニに行く。今日は瓦坂峠越えなので、お昼のおにぎりを買い11時35分に出発。国道2号を横切り、田圃のあぜ道を歩き、坂を上がって山陽道に出る。

      

駅前空港行バス停   秋本番   田圃のあぜ道~山陽道へ   

この西野町辺りから横大道までは江戸時代に築いた石垣を沢山見ることが出来る。街道を歩いていると左手に大きな石碑があった。石碑の字が不鮮明で読めない。地元の人に聞いたが「よく知りません」とのこと。石碑の横に「船谷一里塚跡」の標識がある。資料に「中国行程記によると西野村と新庄村の村境の船谷川の西側に一里山が描かれている」とあるが、これが「一里塚」の事だろう。道の反対側には街道に背を向けた小さな地蔵堂がある。

       

西野町の石垣   石碑と一里塚跡    街道に背を向けた地蔵堂  

右手に荘野小学校を見ながら歩いて行くと、左に「茶臼山城跡・古墳」と書かれた標識を発見。「茶臼山って聞いたことがあるね」「茶臼山というのは他にもよくあるよね」など話しながら歩く。少し行くとずっと右手の地方道の向うに善明寺が見えた。その先3分ばかりで、葛子川(かずらこがわ)に架かる横大道橋を渡る。

       

茶臼山城跡の標示   向うに見えるのが善明寺   葛子川に架かる横大道橋

横大道橋から少し行くと横大道信号に出る。渡った信号機の東側に1本の柱に3枚の標識が架かっている。上から[横大道古墳群]「河原坂峠」「旧山陽道」とある。そこから10mばかり行くと十字路(四辻)がある。横大道は山陽道と竹原から三次に至る街道との交差である。四辻に「東大阪 西廣島 道、南竹原 北三次 道」の古い石の道標が建っている。道標には「明治三十二年」と刻まれていた。向かい側には大きな地蔵堂があり「雨乞い地蔵」と呼ばれている。台石に寛政七年(1795)の銘。お地蔵さまは今でも皆に信仰されて、いつもお花が絶えないそうだ。この辺りは江戸時代末期には約50軒の家があり、茶屋や宿屋もあったといわれている。

      

横大道信号機   標識   道標   雨乞い地蔵

「横大道古墳群」の標識に沿って歩いて行く。それにしても茶臼山古墳や横大道古墳、次回に歩く予定の尾原地区には貴重な古墳が数々あるらしい。時間のゆとりがあったらゆっくり見学してみたいものだが…。右手前方に一本杉が現れた。むかし春日八郎が歌った「別れの一本杉」を思い出して思わず口ずさむ。小川に架かる鉄柵の橋を渡るといよいよ瓦坂峠だ。瓦坂峠には沢山の呼び名がある。

・『芸藩通志』には「関屋坂」と書かれている。関所もあったらしい。

・急坂のため雨が降ると、峠道が河原になるので「河原坂峠」とも呼ばれた。

・広島城下から13番目の峠で「十三峠」と称す。

・地形的に「チョンマゲ峠」とも呼ばれ、石畳が敷かれて尾根まで通り易い。

・明治年間に新庄村横大道の某氏が、当地の赤土で約10年間瓦を焼いた跡があり、「瓦坂峠」と呼ばれ、明治20年頃まで峠の茶屋があったという。

         

古墳の標識に沿って  別れの一本杉?  小川に沿って、鉄柵の橋を渡ると瓦坂峠だ

瓦坂峠は、ホームページによっては(この道は通行不能になっている)と書かれているものもあるし、地元の人でも途中で道は消滅しているという人もいる。(地元の人も通らない。国道を通るようアドバイスする人も)それで多少不安もあったが、松子山峠のような別れ道がないので迷うことはないし、距離も松子山峠の半分(1.5km)高低差もあまり無いようなので挑戦する事にした。10分ほどで 石畳。それを過ぎると籔が生い茂る。籔をかき分けかき分け進むしかないが、確実に道はある。緩やかな上り坂だが、勾配はきつくない。

             

峠の石畳   瓦坂峠登り口付近    籔をかき分けかき分け進む

峠の頂上付近に破れた旗があった。ここから緩やかな下り坂になるが、蜘蛛の巣にまとわりつかれたり、ぬかるみの道に足を取られたりしながら、ようやく地方道の高架下に辿り着く。石畳を通過したのが12時35分、高架下に着いたのが13時15分。1.5㎞の峠を40分費やしたことになる。

         

頂上付近敗れた旗   蜘蛛の巣やぬかるみの道   高架下に到着

高架下をくぐって行くと道は急に良くなる。前方のコスモスが峠越えで籔漕ぎをした体を癒してくれる。13時30分になったので、先ほどコンビニで買ったおにぎりを食べる。ここは一歩さんが書いておられる「草ぼうぼうの広場」だ。その先出会うのが空港行の道路で、本郷から峠越えをする人は峠の入口に迷うそうだ。

         

前方にコスモスの花が   広場の前で昼食   峠入口(前方の道が空港行)

13時50分再出発。空港行の道路を20分程度歩くと日名内(ひなない)の信号機の所に出る。「日名内」とは日の当たる地のヒナと、川辺の地のアイヌ語のナイの合成地名らしい。前方のサテライト「競輪場外車券売場」付近に日名内の一里塚跡があったようだ。今日は少し短いがここで終了。サテライトから追分までの「やねこい山道」は通行困難でジャングル状の山道らしいので、帰りの電車に間に合わない。上日名内信号機の横に卵と野菜の直売自販機があった。「珍しいけど何時入れた卵なのか分かるのかねー。」と女性陣がめずらしそうに覗き込んでいた。

         

空港行き道路   卵・野菜直売自販機   サテライト山陽

信号機の近くにバス停があるので時刻表を見ると、朝昼夕に1本位なのでバスはあきらめる。竹原のタクシー会社の電話番号が分からないので、サテライトに行けば分かると思い行ってみると、15時に本郷駅行きの無料送迎バスがある。「だれが乗っても構いませんか」と聞くと「どなたが乗られても構いませんよ」との事。しかし、いくらなんでも厚かましいので、「百円出して車券を買いなさいよ」となり車券を買いに行ったが、買い方が分からず締め切りになってしまった。サテライト山陽から15時の無料バスに乗り本郷駅へ行く。競輪やボートレースでは「勝った人はタクシーで帰り、負けた人は無料バスに乗る。」と聞いた事があるので、「皆さん負けちゃったのかしら?」といらぬ心配を…。15時26分の電車に乗り白市駅で乗り換えて、白市始発15時59分の電車で帰宅。最近話題になるのは「往復7時間電車に揺られて、歩く時間が3時間強。日暮れは早くなるし、泊まりや新幹線を使うとか何か工夫をしなければ…。」という事。

今日のコースは4.5Km          (広島県の計99.1Km 総計264.2Km)

参加者   S夫婦とM夫婦の4人

今回はJR入野駅と河内駅をショートパス