ぼちぼち歩く旧山陽道

旧山陽道を歩いて制覇する記録です。

山陽道(西国)第49回目(三本松~神辺)

2016-03-04 | 日記

山陽道(西国)第49回目(三本松~神辺)

2015.11.5(木曜日)曇り

前日は福山市内で一泊(宿泊は今回が初めて)。私たちの住んでいる地域から福山まで200kmを越えるので、新幹線でも片道2時間30分かかる。「時間的にも経済的にも宿泊をした方が良いだろう。」ということになった。 9時30分、福山駅前でタクシーに乗り、9時40分三本松バス停に到着。タクシーの運転手さんに「芦田川沿いの歩道は大渡橋まで続いていますか?」と尋ねたら「左の川土手筋の歩道を行かれた方が安全だし楽ですよ。」と言われ、「神辺まで歩かれるのなら、途中にホロコースト記念館があります。」と教えてもらった。

 

福山駅前より福山城を望む                                       

タクシーを降りて運転手さんに教えられたように左の歩道を行く。右の道は「郷分土手(ごうぶんどて)」と呼ばれている県道で、水害の度に堤防は嵩上げされ、江戸時代よりも約2m高くなっているそうだ。 二本松バス停付近に、「記念碑」と刻まれた大きな石とその横に「二代目 二本松」と彫られた石碑がある。道路の横には水量の豊富な水路があり、「郷分排水機場」に流れている。この「郷分排水機場」は水路のゴミを取るのが目的と思われる。

            

右が郷分土手   「二代目 二本松」の石碑 郷分排水機場の前の道を行く

排水機場を少し行くと記念碑があり、その横に地蔵尊がある。その説明板によると「昔むかし私は芦田川堤防を大阪方面へ向けて旅をしていましたが、二本松の下で行倒れあの世へ旅立ちました。人々は私を哀れみ二本松の下に地蔵として祭祀くださいましたが、大正八年の水害で松の木と共に濁流に押し流され六十五年間土の中に埋まっていましたが・・」と書かれてある。 30分ほど歩き、山陽自動車道の高架橋下「サンドイッチ屋さん」の近くで小休止。 左側のずーと向こうの山手に赤い柱の建物が見える。地図を見ると石槌神社と思われた。が「西国街道を行く」の資料には「宮光音の首塚(みやみつねのくびづか)で、備後一宮の吉備津神社を中核に、南北朝以来勢力を張っていた宮氏は、毛利氏との合戦に負け盟主の宮光音は敗走した後捕えられた。毛利氏に討ち取られたその首は、現山手稲荷神社の下に葬られました。今も宮光音を祀った石造の小祠と墓石が残り、大切に地元の方に守られています。」とあるので、山手稲荷神社とも言うのであろうか?

             

お地蔵さんの説明を読む  こんな所にサンドイッチ屋が  宮光音の首塚

10時20分に再出発をして芦田川大渡り橋(あしだがわおおわたりばし)に着いたのが10時40分前後。大渡り橋を渡らずそのまま直進すると、昔の船渡し場があるそうだ。資料には「昭和30年頃まで、一本松の大木があったといわれていますが、現代は河川改修のためその遺構は消えバス停の名のみが名残です。」とある。 私たちは船渡しには行かず、そのまま橋を渡り、大渡橋東詰信号を横切りそのまま街道を歩く。右側に荒神社があり、神社の前には地神の石碑がある。

            

大渡り橋      橋から見た芦田川    荒神社と地神

地図を見ると荒神社の近くにコンビニがある。街道からは少し外れるがそこに立ち寄ることにした。するとコンビニの近くにタクシーの運転手さんに教わったホロコースト記念館があった。せっかくなので立ち寄ることにした。スライドを観賞し、展示物をゆっくり見て回り記念館を出たのが12時過ぎ、道はすぐ街道と合流する。良く見ると左手に正善寺がある。正善寺の前の十字路を右に行けばホロコースト記念館で、左が山陽道になっている。しかも、この十字路からホロコースト記念館まで2~3分の距離と言うことは、山陽道をぐるりと迂回したことになる。 その先、右手に地神と地蔵堂があり、中津原小学校跡地の石碑もあった。

            

ホロコースト記念館      正善寺    地蔵堂と地神

道なりに歩いて行くと、右手に火の見櫓がありその下に福山市消防団御幸分団と書かれた器具庫がある。「そういえば、二本松の所にも火の見櫓があったね。芦田川があばれ川なのであるのかね。」と話す。 その先、新茶屋信号を右折する。芦田川の支流の高屋川に架かる鶴が橋を渡っていると、目の前をJR福塩線の黄色い電車か通過していった。

              

火の見櫓     新茶屋信号機     鶴が橋を渡る

橋の右側を渡りすぐ鶴が橋南詰信号を渡ると、古い立派な醤油屋がある。その手前、右角に出雲大社道の道標が、新旧二基ある。古い方は文久三年(1863)の建立だ。「先程、新茶屋信号を右折して来たが、左折すれば出雲路だったんだね」  左手に福塩線を見ながら313号線を歩く。12時40分になったので「一竜軒」というラーメン屋さんに入る。

              

出雲大社道道標   鶴が橋南詰交差   ラーメン店

ラーメン店を出て、国道313号と別れ右側の山際の道を歩く。ゴルフ練習場の前を通り、国道182号の陸橋の下をくぐる。313号を少し歩いて神辺第一陸橋東信号機の所から右の旧道を行く。右手石垣の上に天理教の大きな建物がある。 「西国街道を行く」の資料では「天理教の下を通り三差路に出ると、福山道との分岐点にでます。」と書かれてあるが、甲里池に行くまで三差路は二つあり、どちらが福山道の分岐点か分からなかった。 甲里池の土手を道なりに歩いて行くと、右に「南無阿弥陀」と彫られた石碑と石像がある。

               

天理教の巨大な建物   甲里池     石碑と石像

道なりに行き左に直角に曲がると国道313号に出る。福山藩の「神辺宿」の西端に至る。 国道の手前、歩道橋の下に「夜泣き地蔵尊」がある。その説明書によると「お寺の松が夜中に赤ん坊の泣き声で泣くので、村人が和尚さんに相談したら、お腹がすいて乳をほしがっているという。村人が乳を集めて松の根に流したら夜泣きはぴたりとやんだ。・・・」  夜泣き地蔵尊から5分程度で神辺駅に到着。(到着が14時ちょうど)

             

夜泣き地蔵尊とその説明書き       JR神辺駅

JR神辺駅から福塩線にて福山駅へ新幹線にて帰宅。   

今日のコースは7.0Km          (広島県の計152.9Km 総計326.5Km)

参加者        S夫婦とM夫婦の4人

 


山陽道(西国)第48回目(今伊勢宮~三本松)

2016-03-04 | 日記

山陽道(西国)第48回目(今伊勢宮~三本松)

2015.11.4(水曜日)晴れ

前回歩いたのが6月6日だったので、5ケ月ぶりの山陽道になる。今回は福山で一泊して神辺まで歩くことにした。(何といっても交通費が高くなってきたので)いつもの新幹線で三原に降り、山陽本線を乗り継いで松永駅に着いたのが10時10分。 駅南の小公園に松永塩田を完成させ、福山藩繁栄の基礎を築いた人物「本庄重政」の銅像があるというので探したが結局発見できず。タクシーで前回の終点、今伊勢宮の鳥居の前に着いたのが10時30分。

            

    松永駅 南口     松永駅前・塩田の像    今伊勢宮への階段                       

鳥居の西側の空き地には、むかし「茶屋」とよばれた休息所があったそうだ。そこを右折して山陽道に入ると、前方に赤坂バイパスの高架橋が見えてくる。高架下をくぐり歩いていくと左手に「神村町二区クラブ」の前に常夜灯と地神がある。この街道筋には常夜灯が沢山あるので地元の人に聞くと、「昔はこの付近まで海でした。」とのこと。すぐ先の左手に地蔵尊が二つあり、右のお地蔵さんは「六十三番」と書かれてある。

             

     赤坂バイパスの高架下  常夜灯と地神  右「六十三番」のお地蔵さん

道なりに歩いて行くと左手に地蔵堂がある。そのすぐ東側に消防団神村分団器具庫と「第一区倶楽部」と書かれた倉庫があり、その東隣に「六十八番」「六十九番」と書かれた地蔵堂がある。その先、左手に巨大な金毘羅神社常夜灯がある。 明治25年建立だ。梶さんによると「備後赤坂駅に向かう途中、西国街道の道端に金毘羅大権現の常夜灯が少し間をおいて2ヶ所で見ることができます。江戸時代、伊勢参りと金毘羅参りは大変な人気でした。特に金毘羅参りは船に乗る人たちの信仰をあつめていました。 今は金刀比羅宮として神社になっていますが、もとは真言宗・松尾寺の守護神として祀られた金毘羅摩竭魚叉大将(こんぴらまかぎょしゃ)の信仰に始まっています。海上安全 の神様として、漁民や海運業者に広く信じられてきました。」と書かれている。

             

神村分団器具庫の左右に地蔵堂 六十八・六十九番のお地蔵さん 金毘羅神社常夜灯

一時間近く歩いたので、河手橋西信号の横にあるコンビニで小休止。 休息後、道なりに進んでいくと左手に常夜灯がある。多分この奥にある八幡神社の常夜灯と思われる。もしそうなら天保三年(1832)の常夜灯だが、少し新しい気もする。・・ そのすぐ右側に金毘羅神社の常夜灯がある。これが備後赤坂駅までにある2つ目の常夜灯ということになる。

             

今年はどの枝にも沢山の柿の実が 八幡神社の常夜灯? 2つ目の常夜灯

国道沿いの「福山市立福山高等学校」の看板が見えると、街道左側に円の周囲に梵字(ぼんじ)が刻まれた曼荼羅があるはずだが、見つけ出せない。民家の前にご婦人がおられたので「曼荼羅は何処にありますか?」と尋ねると「私の家の庭にあります。」と言って案内をしてくださり、曼荼羅の説明をされ、最後にはパンフレットまで頂いた。そのパンフに「赤坂町の旧山陽道沿いに、巨大な自然石に梵字を刻んだ光明真言の字輪曼荼羅石があります。・・・」と書かれてある。そこから少し歩くと左手の集会所の前に地神がある。この付近はたくさん地神と地蔵が祀られている。その先、福原病院の手前の民家の前にも地蔵尊がある。

             

石の曼荼羅  集会所前の地神    福原病院と地蔵尊

福原病院付近で12時を過ぎたので、国道沿いのコンビニに行こうとしたら病院前にラーメン店があったので昼食にする。 店を出たのが13時前。旧道にもどり歩き始めた。ここは備後赤坂駅前付近なので「スベリ石古墳」の案内標識があるはずだが・・と探しながら歩く。すると右手に地蔵尊があり、済美中学校の看板が見えてきた。 ここまで来ると駅からかなり東になるので古墳の案内板は見過ごした事になる。

             

昼食をしたラーメン店    地蔵尊     済美中学校

済美中学校前の坂を上がり、下っていくと備後赤坂の町並みに入っていく。この付近はむかし「水越峠」と言われていたようだ。前方に見えるのが松林酒店である。店は新築されて壁に「LIQUOR CONVENIENCE  MATSUBAYASI」の看板がある。 梶さんの本に出てくる松林酒店とその左手先が江戸時代、飛脚問屋をしていた岡本家だ。その本の中で「松林酒店の後方右、国道2号とJR山陽線とに挟まれたこんもりとした木立、地元では『イコーカ山』とよばれている古墳があります。」と書かれてあったので、店の人に「イコーカ古墳は何処ですか?」と聞くと、中からおばあさんが出てこられ、店の右後方を指さされ「あれですよ。」と教えてもらったが、家に帰って写真を見ると「イコーカ古墳」と思えない。(方向は合っているが、位置的に「もう一つ奥の山なのではないか?・・・)

             

塀の中が飛脚問屋の岡本家   松林酒店   イコーカ山?

水越のバス停がないので地元の人に聞くと、「バスは廃止されました。その先の『坂部』からバスが出ています。むかしこの辺りは相撲取りが沢山いて『坂部』にはその墓がありますよ。」と教えてもらう。20分程度歩くと、川があり橋を渡ると左手に「坂部」のバス停がある。「昭湖墓」と書かれた大きな石碑と「地主大神」、地蔵尊が並ぶ。昭湖墓とは先程聞いた相撲取りだ。またまた、梶さんによると「街道を歩くと急に『地神』と刻まれた石塚を見かけることが多くなります。地神の信仰はさまざまですが、土地の精霊・守護神に対する信仰、春に山の神が田に降りて田の神になり秋になると山に帰っていくという田の神、そして死後50回忌の弔いあげを終えた死者の霊がなる地神、などが伝えられています。」 ここ坂部のバス停は福山駅からの終点(反対に福山駅への始発)のようだ。

             

備後赤坂の町並み   昭湖墓と地神、地蔵尊  坂部のバス停

坂部のバス停で休憩をして、14時前に出発する。 少し歩くと、川岸に大きな地神などの石塔群がある。津之郷小学校の手前、「谷尻」バス停の横である。その先、道の角に「右 ふく山道 左 大阪」と刻まれた石柱がある。 「弘法さん入口」と書かれた看板があり、看板には「霊場 湯泉 宿泊 弘法水」と書かれてある。「お寺さんで宿泊出来るのか?」と首を傾げる。

             

谷尻の石塔群   「右ふく山道 左大阪」の道標  「弘法さん入口」の看板

「弘法入口」バス停の近く右側に地蔵尊がある。「二十二番」と書かれてある。バス停の先、路肩に田に落ちそうに傾いたコンクリートの地蔵堂があり、その横に「旧一本松跡」と書かれた石碑があり、松くい虫によって、昭和60年に伐採したとある。 その先、右手に湯傳稲荷神社の鳥居が見えてきた。

            

二十二番のお地蔵さん 「旧一本松跡」の石碑  湯傳稲荷神社の鳥居

湯傳稲荷神社の前には「江良坊会館」がある。役員を選ぶときには「江良坊会館でえらぼう!」とオヤジギャグの一つも言いたくなる名前だ。 仲間の一人が足を悪くしているので、一足早く「山手江良」のバス停からバスに乗って福山駅に直行する。残り三人で三本松を目指す。「山手町江良」信号右手に大きな「榎木」があり、横に「山陽道一里塚跡」と書かれた案内板がある。「『西国街道を行く』の資料には『葉の繁りの悪い年は田んぼのできも悪い』といわれ、大きな洞をもつものの西国街道唯一の塚榎として生き抜いてきました。」とある。その塚榎の前に「一里塚の榎木と題して、右の道 赤坂、松永方面 中の道 福山市街方面 左の道 神辺、井原方面」と刻まれた新しい道標がある。

             

江良坊会館           大きな塚榎と案内板             

山郷橋の手前、山手町七丁目、左手に「見守地蔵 念願往来無事」と書かれた地蔵尊がある。「泉小学校入口」の信号を渡り、歩いて行くと芦田川の土手が見えてきた。その右手に「泉学区 フラワーロード三本松」の看板があり、その前にバラが咲いている。 川土手の上、「三本松」バス停で今日の予定終了。

             

見守地蔵     フラワーロード三本松    終点、三本松のバス停

バスで福山駅まで行くつもりであったが、一時間に一本程度しかバスがないのでタクシーを呼ぶ。 福山駅北口で仲間と合流したのが15時30分。

今日のコースは8.0Km          (広島県の計145.9Km 総計319.5Km)

参加者        S夫婦とM夫婦の4人