ぼちぼち歩く旧山陽道

旧山陽道を歩いて制覇する記録です。

山陽道(西国)第72回目(大石~西宮)最終回

2020-04-12 | 日記

山陽道(西国)第72回目(大石~西宮)最終回
                                                                             2019.12.14(土曜日)曇りのち晴れ

今日は、8年間歩いてきた山陽道の終点「西宮神社」をめざす。朝9時三宮のホテルを出発。昨日は三宮駅の地下街で少し迷ったが、今日は順調に阪神電鉄の大石駅に9時30分到着。駅前を少し上って都賀川を渡る(この川は10数年前、急な増水による鉄砲水の災害で5人の犠牲者を出したそうだ。) 川の側の公園に「西国街道」と刻まれた石碑がある。その先にも同じような石碑がある。20分ぐらい街道を道なりに行くと、右手に阪神電鉄の「新在家駅」が見える。

            

               都都川   西国街道の石碑  阪神電鉄 新在家駅  

新在家駅の所から約10分、信号機のある交差点を横切ると右手角に「菟原(うない)をとめ塚」「小山田健雄」と刻む道標と、説明板がある。「この道標が建つ東西の道は、江戸時代の西国街道・本街道にあたる。そして、ここから南にある処女塚(おとめ)へ向かうための道しるべとして建てられた。」とある。その先、街道は石屋川を西国橋で渡り、左折して60m程で右折するのだが、この先の公園に「徳川道起点」と書かれた案内板がある。幕末の兵庫港開港に際し、外国人と西国街道を通る諸大名や武士との衝突を避けるため造られた道だそうだ。

           
処女塚の案内板    西国橋     徳川道起点  

天神川を一里塚橋で渡る。橋に案内板がある。それには「江戸時代は一里塚が整備されていたが、今は塚もなく、わずかにこの橋がその名をとどめているだけ。」と書かれてある。橋を渡ると道は御影中学校に突き当たる。そのT字路の右角に「西国街道」の石標がある。今日はやたらに「西国街道」の碑が目につく。中学校の門の前に一本の老松がある。フェンスに取付けられた「市民の木」の説明に「この老松は大名行列が通ったころの街道の面影をわずかに残す並木の一本。」とある。

           
一里塚橋と案内板   西国街道の石標   街道の老松          

T字路を左に行くと国道2号線にぶつかる。国道を15分歩くと左側に本住吉神社がある。ここは、大阪の住吉神社のもととなったといわれている。千鳥破風、唐破風の立派な社殿と、左手に舞殿、右手に山車蔵がある。
本住吉神社の大きな塀の前に「西国街道」の石碑と案内板がある。住吉は道中昼休みの宿で、神社の前に大名の休む本陣があり、休み茶屋も両側にたくさんあったそうだ。神社の東の交差点から北に向かう道は、六甲山を越える住吉道で、角に「有馬道 是ヨリ北江九十丁」と刻む道標がある。

                  
本住吉神社   西国街道の石碑   住吉道の道標     

その先、10分程度行くと住吉川を住吉橋で渡る。右手に有名な灘高が見える。市営新住吉川住宅の所から左折して旧道に入る。旧道に入りすぐ右折をして進むと十字路の角に花松首地蔵がある。大きな首だけの地蔵で、首から上の病気に霊験あらたかだという。本山南中学校を左に見ながら、10数分歩くと国道に出る。その左に三王神社があった。

           
灘高      花松首地蔵     三王神社

「小路」信号機付近に国道地蔵尊と呼ばれる巨大な地蔵尊がある。昭和7年交通安全のために建立されたが、阪神淡路大震災で被害を受け再建されたものだ。そこから約1㎞行くと、「赤鳥居前」の信号機の所に朱塗りの大鳥居がある。その前に「稲荷の社 従是三町」と刻む石標がある。 12時を過ぎたので、赤鳥居の向かい側にあるレストランでスパゲティを食べる。

                 
    国道地蔵尊    赤鳥居と石標   昼食をとった店     

13時5分再出発。ひたすら国道2号を歩く。約30分で芦屋川に架かる業平橋を渡る。途中「前田町」という信号機の所に「さくら通り」と刻まれた石碑がある。さくらが咲くころはきっときれいなのだろう。芦屋川からおよそ5分、「茶屋之町北」の信号機の少し手前から右斜めの旧道に入る。

              
「さくら通り」の碑   業平橋(芦屋川)     右斜めの旧道に      

旧道に入り10分。宮川に架かる西国橋の北東詰めに白露地蔵がある。そのすぐ先、右側に「南無阿弥陀仏 徳本」と刻む大きな名号石がある。

           
西国橋      白露地蔵      名号石

旧道はこの付近で途切れるので、住宅街を右折、左折、右折、更に左折して阪神電鉄の「打出」駅前の旧道に出る。道の反対側(右手)に「芦屋打出小槌郵便局」がある。貯金をするとお金がどんどん湧き出るような名前の郵便局だ。駅前のコンビニで小休止。打出駅前の十字路の角に「平城天皇第四皇子 阿保親王塚廟 是ヨリ五丁」と刻む石碑がある。街道は打出駅前の道を東に歩くが、区画整理なのか途中で途切れたので、またまた右折、左折、右折、左折をして阪神電鉄沿いの道路に出る。その先、打出の踏切を渡るつもりであったが気が付けば香櫨園駅前にいた。

           
  芦屋打出小槌郵便局   阿保親王廟      香櫨園駅            

香櫨園駅前(こうろえん)からおよそ10分、左側に圓満寺があり、その隣がゴールの西宮神社である。西宮神社は、毎年正月の十日えびすが終わると、午前6時開門と同時に境内になだれ込む福男争いの様子がテレビでお馴染みになっている。この「表大門」は慶長九年(1604)、豊臣秀頼により再建された建物で国重文だ。また、神社の北東角から、南東角を経て、南西角まで続く全長250mに及ぶ国重文「大練塀」は、京都「三十三間堂太閤塀」、名古屋「熱田神宮信長塀」と並ぶ日本三塗塀の一つで、室町時代初期の作とされている。もう一つ見逃せないのが、塀の外の南東角にある道標を兼ねた常夜燈だ。寛政11年(1799)の建立で、「西宮太神宮 左京都・大阪道」「右兵庫・はり満道」と刻まれている。境内にはその他に「扇にて 酒くむかげや ちる桜」と刻まれた芭蕉の句碑もある。

            
  圓満寺    西宮神社の社殿  大練塀(重文)

           
                大練塀   道標を兼ねた常夜燈   芭蕉の句碑      

 

今日のコースは   10.0km(兵庫県123.7km  総計546.8km)
  参加者    M夫婦  S夫婦 4名

 

(追記 1) 2011年11月21日、下関市の亀山神社を出発し、まる8年をかけて、2019年12月14日終点の西宮神社に到着しました。およそ、山口県161km、広島県168km、岡山県94km、兵庫県124km、総計547kmの道のりでした。 ブログには「ぼちぼち歩く山陽道」という題で載せていますが、それにしても8年は長かった。「年も年だから無理をせず歩きましょう」と言うことで始めました。連れの女性が股関節を痛めて長い距離が歩けず、途中バスや電車で駅に行き我々の来るのを待ったりしてました。それでも、誰からも「中止にしましょう」という 声は聞かれず、全員で制覇出来た事はうれしい事です。 最初は旧西国街道と山陽道の区別がつかず色々の呼び方をしていましたが、旧西国街道は平安時代の頃、京都から大宰府までの大路をいい、山陽道は江戸時代になって、下関から西宮の間をそう呼ぶようになったようです。 山陽道を歩くときは、事前の地図作り・ホテルの手配・交通手段を調べたり、歩いた後は夫婦で報告を作ったり、ブログに仕上げたりと役割を分担し頑張ってきました。 8年間この山陽道が一つの生きがいにもなっていました。歩き終えると寂しい気持ちもありますが、山陽道を制覇出来た事はいい思い出として残ることと思います。

 

(追記 2)歩き始めた頃の記録を取り出して見ると、そこには8年前の若かったメンバーの姿がありました。    8年って結構長いんだあ、よく続いたなあというのが、自分の様変わりを見てつくづく思ったことです。何の計画もなく歩き始めたのですが、県境をまたぐ度に「止めよう」という話にはならず、「どうしよう」と言っているうちに一歩先に進んでいました。今になって、こうすればよかった、ああすればよかったという話をよくしますが、長い間続いたのは、気負うことなく、ぼちぼち、無理せずに、歩いたからではないかと思っています。 行き先々で親切に応対してくれた方々、ありがとうございました。ブログを読んでくれた方、応援メッセージを書いてくれた方、ありがとうございました。
 8年間、気持ち良く付き合ってくれたメンバーへ、感謝 ‼
          完歩 ‼  万歳 ‼

 


山陽道(西国)第71回目(新長田~大石)

2020-03-31 | 日記

                                        山陽道(西国)第71回目(新長田~大石)                                                                                            2019.12.13(金曜日)晴

9時、ホテルを出発。5分程歩くと、巨大なロボット鉄人28号に出会う。15分程歩いて昨日の終点

西代通1丁目交差点に行く。

           

鉄人28号       昨日の終点

歩き始めて10分程すると山陽電車西代駅を過ぎ、蓮の池跡に着く。この「蓮の池跡」は、奈良時代に周辺の田に農業用水を供給するため池として作られたもので 僧行基が作ったという言い伝えがある。完成した時に極楽浄土の池のようにと願って 行基が一株の蓮の花を投げ入れたと言われている。

               

歩き始め    山陽電車西代駅    蓮の池跡   

数分歩くと左手に「長田神社」の鳥居と平成7年1月17日午前5時46分兵庫県南部地震により倒壊したものを平成10年12月に復興を祈念し存置したとある「狛犬」を見て新湊川橋に出る。川を渡るとすぐ左手に西国街道に面してあった源平勇士の碑を敵味方の隔てなく合わせ弔ったと言われている「源平合戦勇士の碑」がある。

    

 長田神社の鳥居     狛犬        新湊川橋    源平合戦勇士の碑


二番町2丁目を通り、二番町1丁目交差点を左に見てJR兵庫駅に向う。

             

二番町2丁目    二番町1丁目     JR兵庫駅       

 柳原交差点を右折し少し行くと「柳原惣門跡」、「蛭子神社」、境内に平清盛公遺愛の「時雨の松」の石碑のある「福海寺」がある。

     

 柳原惣門跡     蛭子神社        福海寺    時雨の松の石碑

10時40分、門口町交差点で2号線阪神高速の下を抜ける。左手に「神明神社」がある。5分程行くと「札場の辻跡」の説明版がある。ここを左折し、2号線に向かって歩くと、左手に「岡方惣会所跡」の石碑がある。「七宮神社」を過ぎて2号線を渡り「済鱗寺」を見て、西国往還に設けた兵庫の出入口の惣門である「湊口惣門跡」に着く。

     

阪神高速の下      神明神社    岡方惣会所跡   湊口惣門跡  

「みなと八幡神社」を過ぎて「JR神戸線」の下をくぐり、新開地を通り「西国街道」の石標を見て

11時50分「JR神戸駅」に着く。

     

みなと八幡神社     JR神戸線        石標       JR神戸駅      

10分程国道を歩き側道に行く。元町商店街に入り「明治維新開港当時開門跡」「走水(はしうど)神社」を見て商店街を行く。この関門跡の碑は明治維新時の兵庫港開港に先立って、慶応3年(1867)に外国人居留地を設けた時、密貿易を防ぐ目的で置いた14の番所の1つで、西国街道(現在元町通)にあった関門跡に建てられたものとの説明がある。

     

 元町商店街  明治維新開港当時開門跡         走水神社    

25分程歩き「三宮神社」に着く。慶応4年(1868)1月この三宮神社に差し掛かった備前藩兵の隊列をフランス水兵が横切ったことに端を発し、藩兵と水兵とが軍事衝突した神戸事件が起きた。明治新政府政権となって初めての外交事件で、滝善三郎の犠牲によって危機が回避された。文化の違いによって起きた痛ましい事件で、他国の文化を知ることの大切さを教えられる現在にも通じる出来事だと思いました。12時50分、旧居留地59番街ビル内で昼食をとる。

                

三宮神社        59番街ビル                                  

休憩後「生田宮」の前を通り、荷物を預けるため今日の宿泊ホテルへ向かう。13時45分荷物を預け再び出発、山陽道に戻るため北上する。20分程歩くと、旧西国街道の説明版と石標がある。

             

生田宮      宿泊ホテル     石標    

雲井橋を渡り数分行くと、大安亭市場とその向いに、旧西国街道の説明版と石標がある。15分程行くと左手に「子安地蔵」がある。

             

雲井橋         石標        子安地蔵

脇浜公園側を通り10分程行くと「常夜燈」が街角にあった。25分程街中を歩くと「JR摩耶駅」を左手に見る。どうやら道を一筋まちがえたようだ。数分歩いて右折する。5分程歩くと「厄除東向八幡宮」の石碑がある。少し行き15時20分「阪神電車 大石駅」に着く。電車で「神戸三宮」まで戻り、荷物を預けたホテルへ向う。

     
常夜燈    JR摩耶駅      石碑     大石駅

ひと休みしたあと、ルミナリエが開催中なのを知り、行ってみることにした。後で認識の甘さを知らされることになる。最終の土曜日だったこともあり、人人人…人。疲れた身体を引きずって行った私達には過酷でしたが、それでも行って良かったと思える綺麗さでした。 2001年のルミナリエにも行った私には、風化していく震災時の記憶と想いをよみがえらせてくれる電飾の通りでした。4人とも、あまりにも疲れ果てていたため、旧山陽道歩き最後の夜というのに祝杯を挙げることもなく、コンビニ弁当で済ませ、明日の最終日のため早々に床に就きました。

             

今日のコース  11km  (兵庫県の計 113.7km、総計 536.8km)
  参加者  M夫婦、S夫婦の4人


山陽道(西国)第70回目(舞子~新長田)

2020-03-17 | 日記

山陽道(西国)第70回目(舞子~新長田)

                                                                   2019.12.12(木曜日)晴

 

   2011.11.21下関の亀山八幡宮を歩き始め8年。今回の2泊3日の歩きで、いよいよ最終目的地に着きそうです。 わくわくします。そして少し寂しくもあります。 10:45 前回の終点 舞子駅から歩き始める。明石海峡大橋の真下を抜け、舞子公園内の「移情閣(孫文記念館)」、「旧武藤山治邸(旧鐘紡舞子倶楽部)」を右手に見て、2号線を45分程歩き、11:30 JR垂水駅に着く。

                 

舞子駅      明石海峡大橋      舞子公園

       

                               2号線を歩く               JR垂水駅

5分程行くと右手に赤い鳥居が、左手に「海神社」がある。少し行くと「玉林禅寺」がある。5分程行き「福田橋」を渡る。

                                                     

                                              赤い鳥居             海神社

                             

                                                                    玉林禅寺            福田橋

2号線を歩いて行くと左手に「地蔵尊」が見える。「垂水海浜センター」沿いを歩き 左上に山陽「滝の茶屋駅」を見て 昼食をとったうどん茶房に着く。小一時間程休憩し 13:00に出発する。

                 

地蔵尊         垂水海浜センター      うどん茶房

左手民家の奥に祠を見て、5分程行くと左手に「JR塩屋駅」がある。海沿いを15分程行くと摂津から須磨区へ入る。

       

      祠          塩屋駅          海沿い       摂津から須磨へ

須磨区へ入って15分程歩くと須磨浦公園に着く。公園内手前には「史跡 敦盛塚」や「石標」がある。この付近は源平一ノ谷合戦場として知られ、寿永3年(1184)2月7日に当時16歳の平敦盛が熊谷次郎直実によって首を討たれ、それを供養するために この塔を建立したという伝承から「敦盛塚」と呼ばれるようになった。また、鎌倉幕府の執権 北条貞時が平家一門の冥福を祈って、弘安年間(1278~1288)に造立したなどの諸説がある塚である。

                 

 須磨浦公園       敦盛塚石造五輪塔     旧西国街道の石標

10分程行くと「みどりの塔」がある。1995年1月17日午前5時46分、阪神地域を襲った直下型地震の際、この直径1.2m、重さ2.4tの「地球儀」が落下したそうです。「薫風」像本体には幸い被害がなかったそうですが、自然の猛威には謙虚に立ち向かわなければいけないと思いました。「源平史跡 戦の濱」石碑、「長田神社須磨御旅所」を見て20分程歩くと南北に「山陽須磨駅」「JR須磨駅」がある。

      

みどりの塔       戦の濱        長田神社須磨御旅所                   

5分程行くと「村上帝社」がある。千守で2号線から外れ左に入り、10分程行くと左手に「旧西国街道」の石標と、901(延 喜元)年、菅原道真が九州太宰府に流される途中、風波を避けて須磨に一時上陸した際、旧家である前田家の人が水をくんで差し上げたと言われている井戸「菅の井」がある。

                 

村上帝社            左へ          石標と菅の井

「行幸町4丁目」を通り、「厄除八幡神社」、「月見山妙興寺参道」、「月見山浄徳寺」を過ぎて「三の井橋」に出る。

       

厄除八幡神社     月見山妙興寺参道     月見山浄徳寺     三の井橋      

道なりに15分程歩いて行くと、大田町交差点に「旧西国街道」の石柱がある。西代通3丁目を通り、左手に「楠大神(稲荷)」を見て、今日の終点 西代通1丁目交差点に着く。宿泊のため25分程南下して「JR新長田駅」近くのホテルへ。16:40 到着。

                 

旧西国街道 石標          楠大神          西代通1丁目交差点 

                 

                             JR長田駅          ホテル


今日のコース  12.0km  (兵庫県の計 102.7km、総計 525.8km)

参加者  M夫婦、S夫婦の4人


山陽道(西国)第69回目(大久保~舞子)

2020-03-16 | 日記

山陽道(西国)第69回目(大久保~舞子)

2019.11.30(土曜日)晴れ

今日の出発地点「大久保駅北」交差点を9時30分にスタート。途中、地元の高校生達が清掃ボランティアをしていた。道なりに5分程度歩くと右手に古びた洋館があり、門前に「明治天皇大久保御小休所建物」と書かれた石碑がある。東川を渡ると右手に「西」と書かれた屋台蔵。これはその先にある、住吉神社の10月の祭りに使う屋台を収める蔵で、東西二基あるという。その すぐ先の谷八木川を渡ると、左手に長い塀がある。これが「本陣 安藤家」だ。

                

古びた洋館と天皇碑    「西」屋台蔵     本陣 安藤家  

本陣・安藤家の先、左手に常徳寺があり、その道路を挟んで向かいの民家の前に小さな地蔵尊が安置されている。すぐ先に「東」と書かれた屋台蔵がある。

                  

                          常徳寺と反対側にある地蔵尊       「東」の屋台蔵       

「本陣 安藤家」から10分ちょっと歩くと左側に住吉神社がある。街道は住吉神社を過ぎると、国道とその向う側にある雲楽池の土手に沿って歩き、池の終り辺りで国道を斜めに横切る。旧道に入るとすぐ右手に小公園があり、公園の西に地蔵尊が安置されている。そこに沢地小学校六年生が書いた西国街道についての案内板がある。

                  

            住吉神社      雲楽池の土手にある記念碑     地蔵尊と西国街道の案内板 


街道はその先の交差点で右折し、「中谷東」の信号で国道と合流する。国道を200m弱歩き右手の「サバービアシティ21」マンションの方へ右折する。マンションの前を歩いて行くと三叉路にぶつかる。その左手下に栽松寺と三井神社参道入口がある。街道はここで一旦途絶える。三叉路を右折し新幹線高架下のガードを通ってJR西明石駅前に出る。

                 

         マンション群            三井神社         JR西明石駅     

西明石駅前からの旧道を東に行く。「松の内」信号の所で国道に合流するが、次の信号「西明石町5」で、また左の旧道に入る。100mちょっと歩くと左側に「春の歳時記園」という公園がある。その先三叉路になっている。街道は右に行くのだが左に行ってしまった。和坂(わさか)小学校の校門の前で気づき、小学校の側を通り街道に戻る。街道に戻って15分位行くと、左手に「かにがさかのお大師さん」こと坂上寺がある。

                 

   和坂(かにがさか)          坂上寺       門前の大師と石標 

坂上寺から2~3分、和坂1の信号で国道175を横切る。広い道を10数分東進すると左手に十輪寺がある。この寺は歴代明石城主の信仰が篤かったらしい。寺に入ってすぐ左に「太閤さん縁(ゆかり)の木」という焼けた杉の幹がある。街道は十輪寺を出た所の信号を右折し西新町駅(山陽電鉄)の方に行くのだが、明石城址に向いたいので直進し、明石川を嘉永橋で渡る。渡ってすぐの信号を右折し、川沿いに行く。土手下の河川敷に歌碑(?)が何個かあった。

                 

十輪寺の「太閤さん縁の木」       明石川を嘉永橋で渡る     河川敷の歌碑?  


8分ばかり道なりに行くと山陽本線の手前にでる。直進し4分程歩くと右手に「明石市指定文化財 織田家長屋門」がある。案内板には「この辺りは藩の重臣の屋敷が多くあった」と書かれている。道路の左側は「明石公園」で、城跡の堀に白鳥が泳いでいた。ここから東の方向を見ると天文台の塔が見える。

                 

織田家長屋門         お堀の白鳥         明石の天文台

外堀に架かる橋を渡って公園の中に入ると、前方に二つの櫓が見える。ここで、12時を過ぎたので、公園の前にある明石駅で名物の「明石焼き」を食べる。13時過ぎ再スタート。駅の南に出て直進、国道の「明石駅前」の信号を渡り、次の信号で左折し街道に戻る。交差点の左手に「柿本神社」「従是丸山三丁」と書かれた大きな石碑がある。

                 

   明石城回り          名物の明石焼き        「柿本神社」の石碑

交差点から4分、明石区検察庁の壁に東経135度の子午線の標示がある。隣の 裁判所の所から人丸教会が見える。その先、明石らしい「子午線交番」を左折すると慶応元年の道標がある。「右 か古川 ひ免ぢ 道」「左 ひゃうご 大坂 道」と刻む。ここに、明治43年明石郡小学校教員一同が建てた「第日本中央標準時子午線通過地標準」がある。

                 

東経135度の子午線       人丸教会        子午線の記念碑と道標

街道は人丸教会の所で、左折してすぐ右折するいわゆる枡形になっているが、右に行かず北に行くと「左 ただのり道」という小さな道標がある。道標に従って左に行くと「忠度塚」(平家の落武者の?)があるらしいが、先を急ぐので寄らなかった。街道に戻り、枡形の道を右折して5分程度歩くと右手に大蔵院がある。案内板に「嘉吉元年(1441)、赤松円心の孫祐尚(すけなお)が大蔵谷に陣を構えた。居城を三木城に移す時に陣屋のあとを寺院にしたといわれる。墓地に赤松祐尚夫婦の墓もある。・・」とある。その先、左手奥に稲爪神社が見える。秋祭りには異国から黒牛に乗って攻めてきた鉄人をほろぼした故事を伝える「大蔵谷の牛乗り」という民俗芸能が行われるそうだ。

                 

  「左ただのり道」の道標      大蔵院            稲爪神社           

そのすぐ先、左手に大蔵会館がある。その前に「大蔵地域約千年の史跡」と書かれた案内板があり、その東側に受持姫大明神がある。不確実な情報だが、「大蔵会館の所が本陣の場所だ」という地元の人もいるそうだ。また、この附近は「明石宿」か「大蔵谷宿」かが不明らしい。(案内板にも宿場として栄えたとあるが、宿場名は無い)  その先、大きな家の西側に地蔵尊があり、少し行くと右手に西林寺がある。

                 

大蔵会館・本陣跡?      大蔵谷宿?(地蔵尊が・・)    西林寺      

西林寺から3分行くと、左手に八幡神社があり、道を挟んだ向かいに「明石市都市景観形成重要建築物」と書かれた民家がある。旧道が国道と合流する手前の左側に大きな題目石がある。(朝霧川を渡る手前)

                 

八幡神社       「明石市重要建築物」          大きな題目石

旧道は国道2号とぶつかる。右折して国道を歩く。歩くこと約10分、左、道路の向うにJR朝霧駅が見える。その先、「狩口」信号機付近から国道2号の歩道がなくなり、分岐する国道28を斜めに横切るしか方法がない。しばらく行くと右手に明石大橋が見えてくる。14時23分、珈琲でもと「スタバ」で小休止(お客さん多い)。14時55分再出発。山陽電鉄・西舞子駅地下道入口の手前、Y字の右側が旧道だ。そこを5分ほど行くと左手に六つの神様が祀ってある舞子六神社がある。

                 

JR朝霧駅            明石大橋         舞子六神社

旧道はやがて国道と合流する。その分岐点に昭和9年の皇太子誕生を記念した碑がある。合流して2~3分行くと、国道の反対側に「たたき地蔵尊」と呼ばれる大きな「舞子延命地蔵」がある。木槌まで奉納されていて、叩きつつ願掛けすると願いがかなうという話だが、「無責任な俗説なので、叩かないでください」と注意を呼びかける掲示があるそうだ。そこから5分。14時20分今日の終点JR舞子駅に到着。明石大橋がこの舞子駅から始まっているのを知り勉強になりました。

                 

 皇太子誕生の碑        舞子延命地蔵        舞子駅から明石大橋が


今日のコースは   13.5km(兵庫県90.7km  総計513.8km)

参加者    M夫婦  S夫婦 4名


山陽道(西国)第68回目(加古川~大久保)

2020-02-11 | 日記

 

山陽道(西国)第68回目(加古川~大久保)

2019.11.29(金曜日)晴れ

9時5分、前日の終点「寺家町」交差点をスタート。スタートから3分、右手に連子格子の旧家がある。2階のうだつが、一軒の家の真中にあるのは珍しいそうだ。そのすぐ先、左手の小川のほとりの家は、黒板の古い木造住宅の奥にレンガ造りの建物が見えて独特の景観を呈している。小川の隣に胴切れ地蔵が祀られている。案内板に「この地蔵を深く信仰していた人が、うっかり殿様の行列を横切ったために、供侍に無礼打ちにあい、胴体を真っ二つに切られてしまった。ところがふと気がつくと自分の胴体はなんともなく、地蔵さんの胴が真っ二つになっていた。以来自分の身代わりになって下さったと一層信仰するようになったといわれている。」と書かれている。

      

  今日のスタート地点   中央にうだつのある旧家   疎水べりの景観と胴切り地蔵   

この辺りは旧街道加古川宿である。胴切り地蔵から2~3分歩くと左手に龍泉寺があり、境内左手に康永井3年(1344)の五輪塔がある。案内板には、「寺の前の旧山陽道の西方150mの北側路傍に建っていたが、道路拡幅により現在地に移された。」とあった。寺から少し行き、少し大きな道を横切る。その右手に「旧山陽道」と書かれた「平野町内会」の案内板がある。「奈良時代に設置された畿内七道の一つで現在残る道筋は、江戸時代の参勤交代にともなって整備された街道です。」と書かれている。「旧山陽道」とある道標はこの附近までで、これより東にいくと「旧西国街道」となる。

                 

                     加古川宿        龍泉寺五輪塔        旧山陽道の案内板       

街道をしばらく歩くと国道2号と合流するが、その先の「平野東」信号機で又左に入る。2分位行き別府川を二号橋で渡る。そこから、10数分行くと左側に「おりいの清水」の案内板がある。「江戸時代に有名な井戸があった」と書かれている。その奥にあるのが、常夜灯と社殿が二つある宝来神社だ。その先、左手に県指定文化財の宝篋印塔(ほうきょういんとう)があるが、和泉式部の塔と伝えられている。案内板によると造立年代は「南北朝時代はくだらないと思われます」とある。すぐ先左手に薬師堂がある。

                  

       宝来神社          宝篋印塔          薬師堂     

5分位歩くと交差点の右向うに国道「野口」信号機が見え、交差点の先、右の木の側に国道の方を向いた3体の石仏がある。2体は地蔵で、左端の1体は関西では珍しい双体道祖神だそうだ。左手の野口小学校に通じる道の入口、カーブミラーの下に野口村道路元標がある。その先の教信寺の入口に「西国街道」「風土記の道」と書かれた道標がある。

                 

 3体の石仏     野口村道路元標     教信寺の道標 

教信寺に入る。門前の加古川市の「わがまち加古川60選」に「平安時代前期の僧沙弥教信(しゃみきょうしん)がこの野口に庵をつくりました。」とあった。境内左手に、教信の墓と伝えられる県指定文化財の五輪塔がある。お寺から10分位行くと、左に「五社宮 野口神社」がある。案内板には「主神は日吉(ひえ)大神でのち四柱の神を合わせて祀った。山王五宮といっていたようで、野口神社と称するのは明治初年になってから」と書かれている。

                 

     教信寺       五輪塔(教信の墓)     五社宮 野口神社

野口神社の東南角に「南 式内日岡神社」「東 大野村在」「西 甘五丁」と刻む道標がある。(他の道標もそうだが、少し埋もれている。)野口神社から2~3分歩くと、「東加古川ハイタウン」というマンションに突き当たる。街道はこのマンションと向こう側に隣接してあるショピングセンターで途切れる。ショピングセンターの所を左折して線路側の方に行く。そこを右折して再び右折する。ショッピングセンターを迂回して街道に戻るのに15分を要した。(ショピングセンターの中を通れば5分位で抜けたようだ)街道に戻ると、左手に五輪塔がある。案内板には「足利左馬頭義氏の墓」とある。右手に稲荷神社があるはずだが発見出来なかった。在家北交差点を横切って進む。次の交差点の左手に東加古川駅が見える。11時5分、スタートから2時間経過しているのに、まだ3.5kmしか歩いていない。今日は西明石まで行く予定なのだが・・・。

                 

野口神社の角の道標      五輪塔(足利義氏の墓)    JR東加古川駅

東加古川駅で小休止。11時30分再出発。5分位行くと右手に火の見櫓が見える。そこから7分歩くと左手に西谷八幡神社がある。少し行くと国道にぶつかる。前方は平岡小学校で、街道はこの小学校と国道にさえぎられているので国道を歩く以外にない。国道を200m位歩くと、左側に街道が現れる。そこから5分、左手に長松寺がある。

                 

火の見櫓        西谷八幡神社          長松寺    

この辺りは高畑である。「ふれあいセンター」の奥に高畑薬師堂がある。薬師堂から5分、左手に五社大神社があり、少し行くとJRの踏切がある。これを渡ると土山になる。7~8分行くと左側に土山薬師堂。そこから300mで喜瀬川に架かる土山橋を渡る(今が12時25分、踏切から土山橋まで10分たらず)

                 

高畑薬師堂        五社大神社         土山薬師堂

落ち着いた家並みの土山の旧道をのんびりと歩く。その先左手に平岡東小学校があり、この東端が加古川市から明石市に入る市境になる。その先、右手にあるJR土山駅に通じる道との交差点左角に地蔵尊がある。ここで12時40分。昼食を摂るには国道に出る以外ないので、土山駅の方向に下りて国道の土山信号機を東に行く、次の信号機の所に有名な丼の店があったので昼食を摂る。そのまま信号機を上がって街道に戻ったのが13時30分。街道との交差点の所に地蔵堂があり、その横に朱塗りの鳥居と「松本稲荷」がある。

                 

市境(ここから先、明石市)    土山の地蔵尊     赤いのが地蔵堂・松本稲荷

その先塀や蔵造り、生垣の立派な清水新田の落ち着いた町並みが続く。十字路の西南角に「右 三木」「左 二見」と刻む道標がある。左手に宝篋印塔がある。「江戸時代後期に建立された。江戸時代、このあたりは西国街道と呼ばれる街道があり、往来する旅人も多く、旅の途中で命を落とすことも珍しくなかった。この旅人の供養と地域に災いが起こらないよう建立した。」とある。

                 

清水新田の家並み        十字路にある道標       清水新田の宝篋印塔

ここから15分、清水川を清水橋で、続いて瀬戸川を瀬戸橋で渡る。瀬戸橋から2~3分、右手に少し埋まった道標がある。「是よ里 者り満名所道」「左 別所てまくら松 をのへのかね道」「右 高砂相生ま津 あかしみち」などと刻まれているそうです。そのはす向かいには西福寺がある。そこから5分、のんびりした清水を歩いて行くと左手に清水神社がある。案内板によると「無形民俗『清水のオクワハン』という田植を終えた祝いと豊作祈念の行事が明石市指定文化財になっている。」とある。

                 

道標                  西福寺              清水神社

清水神社のすぐ先、上り坂の途中、右手の高台の墓地の中に貞和二年(1346)銘の古い大きな五輪塔があり、県指定文化財になっている。今日は五輪塔をよく見る。まもなく、左手に大正7年建立の記念碑がある。そこから10分、県道の交差点を横切ると魚住になる。そこから15分程度歩くと、右側に大きな「古前池」がある。右手の石碑は「魚住之太子」と刻まれていたらしいが、いまは薄れて読めない。

                 

          石造五輪塔       灌漑用水の記念碑       長い下り坂、右手に石碑が 

池から10数分、左手に正覚寺がある。その先、二股の道にぶつかる。山陽道は右に行くのだが、反対の道に「左大山寺道」と書かれた道標がある。街道はすぐ先の大きな道を横切って進むが、十字路の左手に金ヶ崎神社の参道がある。

                 

                             正覚寺      山陽道は右、左に石柱        金ヶ崎神社の参道       

交差点から10分、街道はコカコーラ工場にぶつかる。そこを右折すると国道の「大池東」の信号機の所に出る。15時30分、国道沿いのコンビニで小休止。仲間の一人がとても西明石まで歩けそうもなさそうなので、今日は大久保駅で止めることにした。16時再出発。国道「大久保西」の信号機を右折してすぐ左折する旧道になる。その先、右角に「是ヨリ 播磨八拾八ヶ所」と刻む道標があるが、ほとんど読めない。JR大久保駅に着いたのが、16時10分。

                 

コカコーラ明石工場          右角の道標          大久保駅          

今回はこれだけでは終わらない。「ホテルを西明石に取った。」というので電車で西明石に戻る。西明石駅は、新幹線が後から出来たからか出口がなかなか見つからない。ホームをウロウロ。ようやく見つけて町に出たが、今度はホテルが見つからない。町の人に聞くと、「このホテルは明石ですよ。」また電車で明石まで・・・。くたびれました。

今日のコースは12.5km (兵庫県33㎞  総計456.1km)

参加者  M夫婦、S夫婦の4人