国指定遺跡 見沼通船堀には関連施設として鈴木家住宅も含まれていますが
一般公開されているのは鈴木家住宅附属建物だけです。
鈴木家住宅の東側通路から附属建物へ行けるようになっています。
芝川・見沼通船堀・見沼代用水を利用していろいろな物が運ばれました。
江戸に運ばれた物
米・大麦・野菜・薪・木材・竹材・漬物・樽柿・味噌・酒・・・・・・・・等
江戸から運ばれてきた物
大豆粕・菜種粕・肥料・塩・魚類・南京豆・醤油・菓子・荒物・・・・・・等
物の差配は6ケ所の通船会所(現在の表現なら出張所)で行われたそうです。
川口宿・八丁堤・新染谷村・北袋村・上瓦葺村・上平野村の6ケ所。 現在の
地名からもおおよその場所が推定できます。
荷物の積み下ろしは 川口宿から芝川、東西両代用水路沿いに59ケ所設あり
広範囲の物流システムが構築されたようです。
目の前の施設を見ながら 江戸時代の世界が想像できることは楽しいものです。
木曽呂の富士塚は国指定重要民俗文化財であり 2006年(平成18年)には
皇太子がこの富士塚を視察しています。
場所は見沼通船堀東縁を東に進むと見沼用水東縁に突き当たります。
その突き当り正面を見上げると木々がこんもりした中に富士塚があります。
見沼たんぼ地図最南端 八丁堤に沿って右に目を移せば富士塚付近となります。
白い部分が昔海水が入り込んでいたと思われるところ 黒い部分は元々の高台
八丁堤が書き込まれているので位置関係がわかると思います。
(見沼たんぼ脇には約8000年前頃の馬場小室山遺跡もあります!)
富士塚は盛り土で造ってありますが元々の自然の地形をうまく利用しています。
そのため富士塚の東側 高台住宅地から登れば近道になります。
富士塚は高さ5.4m 直径20mで埼玉県内では最古の富士塚です。
1800年(寛政12年)信者である蓮見さんの発願で造られたそうです。
昔は富士登山は誰でも経験できるものではなく 富士を崇める人たちにとって
夢の又夢だったと思われます。
その夢をかなえるため 「せめてミニチュア富士で富士登山のイメージ体験を
させてあげたい」 との思いが富士塚です。
私は約15年前 家族4人で富士登山を経験しました。
当時 子供たちは小学生低学年だったので事前歩行訓練をして登山に臨みました。
時々 テレビで富士山の姿が放映されると当時のことを鮮明に思い出します。
「富士山は見る山 登る山ではない」 という人もいますが登っていて良かった
とつくづく思います。
登れる時がチャンスです。
十分な時間があっても 登る体力がなくなれば富士登山は非常に困難です。
昨日紹介した見沼通船堀閘門開閉実演を見学される方に 隣接する竹林見学を
お勧めしましたが 時間がある方には更にお勧めしたい所を紹介します。
先ずは鈴木家
公開されているのは鈴木家の附属建物(蔵)で公道に面している母屋は現在も人が
住んでいるので非公開になっています。
あいにく蔵の公開日は土・日曜日だけだと思われますから 下見程度で後日再訪
をお勧めします。
鈴木家は徳川幕府より見沼開発担当として任命された井沢さんと当初より見沼干拓
事業に携わりました。
その実績を認められたためでしょうが 見沼通船堀が完成すると鈴木家と共に功績
のあった高田家 両家に見沼通船差配役のお墨付きがでました。
利権を手に入れた鈴木家の繁栄は十分予想できます。
ちょんまげ姿の武士や船の綱引き職人がこの通船堀で働いていたことを想像すると
江戸時代が身近に感じられます。
次に木曽呂の富士塚
見沼通船堀の東方 見沼用水東縁の隣にあります。
詳しくは後日紹介します。
8月27日(水) 見沼通船堀東縁 一の関・二の関において閘門開閉実演
が行われる予定です。(AM10:00~ ・ PM13:00~ の2回)
場所は見沼たんぼ地図の最南端 旧八丁堤(約900m)に沿って東西に
掘られた用水です。
見沼通船堀は芝川を中央にして見沼用水東縁・見沼用水西縁とそれぞれ接続
されています。
見沼通船堀は国指定史跡であり 閘門開閉式により見沼用水と芝川との水位
差約3mを関を設けて船を通せるように工夫された水路です。
パナマ運河みたいに 入口と出口の水位差を克服して船を通す仕組みが江戸
時代にあったことは素晴らしい土木技術です。
去年の閘門開閉実演の時に撮った通船堀の様子。 見学者も大勢いました。
実演は見沼通船堀東縁で行われます。
見沼通船堀西縁の東浦和駅よりには竹林があり 遊歩道デッキを歩くのも
お勧めコースです。
昨日 完熟したものからブドウの収穫を始めてみました。
今年は色付き始めたものから順に袋かけを始めたのでスズメ等の
鳥害はなく まずまずの仕上がりです。
今年も下向きで作業しやすいブドウの房は種無し処理をしてあります。
我が家の娘たちが 「ブドウに種があると食べずらい」 との理由で5年
位前から半分位の房を種無し処理しています。
ブドウの種無し処理は誰でも比較的簡単にできます。
ジベレリンを購入して一定濃度のジベレリン水溶液を作り ブドウの房を
その水溶液に2回浸すだけです。
一回目はブドウの花が散り始め果実の小さな形が出来た頃 ブドウの房が
入りきる容器に入れた水溶液に水没させる。
二回目はブドウの花が散って果実が小粒ながらブドウの房状になった頃に
前回と同じ水溶液を作り 房全体を水没させます。
ブドウ房の水没は数秒で済みます。
この簡単な作業でブドウの種無し化はほとんど失敗なく出来上がります。
園芸はいろいろなことに挑戦できる楽しい趣味の世界です。
我が家の省エネの筆頭はブドウ棚による 「緑の庇」 ですが 有望と思える
「緑のカーテン」 案を紹介します。
今年 土に直植えしたアピオスが元気すぎて サヤインゲンの収穫後に種まき
したキュウリの上まで茂っています。
昨年は予定通り キュウリがアピオスに負けずに成長し それなりの収穫が出来
たのですが 今年はアピオスが先行しすぎキュウリが不良です。
花が沢山咲くので何か利用法がないかと調べたら 花を摘み取りお茶にすること
ができるとの記事もありました。
この元気すぎるアピオスをプランター栽培して 「緑のカーテン」 に仕立てれば
強い風にも負けない物ができると思います。
そして役目を終えた頃にはアピオスイモが数珠つなぎで収穫できます。
「緑のカーテン・花・イモ」 の一石三鳥となります。
アピオスイモの栄養成分の100グラム当たりの総エネルギーは 従来のイモの中で
最高といわれるサツマイモに比べて1.6倍 ジャガイモの2.6倍もあるそうです。
アピオスは栄養的に極めて優れた食品で古来強精食とされてきた優れものだそうです。
栽培は簡単なのでぜひ 「緑のカーテン」 として挑戦して頂きたい野菜です。
久々 ブラックバスの釣果情報を聞きに芝川第一調整池の様子見に行ってきました。
芝川第一調整池は見沼たんぼ最南端に位置する大きな調整池です。
JR東浦和駅の東方向で武蔵野線北側・芝川東側の大きな人造湖
今回は芝川第一調整池の南側から歩いてみました。
水の中にヨシが生えている所は 30㎝位の雷魚が良く釣れる場所です。
釣り人に釣果を聞くと ルアー釣り約2時間で雷魚4匹 ブラックバス1匹
雷魚は大型が多く 釣り上げタイミングが遅れると針を飲み込まれるそうです。
今の季節は日差しが強く パラソル持参がお勧めとのアドバイスでした。
調整池西側 石段から見た景観
この場所では釣り人は少なく南方向でルアー釣り1名だけでした。
やはり雷魚が多く 鯉もかかるそうです。
石段に10㎝位水があるところではフナみたいな魚が沢山います。
近づくとバシャバシャ音を立てながら逃げ出します。
浮きをつけたエサ釣りも楽しめそうな感じです。
8月は暑すぎますが 9月末頃の涼しい日には釣りが楽しめそうです。
台風の被害も少なくバルコニーの最終夏パターン配置が出来上がりました。
バルコニー東側
バルコニー西側
バルコニー上部
オクラは直径35㎝高さ25㎝の鉢で11鉢 植えてあるオクラは33本
モロヘイヤは直径30㎝高さ35㎝の鉢で7鉢 直播で適当に栽培
オクラは9月末まで4人家族で十分食べられる量が収穫できます。
夏の健康維持に大いに役立っている価値ある野菜です。
モロヘイヤは8月末まで10日毎に収穫でき食べきれない分は冷凍保存します。
冷凍保存したモロヘイヤは品質劣化も少なく長期間食べられる優れものです。
以前はいろいろな野菜に挑戦していましたが 今は投資効果を考え家族評価
の高いものを集中して栽培するようになりました。
バルコニー菜園の最終冬パターンは1月頃に出来上がります。
ホウレンソウ・ターサイ・大根で緑あふれるバルコニー菜園になる予定です。
平々凡々な暮らしですが 野菜栽培は楽しいものです。
台風の影響で今日予定されている見沼通船堀公園での花火大会を心配している
人が多いでしょうが 先ほど開催の音花火が上がったようです。
急な悪天候になら無ければよいのですが・・・・・・
私もさきほど雨が降り出す前に犬の散歩は行ってきました。
見沼用水は普通の川ではないので大雨になってもそれほど増水はありません。
いつもゆったりとした流れで 小魚や大きな鯉が泳いでいます。
人なれした鯉はいつもエサがもらえる橋の下で群れをなして待機しています。
見沼用水は正式名は 「見沼代用水」 で1728年3月より水利が始まったそうです。
延長約85㎞(利根大堰~辻用水・毛長川) 灌漑面積約15000ha
1726年 測量開始(手作りの水盛と呼ばれる水準測量で作業)
1727年9月 工事開始(土工事は水路沿いの村々に割り当て請負制)
1728年2月 完成 3月より水利開始
大規模工事にもかかわらず 工事期間は約5ケ月で完成させたそうです。
建設に関わった作業員は述べ90万人といわれ 徳川幕府の力を感じます。
見沼用水の生い立ちを調べると当時の作業風景が想像でき感慨深いものがあります。