山陽道(西国)第49回目(三本松~神辺)
2015.11.5(木曜日)曇り
前日は福山市内で一泊(宿泊は今回が初めて)。私たちの住んでいる地域から福山まで200kmを越えるので、新幹線でも片道2時間30分かかる。「時間的にも経済的にも宿泊をした方が良いだろう。」ということになった。 9時30分、福山駅前でタクシーに乗り、9時40分三本松バス停に到着。タクシーの運転手さんに「芦田川沿いの歩道は大渡橋まで続いていますか?」と尋ねたら「左の川土手筋の歩道を行かれた方が安全だし楽ですよ。」と言われ、「神辺まで歩かれるのなら、途中にホロコースト記念館があります。」と教えてもらった。
福山駅前より福山城を望む
タクシーを降りて運転手さんに教えられたように左の歩道を行く。右の道は「郷分土手(ごうぶんどて)」と呼ばれている県道で、水害の度に堤防は嵩上げされ、江戸時代よりも約2m高くなっているそうだ。 二本松バス停付近に、「記念碑」と刻まれた大きな石とその横に「二代目 二本松」と彫られた石碑がある。道路の横には水量の豊富な水路があり、「郷分排水機場」に流れている。この「郷分排水機場」は水路のゴミを取るのが目的と思われる。
右が郷分土手 「二代目 二本松」の石碑 郷分排水機場の前の道を行く
排水機場を少し行くと記念碑があり、その横に地蔵尊がある。その説明板によると「昔むかし私は芦田川堤防を大阪方面へ向けて旅をしていましたが、二本松の下で行倒れあの世へ旅立ちました。人々は私を哀れみ二本松の下に地蔵として祭祀くださいましたが、大正八年の水害で松の木と共に濁流に押し流され六十五年間土の中に埋まっていましたが・・」と書かれてある。 30分ほど歩き、山陽自動車道の高架橋下「サンドイッチ屋さん」の近くで小休止。 左側のずーと向こうの山手に赤い柱の建物が見える。地図を見ると石槌神社と思われた。が「西国街道を行く」の資料には「宮光音の首塚(みやみつねのくびづか)で、備後一宮の吉備津神社を中核に、南北朝以来勢力を張っていた宮氏は、毛利氏との合戦に負け盟主の宮光音は敗走した後捕えられた。毛利氏に討ち取られたその首は、現山手稲荷神社の下に葬られました。今も宮光音を祀った石造の小祠と墓石が残り、大切に地元の方に守られています。」とあるので、山手稲荷神社とも言うのであろうか?
お地蔵さんの説明を読む こんな所にサンドイッチ屋が 宮光音の首塚
10時20分に再出発をして芦田川大渡り橋(あしだがわおおわたりばし)に着いたのが10時40分前後。大渡り橋を渡らずそのまま直進すると、昔の船渡し場があるそうだ。資料には「昭和30年頃まで、一本松の大木があったといわれていますが、現代は河川改修のためその遺構は消えバス停の名のみが名残です。」とある。 私たちは船渡しには行かず、そのまま橋を渡り、大渡橋東詰信号を横切りそのまま街道を歩く。右側に荒神社があり、神社の前には地神の石碑がある。
大渡り橋 橋から見た芦田川 荒神社と地神
地図を見ると荒神社の近くにコンビニがある。街道からは少し外れるがそこに立ち寄ることにした。するとコンビニの近くにタクシーの運転手さんに教わったホロコースト記念館があった。せっかくなので立ち寄ることにした。スライドを観賞し、展示物をゆっくり見て回り記念館を出たのが12時過ぎ、道はすぐ街道と合流する。良く見ると左手に正善寺がある。正善寺の前の十字路を右に行けばホロコースト記念館で、左が山陽道になっている。しかも、この十字路からホロコースト記念館まで2~3分の距離と言うことは、山陽道をぐるりと迂回したことになる。 その先、右手に地神と地蔵堂があり、中津原小学校跡地の石碑もあった。
ホロコースト記念館 正善寺 地蔵堂と地神
道なりに歩いて行くと、右手に火の見櫓がありその下に福山市消防団御幸分団と書かれた器具庫がある。「そういえば、二本松の所にも火の見櫓があったね。芦田川があばれ川なのであるのかね。」と話す。 その先、新茶屋信号を右折する。芦田川の支流の高屋川に架かる鶴が橋を渡っていると、目の前をJR福塩線の黄色い電車か通過していった。
火の見櫓 新茶屋信号機 鶴が橋を渡る
橋の右側を渡りすぐ鶴が橋南詰信号を渡ると、古い立派な醤油屋がある。その手前、右角に出雲大社道の道標が、新旧二基ある。古い方は文久三年(1863)の建立だ。「先程、新茶屋信号を右折して来たが、左折すれば出雲路だったんだね」 左手に福塩線を見ながら313号線を歩く。12時40分になったので「一竜軒」というラーメン屋さんに入る。
出雲大社道道標 鶴が橋南詰交差 ラーメン店
ラーメン店を出て、国道313号と別れ右側の山際の道を歩く。ゴルフ練習場の前を通り、国道182号の陸橋の下をくぐる。313号を少し歩いて神辺第一陸橋東信号機の所から右の旧道を行く。右手石垣の上に天理教の大きな建物がある。 「西国街道を行く」の資料では「天理教の下を通り三差路に出ると、福山道との分岐点にでます。」と書かれてあるが、甲里池に行くまで三差路は二つあり、どちらが福山道の分岐点か分からなかった。 甲里池の土手を道なりに歩いて行くと、右に「南無阿弥陀」と彫られた石碑と石像がある。
天理教の巨大な建物 甲里池 石碑と石像
道なりに行き左に直角に曲がると国道313号に出る。福山藩の「神辺宿」の西端に至る。 国道の手前、歩道橋の下に「夜泣き地蔵尊」がある。その説明書によると「お寺の松が夜中に赤ん坊の泣き声で泣くので、村人が和尚さんに相談したら、お腹がすいて乳をほしがっているという。村人が乳を集めて松の根に流したら夜泣きはぴたりとやんだ。・・・」 夜泣き地蔵尊から5分程度で神辺駅に到着。(到着が14時ちょうど)
夜泣き地蔵尊とその説明書き JR神辺駅
JR神辺駅から福塩線にて福山駅へ新幹線にて帰宅。
今日のコースは7.0Km (広島県の計152.9Km 総計326.5Km)
参加者 S夫婦とM夫婦の4人