ぼちぼち歩く旧山陽道

旧山陽道を歩いて制覇する記録です。

山陽道(西国)第68回目(加古川~大久保)

2020-02-11 | 日記

 

山陽道(西国)第68回目(加古川~大久保)

2019.11.29(金曜日)晴れ

9時5分、前日の終点「寺家町」交差点をスタート。スタートから3分、右手に連子格子の旧家がある。2階のうだつが、一軒の家の真中にあるのは珍しいそうだ。そのすぐ先、左手の小川のほとりの家は、黒板の古い木造住宅の奥にレンガ造りの建物が見えて独特の景観を呈している。小川の隣に胴切れ地蔵が祀られている。案内板に「この地蔵を深く信仰していた人が、うっかり殿様の行列を横切ったために、供侍に無礼打ちにあい、胴体を真っ二つに切られてしまった。ところがふと気がつくと自分の胴体はなんともなく、地蔵さんの胴が真っ二つになっていた。以来自分の身代わりになって下さったと一層信仰するようになったといわれている。」と書かれている。

      

  今日のスタート地点   中央にうだつのある旧家   疎水べりの景観と胴切り地蔵   

この辺りは旧街道加古川宿である。胴切り地蔵から2~3分歩くと左手に龍泉寺があり、境内左手に康永井3年(1344)の五輪塔がある。案内板には、「寺の前の旧山陽道の西方150mの北側路傍に建っていたが、道路拡幅により現在地に移された。」とあった。寺から少し行き、少し大きな道を横切る。その右手に「旧山陽道」と書かれた「平野町内会」の案内板がある。「奈良時代に設置された畿内七道の一つで現在残る道筋は、江戸時代の参勤交代にともなって整備された街道です。」と書かれている。「旧山陽道」とある道標はこの附近までで、これより東にいくと「旧西国街道」となる。

                 

                     加古川宿        龍泉寺五輪塔        旧山陽道の案内板       

街道をしばらく歩くと国道2号と合流するが、その先の「平野東」信号機で又左に入る。2分位行き別府川を二号橋で渡る。そこから、10数分行くと左側に「おりいの清水」の案内板がある。「江戸時代に有名な井戸があった」と書かれている。その奥にあるのが、常夜灯と社殿が二つある宝来神社だ。その先、左手に県指定文化財の宝篋印塔(ほうきょういんとう)があるが、和泉式部の塔と伝えられている。案内板によると造立年代は「南北朝時代はくだらないと思われます」とある。すぐ先左手に薬師堂がある。

                  

       宝来神社          宝篋印塔          薬師堂     

5分位歩くと交差点の右向うに国道「野口」信号機が見え、交差点の先、右の木の側に国道の方を向いた3体の石仏がある。2体は地蔵で、左端の1体は関西では珍しい双体道祖神だそうだ。左手の野口小学校に通じる道の入口、カーブミラーの下に野口村道路元標がある。その先の教信寺の入口に「西国街道」「風土記の道」と書かれた道標がある。

                 

 3体の石仏     野口村道路元標     教信寺の道標 

教信寺に入る。門前の加古川市の「わがまち加古川60選」に「平安時代前期の僧沙弥教信(しゃみきょうしん)がこの野口に庵をつくりました。」とあった。境内左手に、教信の墓と伝えられる県指定文化財の五輪塔がある。お寺から10分位行くと、左に「五社宮 野口神社」がある。案内板には「主神は日吉(ひえ)大神でのち四柱の神を合わせて祀った。山王五宮といっていたようで、野口神社と称するのは明治初年になってから」と書かれている。

                 

     教信寺       五輪塔(教信の墓)     五社宮 野口神社

野口神社の東南角に「南 式内日岡神社」「東 大野村在」「西 甘五丁」と刻む道標がある。(他の道標もそうだが、少し埋もれている。)野口神社から2~3分歩くと、「東加古川ハイタウン」というマンションに突き当たる。街道はこのマンションと向こう側に隣接してあるショピングセンターで途切れる。ショピングセンターの所を左折して線路側の方に行く。そこを右折して再び右折する。ショッピングセンターを迂回して街道に戻るのに15分を要した。(ショピングセンターの中を通れば5分位で抜けたようだ)街道に戻ると、左手に五輪塔がある。案内板には「足利左馬頭義氏の墓」とある。右手に稲荷神社があるはずだが発見出来なかった。在家北交差点を横切って進む。次の交差点の左手に東加古川駅が見える。11時5分、スタートから2時間経過しているのに、まだ3.5kmしか歩いていない。今日は西明石まで行く予定なのだが・・・。

                 

野口神社の角の道標      五輪塔(足利義氏の墓)    JR東加古川駅

東加古川駅で小休止。11時30分再出発。5分位行くと右手に火の見櫓が見える。そこから7分歩くと左手に西谷八幡神社がある。少し行くと国道にぶつかる。前方は平岡小学校で、街道はこの小学校と国道にさえぎられているので国道を歩く以外にない。国道を200m位歩くと、左側に街道が現れる。そこから5分、左手に長松寺がある。

                 

火の見櫓        西谷八幡神社          長松寺    

この辺りは高畑である。「ふれあいセンター」の奥に高畑薬師堂がある。薬師堂から5分、左手に五社大神社があり、少し行くとJRの踏切がある。これを渡ると土山になる。7~8分行くと左側に土山薬師堂。そこから300mで喜瀬川に架かる土山橋を渡る(今が12時25分、踏切から土山橋まで10分たらず)

                 

高畑薬師堂        五社大神社         土山薬師堂

落ち着いた家並みの土山の旧道をのんびりと歩く。その先左手に平岡東小学校があり、この東端が加古川市から明石市に入る市境になる。その先、右手にあるJR土山駅に通じる道との交差点左角に地蔵尊がある。ここで12時40分。昼食を摂るには国道に出る以外ないので、土山駅の方向に下りて国道の土山信号機を東に行く、次の信号機の所に有名な丼の店があったので昼食を摂る。そのまま信号機を上がって街道に戻ったのが13時30分。街道との交差点の所に地蔵堂があり、その横に朱塗りの鳥居と「松本稲荷」がある。

                 

市境(ここから先、明石市)    土山の地蔵尊     赤いのが地蔵堂・松本稲荷

その先塀や蔵造り、生垣の立派な清水新田の落ち着いた町並みが続く。十字路の西南角に「右 三木」「左 二見」と刻む道標がある。左手に宝篋印塔がある。「江戸時代後期に建立された。江戸時代、このあたりは西国街道と呼ばれる街道があり、往来する旅人も多く、旅の途中で命を落とすことも珍しくなかった。この旅人の供養と地域に災いが起こらないよう建立した。」とある。

                 

清水新田の家並み        十字路にある道標       清水新田の宝篋印塔

ここから15分、清水川を清水橋で、続いて瀬戸川を瀬戸橋で渡る。瀬戸橋から2~3分、右手に少し埋まった道標がある。「是よ里 者り満名所道」「左 別所てまくら松 をのへのかね道」「右 高砂相生ま津 あかしみち」などと刻まれているそうです。そのはす向かいには西福寺がある。そこから5分、のんびりした清水を歩いて行くと左手に清水神社がある。案内板によると「無形民俗『清水のオクワハン』という田植を終えた祝いと豊作祈念の行事が明石市指定文化財になっている。」とある。

                 

道標                  西福寺              清水神社

清水神社のすぐ先、上り坂の途中、右手の高台の墓地の中に貞和二年(1346)銘の古い大きな五輪塔があり、県指定文化財になっている。今日は五輪塔をよく見る。まもなく、左手に大正7年建立の記念碑がある。そこから10分、県道の交差点を横切ると魚住になる。そこから15分程度歩くと、右側に大きな「古前池」がある。右手の石碑は「魚住之太子」と刻まれていたらしいが、いまは薄れて読めない。

                 

          石造五輪塔       灌漑用水の記念碑       長い下り坂、右手に石碑が 

池から10数分、左手に正覚寺がある。その先、二股の道にぶつかる。山陽道は右に行くのだが、反対の道に「左大山寺道」と書かれた道標がある。街道はすぐ先の大きな道を横切って進むが、十字路の左手に金ヶ崎神社の参道がある。

                 

                             正覚寺      山陽道は右、左に石柱        金ヶ崎神社の参道       

交差点から10分、街道はコカコーラ工場にぶつかる。そこを右折すると国道の「大池東」の信号機の所に出る。15時30分、国道沿いのコンビニで小休止。仲間の一人がとても西明石まで歩けそうもなさそうなので、今日は大久保駅で止めることにした。16時再出発。国道「大久保西」の信号機を右折してすぐ左折する旧道になる。その先、右角に「是ヨリ 播磨八拾八ヶ所」と刻む道標があるが、ほとんど読めない。JR大久保駅に着いたのが、16時10分。

                 

コカコーラ明石工場          右角の道標          大久保駅          

今回はこれだけでは終わらない。「ホテルを西明石に取った。」というので電車で西明石に戻る。西明石駅は、新幹線が後から出来たからか出口がなかなか見つからない。ホームをウロウロ。ようやく見つけて町に出たが、今度はホテルが見つからない。町の人に聞くと、「このホテルは明石ですよ。」また電車で明石まで・・・。くたびれました。

今日のコースは12.5km (兵庫県33㎞  総計456.1km)

参加者  M夫婦、S夫婦の4人


山陽道(西国)第67回目(ひめじ別所~加古川)

2020-02-11 | 日記

山陽道(西国)第67回目(ひめじ別所~加古川)

2019.11.28(木曜日)晴

 

ハローキティ仕様の新幹線に乗って、10時20分 姫路駅に到着。JR神戸線に乗り継ぎ10時40分 ひめじ別所駅到着。前回の終点 ひめじ別所駅北より歩き始める。

             

キティちゃん装飾       ひめじ別所駅         駅北           

 正面に2塔の常夜燈を見て右折し、右手に石柱、左手に延命地蔵尊を見て、大池沿いを歩く。

             

常夜燈          地蔵尊            大池

道なりに10分程行くと、左手に「六騎塚」がある。この「六騎塚」は南北朝時代の延元元年(1336年)児島高徳の父範長主従六人の自害を弔って建立したと伝えられている。亀趺(きふ)とよばれる亀形の台上に建てられている。10分程歩くと姫路市と高砂市の市境である阿弥陀町豆崎水路に出る。

             

        六騎塚             市境

山陽本線、国道2号線と並行して5分程行くと、左手に地蔵尊があり、さらに5分程行くと国道に出る。国道を渡り、大日池(かつては約24,000㎡以上あったが、県道新設や鹿島中学校用地となり、現在は7,449㎡)沿いを南下する。

              

地蔵尊           国道を渡る       大日池

右手に曽根駅を見て歩くと、高架下に集められた5基の石標があった。左折すると左手に石造五輪塔、石仏がある。五輪塔は南北朝時代、暦応5年(1342年)のもので、一結講衆が建立した供養塔である。児島範長の墓とも伝えられる。石仏は室町時代後期、永正4年(1507年)に、一結衆が建立したもので、阿弥陀仏立像が彫られている。背面には石材を加工した際の矢穴跡が残る。共に竜山石製との説明書きがあった。10分程行くと、北向地蔵尊が右手にあった。

             

5基の石標       五輪塔、石仏        北向地蔵尊

石標と地蔵院を見て5分程歩くと、左手に薬師堂が、ほどなく右手に稲荷神社がある。2号線に出て、お昼休憩。蕎麦が美味しいと評判の和食店に入ったが、だれも蕎麦を食べず、あくまでマイペースの4人。

             

   薬師堂          稲荷神社

13時、阿弥陀南交差点に戻り、395号線を横切って、直進する。10分程歩いて2号線の魚橋西交差点を渡り、少し行って脇道に入る。5分程行くと、右手に旧印南郡々役所跡がある。

             

阿弥陀南交差点       脇道      (旧)印南郡々役所跡

さらに5分程行くと、左手に童謡作曲家 佐々木英先生(「月の沙漠」「お山の杉の子」等を作曲)の石碑がある。「正蓮寺」を過ぎて行くと、左手に有形文化財の「土田家住宅」がある。郵便制度の変遷が土田家住宅旧魚橋郵便局舎・土田家住宅離れを介して顕著に表わされており、時代背景や建設された当時の面影を色濃く残した、この地域では稀少な建築物と判断される。と記されている。

             

佐々木英先生石碑        正蓮寺        土田家住宅

左手に八坂神社入口を見て10分程行くと、法華山谷川に出る。橋を渡るとすぐ左手に「魚橋東地蔵」がある。バイパスの高架下をくぐり抜けて、387号線を行く。

             

法華山谷川      魚橋東地蔵               高架  

左手に「五輪塔」、右手に「覚正寺」を見る。少し行くと右手に石標がある。ばんとう通りを歩き、山陽本線を渡り、石標を見て「宝殿駅」に出る。

        

五輪塔        覚正寺         石標          尉と姥  

                     

山陽本線         石標         宝殿駅     

15分程行くと「妙見宮」鳥居が左手にある。ほどなく「平津交番前」に出て2号線を10分程歩き、右の脇道に入り5分程歩く。

             

妙見宮       2号線        脇道に

再び2号線加古川橋西詰に出て加古川を渡る。加古川橋東詰から左の小道に入ると左手に地蔵尊がある。

             

2号線へ       加古川        地蔵尊

加古川一番街じけまち(寺家町)に入り、陣屋跡を見て抜ける。10分程歩いて16時、今日の宿「スーパーホテル加古川」に着く。夕食は隣の和食屋さんで済ます。

             

         加古川一番街       加古川市マンホール     宿泊ホテル   

             

今日のコース  9.5km  (兵庫県の計 63.7km、総計 486.8km)

 参加者  M夫婦、S夫婦の4人