山陽道(西国)第51回目(子守唄の里高屋~西江原)
2016.3.22(火曜日)晴れ
9時前にホテルを出発。昨夜は広島県を通過したという事で4人で祝杯。M夫人の骨折りで泊まったホテルの朝食バイキングがよくておなか一杯。歩き始めるのが少しおっくう。でも、ぼちぼち継続も力なり。岡山県まで来たのだから。福山駅から福塩線で神辺駅で、神辺駅から井原鉄道で子守唄の里高屋まで。乗車した「総社行」「やすらぎ」列車のしつらえがよくてビックリ!!
ホテル123 FUKUYAMA 神辺駅 「やすらぎ」列車
昨日見逃した高屋宿場町を観るためにタクシーで前日の終点より少し後戻りした。 9時50分 今日の歩き出発。井原市高屋町は「中国地方の子守唄」発祥の地。 子守唄ロードを歩いていくとそれらしい標識があちこちにある。ほどなく常夜燈に行き当たる。
やすらぎ列車内にて 風情ある街並み 常夜燈
そのまま風情ある街並みを行く。高屋町は、旧山陽道の宿場町として栄え、商家をはじめ、なまこ壁や駒寄せ、犬走りなどが残る古い町並みは今も当時の面影を残しています。
当 時 の 面 影 が 残 る 高 屋 町
子守唄を作曲家 山田耕筰に披露した声楽家 上野耐之生家の横に備中西国第八番、従是高山寺十八丁の道標がある。道なりに行くと、法泉院があり入口に梵字の石碑があった。 高屋宿を抜け後月橋(しつきばし)を渡って高屋川沿いを歩き、祠堂と常夜燈のある別れ道を左に行く。かわいいマンホールの蓋があり、ちょっとマンホール女子になる。
備中西国第八番 従是高山寺十八丁道標 法泉院 梵字の石碑 後月橋(しつきばし)
道端の花々 別れ道に常夜燈 マンホール
旧山陽道備中大橋跡の石標を見てしばらく歩き右折すると、ほどなく大曲跡に出る。大曲跡で小休止。
旧山陽道備中大橋跡 486号を右折 大曲跡
大曲を左折して右手に線路を見て歩く。左手に2基の題目石があり 宝暦11年(1761)と書かれている。少し行くと左手に自然石の上に置かれた常夜燈がある。
この道を左へ 題目石 自然石の上の常夜燈
道なりに歩いて行くと右手に「いづえ駅150m」の標識がある。少し行くと左手に出雲明神 正徳六年(1716)の鳥居があり竜の注連縄が飾ってある。左手に「旧山陽道一里塚跡」の石碑 下出部一里塚(備後尾道より八里、備中板倉より九里の地点)があった。
「いずえ駅150m」の標識 出雲明神の鳥居 旧山陽道一里塚
立派な家並みを通って行くと右手に荒神様の祠と常夜燈、「いづえ」の石標、右手に岩山神社の鳥居と常夜燈、百度石がある。
立派な家並み 祠と常夜燈 「いづえ」の石標
岩山神社の鳥居 と常夜燈 百度石 夜燈の木標
102号線を歩き七日市町に入る。12時半井原駅前の道を北へ向い井原市地場産業振興センターで食事。お昼も豪華。(少し食べ過ぎて反省)
102号線道路 七日市に入る
レストラン 食べ過ぎた昼食
13時半、疲れたM夫人を残し3人で出発。井原大橋を渡り西新町の交差点から脇道に入る。
井原大橋へ 大橋への階段を上がる 井原大橋
井原大橋を渡る 西新町交差点
西新町交差点から脇道に入る 第25番律照寺地蔵菩薩像
「第25番津照寺揖取延命地蔵菩薩堂」を左に見て「史跡相田嘉三郎旧宅」(養蚕の奨励と製糸業の発展に尽くしたらしい)を過ぎ、「平櫛田中生誕之地」の石碑(平櫛田中は、明治5年、井原市に生まれた彫刻家。22年の歳月をかけて完成した<鏡獅子>が有名です。)を過ぎ、道なりにまっすぐ歩く。
史跡相田嘉三郎旧宅 平櫛田中生誕之地 石柱 道なりに歩く
14時20分西江原小学校南の交差点にある地蔵堂のところで今日の歩きは終わり。タクシーで井原駅まで戻りM夫人と合流。
地蔵堂(今日の終点) 井原駅前のモニュメント
井原駅~JR神辺駅 (井原線)
JR神辺駅 15時 25分 ~ JR福山駅 (JR福塩線)
JR福山駅 15時 53分 ~ 新幹線で帰宅
今日のコースは 7Km (岡山県の計 8Km 総計 341Km)
参加者 S夫婦とM夫婦の4人