ぼちぼち歩く旧山陽道

旧山陽道を歩いて制覇する記録です。

山陽道(西国)第42回目(本郷中学校~長谷)

2014-11-19 | 日記

山陽道(西国)第42回目(本郷中学校~長谷)

2014.10.28(火曜日)晴れ

私たちが計画している山陽道は下関から西宮までで、江戸時代の宿場は50宿場ある。今日歩く本郷宿は25番目の宿場で半分と思っていたが、数え直してみると25番目の宿場は海田宿であった。(広島県の半分は四日市宿の西条)ぼちぼち歩き始めて今月でちょうど3年になる。ようやく半分を越えたが、あと何年で歩き終われるか?

本郷駅前からタクシーに乗り、今日の出発地点の本郷中学校に11時35分到着。本郷中学校の横に「よこみ寺跡 右は高木山城址」の道標がある。横見廃寺跡は昭和46年から3度発掘調査がされ、国指定史跡となった白鳳期から奈良時代の寺院跡である。そこから少し行くと、左手に立派な石垣が現れる。これは心光寺の石垣で、江戸初期の「穴太積み」といわれている。石垣の端、門前の石段横に地蔵尊があった。

         

出発地点     道標        心光寺の石垣と門前の地蔵尊  

そのすぐ先、左側に専教寺がある。見事な屋根のお寺だ。(住居?の屋根にはしっかり太陽光発電のパネル?)専教寺の近くに牛神様の祠がある。5分程度行くと右側に大きな常夜燈があり、左側に甑(こしき)天満宮がある。150段以上もある長くて、幅の狭い急な階段を上がっていくと、本郷の郊外が一望出来る。

      

専教寺      牛神様の祠      常夜燈     

  

            

       甑天満宮の鳥居・境内から本郷の郊外 

天満宮の拝殿には沢山の戦絵の額が 掛けてある。舞殿と兼ねているような大きな拝殿がこの辺りの神社の特徴といわれている。「天神さまの井戸」が境内にあると思って探したが見つからない。仕方がないので下り、街道に戻り歩き始める。と、すぐ左を少し入ったところに荒神社が見えた。その手前左には「天神さまの井戸」がある。案内板によると「菅原道真が大宰府に左遷される途中、この地に上陸したところ、人々は水不足で困っていた。見かねた道真が自ら井戸を掘ったところ、こんこんときれいな水が湧き出し人々を救った。人々は感謝の気持ちを込めて、干し飯を甑(こしき)で蒸して差し出した。その後、このご恩を忘れないようにと、甑を祀って社を建てたので、甑天満宮と呼ばれている。」とある。

            

甑天満宮の拝殿と戦絵の額      菅公手掘井戸   荒神社 

荒神社から街道に戻り少し行くと、県道33号と合流する。ここにも本郷町観光協会の「歩いて見よう歴史の散歩道」の案内板。同じものが二本松古墳・本郷中学校辺りにもあった。県道を10分程度歩くと沼田川に架かる本郷橋の袂に着く。橋の手前左に地蔵堂がある。橋上から左手川上に2つの古城山が見える。川の右側が古高山城、土肥から新しい姓・小早川を名乗った小早川実平の孫によって築城されたといわれている。左手の新高山城は、養子として古高山城に入った17代目・小早川隆景(毛利元就の3男)が竹原小早川家と沼田小早川家の両家を統一、家中の紛争を鎮め、人心の一新を狙って天文21(1552)年に築いた城といわれている。「新高山城や三原城の名前は、NHKの大河ドラマ軍師官兵衛に出て来たね…」と話す。

       

県道との合流点   本郷橋袂の地蔵堂      左新高山城跡 右古高山城跡

沼田川を渡ると右側向うに、お地蔵さんと安政四年(1857)の大きな常夜灯があり、その向こうには小さな形のよいお堂がある。橋を渡ると本郷宿の道が分からない。交差点付近の階段を下り、地方道の高架下をくぐって本郷図書館の近くまで行ったが、どうも山陽道のルートから外れている。

女性たちが「さっき右手にお寺が見えると言ったけど、あそこが山陽道では?」と言うので、193号を横切り右に移動する。路地を入ると山陽道らしき道に出た。地元の人に聞いてみると「ここが旧道ですよ。その先に恵比須神社があり、鯛の形をした手水鉢があります。」と詳しい。本郷宿の通りを歩く。造酒屋、醤油屋など、当時の繁栄が窺える。何よりも、今まで歩いた宿場町は寂れている町も多かったが、ここは活気を感じる。

     

川を渡ると小さなお堂…   間違えて本郷図書館へ   醤油醸造元

右手に寂静寺がある。「静寂をひっくり返した名前なので、騒がしいお寺かな?」と言いながら歩いて行くと、左に地元の方が言われた恵比須神社がある。天保十年(1839)の鳥居の扁額に二匹の石造り鯛がある。境内には先ほど地元の人がいわれた鯛の形をした手水鉢があった。どうして鯛なのかは分からない。恵比須様だからか?その先、左右に耳たぶのような独特の形をした「うだつ」のある家を発見する。

            

寂静寺      鯛を掲げた鳥居と手水鉢         耳たぶのうだつ

恵比須神社の前を進むと、T字路の角に「稲荷道」「佛通寺道」と刻まれた道標がある。佛通寺から三次に抜ける道らしい。佛通寺は臨済宗佛通寺派の大本山で、かつて全国に末寺が3000近くあったらしい。少し行くと、左に本郷随一のお寺「西念寺」がある。門も本堂の屋根も堂々として立派なお寺だ。その斜め前に大きなお地蔵さんがある。「本郷のお地蔵さんは、よそよりふた回りくらい大きいね。」と話す。

          

佛通寺道の道しるべ   西念寺   西念寺前の地蔵さん

その先、5分ばかりで県道との交差点に着いたのが13時過ぎ。今日、昼食を摂る予定だった本郷のレストランは、街道を離れ往復1Kmの距離。 県道を北上して、山陽本線の線路沿いの店に入る。

       

佛通寺に通じる道   水路沿いの道を歩く   昼食をしたお店

再び山陽道に戻ったのが14時30分。途中、無人の野菜が値段表と置いてある。レタス50円‥安い。この辺りの山陽道は、新しい道路で途切れている。工事中の道から旧道へ入る。10分程行くと左手に吉国神社があり、その先に3体のお地蔵さんがある。ここのお地蔵さん、以前はお堂があったようだが今は無くなっている。

           

再び山陽道へ   山 陽道に戻る   吉国神社   3体のお地蔵さん

そこから少し行くと国道2号線にぶつかる。側道から2号線に入る。納所橋(のうそばし)北詰信号機の横に「川向 米山寺道」の道標がある。米山寺は、小早川家の初代から戦国時代の武将小早川隆景までの墓がある立派なお寺だそうだが、往復4㎞あるので止める事にした。ひたすら沼田川沿いの国道2号線を歩く。国道だけあって車が多い。昔三菱重機工があったという所に着いたのが15時15分。電車の時間もあるので今日は終了にする。

       

国道2号と合流   米山寺道の道しるべ   沼田川沿いの国道を行く

タクシーを呼び、本郷駅を16時9分の電車で帰宅。

今日のコースは5.3Km          (広島県の計110.7Km 総計275.8Km)

参加者   S夫婦とM夫婦の4人


山陽道(西国)第41回目(日名内~本郷中学校)

2014-11-19 | 日記

山陽道(西国)第41回目(日名内~本郷中学校)

2014.10.20(月曜日)曇り一時雨

プロ野球は日本シリーズ進出を賭けてソフトバンクと日ハムが今夜最終戦。一方、セリーグは阪神が巨人に4連勝して9年ぶりにシリーズ進出を決めている。定刻の電車に乗り9時02分岩国駅に到着。岩国始発の9時16分糸崎行に乗る。「本郷駅前から11時45分にサテライト山陽の無料送迎バスがあるそうですよ。」と話していた。ところが、瀬野駅で「八本松駅前で踏切事故があり、現在確認をしています。」と車内放送があり約30分停車する。結局本郷駅に着いたのが11時43分。(本来なら11時19分着)急いで駅の階段を下りたが、無情にもバスは目の前を走り去る。「タクシー代を返して」と言いながら、駅前からタクシーに乗りサテライト山陽の駐車場に行く。 着いたのは12時10分。

         

気になる西条駅裏のお寺    本郷駅前    裏の駐車場へ   

サテライト山陽から国道2号線の合流地点までの「やねこい山道」は距離にして約1.5㎞。資料を見ると、「踏み跡も少ないヤブコギ道」とか「雑木や倒木、籔が行く手を阻み道なき道」「入口は大量のゴミで通行困難」「地元の人は旧道がないので国道を行くようアドバイス」等々書かれているが、皆さん全員歩かれているので、勇気を出して歩く事にする。「入口から左手の墓場までが大量のゴミと籔で通行困難。」とあったが、ゴミもなく道の草も刈ってあって歩きやすい。あっけに取られて歩いていると、右手に民家があり地元の人がおられたので事情を聞くと「3年前、市が草を刈ってくれました」との事。ただ、ひげの梶さんの本に夏場はマムシに注意とある。「10月の中旬なのでマムシはいないよね」と言いながら歩いていると黒いヘビを発見。少し行くと今度はトグロを巻き鎌首をもたげやる気満々のマムシ。女性達はすっかり恐れ「ヘビは後を追っかけて来ないよね…」と足元ばかり気にしながら1.5㎞の山道を35分で歩いた。

         

「3年前、市が整備しました」    マムシを気にしながら    国道2号線と合流  

国道2号線を5分ばかり歩くと、右手にラブホテルの施設が見えてくる。タクシーの運転手さんが「この付近は追分温泉でしたが、全部廃業になりました。」と話されていた。その先、国道に竹原道の標識が架けてある。左側に追分のバス停。追分という名前は竹原道との追分という意味らしい。そのバス停の先を左に入り山裾道を歩く。

            

追分温泉   追分は竹原道との追分という意味?   追分バス停

10分位行くと、右手に本郷町観光協会の建てた「歩いて見よう歴史の散歩道」と書かれた案内板と、その横に「市史跡 二本松古墳」の看板があった。左山手は宗長神社(通称 南方神社)である。宗長神社の境内には「三原市指定史跡・二本松古墳の石棺」がある。(石段がすごいので女性陣は下からの参拝。)

            

案内板    宗長神社の鳥居   内にある二本松古墳の石棺と石燈籠

13時15分、神社前の芝生に座り、持ってきたおにぎりをほおばる。15分休憩。そこから少し歩くと、右側の民家の庭先に石碑があった。その先左に「県史跡 貞丸古墳」の大きな看板がある。

                

宗長神社前でおにぎりを…   民家庭先の石碑   貞丸古墳の大きな看板

看板の所を左に入って行くと大日堂がある。ここには貞丸1号古墳・2号古墳がある。1号古墳は大日堂の西側にある。古墳の手前に説明板と音声案内があったが、音声案内は故障して聞けなかった。埋葬施設は南に開口した横穴式石室で、双方の築造年代はいずれも6世紀末。県指定の史跡である。2号は40m上方の丘陵斜面にあったが、石室前部は破壊され、玄室内の石棺も残っていないが、この家型石棺は分解され、蓋石は大日堂入口の記念碑の台座に利用されているものではないかと言われている。

          

大日堂    石碑の台座に石棺の蓋   貞丸1号古墳   2号古墳

 山陽道から少し外れるが、次の御年代(みとしろ)古墳に行くためにそのまま山裾の道を10分程歩く。御年代古墳は1895年(明治28年)国道改修工事により発見され、昭和8年国の史跡に指定された。石棺は屋根型で非常に優美に削られている。内部から発見された副葬品は国立東京博物館に収められている。御年代古墳から少し引きかえし山陽道に戻る。そのT字路に「御年代古墳」と刻まれた石柱があり、その先国道に向けて「国の史跡 御年代古墳」の大きな看板が建っている。 

          

のどかな田園風景   御年代古墳    御年代古墳の石柱   大きな看板

その先に「南方(みなみがた)村 村役場 農業会 農協 之跡」と刻まれた石柱と、すぐそばに水色の古い木造二階建ての家がある。明治22年此の地に村役場が置かれ、昭和29年本郷町に合併されるまで、当館は地域の中心施設となっていた。現代は「みとしろ文庫」の看板が掛かっている。この道筋には史跡の案内標識や看板が沢山あり、観光協会の力の入れようが分かる。

           

南方村役場跡の石碑    南方村役場跡    案内板や看板が…

すぐ先、右側土手に五体の地蔵がおられる。一歩さんの資料には反対側に四体の地蔵がと書かれてあるので探すが見つからない。地元の人がおられたので「四体の地蔵さんは何処にありますか?」と聞くと「えっ、そんなのがありますか。あ~そういえば」と言われて、手前の脇道を少し入った山裾の四体の地蔵さんまで案内をして貰う。「この辺は、裏山や田圃の中から沢山の土器が見つかりましてね。みんな市に寄付をしました。」と話された。右手の田園風景(何処でもそうなのだが綺麗な稲刈り跡の田とセイタカアワダチソウに覆われた田)を眺めながら、少し上がっては下る山沿いの道を歩く。ここにも秋の味覚栗のイガが落ちている。

         

五体の地蔵      山裾にある四体の地蔵      栗のイガ

10分程行くと左に小さな地蔵堂があり、その先右に梨羽高等小学校跡の石柱がある。少し先のT字路の角に祠がある。その前のぶどう棚の上に、ハヤブサらしき剥製?よく見ると写真だった。他にカラスに見立てた?黒い布。「こんなものでカラスが逃げ出すのかな?」と思わず呟いてしまった。

         

地蔵堂   梨羽小学校跡の碑   T字路角の祠   ぶどう棚の上にハヤブサ?  

道を下ると梨和川と尾原川の合流地点に、橋が架けられている。橋名は二羽橋(ふたばやはし)という。この橋の西側(橋を渡る手前側)にかつて一里塚があったらしい橋を渡った前なのか後だったのか記憶にないが、橋の付近に「梨羽城跡」と書かれた看板があった。赤い矢印があるので、それを目印に山に向かってシャッターを押した。「なるほど、いかにも山城が建っていそうな山だ。と感心をする。橋を渡ると川土手に、西国街道と三次道への分岐を示す道標があるが、ガードレールで見えにくく写真も撮りづらい。その上、何が刻まれているのか分からない。20分程歩くと、右手の川沿いに河川改修の大きな石碑があり、池田勇人書とある。池田勇人書の石碑は、西条加茂鶴吉富蔵の横にもあった。池田勇人は「所得倍増論」を唱えて登場した広島県出身の総理大臣である。すぐ先、左の本郷中学校の手前に「県史跡 梅木平(ばいきひら)古墳入口」の大きな看板がある。 

         

道標   梨羽城跡    池田勇人書の石碑   梅木平古墳の看板

梅木平古墳入口を左に5分程歩くと、正面に宮川神社(山王社)がある。神社の石段の左側に「広島県史跡 梅木平古墳」の石柱と古墳の説明が彫られた石碑がある。その説明文を読むと、「県内最大規模を誇る横穴式石室をもち、墳丘は円墳であったと推定される。」6世紀から7世紀初頭の築造ともいわれているとのこと。

       

宮川神社(山王社)    石柱と石碑    梅木平古墳

梅木平古墳から入口の看板まで戻って来たのが15時30分。帰りの電車は本郷駅を16時9分なので、今日はここで終了。タクシーを呼んで本郷駅へ。

  本郷駅前

 

今日のコースは6.3Km          (広島県の計105.4Km 総計270.5Km)

参加者   S夫婦とM夫婦の4人